ドラマスペシャル「松本清張 鬼畜」

先日の24日に放送され、録画をしておいたテレビ朝日のドラマスペシャル「松本清張 鬼畜」を見ました。

原作は、松本清張の短編小説『鬼畜』です。私は未読です。昔には映画化もされたことがあるそうで(主演は緒形拳さんと岩下志麻さん)、2002年にはビートたけしさん主演のドラマが日本テレビで放送されていたということなのですが、私はどちらも未見です。子供が被害者になるらしいことと「鬼畜」というタイトルから少し怖そうに思えて、見ようかどうしようか少し迷ったのですが、今作を見てみることにしました。

東京の葛飾区で小さな印刷会社を経営している社長の竹中宗吉(玉木宏さん)は、ある夏の日、妻の梅子(常盤貴子さん)と従業員の田口辰夫(羽場裕一さん)に仕事を任せたまま、愛人の元旅館の仲居の山田菊代(木村多江さん)の家に行き、菊代さんとその間に生まれた長男の7歳の利一(南岐佐さん)と長女の4歳の良子(稲谷実恩さん)と次男の2歳の庄二(今中陸人さん)と会っていたのですが、夕方帰宅すると、自宅兼印刷工場は隣家の火災に巻き込まれて燃えていました。

二年後、借金をしながら工場を再開していた宗吉さんのもとに、愛人の菊代さんが3人の子供たちを連れて現れました。借金の返済に追われていた宗吉さんは、愛人の菊代さんに生活費を送ることを後回しにしていたようでした。夫の宗吉さんに愛人とその子供たちがいたことを知って激怒した梅子さんは、菊代さんと大喧嘩になり、妻に何も言えない宗吉さんに愛想を尽かした菊代さんは、子供の父親である宗吉さんのもとに3人の子供たちを置いて失踪してしまいました。宗吉さんは、子供たちと暮らそうかとも考えていたのですが、妻の梅子さんは、愛人の子供たちを育てることを拒否し続けていました。

しばらくして、宗吉さんは、地元の警察署を訪れ、良子がいなくなったから捜してほしいと相談しました。話を聞いた婦警の野田和子(余貴美子さん)は、愛人の子供だという良子さんは母親のもとに帰ったのではないかと考えたのですが、良子はまだ4歳だから無理だと言う宗吉さんの思いを考慮して、まず母親の菊代さんを捜すことにしたのですが、宗吉さんの様子に違和感を感じ、警部補の原田道夫(柳葉敏郎さん)に宗吉さんが殺したかもしれないと話しました。竹中印刷所の近所でも、妻の梅子さんの激しい怒りと、突然いなくなった愛人の娘の良子さんのことは噂になっていたようでした。竹中印刷所では、すでに次男の庄二さんが死亡していたからでした。長男の利一さんは、訪ねて来た刑事に、妹の良子が父ちゃんと遊園地に行った後帰って来ないと話しました。

野田さんたちが捜し出した菊代さんは、梅子さんの尻に敷かれている宗吉さんを見て子供たちのこともかわいくなくなったのだと引き取りを拒否していました。それでも野田さんたちは、菊代さんを竹中印刷所へ連れて行ったのですが、母親の顔を見た利一さんは、母ちゃんは嫌いだと言い、父ちゃんが好きだと言いました。宗吉さんは、利一さんを母親の菊代さんのもとへ行かせようとしたのですが、僕を捨てないでと言う利一さんをそれ以上どうすることもできませんでした。

梅子さんは、庄二と良子がいなくなった今、利一がいることだけが気がかりでした。そして、ある日、青酸カリの小瓶とたい焼きを宗吉さんに手渡しながら、庄二は私が殺したのだから利一はあなたが殺してと言いました。宗吉さんは、迷いながらもたい焼きを利一に食べさせました。しかし、利一さんは途中でたい焼きを吐き出し、宗吉さんを見張っていた野田さんと原田さんが駆け付けたこともあって、利一さんは助かりました。宗吉さんは、食べなくて良かったとほっとしたように言いました。利一さんを連れて自宅に戻った宗吉さんを、梅子さんは睨みつけました。毒を食べさせなくても崖から落としたっていいのだからと梅子さんに言われた宗吉さんは、後日、利一さんを誘って伊豆の海岸へ出掛け、海辺で遊んでいた利一さんに毒入り最中を食べさせることに再び失敗すると、二人で旅館で昼食を食べた後、利一さんと一緒に崖の上に出かけ、途中で眠ってしまった利一さんを抱えて、崖の下に投げ落としました。夜、帰宅した宗吉さんを見た梅子さんは、宗吉さんが利一さんを殺したことを察するのでした。

一方、野田さんは、施設で保護されていたことが分かった良子さんと会いました。良子さんは、父親のいなくなった遊園地から一人で帰ろうと電車に乗り、間違えて違う駅で降りてしまっていたところを保護されたようでした。静岡県の伊豆の警察署では、利一さんが保護されていました。崖の下の木に引っかかっているところを発見されたという利一さんは、怪我はしているけれど無事だったようでした。旅館の仲居さんから親子の話を聞いた中丸刑事(前田亜季さん)や高橋刑事(近藤芳正さん)から事情を訊かれた利一さんは、あの人は父ちゃんじゃないと繰り返し答えました。しかし、刑事たちは、子供は明らかに父親を庇っていると考えました。利一さんの持ち物の中にあった石に気付いた刑事たちは、これは石版印刷に使う石だと知り、利一さんの父親は印刷屋さんだと推理しました。

東京の葛飾の警察署の野田さんと原田さんは、良子さんを連れて竹中印刷所を訪れました。良子さんが生きていたことを知った宗吉さんは、自分たちは庄二と利一を殺したのだから死刑は免れないと、梅子さんと青酸カリを分けました。そして、伊豆署の中丸さんと高橋さんが利一さんを連れて訪れると、利一さんを見た梅子さんは青酸カリを飲み、庄二を殺したのは私です、良子や利一を殺せと命じたのも私です、夫は何もしていませんと刑事たちに伝えると、毒に苦しみながら亡くなりました。

一年後、殺人未遂の罪で逮捕された宗吉さんは、7年間の服役が決まったようでした。西東京刑務所には、施設で暮らしているらしい良子さんと利一さんが、原田さんや野田さんと一緒に面会に来ていました。父親の宗吉さんが出てくるのを待っている子供たちは、手紙を書くから父ちゃんも手紙を書いてねと伝えていました。

