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「真夏の少年~19452020」最終回

テレビ朝日の「金曜ナイトドラマ」の「真夏の少年~19452020」の第8話(最終話)を見ました。

太平洋戦争中の1945年の大宮島(現在のグアム島)から2020年の世界にタイムスリップして来た旧日本軍兵士の三平三平(博多華丸さん)は、80歳になっていた娘の円谷円(マドカ、草村礼子さん)と再会し、昔自分が円さんのために作った栞を返したのですが、名乗ることはできませんでした。喘息の薬を娘に届けるために2020年の世界へ来たのだと理解した三平さんは、2020年の書物から、自分のいた部隊が大宮島で全滅し、自分も戦死することを知ったのですが、歴史が変われば娘が助からなくなるかもしれないと、1945年の世界へ帰る決心をしました。

富室高校の理事長であり、町開発とショッピングモール建設計画に関わっている地元の有力者の山田ゲルハルト節子(長谷川京子さん)は、秘書の柚木原健太(西村元貴さん)が自分と町民に対する“裏切り者”だったことに気付きました。高校の購買部の綾瀬サクラ(長井短さん)にも別れを告げた三平さんは、落ち込む節子さんを、どんなことが起きてもまた立ち上がればいい、みんなそうやって生きているんだからと励ましていました。

夜、秘密基地で出征前の自分と娘が一緒に山で遊んでいた時のことを思い出していた三平さんは、娘が見つけた蝶々の形の模様のある岩が、秘密基地の前の庭に今もあることを知りました。

高校が夏休みに入ると、瀬名悟(佐藤龍我さん)と風間竜二(岩崎大昇さん)と春日篤(浮所飛貴さん)と柴山道史(那須雄登さん)と山田明彦(藤井直樹さん)と山田和彦(金指一世さん)は、三平さんが8月30日の雷の夜に帰るためのタイムマシンの材料の、花火大会の花火に使われる予定だった火薬を山田家の倉庫に取りに行きました。財前康隆(林蓮音さん)のドローンから映像データを奪おうとしていた柚木原と柚木原が連れてきた不良たちに囲まれた悟さんたちは、(第1話で瀬名さんが読んでいたような)漫画のヤンキーたちの乱闘シーンのように?戦い、傷だらけになりながらも逃げ切ったのでした。

三平さんを未来へ送り出すことにした6人は、夏休みの間、三平さんと楽しい日々を過ごしていきました。そして、天気予報が雷雨の予報をした8月30日になりました。

悟さんや竜二さんは、そこで初めて、三平さんが1945年の大宮島で戦死するということを知って衝撃を受け、行かないでほしいと何度も三平さんに頼みました。しかし、それを断った三平さんは、必死に止めようとしてくれている今の気持ちを憶えておいてくれ、この気持ちを忘れなければ戦争は起きない、とみんなに伝えました。

大事な人を送り出す辛さ、これが戦争の辛さなのかと、寂しい気持ちでいた悟さんや竜二さんや篤さんは、怒りを正しく使う、という三平さんの言葉を思い返していました。

明彦さんは、三平さんに、円さんの喘息を治すための薬の小瓶を手渡しました。受け取った三平さんは、それから、身支度を整えると、竜二さんの明るさや篤さんの冷静さ、道史さんの愛のある責任感を褒めました。双子の兄の明彦さんには、知識は他人のために使うと知恵になると伝え、弟の和彦さんには、一緒に漫画を描いた思い出は忘れない、人を楽しませる漫画でみんなに自由を教えてほしいと伝えました。そして、悟さんには、諦めずによく頑張った、その勇気を誇りに思うと感謝しました。

最高に楽しい夏だった、もう少しで親友になるところだったと悟さんが三平さんに言うと、三平さんは、みんなと出会えて本当に幸せ者だと言い、みんなと一緒に泣きました。荷物を背負った軍服の三平さんは、もし俺が無事に帰ったら花火を一発あげてくれんか、円と富室町の人のためにと言いました。三平さんは、じゃあ、と明るく挨拶をして、6人と別れました。雷の力を利用したタイムマシンを置いた場所に三平さんが入ると、悟さんたちはそのドアを閉めました。

少しして、天気予報通りの雷雨になり、秘密基地の上に雷が落ちました。衝撃が落ち着いた後、悟さんたちがドアを開けると、タイムマシンごと三平さんは消えていました。三平さんと妻と娘の家族写真が一枚、床の上に落ちていました。

その頃、円さんは、三平さんが秘密基地で描いていた『マドカと妖怪』の漫画の原稿を読んでいました。悟さんたちは、三平さんとの約束通りに、夜空に一発の花火を打ち上げ、円さんもその花火を見ていました。夜空には星が一つ流れていきました。

翌日、明るい陽射しの中を「つぶらさん」の円さんと歩いていた悟さんの兄の瀬名優(望月歩さん)は、不良になり切れない3人の高校生がタイムスリップして来た日本兵と出会う小説を書こうと思っているという話をしていました。円さんは、お父さんもSF小説が好きだったと父親のことを思い出して嬉しそうに笑っていました。

放送部の部長の小泉明菜(箭内夢菜さん)がSNSで広めた財前さんの証言から停学命令が解除された悟さんは、夏休みが終わった新学期の高校に、6人で元気に通い始めていました。

脚本は樋口卓治さん、監督は及川拓郎さんでした。主題歌は、Kis-My-Ft2の「ENDLESS SUMMER」でした。

生きることは不安や怒りを勇気に変えること、それが本当の自由だ、という三平さんの言葉が良かったです。

三平さんが家族を守るために「戦死」の未来を選んだというところは、私にはやはり悲しい気持ちになる展開でもあったのですが、三平さんが(あるいはこのドラマが)ほとんど戦争の話をしないこと、悲惨な戦争の場面を具体的に描かないことには大きな意味があったのだなということを、最終回を見終わって思いました。

