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「ハラスメントゲーム」第6話

テレビ東京の「ドラマBiz」の「ハラスメントゲーム」の第6話を見ました。

「マルオーホールディングス」のコンプライアンス室長の秋津渉(唐沢寿明さん)は、社長の丸尾隆文(滝藤賢一さん)に言われたように店舗開発担当常務の脇田治夫(高嶋政宏さん)の部下の取締役の水谷逸郎(佐野史郎さん)をパワハラで訴えようとするのですが、水谷さんは発言を認めず、証拠もありませんでした。役員担当秘書の小松美那子(市川由衣さん)が聞いていたかもしれないと知った先輩の高村真琴(広瀬アリスさん)は、小松さんからその時の二人の様子を聞こうとするのですが、はぐらかされてしまいました。顧問弁護士の矢澤光太郎(古川雄輝さん)は、“昼行燈”かもしれない秋津さんを高村さんが信じすぎていることを少し心配していました。

そのような中、秋津さんは、早期退職希望者が集まらなかったためにリストラ候補を選ぶ仕事を任された人事部長の小泉光一(石井正則さん)から、リスハラ(リストラハラスメント)にならないようにリストラをするにはどうすればいいかと相談を受けました。特に元上司である営業戦略部の課長の浅村裕也(杉本哲太さん)がなかなかリストラに応じないということでした。秋津さんは、浅村さんに自主退職を促すために外国人従業員が多いマルオー物流倉庫への出向を命じることにした小泉さんに、浅村さんを連れてマルオー物流へ挨拶に行くことを提案しました。英語の飛び交う倉庫を訪れた浅村さんは、小泉さんからリストラ対象者になっていることを聞かされると、出向にも退職にも応じないと小泉さんに伝えました。

しかし、後日、秋津さんに呼び出されて元部下の小泉さんと再会した浅村さんは、リストラを行う人事部の小泉さんの苦悩を知り、出向先のマルオー物流へ行くと英語で応じました。英語ができないと小泉さんが思っていた浅沼さんは、実は大学時代に語学留学をしていた英語のできる人でした。小泉さんと浅沼さんは笑い合い、秋津さんも高村さんもほっとしていました。

高村さんは、弁護士の矢澤さんの言うように秋津さんが何者かよく分からない昼行燈であることを認めつつも、私は秋津さんを信じると決めていました。

役員会議で報告をした秋津さんは、マルオーホールディングスの経営難を乗り切るために人員削減を断行しようとしている丸尾社長以下役員たちに、役員報酬をカットしようとは思わないのですかと進言し、役員たちから反感を買っていました。秋津さんは、“社長の味方”でもなくなったようでした。その後、秋津さんは、契約社員でもある秘書の小松さんから、話があると呼び出されたバーへ向かったのですが、隣に座る小松さんに手を触られたり肩に寄り掛かられたりした上、これはセクハラですよ、と言われました。

脚本は井上由美子さん、演出は楢木野礼さんでした。

第6話も、面白かったです。

会社側が辞めさせたい社員を自主退職に追い込むという「リストラハラスメント」が描かれていた今回は、人事部の小泉さんと元上司の浅野さんの関係性を描いていた前半と、権力闘争に巻き込まれた秋津さんの闘いを描く後半との、二部構成になっていたような印象でもありました。

秋津さんと高村さんと矢澤さんの、少し距離のある関係性も良いです。

サブタイトルは「被害者が加害者になるとき」というものでした。「ハラスメント」を主張することは、立場の弱い人の「武器」なのだと思います。自分の身を守るためにも必要なことだと思いますが、乱用されるとすれば、自分や相手にとって、それも危険なことなのかもしれません。

次回の「ハラスメントゲーム」の物語も楽しみにしたいと思います。


ところで、昨夜のNHKの報道によると、厚生労働省は企業に対するパワーハラスメントを防止するための法整備を行うことにしたのだそうです。罰則付きで義務化するのでしょうか。それとも、罰則は無しなのでしょうか。中央省庁や役所などの公的な施設にもそのハラスメント防止法を適用するのでしょうか。

同じ昨夜のBS-TBSの「報道1930」では、様々な分野で「規制緩和」ビジネスを推し進めている安倍政権の水道事業民営化の問題が取り上げられていた(ゲストは水のジャーナリストの橋本淳司さんと、自民党の「水道事情促進議連連盟」の会長の川崎議員という方だったのですが、川崎議員はお酒に酔ったような薄笑いを浮かべた話し方で「あいのこ」だとか現JRの「国鉄」だとか現NTTの「電電公社」だとかの言葉を繰り返していました)のですが、水は鉄道や電気とは異なりますし、人間を含むすべての生き物の命に直結するものなので、水の浄化や古い水道管を新しいものに順次交換するなどの上下水道事業の改善のための対策は、やはり国が完全に責任をもって税金を使って行うようにしたほうが良いように思えました。

あと、水道事業の民営化を進めている一人の、財務大臣で副総理大臣でもあるベテランの麻生太郎議員が、福岡市長選挙での応援演説の場で国立大学を卒業した北九州市長のことを「人の税金を使って学校へ行った」と言ったということも少し報道されていたのですが、国が国民の生活を良くするために国民から広く徴収しているはずの「税金」を「人の税金」という言葉で表現する感覚自体が奇妙です。そのような議員さんたちが政治を司っている日本の社会が、これからどうなっていくのか不安でもあるのですが、日本人にも日本で暮らす外国の人にも生きやすい場所になっていくといいなと思います。