五年後、一年早く出所した宗吉さんは、梅子さんと庄二さんのお墓参りをしていました。お墓の前で梅子さんに謝ると、利一さんと良子さんから届いた手紙を持って墓地を後にしました。

脚本は竹山洋さん、音楽は吉川清之さん、監督は和泉聖治さんでした。ナレーターは石坂浩二さんでした。

このような物語でした。何というか、とても面白かったです。子供が親に捨てられたリ殺されたりする話でもあるので、面白いと言ってはいけないのかもしれないのですが、登場人物の感情が丁寧に描かれているように思えて、良かったです。

昭和51年の東京の下町が舞台になっていたのですが、小説の『鬼畜』が発表されたのは1957年ということなので、その通りに、昭和32年の物語にしても良かったのではないかなと思いました。川にかかる橋が木造だったり、梅子さんが木の洗濯板でシャツを洗っていたり、仲居の菊代さんが普段から着物を着る女性だったり、石版印刷だったり、何となくなのですが、私には、昭和50年代にしては全体的な光景や設定が少し昔過ぎるようにも思えました。

利一さんが賢い子だったというところが、唯一の救いなのかもしれないのですが、子供たちにとって大人たちが「鬼畜」であったとしても、少なくとも宗吉さんの子供たちにとっては、宗吉さんはとても優しい、良い父親だったようでした。長男の利一さんは、父親の優しさも、その弱さもよく理解していたのかもしれないなと思いました。

でも、このドラマを見ていた私には、一番悪いのは、宗吉さんが妻の梅子さんに隠れて不倫をして菊代さんを愛人にしたことだったように思います。宗吉さんと駆け落ちをして東京に出てきたという梅子さんは、しっかり者で働き者の妻でした。梅子さんが全てを自分の罪だと刑事たちに告白して自殺をした場面を見ていて、梅子さんの人生は大変なものだったように思えました。

「砂の器」(2011年頃のテレビ朝日のスペシャルドラマ「砂の器」の主演も玉木宏さんでした)と同じように、貧しさがテーマになっていた部分もあるのだろうと思いますが、子供のいない梅子さんが、突然家にやって来た、愛人との間に生まれていた夫の子供たちを殺したいほど憎く思っていたのは、貧しい生活の苦しさからなどではなく、単純に、愛人の菊代さんの子供だったからなのではないかと思います。愛人の子を、家から追い出したいというだけではなく、この世から抹殺したいという思いから、梅子さんは最初から施設に預けるのではなく、殺すほうを選んだのではないかなと思います。

ただ、加藤医師(橋爪功さん)の診察によると腸カタルで死亡したという庄二さんについて、瀕死の庄二さんを抱えて病院に連れて行った宗吉さんは、梅子さんがご飯を口の中に押し込んでいたと言い、梅子さんは、庄二さんの顔に布をかけて窒息死させたと後に宗吉さんに話していたのですが、どちらが正しいのでしょうか。庄二さんの本当の死因が、よく分かりませんでした。庄二さんは本当に殺されたのでしょうか。それとも、本当は(監督不行き届きによる)事故死だったのでしょうか。

菊代さんのその後は描かれていなかったのですが、貧しさから、あるいは生活から自由になるために宗吉さんの子供たちを捨てたようだった菊代さんは、結果的には子供たちからも捨てられていました(良子さんも、母親を嫌いだと言った利一さんと同じ意見だったのでしょうか。もしも利一さんが母親を自分たちとの暮しから解放するために嫌いだと突き放していたのなら、さらにすごいことだなとも思いますが、それは考え過ぎかもしれません)。

ともかく、少し気になるところはあったものの、ドラマを見る前に思っていたより、ずっと良かったです。登場人物を演じていた俳優さんたちも、脚本も、映像も、音楽も良かったように思いますし、2歳の庄二さんは亡くなってしまいましたが、弱さを抱える親たちに運命を翻弄されていた子供たちの強さも感じる社会派ミステリーの物語になっていたように思います。

「許さないという暴力について考えろ」

昨夜の10時、NHKのドラマ「許さないという暴力について考えろ」を見ました。

ピースの又吉直樹さんの脚本のドラマでした。私は最初はそのことを知らず、ただこの「許さないという暴力について考えろ」というタイトルが気になって、見始めました。

東京の渋谷の街を舞台にしたドラマでした。「渋谷」とは何かを探ろうと取材を始めたテレビ局のディレクターの中村(森岡龍さん)がファッションデザイナーを目指して服飾の専門学校に通っているチエ(森川葵さん)に街頭でインタビューをするというところから物語が始まっていました。

チエさんは、少し独特な話し方をする漫画家の姉(柴田聡子さん)と二人で暮らしながら、服飾学校の先輩の女性たちとパーティに参加したり、知り合ったデザイナー(アンミカさん)の高い洋服を買ったりして毎日を忙しく過ごしていたのですが、ある日、ファッションデザイナーになろうとしているのに他人の洋服を買っているばかりで自分の洋服を作っていないことを姉から指摘されて、自分は本当は何をしたいのかと悩むようになっていました。

中村さんは、チエさんのインタビュー後から、渋谷の街で感じる「許さない」という感情について考えるようになっていました。閉店間際の喫茶店内で隣の席になったおばあさん(宮本信子さん)から「何で許せないんだろうねえ」と言われ、社内で歌うタクシーの運転手さん(田口浩正さん)や取材中の公園で出会った小説『恋文』の内容を自分のことのように話すおじさん(でんでんさん)や喫茶店の女性店員への自分の態度を思い返していました。

チエさんと中村さんの二人の物語が、最初のインタビュー以外には二人の接点がないまま、同時進行で進んでいました。

許さないという不寛容さは、許すという寛容さの反対の意味です。

些細なことで苛立って相手を攻撃してしまったり自分の感覚に合わないものを排除しようとしたりすることを「不寛容」とするのは分かるのですが、多少無理をしてでも街の空気や他人の考えに合わせようとする自分自身を受け入れるということも「寛容」とすることには、なるほどなと思いました。

