「天皇の料理番」最終回

TBSテレビ60周年特別企画の日曜劇場「天皇の料理番」の最終回(第12話)を見ました。最終回は、30分拡大版で放送されていました。

昭和10年の3月になっていました。宮内省の大膳寮の厨司長の秋山篤蔵(佐藤健さん)は、ベーコン巻きの料理を作る際に使った一本の紐が一枚のお皿の上に乗って戻ってきたのを見ていました。料理人の一人が取り忘れたということだったのですが、そのお皿はお上(昭和天皇)の元に運ばれていたものでした。責任者として陛下に謝りに行った篤蔵さんに、陛下は何かお言葉をかけていました。

別の日、篤蔵さんたちは、満州国の皇帝に出す料理を作っていたのですが、毒味係の人たちが篤蔵さんの出した料理をバラバラにしているのを見て激怒しそうになった篤蔵さんは、亡くなった妻の俊子(黒木華さん)の鈴の鳴る音を聞いて、癇癪を起こしそうなのを抑えていました。

それから昭和17年の5月、軍部が引き起こした戦争が民の生活を圧迫するようになっていました。陛下は、民と同じようにすると、「配給制」を積極的に受け入れていたようで、闇市で食材を調達するということも拒否していたようでした。大膳寮には数匹のメザシだけが届くという日々が続いていて、献立に迷っていた篤蔵さんは、メザシの油煮という料理を陛下にお出ししていました。そのようなある日、大膳頭の黒田長治さんに呼ばれた篤蔵さんは、陸軍の偕行社の料理番を頼まれていました。精養軒に勤めていた友人の山上辰吉(柄本佑さん)とその陸軍の幹部の施設を訪れた篤蔵さんは、そこに豪華で新鮮な野菜やお肉やお米などの食材がたくさん集められているのを目の当たりにして、陛下や戦地の兵士のことを思って激怒し、辰吉さんに戦争が終わるまでの辛抱だとたしなめられていました。

篤蔵さんの家の仏壇には、父親の秋山周蔵(杉本哲太さん)と兄の周太郎(鈴木亮平さん)と俊子さんの遺影が並べられていました。長男の一太郎さんと次男の周二郎さんは出兵していて、戦地からの手紙が仏壇のそばに置かれていました。大膳寮の料理人で篤蔵さんの先輩の黒川さん(林泰文さん)の元には、息子さんの戦死の知らせが届けられていました。

時代は進み、昭和20年の8月15日の終戦を迎えていました。「バンザイ軒」の森田梅(高岡早紀さん)と、友人の松井新太郎(桐谷健太さん)、師匠の宇佐美鎌市(小林薫さん)は無事でした。敗戦を実感した篤蔵さんは、大膳頭の黒田さんから、アメリカのGHQが戦争責任を問うて陛下を裁判にかけるかもしれないと聞かされて驚き、陛下を守りたいと考えていたのですが、黒田さんは宮内省には何もできないと答えていました。

「バンザイ軒」で篤蔵さんの話を聞いていた宇佐美さんから、宮内省の役人でもある陛下の御料理番として何とかできないのかと言われた篤蔵さんは、その時には役人といっても木っ端役人だから無理だという風に答えていました。しかし、そのことを考えながら帰宅すると、ポストに亡くなったはずの父親からの手紙が届いていました。

その手紙を送ったのは、福井の武生に暮らす篤蔵さんの母親のふき(美保純さん)でした。ふきさんは、生前の周蔵さんが送らずにしまっていた篤蔵さんへの手紙を見つけて、篤蔵さんに送ることにしたということでした。そこには、兄の周太郎さんが篤蔵さんの献立を聞きながら息を引き取ったということ、篤蔵さんが陛下の御料理番でいることは父の夢であるということが書かれていました。家族みんなが篤蔵さんの夢を応援していました。

篤蔵さんは、皇居の上空を飛ぶGHQの飛行機に向かって屋上から白旗を振ってみせていました。それを知って止めに来た黒田さんには怒られていたのですが、篤蔵さんは、陛下の運命が今はGHQに握られているということを思って、その人たちを「国賓」として迎えてもてなしてはどうかと考えたようでした。

その考えを、大膳頭の黒田さんも料理人の黒川さんも良く思っていなかったのですが、GHQのアメリカ人が注文したサンドウィッチのお弁当箱の下に、何でもお申し付けくださいという趣旨のカードを仕込んでおいた篤蔵さんは、アメリカ人から依頼された日本人形探しや靴磨きなどの雑用にも明るく応じていたのですが、若いアメリカ兵の家に辰吉さんと二人で料理を作りに行った時、天皇陛下を敬う日本人の気持ちを愚かだという風に言われて、イエス・キリストももともと人間だったのが神様になったと聞いていますと言い返し、そのアメリカ兵を激怒させてしまいました。

篤蔵さんは、陛下に対する戦争責任論に篤蔵さんが巻き込まれることを心配する梅さんや新太郎さんに、陛下は生真面目で優しい人なんですと話していました。その頃、大膳寮では、黒川さんが退職願を篤蔵さんに渡していました。戦争で息子を失った黒川さんは、アメリカ人を国賓のようにもてなすという篤蔵さんの方針に反対していました。黒川さんは、いずれ子供が戻ってくる秋山厨師長には自分の気持ちなど分からないのだと怒っていたのですが、夢を叶えてもらった人にはその人たちのためにも夢を叶え続ける責任があると話す篤蔵さんが、恐れ多いことではあるがわが子のように思えるのだと、長い間毎日食事を作ってきた陛下のことを話すのを聞いて、退職しようとしていた気持ちを入れ替えていました。黒田大膳頭にも、他の料理人たちにも、篤蔵さんの気持ちが通じたようでした。