フランスの自動車会社のルノーと日産自動車と三菱自動車の会長を務めるカルロス・ゴーンさんと日産自動車の代表取締役社長のグレッグ・ ケリーさんが、有価証券報告書に自身の報酬を実際よりも50億円少なく申告していたとか会社のお金を流用していたなどという金融商品取引法違反の容疑で逮捕されたというような報道(内部告発から東京地検特捜部による捜査が始まったそうなのですが、日本版司法取引も使われたのだそうです。不正が取り締まられること自体は悪いことではないと思うのですが、どうして今、カルロス・ゴーンさんが逮捕されることになったのかということも少し気になります)があった後に、このドラマ「ハラスメントゲーム」の第6話を見たということもあり、私は、第6話の中で秋津さんが丸尾社長や役員たちに人員削減するくらいなら役員報酬を減らしてはどうかと進言する場面を見ていて、改めて、社長や役員たちの報酬を一般の従業員たちのお給料と比べて差の開いた莫大な金額に設定しているような会社は良い会社ではないように思えました。

「長期政権は腐敗する」ということは、どこの組織にも当てはまることなのでしょうか。不正を行ったりそれで私腹を肥やしたりする人間の欲深さや浅ましさを、人間の弱さだという風にしてはいけないような気がします。

「下町ロケット ヤタガラス」第6話

TBSの「日曜劇場」のドラマ「下町ロケット」の第6話を見ました。

「ゴースト編」だった第5話までは、オープニングのタイトルは「下町ロケット ゴースト」となっていましたが、今回から「ヤタガラス編」になるということで、タイトルも「下町ロケット ヤタガラス」と変わっていました。

第6話は、小型エンジンメーカー「ダイダロス」の代表取締役社長の重田登志行(古舘伊知郎さん)との提携を独断で決めるというベンチャー企業「ギアゴースト」の社長の伊丹大(尾上菊之助さん)の裏切りにショックを受ける一方、「帝国重工」の宇宙航空部企画推進グループに配属された財前道生(吉川晃司さん)の“宇宙から大地へ”に共感した「佃製作所」の社長の佃航平(阿部寛さん)が、財前さんに頼まれて、「キーシン」の戸川譲社長(甲本雅裕さん)の産業スパイの被害に遭うという苦い経験から大企業との業務提携に否定的な考えを持っている、佃社長の大学時代の友人で人工衛星のヤタガラスを使った無人農業用トラクターの開発をしている北海道農業大学の教授の野木博文(森崎博之さん)を、自分たちの開発事業に協力してほしいと説得する話でした。

脚本は丑尾健太郎さんと槌谷健さんと神田優さん、演出は福澤克雄さんでした。

最後のほうは、ダイジェスト映像かと思うほどの展開の早さだったようにも思うのですが、「ヤタガラス編」も面白くなっていそうで良かったです。

「ギアゴースト」を退職した副社長の島津裕(イモトアヤコさん)は、「佃製作所」に謝りに来た際に、エンジニアの島津さんを信頼している佃社長や社員たちから、一緒に仕事をしたいと誘われたのですが、今は疲れているからと言って断っていました。

新潟県燕市の実家の農家を継いだ元経理部長の殿村直弘(立川談春さん)は、収穫した「とのむら家の米」を佃社長に送っていました。おいしいお米になったようでした。しかし、田んぼを売ってほしいと言う同級生の稲本彰(岡田浩暉さん)に農業法人に参加するよう勧められたり、客に米の味など分からないと言う農林業協同組合の吉井浩(古川雄大さん)に脅されたりしていました。殿村さんに会いに行った時、殿村さんが吉井さんと対立している現場に遭遇した佃社長は、プライドを持って顧客のために「とのむら家の米」を作っていると断言する殿村さんに勇気づけられていました。

野木さんも今回からの新しい登場人物ですが、佃社長と大学時代の友人の野木さんの場面も面白かったです。佃社長と財前さんの案内で「帝国重工」の演じん実験を見た後、佃社長の母親の和枝(倍賞美津子さん)の出した「とのむら家の米」の味に感動していた野木さんは、「帝国重工」の社員の利菜(土屋太鳳さん)が佃社長の娘でもあったことに驚いたり、妻の沙耶(真矢ミキさん)とすでに離婚していたことに驚いたりしていました。会話の中で語られるだけではなく、30年前の大学時代の佃さんと野木さんの友情の場面が描かれていたのも良かったです。

「帝国重工」の的場俊一(神田正輝さん)は、財前さんの企画を奪って責任者に就任していました。佃社長は、財前さんの仕事や佃製作所の仕事をバカにしたような言動をする的場さんに少し苛立ったように反論していたのですが、「ギアゴースト」の伊丹さんと「ダイダロス」の重田さんは復讐できると喜んでいたようでした。「ギアゴースト」の社員の坂本菜々緒(菅野莉央さん)や柏田宏樹(馬場徹さん)は、島津さんと同じように、「ギアゴースト」の伊丹社長が「ダイダロス」や「ヤマタニ製作所」や「大森バルブ」と提携して、「ケーマシナリー」から特許侵害で訴えられた裁判に尽力してくれた「佃製作所」を裏切ったということに傷ついていたのですが、新しく開発主任になった氷室彰彦(高橋努さん)は、「佃製作所」のことを悪く言って柏田さんたちを当惑させ、「佃製作所」の技術開発部の立花洋介(竹内涼真さん)を怒らせていました。

