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「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」

NHKのEテレの「ETV特集」の「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」を見ました。

公害病の水俣病のことが海外に広まったのは、アメリカ人の写真家のウィリアム・ユージン・スミスさんが出版した、水俣病患者とその家族の闘いの日常と生きることを諦めない命の輝きを撮した、写真集『MINAMATA(ミナマタ)』によるところが大きいのだそうです。

私はその写真集を未見なのですが、ユージン・スミスさんと妻のアイリーン・美緒子・スミスさんの共著です。白黒の写真集で、解説の文章は英語で書かれていました。

来日して熊本県の水俣の漁村で暮らした3年間、水俣病の患者や家族の方に寄り添い続けていたというユージン・スミスさんのことも私は知らなかったのですが、スミスさんの没後40年の今年、スミスさんの取材に関する資料が新たに見つかったそうで、番組では、スミスさんの会話などが録音された310時間に及ぶカセットテープの音声の一部も公開されていました。カセットテープを持っていたのは、今は京都で暮らしているという写真家のアイリーンさんでした(妻ではなく、元妻と書かれていました)。

スミスさんは、晩年をアリゾナ州のツーソンという町で過ごし、2年間大学で写真学を教えていたそうです。クリエイティブ写真センターというところに保管されていた600箱になるというスミスさんの資料の一部が初公開されていました。水俣で撮影した40年以上前の未公開プリントや560本のフィルムもあったそうです。

スミスさんは、3年の間、水俣病患者である一人の少女の姿を撮り続けていたそうなのですが、その少女は18歳の頃の田中実子さんでした。田中実子さんは、水俣病が公式に認定されるきっかけとなった水俣病患者の一人です。

1950年代初めの水俣の人々は、奇病の噂や差別に苦しんでいたそうです。1956年5月に、水俣病が公式に確認され、「チッソ」の水俣工場の排水に含まれるメチル水銀が原因で、汚染された海で穫れた魚介類を食べて水俣病を発病したと特定されたそうです。

1960年代後半には被害者たちが国とチッソを訴える裁判を起こしていて、スミスさんが水俣に来た頃も闘争は続いていたということでした。

スミスさんの撮影フィルムの記録ノートには、「JITSUKO-CHAN(実子ちゃん)」が何度も登場していました。1971年9月の実子さんの姿も撮影されていました。スミスさんは実子さんと1時間手をつないで撮影していたそうです。スミスさんは、来日する8日前にスミスさんと結婚したという写真家のアイリーンさん(父親がアメリカ人で母親が日本人だそうです)と、アシスタントの写真家の石川武志さんの協力を得て、水俣病患者や家族の写真を撮影をしていたようでした。アイリーンさんは今は68歳で、結婚した頃はアイリーンさんが21歳、スミスさんが52歳だったそうです。31歳差です。

アイリーンさんは、二人で使っていたというニコンのカメラを今も大切に持っているようでした。取材の時に録音していた40年前のカセットテープも、話している内容が感動的なので、保管せずにはいられなかったのだそうです。そこには、実子さんと実子さんの母親とスミスさんとアイリーンさんが楽しそうに話している音声も残されていました。

スミスさんは、実子さんのことを、アメリカの友人への手紙に、彼女は18歳で私が知る最も美しい女性の一人だと書いていたそうです。

ユージン・スミスさんは、25歳の時、従軍カメラマンとして、太平洋戦争時のサイパン島や硫黄島で、敵国の捕虜や傷ついた子供たちの姿を撮影していたそうです。1945年には沖縄で沖縄戦の様子を撮影していたそうなのですが、撮影中、日本軍の砲弾によって顔や身体に重傷を負ったそうです。戦後には、「LIFE」に1950年代の圧政下のスペインの村の人々を取材した写真を掲載したりしていたそうなのです。1961年頃、日本の日立製作所から写真集のための工場の撮影依頼を受けて来日したそうなのですが、スミスさんの目は次第に工場周辺で暮らす貧しい人々に向けられるようになり、漁村を撮影したいと考え、不知火海に面した水俣にたどり着いたということでした。

ユージン・スミスさんとアイリーンさんは、月浦という町に一軒の家を借り、自宅兼作業場として使っていたそうです。3年間アシスタントをしていたという石川さんは、スミスさんの家があったという場所へこの番組のスタッフの方たちを案内していたのですが、国道沿い?にあったらしい家の跡地は、今は空き地になっていました。月浦は、患者が最も多く発生した地域だったのだそうです。

その小さな家で暮らしていた当時のスミスさんご夫妻の様子は、1973年の「文化展望 写された20世紀」というドキュメンタリー番組に残されていました。スミスさんがよくウィスキーを買っていたというお店の方によると、スミスさんは沖縄戦の時の怪我の影響で食べ物をあまり噛むことができなかったのだそうです。日本語も全く話すことが出来なかったということでした。それでも、地元の方たちと仲良く暮らしていたそうです。穏やかで陽気な方だったようでした。

スミスさんは、「水俣」を大きな視点で撮っていたそうです。写真集『MINAMATA』は、不知火海での漁や民家と新聞紙に包まれた夕食の太刀魚などの日常風景の写真から始まっているのだそうです。

なぜ水俣に来たのかと訊かれることが多かったというスミスさんは、「この水俣で起きていることに私は外国人として関わっているのではない。私自身のため、妻と子供たちのため、水俣の住民のため、世界全体のためにここにいる」と答えたそうです。

「ほっとはうす みんなの家」に暮らす66歳の渡辺栄一さんも、被写体となった一人で、カセットテープには、船頭小唄をアコーディオンを弾きながら歌っている声が残されていました。スミスさんは、明るい栄一さんを、友達を大笑いさせる生まれながらの芸人と評していたそうです。カセットテープの音を聴いた栄一さんは、懐かしいと言い、スミスさんのことを、優しい陽気な人だった、いつもウキウキしていた、と話していました。栄一さんは、スミスさんのそばにいるだけで楽しかったようでした。栄一さんの家族の全員が水俣病患者で、今は両親も弟も亡くなり、栄一さんは5年前から施設で暮らしているそうです。寂しくならないように過去は思い出さないようにしていると話していたのですが、寂しい時はアコーディオンを弾くそうです。きれいな音でした。