GHQのアメリカ人家族の要望で宮内省の庭でピクニックのような食事会をすることになり、その準備を始めた篤蔵さんは、辰吉さんや新太郎さんや宇佐美さんにも、人手が足りないからと声をかけていました。黒田さんは、陛下を日本の文化だという風に伝えることはできないかと考えていて、篤蔵さんは、昔の大膳寮では行われていたという「儀式」を復活させることを提案していました。

当日、黒川さんは、庭に集まったアメリカ人家族たちの前で、鴨をさばく儀式を行っていました。料理の配膳をしていた篤蔵さんは、途中で俊子さんの鈴を落としてしまったことに気付き、庭を探し回っていました。日本兵に殺されかける夢にうなされていた若いアメリカ兵は、池の前で鈴を探していた篤蔵さんを池に突き落とし嘲笑していました。

突き落とされた拍子に鈴を池の中に落としてしまった篤蔵さんは、天皇陛下のことを悪く言うそのアメリカ兵に、それまで抑えていた怒りの気持ちをぶつけようとしていたのですが、その時、鈴の音が鳴り、池の中の岩のそばに俊子さんの鈴を見つけていました。癇癪を抑えた篤蔵さんは、鴨の物まねをしてその場の空気を変えていました。新太郎さんと辰吉さんも篤蔵さんの努力に合わせて池に飛び込んで、鴨の物まねをして見せていました。

その様子を見ていたGHQの幹部の人に、あなたにとって天皇陛下とはどのような存在なのかということを訊かれていた宇佐美さんは、自分は市井の料理人だと断りながら、味噌のようなものだと答えていました。生まれた時からそこにあって親しんできたもので、なくなると寂しいものだという意味でした。それがなくなると暴動が起き、民の統治は難しくなるかもしれないとも話していました。

昭和21年の4月、GHQは天皇陛下の戦争責任を問わないことを決めていました。篤蔵さんの二人の息子さんも帰還し、篤蔵さんは、新太郎さんや辰吉さんと喜びを分かち合っていました。

それから、さらに時は流れ、昭和47年の10月18日になりました。高齢になっていた篤蔵さんの部屋には、『味』という著作や賞状や勲章が並んでいました。そして、陛下と面会をするために皇居を訪れていました。職場だった大膳寮を通りながら、当時のことをいろいろ思い出していた篤蔵さんは、陛下のお料理の紐を取り忘れて謝りに行った際の陛下の言葉を思い出していたのですが、その時、紐を取り忘れたお皿が陛下のものだけであることを篤蔵さんから聞いて知った陛下は、それなら良かった、と篤蔵さんに伝えていたようでした。

そして、天皇陛下は、長年御料理番を勤めてきた篤蔵さんに労いのお言葉をかけていました。16歳の時からの58年の料理人人生を終えた篤蔵さんは、陛下との面会を終えた後、俊子さんの鈴を見つめていました。

脚本は森下佳子さん、演出は平川雄一朗さんでした。

また長く書いてしまったのですが、最終回の第12話も、とても良かったです。面白かったです。最後は、俊子さんの鈴で、「完」になっていました。

料理への真心は愛情なのだということが、よく伝わるドラマだったように思います。特に最終回は、「天皇の料理番」らしく、佐藤健さんの演じる篤蔵さんの夢を今まで支えてくれた人たちへの愛情と共に、天皇陛下への愛情がとても丁寧に描かれていたように思えて、良かったです。

昭和21年の春から一気に時代が進んで昭和47年の秋になっていたのが、このドラマを好きで見ていた私としては、もう昭和47年なのかと、少しもったいないような気もしてしまったのですが、でも、その間は、今日も明日も明後日も陛下の御料理番なのだと喜んでいた篤蔵さんの夢が無事に叶い続けていた幸せな日々だったのだろうと思いました。

昭和天皇の姿や篤蔵さんの晩年の姿がはっきりと映されていなかったところも、良かったと思います。

「TBSテレビ60周年特別企画」のドラマということでしたが、今年の「戦後70年」にも相応しいドラマになっていたのではないかなと思いました。私はドラマの原作となった杉森久英さんの小説『天皇の料理番』を未読ということもあって、そのモデルとなった実際の天皇の料理番の秋山徳蔵さんのことも知らなかったですし、今まで何度か映像化されてきたという過去のドラマも見たことがないのですが、今回のこの「天皇の料理番」のドラマを私も最後まで無事に見ることができて、本当に良かったです。

明治、大正、昭和と、篤蔵さんたちが生きてきたその時代の空気感がちゃんと描かれているように思えたところも良かったのだと思います。以前の「日曜劇場」の「JIN-仁-」もとても良かったのですが、今回の「天皇の料理番」も、誠実な感じのする、とても良いドラマでした。もう少し長い作品になっていても良かったのではないかと思えるほどでした。最後まで、楽しかったです。