「ヤタガラス編」としては第1話でもあるような今回の第6話には、島津さんが佃製作所のトランスミッションの第1号をチェックしたり、佃社長が野木さんの研究グループが開発した人にぶつからない無人トラクターに興味を持ったりする場面などもあったのですが、やはり私としては、企業同士の闘争の話よりも、技術開発の場面を見たいようにも思います。

でも、今回も最後まで楽しく見ることができましたし、次回からの「下町ロケット ヤタガラス」の物語もまた楽しみにしたいと思います。

「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」

NHKのEテレの「ETV特集」の「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」を見ました。

公害病の水俣病のことが海外に広まったのは、アメリカ人の写真家のウィリアム・ユージン・スミスさんが出版した、水俣病患者とその家族の闘いの日常と生きることを諦めない命の輝きを撮した、写真集『MINAMATA(ミナマタ)』によるところが大きいのだそうです。

私はその写真集を未見なのですが、ユージン・スミスさんと妻のアイリーン・美緒子・スミスさんの共著です。白黒の写真集で、解説の文章は英語で書かれていました。

来日して熊本県の水俣の漁村で暮らした3年間、水俣病の患者や家族の方に寄り添い続けていたというユージン・スミスさんのことも私は知らなかったのですが、スミスさんの没後40年の今年、スミスさんの取材に関する資料が新たに見つかったそうで、番組では、スミスさんの会話などが録音された310時間に及ぶカセットテープの音声の一部も公開されていました。カセットテープを持っていたのは、今は京都で暮らしているという写真家のアイリーンさんでした(妻ではなく、元妻と書かれていました)。

スミスさんは、晩年をアリゾナ州のツーソンという町で過ごし、2年間大学で写真学を教えていたそうです。クリエイティブ写真センターというところに保管されていた600箱になるというスミスさんの資料の一部が初公開されていました。水俣で撮影した40年以上前の未公開プリントや560本のフィルムもあったそうです。

スミスさんは、3年の間、水俣病患者である一人の少女の姿を撮り続けていたそうなのですが、その少女は18歳の頃の田中実子さんでした。田中実子さんは、水俣病が公式に認定されるきっかけとなった水俣病患者の一人です。

1950年代初めの水俣の人々は、奇病の噂や差別に苦しんでいたそうです。1956年5月に、水俣病が公式に確認され、「チッソ」の水俣工場の排水に含まれるメチル水銀が原因で、汚染された海で穫れた魚介類を食べて水俣病を発病したと特定されたそうです。

1960年代後半には被害者たちが国とチッソを訴える裁判を起こしていて、スミスさんが水俣に来た頃も闘争は続いていたということでした。

スミスさんの撮影フィルムの記録ノートには、「JITSUKO-CHAN(実子ちゃん)」が何度も登場していました。1971年9月の実子さんの姿も撮影されていました。スミスさんは実子さんと1時間手をつないで撮影していたそうです。スミスさんは、来日する8日前にスミスさんと結婚したという写真家のアイリーンさん(父親がアメリカ人で母親が日本人だそうです)と、アシスタントの写真家の石川武志さんの協力を得て、水俣病患者や家族の写真を撮影をしていたようでした。アイリーンさんは今は68歳で、結婚した頃はアイリーンさんが21歳、スミスさんが52歳だったそうです。31歳差です。

アイリーンさんは、二人で使っていたというニコンのカメラを今も大切に持っているようでした。取材の時に録音していた40年前のカセットテープも、話している内容が感動的なので、保管せずにはいられなかったのだそうです。そこには、実子さんと実子さんの母親とスミスさんとアイリーンさんが楽しそうに話している音声も残されていました。

スミスさんは、実子さんのことを、アメリカの友人への手紙に、彼女は18歳で私が知る最も美しい女性の一人だと書いていたそうです。

ユージン・スミスさんは、25歳の時、従軍カメラマンとして、太平洋戦争時のサイパン島や硫黄島で、敵国の捕虜や傷ついた子供たちの姿を撮影していたそうです。1945年には沖縄で沖縄戦の様子を撮影していたそうなのですが、撮影中、日本軍の砲弾によって顔や身体に重傷を負ったそうです。戦後には、「LIFE」に1950年代の圧政下のスペインの村の人々を取材した写真を掲載したりしていたそうなのです。1961年頃、日本の日立製作所から写真集のための工場の撮影依頼を受けて来日したそうなのですが、スミスさんの目は次第に工場周辺で暮らす貧しい人々に向けられるようになり、漁村を撮影したいと考え、不知火海に面した水俣にたどり着いたということでした。

ユージン・スミスさんとアイリーンさんは、月浦という町に一軒の家を借り、自宅兼作業場として使っていたそうです。3年間アシスタントをしていたという石川さんは、スミスさんの家があったという場所へこの番組のスタッフの方たちを案内していたのですが、国道沿い?にあったらしい家の跡地は、今は空き地になっていました。月浦は、患者が最も多く発生した地域だったのだそうです。

