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新潟県と山形県の地震のことなど

昨夜の10時、私は楽しみにしていたTBSのドラマ「わたし、定時で帰ります。」の最終回(第10話)を見ていました。福永部長(ユースケ・サンタマリアさん)が東山結衣(吉高由里子さん)と種田晃太郎(向井理さん)の前を立ち去る場面で、オープニングの映像が入りました。ここまでの約30分間、CMなしだったように思います。

この少し前、栃木県に洪水警報という速報と、新潟県に津波警報という速報の字幕が出ました。その後、午後10時22分頃、新潟県で震度6強、山形県で震度6弱の地震があったという速報が入り、オープニングの映像の直後のCMの途中で、ドラマ「わたし、定時で帰ります。」の最終回の放送は休止となりました。

「報道特別番組」に切り替わり(この中ではドラマの最終回の放送についてのお知らせは特にありませんでした)、新潟や山形のTBS系列の放送局のアナウンサー、「NEWS23」の小川彩佳アナウンサーと山本恵里伽アナウンサーが中心となって、新潟県や山形県や秋田県や石川県(能登半島)などの地震と津波の情報について長く伝えていました(津波警報が解除された後、この報道番組は終わりました)。

報道によると、地震の震源地は山形県沖の海底で、深さは10km、マグニチュードは6.8、新潟県の村上市で震度6強、山形県の鶴岡市で震度6弱が観測されたそうです。

夜の報道では状況がよく分かりませんでしたが、朝の報道を見て、建物や道路や山などに大きな被害があったことが分かりました。この地震で怪我をした方はいるようなのですが、亡くなった方はいないようでした。原子力発電所も、「異常なし」ということのようでした(異常があった場合はちゃんと公表してくれるのでしょうか)。横揺れのあった後縦揺れが長く続いたという地震だったそうなのですが、直下型の地震ということなのでしょうか。

昨日は、大阪府北部地震から1年の日でもあったので、偶然だとは思いますが、そのような日にまた大きな地震が来たのかと驚きました。新潟県や山形県の地域の今日の天気は、予報によると、雨なのだそうです。地震の後の被災地の天気が雨で、気象庁が「土砂崩れの恐れ」を警告するということが、よくあるような気がするのですが、何となく印象に残っているためにそう思うのかもしれません。昨夜の栃木県の大雨による洪水警報については、その後の報道がないのですが、大丈夫だったのでしょうか。

昨夜の震度6強の地震では、佐渡や粟島にも津波が少し到達していた(「微弱」と書かれていました)ようですが、今日は、その新潟県にもゆかりのある、小説家の太宰治の生誕110年、没後(入水後の遺体の発見)から71年の桜桃忌の日でもあります。私は太宰治の小説や随筆を読むのは好きなのですが、桜桃忌への思い入れはそれほどありません(何の記念日に対しても、どちらかというとそうなのですが)。でも、これもまた不思議な偶然のような気が、少しだけしました。

今日には久しぶりに国会で「党首討論」が行われるそうで、NHKでその様子が放送されるそうなのですが(生放送なのでしょうか)、45分の番組ということで、NHKの「日曜討論」よりも短いようです。今回の「党首討論」は、本当に「討論」になるのでしょうか。あるいは、また各政党の党首が“順番に”自分の言いたいことを主張するだけで終わってしまうのでしょうか。党首を務める政治家の方たちは、停電も起きていたという昨夜の地震の話についても触れるだろうと思いますが、被災した人々の安心できる暮らしに必要なインフラの整備や修復のためのお金は、被災した自治体ではなく、国が出すようにしたほうが良いと思います。集めた税金は、武器のためではなく、人々の福祉のために使ってほしいと思います。

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以下は6月20日の追記です。昨日の「党首討論」のことです。

NHKで中継されていた「党首討論」を見ました。録画をしておいたものです。立憲民主党の枝野幸男議員、国民民主党の玉木雄一郎議員、日本共産党の志位和夫議員、日本維新の会の片山虎之助議員の順に、安倍晋三首相(自民党の総裁)に質問をしていました。やはり安倍首相(麻生太郎副総理兼財務大臣が「政府の政策スタンスと合わないから受け取らない」と宣言した、老後の資産形成について「およそ2000万円必要になる」などとする金融庁の審議会の報告書を踏まえた質問への回答は控えるとした答弁書を「閣議決定」したという昨日の報道にも驚きました)は、野党の当主の方たちによる、国民の年金の「マクロ経済スライド方式」(政府が国民から徴収した保険料を勝手に運用しているこの場合の年金とは国民年金と厚生年金のことで、公務員の共済年金や政治家の議員年金のことは含まれていないのだそうです)の問題や医療や介護などに携わる職員の不測の問題の質問などには、また正面から正直に答えないようにしていましたし、民主党が初めて与党を務めた3年間の悪口を言いながら自民党政権のほうがましだろうという宣伝も繰り返していました。いつものことなのですが、疲れるというか、残念に思いました。