悟さんたちが柚木原さんたちと対決する場面が第1話の“ヤンキー漫画”に重ねられていたところも良かったですし、昔のTBSのドラマ「3年B組金八先生」のように第6話の最後の三平さんが警察官に連行される場面で中島みゆきさんの「世情」が流れてきたところには少し笑ってしまったのですが、ドラマの挿入歌の選曲も良かったように思います。

もしも2020年の世界に来た三平さんが1945年の世界に帰らないという選択をしたなら、本当に2020年の80歳の娘の円さんは75年の人生ごと消えていたのでしょうか。三平さんは無限ループに入り込んでいるのではないだろうかとか、その辺りの時間の流れがよく分からないようにも思えたのですが(細かい解説はありませんでした)、でも、円さんが悟さんたちの生きている今の2020年の世界を引き続き生きているということは、三平さんが未来から持ち帰った喘息の薬は再び無事に円さんの元に届けられたということなのだと思います。

スマートフォンやタブレット端末などが生徒の日常生活に効果的に活かされている学園ドラマの作り方も新鮮に思えましたし、映像もきれいでした。世間に噂を広めたり、真実を探したり、話題を煽ったり、視聴率のために事実の一部を切り取って編集したり、時々反省したりする現実のマスコミの記者や編集者のような、箭内夢菜さんの演じる放送部の部長の明菜さんの勢いも面白く思えました。

ジャニーズの「美 少年」という新しいグループの方たちのことは私にはまだよく分からないのですが(そういえば先週の「相葉マナブ」に佐藤龍我さんと浮所飛貴さんが出演していました)、そのような私が第2話以降もこのドラマの物語を見続けることができたのは、とにかく、博多華丸さんの演じる昭和20年の“日本兵”の三平さんが良かったからなのだと思います。

報道によると、今日は、アメリカ軍と自衛隊の活動をより一体化させるために集団的自衛権の行使や武器の輸出などを一部容認した前政権の安全保障関連法の成立(国会議事堂前での大規模な反対デモの声を無視した前政権が強行採決して成立させていました)から5年の日なのだそうですが、このドラマの悟さんたちくらいの、現代の中学生や高校生くらいの年齢の方たちには、私以上に、75年前の太平洋戦争の話は遠い過去の話に聞こえるのかもしれないと思います。私も、中学生や高校生の頃には、戦争よりも平和のほうが良いなと漠然と思っていただけで、祖父から少しだけ聞いたり、本で読んだりしていた昭和初期の戦争時代の出来事を、いつか自分の身にも起きるかもしれないこととしてはあまり考えていなかったように思います。

ドラマ「真夏の少年~19452020」は、SFというよりはファンタジーに近い印象でしたが、ミステリーの要素も混ざっていて、戦後75年の夏の、さわやかな学園ドラマになっていたように思います。毎週の感想を書くことはできなかったのですが、私もこのドラマを最後まで見ることができて良かったと思います。


ところで、これはドラマ「真夏の少年~19452020」のことではないのですが、このドラマの放送時間、NHKのBSプレミアムでは、「業界怪談」という、ある業界のプロフェッショナルの方たちが実際に体験した仕事中の不思議な話や怖い話を再現ドラマと対談の証言で伝える怪談番組を放送していました。案内役は、俳優の三浦翔平さんです。全3回の番組だったようで、私は、第1回の清掃業界編も、第2回の建設業界編も、そのようなことがあるのだなと興味深く、面白く見ていたのですが、何と、楽しみにしていた昨夜の第3回の登山業界編の録画に失敗し、見ることができなくなってしまいました。残念です。いつか第3回の再放送があったなら(その時の録画に失敗しなかったなら)、続きを見てみようと思います。

あと、私は昨日の報道で知ったばかりなのですが、書籍の価格表示について、来年の2021年度から、政府(財務省)の意向で「総額表示」が義務化されることになるのだそうです。2013年に施行された消費税転嫁対策特別措置法では、書籍の「総額表示義務化」は特例として免除になったそうなのですが、その期限が来年の3月31日で切れるのだそうです。

私が持っている本の表紙カバーの後ろ側を見ると、「定価(本体価格+税)」と印字されているのですが、本の一読者の私としては、それで良いのではないかと思っています。週刊誌のような雑誌と異なる書籍は、絶版にならない限りは、何年にも渡って本屋さん(新刊書店)で販売されるものなのですし、「定価(本体価格+税)」となっているほうが、消費税(昔は物品税と呼ばれていたそうです)が10%でも、0%や3%や5%でや8%に戻っても、あるいはいつか今以上に上がったとしても、表紙やシールや栞を印刷したりせずにすぐに対応できるので、良いのではないかと思います。本を総額表示にする必要はないと思います。総額表示(税込み価格の表示)はモノを買う消費者・購入者にとって便利だと言われていますが、何かを買う時に税金の存在を忘れさせるような総額表示は、本当は誰にとって便利なものなのでしょうか。出版業界の不況が報じられている今、ますます景気を悪化させることにもなるような気がしますし、これまで版を重ねていた本が「総額表示義務化」なる政策によるさらなる出版社の経営難などによってその後出版されなくなるとしたなら、それはいずれ日本の文化の衰退につながっていくことにもなるような気がします。前内閣の政策方針を受け継いでいるという新しい内閣の政治家の方たちは、この書籍の総額表示義務化の問題も、考え直したほうが良いように思います。