その小さな家で暮らしていた当時のスミスさんご夫妻の様子は、1973年の「文化展望 写された20世紀」というドキュメンタリー番組に残されていました。スミスさんがよくウィスキーを買っていたというお店の方によると、スミスさんは沖縄戦の時の怪我の影響で食べ物をあまり噛むことができなかったのだそうです。日本語も全く話すことが出来なかったということでした。それでも、地元の方たちと仲良く暮らしていたそうです。穏やかで陽気な方だったようでした。

スミスさんは、「水俣」を大きな視点で撮っていたそうです。写真集『MINAMATA』は、不知火海での漁や民家と新聞紙に包まれた夕食の太刀魚などの日常風景の写真から始まっているのだそうです。

なぜ水俣に来たのかと訊かれることが多かったというスミスさんは、「この水俣で起きていることに私は外国人として関わっているのではない。私自身のため、妻と子供たちのため、水俣の住民のため、世界全体のためにここにいる」と答えたそうです。

「ほっとはうす みんなの家」に暮らす66歳の渡辺栄一さんも、被写体となった一人で、カセットテープには、船頭小唄をアコーディオンを弾きながら歌っている声が残されていました。スミスさんは、明るい栄一さんを、友達を大笑いさせる生まれながらの芸人と評していたそうです。カセットテープの音を聴いた栄一さんは、懐かしいと言い、スミスさんのことを、優しい陽気な人だった、いつもウキウキしていた、と話していました。栄一さんは、スミスさんのそばにいるだけで楽しかったようでした。栄一さんの家族の全員が水俣病患者で、今は両親も弟も亡くなり、栄一さんは5年前から施設で暮らしているそうです。寂しくならないように過去は思い出さないようにしていると話していたのですが、寂しい時はアコーディオンを弾くそうです。きれいな音でした。

ユージン・スミスさんは、様々な表情の田中実子さんを撮影していたのですが、なかなか納得のできる実子さんの写真を撮ることができなかったそうです。刻一刻と揺れ動く実子さんの内面を、スミスさんは捉えようとしていたようでした。石川さんによると、「かわいい」や「きれい」では、実子さんの親御さんにあげる写真ならいいけれど、スミスさんの撮りたい実子さんの写真ではなかったそうです。苦悩するスミスさんには、実子さんの美しさだけではなく、不安や怒り、人間として人間らしく生きられない、壊されているという叫びを自分の写真で出せない、声なき声を自分が代弁できていないという苛立ちがあったということでした。スミスさんは、撮影した実子さんの写真を現像しながら、ジャニス・ジョプリンの「サマータイム」をよく聴いていたそうなのですが、その歌声を聴いて、なるほどなと、何となく思いました。

そして、水俣に来てから一年後、スミスさんは実子さんのある表情にたどり着いたそうです。笑顔の中に見えた一瞬だそうです。写真集に選ばれた、一千枚分の一枚です。しかし、写真集には「私にはあなたを撮った写真はみんな失敗なのが分かる」と書かれているそうです。

現在、65歳の実子さんは、74歳になる姉の下田綾子さんのご夫婦と暮らしていました。綾子さんは、車椅子に座っていました。実子さんは、転倒した際に頭を守るためのヘッドギアを着けていました。30年前に両親を亡くしてから、実子さんは、ほとんど外出することが出来ないそうです。姉の綾子さんは、ユージン・スミスさんは実子ちゃん、実子ちゃんとかわいがってくださった、でも今は憶えていないかもしれないと話していました。

カセットテープには、「はっとするほど美しく生きている18歳の女性。恋愛を知ることはないだろう。実子ちゃん。愛らしくて美しい人の有意義な人生が産業発展の廃棄物によって奪われる。私はこれまで多くの写真を撮ってきたが、この世に生きる人間で実子ちゃんほど私の心をかき乱した人はいない。実子ちゃんを撮るのは、あなたの素早く変わる心模様に触れるようで、私は大きな間違いをしているのではないかと恐れを感じる。私には分かる。私が実子ちゃんを撮った写真は全部失敗作だと。私は君を愛している。実子ちゃん、愛している。」というユージン・スミスさんの英語の言葉が残されていたのですが、最後にはすすり泣くような声も録音されていました。

実子さんの向き合い続けたユージン・スミスさんの心には、カメラを向けること、撮る者と撮られる者の関係性への恐れがあったようでした。

「ほっとはうす みんなの家」に暮らす61歳の長井勇さんは、14歳の頃にスミスさんと出会って、スミスさんに撮影されるうちにカメラを好きになり、自身でもカメラを使って写真を撮るようになったそうです。長井さんの写真の中には、自宅で現像するスミスさんが写っているものもありました。長井さんは、スミスさんのことを、やっぱり優しい人、と話していました。14歳の長井さんを写した写真も、写真集『MINAMATA』に入っているそうです。スミスさんと仲良くなって、風景や写真を撮るのが楽しいカメラマンになった長井さんですが、今はカメラを使っていないそうです。手が硬くなったのできつい、と長井さんは話していました。

当時15歳だった胎児性水俣病患者の上村智子さんを、スミスさんは、水俣の象徴として捉えていたそうです。智子さんの父親の83歳の好男さんは、坂を上り、乙女塚という水俣の少女たちの慰霊碑の前に来ていました。37年前に建てたそうです。智子さんは21歳で亡くなったそうなのですが、石像は、智子さんが母親に抱えられている姿を捉えた写真から表現されたもののようでした。