今回、枝野さんや玉木さんや志位さんは「提案」をしていたので、その検証もなされるといいなと思います。ただ、野党の党首の方々には、もう少しみんなで話し合って質問テーマを決めてほしかったというか、例えば、沖縄県の辺野古の米軍新基地(滑走路)建設工事強行のことやF35戦闘機やイージス・アショアなどの防衛問題(防衛費に関してはどうして医療や教育などの費用の話の時のように「財源はどこから?」と言われないのでしょうか)や外交問題についても質問してほしかったように思えました。今回の「党首討論」は相変わらず「討論」にはなっていなかったように思います(安倍首相が議長に制止されない中で質問内容とは異なることを長々と話し続けている時間も質問者の質問時間に含まれるという国会のシステムは変えたほうがいいと思います)。与党の自民党(安倍首相はよく自民党の政策をアピールするために「民主党」の名称を出しますが、自民党も自由民主党なので、今の日本には名前に「民主党」が付く政党が4つ存在します)と公明党の議員の方たちが「予算委員会」を開きたくないのがなぜなのかは分かりませんが、「党首討論」の約45分という時間は短いように思いました。

あと、NHKのEテレで深夜に再放送されていたETV特集「希望の大地~北海道 厚真町 ふたりの開拓物語~」の再放送を見ました。昨年の9月6日の北海道胆振東部地震で被害を受けた厚真町で農業を再開した松平功さんと信子さん夫妻と家族、農家の方たちの話でした。厚真町は、明治時代の開拓期に石川県の人々が新天地を求め渡ってきた「希望の大地」だったのだそうです。農業を再会できて幸せだと話す夫妻は、本当に幸せそうに見えました。でも、一年間農家の方が大切に育てて、見事に実った田んぼの稲を、一粒でも収穫したなら補償を受けることができなくなるという仕組みについては、何か冷酷な感じがしました。農家の補償制度の詳しいことは分からないのですが、収穫のためではなく捨てるために刈り取られていく稲穂がかわいそうでした。改善されないものなのでしょうか。

奄美の徳之島の水中鍾乳洞の特集のこと

一昨日の月曜日の夜のテレビ朝日の「報道ステーション」の、水中探検家の広部俊明さんが新発見したという、奄美群島の一つの徳之島の水中鍾乳洞の特集が面白かったです。

私は放送時間には見ることができなかったので(テレビ東京のドラマ「スパイラル~町工場の奇跡~」と重なっていたからでもあります)録画をしておいたものを後で見たのですが、見ることができて良かったです。冒頭からの15分ほどの特集でした。

徳之島の“伝説の泉”の「陸の中の海」という鬱蒼とした洞窟の入り口から入った水中の青さと、透明な水の中に見えるいくつもの鍾乳石が不思議で、神秘的で、見事でした。探検家の広部さんとカメラマンの方は、細くなったり広くなったりしている鍾乳洞の水の中を、底に溜まる泥を巻き上げないようにしながら進んでいました。紹介されていた地図によると、海から400mのところにあるという水中鍾乳洞は、徳之島空港の滑走路の下を通って、海底にまで続いていたようでした。そのまま海に出るのかと思われたのですが、広部さんは、洞窟にいるはずの魚の姿が見えないことから、出口が塞がっている可能性があると考え、入り口から700mの地点で今回の調査を終えていました。全貌が未知数の水中鍾乳洞の調査は、これからも続けられるそうです(入るのには自治体の許可が必要だそうです)。

石灰岩が何千年か何万年かの時間をかけて少しずつ溶け落ちてできる鍾乳洞はそもそも水中では生まれないものですが、この日本最大級という水中鍾乳洞は、解説によると、7000年ほど前に海面が上昇したことにより、鍾乳洞に海水が入り込んで出来たと考えられているのだそうです。潮の満ち引きによって水が増えたり減ったりしていたことから、昔からその洞窟は海とつながっていると考えられていたそうなのですが、入り口付近の水も淡水ではなく潮水なのでしょうか。水中鍾乳洞の奥の方の泥の中には割れた黒色の土器の壺のようなものが埋まっていたのですが、縄文時代以前のその島の住民の誰かが作ったものかもしれないということでした。すごいです。欠片を持ち帰ってその成分を調べればいつの時代のものか分かるのかもしれませんが、何も言われていなかったので、そのままにしておくことにしたのかもしれません。もしもそうなら、そのほうが良いと思います。