「天皇の料理番」第11話

TBSテレビ60周年特別企画の日曜劇場「天皇の料理番」の第11話を見ました。

大正12年(1923年)の9月末、関東大震災の被災を乗り越えるため、宮内省の大膳寮の厨司長の秋山篤蔵(佐藤健さん)と俊子(黒木華さん)の家族は、亡き兄の周太郎(鈴木亮平さん)の恩師の桐塚教授(武田鉄矢さん)の家に学生たちに混ざって下宿をしながら生活をしていました。俊子さんは、時々の胸の痛みを堪えながら、家事やお産婆さんの仕事に忙しくしていました。

大正13年の1月26日、篤蔵さんたち大膳寮の料理人たちは皇太子の御婚礼の料理を作っていました。そして、時は流れ、昭和2年の年明けの頃になり、篤蔵さんは、体調を崩していた大正天皇の崩御に落ち込んでいました。大膳寮では、最年長の宮前達之助(木場勝己さん)が、3月に引退するということを篤蔵さんに話していました。宮前さんは、新しいお上のために新しい大膳を作ってくださいと篤蔵さんを励ましていました。

そのようなある日、再建された秋山家の居間で俊子さんは胸の痛みに倒れ、往診に来た医者は心不全だと診断していました。絶対安静にしなければいけないと言われた篤蔵さんは、起きてきた俊子さんに休むように言って、台所に立って朝食の準備をしていました。俊子さんは、篤蔵さんが料理を作るのを楽しそうに見ていて、篤蔵さんが作ったきれいな形のオムライスや焼き魚を子供たちと一緒に幸せそうに食べていました。

俊子さんが倒れたことで落ち着きがなくなり大膳で仕事中にも苛立っていた篤蔵さんは、厨司長の心の乱れはお上の食事の乱れにもつながると宮前さんに言われていました。妻の体調が良くないということを篤蔵さんから聞いた宮前さんは、厨司長は献立を考えてくださいと言って、篤蔵さんの仕事を代わっていました。

俊子さんが倒れる前、パリで画家になる夢を追っているはずの松井新太郎(桐谷健太さん)が、皇居の敷地内に侵入した不審者として捕まっていました。篤蔵さんは新太郎さんを引き取り、桐塚教授の家に連れ帰っていました。妻の俊子さんに挨拶をした新太郎さんは、それから、「バンザイ軒」の森田梅(高岡早紀さん)の亡くなった夫の仙之介(佐藤蛾次郎さん)の肖像画を描いてほしいと頼まれていました。遺影は震災で失われていたようでした。

後日、「バンザイ軒」の壁には、新太郎さんが描いたらしいご主人の肖像画が飾られていました。新太郎さんは、その2階で下宿暮らしをしているようでした。俊子さんが倒れたことを受けて、俊子さんの負担を減らすために子供のお世話を誰かに頼もうとしていた篤蔵さんは、暇そうな新太郎さんを選んで自宅に連れて行き、面白いおじさんが来たと子供たちに差し出していました。

夕方、篤蔵さんが帰宅すると、新太郎さんは末の子供と絵を描いていて、長男と長女のいた台所では師匠の宇佐美鎌市(小林薫さん)が料理を作っていました。俊子さんは、せっかくの宇佐美さんの料理のためにと、何か良い食器の入った箱を下ろそうと起きて、再び倒れてしまいました。

今度こそ絶対安静にしていなければならなくなった俊子さんは、篤蔵さんと「食養生」を始めることになりました。篤蔵さんは、俊子さんの健康に良いものを調べて、フランス料理のようなきれいな盛り付けの料理を作って俊子さんに出していました。

節分の頃、端午の節句の頃と時間は過ぎていき、その間も新太郎さんは、俊子さんが養生を続ける秋山家の子供たちの面倒を見ていたようでした。窓の外に咲いているあじさいの葉の上を歩いていたカタツムリを見ていた俊子さんのために、篤蔵さんが行き過ぎて見えなくなっていたカタツムリを戻していた場面も、面白かったです。

ひまわりの花が咲いた頃、次第に食が細くなっていた病床の俊子さんは、将来の夢の作文に迷っていた長男の一太郎さんに、父親の篤蔵さんも若い頃はいろいろ試し、ようやく料理が自分のしたいことだと気付いたのだということを話し、何事もやってみなければ分からないと伝えていました。人の役に立つ存在にならなくてはいけないということの意味が分からないと言うプライドの高い裁縫嫌いの長女には、人の役に立つって良いものよ、知らないのは損よ、と優しく話していました。

そうして秋が過ぎ、12月31日の大晦日を迎えていました。大膳の仕事を黒川さん(林泰文さん)に任せて帰宅した篤蔵さんは、息苦しそうにしていた俊子さんを助けたのですが、俊子さんが苦しんでいた理由は、痰を吐き出すことができないというものでした。それほどまでに俊子さんは弱っていたのでした。

廊下で泣き崩れていた篤蔵さんは、家族と新太郎さんのために年越しそばを作り、鐘の音を聞いていました。おそばを食べて新年を迎えた子供たちは、一年を乗り越えた母親に挨拶をしていました。篤蔵さんと俊子さんも、今年もよろしくと、新年の挨拶をしていました。