ドラマでは、いつも無自覚的に苛立っていた他人を攻撃していた中村さんは、おばあさんやおじさんに出会ってそのことを自覚するようになり、反省していました。

渋谷のスクランブル交差点でバレリーナの人たちが白鳥の湖を踊っていた場面や、おじさんが増殖しながら中村さんを追いかける場面など、何だかシュールだったのですが(「世にも奇妙な物語」的でもありました)、チエさんが出会った大量のカメラを収集しているカメラマン志望の男性が、カメラで撮る人じゃなくてカメラを買う人でしょう、とチエさんに指摘されて、その後カメラの被り物を自ら着る人になっていたのにも、何か哀しい感じのシュールさがありました。

中村さんにとって示唆的だった謎のおばあさんやおじさんの存在も良かったのですが、チエさんにとっての漫画家のお姉さんの存在も、良かったと思います。洋服を買うばかりの自分にはファッションデザイナーの才能がないと思い始め、落ち込んでいたチエさんに、小さい頃から絵が上手かったというお姉さんは、子供の頃に通っていた絵画教室でカラフルな色遣いをするチエちゃんの絵に憧れていたと、チエさんの描いた絵を見せていました。

お姉さんはそれ以降登場しなくなったのですが、夜、チエさんが姉の机の上に置かれていたその昔の自分の絵を見ると、絵からカラフルな光が溢れて、渋谷の街に飛び出していきました。姉に言われて自分の良いところに気付いて自分を「許す」ことができたチエさんに、世界は急に輝いて見えたということなのかなと思います。それからすぐにチエさんはミシンでカラフルな布のスカートを作り、翌朝それを着て渋谷の街に出かけていました。

現在や過去の渋谷という街の断片的な要素をつなぎながら、渋谷とは何か、渋谷とはどのような場所なのかということが、短編小説のように描かれていたように思います。

自分の理解を越えている人や不思議な動きをする人に出会った時、その人を怪しい人、不気味な人、怖い人と感じて避けたくなるという心理は、私にもよく分かりました。その一種の警戒心も、「不寛容」の一つということになるのでしょうか。

「許さない」という怒りや憎しみや恨みの気持ちには、確かに攻撃的な暴力性があるのだと思います。それが自分に向けられた場合は自分を、他人に向けられた場合は他人を傷つけることになるのだろうと思います。個人の間でも、国家の間でもそうです。辛くても自分や他者を許しながら生きる、ということは、簡単なことではないかもしれないですが、もしもみんながそのように生きることができたなら、世の中は平和になっていくのかもしれないなと思います。

あと、ドラマの中で、中村さんの渋谷取材に同行していたカメラマン(光石研さん)が、街行く女性たちの足首ばかりを撮影していたことを会社に知られて異動になる、というような展開があったのですが、実際にも、ニュース番組などを見ていると、街の様子や風景を伝える場面でなぜか女性の足(あるいは足元)の映像ばかり流れていることがあります。少し不快な感じもするというか、どうしてなのだろうと、そのような映像を見る度に私は少し気になっていたので、もしかしたらですが、作者の又吉直樹さんもそれが気になっていたのかなと思いました。

渋谷には、東京都内や周辺地域から遊びに来たり仕事に来たり自分を表現しに来たりしている人たちだけではなく、普通に住んでいる人たちもいるのだと思いますが、渋谷の街にいる人たちが「渋谷の街にいる人」を演じているのではないかというような説も、何となく分かるような気がしました。でも、それは、特色のある繁華街的な街には、ある程度どこにでも当てはまることなのではないかなとも思います。東京では、例えば、新宿でも、吉祥寺でも、下北沢でも、上野でも、池袋でも、広尾でも、原宿でも、六本木でも、丸の内でも、そこによくいる人たちは、意識的、無意識的に関わらず、その街に相応しい人になるように振る舞っているというところがあるような気がします。

ともかく、私は又吉直樹さんの小説『火花』を未読で、そのドラマ化作品も映画化作品も未見なのですが、今回のドラマ「許さないという暴力について考えろ」は、(途中で少し眠いような気持ちになってしまうところもあったのですが)最後まで興味深く、楽しく見ることができました。「許さないという暴力について考えろ」というタイトルも良かったです。ドラマの音楽は川辺ヒロシさん、演出は末弘奉央さんでした。

ドラマの脚本を書いている芸人さんというと、最近ではバカリズムさんのことを思い出しますが、映画を撮影したり、ドラマを作ったり、漫画を描いたり、小説を書いたり、芸人さんは多才なのだなということを、今回の又代さん脚本のドラマを見て改めて思いました。


ところで、昨夜の11時台の日本テレビの報道番組「NEWS ZERO」の生放送のスタジオに、先日の「女芸人No.1決定戦 THE W」で初代チャンピオンに輝いていたゆりやんレトリィバァさんが来ていました。スタジオでは、村尾キャスターと桐谷美玲さんの間に座っていて、その不思議な違和感も面白かったのですが、ピアノの上手な小学生男子がクラシックの曲の演奏中に「ハリー・ポッター」の映画のことを考えてしまうネタもまたとても面白かったです。ゆりやんさんの登場でスタジオの雰囲気が一気に明るくなっている感じも新鮮で良かったです。

ゆりやんさんはニュース番組を好きでよく見ているそうです。村尾さんに最近のニュース番組を見ていて思うことについて訊かれたゆりやんさんが、今まで毎日やっていたニュースがある日突然急にやらなくなって、あのニュースはどうなったのだろうと思うことがあります、とハキハキと答えているのを聞いて、本当にそうだな、正しいなと思いました。

それから、夜11時半からのテレビ東京では、「黒い十人の秋山」という謎のミステリードラマが放送されていました(脚本は根本ノンジさんと濱谷晃一さん、監督は筧昌也さんでした)。嵐の夜の離島のホテルで殺人事件が起き、宿泊していた刑事たちが10人の宿泊客から事情を訊いて推理をするというミステリーで、仲里依紗さんや満島真之介さんや堀内敬子さんや山内圭哉さんや滝藤賢一さんといった俳優さんたちの出演していたのですが、「クリエイターズ・ファイル」的に容疑者の10人(天才子役のみちくんを入れると12人でしょうか)を一人で演じていたロバートの秋山竜次さんの存在感が異色過ぎて、ドラマの登場人物たちが少しも秋山さんに笑わない、ミステリーとしてもちゃんと作られている物語のシリアスさとのギャップに、どのように見て良いのかが途中からよく分からなくなってしまうドラマでもありました。でも、そのような、何だかよく分からないところも含めて、面白い企画のドラマだったのだと思います。