酸素ボンベの泡が水中洞窟の天井に溜まるとその空洞になったところから洞窟が崩壊すると聞いたこともありますし、多くの人間が水中洞窟(氷筍のある氷穴などもそうかもしれません)に入るのは、水中洞窟の自然環境の保存や保護のためにはあまり良くないことなのかもしれないと思うのですが、どうなのでしょうか。一方で、美しい水中洞窟の風景を見てみたい気持ちも分かります。探検家でもダイバーでもない私としては、例えば今回の探検家の広部さんのような、水中洞窟に入るのに慣れているようなダイバーの方たちの数名が、世界の代表として、4Kか8Kかの?最先端の高性能のカメラで、数年か十数年かに一度、その内部の撮影を丁寧に行うというだけでも十分であるような気がします。

「平成最後」と「令和最初」の一日

平成31年(2019年)4月30日の昨日は、天皇陛下の退位の日で、「平成最後」の日でもありました。譲位としては江戸時代の光格天皇以来の202年ぶりということでした。朝からテレビの報道番組や情報番組はほとんど(ラジオ番組の多くも)「平成最後」や「天皇皇后両陛下のこれまでの歩み」の特集一色でした。「令和まであと何時間何分何秒」という風にカウントダウン表示を画面上に出している番組もありました。まるで年末の大晦日のような雰囲気でした。

TBSでは、夜9時からはいつも通りに「マツコの知らない世界」(あんこの世界とマネキンの世界でした。マネキンは作家さんによる手作りなのだそうです)と、このドラマ「わたし、定時で帰ります。」の第3話を放送していたので、私もいつも通りに見ることにしました。ドラマの後の報道番組「NEWS23」は、昨年の春から放送時間がなぜか10分削られていたのですが、一昨日の月曜日から、夜11時ちょうどに始まるという以前の放送時間に戻りました。元に戻って良かったです。

あなたは平成最後の日に何をしますか、などと繰り返されることに、何か特別なことをしなくてはいけないのだろうかというような気が勝手にしてしまって、少し息苦しいような感じでもあったのですが、「平成最後」や「令和最初」といった“新元号まつり”は、数日か、長くても今月の間には落ち着くのだろうと思います。

昨夜のTBSラジオの「荻上チキ・Session-22」(少し聴くことができました)の「元号が変わっても、何も変わってないぞ!」の特集も、良かったです。天皇皇后両陛下が新しい天皇皇后両陛下に御代替わりなされることや元号(年号)が新しいものに切り替わることと、政治の問題や事件は別の話に思えるかもしれませんが、やはりつながっていることなので、国会を軽視する官邸や各省庁の間で公文書の改ざんや破棄や隠蔽などが多数行われるようになってしまった、令和時代初期にも入り組むことになる平成時代後期や末期の政治問題のことを忘れてはいけないのだと思います。

戦争を知っている政治家が政治を行っている間は日本が戦争をすることはないが戦争を知らない政治家が出てくると危ない、というような意味のことを、田中角栄元総理大臣だったかが言っていたそうです。

平成時代の日本は昭和時代前期の日本とは違って直接他国との戦争などを起こすことはありませんでしたが、日本政府は対米従属の結果として、例えばアメリカの始めたイラク戦争には関わっていたのですし、平成時代の日本の平和が全く戦争と無関係な平和だったかというと、そうでもなかったかもしれないとも思うのですが、それでも日本が他国に比べて平和であるとすれば、今の日本がそのように平和であるのは、ご結婚から60年、即位から30年という長い間、日本国憲法を守って「象徴」として日本国民と世界の人々の平和と安寧を祈り続けて来た天皇皇后両陛下(今日から上皇上皇后両陛下という呼び方に変わります)のおかげだと思います。

昭和天皇の崩御後に「昭和」から「平成」になった時とは異なり、「平成」から「令和」になった今回には「天皇の崩御」がないので、皇族方や国民が喪に服することもなく“お祭り騒ぎ”的に明るいお祝いの雰囲気で新元号の時代を迎えることになったということなのですが、それを喜ぶとすれば、それも天皇陛下(上皇陛下)が、江戸時代までの伝統よりも大日本帝国憲法の皇室典範で皇族の在り方を定めた明治時代以来の“伝統”を重視して譲位に反対する安倍政権と話し合いを重ねて(闘って)、譲位を実現することができたからです。