ユージン・スミスさんは、様々な表情の田中実子さんを撮影していたのですが、なかなか納得のできる実子さんの写真を撮ることができなかったそうです。刻一刻と揺れ動く実子さんの内面を、スミスさんは捉えようとしていたようでした。石川さんによると、「かわいい」や「きれい」では、実子さんの親御さんにあげる写真ならいいけれど、スミスさんの撮りたい実子さんの写真ではなかったそうです。苦悩するスミスさんには、実子さんの美しさだけではなく、不安や怒り、人間として人間らしく生きられない、壊されているという叫びを自分の写真で出せない、声なき声を自分が代弁できていないという苛立ちがあったということでした。スミスさんは、撮影した実子さんの写真を現像しながら、ジャニス・ジョプリンの「サマータイム」をよく聴いていたそうなのですが、その歌声を聴いて、なるほどなと、何となく思いました。

そして、水俣に来てから一年後、スミスさんは実子さんのある表情にたどり着いたそうです。笑顔の中に見えた一瞬だそうです。写真集に選ばれた、一千枚分の一枚です。しかし、写真集には「私にはあなたを撮った写真はみんな失敗なのが分かる」と書かれているそうです。

現在、65歳の実子さんは、74歳になる姉の下田綾子さんのご夫婦と暮らしていました。綾子さんは、車椅子に座っていました。実子さんは、転倒した際に頭を守るためのヘッドギアを着けていました。30年前に両親を亡くしてから、実子さんは、ほとんど外出することが出来ないそうです。姉の綾子さんは、ユージン・スミスさんは実子ちゃん、実子ちゃんとかわいがってくださった、でも今は憶えていないかもしれないと話していました。

カセットテープには、「はっとするほど美しく生きている18歳の女性。恋愛を知ることはないだろう。実子ちゃん。愛らしくて美しい人の有意義な人生が産業発展の廃棄物によって奪われる。私はこれまで多くの写真を撮ってきたが、この世に生きる人間で実子ちゃんほど私の心をかき乱した人はいない。実子ちゃんを撮るのは、あなたの素早く変わる心模様に触れるようで、私は大きな間違いをしているのではないかと恐れを感じる。私には分かる。私が実子ちゃんを撮った写真は全部失敗作だと。私は君を愛している。実子ちゃん、愛している。」というユージン・スミスさんの英語の言葉が残されていたのですが、最後にはすすり泣くような声も録音されていました。

実子さんの向き合い続けたユージン・スミスさんの心には、カメラを向けること、撮る者と撮られる者の関係性への恐れがあったようでした。

「ほっとはうす みんなの家」に暮らす61歳の長井勇さんは、14歳の頃にスミスさんと出会って、スミスさんに撮影されるうちにカメラを好きになり、自身でもカメラを使って写真を撮るようになったそうです。長井さんの写真の中には、自宅で現像するスミスさんが写っているものもありました。長井さんは、スミスさんのことを、やっぱり優しい人、と話していました。14歳の長井さんを写した写真も、写真集『MINAMATA』に入っているそうです。スミスさんと仲良くなって、風景や写真を撮るのが楽しいカメラマンになった長井さんですが、今はカメラを使っていないそうです。手が硬くなったのできつい、と長井さんは話していました。

当時15歳だった胎児性水俣病患者の上村智子さんを、スミスさんは、水俣の象徴として捉えていたそうです。智子さんの父親の83歳の好男さんは、坂を上り、乙女塚という水俣の少女たちの慰霊碑の前に来ていました。37年前に建てたそうです。智子さんは21歳で亡くなったそうなのですが、石像は、智子さんが母親に抱えられている姿を捉えた写真から表現されたもののようでした。

ユージン・スミスさんは、上村さんの一家と家族ぐるみの付き合いをしていたそうです。写真集に入っている「入浴する智子と母」は、水俣病を世界に伝えた作品ということなのですが、このような写真を撮ることができたのは、水俣病患者やその家族と心を通わせることができたスミスさんの人柄によるところが大きかったようでした。スミスさんは、智子さんを観察する中で、1971年の10月に、お風呂に入っているところを撮りたいと提案し、家族もそれを認めたそうです。

資料の1971年12月24日のところには、「TOMOKO CHAN」、「TOMOKO IN BATH」と書かれていました。この写真は、ユージン・スミスさんの写真家人生にとっての最高傑作となったそうです。しかし、この写真が有名になると、問題が起きました。上村さんたちも、「相当お金をもらったでしょう」などと言われたのだそうです。

ユージン・スミスさんとアイリーン・スミスさんの会話がカセットテープに残されていました。「僕は不安になる。自分の予想以上に患者たちを傷つけていないかと」。

写真集には「ジャーナリズムにおける私の責任は二つある。一つは被写体に対する責任。もう一つは写真を目にする人に対する責任である」と書かれているそうです。

アイリーンさんは、ユージン・スミスさんの亡き後、上村さんが「入浴する智子と母」を広めてほしくないと話していると知り、この写真の展示と出版を行わないということを決めたそうです。その写真が使われたチラシやチケットが地上に落ちて踏まれることにも思いを巡らせていました。アイリーンさんは、「あの写真が有名になって儲けただろう」という言葉は親として本当に傷つくだろうと話していました。

それから、ユージン・スミスさんは、1972年1月7日、水俣病の患者やその家族が「怨」という旗を掲げてチッソの東京本社へ直接交渉へ行くところも取材したそうです。チッソは、患者たちを包囲し、排除したそうです。千葉のチッソ五井工場へ取材に出かけたユージン・スミスさんと妻のアイリーンさんは、なかなか姿を見せない責任者を患者たちと待ち続けていたそうなのですが、予定の時刻から4時間後、大勢のチッソ関係者(従業員や暴力団員)が患者やスミスさんたちを取り囲み、無理矢理外へ追い出したそうです。怖いことです。