篤蔵さんが俊子さんのために用意していた特別なおそばは、小さな葉の形をしたカラフルなお麩の入ったお吸い物のようだったのですが、それはそば粉にほうれん草やにんじんを入れて練ったものだということでした。

俊子さんは、お財布につけていた篤蔵さんにもらったお守りの鈴を篤蔵さんに渡し、篤蔵さんが癇癪を起こしやすいのが気がかりだと話して、癇癪を起こしそうになった時に鈴が鳴ったらこのことを思い出してほしいと伝えていました。それから、俊子さんは、以前手紙に書かれていた「ジュテーム」とは何のことかと訊いていました。篤蔵さんは、それは食うということだ、明日も明後日もあたなたより長生きしますということだと答えて、何か幸せそうに納得していた俊子さんの口に特製のおそばを運んでいました。

朝、俊子さんは眠りについていました。昭和3年の年明けに、俊子さんは亡くなってしまったようでした。数日間部屋に引きこもっていたらしい篤蔵さんに、新太郎さんは絵を持って来ていたのですが、それは家族5人が食卓を囲んでいる風景を描いたものでした。

青山御所では、女官の人(伊藤かずえさん)が、大宮様からだと伝えて、小さな陶器の人形の入った桐の箱を、俊子さんを亡くしたばかりの篤蔵さんに渡していました。篤蔵さんは、亡くなったのは妻ですと、その人形が贈られたことを少し不思議そうにしていたのですが、自宅に帰り、宇佐美さんに料理を習う長男や、穴の開いた父親の靴下を縫う長女や、母親の真似をする次男の姿にはっとしていました。宇佐美さんは、俊子さんの真心が子供たちの中に生きているということを篤蔵さんに話していました。そして、後日、女官さんに会った篤蔵さんは、大宮様からの贈り物について、残された子供を大切にしなさいということですよねと言って大宮様へのお礼を伝え、女官さんは、大宮様のお気持ちについて、量りかねますと答えていました。

そうして、俊子さんの鈴を上着のポケットに入れて大膳寮に出勤していた篤蔵さんは、料理人たちと共に天皇陛下(昭和天皇)の即位の礼の準備を始めていました。

脚本は森下佳子さん、演出は平川雄一朗さんでした。

第11話も、面白かったです。とても良かったです。売れない画家?の新太郎さんが日本に戻って来たり、宇佐美さんが訪ねてきたりしたことで、秋山家の家族5人の物語にもメリハリが出ていたように思います。新太郎さんの「面白いおじさん」な感じが楽しかったです。

今回は、ドラマの初めのほうの俊子さんのナレーションから、俊子さんの死期が近いことが伝えられていたのですが、周太郎さんの時と同じように、俊子さんが亡くなった悲しさよりも、俊子さんへの篤蔵さんの愛情や、篤蔵さんへの俊子さんの愛情が深くて、家族が一緒にいる時間が幸せそうだったことが印象的でした。

「ジュテーム」の言葉の意味を俊子さんに訊かれた篤蔵さんが、「愛しています」だという風に答えなかったところも良かったですし、「大宮様」と呼ばれていた皇太后(和久井映見さん)の思いを具体的に描かずに暗示的に表現していたところも、良かったです。

登場人物の愛情深い感じがとても丁寧に描かれているのですが、それなのにしつこくならない感じのするところも、すごいなと思います。

次回は、ついに最終回です。15話くらいあってもいいのではないかと思えるほどなのですが、全12話の物語のようです。予告によると、30分拡大版で放送されるそうです。俊子さんのいない激動の昭和時代を、篤蔵さんがどのように生き抜く最終回になるのか、次週の放送も楽しみにしたいと思います。

「ランチのアッコちゃん」最終回

NHKのBSプレミアムの「プレミアムよるドラマ」の「ランチのアッコちゃん」の最終回(第8回)を見ました。

高潮物産の宣伝部の契約社員としてシャンパン「ジョエル」の宣伝プランを考えなければいけなくなった澤田三智子(蓮佛美沙子さん)を助けるため、5日間限定の会議前の午後3時の出張ティーサービスを始めた元上司の黒川敦子(戸田菜穂さん)は、水曜日、ラズベリーのジャムを挟んだビクトリアケーキを会議室に用意していました。

宣伝部の社員の独身の二階堂さん(西尾まりさん)や木村さん(吉田ウーロン太さん)や青島さん(高橋努さん)、夫と子供のいる庄野さん(八木のぞみさん)は、そのケーキを食べながら、クリスマスの日と一人で過ごすことについて話していて、4人の話を聞いていた三智子さんは、「お一人様」のクリスマスを推奨しませんかと提案していました。みんなもその提案に賛同し、さらに、居酒屋さんに焼き鳥とセットで置いてもらおうとか、いろいろなアイデアを楽しそうに次々と出し合っていたので、三智子さんは、会議は楽しいものなのかもしれない、と思い始めていました。

会議の後、片付けを終えたアッコさんは、山川部長の顔を潰さずに会議の流れも守り、あなたのプランも言えるようにしておかなければいけない、議事録を見返せば分かるはずだと、三智子さんに伝えていました。

山川部長とアッコさんの関係が気になった三智子さんは、第2営業部の主任の清水公子(堀内敬子さん)に相談し、清水主任は、山川部長について、人当たりが良さそうだけれど強情で、いくつものプランを潰して社内で煙たがられ、エリートコースを外れて少人数の宣伝部に移動になった人だということを話していました。

