生誕90年の加山又造さんの展覧会

先日、東京の日本橋高島屋で開催されている「生誕90年 加山又造展~生命の煌めき」を見に行きました。

いつかどこかの美術番組で加山又造さんの白黒の波の絵を見たことがあって、絵の題名は分からないのですが、それがとてもすばらしかったので、展覧会が開かれたならいつか見に行きたいと思っていました。

きれいな振袖がずらりと並んでいた8階の展覧会場には、たくさんのお客さんがいたのですが、混雑しているというほどではなく、落ち着いてゆっくりと絵を見ることができました。「出品目録」の一覧表によると、今回の展覧会に出品されていたのは53作品でした。

日本画家・版画家の加山又造さんは、1927年(昭和2年)に京都の西陣織の図案家の家に生まれ、京都市立美術工芸学校や東京美術学校を卒業し、文化勲章を受章した翌年の2004年(平成6年)に77歳で亡くなったそうです。

展覧会場に入ってすぐのところに展示されていた「夏の濤・冬の濤」という六曲一隻の屏風の迫力にまず圧倒されたのですが、鋭くデザイン化された波濤に、絹織物の図案の影響を受けているということが私にも少し分かるような気がしました。

展示は、「動物~西欧との対峙」、「伝統の発見」、「生命賛歌」、「伝統への回帰」、「工芸」の五つに分かれていました。

私は加山又造さんの作品を少ししか知らなかったので、日本画家としての初期(1950年代)の頃のキュビスムやシュルレアリスムの影響を強く受けている雰囲気の「若い白い馬」や「月と縞馬」や「迷える鹿」のような絵を、少し意外に思いました。

今回の展覧会の展示作品の中では、私としては特に、先ほどの「夏の濤・冬の濤」と「鶉(うずら)」、「薊(アザミ)」、「静物」、「月光波濤」、「倣北宋水墨山水雪景」、「月と秋草」が良かったです。

「静物」は、丸い器に入った苺の実を描いた、どちらかというと小さな絵なのですが、きらきらと鮮やかな青色と緑色と赤色のバランスの緊張感が絶妙で、とてもすてきな絵でした。隣に飾られていた「薊」と色は同じで、花の線の細い「薊」も良かったのですが、「静物」のほうが好きでした。

「月と秋草」は金地の四曲一隻の屏風で、月が屏風の中央に描かれていて、秋の七草の点在しているのが華やかな明るい作品でした。

「月光波濤」と「倣北宋水墨山水雪景」は、墨で描かれた白黒の絵でした。「夏の濤・冬の濤」や「鶉」の絵でもそうなのですが、加山又造さんの描く直線的な線の強い鋭さには深く突き刺さってくるような重さがあって、それが作品の迫力につながっているようにも思えました。「倣北宋水墨山水雪景」の枯木の枝など、本当に猛禽類の爪のようでした。隣に展示されていた大きな「龍図」の龍の爪よりも、鋭かったような気がします。線の強い絵は特に、その中に動きが見えるというよりは、何かピタッと時間が止まっているような印象でした。

「雪の朝」や「白雪の嶺」といった、青空と雪山の絵もさわやかでした。雪の混ざった冷たい風が吹いてくるような感じがしました。「白雪の嶺」は富士山かなと思ったのですが、「雪の朝」の山がどこの山なのかは分かりませんでした。

展覧会場はそれほど広くはなく、出口に近付いた時には、もう終わりなのかとあっという間の感じもしたのですが、加山又造さんのデザインの振袖や陶器なども含め、様々な作品を見ることができて楽しかったです。

2020年に開業予定のJR山手線の新駅のこと

昨日の報道によると、東京都のJR山手線と京浜東北線の品川駅と田町駅の間に誕生する、山手線内では約50年ぶりとなるという新駅の開業へ向けた工事の起工式が行われたのだそうです。

品川と田町の間に新しく駅を作る理由については、以前には、周辺の再開発予定地に国内や海外から企業を誘致するためだと言われていたように思いますが、本当の理由は分かりません。