「レンタルなんもしない人」第10話

テレビ東京の深夜の「ドラマホリック!」の「レンタルなんもしない人」の第10話を見ました。

自分以外の生物がいる状態の自分を確認したい、という依頼を受けた森山将太(増田貴久さん)は、依頼人の滝口誠(磯村勇斗さん)のアパートの部屋で滝口さんの法律関係の本の並ぶ棚から一冊の漫画を取って読んだり、手作りの美味しい料理を食べたりしていたのですが、ある日を境に友達がいなくなったと話し始めた滝口さんから、人を殺して少年院に入っていたことがあるのだと告白され、当時の話を聞くことになりました。

脚本は政池洋佑さん、監督は草野翔吾さんでした。

滝口さんが森山さんに話していたことによると、3人の不良少年たちから学校帰りに田んぼに突き落とされ、お財布からお金を盗られるという被害に頻繁に遭っていた滝口さんは、泥の中から助けて漫画を貸してくれた同級生の友人が、不良少年の仲間になって自分を田んぼに突き落とし、祖母からもらった誕生日祝いの1万円札を盗んだだけではなく「誠へ」と祖母の字で書かれたのし袋までわざと泥の中に捨てたことに傷つき、不良少年たちと交差点に立っていた友人を道路に突き飛ばして右側から走ってきたトラックに撥ねさせたということでした。

棚に並んでいた一冊の漫画本は、滝口さんがその殺した元友人から借りたもので、罪を忘れないように持っていてほしいと被害者遺族から突き返されたものでした。

滝口さんと道で別れた森山さんが戻って滝口さんにその漫画を借りることにしたのも、孤独な滝口さんを一人にしないための、森山さんの優しさなのかなと思いました。

その帰り、線路沿いの路上を歩いていた森山さんは、350円の雑誌『ベターライフ』を売っている謎の金田さん(古舘寛治さん)の姿が見えないことが気になっていました。通りかかった巡査も、急にいなくなったことを心配していました。

一方、イラストレーターの仕事を始めた妻の沙紀(比嘉愛未さん)は、貯金が減ってきたことを夫に言い出せずにいました。

営業部からイベント事業部に異動させられた会社員の神林勇作(葉山奨之さん)は、ジムで見かけたレンタルさんを尾行して突き止めたその自宅をSNS上に晒そうとしてフォロワーからの非難を浴びていた時、病院を経営する父親から、実家に戻って後継者になる弟を手伝ってはどうかと勧められていました。

予告によると、次回には、神林さんがレンタルさんの依頼人になるようでした。楽しみにしたいと思います。

あと、このドラマの直後に放送されていた、ほしよりこさんの漫画『きょうの猫村さん』を原作としたミニドラマ「きょうの猫村さん」は、昨夜(正確には今日ですが)の第24話が最終話でした。犬神家の長女の尾仁子(池田エライザさん)がついに自分の料理を食べてくれたことを喜んだ家政婦の猫村さん(松重豊さん)は、台所の窓から入って聞いた蝶々を追いかけて、犬神家のリビングを出て、庭を出て、商店街の魚屋さんの前を通って、村田家政婦紹介所の前を通り過ぎて、河川敷の土手まで来ると、「猫ちゃん!」と呼ぶぼっちゃん(濱田岳さん)の声がして、その声のほうに振り向いていました。猫村さんは、本物のぼっちゃんと再会することができたのでしょうか。脚本はふじきみつ彦さん、監督は松本佳奈さんでした。音楽は篠田大介さんと坂本龍一さんで、主題歌は「猫村さんのうた」でした。約2分半があっという間の、かわいいミニドラマになっていたように思います。


ところで、これはドラマとは全く関係のないことなのですが、昨日の報道で、気象庁が運営費のために、ホームページに民間企業の広告をつけて広告収入を得ていたというような話を聞いて、気象庁にはそれほどまでに国の予算が付けられていないということなのかと、少し驚きました。何か自然災害が起きた時、私のような一般市民の多くは、気象庁の情報を頼りにしていると思います。その気象庁が財政難?のような状態に置かれているらしいということに、驚いたというか、少し違和感があったということでもあるのですが、気象庁の管轄は国土交通省なので、国土交通省の大臣や官僚の方たちはそのような政策をどのように考えているのかなということも、少し気になりました。

「おカネの切れ目が恋のはじまり」第1話

TBSの「火曜ドラマ」枠の新ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」の第1話を見ました。初回は15分拡大版で放送されていました。

東京のおもちゃメーカー「モンキーパス」の経理部の社員の九鬼玲子(松岡茉優さん)は、母親のサチ(南果歩さん)が民宿を営む鎌倉の実家の離れに暮らしながら、ほしいものを時間をかけて吟味して少しだけ買う「清貧」な生活を送っていました。

そのようなある日、経理部に会社の御曹司の猿渡慶太(三浦春馬さん)が異動して来ました。慶太さんを見た玲子さんはすぐに、1年間ずっと買いたかった小さな食器店の1680円の猿の絵柄の白い豆皿を自分の目の前でたくさんの他のお皿と一緒にさらりと買って帰った派手な服装の男性であることに気付きました。金銭感覚が弱くて浪費家の息子を心配した社長の猿渡富彦(草刈正雄さん)が慶太さんを経理部の部長の白兎吉明(池田成志さん)に預けたのですが、一方で「モンキーパス」創業者の娘である母親の猿渡菜々子(キムラ緑子さん)は、溺愛する息子に多額のお小遣いを渡し続けていました。慶太さんは、子離れできていないと言いながら、そのお小遣いを受け取るのでした。

玲子さんは、お調子者で浪費家の慶太さんに呆れながらも、お世話係のように、慶太さんにお金のことを教えるようになったのですが、数日後、いつものように帰宅してリビングへ向かうと、なぜか民宿のお客さんたちの中に慶太さんが混ざっていました。父親に「ブラックカード」を止められ、マンションの部屋も売り払われてしまった慶太さんは、新しい部屋を探そうとしていた時、玲子さんの自宅が民宿をしているという話を思い出し、訪ねてきたということでした。サチさんは、娘がお世話になっているからと、快く、社長の息子である慶太さんを泊めることにしたようでした。