チッソの関係者がスミスさんたちに掴みかかった時の音声がカセットテープに残されていました。「虐殺だよ、これ」と誰かが言う声も入っていました。チッソの関係者に殴られたユージン・スミスさんの口の中は血だらけになり、カメラも2台壊されたそうです。ユージン・スミスさんは、東京女子医大で治療を受けたそうなのですが、資料(カルテ)によると、左大腿部や頸椎の挫傷、右尺骨神経損傷と診断されていたようでした。その傷がもととなって沖縄戦の時の古傷も悪化し、スミスさんは頭痛や視力障害にも苦しむことになったそうです。アイリーンさんによると、五井工場の暴行・傷害事件の後、スミスさんはいつも「痛い」と悲鳴を上げていたそうです。当時のことは、新聞の記事にもなっていました。番組で紹介されていた新聞記事の見出しには、「外人カメラマン袋叩き」と書かれていました。

事件の後、水俣病の原因企業のチッソから、スミスさんに手紙が届いたそうなのですが、そこには、治療の費用を負担をすることと、カメラの弁償をすること、今後の取材に協力をすることが、告訴を取り下げることを条件に提案されていたようでした。

ユージン・スミスさんは、チッソの提案を拒否し、告訴もしなかったそうです。「チッソは憎いが告訴はしない。もしも告訴してしまったら私の写真を誰も信じなくなってしまう」という思いからでした。ジャーナリストとして、水俣病患者と家族の苦しみを伝えることを優先したそうです。スミスさんは、体調が悪化する中で撮影を続けていたそうなのですが、1974年にアメリカへ帰国したそうです。帰国する前に撮影したのは、20歳になった田中実子さんの成人式の写真でした。ニューヨークの自宅で取材に応じていたスミスさんは、右目に黒の眼帯を着け、サングラスをかけていて、一週間前に帰国した時より良くなったが右目が悪くて写真が撮れないと話していました。それでも、日本に戻れることを願っていたようでした。

たとえ遺作になったとしてもこの本を完成させたいと話していたスミスさんは、翌年の1975年に写真集『MINAMATA』を発表し、ロバート・キャパ賞を受賞したそうなのですが、その3年後の1978年10月15日に59歳で亡くなったそうです。『MINAMATA』は、ユージン・スミスさんの遺作となりました。

今も多くの水俣病患者の方が、症状に苦しみ、病の認定と救済を国とチッソに求めています。上村智子さんの父親の好男さんは、患者団体の代表を務め、水俣の問題に取り組んでいるそうです。

好男さんは、患者がいなくなったら「終わった」となるのでしょう、しかし歴史には残ります、あなたたちの取材も残ります、それがつながりじゃないですか、私はそう思います、取材してさよならではなく、あなたたちの記録は残ります、どこかに出てくる記録になると思います、是非残ってほしいんですよね、それで目を向けてもらえることが良いと思いますよ、ということを番組の取材スタッフの方たちに話していました。本当にそうだなと、上村好男さんの言葉を聴いて思いました。

ユージン・スミスさんとアイリーン・美緒子・スミスさんによる写真集『MINAMATA』は、「写真はせいぜい小さな声に過ぎない。しかし、ときたま、ほんのときたま、一枚の写真が我々の意識を呼び覚ますことができる。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。私は写真を信じている。写真はときには物を言う。それが私、そしてアイリーンが水俣で写真を撮る理由である」という言葉で終わっているそうです。

不知火海の夕焼けの風景がきれいでした。番組のタイトルの「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」の意味が、迫ってくるように思えました。

私がユージン・スミスさんとアイリーン・スミスさんと写真集『MINAMATA』のことを知らなかったということもあるのですが、とても良い特集でした。何となく気になって録画をしておいたものを見たのですが、私も見ることができて良かったです。

カメラを携えて社会問題を取材する人の心構えというか、取材対象者、被写体となる被害者、社会に抑圧された人々や虐げられた人々に寄り添うということに対するユージン・スミスさんの当事者と一体化するような優しさは、すごいと思いました。

自分がカメラを向けることや自分の写真が、患者さんを傷つけているのではないかと、フォトジャーナリストの方が不安に思って自らに問い続けるということは、写真家の方にとっては辛いことなのだと思いますが、本当に大切なことであるような気がします。

今年はユージン・スミスさんの没後40年の年ということですが、生誕100年の年でもあり、昨年には東京都写真美術館でそれを記念するユージン・スミスさんの回顧展が開かれていたそうです。

戦争で従軍カメラマンをしていたというユージン・スミスさんは、戦争に傷つけられていく人々を撮影している時にも苦しんでいたのかもしれません。沖縄戦で負傷したのに再び日本に来たというところも、すごいなと思うのですが、そうしてスミスさんが日本の産業発展を見て、壊されていく自然と農村や漁村の生活を世界に伝えてくださった功績は大きいのだと思いました。海外ではメチル水銀による公害が今でも出ているそうなのですが、その被害を減らす役割をスミスさんの写真集は今も果たしているのかもしれないと思います。

戦争の被害も、原爆の被害も、水俣病を初めとする四大公害病(小学校でも習いました)の被害も、17日に発覚から50年を迎えたというカネミ油症事件の被害も、終わっていません。北朝鮮の拉致事件も、オウム真理教事件も、「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件もそうかもしれないのですが、上村好男さんが話していたように、関係者の方が亡くなったらそれで終わり、ということではないのだと思います。私には知らないことが多いですし、少し知ったことをいつも憶えていることはできません。でも、多くの人が傷ついた悲しい出来事を忘れないようにするために、そのことについて考え続けることができるようにするために、被害が二度と繰り返されないようにするために、記録は残さなくてはいけないし、残るのだろうと思いました。

「ラップと知事選 沖縄 若者たちの声」

昨夜、BS-TBSの「報道1930」の、安倍政権の外国人労働者受け入れ拡大の法案と、10年以上前から続いている静岡県浜松市に暮らす移民の外国人の方たちとの共生のための取り組みの特集の後半を見た後、私は、NHKのBS1の「BS1スペシャル」の「ラップと知事選 沖縄 若者たちの声」という特集を見ました。