駅舎のデザインを担当したのは、国立競技場の跡地に建てられる新国立競技場のデザインを担当している建築家の隈研吾さんだそうです。開業予定は2020年の春ということなので、この新駅も東京オリンピック・パラリンピックの関連事業ということなのかもしれません。(新宿区の「都営霞ヶ丘アパート」の住民の方たちは新国立競技場の建設のために東京都から立ち退きを迫られているということでしたが、その問題は今はどうなっているのでしょうか。行政の命令通りに、立ち退かなくてはいけないことになってしまったのでしょうか。もしもそうなら、怖いことだなと思います。)

私はNHKのニュース番組でこの新駅の起工式の報道を見たように思うのですが、その番組では、新駅の開業へ向けて、高輪の高層マンションが売れそうだというような話をしていました。

それを聞いた時、私は、不動産販売の話かと思うと同時に、どうして高輪なのだろうとも思ったのですが、確かに高輪は品川に近いですし、新駅の作られる場所にも近いです。ただ、泉岳寺のある高輪は少し山のほうです。新駅の作られる場所は、どちらかというと品川の沖の東京湾の海のほうに近い印象があるので、もしも新駅の名前を分かりやすく地名から付けるということなら、私としては、「高輪駅」よりも「芝浦駅」のほうが良いのではないかなと思いました。「品川・高輪・田町」よりも「品川・芝浦・田町」のほうが、何となく、合っているような気がします。

2017年、明けましておめでとうございます。

2017年、明けましておめでとうございます。

酉年の元日の今日は、とても良く晴れていて、昨日よりも少し暖かく感じられました。そして、何かの検索でこの(閉鎖的な)ブログにたどり着き、拙い文章を読んでくださった方、ありがとうございます。今年もまた気になった何かについて、ここに書いていくことができるといいなと思っています。

ところで、昨年の大晦日の夜には、私は恒例のNHKの「紅白歌合戦」を見ていました。歌番組ということもあり、テレビを点けていたという感じでもあったのですが、SMAPのいない今年の「第67回紅白歌合戦」は、「ミュージックステーション」と「FNS歌謡祭」と「24時間テレビ」を合わせたような印象でもありました。

嵐の相葉さんと女優の有村架純さんと武田アナウンサーの司会は、何というか、カジュアルな雰囲気でした。そもそも企画や構成がそうだったのかもしれないと思います。

タモリさんとマツコ・デラックスさんの、チケットを忘れて会場の裏側までしか入ることのできない夫婦コント?も、面白かったには面白かったと思うのですが、「紅白歌合戦」という大晦日の歌番組において中心であるはずの「歌」が大切にされている構成や演出ではなかったように、私には思えてしまいました。

公開中の東宝の映画「シン・ゴジラ」(とても面白い映画でした)の部分も、長谷川博己さんの演じる矢口さんたちが出演していた「紅白」のための映像があったことは、すごいような気もしたのですが、ぶつ切りでしたし、司会者との連携のようなものも中途半端で、「シン・ゴジラ」が雑に扱われているように思えました。

2016年に流行したものをたくさん詰め込もうとしたのだろうと思うのですが、その一つ一つを大事にしていないという印象でした。VTRや会場外との中継が多かったのも、それがすごく悪いということではないのですが、大晦日の生放送の「紅白歌合戦」には、合わないような気がします。

SMAPがいない、という寂しさのようなものがあったので、せめて、ジャニーズ事務所の方たちや出演歌手の方たちで「世界に一つだけの花」を歌うとか、何かあるといいなと思ったのですが、そのようなことは少しもありませんでした。

椎名林檎さんとTOKIOは、東京都庁からの中継だったのですが、あの場所は誰でも借りることができるのでしょうか。東京の夜景の空撮やプロジェクションマッピングやVRの映像がすごかったというか(都庁が燃えていました)、お金をかけているなという感じでもあったのですが、2020年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピック関連でもあったのかもしれません。

披露されていた歌の中で、私にとって特に良かったのは、初出場のKinki Kidsの「硝子の少年」でした。どうして今まで出場しなかったか、不思議に思いますが、デビュー曲の「硝子の少年」がKinki Kidsらしく誠実に歌われていて、嬉しい気持ちになりました。