コネ入社であることを認めようとしない慶太さんが「おもちゃが好き」で、厳しい父親に認められたくて働いていることは本当だと知った玲子さんは、慶太さんに手作りの「お小遣い帳」を渡し、それから、玲子さんが通っている、テレビでも有名な公認会計士・早乙女健(三浦翔平さん)のお金に関する講座へ連れて行きました。

その頃、社内では、非売品の販促品をフリマアプリに出品している人物のことが社員の“横領”かもしれないと話題になっていました。一方で、営業部のエース社員の板垣純(北村匠海さん)の丁寧な領収書に日々感動していた玲子さんは、お金の管理のしっかりしている板垣さんの京都出張時の複数の領収書の「ほころび」に気付き、調べ始めるのでした。

作・脚本は大島里美さん、音楽は大間々昂さん、演出は平野俊一さんでした。エンディングの辺りに流れていた主題歌は、Mr.Childrenの「turn over?」という曲でした。

ドラマのおもちゃメーカーのビルは、「バンダイ」のビルなのだそうです。実際の商品なのか、ドラマの小道具なのかは分からないのですが、慶太さんの持っている丸い猿型?の動き回るぬいぐるみロボットもかわいかったです。

全体的には“ラブコメディー”なのだと思うのですが、上司に飲み会に連れて行かれるお酒を飲まない社員が「割り勘」を不満に思ったり、実家の工場の経営難や「奨学金」という名の学生ローンの返済に苦労していたりという、社会派の要素も盛り込まれていました。

お金の問題の難しいところは誰にも相談できずに抱え込んでしまうところだと、玲子さんは慶太さんに話していました。

板垣さんの領収書の、「銘菓ひよこ」の「ひよこ」と「ショコラひよこ」(東京駅限定商品だそうです)の違いに気付いた玲子さんは、京都出張から帰った板垣さんが高速バスを降りてきたところで慶太さんと共に声を掛け、板垣さんが新幹線のチケット代金を浮かせるために高速バスに乗り、そのチケット代金の差額を“横領”していたことを指摘しました。

玲子さんが時々行くというお蕎麦屋さんで、玲子さんと板垣さんと一緒に一杯のかけそばを食べた慶太さんは、玲子さんにもらったお小遣い帳を取り出して、使ったお金の欄に、180円と書き込んでいました。1万円のために何時間も高速バスに乗っていた板垣さんの苦労を理解できなかった慶太さんは、3人でその時食べたかけそばの180円の価値を理解することができたようでした。

その後、慶太さんがあの時買った猿の豆皿をキャンプでマヨネーズを乗せるのに使った後すぐに公園のごみ箱の燃えないごみのところに捨てていたことを知った玲子さんは、「ほころび」だらけの慶太さんを直そうと決意しました。玲子さんはまず、慶太さんがよく着ている茶色のスーツの袖の外れかけていたボタンを直しました。慶太さんはそれを嬉しそうに着て出社していました。

しかし、再び玲子さんと早乙女さんの講座に出かけた慶太さんは、講座の終わった直後、前にも大きなバッグを抱えて、会場を出る早乙女さんの後を追っていた玲子さんが、高級なワインやお菓子などを早乙女さんにプレゼントしていることを知りました。鴨長明の『方丈記』を読んで以来「清貧」に憧れているという倹約家の玲子さんが実は片思いの有名人に“貢ぐ女”だった、という意外な展開も面白かったです。

第1話の物語そのものも楽しく見ることができたのですが、ドラマの中の、三浦春馬さんの演じるお調子者の慶太さんの明るい笑顔がすてきでした。何だか不思議な感じでもあったのですが、楽しい気持ちのまま、私もこの連続ドラマ(全何話のドラマなのでしょうか)を見ていきたいと思います。

「竜の道 二つの顔の復讐者」最終回

フジテレビの「火9ドラマ」の「竜の道 二つの顔の復讐者」の第8話(最終話)を見ました。

ITコンサルタント企業「UDコーポレーション」の社長の和田猛である矢端竜一(玉木宏さん)は、「和田猛」は「斎藤一成」であり、火災で死亡したことになっている、北九州市出身の国土交通省の官僚の矢端竜二(高橋一生さん)の双子の兄の矢端竜一であると、大野木の息子と会いや北九州市の親戚の家を訪ねていた経済ジャーナリストの沖和紀(落合モトキさん)に指摘され、自分の素性が突き止められたことを知りました。巨大暴力団組織の会長の曽根村始(西郷輝彦さん)から代わりに殺せと拳銃を渡されていた竜一さんは、大手運送会社「キリシマ急便」の社長の霧島源平(遠藤憲一さん)を破滅させるデータを手に入れたい一方、弟の竜二さんに二度と殺すなと言われたことを思い、「キリシマ急便」の元役員の二見(小市慢太郎さん)に大金を渡して国外へ逃がすと、沖さんを尾行して事務所を突き止め、沖が出掛けている間に侵入し、ある調査ファイルを見つけました。

それは沖さんが政治家の息子の裏口入学を突き止めた証拠のデータだったのですが、竜一さんは、沖さんが証拠を使って対象者を脅していることを知りました。沖さんの目的はお金であり、竜一さんにそう指摘された沖さん自身も笑いながらそれを認めました。脅されている和田社長を心配する助手の遠山凛子(奈緒さん)と砂川林太郎(今野浩喜さん)に、お金を渡せば余計につきまとわれると話した竜一さんは、それでも殺さずに解決する方法を考えていたのですが、記事を公表すると原稿を送ってきた沖さんから、小学校の教師をしている妹の吉江美佐(松本穂香さん)のことを持ち出され、殺害を決意しました。