「民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~」最終回

フジテレビの「月9」のドラマ「民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~」の最終話(第10話)を見ました。15分拡大版で放送されていました。

千葉報知新聞社の文化部の記者の平田和美(石田ゆり子さん)は、犬崎和久議員(古田新太さん)の進めるニューポート計画に反対して市政を滞らせていることに憤る市民から民衆の敵だと言われて落ち込んでいた市長の佐藤智子(篠原涼子さん)に、3年ほど前からあおば市には奇妙な風が吹いている、それは藤堂誠(高橋一生さん)がこの街に来た頃と重なると智子さんに話し、ニューポート計画を推進したいのは犬崎議員ではなく藤堂家なのではないか、藤堂議員は智子さんの味方ではないのではないかと疑問を感じていました。

翌日、智子さんたちは、連絡の取れない秘書の富田恭一(渡辺いっけいさん)に電話をかけ続けました。富田さんは、「こんにゃく」の用意を命じる犬崎議員たちと一緒に智子さんのリコールの準備を進めていました。一方、和美さんは、藤堂さんに駐車場に呼び出され、犬崎派の議員たちの政治資金の不正使用の証拠となる大量の領収書のコピーを渡されて、ジャーナリストとして犬崎議員を告発してほしいと頼まれました。和美さんは、友人の政治部記者の西村健吾(長谷川朝晴さん)に相談し、捏造されている領収書の内容を調べ、告発する記事を書くことにしました。

智子さんは、市長室にやって来た富田さんに、犬崎議員の命令に従って河原田晶子前市長(余貴美子さん)や自分を陥れたことを訊ねました。富田さんは、それを認めつつも、医者になりたいと言う子供を医学部に進学させるためにお金が必要なのだと言い、そんなことをして子供が喜ぶと思うのかと言う智子さんに、佐藤市長といても得をしない、子供には自分のような大人になってほしくないからこうしているのだと言い返し、犬崎議員の元に戻っていきました。

しかし、その夜、新聞社の和美さんから犬崎議員を告発する記事を書いていることを伝えられた智子さんの元に、藤堂さんがある動画を見せに来ました。それは、犬崎議員に命じられて市長を陥れようとしたということを富田さん自身が告白している動画でした。謝る気のなさそうだった富田さんが一転して謝っているのを見て、どうしてと驚く智子さんに、藤堂さんは、理由なんて別にいいじゃないですかと言いながら、インターネットに流すことを伝えました。智子さんは、明日の新聞が出るまで待ってほしいと言い、藤堂さんは待つことにしました。藤堂さんは、悪いようにはしませんと、富田さんにお金を支払う取引をして、犬崎議員を告発してもらったようでした。

その間にも、藤堂さんは根回しを行っていました。犬崎派のナンバー2だった前田康議員(大澄賢也さん)も犬崎さんの下を去り、和美さんの記事の新聞が出た朝、記者たちに囲まれながら、あの記者は市長とつながっていて公平性がないと苛立っていた犬崎議員は、藤堂さんの流した富田さんの告発動画にも追い詰められ、私設秘書の若宮寛(若旦那さん)にもあっさりと見放されました。

衆議院議員の父親の藤堂英一朗(山本圭さん)に会いに行った藤堂さんは、久しぶりに対面した父親に、お見合い結婚の話を断りました。父親は、犬崎議員から渡されたという風俗嬢の莉子(今田美桜さん)との写真を取り出し、これが理由かと訊きました。それを認めた藤堂さんは、政治家になる覚悟ができた、でも父親の敷いたレールに乗っていてはいつまでも父親を追い越せないと言って、父親の前を去りました。

その頃、ニューポート計画反対派の漁師の井上さん(菅原大吉さん)と話す中で3年前にボーリング調査が行われていたことを知った智子さんから話を聞き、ニューポート計画とは一体何だったのかと考えていた和美さんは、港町の再開発を行うというニューポート計画は実は産業廃棄物処理場の建設計画だったのだと気付きました。

不正の疑いが晴れた智子さんは、滞っていた市政を再開することを記者たちにも宣言し、市長としての決意を新たにしていました。智子さんを応援していた市の若手の職員たちも喜んでいました。その頃、一人藤堂さんは、誰もいない広い議会室にいました。そこに入ってきた智子さんは、誰もいないと思っていたところに藤堂さんがいるのを見て少し驚いていたのですが、河原田さんにもう一人の副市長になってもらおうと思うと相談して、即座に反対されました。理由は、ニューポート計画に反対だからというものでした。

藤堂さんがニューポート計画に賛成していると知った智子さんが、今まで私を騙していたのかと言うと、藤堂さんは、訊かれなかったからだと言い、ニューポート計画に賛成か反対かを一度でも訊いたことがありますかと言い返していました。智子さんが藤堂さんにニューポート計画とは何なのかと訊くと、藤堂さんは、全国の産業廃棄物をあおば市に集める処理場を作る計画だと伝え、市民に知らせずに勝手に進めるのは良くないと反対する智子さんに、選挙へ行ったことがありますかと訊きました。

選挙に行ったことがなかった智子さんがそのことを正直に言うと、藤堂さんは、市民は選挙に行かないし、選挙演説で政策を話していても聞かないのに、選挙後になるとそんなことは聞いていないなどと言い出すと、衆議院議員の父親がかつてある法案を国会で強行採決しようとしていた時のことを話し始めました。

藤堂さんは、話し合いを中断して強行採決をするという父親たちの独裁的なやり方を批判していたそうなのですが、愚かな民衆を導くためには時には独裁も必要だとする父親の考えに、智子さんのようにはっきりと反対を言うことができず、諦めてしまったということでした。藤堂さんは、諦める前の自分だと感じて智子さんを応援し、智子さんがどうするかを見ていたようでした。

藤堂さんは、産業廃棄物処理場はどこかに作らなければいけない、でも日本中の自治体が佐藤さんのように反対するからもめているのだと智子さんに言い、産業廃棄物処理場を作ることは悪ことばかりではない、国から多額の助成金が交付されるから佐藤さんの進めたい福祉政策も進めることができるとも言いました。