ユージン・スミスさんは、上村さんの一家と家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。写真集に入っている「入浴する智子と母」は、水俣病を世界に伝えた作品ということなのですが、このような写真を撮ることができたのは、水俣病患者やその家族と心を通わせることができたスミスさんの人柄によるところが大きかったようでした。スミスさんは、智子さんを観察する中で、1971年の10月に、お風呂に入っているところを撮りたいと提案し、家族もそれを認めたそうです。

資料の1971年12月24日のところには、「TOMOKO CHAN」、「TOMOKO IN BATH」と書かれていました。この写真は、ユージン・スミスさんの写真家人生にとっての最高傑作となったそうです。しかし、この写真が有名になると、問題が起きました。上村さんたちも、「相当お金をもらったでしょう」などと言われたのだそうです。

ユージン・スミスさんとアイリーン・スミスさんの会話がカセットテープに残されていました。「僕は不安になる。自分の予想以上に患者たちを傷つけていないかと」。

写真集には「ジャーナリズムにおける私の責任は二つある。一つは被写体に対する責任。もう一つは写真を目にする人に対する責任である」と書かれているそうです。

アイリーンさんは、ユージン・スミスさんの亡き後、上村さんが「入浴する智子と母」を広めてほしくないと話していると知り、この写真の展示と出版を行わないということを決めたそうです。その写真が使われたチラシやチケットが地上に落ちて踏まれることにも思いを巡らせていました。アイリーンさんは、「あの写真が有名になって儲けただろう」という言葉は親として本当に傷つくだろうと話していました。

それから、ユージン・スミスさんは、1972年1月7日、水俣病の患者やその家族が「怨」という旗を掲げてチッソの東京本社へ直接交渉へ行くところも取材したそうです。チッソは、患者たちを包囲し、排除したそうです。千葉のチッソ五井工場へ取材に出かけたユージン・スミスさんと妻のアイリーンさんは、なかなか姿を見せない責任者を患者たちと待ち続けていたそうなのですが、予定の時刻から4時間後、大勢のチッソ関係者(従業員や暴力団員)が患者やスミスさんたちを取り囲み、無理矢理外へ追い出したそうです。怖いことです。

チッソの関係者がスミスさんたちに掴みかかった時の音声がカセットテープに残されていました。「虐殺だよ、これ」と誰かが言う声も入っていました。チッソの関係者に殴られたユージン・スミスさんの口の中は血だらけになり、カメラも2台壊されたそうです。ユージン・スミスさんは、東京女子医大で治療を受けたそうなのですが、資料(カルテ)によると、左大腿部や頸椎の挫傷、右尺骨神経損傷と診断されていたようでした。その傷がもととなって沖縄戦の時の古傷も悪化し、スミスさんは頭痛や視力障害にも苦しむことになったそうです。アイリーンさんによると、五井工場の暴行・傷害事件の後、スミスさんはいつも「痛い」と悲鳴を上げていたそうです。当時のことは、新聞の記事にもなっていました。番組で紹介されていた新聞記事の見出しには、「外人カメラマン袋叩き」と書かれていました。

事件の後、水俣病の原因企業のチッソから、スミスさんに手紙が届いたそうなのですが、そこには、治療の費用を負担をすることと、カメラの弁償をすること、今後の取材に協力をすることが、告訴を取り下げることを条件に提案されていたようでした。

ユージン・スミスさんは、チッソの提案を拒否し、告訴もしなかったそうです。「チッソは憎いが告訴はしない。もしも告訴してしまったら私の写真を誰も信じなくなってしまう」という思いからでした。ジャーナリストとして、水俣病患者と家族の苦しみを伝えることを優先したそうです。スミスさんは、体調が悪化する中で撮影を続けていたそうなのですが、1974年にアメリカへ帰国したそうです。帰国する前に撮影したのは、20歳になった田中実子さんの成人式の写真でした。ニューヨークの自宅で取材に応じていたスミスさんは、右目に黒の眼帯を着け、サングラスをかけていて、一週間前に帰国した時より良くなったが右目が悪くて写真が撮れないと話していました。それでも、日本に戻れることを願っていたようでした。

たとえ遺作になったとしてもこの本を完成させたいと話していたスミスさんは、翌年の1975年に写真集『MINAMATA』を発表し、ロバート・キャパ賞を受賞したそうなのですが、その3年後の1978年10月15日に59歳で亡くなったそうです。『MINAMATA』は、ユージン・スミスさんの遺作となりました。

今も多くの水俣病患者の方が、症状に苦しみ、病の認定と救済を国とチッソに求めています。上村智子さんの父親の好男さんは、患者団体の代表を務め、水俣の問題に取り組んでいるそうです。

好男さんは、患者がいなくなったら「終わった」となるのでしょう、しかし歴史には残ります、あなたたちの取材も残ります、それがつながりじゃないですか、私はそう思います、取材してさよならではなく、あなたたちの記録は残ります、どこかに出てくる記録になると思います、是非残ってほしいんですよね、それで目を向けてもらえることが良いと思いますよ、ということを番組の取材スタッフの方たちに話していました。本当にそうだなと、上村好男さんの言葉を聴いて思いました。

ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんによる写真集『MINAMATA』は、「写真はせいぜい小さな声に過ぎない。しかし、ときたま、ほんのときたま、一枚の写真が我々の意識を呼び覚ますことができる。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。私は写真を信じている。写真はときには物を言う。それが私、そしてアイリーンが水俣で写真を撮る理由である」という言葉で終わっているそうです。

不知火海の夕焼けの風景がきれいでした。番組のタイトルの「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」の意味が、迫ってくるように思えました。

私がユージン・スミスさんとアイリーン・スミスさんと写真集『MINAMATA』のことを知らなかったということもあるのですが、とても良い特集でした。何となく気になって録画をしておいたものを見たのですが、私も見ることができて良かったです。

カメラを携えて社会問題を取材する人の心構えというか、取材対象者、被写体となる被害者、社会に抑圧された人々や虐げられた人々に寄り添うということに対するユージン・スミスさんの当事者と一体化するような優しさは、すごいと思いました。

自分がカメラを向けることや自分の写真が、患者さんを傷つけているのではないかと、フォトジャーナリストの方が不安に思って自らに問い続けるということは、写真家の方にとっては辛いことなのだと思いますが、本当に大切なことであるような気がします。

今年はユージン・スミスさんの没後40年の年ということですが、生誕100年の年でもあり、昨年には東京都写真美術館でそれを記念するユージン・スミスさんの回顧展が開かれていたそうです。

戦争で従軍カメラマンをしていたというユージン・スミスさんは、戦争に傷つけられていく人々を撮影している時にも苦しんでいたのかもしれません。沖縄戦で負傷したのに再び日本に来たというところも、すごいなと思うのですが、そうしてスミスさんが日本の産業発展を見て、壊されていく自然と農村や漁村の生活を世界に伝えてくださった功績は大きいのだと思いました。海外ではメチル水銀による公害が今でも出ているそうなのですが、その被害を減らす役割をスミスさんの写真集は今も果たしているのかもしれないと思います。

戦争の被害も、原爆の被害も、水俣病を初めとする四大公害病(小学校でも習いました)の被害も、17日に発覚から50年を迎えたというカネミ油症事件の被害も、終わっていません。北朝鮮の拉致事件も、オウム真理教事件も、「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件もそうかもしれないのですが、上村好男さんが話していたように、関係者の方が亡くなったらそれで終わり、ということではないのだと思います。私には知らないことが多いですし、少し知ったことをいつも憶えていることはできません。でも、多くの人が傷ついた悲しい出来事を忘れないようにするために、そのことについて考え続けることができるようにするために、被害が二度と繰り返されないようにするために、記録は残さなくてはいけないし、残るのだろうと思いました。

「結婚相手は抽選で」第7話

フジテレビの「オトナの土ドラ」のドラマ「結婚相手は抽選で」の第7話を見ました。

日本の少子化に歯止めをかけるためのものとして政府が突如制定した「抽選見合い結婚法」によるお見合いで出会った冬村奈々(高梨臨さん)もその法律の被害者であることを知った宮坂龍彦(野村周平さん)は、悩んでいる奈々さんの望む通りにお見合いを断りました。法律の改正案の上申書を託したフリージャーナリストのひかり(大西礼芳さん)と会った龍彦さんは、内閣府特命担当大臣(抽選見合い結婚法担当大臣)を務める小野寺友紀子(若村麻由美さん)の娘であることを打ち明けたひかりさんに、友人の北風佑輔(松本享恭さん)と小さな劇団の主催者の広瀬健(内田健司さん)を紹介し、病を抱えている人やLGBTなどのマイノリティの人たちが法律で傷つかないようにするための改正を求めるレジスタンスの団体「ASBE」を作ろうと思うと話しました。ひかりさんは、何かあったらこの人を頼るといいと、小野寺大臣の側近の厚生労働大臣総務課広報室の山口一朗太(平山祐介さん)の名刺を龍彦さんたちに渡しました。

改正案の上申書を読んだ小野寺大臣は、診断書を提示すれば病気の人をお見合いの対象者から除外するという法改正を行ったことを公式に発表しました。龍彦さんは、SNSで若者たちから広く意見を集めることを広瀬さんたちに提案し、「『ASBE』のたっちゃん」として、「抽選見合い結婚法目安箱」というアカウントを開設しました。ホワイトボードを使って熱心に説明する龍彦さんは、潔癖症をいつの間にか克服していたようでした。

奈々さんは、祖母の紅子(冨田恵子さん)が用意した偽の診断書を提出し、お見合いの対象者からは除外されたのですが、しばらくラジオ局の仕事も休まなくてはいけなくなりました。家で大人しくしているよう祖母に言われた奈々さんは、祖母にお味噌汁の作り方を教えてもらうことにしました。祖母は、あなたの母親にも教えたと、いりこだし(煮干しだし)を使ったお味噌汁を奈々さんと一緒に作りながら、家のリフォームは急がなくてもいいから先延ばしにすることにしたと奈々さんに言いました。小さい頃に亡くなった母親との思い出が失われることを心配していた奈々さんは、ありがとうとほっとしていました。

一方、母親のあき恵(山口美也子さん)からお見合い相手の銀林嵐望(大谷亮平さん)を断るようにと言われてしまった看護師の鈴掛好美(佐津川愛美さん)は、嵐望さんから話したいことがあると改まった態度で言われ、実は8歳になる娘がタイにいるのだと告白されました。娘の母親は嵐望さんが商社に勤めていた頃にタイで出会った女性で、別れた後に子供を生んでから一度も嵐望さんと会わないまま病気で亡くなり、そのことを知った嵐望さんは、養育費の仕送りをしながら、8歳の娘を引き取りたいと考えているが、引き取ることは娘の祖母(交際していた女性の母親)に拒否されているということでした。