あと、郷ひろみさんの「言えないよ」と土屋太鳳さんのダンスがとても良かったです。土屋太鳳さんのダンス自体も美しかったのですが、物語性のある振り付けも良くて、一つのミュージックビデオの映像のようでもあり、ミュージカルの舞台のようでもありました。

宇多田ヒカルさんの中継はスタジオからだったので、「花束を君に」の歌は良かったのですが、ロンドンからというのは、中森明菜さんの時のようによく分からないような感じでもありました。「大トリ」の嵐のメドレーの最中に、司会者でもある相葉さんが感極まって泣いていたのも、何だか印象的でした(嵐は、みんなで一緒に歌っていた「ふるさと」も含めると、全部で4曲あったように思います)。

紅組と白組の投票では、投票の数字を見た限りでは白組のほうが勝っていたように見えたのですが、結果は紅組の優勝でした。司会の有村さんも少し戸惑っていたようだったのですが、計算の仕組みにより、視聴者の票数と観覧のお客さんの票数が多くても、ゲスト審査員の票の紅組への多さを逆転する結果にはならなかったということのようでした。

“寸劇”の多かった今年の「紅白歌合戦」は、最後も寸劇で終わっていました。いつもとは異なり、本編が終わった直後にすぐに「ゆく年くる年」にはならず、会場を出ていくタモリさんとマツコさんの夫婦コントの場面が数秒間挟まれていました。

SMAPがいないということが仮に仕方のないことだったとしても、予定にしていたかもしれないその時間を謎の寸劇や中継やTVRの演出で埋めていたのだとしたら、私には、全体的には少し残念な印象の「紅白歌合戦」でした。一体何がしたいのだろうとも思えたのですが、今年の「紅白歌合戦」も、視聴率を確保したいと考える方たちによる“迷走”の感じが表れていたのかもしれないとも思います。

大晦日の夜の「紅白歌合戦」自体は好きなので、これからも続けてほしいとは思うのですが、もう少し“歌番組”に戻ってほしいように思いますし、バタバタしたりぶつ切りになったりするものではなく、落ち着いた気持ちで安心して見ることのできる「紅白歌合戦」になってほしいように思います。

それにしても、SMAPは、本当に「解散」をしてしまったのでしょうか。恒例の深夜のTBSの「CDTV」の生放送の「プレミアライブ」にも、昨年にはメドレーを披露していたSMAPはいませんでした。2017年からSMAPがいなくなるということに、まだ不思議な感じがします。

映画「シン・ゴジラ」と1954年の映画「ゴジラ」

先日、映画「シン・ゴジラ」を見に行きました。

今年の夏に公開された映画で、面白そうかなと気にはなっていたものの、どうか分からないなとも思えていたので、見に行っていなかったのですが、それを年末の12月になって見に行くことにしたのは、先月(11月)に見に行くことができた片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」がとても良かったからでした。「今年の映画」をもう一作品見てみたく思ったのです。

夏からの映画だからだと思うのですが、上映される劇場も大分減っていたので、私は映画館を探して小さめの昭和レトロな雰囲気の映画館へ行きました。

「ゴジラ」シリーズは東宝が制作をしていて、今回の、監督・特技監督は樋口真嗣さん、脚本・編集・総監督は庵野秀明さんという作品の「シン・ゴジラ」はシリーズ第29作に当たるそうなのですが、私は映画「モスラ」を見たことはあったものの、「ゴジラ」シリーズを見たことはありませんでした。日本制作のものも、アメリカ制作のものも見ていませんでした。

そのため、宣伝番組などで見聞きした何となくの情報と、ティラノサウルスのような怪獣のゴジラの形くらいしか知らないまま、今回の映画「シン・ゴジラ」を見始めたのですが、もしも面白くなかったらどうしようという少しの心配はすぐに吹き飛びました。とても面白かったです。