「ラップと知事選」というタイトルが気になって、内容を知らないまま見始めたのですが、面白かったです。沖縄のラップは、日本がアメリカやイギリスとの戦争に負け、沖縄県にアメリカ軍基地が置かれるようになったことで、日本本土よりもいち早く入ってきたアメリカのヒップホップ音楽文化の影響を強く受けて生まれたものだそうです。

そのラップを歌う沖縄の若者たち(取材を受けていたのは30歳前後の方たちでした)が、その方たちにとっては生まれた時から存在するアメリカ軍基地のある沖縄の暮らしの現状と、翁長雄志知事の急逝を受けて行われることになった(事実上は与党の自民党の推薦する佐喜真淳さんと野党や「オール沖縄」の推薦する玉城デニーさんとの一騎打ちになっていた)、沖縄の未来を変えることになるかもしれない、9月30日の沖縄県知事選挙と向き合う姿を取材した約50分のドキュメンタリー番組でした。

ムクロさんというラッパーの方を中心に沖縄の若者たちを取材して、沖縄戦後に置かれた米軍基地のある沖縄の今について話を聞いていたのですが、「言葉」を大切にするラッパーの若者たちの、沖縄に暮らす人にはそれぞれ違う意見があるということをそのまま受け止めようとする素直な考え方の中に、筋の通った反骨精神のようなものがあるように思えました。

2015年の頃に安倍政権の集団的自衛権の行使容認などを含む安全保障関連法案に反対を訴えていたSEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)の学生の方たちの時もそうだったのですが、日々の生活につながっている政治の問題をちゃんと考えようとしている若者たち、政治家の汚さを拒絶するような若者たちの姿を見ると、かっこいいなと思います。

私も沖縄を好きなのですが、沖縄の美しい青い海や城の遺跡を観光で少し見て感動したことがある程度の、沖縄のほんのごく一部分しか知らないような本土の私が安易に沖縄のことを好きと言うのを許さない感じも、沖縄の今を取材したドキュメンタリー番組として、良かったのだと思います。

米軍基地のある環境が日常になってしまっている地域に暮らす方たちが、基地の存在に対して、賛成とも反対とも一概には言い切れない複雑な思いを抱えているということも、改めて伝わってきました。ムクロさんは、米軍基地があったからアメリカ人の友人もできたしラップとも出会えたと、米軍基地のある今の沖縄を肯定していたのですが、これからも沖縄県内に米軍基地が在り続けたほうがいいのか、なくなったほうがいいのかどうかについては、分からないと話していました。一方で、基地はないほうがいいとはっきりと言っている方たちもいました。地元の経済と全く関わっていないとは言えない沖縄の米軍基地の設置の問題は、日本全体の安全保障の問題だろうと思うのですが、アメリカやイギリスの連合軍と戦争を始め、沖縄を本土防衛の捨て石として戦場にした戦前の日本政府、沖縄に米軍基地を集中させている戦後の日本政府の責任は大きいように思いました。

あと、私は沖縄のラップの音楽のことも知らなかったのですが(そもそもヒップホップやラップ自体をよく知らないのですが)、中華圏の文化も日本文化(大和文化)もアメリカ文化も寛容に柔軟に取り入れて発展している沖縄文化(琉球文化)はすごいなということも、改めて思いました。何気なく見てみることにしたドキュメンタリー番組だったのですが、見ることができて良かったです。

「佐藤さんとサンくん」

NHKの「ETV特集」の「佐藤さんとサンくん~難民と歩む あかつきの村~」という特集を見ました。

私は、この番組の予告編を見ていなかったので、「佐藤さんとサンくん」というタイトルだけで、何だろうと気になって録画をしておいたこの番組を見始めたのですが、佐藤さんに呼ばれて部屋から出てきて車の助手席に乗る「サンくん」の姿(大人の人なのかということと、長い黒髪の不思議な髪型)にまず衝撃を受けました。

アメリカが本格的に参戦した1960年代のベトナム戦争の頃、激戦地となったベトナムを脱出して、船に乗って海を渡って日本へ逃れてきた「ボートピープル」と呼ばれるベトナム難民(インドシナ難民)を、日本が受け入れるようになってから40年になるそうなのですが、群馬県にあるという社会福祉法人「フランシスコの町 あかつきの村」は、そうして祖国を離れて日本に来たものの、日本の社会に上手く馴染むことができず、いじめや嫌がらせに遭うなどして仕事場を転々とする中で精神疾患を患うようになってしまったベトナム出身の方々を、40年ほど前から受け入れている場所なのだそうです。キリスト教の神父さまの石川さんという方が始めたそうなのですが、その方は7年前に亡くなったそうです。

サンさんに積極的に話しかけていた佐藤明子さんは、長崎県出身の方で、会社員だったのを辞めて、キリスト者となり、20年ほど前からシスターとして「あかつきの村」で難民の方たちと共に暮らしているようでした。

サンさんは、「ボートピープル」ではあるようなのですが、元々はベトナムの牛飼いの少年だったそうです。牛泥棒から牛を守ろうとしたところ、泥棒たちに捕まってしまい、船に放り込まれたということでした。サンさんが日本に到着した後にすぐにベトナムに帰ることができなかったのは、戦争中だったからでしょうか。日本の社会に馴染むことができなかったサンさんは、統合失調症(当時は分裂病)と診断され、心に深い傷を負って精神の病を患うようになった難民の方たちが暮らす「あかつきの村」で一緒に暮らすことになったそうです。祖国を捨てた者と非難されて、ベトナムの社会に戻ることができない方たちもいたようでした。

佐藤さんは、「あかつきの村」に来た頃には、人間不信のために汚物まみれの部屋に閉じこもって暴れるサンさんの様子に衝撃を受けたそうなのですが、人間であることを放棄しているようだったサンさんに何か自分と共通するものを感じ取って、約8年間、正面から向き合い続けたようでした。私には分からないことなのですが、きっと、佐藤さんにとってもサンさんにとっても、大変な日々だったのではないかなと思いました。