現政権は新元号の「令和」の意味を「ビューティフル・ハーモニー(美しい調和)」として海外へ伝えたそうです。“新元号まつり”も別に良いのですが、日本国民の大多数が一斉に同じ方向を向くこともその政府の考える「調和」に含まれるのだとするなら、少し違和感があるというか、少し息苦しいような感じがしてしまいます。

岡本太郎さんの「太陽の塔」が創られた昔の昭和時代の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったそうですが(岡本太郎さんはその“調和”を芸術で打ち破っていたのだと思います)、今回の新元号の令和の「調和」は、もしかしたら、その昭和時代の「調和」にも因んでいるのでしょうか。

平成時代の前半は、戦後の昭和時代の続きでもあり、「反戦平和」の意識も多分にあったのかもしれません。でも、平成時代の後半、小泉純一郎元総理大臣が壊した自民党から出て来た安倍政権の、官邸に人事権を握られた政治家や役人たちの器はさらに小さくなり、「戦争を知らない世代」が増えて来た国民の政治離れもさらに進んで、「平和」という言葉は世間に溢れていても、「反戦」という言葉は若者たちの間であまり使われなくなってきたような気がします。

2016年のに片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」が公開された頃、この映画について、「反戦」ということを声高に叫んでいないところが良いという風に評価している方がいることに驚きました。映画「この世界の片隅に」は、高畑勲監督の映画「火垂るの墓」と同じように、「反戦」の映画だと思います。

新元号関連の報道によって薄められているのかもしれませんが、先日の民間団体の情報請求によって大臣の日程表を各省庁が即日破棄?しているということが発覚した安倍政権は、平成時代が終わる直前、まだ国内のどこに置くかということも決まっていないアメリカ製の陸上配備型ミサイル防衛システムのイージス・アショアを2基(約1400億円)購入する契約を正式にアメリカ政府と結んだそうです。安倍政権の軍備拡大や自衛隊の海外派遣業務拡大の“積極的平和主義”の「平和」は、天皇皇后両陛下(上皇上皇后陛下)が希求する「反戦」の「平和」とは違うものだと思います。

終戦直後の昭和天皇の、疎開していた皇太子(今の上皇陛下)への手紙には、敗因の一つとして、「我が国人が、あまりに皇国を信じ過ぎて、英米を侮ったことである。わが軍人は、精神に重きを置きすぎて、科学を忘れたことである」と書かれているそうです。この言葉は、現代の日本人にとっても重要なものであるような気がします。

昨日の夕方には、天皇陛下の憲政史上初という退位礼正殿の儀(例がないので、国事行為として新しく作ったものだそうです。女性皇族も出席していました)が皇居の宮殿の正殿・松の間で行われました。天皇陛下と美智子さまは、譲位の後にも、これまでのようにこれからも、国民と世界の人々の安寧と幸せを祈り続けていてくださるのかもしれません。最後、天皇陛下が階段を下りる美智子さまの手を取ってお支えになった後、国民のほうを振り返って礼をして退室なさっていたのも印象的でした。今日の朝には、新天皇陛下の剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀が同じ松の間で行われました(剣璽等承継の儀への出席は男性皇族のみということでした)。皇太子殿下が即位なさって新しい天皇陛下(第126代)となり、皇太子妃雅子さまは皇后陛下となりました。秋篠宮さまは、皇嗣となりました(過去には天皇の弟を皇太子としていたこともあったそうです)。私はどちらもテレビの中継の映像で見たのですが、静かでさっぱりとした儀式でした。

即位後朝見の儀の挨拶で、昨日まで皇太子さまだった新天皇陛下は、新天皇陛下としての初めてのおことばを述べられていました。即位の時の前の天皇陛下のおことばは「(皆さんと共に)日本国憲法を守り」でしたが、新天皇陛下のおことばでは「憲法にのっとり」となっていたので、「(憲法に)のっとり」という言葉を天皇陛下が使うのは珍しいようにも思えたのですが(「守る」と「則る」とでは意味が異なります)、この儀式でのおことばは政府の「閣議決定」がなされたものということなので、もしかしたら、このおことばの文章は新天皇陛下御自身が完全にお考えになったものということではないのかもしれないなとも思いました。何というか、前の天皇陛下のおとこばは、多くの人々が聴き取りやすいような、分かりやすくて優しいもの、文章で書くとひらがなが多く使われているというような印象でもあったので、今回の新天皇陛下(昨日までの皇太子さま)の初のおことばを聞いて、漢字の多く使われている少し硬めの文章というところが、私には少し意外な感じでもありました。