みんなのために一人が犠牲になるのはおかしいと言う智子さんは、最小限の犠牲で最大限の幸福を実現するべきだ、多数を守るために少数を切り捨てる厳しさも持たなきゃいけない、一人のためにみんなが犠牲になるというのはおかしくないですかと言う藤堂さんに、切り捨てられるのはいつも弱者だ、声を上げろと言っても声を上げることができない人もいる、教えられて来なかったから声を上げる方法が分からない人もいる、そうして、いるのにいないことにされてしまう、藤堂さんには分からないかもしれないけれど私は切り捨てられる弱者の側だから分かる、政治家はそのような人たちを守らなければいけないのだと反論しました。

智子さんの意見を聴いていた藤堂さんは、どちらが正しいということではない、おそらくどちらも正しいのだと言いました。そして、自分は国政の場でみんなの幸せを実現すると智子さんに告げて、智子さんと別れました。

あなたは?と藤堂さんに訊かれた智子さんは、議場に残ってしばらく一人で考え込んでいたのですが、その後、ニューポート計画は産業廃棄物処理場の建設計画だったということを市民に公表し、産業廃棄物処理場を作るかどうかについて、市長の自分が決めないと市民に宣言し、市役所で「市民の議会」を開催することにしました。それを知った藤堂さんは、智子さんの行おうとしている直接民主主義を見守ることにしたようでした。

智子さんは自ら街頭に立ち、智子さんを見ても市長だと気付かない市民たちに「市民の議会」への参加を呼び掛けるチラシを配り始めました。議員はいらないということかと最初は反発していた小出未亜議員(前田敦子さん)と岡本遼議員(千葉雄大さん)と園田龍太郎議員(斎藤司さん)たちも、有権者は選挙の時には産業廃棄物処理場計画を知らされていなかったのだと言う智子さんの意見に説得され、支援者を始めとする市民たちにチラシを配って参加を呼びかけました。

そうして、第1回の「市民の議会」には、産業廃棄物処理場計画の賛成派も反対派も、数人が集まっているくらいだったのですが、回を重ねるごとに少しずつ増えていき、会議場が満席になって、レジャーシートを敷いて座る市民もいました。子供の参加も自由なので、智子さんの夫の佐藤公平(田中圭さん)は息子の駿平(鳥越壮馬さん)や和美さんの娘のあかね(野澤しおりさん)を連れてきていて、駿平さんも処理場の安全性について質問したりしていました。安全性は確保されていると専門家が答えると、議会に現れた反対派の前市長の河原田さんは、仕事を奪われるということはその人の人生が奪われるということでもあると言い、井上さんが拍手を送っていました。議場の後ろで市長と市民のやり取りを見ていた藤堂さんは、連れてきていた父親にもその様子を見せて、これが民主主義の原点なのではないかと話していました。

智子さんは、集まっている市民たちに、私たちが政治に無関心でいる間に一部の人たちが決めてしまう、そのことに対して後でおかしいと言ってももう遅い、民衆の敵は私たちの外にいるのではない、私たち一人一人の無関心こそが民衆の敵なのだと伝えていました。

犬崎議員を告発した記事で西村さんのいる政治部に復帰した和美さんは、自分の調べたいことを調べ、書きたいことを書くために、組織に居続けるのではなくフリージャーナリストになると、新聞社を退社しました。和美さんは、智子さんの本を出していました。智子さんは、あおば市を投票率全国1位にした市長として有名になったようでした。

それから3年後、小出議員は子供を商店街の知人に預けて市議の仕事を続けていました。孫と遊んでいた犬崎議員は、政界から引退していたようでした。莉子さんは、塾に通って勉強を始めていました。和美さんは、フリージャーナリストになって法務大臣を追っていました。あおば市長には、河原田さんが復帰していて、岡本議員は再び市長の下で仕事をしていました。藤堂さんは、国会議員になって福祉政策を進めていました。団地の家を出る時、忘れそうになっていたバッジを公平さんから渡されていた智子さんも、藤堂さんと同じように、国政に進出していたようでした。

最後、国会議事堂の前に立った議員バッジを付けた智子さんが、ドラマを見ている視聴者のほうに振り向いて、本当に世の中を変えられるのはあなたです、と言いました。

脚本は黒沢久子さん、音楽は井筒昭雄さん、演出は金井紘さんでした。

登場人物の言動はドラマを見ていた私の記憶に基づいているため、正確ではないかもしれませんが、このような最終回でした。

主権在民(国民主権)の民主主義を民衆が積極的に守っていこう、立候補者や政治家たちの政策の話をよく聞いて自分で判断し、ちゃんと選挙へ行って投票しよう、選挙が終わっても一部の政治家だけに政治の判断を任せるのではなく、みんなで世の中を良くする方法を考えよう、ということがよく伝わって来る、良い最終回だったように思います。

理想の政治を追求する智子さんと現実の政治の複雑さを知っている世襲議員の藤堂さんの議会場での討論の場面(意外と長かったというか、10分ほどあったような印象です)も、とても良かったです。

民主主義について考えていた藤堂さんの、多数の幸せを守るためには少数の犠牲もやむを得ないという意見は、実際にも時々聞きますが、藤堂さんと智子さんのやり取りを聴いていて、TBSのドラマ「MOZU」でも言われていた、アーシュラ・K・ル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」(『風の十二方位』)という作品の、オメラスという都市の平和が実は一人の子供の犠牲によって成立していたと住民たちが知った時にどうするのかという話のことを少し思い出しました。犠牲になっている弱者の側に立つかそうでないかで、異なる考えになるのかなと思います。

この世の片隅でささやかに生きている私も、どちらかというと社会的には「弱者」のほうに入ると思います。少なくとも、権力者や支配者の側にはいません。そのため、みんなを助けるために一人が犠牲になることはあってはならない、というドラマの智子さんのような意見は分かるのですが、一人を助けるためにみんなが犠牲になってもいいのか、という藤堂さんのような反論は、言葉の順番が反対になっているだけで、実は反論になっていないのではないかという気もしています。一人を助けるためにみんなが犠牲になるという社会的な状況は、現実的ではないように思えるからです。

あおば市の産業廃棄物処理場の建設計画がその後どうなったのかは、描かれていないので分かりません。河原田市長が復帰したということは、市民の中に反対意見が強まって、建設計画は白紙に戻ったのかもしれません。あるいはまだ話し合いの途中なのかもしれません。