映画番組などで、怪獣映画というよりは政治映画だと言われていましたが、確かにそうでした。

主人公は、内閣官房副長官で巨大不明生物特設災害対策本部事務局長となる矢口蘭堂(長谷川博己さん)です。その他の主な登場人物は、国家安全保障担当の内閣総理大臣補佐官の赤坂秀樹(竹野内豊さん)、内閣総理大臣の大河内清次(大杉漣さん)、内閣官房長官の東竜太(柄本明さん)、防衛大臣の花森麗子(余貴美子さん)、ゴジラの2度目の襲来後立川へ移った官邸で臨時の内閣総理大臣に就任する農林水産大臣の里見祐介(平泉成さん)、保守の第一党の政調副会長で矢口さんに「ヤシオリ作戦」を提案する泉修一(松尾諭さん)、内閣官房副長官秘書官の志村祐介(高良健吾さん)、厚生労働省医政局研究開発振興課長の森文哉(津田寛治さん)、環境省自然環境局野生生物課長補佐で野生生物の専門家の尾頭ヒロミ(市川実日子さん)、資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長の立川始(野間口徹さん)、文部科学省研究振興局基礎研究振興課長安田龍彦(高橋一生さん)、外務省総合外交政策局長の小松原潤(三輪江一さん)、国土交通省危機管理・運輸安全政策審議官の竹尾保(小松利昌さん)、官邸内統幕運用第1課長の袖原泰司(谷口翔太さん)、国立城北大学大学院生物圏科学研究科准教授の間邦夫(塚本晋也さん)、祖母が広島か長崎の出身らしい日系3世の米国大統領特使のカヨコ・アン・パタースン(石原さとみさん)でした。

といっても、現実がそうであるように、政治家や官僚や自衛隊など、登場人物はとても多かったです。役職名や人物名などの漢字の多い長い字幕も2秒ほどしか出ないので、主人公の矢口さん以外は誰が何という名前でどこにいる何の役職の人なのだかよく分からなくなってしまうことも多かったのですが(余貴美子さんの演じる花森防衛大臣は現都知事の小池百合子さんが防衛大臣だった時に少し似ていたように思います)、物語の筋自体はしっかりとしていたので、映画を見ていて混乱することはありませんでした。

「シン・ゴジラ」はまだ公開中の映画なので、いろいろ書かないようにしようと思うのですが、東京湾に得体の知れない何かが現れたというところから、実際に大田区の呑川や蒲田の街に謎の生物が現れるまでの緊張感と、現れた生物の怖さ(東京湾のアナゴやウミヘビのようでもありましたが)、そして一度海に戻った後再び関東に上陸し当初の二倍の大きさになっていた恐竜のような形の“完全生物”のゴジラの強さや無敵さに圧倒されました。

ゴジラの造形も、模型やCG?と現実の混ざった都市の風景も、矢継ぎ早の台詞の応酬も、物語の構成も展開も、とてもよく出来ていました。

ゴジラの動きを演じていたのは能楽師(狂言師)の野村萬斎さんだそうです。野村萬斎さん自身がそのことを話していた番組を私も見ていたのですが、この映画を見ながらゴジラを野村萬斎さんだと思うことは一度もありませんでした。そのくらい、何というか、その能の動きがゴジラらしかったのだと思います。

荒ぶる神のような完全生物のゴジラの尽きない強さと当時に、突然現れて街を襲い始めた得体の知れない存在に直面した日本の政治家や官僚たちがどのようにそれに向き合い、また立ち向かっていくのかということが描かれていた映画なのだろうと思います。

石原さとみさんの演じるカヨコさんのキャラクターは、私にはこの映画の物語の中では少し浮いているようにも見えてしまったのですが、在日米軍基地のある日本というか、日米地位協定が変えられていない今の日本の状況や、ゴジラから国民の命を守るための手段に迷う政治判断の遅さのようなものが、2011年の3月の「東日本大震災」の頃の記憶と重なるように、はっきりと描かれていたような気がします。

第二形態?のゴジラが遡上した川の小舟が打ち上げられていく様子や、道路の上を進んでいく様子や、マンションを登っていく様子などは津波のようでしたし、ゴジラの体内のエネルギー源が「核」だというところも、福島の原子力発電所の爆発事故のことを想起させる印象でした。

それでも、この映画は「東日本大震災」の要素だけを描いた映画ではなかったように思います。過去の戦争(第二次世界大戦)や未来に再び起こるかもしれない核爆弾の投下のことも盛り込まれていました。