そして、清水主任は、詳しく知りたければここへ行くようにと「純喫茶『ソレイユ』」の名刺を三智子さんに手渡していました。その喫茶店を訪ねた三智子さんは、ぶたまろ君の人形を置いているカウンターにいたマスターがケータリングのおじさん(田山涼成さん)であることに驚き、おじさんが前社長の井川さんであることを知ってさらに驚いていました。

井川さんは、アッコさんと山川部長のことを、周囲が羨むほどの名コンビだったと答えていました。井川さんの話によると、アッコさんの7期先輩だった山川部長は新任のアッコさんに仕事を教え、それから二人の出した企画は次々と大成功し、売場に人の山ができることから「黒山コンビ」と呼ばれるほどだったが、ある日、アッコさんは海外に料理の修行に行くから会社を辞めると言い出して山川さんとケンカになっていたということでした。

木曜日、アッコさんは焼きたてのスコーンを会議室に用意していました。三智子さんは、全国展開しているレンタルビデオ店でシャンパンの試飲をしてもらおうと提案し、他の社員たちも、シャンパンが登場する映画の棚を作ってもらおうとかいろいろ提案していて、スコーンのある会議室はしばらく盛り上がっていたのですが、会社に戻ってきた山川部長が席に着くと、社員たちは急に黙ってうつむいてしまったので、三智子さんが話を切り出すことにしていました。

DVDレンタル店に置いてもらい、お客さんにおつまみといっしょに買ってもらってはどうかという提案は、山川部長には、意表を突き過ぎているとか、うちのシャンパンにはふさわしくないなどと言われてすぐに否定されてしまったのですが、すると、そばで訊いていたアッコさんが、スコーンに付けて食べてみてほしいと、柚胡椒をみんなに配り始めました。

スコーンはシンプルで伝統的なお菓子だけれど、これでいいと思ってしまえばもう成長は出来ませんと、アッコさんは柚胡椒のスコーンを山川部長にも勧めていました。18年前、発注ミスをして返品された商品の山の前で途方に暮れていたアッコさんは、先輩の山川さんに、その前向きさを誉められ、これでいいと思ってしまえば成長は出来ないと言われて、返品された商品を売る方法を一緒に考えてもらったことがあったようでした。

会議の後、山川部長に勝たなくてはと言う三智子さんに、アッコさんは、会議は議論であってケンカではないと諭し、クリスマスは恋人同士で華やかに過ごすものだと本気で思っている山川部長を否定しても始まらない、どうすれば話を聞いてもらえるか考えなさいと伝えていました。

それから、山川部長とケンカをしてまで食べ物にこだわるのはどうしてなのかと三智子さんに訊かれたアッコさんは、15年前、山川部長とコンビで仕事をしていた頃、病気だった母親が亡くなったのだという話をしていました。食べ物に無頓着だったアッコさんの母親は、それが原因で体を壊していたようでした。

食べることは生きることだと思った、と言うアッコさんは、最初に三智子さんの茶色のお弁当を見た時に母親のことを思い出し、自分の食べたいものを分かっていない三智子さんのことを放っておけなくなったのだと話していました。

それを聞いた三智子さんは、アッコさんのランチを食べるようになって、アッコさんの言葉が少しずつ体に入り、前に進んでいる気がするとアッコさんに感謝していました。アッコさんは、あなたの体はあなたの食べたもので出来ている、生き方を変えたいなら、まずは食べ物を変えなさい、と改めて伝えていました。

その夜、古書店「ハティフナット」に来ていた三智子さんは、笹山隆一郎(成田凌さん)に、クリスマスをどう過ごしたいか訊いていました。笹山さんは、イベントで外に出かけるのが嫌いだ、自分の幸せを見せびらかしているような気がする、と答えていました。宝物は人に見せびらかさないほうがいいでしょ?と、本棚の整理をしながら、笹山さんは三智子さんを気にしていました。宝物と言われた三智子さんは、幸せそうに、人に見せびらかさない幸せということを考えていました。

そうして最終日の金曜日、アッコさんは、クリスマスプディングとシャンパンのジョエルを会議室に用意していました。幸運の指貫入りのケーキということで、みんなはケーキの中に指貫を探していました。

三智子さんは、黙るみんなに代わって山川部長に話を切り出し、日本ではクリスマスを華やかに過ごすというのが80年代からの定番になっているが、それは新しいクリスマスの概念を誰も提案してこなかったからではないか、無理して幸せぶらない、あくせくしない、喜びを自分だけの宝物として大切にする「人に見せびらかさない幸せ」というライフスタイルの提案をしてみてはどうか、と山川部長に伝えていました。そして、この企画を成功させるためには、時代をリードしてきた山川部長の力が必要だ、山川部長の力があれば新しいクリスマスのスタイルを打ち出すことができるはずだと訴えていました。

山川部長は、コンセプトは悪くないと三智子さんの考えを認め、二階堂さんや青島さんや木村さんや庄野さんの居酒屋や映画の棚のアイデアも認めていました。幸運の指貫は、少し気を良くしていた山川部長のケーキに入っていたようでした。山川部長は、ごちそうさま、とアッコさんに言って、企画会議を始めていました。