良い最終回だったと思うのですが、惜しいと思う部分もあります。

それは、このドラマの初回の放送日をフジテレビが先の衆議院議員選挙の期間中だという理由で一週間延期したというところからすでにあったことなのかもしれないのですが、このドラマで伝えようとしていた政治的なメッセージはとても良いものだったのに、今の政府への(あるいは今の政府の政策や政治手法を支持する人たちへの)「忖度」のようなものがそれを抑制してしまっていたのではないかと思えたところです。


もしかしたらですが、「ニューポート計画」は政府が建設を進めている沖縄県の名護市の辺野古の新しい米軍基地のことだったのかもしれませんし、あるいは「ニューポート計画」の「産業廃棄物処理場」は普通の産業廃棄物の処理場ではなく「放射性廃棄物」の処理場のことだったのかもしれません。もしもそうであるなら、視聴者や政府関係者などからの?賛否両論の批判を恐れずに、はっきりとそのような話題を取り入れて現実的に作ったほうが、もっと良い現代政治ドラマ、社会派ドラマになったのではないかなと思います。

例えば、同じフジテレビで先日放送されていた「THE MANZAI」でのウーマンラッシュアワーの早口の漫才がよく出来ていて面白かったのですが(私は後で見ました)、国民の政治への意識の低さを指摘していたウーマンラッシュアワーの漫才は、いわゆる政治家への「忖度」をしない内容になっていたのだと思います。あのような漫才を見て、ウーマンラッシュアワーのお二人は勇気があるなと思ってしまう時点で、「言論の自由」はまだなくなっていないとしても、現代の政治権力者への批判をタブー視する「空気」の窮屈さはあるのかもしれないと思います。

主婦と主夫、相対的貧困や待機児童問題、女性の貧困と性風俗産業、子ども食堂、過疎化、少子化、高齢化、シャッターの閉まったままの商店街、親の介護、引きこもりや社会不参加、性的少数者に対する差別の問題、政治資金の不正使用、政治家の秘書の自殺、市民に説明しないままの町の開発計画、反対派のデモや工事阻止のために座り込みをする市民の行政による強制排除や逮捕、古いタイプの政治家によるリベラルな新聞記者への圧力、世襲議員の持つ他の政治家への威力、選挙と投票への市民一人一人の行動など、いろいろなことが各回の物語に盛り込まれていて、盛り込まれていたこと自体は良かったと思うのですが、それぞれ少しずつ、何か散漫としたものになってしまっていたようにも思います。

裕福ではない一市民だった主婦の智子さんが、自分たちの生活費を得るために立候補した市議会議員の選挙で当選し、そこから政治の勉強を始め、市議会の「ドン」の犬崎議員に利用されたりもしながら新市長になり、福祉政策を進めた後、犬崎議員が藤堂衆議院議員と密かに進めていた産業廃棄物処理場の建設計画に切り込んでいき、市民が市の政治に参加できるように市政を解放していくという、という流れも良かったように思いますし、ドラマの「視聴率」は低かったそうなのですが、その「視聴率が低い」というような噂?に流されて見ないことにしなくて良かったと思います(一視聴者の私としてはどのドラマでも「視聴率」なるものを気にして続きを見るか見ないかを決めるということはありません)。伝えられていたことは悪くはなかったので、惜しいなと思ってしまうのですが、私もこのドラマを最後まで見ることができて良かったです。


ところで、報道によると、1基8百億円から1千億円に値上げされた?イージス・アショアを2基アメリカ政府から買うことを、内閣が閣議決定したそうですが、在沖縄米軍が既定の飛行ルートを逸脱して飛んでいたことも、沖縄の普天間第二小学校の校庭に窓を落としたのと同型機のヘリコプターの飛行を6日後に米軍が再開したのも簡単に認めていた政府は、昨日の25日、アメリカ政府から昨年の12月に返還された沖縄県の東村や国頭村の米軍北部訓練場の一部の土地の地権者への引き渡し式を国頭村で開いたそうです。そして、式の招待に応じなかった翁長雄志知事や沖縄県庁の職員たちのことを、菅義偉官房長官が批判したそうなのですが、土地の一部が米軍から沖縄県や持ち主に返還されること自体を翁長知事たちが歓迎することと、返還を祝う式典に翁長知事たちが出席を見合わせることは、沖縄戦からの歴史を考えても、矛盾しないことであるように思います。

大手メディアの報道番組では、アベノミクスによって景気が回復している、80年代の「バブル景気」の再来のようだと報じていますが、本当なのでしょうか。「子ども食堂」は減っていないようですし、生活保護費の母子加算を減らすとか、税金や保険料などの負担を増やすとか、貧しい生活を送っている人たちをさらに苦しめるものであるように思えるのですが、そのような中で仮に「バブル時代」のようにお金を使う人たちが増えているとしても、それは裕福な人たちとそうではない貧しい人たちの二極化がより一層進んでいるということなのではないでしょうか。そもそも、「バブル時代」にはそれが後に弾けることを知らなかったためにバブルとは呼ばれていなかったそうなので、「バブル期の再来」ということは、景気回復はごく一時的なもので、結局もうすぐ弾けるような景気ということを示唆しているのではないでしょうか。今の日本の経済状況が「バブル期の再来」という風に喜ばれているらしいことを、少し不思議に思います。

あと、これもこの「民衆の敵」のドラマのとは全く関係のないことです。先日、書店に置かれているのをちらっと見かけた雑誌の『ダ・ヴィンチ』の1月号(高橋一生さんが表紙でした)に、「好きな出版社ランキング」という企画があったのですが、その中に「岩波書店」が入っていなかったことに少し驚きました。もしかしたら私の記憶が間違っているのかもしれませんが、集英社や講談社や新潮社や角川書店などは分かるとしても、有名な岩波書店が(今年の?)ランキングに入っていないというのが、私には少し意外に思えました。

「陸王」最終回

TBSの「日曜劇場」のドラマ「陸王」の最終話(第10話)を見ました。

最終話は、飯山晴之(寺尾聰さん)が特許を持つ新素材のシルクレイを使いたいアウトドア用品メーカー「フェリックス」の社長の御園丈治(松岡修造さん)から融資の話を持ち掛けられ、窮地の「こはぜ屋」を守るために、買収ではない期限付きの業務提携の話を受けることにした四代目社長の宮沢紘一(役所広司さん)と、ベテランシューフィッターの村野尊彦(市川右團次さん)から最後の「陸王」を手渡され、「アトランティス」社製のランニングシューズとどちらを豊橋国際マラソン選手権大会で履くべきか迷うダイワ食品陸上部の選手の茂木裕人(竹内涼真さん)が、「陸王」の力を信じ切る話でした。