突然の大規模な災害に、日本はまだやれるのだと、生き残った政治家や官僚や自衛隊員たち、常時には厄介者扱いされていた研究者たちが最後まで諦めずに知力を尽くして挑み、ゴジラのいる東京への米軍の原爆による攻撃を避けようとする姿も良かったです。

2度目のゴジラの襲来直後にはそれまでの中枢の政治家や官僚や自衛隊員たちの多くが死亡しましたが、それでもまだまだ日本には良い人材がいるのだというメッセージも含めて、今の日本の政治家や官僚や自衛隊員の方たちを応援する映画でもあったのだろうと思います。

ただ、東京湾から神奈川県や東京に進んでくるゴジラの場面は怖かったのですが、身体の外側の黒色と内側の燃える赤色が富士山から流れ出る熱い溶岩のような色でもあった、自然界の神のようにも思える“完全生物”のゴジラ(呉爾羅)が、自衛隊や米軍のミサイル攻撃に遭う場面は、やはり私にはどうしても、かわいそうであるようにも思えてしまいました。ゴジラは街を破壊しようと思っているのでもなく、人を殺そうとしているのでもありませんでした。ただ一心に東京へ向かって進んでいるだけなのです。映画で見る限りには、ゴジラはほとんど無垢の存在です。それを人間たちが(人間たちのほうでも殺されているままではいけませんからそれは仕方のないことではあるのかもしれないのですが)あらゆる爆弾を使って攻撃していて、高層ビルを倒壊させたり、在来線の無人電車に爆弾を搭載して一気に攻撃したりというアニメ的なアイデアをすごいなと感心するのと同時に、とてもかわいそうのようでもあるという感じでした。倒されるゴジラの姿を見ながら、何だかとても悲しい気持ちになりました。

炎や光線を身体から出して辺りを火の海にするゴジラの反撃の場面を見ていて、スタジオジブリのアニメ映画「風の谷のナウシカ」の巨神兵や「天空の城ラピュタ」の壊されながらもシータを守ろうとしたロボット兵のことを思い出しました。

矢口さんたちの行動によってゴジラは一旦「凍結」したのですが、いつかゴジラが再活動することを予感させる終わり方でもありました。凍結されたゴジラの胴体に、人間の死体が積み重なっているようにも見えました。いつ、ガチャ、というゴジラの身体が動く音がするか、見ていて怖い感じがしたのですが、東京駅を丸の内側から見上げる度に、これからは「シン・ゴジラ」のゴジラを思い出すような気がします。

「シン・ゴジラ」の字も「終」の字も、昔風のレトロな字体でした。「シン・ゴジラ」の音楽は鷺巣詩郎さんだったのですが、昔の伊福部昭さん作曲のテーマ音楽もそのまま使われていたようでした。黒の背景に白い文字で書かれたスタッフの名前などが流れるエンドロールの場面に流れている曲がとてもかっこよかったので、少しも飽きることなくその字幕の画面を見続けることができたのですが、それは初代「ゴジラ」の曲でした。

それは後で分かりました。映画館へ見に行った「シン・ゴジラ」がとても面白かったので、その後、NHKのBSプレミアムの「プレミアムシネマ」で夏に放送され、録画をしておいたままになっていた映画「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」を見ることにしたのです(録画が消えていなくて良かったとほっとしました)。

1954年(昭和29年)の11月3日(「シン・ゴジラ」のゴジラが現れた日です)に公開された、最初の「ゴジラ」の映画です。原作は香山滋さん、脚本は村田武雄さんと本多猪四郎さん、音楽は伊福部昭さん、監督は本多猪四郎さんと円谷英二さんという白黒の特撮映画作品でした。

太平洋の小笠原諸島近海で貨物船が次々と原因不明の沈没事故を起こし、政府も仕方なく調査を始めたところ、大しけの続く日に現れるという大戸島の伝説の怪物・呉爾羅(ゴジラ)が実際に現れ、絶滅したはずのトリロバイト(三葉虫)が足跡のそばに落ちていたり、ガイガーカウンターが放射能を検知したりしたことから、ジュラ紀の恐竜の生き残りがアメリカの水爆実験によって住処を追われて浮上したのではないかと考えられるようになりました。そうして東京の街に上陸したゴジラは、破壊の限りを尽くし始め、古生物学者の山根恭平博士(志村喬さん)がゴジラの殺害しか考えられていないことを疑問視する中、政府は東京湾付近の住民たちを避難させての高圧電流による攻撃を仕掛けるのですが、一切利きませんでした。