皇太子ご夫妻時代から天皇皇后両陛下時代まで続いていた上皇上皇后陛下の、沖縄戦のあった沖縄の人々、ハンセン病の人々や水俣病の人々、障害のある人々や子供たち、大きな自然災害で被災した人々など、社会的に弱い立場に置かれている人々の心に寄り添う優しくて強い「反戦平和」のお気持ちが、新しい天皇皇后両陛下にも受け継がれていくといいなと思います。前の天皇皇后両陛下の外交能力や対人能力は人間離れしていたかもしれないので、同じようになるのは難しいかもしれませんが、同じようにならなくてもいいのかもしれないと思います。日本の「象徴」としての天皇とは何か、日本にとって天皇制とは何かということを、国民は考え続けていかなくてはいけないのだろうと思いますが、その象徴天皇を継承なさる新しい天皇陛下は家族思いの方のようですし、病と闘っていらっしゃる雅子さまも他者の痛みを分かる方のように思いますし、新しい天皇皇后両陛下はいつか新しい天皇皇后両陛下らしい、良い天皇皇后両陛下におなりになるのだろうと思います。

令和元年(2019年)5月1日の今日からすぐに“新しい時代”になるようには思えないのですが、昭和にも似た響きのある、平成の次の令和の時代が、各個人がそれぞれ自由な気持ちで穏やかに幸福に生きていくのことのできる、良い時代になるといいなと思います。

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以下は5月2日の追記です。

先月のことなのですが、私は、桜の花の咲く皇居の三の丸尚蔵館で開催されていた天皇皇后両陛下(上皇上皇后陛下)の御即位30年・御成婚60年記念特別展「御製・御歌でたどる両陛下の30年」と、日本橋高島屋で開催されていた天皇皇后両陛下(上皇上皇后陛下)の御成婚30年記念の特別展「国民とともに歩まれた平成の30年」(毎日新聞社主催、宮内庁侍従職特別監修)を見に行きました。どちらも良い展覧会でした。

三の丸尚蔵館の「御製・御歌でたどる両陛下の30年」展では、NHKの「BS1スペシャル」で放送されていたドキュメンタリー番組「天皇・皇后の肖像画」で紹介されていた、画家の野田弘志さんの描いた「両陛下御肖像」が展示されていました。思っていたよりも大きな肖像画だったのですが、とても丁寧に描かれていて、絵なのですが、はっとするような、両陛下の存在感に圧倒されるような感じがしました。たくさんのお客さんたちが足を止めて御肖像を見上げていました。

「国民とともに歩まれた平成の30年」展では、高島屋本館の正面玄関を入ったホールにご成婚パレードの偽装馬車が展示されていて、多くの人たちが足を止めて写真を撮っていました。天皇陛下(上皇陛下)と美智子さまの公務の時のお写真や家族とのお写真、御即位の時の御装束(おひなさまの衣装のようでした)、ボンボニエールなど皇室ゆかりの品々、美智子さまが養蚕を復活させた小石丸の絹糸、全国47都道府県や海外の国々から贈られた両陛下への伝統工芸の献上品などが展示されていました。両陛下のお写真と共にガラスケースの中に並んでいる伝統工芸品を、各地には様々な良い工芸品があるのだなと思いながら見るのも楽しかったです。珊瑚で作られた小さなおひなさま(高知県の品だったように思います)もかわいらしかったですし、上海市から贈られたという翡翠などの玉で作られた伝統楽器とチェロのミニチュアもすてきでした。見事な贈り物に、両陛下への感謝や歓迎の思いが込められているように思えました。私も見に行くことができて良かったです。

ところで、新天皇陛下が御即位なされた昨日には、東京都八王子市の武蔵陵墓地の敷地内で男性の遺体が発見されたという報道もありました。矢の刺さった遺体の近くにはボウガン(クロスボウ)が落ちていたそうで、警察は(他殺ではなく?)自殺として調べているそうなのですが、宮内庁職員がその遺体を発見した場所は、上皇さまと上皇后さまの御陵を造る予定の造成中の場所だということでした。遺体のそばには3通の遺書が残されていたそうです。誰がなぜそのような場所で亡くなっていたのか、報道ではまだ明らかにされていません。

新元号の考案者とされる方が仄めかすこと

新元号が「令和(れいわ)」だと発表されたその日のうちか翌日に、報道番組などでは、「国書」として『万葉集』を出典としたその新元号の考案者は国文学者で万葉集研究者の中西進さんなのではないかという風に伝え始めていました。でも、その頃、取材を受けた中西進さん本人は、新元号の「令和」の考案者なのかという疑惑については、肯定も否定もしていませんでした。