脚本は八津弘幸さん、音楽は服部隆之さん、演出は福澤克雄さんでした。ナレーションは八木亜希子さんでした。原作は、池井戸潤さんの小説『陸王』です。

テレビ朝日のドラマスペシャル「松本清張 『鬼畜』」は録画をしておくことにして、連続ドラマの「陸王」の最終回を見ることにしました。毎回の感想を書くことはできなかったのですが、私もこのドラマを見ていました。私にはこのドラマの物語がすごく面白かったというのとは少し違っている部分もあったので、25分拡大版で放送されていた最終回も途中で少し眠いような気持ちになったりもしていたのですが、それでも、最後までそれなりに楽しく見ることができたように思います。

手のひら返しを繰り返す「アトランティス」の営業の小原賢治(ピエール瀧さん)とその部下の佐山淳司(小籔千豊さん)に嫌気が差し、良い時も悪い時も支えてくれた「こはぜ屋」を自分も支えたいと、村野さんから渡された「陸王」で走ることに決めた茂木さんが、宮沢社長からお守りにと手渡された黄色の靴紐を結んで「こはぜ屋」の社員たちが応援に集まっていたマラソン会場に出てきた場面も良かったですし、最後のマラソンの場面での、茂木さんとアジア工業陸上部の選手の毛塚直之(佐野岳さん)とのライバル対決や、茂木さんが突然の脚の怪我で試合を離脱したトラウマを宮沢さん親子の応援で克服していたところも良かったです。

「メトロ電業」の選考を進んでいた就職活動中の宮沢大地(山﨑賢人さん)は、面接官たち(堀尾正明さんや瀬古利彦さん)から本当は実家の「こはぜ屋」での仕事を続けたいと思っているのではないかと訊かれて、「こはぜ屋」の仕事が好きだということに改めて気づいたようでした。そして、「メトロ電業」から採用の連絡を受けた大地さんは、そのことを父親の宮沢社長に伝え、喜ぶ父親に、断ろうと思うと言ったのですが、宮沢社長から「こはぜ屋」は大丈夫だからと、「メトロ電業」への就職を勧められ、「メトロ電業」に悪いから「こはぜ屋」には戻らないつもりで頑張ると決意していました。

「こはぜ屋」が「陸王」の開発に成功し、選手として復活した茂木さんがその「陸王」を履いてマラソンで勝つ、という展開は、ドラマを見始めた当初から分かっていたことなのですが、茂木さんと陸王を熱心に応援する宮沢社長の最後の「走れ!陸王!」は、清々しい感じがしました。

舞台となっていた埼玉県行田市や愛知県豊橋市や、マラソンを監修していた青山学院大学陸上競技部、「こはぜ屋」のモデルという老舗の「きねや足袋株式会社」や、「ミズノ」や「mont-bell」などのリアルな雰囲気?も良かったように思います。

ドラマの最後、足袋型シューズ「陸王」の視聴者プレゼントの告知が出ていました。足袋型のランニングシューズというのは実際にもあるそうで、私は昔に東京の表参道ヒルズの靴屋さんで見かけたことがあったような記憶があり、海外のお客さん向けなのかなと勝手に思っていたのですが、情報番組では、その足袋型シューズが「陸王」のドラマの影響で売れ切れていると報じられていました。ドラマの最後で茂木さんが履いていた「陸王」は、マラソンの時に履いていたものよりももっとおしゃれなデザインになっていたような気がします。足袋も履くと楽しい感じがするので、足袋の靴も、見た目の印象よりは歩いたり走ったりしやすいのかもしれないなと思いました。

「精霊の守り人~最終章~」第5回

NHKの大河ファンタジー「精霊の守り人~最終章~」の第5回「槍舞い」を見ました。

カンバル王のログサム(中村獅童さん)は、ヨンサ氏族の長老のラルーグ(武田鉄矢さん)が王城に連れて来た新ヨゴ国の皇太子のチャグム(板垣瑞生さん)と久しぶりの対面を果たしました。ログサムは、王の槍たちの列に並ぶ傷だらけのバルサ(綾瀬はるかさん)を心配するチャグムに、カグロ(渡辺いっけいさん)が弟のジグロ(吉川晃司さん)を殺して王の槍になったように、バルサはカグロを殺して王の槍になったのだと言いました。そして、自分はまだチャグムの用心棒だと言うバルサ(綾瀬はるかさん)に、ルイシャ贈りの儀式で山の王に勝つことができればロタ王国と同盟を結ぶ、バルサが山の王に負ければその場でチャグムを殺すと明言しました。自ら命を絶ったカグロの息子のカーム(降谷建志さん)や槍の王たちは、バルサからジグロに育てられた経緯を聞き、自分たちは今までログサムに騙されていたのではないかと思い始めました。バルサは、ジグロやカグロの遺志を継いでカンバル王国を守るためにルイシャ贈りの儀式に行くとチャグムやカームたちに伝えました。

ルイシャ贈りの儀式の当日を迎え、バルサとチャグムは、国王のログサムの率いる皇太子のラダール(中川晃教さん)や槍の王たちと共に山の王の扉の前に向かいました。山の王は火を厭うということから、松明は大きな緑白石を使ったものに取り換えられました。ログサムは、この国では皇太子も武人なのだとチャグムに槍を渡し、バルサにも槍を手渡しました。牧童の長老のトト(米良美一さん)の示した先に、緑色の光を放ちながら山の王の扉が開くと、闇の奥から飛び出してきたナユグのような青白い光が中央に集まり、人の姿になりました。ヒョウルと呼ばれる闇の守り人たちでした。

ログサムはバルサにはまだ行くなと指示し、他の王の槍たちが闇の守り人たちと戦い始めたのですが、闇の守り人たちの槍の先を受けた武人たちは石のように動かなくなってしまいました。王の槍たちを助けようとその戦いの中に入ったチャグムも動かなくされてしまいました。チャグムを守ろうと飛び出したバルサが闇の王たちを蹴散らすと、動かなくなった武人たちは元に戻りました。しかし、闇の守り人たちが全員いなくなったと思った時、もう一人の闇の守り人がバルサの前に現れました。バルサは、それがジグロであることに気付きました。