被害者が増えていく現実をどうにか変えたいと思い始めた山根博士の一人娘の恵美子(河内桃子さん)とその婚約者の尾形秀人(宝田明さん)は、海に戻ったゴジラが再び上陸するのを阻止するための方法として、恵美子さんが兄のように慕っている科学者の芹沢大助博士(平田昭彦さん)を訪ね、芹沢博士が密かに研究開発していた「オキシジェン・デストロイヤー」という水中の酸素を消して生物の細胞を破壊する薬をゴジラ退治に使ってほしいと懇願しました。戦争で右目を負傷したらしき芹沢博士は、自分の研究はまだ完全ではなく、人の役に立つものにしてから発表したい、今この研究が為政者の手に渡ったら兵器として使われてしまうに違いないからと断り続けていたのですが、テレビから流れて来た慰霊の歌声を聴き、今苦しんでいる人々を救うため、ゴジラ退治にその研究を使う決意をしました。

研究資料を全て焼却した芹沢博士は、放射能から観測されたゴジラがいると思われる海の上に到着した船から、尾形さんと一緒にスーツを着て海底へ下り、岩陰にゴジラがいることを確認して、「オキシジェン・デストロイヤー」を発動させました。尾形さんはすぐに船へ引き揚げられたのですが、芹沢博士は綱を切断して海に残りました。自身の持つ研究の知識が為政者の悪事に使われないようにするために、ゴジラや他の海の生物たちと一緒に消滅することを選んだのでした。

1954年の特撮映画「ゴジラ」はこのような物語だったのですが、この62年前の映画「ゴジラ」は、とてもすばらしかったです。有名な「ゴジラ」シリーズの最初の作品ですし、今頃見たばかりの私が言うことではないかもしれないとは思うのですが、本当にとても良い映画でした。

この白黒の「ゴジラ」の映画を見始めて、2016年の映画「シン・ゴジラ」が初代「ゴジラ」への“オマージュ”というものに溢れていた作品でもあったことがよく分かりました。テーマ音楽がそのまま使われていたことも分かりました。

ゴジラが攻撃を受ける場面は、「シン・ゴジラ」の時と同じように、「ゴジラ」でも私にはやはりかわいそうに思えました。そのため、古生物学者の山根博士がゴジラを殺すことに否定的だったという部分も、古生物学者ではない私にもよく分かるように思えて、良かったです。

「シン・ゴジラ」の分子細胞生物学の牧悟郎博士(写真・岡本喜八監督)が海上の船の中に放射性廃棄物を体内に取り込む謎の生物の調査書と折り鶴を残して行方不明になった東京湾の場所は、芹沢博士がゴジラや他の海洋生物たちと共に海底で消滅した辺りだったのでしょうか。

「シン・ゴジラ」が怪獣映画というよりは政治映画であったのと同じように、最初の「ゴジラ」も、怪獣映画というよりは政治映画でした。政治家などの人たちによるゴジラ対策に関する話し合いの場面は、ゴジラが東京の街を破壊していく場面よりも多かったように思いました。特撮の怪獣映画ではあるのですが、原爆投下や水爆実験を恐ろしいもの、許せないものとして扱う感じというか、反戦、反核の精神がはっきりと描かれていた映画でした。

そして、そのような部分は、「シン・ゴジラ」よりも、昔の第1作目の「ゴジラ」のほうが明確でした。2016年の映画「シン・ゴジラ」になくて、1954年の映画「ゴジラ」にあったものは、ゴジラの襲来を受ける一般の人々への眼差しです。

初代「ゴジラ」では、被災地となった東京の街の人々の日常や人生のような部分も描かれていました。怪我をして運ばれていく母親を見て泣く子供の姿や、もうすぐお父さんのいるところへ行けるとゴジラを見上げながら死ぬ覚悟をする母子の姿や、迫り来るゴジラの実況中継を続けながら命を落としていく記者の姿がありました。