帰宅途中の美佐さんを待っていた竜一さんは、双子の兄弟と妹を知っている、と美佐さんに話し、昔のように美佐さんの左の頬を軽くつまんで、強うなれ、と言いました。和田社長はやはり兄だったと確信した美佐さんは、車を走らせる兄を心配になって追いかけたのですが、竜一さんは美佐さんをその場に残して去りました。和田社長に会いに行く支度をしていた沖さんは、事務所に侵入してきた竜一さんに背後から羽交い絞めにされ、しばらくして窒息死しました。

竜二さんは、「キリシマ急便」から献金を受けている国土交通大臣を使い、大手通信販売会社「エニイウェイズ」による「キリシマ急便」の吸収合併を画策していました。沖から連絡はないと電話で話していた竜一さんの嘘を察した竜二さんは、その後会った兄の竜一さんから、沖を殺したことを打ち明けられました。自分の計画で霧島源平に復讐をすると竜一さんを説得しようとした竜二さんは、しかし、こうなったのはお前のせいだ、あの時に二見を殺しておけば良かったのだ、邪魔をするなら殺すと、竜二さんを殴りつけ、竜二さんの後頭部に拳銃の銃口を向けました。引き金を引いた竜一さんは、倒れた血まみれの竜二さんをその場に残し、霧島社長が二見の殺害を依頼した際の映像データを渡してもらうため、曽根村会長に会いに行きました。しかし、そこで竜二さんは、曽根村会長から、沖が息子であったことを聞かされました。自分のことは後で殺してもいいからまずデータを渡せと迫った竜一さんは、背中に隠していた拳銃に手をかけようとして曽根村に刀を突きつけられ、お前も復讐も終わりだと、曽根村の手下の組員たちに捕まりました。

倒れていた竜二さんは、生きていました。妹の美佐さんからの電話に出ることができた竜二さんは、駆け付けた美佐さんに助けられました。竜二さんは、和田社長が兄の竜一さんであることを認め、竜一さんが一人で復讐計画を遂行するために自分を殴ったのだということを美佐さんに話しました。美佐さんは、凛子さんと砂川さんと共に、行方不明になった竜一さんを捜しに出かけました。凛子さんは、和田社長のスマートフォンに勝手に仕込んでおいたGPSによる移動データを見て、和田社長が裏社会を仕切る曽根村邸から倉庫まで連れて行かれたところまでを突き止めました。

竜一さんの安否を確かめるため、美佐さんは、曽根村会長を訪ねました。ここで自分に何かがあっても誰もここへ捜しに来ないように誰にも言わずに来たという美佐さんの覚悟を聞いた曽根村会長は、あいつに似ていると感心したように言いました。竜一さんは竜二さんと美佐さんに陽の当たる道を歩いてもらうことを生きがいにしていたのだということを、曽根村会長から聞いた美佐さんは、殺そうと思ったがどう生きていくのか見ることにしたと言う曽根村会長の話から、兄が生きていることを知って安堵しました。

その頃、海岸に傷だらけの状態で倒れていた竜一さんは、GPSを直した凛子さんに発見され、助けられていました。竜二さんは、顔に傷の残ったまま、霧島社長の長男の霧島晃(細田善彦さん)を含めた「キリシマ急便」の役員たちを前に、「エニイウェイズ」による「キリシマ急便」の買収策を伝えました。過重労働などの不正の横行している「キリシマ急便」を8年前から潰そうと思っていたと話した竜二さんは、役員たちはそのまま残してもらえるようにしてあるとした上で、「キリシマ急便」自体を潰すか、「キリシマ急便」の名前を捨てて生き残るかのどちらかだと役員たちに迫りました。竜二さんの復讐計画を理解した晃さんは、かつては誇りだった父親の「キリシマ急便」を変える道を選びました。

霧島社長は、長女のまゆみ(松本まりかさん)の婚約者にする予定だった竜二さんを警戒するようになっていました。自室で目を覚ました竜一さんは、霧島社長を部屋に呼び出し、自らの素性と復讐を明かしました。北九州で小さな運送会社を経営していた両親が霧島社長に騙され、会社を乗っ取られて自殺したことへの復讐計画を打ち明けられた霧島社長は、沖の書いた記事のコピーを取り出して見せ、会社は子供だ、子供を守ることができなかった親は死に値するのだと開き直り、拳銃を構えた傷だらけの竜一さんを、負け犬の子供はやはり負け犬だなと笑いました。竜一さんはついにその場で引き金を引くことなく、背中を向けてゆっくりと部屋を出て行く霧島社長を見送りました。

凛子さんに和田社長の居場所を教えてもらった美佐さんは、竜二さんと一緒に兄の竜一さんに会いに行きました。待っていた和田社長に、お兄ちゃん、と駆け寄った美佐さんは、兄との再会を喜びました。それから、曽根村会長に会ったことを話した美佐さんは、私は両親が死んだと聞かされても兄が死んだと聞かされても笑って生きてきた、でもお兄ちゃんたちが苦しんでいることを知ったら笑ってはいられない、3人で分かち合いたいと竜一さんに訴えました。3人で生きるために、竜一さんと竜二さんは改めて霧島源平への復讐を決心しました。