昨日の読売新聞(国会で安倍首相が熟読してほしいと宣伝してもいた全国紙です。原子力事業や軍需産業や日本国憲法の改正を推進しています)は、一面の中央に「令和に十七条憲法の精神」、「和をもって貴しとせよ」というコピーと中西進さんの写真を掲載していたので、一体何なのだろうと気になって少し読んでみたのですが、その中の「特別面」には、鵜飼哲夫さんという編集委員の方による中西さんへのインタビュー記事(中西さんの京都の自宅で1時間半ほど話したそうです)が掲載されていて、中西さんの写真と共に、大きな活字で「令和 新時代の目標」、「麗しき『大和のこころ』」と書かれていました。

インタビューの内容を読むと、中西さん(と読売新聞)が、とにかく「令和」がいかに良い新元号名であるかということを強調したいと思っているかということがよく分かります。

この記事の中で中西さんは、「令(れい)」は響きがいいし、儒教の最高理念である「善」の意味があると絶賛しているのですが、「令」を「命令」の「令」だとして違和感を持つ人たちがいることについて、「では、あなたに聞くけど、『あなたは悪い命令でも聞きますか?』。聞きませんよね。では、どういう命令なら聞くかといったら、それは善い命令です。本来、命令はいいことです。」と述べているのを読んで、違和感というか、少し異様感を持ちました。国文学者の中西さんがまさか今の政府の公文書改竄事件を知らないとは思えませんが、例えば森友学園事件では、近畿財務局の職員の男性が、政権の意向を忖度した上層部からの「命令」に従って公文書を改竄し、それを苦に自ら命を絶ってしまったのです。「命令」という言葉自体には善も悪もないはずですが、世の中には多くの悪い「命令」を出す者と、(何かの事情から)それに従う者が存在します。また、中西さんは、「令嬢」や「令息」を、「善い命令」に従って「善き振る舞いをする人」と考えているようなのですが、貧しき家庭の中にも善良な子供たちはいるはずなのに、実際には「令嬢」や「令息」という言葉は、「社長令嬢」という言葉があるように、“セレブ”の家庭の子女にしか使われていないように思えます。

推古天皇の摂政を務めていた聖徳太子(厩戸皇子)が作った(とされている)「十七条憲法」の第一条を「和を以て貴しとせよ」と中西さんが述べていたことも、少し気になりました。私は「和を以て貴しと為す」と習っていたからです。「和を以て貴しと」の続きを「せよ」とすることで、「善い命令」もあるのだということを中西さんは伝えたかったのかもしれませんが、あるいは中西さんが間違って憶えていたのでしょうか。中西さんと話した読売新聞の鵜飼編集委員も、「和を以て貴しと為す」ではなく「和を以て貴しとせよ」で良いと考えているのでしょうか。

元号は文化だ、と断言する中西さんは、このインタビュー記事の中で、とにかく「令」と「和(大和)」と新元号の「令和」とを「美しい」、「麗しい」と絶賛しています。そして、「令和」を取った『万葉集』の序文の漢文に中国の王羲之や張衡の古典の影響があるということについて聞かれると、中国古典の影響はあるが日本固有の万葉仮名で書かれている、中国人には万葉仮名で書かれた万葉集を書くことはできない、「梅花の歌」の「初春の令月にして 気淑く風和ぎ」の「令月」は中国では2月のことだが日本では旧暦1月のことである、似ているようだが違う、日本の文化の特徴はただまねるのではなく取り込むことだ、という趣旨のことを答えています。

万葉集研究者の中西進さんは、(新元号「令和」に切り替わった頃にはまだ首相であり続けていると思われる)現首相に、「戦争がなかった『平成』」の次の時代は「和をさらに強調」した「麗しき和」を築くことを、「非常に大きなスローガンで、破ってはいけない」国家の文化目標だと認識してほしいと望んでいるようでした。

「『大和の心』は、今の平和憲法にもつながります」とする中西さんが、平和を大切に思っている方だということは少し分かったようにも思うのですが、それでも、昔の万葉の時代の日本の良さそうな面だけを取り上げて、美しい、麗しいと美化してまとめるようなところには、私には少し違和感がありました。

新元号の「令和」の「和」が「調和」の「和」なら、日本以外の世界の各地域の人々の間にもあるものだろうと思います。「和」が「大和(倭、ヤマト)」の「和」なら、古代のヤマト王権に支配された日本各地があることも少し考えてしまいます(このインタビュー記事の「大和」の漢字には振り仮名がなかったように思うのですが、この記事での「大和」の読み方は「ヤマト」で合っているのでしょうか)。