嵐望さんの告白にショックを受けた好美さんは、出て行ってと部屋から嵐望さんを追い出すと、嵐望さんとの結婚に反対する母親に言われた言葉を思い返しながら、部屋に置かれていた嵐望さんの小物を捨て始めました。しかし、その後、ポストに入っていた嵐望さんからの手紙を読んだ好美さんは、「母性のある人」を探し求めていた嵐望さんと別れるべきなのか、連絡を取ってやり直すべきなのかどうか、悩み始めていました。

小野寺大臣は、娘として会いたいと連絡してきたひかりさんと会うのを楽しみに待っていました。レストランに来た娘のひかりさんから、結婚したい人がいると切り出された小野寺大臣は、そのような人がいたのかと喜んでいたのですが、写真を見て、相手が女性だと知って衝撃を受けていました。ひかりさんは、驚く母親に、私はレズビアンですと打ち明け、相手は取材で出会った小学校教師で3年前から一緒に住んでいる、パートナーシップの書類を出したいと思っていると言いました。そして、抽選見合い結婚法について、私たちは改正だけではなく、あのバカみたいな法律をなくしてほしいと思っているとも言ったのですが、ひかりさんの好きな人のことを知った母親の小野寺大臣は、普通じゃないと動揺していました。私は異常だというのかと言い返したひかりさんは、言ったことは後悔していないけれど、お母さんに理解してもらおうと思ったのが間違いだったと母親に言って立ち去りました。

翌日、龍彦さんと北風さんに自分のことを話したひかりさんは、母親に認めてもらえなくてショックだったと言いました。北風さんは、親が自分せいだとショックを受けるだろうから話せないと言いました。それを聞いたひかりさんは、母親も真面目だからそう思っているかもしれないと考えていました。小野寺大臣は、私のせいかもしれない、私が育て方を間違えたのかもしれないと悩んでいたのですが、近くにいた広報の山口さんは、そう考えること自体が間違っていると思いますと小野寺大臣に話していました。

龍彦さんの作ったSNSの「目安箱」には、抽選見合い結婚法への意見が相次いで寄せられるようになりました。反響の大きさから、大手テレビ局の報道番組などでも取り上げられるようになりました。

母親が送ってきたネクタイを着け、スーツを着た龍彦さんは、広瀬さんや北風さんと共に、山口さんの仲介で小野寺大臣と会い、署名活動で集めた法律改正のための書類を手渡しました。龍彦さんはその時、ひかりさんとの関係を修復してほしいとも伝えたのですが、小野寺大臣は、それには答えず、抽選見合い結婚法の改正の話だけに応じるように、意見がまとまったら送ってほしい、でも意見を無視はしないというだけのことだと龍彦さんたちに言いました。

その後、広瀬さんや北風さんたちとラジオ局に来ていた龍彦さんは、その帰り際、奈々さんの姿を見かけました。勤務先のラジオ局を訪れていた奈々さんは、会いたいと連絡をしてきた嵐望さんと会い、嵐望さんから、8歳の娘がいることを教えられました。奈々さんは、嵐望がお父さんだったとはと笑った後、子供を引き取ることを諦めないほうがいいと話しました。そのような奈々さんの様子に、嵐望さんは、奈々は変わった、優しい子になったと少し驚いていました。奈々さんは、そうして嵐望さんと話している時、ラジオ局を出ようとしている龍彦さんと再会しました。奈々さんは、龍彦さんが「ASBEのたっちゃん」であることに気付いたのですが、連絡できずにいました。嵐望さんを知らない龍彦さんは、嵐望さんを奈々さんの新しいお見合い相手だと思ったようで、お似合いだと北風さんに言い、自分に気付いた奈々さんに会釈だけして帰りました。

誰かと訊かれた奈々さんは、僕なら大丈夫だからと断ってくれた最後のお見合い相手だと嵐望さんに言い、奈々さんの隣で龍彦さんを見ていた嵐望さんは、悪質なお見合い相手もいるのに良い人だねと奈々さんに話していました。

脚本は関えり香さん、演出は紙谷楓さんでした。

第6話も、良かったです。

最後の龍彦さんと奈々さんの場面は、少し恋愛ドラマ風に見えました。

ひかりさんも同性愛者だったという展開は、もしかしたらそうなのかなと思えるような雰囲気もあったので、意外だったというほどではないのですが、ひかりさんと小野寺大臣の場面は、大臣の娘や息子がLGBTQだったなら大臣は現在の社会の在り方どう考えるのか、あるいは、異性愛者の親の立場としては自分の子供が性的少数者であることをどう思うのかということを描くための場面だったのかもしれないなと思います。

今回には、主人公の龍彦さんが世の中を良くするために団体を作って具体的に動き出したということもあって、社会派の要素がさらに増していた印象もあったのですが、予告によると、次回の第8話がこのドラマの最終回のようでした(そういえば、この枠のドラマ「限界団地」も全8話でした)。あと1話で話がまとまるのだろうかとも思うのですが、ともかく、このドラマ自体は面白いので、どのような最終回になるのか、次回の「結婚相手は抽選で」の物語も楽しみにしたいと思います。