沖の原稿で脅してくる霧島社長に会いに行った竜一さんと竜二さんは、「キリシマ急便」は「エニイウェイズ」に買収されてなくなるということを霧島社長に伝え、竜一さんの部屋で霧島社長が会社を乗っ取られた側を負け犬と罵っている動画を見せられました。これで満足かと悔しがる霧島源平に、満足ではないと答えた竜一さんは、あなたを裁くのは法ではない、あなたは自分の言葉で破滅するのだと言い、竜二さんは、安心してください、大事なお客様の荷物は「キリシマ急便」の分まで「エニイウェイズ」がしっかり運びますと、両親がかつて霧島社長に言われたように返しました。竜一さんは、霧島社長の机の上に拳銃を置いていきました。インターネット上に流れた(凛子さんと砂川さんがSNSを使って拡散させた)霧島社長の動画は騒動になり、霧島社長は失脚しました。その後、「キリシマ急便」は「エニイウェイズ」に買収されたことが報道されました。霧島家の自宅前にはマスコミの記者たちが押し掛けていました。霧島源平は、亡き妻の芙有子(斉藤由貴さん)の祭壇の前に座ってその写真を見ながら拳銃の銃口を右のこめかみに押し当て、震えながら引き金を引いたのですが、小さな音がしただけでした。銃弾は入っていなかったのでした。脱力する父親の丸まった背中を、晃さんが部屋の入り口から見ていました。

弱いのは愛を信じないからだと、自分勝手な性格の自分と父親との共通点を認めていたまゆみさんは、竜二さんとの電話で、国交省を辞めたとの報告を受けると、私は一人でも大丈夫、あなたがいなくても生きていけると思うと伝えました。

「UDコーポレーション」の社長を辞めることにした竜一さんは、砂川さんが買ってきた「高飛び」のための飛行機のチケットを断り、「UD」は「二人で一つ」という意味だと言って、会社を凛子さんと砂川さんに引き継いでもらうことにしました。和田社長の決心を受け入れた凛子さんは、笑顔を見せて、砂川さんと共に社長を見送りました。

その後、竜二さんと美佐さんは、駅前のスーパーマーケットに夕食のお鍋の材料を買いに来ていました。会社を出た竜一さんは、美佐さんからの電話を切った後、そこへ向かって歩いていたのですが、その時、前から歩いてきた人物に腹部を刺されました。竜一さんを刃物で刺した後、驚いたようにその場に立ち尽くしている少年が大野木の息子だと気づいた竜一さんは、早く行け、と強く言い、少年を逃がしました。3人で楽しく暮らす穏やかな兄弟と妹の未来は、訪れませんでした。路地裏で倒れていた竜一さんの腹部からは、大量の赤黒い血が流れ出していました。

脚本は篠崎絵里子さん(崎の文字は右上が立のものです)、音楽は村松崇継さん、演出は城宝秀則さんでした。オープニング曲はビッケブランカさんの「ミラージュ」(最終回での「ミラージュ」の歌詞は日本語のものではなかったような気がします)、ドラマの後半に流れていた主題歌はSEKAI NO OWARIの「umbrella」です。カンテレ(関西テレビ)制作のドラマでした。

原作は、2015年に亡くなったという白川道さんの未完の小説『竜の道』です。私はその小説を未読なので、小説とドラマとを比べることはできないのですが、どの辺りからが原作にない(未完の部分を補完するための)ドラマオリジナルの物語になっていたのかなということも、少し気になりました。

それにしても、初回と同じく「2時間スペシャル」として放送されていた最終回は、またとても充実した内容になっていたように思います。

兄たちの復讐計画を止めようとしていた妹の美佐さんは、23年間復讐のために生きてきた兄たちの苦しみを一緒に背負う決心をし、その復讐計画の遂行に協力することにしていたのですが、そのような展開も、意外であり、このドラマにはそれで良かったように思いました。

矢端兄弟の復讐は、両親を死に追いやった霧島源平を殺すことではなく、失脚させることでした。霧島源平への復讐は、確かに成し遂げられたのですが、大野木を見殺しにした竜一さんは、大野木の息子に復讐される結果となりました。金に汚い父親を嫌っていた大野木の息子は、夫の死後、生活に苦労して病死した母親の復讐として、竜一さんを刺したのだろうと思います。

竜一さんがあのまま亡くなったのか、竜二さんの時のように助かるのか、ドラマはそこで終わってしまったので、一視聴者の私には分かりません。私としては、竜一さんに生きていてほしいと思うのですが、大野木の息子さんの復讐心を受け入れた竜一さんはあえて助からない道、復讐される者としての道を選んだということなのかなとも思います。

でも、とにかく、これからどうなるのだろうと続きが気になりながら、途中で飽きたりすることもなく、ドラマ「竜の道 二つの顔の復讐者」を、最終回の最後まで楽しく見続けることができました。玉木宏さんの演じる竜一さんと高橋一生さんの演じる竜二さんの双子の兄弟の“ハードボイルド”が格好良かったですし、遠藤憲一さんの演じる霧島源平社長や西郷輝彦さんの演じる曽根村会長の迫力も良かったです。物語の筋が通っていて、心理戦が面白く、登場人物の感情が丁寧に描かれた、シリアスな展開の良い連続ドラマでした。弱いのは愛を信じないからだという、松本まりかさんの演じるまゆみさんの言葉も良かったです。「復讐劇」とは「愛憎劇」でもあるのだなということを改めて思いました。


ただ、このドラマの一視聴者として残念に思えたのは、それはこのドラマ「竜の道」そのもののことでは全くないのですが、ドラマの終わった後の余韻が少しもなかったこと(すぐに次の新ドラマの予告編が流れてきました)と、ドラマの最中(竜一さんに殴り倒された竜二さんが美佐さんに助けられていた場面の辺り)の画面の上部に、突然「ニュース速報」として新内閣の組閣情報の字幕が出たことでした。大雨や地震や竜巻や噴火などの自然災害の情報なら仕方がないと思うのですが、どこの誰が何大臣になるかなどは全く急ぎの情報ではないのですから、その後の通常の報道番組の時間に流せばいいのではないかと、少し不快に思えてしまいました。ドラマの放送中ではなくその合間のCMの時間に流せばいいのではないかとも思うのですが、「ニュース速報」や「臨時ニュース」のような字幕は、なぜかCMの時間には出て来ないような気もします。どのような決まり(仕組み)になっているのでしょうか。このようなことがある度に、いつも不思議に思います。