でも、「シン・ゴジラ」では、災害に遭遇した一般の人々は突然の出来事を面白がって撮影したり、ゴジラが背後に迫っているのにのんびり歩いて避難したり、急にパニックになって同じ道路に殺到したりしていました。実際に危機感の低い現代人の姿を表している場面だったのかもしれないですし、映画を見ていてリアルに思えたので、「シン・ゴジラ」のそのような場面が悪いということでは決してないのですが、62年前の映画「ゴジラ」を見て、昔の「ゴジラ」の映画のほうが、観客でもある一般の人々の側に寄り添っている作品であるように思えました。

東日本大震災から5年、第二次世界大戦から71年という今年の2016年の「シン・ゴジラ」で描かれていたのは、中枢の政治家や官僚や自衛隊や政府関係の科学者たちの活躍でしたが、第二次世界大戦から9年の1954年の「ゴジラ」で描かれていたのは、そのような立場の人たちの活躍ではなく、間違った方向へ進んでいく人類の近代科学文明への危機感と突然の得体の知れない巨大な脅威と向き合うことになった一人の科学者の葛藤でした。

「オキシジェン・デストロイヤー」の件を見た時、私は以前に再放送されていた何作かを見た、円谷プロダクションの特撮ドラマ「怪奇大作戦」のことを思い出したので、「ゴジラ」は社会派SF映画でもあったのかもしれないとも思うのですが、文明批判、政治批判、戦争批判、原爆・水爆批判のはっきりとした感じは、すごいなと思いました。

「シン・ゴジラ」では、「ゴジラ」と同じように、東京に上陸したゴジラに国会議事堂や銀座の時計台などが破壊されていましたが、「シン・ゴジラ」のゴジラが東京駅の丸の内口で止まり、皇居のほうへ行かなかったのは、映画としては良い配慮だったように思います。「シン・ゴジラ」に愛宕神社の場面があっても東京タワーの場面がなかったのは、映画「ゴジラ」の頃には東京タワーがまだ建設されていなかったからなのかもしれません。

ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被曝した第五福竜丸の事件のあった年の映画「ゴジラ」の山根博士は、あのゴジラが最後の一匹とは思えない、もし水爆実験が続けて行われるとしたらあのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない、と原爆や水爆などの大量破壊兵器があり続けるかもしれない未来を心配していましたし、「シン・ゴジラ」の矢口さんも、今は辞めることはできないと、一旦凍結されているゴジラが活動を再開する(再稼働する)かもしれないことを心配していました。何十年もかかる原発の廃炉や放射性廃棄物処理の問題は、映画「シン・ゴジラ」の世界でも現実と同じだったのかもしれませんが、街の放射能汚染の問題に関しては、「シン・ゴジラ」のゴジラの放射能の場合は、濃度はそれほど濃くなく、すぐに消えていくものだという設定になっていたので、現実のチェルノブイリや福島の場合とは違っていたようにも思いました。

映画には描かれていませんでしたが、破壊されて焼け野原のようになった街の人々の生活は、過去や現代の現実にもそうであるように、人々の手で少しずつ復興・再建されていくのだろうと思います。

長くなってしまいましたが、ともかく、パラレルワールド的な、もう一つの東京の今の物語として、私も見に行くことができた今年の映画「シン・ゴジラ」はとても面白かったですし、有名な1954年の映画「ゴジラ」は、それ以上にとても良い作品でした。二作品とも私はまだ一度しか見ていないので、記憶が間違っている部分も多々あるかもしれませんが、登場したゴジラそのものは、どちらのゴジラも良かったです。少し怖いけれど、好きになりました。伊福部昭さんの作曲の「ゴジラ」のテーマ音楽がすばらしいということも改めて思いました。

天皇陛下の83歳のお誕生日と、糸魚川の大火のこと

今日は、天皇陛下は83歳のお誕生日です。

皇后陛下美智子さまと共に、第2次世界大戦の惨禍に遭ったフィリピンを訪問なさったり、熊本の大地震や東北の台風の被害を目の当たりになさったり、タイのプミポン国王や三笠宮崇仁親王とお別れになったり、今年も目まぐるしいような一年だったのだろうと思います。