「あかつきの村」には、以前には、日本社会に上手く溶け込むことができずに心を病み、あしき日本の犬、というような言葉を壁に遺して、両親のいるベトナムに帰ることができないことに苦悩しながら、焼身自殺をした方もいたそうです。

番組のナレーションも担当していたディレクターの松原翔さんの取材の映像によると、佐藤さんに穏やかな笑顔を見せるようになっているという今のサンさんは、少し落ち着いているようでした。牛飼いだったサンさんは、山羊のいる「あかつきの村」周辺の群馬の農村風景の中に、記憶の中の昔のベトナムの農村風景を感じ取ることもあるようでした。でも、心の奥の不安感のようなものは、消えていないということでした。

佐藤さんは、ある時、サンさんが赤ちゃんがえり(子供がえり、幼児退行)をしていることに気付いたそうです。その頃のサンさんは、年齢を聞かれると、3歳とか4歳とか答えていたそうです。3年ほど前からは、佐藤さんの姉もサンさんに会いに来るようになったそうなのですが、お姉さんによると、佐藤さんにとってサンさんは子供のような存在なのだということでした。簡単に言えることではないと思うのですが、佐藤さんとサンさんは、“親子”として、相手の存在を受け入れて生きているようでした。

新しい所長として「あかつきの村」に来た時に佐藤さんに怒られたという精神福祉士の櫻井さんという方は、その後、難民の方々に対して精神福祉士として接するのではいけないということに気付いたということでした。

佐藤さんが、あなたたちがいたから私は幸せに生きているとまず自分が肯定することが大切だという趣旨のことを話しているのを聞いて、そうかもしれないと思いました。そのように思うことができるというのは、本当にすごいことだなと思いました。優しいですし、強いのかもしれないと思います。共存や共生というのは、こういうことなのかもしれないとも思いました。

「あかつきの村」のことも、そこに心に深い傷を負っている難民の方たちが暮らしているということも、私は全く知らなかったのですが、番組の映像によると、1990年代頃までは何度か特集されたこともあったようでした。

移民政策とは呼ばない移民政策?を日本政府(安倍政権)が新しく始めようとしている今、この番組のような特集が放送されることは、とても良いことだと思います。NHKのニュース番組では、政府による外国人労働者受け入れ拡大の法案について報じる際、「人手不足」や「人件費」に悩む日本の各種の業界が喜んでいるとか、出稼ぎで大きな家を建てた人がいるとかの「良い面」ばかり報じていたのですが、人権侵害が行われていることや事故や病気や自殺で亡くなる方も多くいるなどの「悪い面」もあることや、それを直すためにどのような対策を政府は考えたほうが良いのかということなどを同時に報じないと、日本人にとっても、日本に来る外国人の方にとっても、大変なことになってしまうような気がします。

例えば、先週の「ハートネットTV」の「故郷・福島へ帰還する“自主避難ママ”消えない不安の日々」や「石巻・孤立する人たちを見捨てない」、「地域で暮らすということ~西日本豪雨 被災した障害者~」という特集も良かったですし、「こころの時代~宗教・人生~」の「外国人収容者と共にありて」(「佐藤さんとサンくん」が放送されていた先日の土曜日の深夜に再放送されていました)も良かったです。私も全部を見逃さずに見ることはできないかもしれないのですが、このような人権や個人の命や生き方を守ることにつながる内容を伝える番組が、NHKでも民放のドキュメンタリー番組でも、これからもちゃんと放送され続けるといいなと思います。


ところで、昨夜のBS朝日では、「皇室スペシャル 退位までの遥かなる旅路Ⅳ 皇后“最後”の誕生日~美智子さま“ラストメッセージ”~」が放送されていました。“ラストメッセージ”と言われるのは、上皇后になると文書公表が行われないからなのだそうです。私は録画をしておいたものを後で見たのですが、84歳のお誕生日に寄せた美智子さまの文書ご回答を美智子さまと同世代の女優の八千草薫さんが朗読するというのもすてきでしたし、探偵小説もお好きな美智子さまがイギリス文学に造詣が深いという話も、拉致被害者の方々を始めとした社会的に弱い立場の方々に心を寄せ続けている話も、「入り陽」と長女の紀宮さま(黒田清子さん)との思い出の話も、「三大行幸啓」を大切になさって来た話も、現在の新憲法の下で全身と全霊で象徴天皇であり続けてきた天皇陛下の話も、熊本の胎児性水俣病患者と作家の石牟礼道子さんとの話も、水俣病患者の方の話をお聴きになった天皇陛下の「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」というお言葉の話も、とても良かったです。見ることができて良かったです。

日本国憲法公布から72年の文化の日、ジャーナリストの安田さんの会見、分断社会のことなど

今日は、「文化の日」です。日本国憲法が公布されてから72年目の日でもあるそうです。

明治時代には唐の玄宗皇帝の誕生日を祝ったことに由来する「天長節」と呼ばれていた日だそうで、昭和の初め頃から敗戦後に日本国憲法が公布されるまでは、明治天皇の誕生日として「明治節」と呼ばれていた日でもあります。官邸は今年が「明治150年」だということを喜んでいるようですし、政府はいつか「文化の日」を「明治の日」に変えるつもりなのではないかと、少し気になっていたのですが、今年は無事でした。

一説によると、参議院議員の山本有造(小説家の山本有三)たちは憲法が公布された11月3日を「憲法記念日」にしたかったそうなのですが、5月3日を「憲法記念日」にすることにしたGHQと衆議院議員に反対されて、「文化の日」としたのだそうです。私には、「文化の日」のままのほうが良いように思えます。明治の日を作るなら、大正の日も作ったほうが良いことになりますが、大正天皇の誕生日の8月31日はなぜか一度も祝日になったことがないのだそうです。

皇后美智子さまが喘息になったということが報道されていたのですが、早く快復なされるといいなと思います。他方で、昨日には、シリアの武装組織(ヌスラ戦線?)に3年4か月の間拘束・監禁され、10日ほど前に解放されたばかりのフリージャーナリストの安田純平さんの日本記者クラブでの記者会見の様子が放送されていました。夕方や夜の報道番組の中には、安田さんご本人がお一人で、あるいは妻の方とお二人で出演している番組もありました。