映画「沈黙‐サイレンス‐」

昨日、NHKのBSプレミアムで放送されていた、遠藤周作の小説『沈黙』を原作としたアメリカのマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙‐サイレンス‐」を見ました。

2016年(日本では2017年)公開の、約2時間半の作品です。公開当時の映画の予告編や宣伝の映像の印象もあり、私には、怖く作られている映画のようにも思えていたのですが、BSプレミアムで放送されると知って見てみようと思い、楽しみにしつつ見始めました。

17世紀の江戸時代初期の長崎を舞台にした物語です。カトリック・イエズス会の宣教師であるポルトガル人のセバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールドさん)とフランシス・ガルペ神父(アダム・ドライヴァーさん)は、島原の乱の起きた日本で布教活動をしていたクリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソンさん)が日本で棄教したという悪い噂を聞き、その真偽を確かめようと、マカオにいたキリシタン(キリスト教信徒)のキチジロー(窪塚洋介さん)の案内で、日本のトモギ村というところへ密入国しました。フェレイラ神父の行方を捜しながら、貧しい暮らしを余儀なくされている村の「隠れキリシタン」たちを相手に布教活動をしていたロドリゴ神父とガルペ神父は、しかし、宗門改役を勤める長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形さん)に気付かれてしまい、二人の存在を“異教徒”から隠そうとし続けた長老のイチゾウ(笈田ヨシさん)やモキチ(塚本晋也さん)たち日本の信徒が捕まって拷問の末に虐殺されるのを目の当たりにしながら、どれほど祈りを捧げても神の助けを得ることができないという現実に苦悩するのでした。

映画の前半では、幕府による残酷なキリシタン弾圧とそれに耐え続ける信徒たちの受難の様子が暗い色調で描かれ、後半では、日本にキリスト教を広めようとして来日したイエズス会のパードレ(神父、司祭)たちの信仰の迷いが描かれていました。

私としては、後半の、浅野忠信さんの演じる通辞とイッセー尾形さんの演じる井上筑後守が登場した辺りから、物語が面白くなってきたように思いました。通辞とロドリゴ神父、井上筑後守とロドリゴ神父の会話が、「対話」あるいは「問答」のようになっていたからです。

キリスト教(イエズス会)を信仰する者の側から見た日本の文化や宗教と、そうではない日本人の側から見た西欧の文化やキリスト教が異なるということが、バランス良く描かれていたように思います。原作が日本の遠藤周作の小説だからということもあるのかもしれませんが、スコセッシ監督は外国の方なのに日本のことをよく分かっているなという風にも思えました。

日本側(江戸幕府)を必要以上に悪く描いているということもありませんでしたし、むしろ日本の文化を理解した上で、日本人にキリスト教への信仰心が広く根付かないということも理解しているという印象でした。ある土地で花を咲かせた植物が別の土地では枯れてしまう、という例えが出ていましたが、キリスト教にとって日本は深い沼であるという井上筑後守の指摘は、何となく、当たっているようにも思えました。

幕府の側から考えると、私には、幕府の役人がキリシタンと思われる人たちに踏み絵を踏ませようとしていたのは、隠れキリシタンを発見するためというより、できる限り多くのキリシタンたちに生き延びてもらうためだったのではないかとも思えるのですが、どうなのでしょうか。

キリスト教の神父たちは、信仰心を守るための信徒の「苦役」や「殉教」をそれこそ教えに適うものとある種“美化”していて、踏み絵を踏むことができずに処刑されたキリシタンたちは、自らの信じるキリスト教の教えと神への信仰心のために、「形式だけ」だと言われても最後まで「転ぶ(改宗する)」ことができなかったのですが、日本の仏教に改宗して「沢野忠庵」と名乗るようになっていたフェレイラ元神父は、多くの日本人キリシタンが自分たちパードレのために踏み絵を踏むのを拒んでいたのではないかと考えていました。そうして神が沈黙する中、神を信じながらキリシタンたちが次々と処刑されていった現実から、もしもイエス様がここにいたら信徒たちの命を助けるために棄教するのではないかとロドリゴ神父に問いかけました。説得されたロドリゴ神父は、ついに踏み絵を踏むのでした。その直後、拷問死しかけていたキリシタンたちは、井上筑後守の家臣の通辞の指示ですぐに助けられるのですが、「転ぶ」ことを受け入れたロドリゴ神父は、今度は自分自身の信仰心の「弱さ」に直面し、苦悩することになるのでした。

ロドリゴ神父のモデルは、イエズス会のイタリア人宣教師のジュゼッペ・キアラだそうです。日本に来たジュゼッペ・キアラ神父は、強制的に棄教させられた後、「岡本三右衛門」という日本名(映画では岡田三右衛門でした)を名乗り、幕府の宗門改の仕事を手伝いながら、80歳代で亡くなるまで、江戸の小石川で軟禁状態の中、日本人と暮らしたそうです。映画の“後日談”で描かれていた、岡田三右衛門を名乗ったロドリゴ神父のように、キアラ神父も、死後には仏教式に荼毘に付されたそうなのですが(当時のキリスト教では火葬は忌避されていました)、映画では、日本人の妻(黒沢あすかさん)が棺の中のロドリゴ神父に密かに持たせた小さな十字架が、一つの救いになっていたような気もします。