会議が終わると、アッコさんの姿はなくなっていました。アッコさんが帰ってしまったことに気付いた三智子さんは、急いで電話をかけていました。「東京ポトフ」のワゴン車を道路の脇に停めて電話に出たアッコさんは、さよならじゃないですよねと念を押す三智子さんに、さよなら、と告げて電話を切っていたのですが、その時ふとお弁当が置かれていることに気付いていました。三智子さんが用意していたお弁当で、銀色のアルミの蓋を開けると、カラフルになっていたお弁当のご飯の上に「またね」と海苔で書かれていました。

脚本は泉澤陽子さん、演出は青島太郎さんでした。

私はこのドラマの原作の、柚木麻子さんの小説『ランチのアッコちゃん』と『3時のアッコちゃん』を未読なので、小説の雰囲気とどのくらい合っているかということなどは全く分からないのですが、それでも、戸田菜穂さんのアッコさんと、蓮佛美沙子さんの三智子さんの感じは、とても良かったように思います。

アッコさんが移動ポトフ屋さんを続けている限りは、三智子さんがアッコさんと二度と会えないということはないような気もするのですが、「アッコさんがいなくなっても彼女のくれたものはなくならない、これからもずっと私の宝物だ」という最後の三智子さんの言葉が、三智子さんに「生き方」を教えたアッコさんをさらに「救世主」のような存在にしていたような気がします。

生き方を変えたいのならまずは食べるものを変えなさい、というアッコさんの考え方を聞いていて、意外と難しいような気もしたのですが、簡単に少しずつ、自由に挑戦することができることでもあるような気がしました。

今の自分は自分が食べたものでできている、という考え方は、私は数年前に何かのCMで聞いて(もしかしたらそれは「自分の選んだものでできている」という言い方だったのかもしれないのですが)、確かにそうだなと、はっとしました。今回のドラマを見てからもそうなのかもしれないのですが、自分が食べるものに関して、それまでよりももう少し気になるようになりました。

三智子さんがアッコさんに出会ってランチを交換するようになってから、地味だった三智子さんの世界が少しずつ広がっていき、食べることにも仕事にも恋愛にも、いろいろ積極的に生きていくことができるように変わっていく様子が、穏やかな雰囲気で描かれていたドラマだったように思います。音楽も良かったと思いますし、企画会議の場面が中心の最終回は私には少し長く思えてしまうところもあったのですが、最後まで楽しい気持ちで見ることができて、良かったです。

「天皇の料理番」第10話

TBSテレビ60周年特別企画の日曜劇場「天皇の料理番」の第10話を見ました。

大正5年(1916年)の1月、宮内省の大膳寮の厨司長となった秋山篤蔵(佐藤健さん)と俊子(黒木華さん)は再婚をしたようで、俊子さんの両親と共に福井の武生の秋山家でお正月を過ごしていました。俊子さんのお腹に子供がいることが分かると、篤蔵さんは兄の周太郎(鈴木亮平さん)の仏壇に手を合わせて子供が無事に生まれてくることを祈っていました。

大膳寮では、廊下が長過ぎて出来立てのシチューが冷めるということを宮前さん(木場勝己さん)と話していた篤蔵さんは、女官(伊藤かずえさん)と共に厨房に現れた節子皇后(和久井映見さん)と対面していました。篤蔵さんは節子皇后のことを宮様と呼んでいました。

それから時代は一気に進み、大正12年(1923年)の8月になっていました。篤蔵さんの家には3人の子供がいて、俊子さんは生まれたばかりの子供を背負いながら日々の家事をこなしていました。遊びに来ていた「バンザイ軒」の森田梅(高岡早紀さん)は、秋山家の2番目の女の子に上野動物園のチケットをプレゼントしていました。

「精養軒」の山上辰吉(柄本佑さん)と二人で食べた屋台の海老のてんぷらの味に感動し、天皇陛下にもてんぷらを召し上がっていただきたいと考えていた篤蔵さんは、療養中の天皇陛下(大正天皇)を心配して日光の御用邸へ向かい、節子皇后に相談していました。土曜日に料理を作る許可を得たのですが、その日は上野動物園に行くと子供に約束をした日でもあったので、篤蔵さんはどのように子供に話すべきか迷っていました。

篤蔵さんと俊子さんは、子供たちには、料理人だということは話していたのですが、「天皇の料理番」であるということは秘密にしていました。しかも、料理人というのは、当時は「ろくでなし」の人がなる仕事というイメージがあったらしく、そのことで友達にからかわれたという小学生の長男の一太郎さんは、父親の仕事について作文に「料理人」と書けずに悩んでいたのでした。

俊子さんは、料理人の仕事に好感を持っていない一太郎さんが、父親の稼いだお金で用意されたご飯を食べなくなった市太郎さんを心配して、魚のうろこを取るという料理のお手伝いをさせてお小遣いを渡して、一太郎さんが「バンザイ軒」でご飯を食べることができるようにしていました。「バンザイ軒」で食事をしていた一太郎さんは、厨房の料理人の腕に傷があるのを見て、ため息をついていました。