私も、録画をしておいたそのいくつかのNHKや民放の番組を見ることができたのですが、記者会見の様子の映像を流したり、安田さんに「自己責任論(自業自得論?)」について訊いたりした後に、ジャーナリストがなぜ危険な地域へ取材をしに行くのかについて、スタジオのキャスターやアナウンサーの方が一切コメントしない(自分の意見を述べない)番組もあり、残念に思いました。

例えば、夜のTBSの「NEWS23」やBS日テレの「深層NEWS」は、第三者が紛争地の取材を行ってそれを世界に報じることの大切さを伝えていたように思います。(でも、昼のTBSの「ひるおび」のスタジオにいた落語家の立川志らくさんの「ちゃんと感謝とお詫びをしてくれた」や、元柔道選手の女性の方の「日本政府の慈悲によって改心したのだろう」というような言葉には、少しぞっとしました。録画をしていないので分からないのですが、もしかしたら、日本テレビやフジテレビ、テレビ朝日のお昼の情報番組などでは、安田純平さん、あるいは紛争地で何かの事情で誤って武装組織に拘束されたり殺害されたりしてしまったフリージャーナリストの方たちに対して、もっと酷い言い方がなされていたのでしょうか。)

自分に責任があるということを安田さん自身が自分について言うのは良いと思うのですが、他の人が言うのは間違っているような気がします。以前、写真家で探検家の星野道夫さんが撮影旅行中にクマに襲われて命を落としたというような報道がありましたが、どのような職業のプロの方でもそのようなことはあると思いますし、紛争地での取材経験の多いジャーナリストでも、混乱した現場で武装組織に捕まってしまうことはあると思います。安田さんが帰還した現在でも、武装組織に拘束されている方々がいるそうです。悪いのは、一般市民やジャーナリストに危害を加える武装組織のほうです。

安田さんが武装組織に拘束されたことについて、国に迷惑をかけた、などと言う方たちも日本の中にはいるそうなのですが、国というのが行政府という意味であるとすれば、その方たちは一体国の何なのだろうとも思います。国家の味方をすることで、国家の役に立っているような気分になるということなのでしょうか。そうだとすれば、その方たちは、国家主義、権威主義の方たちなのかもしれません。

私は、安田さんの記者会見や報道番組でのインタビューの際の冷静に応じる毅然とした態度を見て、少しほっとしました。法律上のこととしても、日本政府には、どのような国民かに関係なく、国民を助ける義務があり、助けてくれと言った人を助けて、助けるなと言った人をそのまま助けないということがあるとすれば、それは民主主義国家のすることではないそうです。

NHKの「ニュースウォッチ9」では、アメリカの中間選挙について、有馬嘉男キャスターが中継先のワシントンから解説していたのですが(私は2日連続で見たのですが、もっとあったのかもしれません)、政治経験のない実業家のドナルド・トランプさんを大統領にした今のアメリカの“分断社会”が、民主主義の崩壊していきそうな今の日本の社会と重なるように思えました。有馬さんが、日本も含めた世界の変化として話していたのも良かったように思います。

昨夜のTBSの「NEWS23」やテレビ朝日の「報道ステーション」では、新作の映画「華氏119」を公開したマイケル・ムーア監督のインタビュー映像を放送していました。マイケル・ムーア監督が、トランプ大統領とアメリカ社会のことだけではなく、トランプ大統領の“お友達”の安倍晋三首相の日本社会のことを、日本人の取材スタッフ(TBSのほうは誰か分からなかったのですが、テレビ朝日のほうは富川悠太アナウンサーでした。小川彩佳アナウンサーがいたなら、英語で対談をすることができたのかもしれません)に質問しながら話していたのも良かったです。富川アナウンサーが何を答えたのかは、カットされていたので分かりませんでした。特に「NEWS23」のほうは、いつかインタビューの完全版を放送してほしいようにも思えました。

民主主義は今崖っぷちの状況にある、頭のおかしな男が車のハンドルを握っていて、我々が積み重ねてきた民主主義が壊されていることに多くの人が気付いていないと話していたマイケル・ムーア監督は、選挙へ行かない国民がアメリカにも日本にも多いということを危惧していました。そのうち良くなるだろうと祈っているだけでは駄目で、今すぐに行動しなければいけないと話していたことも印象的でした。

アメリカ社会の映像を見ていると、多くの人たちがごく普通のように政治活動に参加したり、デモを行って主張したりしているのが、本当にすごいことのように思えます。日本では、というか、私は、デモのようなイベントに参加したことはありません。特定秘密保護法を成立させた安倍政権がや武器輸出や集団的自衛権を含む安全保障関連法を成立させる頃、「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」という学生主体の政治団体が国会議事堂の前などでデモを行っていて、私はすごい人たちもいるのだなと応援していたのですが、報道で見ていただけでもありました。一方で、「SEALDs」の活動を無駄だとか悪く言う人たちもいたのですが、私にはそれは残念なことのように思えていました。日本では、例えば韓国などとも異なり、政権や政策を批判するデモは制圧されることがほとんどで(古い時代の「一揆」もそうなのかもしれません)、デモ活動が「問題の可視化」ということ以上には成功したことはないのだそうです。でも、敗北する可能性のほうが高いと知りながら一般市民が政治権力立ち向かっていくというのも、潔いことであるような気がします。

トランプ大統領のような政治は「ナショナリズム」ではなく「21世紀型ファシズム」なのだそうです。そうなのだろうと思います。アメリカの若い人たちが受け入れつつあるという社会主義の考えは、日本でいえば日本共産党の考えのようなことなのかなとも思います。日本国内には、一党独裁政治を良いと思っている若い方たちもいるそうなのですが、それは中国共産党を支持している中国の方たちのようなものなのでしょうか。