ロドリゴ神父が“裏切り者のユダ”のような「弱い人間」として軽蔑していた、窪塚洋介さんの演じるキリシタンの青年・キチジローの存在感も、大きかったように思います。来日してから常に信仰心を試され続けてきたロドリゴ神父は、岡田三右衛門になった後、仲間の信徒たちを裏切って生き延びながらまだ信仰心を捨て去っていないキチジローと何度目かの再会をした時には、キチジローの存在を受け止めることができるようになっていました。髪型や風貌が絵(聖画)の中のキリスト像に重ねられているようにも見えたキチジローさんの「弱さ」(あるいは生き延びる「強さ」)をロドリゴ神父が信徒の一人として極度に嫌っているように見えたのですが、本当は、嫌っているというよりも、自分の信仰心を揺るがすものとして、恐れていたのかもしれないと思います。

苦しんでいたロドリゴ神父にとっての「悪魔の誘惑」は、信徒たちが殺されても自分の信仰心を貫くことだったのでしょうか。それとも、信徒たちを助けるために自分の信仰心を捨てることだったのでしょうか。ただ、映画の物語では、棄教を宣言して仏教に改宗したはずのロドリゴ元神父の中にくすぶるキリスト教の神(イエス・キリスト)への信仰心、心の底に残っている信仰心は、消えることはなかったのでした。

信徒に踏み絵を踏まない、踏ませないということをキリスト教がするということは、キリスト教は命を大切にする宗教だということと、矛盾してしまうように思います。信徒の現実の命を救うことよりも、現実の命を殺してでも貫く信仰自体のほうを大切にしているということになってしまうように思えるからです。しかし、キリスト教にも、仏教と同じように元のところから枝分かれしたたくさんの宗派があるようですし、現代のキリスト教のカトリックやプロテスタントの教えはまた、17世紀や18世紀、19世紀、20世紀のものとは変わってきているのかもしれません。

本当の信仰心とは何か、信仰とは何のためにあるのか、神とは何か、人間とは何か、人間が生きるとは何か、というような、根源的で普遍的なことを問いかけてくる作品であるように思えました。

私自身は、特に何かの特定の宗教の信者というわけではないので、無宗教かもしれないのですが、でも、無神論者でもないような気がしています。神さまという存在は(妖怪や妖精のように?)どこかにはいるのではないかと思っています。宇宙や地球の自然の中かもしれませんし、お守りや、磨かれた鏡や刀の中かもしれません。分かりません。そのような分からないものを「信じる」ということは、一体どういうことなのだろうと思います。

映画に描かれていたキリスト教の印象からすると、神への信仰とは、神が沈黙し続けているかどうか、神による人類(あるいは信徒のみ?)の救済の有無には関係がないようでした。神さまが助けてくれても助けてくれなくても、ただひたすら信じ続けることが信仰であるようでした。しかし、それは本当に「神」が望んでいることなのでしょうか。そのようなことを地球の各地の人類に望む「神」とは、一体何なのでしょうか。

映画の中でも少し描かれていましたが、例えば、神を信じて死ねば“天国”へ行くことができます、とするキリスト教と、神を信じて死ねば“極楽”へ行くことができます、とする仏教と、そこだけ考えると、どこが違うのだろうという気もしてきます。

宗教とは、人間がある場所で生きるために作り出したものであるということは、確かにそう言えるでしょうか。しかし、宗教教育も一種の「思想教育」です。日本を西欧のキリスト教国の植民地化政策から守るために禁教令を出した幕府側にとっての宣教師たちによる日本国内でのキリスト教の布教、来日した宣教師たちにとっての日本の宗教への改宗は、どちらも「思想教育」なのではないかと思います。(無宗教の私としては、時々家のドアの前に現れる何かの宗教の信者たちの不気味な布教・勧誘活動を、今すぐに止めてほしいと思っています。信教の自由は憲法で認められていますが、自分の信じる宗教に他者を引きずり込もうとしないでほしい、自分の信仰心を他者にしつこく押し付けようとしないでほしいと思います。)

先日に再放送されていたNHKのドラマ「大仏開眼」でも描かれていましたが、天皇家の方たちは、仏教の伝来後、長らく仏教を信仰していました。その歴史を考える時、約150年前、明治の時代を迎えた天皇家の方たちは、明治新政府側から「神道」のみに、あるいは「皇祖(先祖)信仰」のみに改宗させられたことを、どのように思っていたのだろうかと思います。同じように、神道の国教化を目指す明治政府の指示に従って「廃仏毀釈」をした全国各地の人々は、どのような気持ちでそれまでの「仏」への信仰心を捨てた(棄教した)のだろうかと思います。

江戸時代の隠れキリシタンの方たちは、江戸時代が終わった後も当時の秘密の信仰スタイルをそのまま継承する隠れキリシタンと、カトリックやプロテスタントの通常の信仰スタイルに戻る潜伏キリシタンとに分かれたそうです。しかし、明治時代以降、キリスト教は日本に根付いたと言えるでしょうか。キリスト教系の学校は数多く建てられていますが、信徒が増えたというほどではないような気がします。確かなことではないかもしれないのですが、何となく、日本人に広まった“キリスト教”は、クリスマスや結婚式くらいなのではないかなとも思います。

とにかく、映画「沈黙‐サイレンス‐」は、静かで思慮深い、とても良い映画でした。無宗教?の日本人の私にはよく分かる物語であるようにも思えたのですが、海外の、あるいは日本のキリスト教徒の方たちがこの映画を見たらどう思うのだろうかということも、少し思いました。一人一人の「信仰」というものについてを問う重い物語なので、面白かったという表現ではいけないのかもしれないのですが、でも、とても面白かったです。イッセー尾形さんの演じる、キリスト教の教え自体を否定しているわけではないようでもあった長崎奉行の井上様の何となくコミカルな雰囲気も良かったのですが、そのようなところも含めて、重いだけではない、エンターテインメントの映画作品でもあったのだと思います。蝉しぐれの聴こえる映画の最後には、「日本の信徒と司牧者に捧ぐ 神のより大いなる栄光のために」という言葉が字幕で出ていました。
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Author:カンナ
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