夜、帰宅した篤蔵さんは、俊子さんは熱を出して寝込んでいることを知って心配していたのですが、布団から起き上がった俊子さんは、厨司長である篤蔵に病気がうつることを心配していました。熱を出した母親を残して、荷物を持って再び家を出て行く父親の姿を見た一太郎さんは、料理人のくせに、と父親のことを罵り、それに怒った篤蔵さんは、一太郎さんを叩こうとしたのですが、代わりに止めに入った俊子さんを叩いてしまいました。俊子さんは、一太郎さんを説得できていない自分の責任だと伝えて、怒りの収まらない篤蔵さんをそのまま仕事に送り出していました。

そして、9月1日、九條公爵邸の台所で辰吉さんと料理を作り終えた篤蔵さんは、関東地方を襲った大地震に巻き込まれていました。篤蔵さんが外に出ると、公爵邸の屋根瓦は剥がれ落ち、公爵邸のあった高台から見下ろすことのできた街には火災が発生していました。

慌てて走り出した篤蔵さんは、まず大膳寮へ向かい、宮前さんたちに会って、お上の無事を確認していました。それから、宮前さんに言われて、自宅にいる俊子さんと子供たちの無事を確認をしに行こうと皇居の門を出ようとしたのですが、広場にたくさんの人たちが避難して来ているのを見て立ち止まっていました。これからはお国のために働くのだという兄の言葉を思い出し、篤蔵さんよりも長生きしますと言ってくれた俊子さんの言葉を祈るような気持ちで信じることにした篤蔵さんは、急いで大膳寮に引き返し、被災した人たちのために、みんなで炊き出しの準備を始めることにしていました。

皇居の平川門が開かれ、敷地内に受け入れられた被災者たちは、篤蔵さんたちからおにぎりやすいとんを受け取っていました。配っている最中、鈴の音を聞いた篤蔵さんは、俊子さんが来ているのかとその姿を探していたのですが、バケツの転がる音のするほうを見た篤蔵さんは、その子供が一太郎さんであることに気付いて駆け寄っていました。

父親の姿を見てほっとしたらしい一太郎さんは泣き出し、お母さんに頼まれてお湯をもらいに来たのだということを話していました。俊子さんは、お産婆さんとして、救護所で子供が生まれそうな女性を診ていました。お湯を持ってきた一太郎さんが、どうしてお父さんの仕事のことを教えてくれなかったのかと母親に訊くと、俊子さんは、お父さんは一太郎さんがもしも「御用達の札」をもらってきてほしいと学校で頼まれたら困るだろうということを心配していたのだということや、真心を込めて料理を作る料理人が偉いのであって一太郎さんに「天皇の料理番」だから偉いのだという風には思ってほしくなかったのだということを話して答えていました。

翌朝、割れたお茶碗を持って炊き出しに並んだ家族は、篤蔵さんの手からすいとんを受け取って、ありがとうと嬉しそうにしていました。篤蔵さんは、子供たちを守って生きていてくれた俊子さんに、ありがとうと伝えていました。

一太郎さんは、学校の作文に、誇りを持って堂々と、お父さんは料理人だと書くことができていました。そして、料理人の仕事は少しも恥ずかしい仕事ではなく、お父さんの手から受け取った料理を食べた人たちはみんな幸せそうな顔をしていたという趣旨のことを書いていました。

脚本は森下佳子さん、演出は山室大輔さんでした。

節子皇后(貞明皇后)が登場したのには少し驚いたのですが、「皇居編」の第10話も、面白かったです。

篤蔵さんと俊子さんは関東大震災に遭っていたのですが、家族の心配をしながらも、「天皇の料理番」としての務めを全うする篤蔵さんの使命感と、篤蔵さんの仕事や生き方を尊重して謙虚に家庭を守る俊子さんの意志の強さがバランス良く描かれていて、良かったです。

料理人は「ろくでなし」がする仕事だと友達に言われて落ち込み、家庭よりも仕事を優先する父親に反発していた長男の一太郎さんが、料理人としての父親の姿を理解して、父親を尊敬し始めるところも良かったです。一太郎さんは、母親の俊子さんにも言われたように、お父さんには家族の他にも大切にしたい人がたくさんいるのだと、「天皇の料理番」である父親の篤蔵さんのことを納得していました。

日常でももっとそのようなところを出したらいいのに、と一太郎さんは思っていたようなのですが、当時の料理人たちには、何か常に怖い顔をしている人が多かったということなのでしょうか。(例えば、小林薫さんが演じていたドラマ「深夜食堂」の「めしや」のマスターのようなイメージだったのでしょうか。)

宮前さんは、子供たちには宮内省の役人だと話していると篤蔵さんに話していたのですが、「華族会館」の宇佐美さんや、「英国公使館」の五百木さんも、「料理人」ということでは、当時の世間の人たちからはあまり良く思われていなかったということなのでしょうか。私にはよく分からないことなので、どうだったのかなと、少し気になりました。

一太郎さんが作文を読んでいた授業参観には、俊子さんは梅さんと一緒に来ていたのですが、最後、学校を出た俊子さんは急に胸の辺りを押さえて苦しみ出していました。

どのような展開になるのかは分からないのですが、次回の物語(第11話になるのですが、このくらいの時間帯の最近の連続ドラマには珍しく、次回はまだ最終回ではありませんでした)も、楽しみにしたいと思います。