沖縄県の民意を無視し続ける政府が辺野古の海にアメリカ軍の新基地建設の工事を推進することも、酷いことのように思えます。また、報道によると、旧優生保護法の下で強制的に不妊手術を受けさせられた障害者の方が国を相手に起こした裁判について、政府は被害に遭った原告の方々に「お詫び」をし、「お見舞金」を渡すことにしたということなのですが、日本国憲法違反であるとはされなかったそうです。政府が、旧優生保護法下の強制不妊手術を、憲法に違反する人権侵害だったとどうしても認めようとしないのは、一体なぜなのでしょうか。当時は合法だったのだから悪くないと主張し続けるのはなぜなのでしょうか。そのようなところにも、日本政府の障害のある方への差別の意識が表れているように思えます。被害者の方々には、政府として憲法違反だったことを認めて謝罪をして、損害賠償を支払うようにしたほうが良いのではないでしょうか。

超党派議員連盟が作った強制不妊手術の被害者の救済法案の「お詫び」の主体は国会議員を含めた「国民」を意味する「我々」とした、とも報道されているのですが、それは国の責任、政府の責任にはしないということでしょうか。でも、旧優生保護法を作って運用していたのは政府です。「お詫び」の主体は「国」にしたほうが良いと思います。その報道を聞いて、政治家はまた責任の所在を曖昧にしておくということなのかなと、残念に思いました。


ところで、昨夜の報道で、女優の江波杏子さんが亡くなったことを知りました。先日の報道では、女優の角替和枝さんが原発不明がんのために64歳で亡くなったと伝えられていましたが、江波さんも、その先月の27日に亡くなったのだそうです。76歳だったそうです。肺気腫を患っていたということなのですが、それまではお元気だったそうです。夏にフジテレビのドラマ「限界団地」を見ていたこともあり、NHKの「カーネーション」の再放送が終わったばかりだったということもあって、突然のことのようで、はっとしました。訃報を聞いた時には、私は、「カーネーション」の奈津さんや、NHKのBSプレミアムで放送されていた2013年の冬のドラマ「火怨・北の英雄 アテルイ伝」での大沢たかおさんの演じる阿弖流為の母親(巫女のような女性でした)を演じていた江波杏子さんを思い出しました。凛とした姿が印象的な、すてきな女優さんでした。有名な方々の訃報を聞くと、関係のないことなのかもしれないのに、一時代の終わりを思います。

10月末のいくつかのニュースのこと

今日は、ハロウィンの日です。このヨーロッパ発祥の行事は、仮装イベントを行う日として?日本にも定着しつつあるそうです。先日には(まだハロウィンの日でもないのに)、東京の渋谷の中心街で飲酒をして騒ぐ若者たちによって、軽トラックが壊されたり飲食店の食券の機械が壊されるという事件も起きていて、逮捕者も出たのだそうです。周囲には騒ぎを止めるような人はいなかったのでしょうか。ハロウィンは、私にはほとんど関係のない季節の行事なのですが、日本のお盆の頃のように、この世の生と死の境目が薄くなる日でもあるそうです。

一昨日と昨日には、高円宮家の三女の絢子さまと守谷慧さんのご結婚という明るいニュースに、報道番組でその様子を見た一市民の私も幸せな気持ちになりました(絢子さまはご結婚なされたので、昨日の報道では「絢子さん」と呼ばれていました。黒田清子さんになった紀宮さまの時もそうでした)。

その一方で、インドネシアの飛行機が海に墜落して多くの乗客が亡くなるという悲しいニュースもありましたし、愛知県の老人福祉施設で女性職員たちが90歳代の男性入所者を虐待していたという辛いニュースもありました。報道されること自体は良いことだと思うのですが、施設の職員たちが笑いながらベッドの上で自力で動くことのできない入所者を叩いている映像と音声に吐き気がしました。その職員たちは、どのような罪に問われることになるのでしょうか。

保育園や幼稚園や小学校や老人ホームや病院などの施設で働く人たちには、高い人間性(道徳性)やコミュニケーション能力や明朗な対人能力が必要のような気がするというか、福祉の仕事というのは、本来は、そのような人でなくては勤まらないような専門性の高い接客業なのではないかなと思います。

昨夜には、韓国の「徴用工」の個人賠償を巡る裁判で韓国の裁判所が原告に訴えられている日本企業に個人賠償を命じたということが報道されていました。先日の「報道特集」で伝えられていた、朝鮮半島出身で太平洋戦争中には日本軍の兵士として参戦したという元BC級戦犯の李さんが求めている名誉回復の救済法の成立も、また遠退いてしまうかもしれないなと、何となく思いました。日本政府はその「徴用工」の裁判の結果を国際法に反すると憤っているようなのですが、政府が“普天間飛行場(普天間基地)の危険性を除去するための唯一の解決策”とする沖縄県名護市の辺野古の海での在日米軍の新基地の建設の工事を、翁長前沖縄県知事が行った埋め立て工事の承認撤回の効力を国土交通省が停止までして、普天間飛行場の返還と新基地建設中止を訴える玉城デニー知事を支持した県民の意向を無視して強行的に再開するというのも、法律の手続きを蔑ろにしているものなのではないかと思います。

普天間飛行場を無くすために辺野古に新しい米軍基地を造るのでは、米軍基地が減ったことにはなりません。辺野古に新基地ができれば本当に普天間飛行場の土地が元の住民に戻るのかどうかということも、分かりません。どうして沖縄県内から米軍基地を減らすことを考えないのかなと、不思議に思います。やはり日本政府は(特に現政権の日本政府は)、沖縄県を差別しているということなのでしょうか。47都道府県の中で一番下に見ているということなのでしょうか。地理的に日本列島の南の端に位置している、明治時代以前には琉球王国だった沖縄県の苦難の歴史、太平洋戦争で本土防衛の捨て石にされた沖縄戦で多くの住民がアメリカ軍と日本軍と殺されたことを思うと、日米安全保障条約があるのだとしても、米軍基地を沖縄県内に増やすこと(米軍基地を新しく造ること)が良いことだとは思えません。