報道によると、両陛下共に体調は快方へ向かっているようなので、少しほっとしました。

8月の天皇陛下のお言葉は、「天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明」したものだそうです。

その時から、天皇陛下の退位(譲位)の問題が官邸の「有識者会議」や、普通の報道番組の中などでも話し合われていますが、8月の陛下のお言葉を聴いた一般市民の多くが退位に関する恒久的な制度のためには、憲法違反にならない、そして時の政権の意向に左右されない「『皇室典範』の改正」を行うほうが良いのではないかと思っていても、『皇室典範』の改正は時間がかかると主張する官邸やそれに選ばれた有識者たちが「天皇の公務の負担軽減等に関する」会議の結果「特例法」を選ぶのなら、「特例法」での「一代限り」の退位ということにこのまま決まってしまうのでしょうか。

報道によると、民進党の野田元首相は天皇(今上天皇陛下と未来の天皇)の退位問題について「皇室典範改正」を視野に皇室全体の未来を考えた話し合いをするべきという趣旨の発言したそうです。安倍首相は、「国の基本に関わる極めて重たい課題であり決して“政争の具”にしてはならない」と言っているそうですが、「政争の具」にしようとしているのはむしろ自民党のほうであるように思いますし、「政争の具にしてはならない」などと言って皇室の問題をみんなで話し合わないようにすることは、良くないことであるような気がします。自民党というか、安倍首相やその支持者の方は、「天皇」という存在をシステムとして、自分たちの国の統治の在り方のためにただ利用しようとしているだけのようにも見えます。

天皇陛下の退位に反対し、摂政を置くことを勧め、陛下のことをおかしいとまで言っていた有識者の方たちは、天皇はただ国民のために祈っていればいいのだというようなことも言っていましたが、祈るだけだった天皇は、実際には一体過去にどのくらいいたのでしょうか。学校の日本史の授業で習った過去の天皇はたくさん政治に関わっていますし、幕末の慶応2年に孝明天皇が突然崩御(暗殺説もあります)した後の明治時代から変わったのだとしても、明治天皇も宮中で祈っていただけの方ではないように思います。

「象徴としてのお務めについて」のお言葉の中で譲位についてのお考えを発表された天皇陛下のお気持ちが、官邸の側にちゃんと伝わるといいなと思います。


ところで、風の強かった昨日には、新潟県の糸魚川市の大火災の報道に驚きました。糸魚川のことを私は翡翠の産地として有名ということくらいにしか知らないのですが、午前10時半頃一件の中華料理店から出た火がフェーン現象の強風に煽られて飛び火し、糸魚川の駅の北西の側の家々に燃え移って広がった火災なのだそうです。

報道番組の映像で見た限りなのですが、大火の黒い煙が街を覆って日本海のほうへ流れていました。最初にその様子を見た時には、街に広がっている赤い火が、東日本大震災の時の火災や、阪神淡路大震災の時の火災や、戦争の空襲の時の映像のように思えて、驚きました。

フェーン現象の強風がその地方の影響した大火としては、過去には、昭和51年の山形県の酒田市で起きた「酒田大火」や、昭和31年の富山県の魚津市で起きた「魚津大火」、昭和30年の新潟県の新潟市で起きた「新潟大火」などがあるそうです。強い風に煽られた火の粉(粉というよりは大きな塊のようなものも多いそうです)は数百メートルから1キロメートルほど飛んで行くこともあり、火事の起きた家から離れていても、急に火が燃え移ってそこからまた延焼してしまうことがあるそうです。朝のニュースによると、消火はまだ完全ではないようでした。

昨夜の報道番組の中でインタビューに答えていた店主の方によると、商店街の店主の方たちは高齢の方が多いそうで、家を建て直して再びお店を開くかどうかは分からないのだそうです。それを聞いて、確かにそのようなことはあるかもしれないなと思いました。火事の補償が多少なされたとしても、町全体の復興はまた大変なことなのかもしれません。政府が決めた来年の2017年度の予算案は、過去最大の97兆4547億円なのだそうですが、年末にこのような大火の被害に遭った糸魚川の町の人たちがすぐに救われるための良い方法が考え出されるといいなと思います。
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