それにしても、この特集記事の中で私が何よりも気になったのは、新元号の「令和」の考案者かどうかの是非の明言をなぜか避けている中西進さんの、「僕の名前に限りもなく近い人間が考えた(笑)」という言葉でした。中西さんによると、「僕の名前に限りもなく近い」考案者の一人は、「安倍さん、あなたも十七条憲法の一部を年号にしなさい」と「ひそかに思っていた」そうです。

「(笑)」は編集者の方がつけたのだろうと思いますが、「僕の名前に限りもなく近い人間が考えた」と言うくらいなら、中西進さんは、考案者(あるいはその一人)は自分だと言えばいいのではないのでしょうか。詩人の方が「言葉が降りて来る」と答えているのを聞いたことがありますが、国学者の中西さんが「元号を創るのは神と天だ」とするのは(何かの宗教の信者の方であるというのなら、それに基づいた発言をなさるのは分からなくもないのですが)、少し奇妙に思えます。

もしも中西さんが実際に新元号の考案者ではなく、考案者なのだろうかという疑惑に基づいた間違った情報が世間に広まるのは困ると思っているのであるなら、メディア(新聞)のインタビューの中で「僕の名前に限りもなく近い人間が考えた」と仄めかすように(笑いながら?)答えるのは不自然です。「天の声を受信して、いろいろ苦心して考えた」のが「僕の名前に限りもなく近い人間」だと言うのは、考えたのは自分であると言っているのと同じようなものです。もしも中西さんが新元号の考案者であり、その事実を黙っておきたいのであるなら、(それこそ美しさの観点から)仄めかすようなことなどしないほうが良いのではないかと思います。新元号の考案者が誰かということは、いつかは公表されるのかもしれませんし、誰であるかをすぐに知りたいほどのものでもないような気もするのですが、「令和」について1時間半記者の方と話したという中西さんは、もしかしたらそもそも話し好きの方なのかもしれません。でも、この新聞の対談形式の記事を読み終えた私には、何かいろいろ、もやもやとした気持ちの残る奇妙な記事だったように思えました。

上野千鶴子さんの東京大学の入学式の祝辞、ノートルダム大聖堂の火災のことなど

先日の4月12日の金曜日に、東京大学の学部入学式が行われたそうです。

その入学式での、ジェンダーの研究者でNPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」の理事長の上野千鶴子さんの祝辞が話題になっているということを、私は、14日のテレビ朝日のスペシャルドラマ「アガサ・クリスティ 予告殺人」と「関ジャム」の間に何気なくチャンネルを変えて見たフジテレビの「Mr.サンデー」という宮根誠司さん司会の情報番組(報道番組?)の特集で知りました。

その特集はもう終わる頃だったため、最後のほうの少ししか聞くことができなかったのですが、その後、東京大学のホームページに掲載されているその上野さんの祝辞の全文を読み、とても良い祝辞だと思いました。

直接祝辞を聞いた東京大学の新入生の方たちも含め、祝辞を知った一般の多くの人たちも賛同しているということでしたが、この情報番組や、翌朝(15日)の情報番組(この祝辞の特集がなされるようだったので、いくつか録画をして見てみました)のコメンテーターの方たちの中には、上野さんの言葉の一部を良いとしながら「ただし、」という風に展開して少しずれた(ケチをつけようとしているような)コメントをしている方たちもいて、それは主に、女性でも、男性の“お兄さん”や“おじさん”でもなく、“おじいさん”でした(例えば、「Mr.サンデー」のジャーナリストの木村太郎さんや「スッキリ」の読売新聞特別編集員の橋本五郎さんや「バイキング」タレントで元宮崎県知事の東国原英夫さんなどです)。

大学の入学式の祝辞として言うには相応しくない言葉だというような意見もあるようなのですが、私には、たくさんの様々な新入生の方たちの集まる入学式の祝辞に相応しい言葉であるように思えました。

差別のない、弱者を切り捨てない、多様性を認める寛容な良い世の中を、驕ることなく作っていってほしい、そのために大学で多くのことをより良く学んでほしいという、これからの日本を担っていく東大生たち(若者たち)への、期待と希望と愛情に溢れた応援の言葉だと思います。

この上野千鶴子さんの祝辞の言葉は、ホームページ上の文章で読むよりも、上野さんが実際に祝辞を述べている映像の音声で聴いたほうが、すっと頭に入ってくるように思えました。比べてはいけないのかもしれませんが、堂々とした上野さんの厳しさのある祝辞を聴いて、私は何となく、昔の日本テレビのドラマ「女王の教室」(遊川和彦さん脚本、天海祐希さん主演)を思い出しました。