「大恋愛~僕を忘れる君と」第6話

TBSの金曜ドラマ「大恋愛~僕を忘れる君と」の第6話を見ました。

結婚した小説家の間宮真司(ムロツヨシさん)と若年性アルツハイマーの初期段階と診断されている医師の北澤尚(戸田恵梨香さん)は結婚し、2014年9月、引っ越し会社の従業員の木村明男(富澤たけしさん)と小川翔太(杉野遥亮さん)の協力で新居に引っ越していました。真司さんは病のことでいろいろ気になってしまう尚さんが「ま、いっか」と気軽に思えるように明るく導いていました。病院では、担当医の井原侑市(松岡昌宏さん)が、バランスの良い食事と睡眠だけではなく、愛情によっても症状は回復するということを、尚さんと夫の真司さんに話していました。

真司さんがアップルパイを好きだと取材で答えたために大量に贈られたアップルパイを知り合いに配ることを考えながら、尚さんは、自分と真司さんのことが書かれた小説の『脳みそとアップルパイ』の続編を期待していたのですが、作者の真司さんは、出版された小説は自分たちだけのものではなくなったのだし、幸せな日々を小説にするのは難しいのだと、続きを書かない理由を尚さんに説明していました。少し寂しそうな尚さんに、真司さんは、子供を作ろう、捨て子だったから親子を経験したいと提案したのですが、尚さんは、記憶を失っていく母親に子供は傷つかないのだろうかと考え、すぐに答えを出すことができませんでした。

子供のことについて尚さんから相談を受けた担当医の侑市さんは、焦らずに話し合うことを勧めていました。それから尚さんは、治験を受けたいと侑市さんに話していたのですが、そこで侑市さんから、若年性アルツハイマーと診断されたことについて医学生たちの前で講演を行ってほしい、医師として力を貸してほしいと頼まれました。学生の教育のためと聞いた尚さんは、医師として役に立つならと講演依頼を引き受けました。

侑市さんと食堂で食事をしていた尚さんは、同じテーブルに座ってきた、侑市さんの担当患者の松尾公平(小池徹平さん)に話しかけられました。尚さんの名前を手帳に書き込む松尾さんの態度に少し戸惑っていた様子の尚さんは、松尾さんが自分と同じMCIの患者だと知り、講演を行ったこともあると知って少し打ち解けたのですが、松尾さんは講演をしたこと自体を忘れていました。

帰宅した尚さんは、治験を受けることにしたと真司さんに伝え、治験が効いたら子供のことを考えようと話しました。それから尚さんは、新しい小説を書いている真司さんの隣で講演の原稿を書き始めました。書いた後は、真司さんや母親の北澤薫(草刈民代さん)を相手に、原稿の内容を話す練習を始めました。尚さんの原稿には、産科医になって感動したこと、自分には必要ないと思っていた「恋愛」に今の自分が救われていることが書かれていて、何科の医師になっても慣れないでください、患者さんに寄り添う医師になってくださいと、学生たちに伝えようとしていました。

講演会の当日、真司さんは詠談社の編集者の水野明美(木南晴夏さん)が設定した取材のため、尚さんの講演に少し遅れることになりました。侑市さんと母親に付き添われて大学の教室に入った尚さんは、講演を始めることになったのですが、使おうとしたマイクのキーンとした音を聴いた途端、過呼吸になってその場に倒れ込んでしまいました。侑市さんによると、反射性失神だということでした。仕事を終えてタクシーに乗った真司さんは、尚さんが倒れて意識がないと連絡を受けて急いで病院へ向かったのですが、病室の尚さんのそばには、なぜか松尾さんがいました。真司さんは、松尾さんを押しのけて尚さんに呼びかけたのですが、目を開けた尚さんにはまだ真司さんを認識することができませんでした。

作・脚本は大石静さん、演出は棚澤孝義さんでした。

今回の第6話から第2章が始まりました。今回も良かったです。展開の早さもあって、最後まで面白く見ることができました。

侑市さんは、真司さんと結婚して良くなっていた尚さんの若年性アルツハイマーの初期症状について、この発作によってその進行が早まるのではないかと心配していました。

今回から、小池徹平さんの演じる松尾公平という、尚さんと同じMCIの患者の人物が新しく登場していました。MCIと診断されてから妻に逃げられたという松尾さんは、図々しいというか、馴れ馴れしいような言動で尚さんに接近して来る人でもあったのですが、もしかしたら松尾さんも、以前の尚さんのように、生き急いでいる人ということなのでしょうか。

尚さんと真司さんの日常が幸せそうだったので、その日常の物語に何か突然また不穏な出来事が入ってくるのはどうなのだろうとも思ったのですが、公平さんがただの変質者的人物でないのなら、この物語に登場する意味もあるのかもしれません。ドラマだからといってドラマチックな波乱万丈の展開にはならなくてもいいというか、尚さんと真司さんの穏やかな日常が壊されることがないといいなと思います。あるいは、平穏無事ではない波乱万丈は、尚さんの夢でもある真司さんの小説のためでもあるのかもしれないなと思います。

物語の後半である第2章がどのようになっていくのかは分かりませんが、次回の「大恋愛~僕を忘れる君と」も楽しみにしたいと思います。
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