闇の守り人とは、山の精霊と死者の魂とが結びついた存在で、カンバル王国の武人たちにとっては祖先の霊でもあるようでした。死者を恐れないログサムは、ジグロを殺せとバルサに命じたのですが、バルサは、私にジグロを殺すことはできないと拒みました。するとログサムは、それなら自分がジグロを殺すと、ジグロの姿をした闇の守り人と戦い始めました。しかし、ログサムは、闇の守り人のジグロの相手にはなりませんでした。ジグロに殺されそうになっていたログサムとジグロの間に割って入ったバルサは、ログサムを助けるため、ジグロと戦い始めました。

ジグロと対峙したバルサは、ジグロと槍舞いのような戦いを繰り広げていたのですが、育ての親であるジグロに対する自分の思いと向き合っていました。ジグロとの戦いは、バルサ自身の心との闘いのようでした。

バルサは、ジグロが一番憎んでいるのはバルサである、バルサさえいなければジグロは王の槍としてカンバル王国を守ることができたのに、バルサをログサムから守るためにカンバル王国を追われる身となり、かつての仲間たちを殺すことにもなってしまった、足手まといのバルサがいたせいでジグロは自分の人生を生きることができなかったのではないかと苦しんでいました。

心象風景の中なのか、タンダ(東出昌大さん)の家の前の庭でバルサはジグロと話していました。ジグロは、バルサに、私の人生はバルサに殺されたのだと言い、ユーカ(花總まりさん)を好きだったこと、変わらない気持ちの証としてユーカに緑白石を贈ったことを話しました。バルサは、私には選択肢はなかった、死ねば良かったのかと苦しんでいたのですが、ジグロは、苦しむことと後悔することは違うと、バルサを育てたことを後悔してはいませんでした。それは自分の心が決めることだとバルサに伝えたジグロは、お父さん、と呼ぶバルサを抱きしめ、私を追うのはやめてタンダと幸せになりなさいと伝えていました。

闇の守り人のジグロと戦っていたバルサの槍は、ジグロの身体を貫いていました。闇の守り人は消え、バルサは気を失いました。チャグムはバルサに駆け寄りました。闇の守り人たちがいなくなったのを見たログサムは、ラダールが止めるのも聞かずに、その向こうに現れた大きな青白い光の向こうに進もうとして、再び姿を現した闇の守り人たちの槍に囲まれました。中央にいたのはカグロでした。カグロを殺そうとしたログサムが闇の守り人たちの槍に殺されそうになった時、ログサムを助けようとした皇太子のラダールがその槍を一身に受けました。ラダールは、カグロの思いは私が受け止めるから父のことは許してほしいと山の王に懇願しました。山の王は、ログサムを連れ去りました。そして、倒れたラダールとバルサの身体を青白い光に包んでその傷を癒すと、二人を人々の中に戻し、青く光る鉱石のルイシャを贈りました。山の王は、ラダールを新しいカンバルの王として選んだようでした。ルイシャによって、カンバルの経済はしばらく安定することになります。父王のログサムが精霊になったことを知ったラダールは、バルサのおかげだと感謝していました。

ルイシャ贈りの儀式が終わった後、バルサは馬に乗り、急いで叔母のユーカの診療所を目指しました。バルサは、診療所から飛び出してきたユーカに、ジグロに会ったと話しました。そして、ユーカが身に着けていたペンダントの緑白石を見て、ジグロはずっとこの場所にいた、ジグロを待っていてくれてありがとうと伝えました。ユーカ叔母さんは、そのように話すバルサを、お帰りと抱きしめていました。

脚本は大森寿美男さん、演出は一色隆司さんでした。

このような第5話でした。第5話も、とても良かったです。

王の槍たちと闇の守り人たちとの戦いの場面の迫力も良かったですし、バルサとジグロの槍舞いの場面も鋭くて美しかったです。

チャグムとラダールという、ナユグに選ばれた存在らしい、ナユグの光を見ることのできる二人の皇太子の存在感も良かったように思います。

ナユグが集まってできていた闇の守り人は精霊であり祖先の霊でもあったようなのですが、バルサやログサムが見たジグロやカグロは、バルサやログサムの心が生み出したものだったのでしょうか。

今回は、バルサの親離れの話でもあったように思いました。バルサとジグロの対決は、バルサの心の葛藤で、ジグロの姿をした闇の守り人を倒したバルサは、ジグロに対して抱いていた罪悪感やジグロに置き去りにされるという不安感から解放されたということなのかなと思います。

バルサも、カグロの息子のカームも、ログサムの息子のラダールも、父親を喪ったのですが、同時にこの儀式(ルイシャ贈りは先祖を弔う供養の儀式でもあるようでした)によって、亡くなった父親の存在を身近に感じることもでき、生きる上での迷いのようなものが克服されて、もう一つ先の精神的な自立をしていくというような感じでした。

山岳信仰と父殺しの神話のようにも思えました。

希少な鉱物のルイシャがあれば貧しい北部山岳地帯のカンバル王国の経済は安定するということなので、ログサムの死と引き換えに山の王からルイシャが贈られたということは、ログサムは山の王への人柱や生贄と呼ばれるものになったということなのかなとも思うのですが、もしもそうなら、前回のルイシャ贈りの儀式の際にも誰かが人柱になっていたのでしょうか。

「精霊の守り人」は、普通の大河ドラマとは異なり、約1時間のドラマなのですが、本当に1時間なのかなと思えるほど、充実しているように思えます。バルサとジグロが話し合う場面も良かったですし、少し重い内容でもあるのですが、とても面白いです。よく出来ているドラマだなと改めて思います。

今回で前半の物語が終わったようでした。ただ、新ヨゴ国とカンバル王国とロタ王国の、タルシュ帝国との戦いは終わっていないので、バルサのジグロに対する葛藤やカンバル国の王家の内紛が終わったということなのだろうと思います。予告の映像によると、次回(第6回)から、冒頭にあるような、タルシュ帝国との戦の物語が始まるようでした。

来週はお休みで、次回の放送は、来年の2018年の1月6日の土曜日になるそうです。夜9時の放送時間に見ることができるかどうかはまだ分からないのですが、放送時間に見るにしても、録画をして見るにしても、次回の「精霊の守り人~最終章~」の物語もまた楽しみにしていようと思います。
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