祝辞の中の、東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました、というところを聴いて、私は、先日の東京MXの「モーニングCROSS」で弁護士の三輪記子さんが、東大の陸上部?のOBのおじいさんが女子をリストに入れるなと言っているのを聞いて驚いた、と話していたこともそれと同じ流れなのかもしれないと思いました。

私がこの東京大学の祝辞の特集を見ることのできたいくつかの情報番組では、例えば、女子受験生と浪人生への差別も発覚した東京医科大学の不正入試問題の部分や、ノーベル平和賞を受賞した、女性教育の必要性を訴えているマララ・ユスフザイさんの部分などは放送していたのですが、女性学を生み出したフェミニズム運動の部分や、姫野カオルコさんの小説『彼女は頭が悪いから』の部分は放送されていませんでした。

以前、文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」に、『彼女は頭が悪いから』を出版した姫野カオルコさんがゲストに来ていたことがあり、その中で姫野さん(とても穏やかな声で話す方でした)は、東京大学に入った人たちは、さすがは東大生だと言われるような紳士・淑女であってほしいということを話していました。それが印象に残っています。

私には、東大生や京大生などの大学生を(少し風変わりな)「エリート」や「インテリ」とするクイズ番組やバラエティ番組にはまだ少し違和感があるのですが、日本の大学の中では東京大学は今もトップの大学ですし、教科書の内容を全部暗記するくらいの学力がないと試験に合格しないと言われている東京大学や京都大学に入学した方たちは、良い環境に育ったということもあると思いますが、実際に努力家で頭の良い方たちなのだろうと思います。でも、これは東京大学の学生の方たちだけにではなく誰にでも当てはまることなのかもしれませんが、頭が良いということの前に、人間として誠実な人であってほしいと、上野さんの祝辞の言葉を聴いたり読だりして改めて思いました。


ところで、今日は、多くの高校生たちを乗せていた韓国の大型客船「セウォル号」が珍島の沖で沈没した事故から5年の日です。昨夜のTBSの「NEWS23」では、引き揚げられて錆びた船内を亡くなった子供のことを思いながら歩く父親や、当時高校生だった生存者の女性の方に話を聞いた映像を報道していました。その被害者の女性は、友人たちを亡くした5年前の事故のことがまだ昨日のことのように生々しく思えるそうで、傾いたものを見ると吐き気がするほどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっているということでした。よく「時間が解決する」と言いますが、それはどのくらいの時間がかかるのでしょうか。被害者や遺族の方々の心の傷は、簡単には癒えないと思います。

あと、私は今朝の報道で見たのですが、フランスのパリのシテ島にある、世界遺産でもあるあの有名なノートルダム大聖堂の塔が赤く燃えながら崩れ落ちている映像が、ショックでした。改修工事中に大規模な火災が発生したものと考えられているそうです。3年前の地震で崩れた熊本城は熊本県の人たちにとっての心の拠り所でもあるということですが、カトリック教会のノートルダム大聖堂はフランスの人たちにとって心の拠り所のような宗教建築物なのだと思います。私は絵画や写真集や美術番組や旅番組などでしかシテ島のノートルダム大聖堂を見たことがないのですが、まさか焼失するとは思いませんでした。朝、この衝撃的なノートルダム大聖堂の火災の映像を見て、私は、アフガニスタンの世界遺産だったバーミヤンの石窟の巨大な仏像が2001年にイスラム主義の過激派組織のタリバンに爆破された事件のことを思い出しました。実際にはバーミヤンの大仏の破壊というテロ事件とノートルダム大聖堂の火災という事故は別のものです。ノートルダム大聖堂も塔のある建物自体は再建できるのかもしれませんが、破壊によって文化遺産が失われたことの影響は大きいように思いました。

今も米軍基地建設のための辺野古の海への土砂投入工事が強行されているという沖縄県の、昨年の夏の台風によってその一部が崩落したという世界遺産の今帰仁城跡の城壁の修復は、進んでいるのでしょうか。それとも、すでに修復は完了しているのでしょうか。気になっているのですが、その後の報道や情報がないので(直接問い合わせればいいのかもしれませんが)私にはよく分からないままです。

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以下は4月17日の追記です。

報道によると、パリのノートルダム大聖堂の中の文化財の多くは、火災が広がる前に地元の消防の方たちが外へ運び出していたために無事だったそうです。被害の詳細は分からないのですが、ステンドグラスの窓も、お守りの風見鶏も無事だったそうです。消防隊員や警察官の中には怪我をした方もいるそうなのですが、火災事故で亡くなる人が出なかったことは不幸中の幸いであるように思えました。
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