普天間飛行場よりも、嘉手納基地のほうが機能的には危険だということが、数年前にはメディアで言われていたように思いますが、最近はあまり言われなくなりました。住宅地ではない辺野古の海辺に政府とアメリカ軍が作る予定の新基地は、もしかしたら、嘉手納基地のようにするつもりなのではないかなと、何となく思います。でも、間違っているかもしれません。なぜ普天間飛行場の土地を沖縄県民が取り戻すために別の土地に新しく基地を建設することが必要なのかということの説明がほとんどないまま、唯一の解決策という言葉だけを空虚に繰り返し、住民への約束を反故にして工事を強行する政府のやり方は卑怯だと思います。敗戦後のGHQによる占領期以降も日本政府が日米安全保障条約のために在日米軍基地を維持している状況はまだもう少し続くのかもしれませんが、米軍基地はもう国内には(沖縄県内には)増やさないほうが良いと思います。

沖縄県民の意向を無視して米軍基地の建設工事を強行するのはやめてほしいですし、愛媛県の住民の方々が反対していた四国電力の伊方原発の再稼働も、心配です(もしも事故が起きたなら、その一帯は汚染された土地になってしまいます)。インドに日本の原発を売り込むというのも、良くないことのような気がします。

ドイツでは人権派のメルケル首相が選挙に負け、ブラジルでは差別発言を繰り返す元軍人のボルソナロ下院議員“ブラジルのトランプ大統領”と呼ばれている方だそうです)が大統領選挙に勝ったということも報道されていましたが、その世界の流れの中に、今の日本の政治も混ざっているような気がします。自国の世論を分断するボルソナロさんのことは「極右」と報じられていますが、差別発言の部分は日本の今の与党の自由民主党の議員たちの発言とも似ているので、実は「極右」ではないのかもしれません。「右派」であることと多くの人を傷つけることを平気で言う「差別主義者」であることとは、実際には別だと思います。

この数年の安倍内閣での麻生太郎財務大臣兼副総理大臣のふて腐れているような開き直ったような態度や差別の発言も酷いのですが、以前の、漫画が好きで漢字が読めない総理大臣だった頃の麻生議員は、今のような嫌な人ではなかったような気がします。漢字が読めないということを報じられてはいましたが、そのニュースを見て呆れたとしても、その時は特に悪い人だと思ったことはありませんでした。麻生議員の本質が今の麻生議員の言動に滲み出ているということならその残念さはもう仕方がないというか、国会議員に相応しくない人物だったということなのだろうと思います。

シリアで武装勢力に約3年間拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが無事に帰国したことについて、インターネット上では安田さんが拘束されたことへの「自己責任論(自業自得論?)」が出ているということを、大手テレビメディア(特にフジテレビ)が「賛否両論ある」という風に報じているのも、間違っているような気がします。「賛否両論」とすると、賛同する人と否定する人の人数が半分ずついるように思えてしまうからです。実際には、ジャーナリストの安田さんの命が助かって良かった、武装組織に殺されなくて良かった、無事に日本に帰って来ることができて良かったと、ほっとした日本人のほうがずっと多いのではないかと思います。

国会の話を報じる時のメディアの「野党が反発しています」、「野党の反発が予想されます」というまとめ方も、おかしいような気がします。自民党を支持する方々は、自民党議員が自らそう言うために、野党議員が「反対のための反対」をしていると思い込んでいる節があるようなのですが、「反対のための反対」は、「賛成のための賛成」がないのと同じくらい、あり得ないことのように思います。何になぜ反対しているのか、何になぜ賛成しているのか、そこにはちゃんと理由があるはずです。ただ、与党議員のほうが数が多いので、もしかしたら、社会の大勢に従ったり権力者に同調・協調したりするのが得意な方々(そうすることで自分が権力者の側にいると錯覚して安心する方々、あるいはそのほうが楽だと感じる方々?)には、野党議員の意見を何となく無視したくなる傾向があるのかなとも思います。

日本は今は民主主義の国になっていますが(安倍改造内閣に復活した稲田朋美元防衛大臣が国会で日本の民主主義の基本は日本古来からの伝統だと発言したことには驚きました)、私は本土の片隅で小さく生きている一市民なのですが、日本国憲法に書かれている人権や平和の考えを基にした、本土の民主主義がしっかりと機能するようにならないと、沖縄県の米軍基地問題は解決しないということなのかもしれません。

でも、与党を支持している約半数の?国民は、政権による国家ぐるみの便宜供与事件、公文書改竄にまで発展していた不正事件をなぜか問題視しなくなっているようにも見えるのですが、どうなのでしょうか。安倍首相夫妻が関わっているとして有名になった森友学園や加計学園(この話題が出るまでこの学校法人の存在を私は全く知らなかったのですが、関西地方では比較的有名だったそうです)の事件を「スキャンダル」だという風に自民党議員が考えているらしいことにも驚くのですが、議員の不倫疑惑や窃盗疑惑などとは異なるので、どう考えても「スキャンダル」ではないと思います。民主主義は完全なものではないかもしれませんが、現時点では最良のものであるのかもしれませんし、そのような日本の民主主義(GHQの提案によって女性参政権も平等に作られた敗戦後の民主主義)を、国民が積極的に求めなくなっているとしたら(独裁政治を求めている日本人もいると聞いたことがあるのですが、本当でしょうか)、また怖いことになってしまうような気がします。

難民の受け入れを拒否する安倍政権の計画する「移民政策」によって、日本の社会がどのように変わっていくのか分かりませんが、入国管理について国会で話し合いをするのなら、入国管理局や入局管理センターという外国人収容施設での収容者への人権侵害の問題についても、それが改善されるように、しっかりと話し合ってほしいように思いました。国連の人権理事会が、日本政府の避難解除の基準ではリスクがあるとして原発事故を受けた福島の避難地区への女性や子どもたちの帰還を見合わせるよう国連総会で日本政府に求めたということも気になりますし、韓国の「徴用工」の話で沖縄の辺野古の工事強行の話がまた薄れてしまうのかなとも思うのですが、メディアでは国内の政治の人権侵害の問題もちゃんと報道するようにしてほしいと思います。
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