「明日もきっと、おいしいご飯~銀のスプーン~」第4週

フジテレビのお昼のドラマ「明日もきっと、おいしいご飯~銀のスプーン~」の第4週、第16話から第20話を見ました。

大学1年生の早川律(高杉真宙さん)は、6歳の弟の雨宮路加(山口祐輝さん)を実の母親の雨宮真也(河井青葉さん)からしばらく預かることになりました。

母親の恭子(富田靖子さん)は、週に一度は路加君に会いに来てほしいと真也さんに話して連絡先を書いたメモを手渡していたのですが、真也さんは、そのメモを握り潰したり開いたりしながら、日曜日に早川家にお昼ご飯を食べに行くべきかどうか迷っていました。

中学生の弟の調(前田旺志郎さん)と妹の奏(田附未衣愛さん)は、真也さんが日曜日に来るかもしれないうっかり路加に話してしまい、喜んだ路加は、奏に教わりながらお守りの「ミサンガ」を母親へのプレゼントのために編んでいました。

第4週の物語も良かったと思うのですが、第3週までとは異なり、脚本は西井史子さんで、演出は島崎俊樹さんでした。そのためかどうか分からないのですが、これまでとは少し雰囲気が違うような感じがしました。

本当の親子でも気持ちがすれ違うことがあるというようなテーマで描かれていて、早川家と雨宮家の問題も描かれていたのですが、今週は主に、律の従姉で怪我のためにバレリーナになることを諦めて帰国していた鈴井環(岩田さゆりさん)と母親のみつ子(芳本美代子さん)がお互いに気を使い過ぎてすれ違ってしまう様子が描かれていたように思います。

怪我をしてバレエの道を諦めた環さんは、娘にはバレエを頑張ってほしいという母親の夢を裏切ってしまったのではないかと思って傷ついていたようでした。

母親のみつ子さんは、バレエを諦めた娘はバレエを忘れたいと思っているのに、母親の自分のせいでバレエから離れることができずに苦しんでいるのではないかという風に思ったようで、ある日、環さんの部屋のベッドの下に、投げ入れられたようにあったトゥシューズを見つけると、それをきっかけに、リビングに飾っていたバレエの賞状やトロフィーや記念の写真などを一気に段ボール箱に片付け始め、捨ててしまったのでした。

帰宅してそのことに気付いた環さんは、大切な思い出が捨てられたことにショックを受け、ママは私の気持ちが分かっていないと怒って家出をしていました。

缶詰工場の事務員のアルバイトを辞めた環さんが家出をして新しく勤め始めた先は、真也さんが「雇われママ」として勤めているクラブでした。

環さんの父親の圭介(小林博さん)は、環さんが出て行ったことを妻からのメールで知って帰宅していたのですが、リビングから突如消えた娘の思い出の品については、なぜか一言も触れていませんでした。

その後、律に居場所を教えられて、心配してそのお店に向かった圭介さんは、酔いつぶれてお店で眠り込む娘のことを、よろしくお願いしますとママの真也さんに頼んでいました。

頼まれた真也さんは、親切にも、酔った環さんを自分の部屋に連れて帰っていたのですが、環さんがママと寝言を言うのを聞いて、翌朝、環さんに、居場所がある今のうちにそこに戻るよう伝えて帰していました。

母親と仲直りをするために、律と父親と自宅に戻った環さんは、母親も自分に会いたくないのではないかと寂しそうにしていたのですが、しばらくして段ボール箱を抱えて帰宅したみつ子さんから捨てられたはずのシューズを手渡されて驚いていました。

みつ子さんは、一人でごみの集積所へ行き、自分が捨てた環さんの思い出の品を探しに行っていたようでした。律は知らなかったのですが、環さんの父親の圭介さんと恭子さんは知っていたようでした。環さんは、ママのことが大好きだとみつ子さんに言い、みつ子さんも、環が今もこれからも一番の宝物なのだと話していました。

そうして、仲直りした二人が買い物に出かけた後、環さんのトロフィーや写真などを並べ直していた律は、圭介さんから、律が建築家になるというのは、律が6歳の頃から言っていた「夢」だったということを言われて、建築家になりたいという自分の「夢」を思い出したように取り戻して、嬉しそうにしていました。

路加が母親へのプレゼントを作ったり、「招待状」を贈ったりして日曜日のお昼に母親が来るのを待っていたという件は、最後の律のナレーションによると、真也さんは結局来なかったということで終わっていました。

もしかしたら、次週の最初のほうに描かれるということもあるのかもしれないのですが、少なくとも第20話では、日曜日の路加の描写などはありませんでした。

第4週の物語では、真也さんが環さんの気持ちを救うという形にもなっていたのだと思うのですが、何となく、主人公の律の心配や真也さんへの期待感は、少し空回りをしているような印象でもありました。

また、「首に縄をつけてでも」という律の台詞も、私としては、少し荒く聞こえるそのような言葉の表現は、このドラマの律には似合わないような気がしてしまいました。

あと、まだ律の本当の父親らしき人物(和田聰宏さん)は、真也さんの写真の中にしか登場していませんでした。

今週の物語の印象では、ドラマの展開は少しゆっくりとしてきたような気もしますし、次回予告の映像では、なぜか「洋食屋みさき」の小川絹江(藤田弓子さん)も真也さんに会いに行くようだったのですが、悪い人が登場していないというところは続いていますし、これからの物語も楽しみにして見ていこうと思います。
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