昨夜のNHKのオウム真理教事件の特集

昨夜、NHKの「NHKスペシャル」では、7月6日に法務省がオウム真理教事件の死刑囚13人のうち教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚を含む7人の死刑を執行したことを受けて、「オウム 獄中の告白~死刑囚たちが明かした真相~」という特別番組を放送していました。

番組では、NHKが独自に入手したという、麻原氏(松本元死刑囚)が接見中の弁護士に語った言葉を記した極秘の資料や、麻原氏と弟子たちとの対話を録音した音声テープや、死刑囚となった幹部たちの手紙の一部を紹介しながら、教祖と信者たちの再現ドラマと共に、次第に凶悪犯罪者集団と変わっていった新興宗教のオウム真理教に迫ろうとしていました。

資料の言葉の朗読などの松本元死刑囚の声だけが独特というか、ものまね的ではあったのですが、急遽作られた番組?としては、ちゃんと作られていたドキュメンタリー番組だったように思います。ただ、事件の核心部分の真相については、やはり分からないままでした。松本死刑囚や実行犯の幹部6人の死刑が執行された今、その真相が明らかになることはもうないのです。また番組では法務省が6日に死刑を執行したこと自体については触れておらず、その日に7人の死刑を連続執行した理由なども分かりませんでした。

昔のテレビ朝日の「TVタックル」でビートたけしさんと麻原氏が共演していたり、田原総一朗さん司会の「朝まで生テレビ!」に上祐氏(現在は「ひかりの輪」という新興宗教団体の代表を務めているそうです)が出演していたりした映像に少し驚いたのですが、どこかの番組でテリー伊藤さんが話していたことによると、かつてオウム真理教はバラエティ番組でも度々扱われていたのだそうです。メディアの責任というか、昔のメディアが面白おかしく扱っていたことも、その宗教の信者を増やす一助になっていたのかもしれないなと思いました(もしかしたら今もそうかもしれません)。

殺人事件を起こしたオウム真理教という宗教団体はなくなっても、その後継の宗教団体は存続していて、3つほどの団体を公安調査庁が見張っているそうなのですが、そのような中で今も信者が増え続けているそうです。宗教団体(オウム関連に関わらず)は、宗教の信者であるということを隠しながら、主に大学生を勧誘することが多いそうで、例えば本屋さんなどで宗教や哲学や心理学などに興味を持っていそうな人に声をかけてみるということでした。それなら私もどこかで勧誘されていそうなものにも思えるのですが、今のところ勧誘されたことはありません。信者になりそうな人を勧誘をする係?の人は、勧誘に応じそうな人と応じなさそうな人を、どこかで見分けているのかもしれません(私はそもそも、決まった時間にどこかに集まって集団で何か同じことをしなければいけないというものに参加したいという意識が低いです。ある神様などへの信仰は誰かに強制されない個人的な心の働きだと思うのですが、宗教活動は集団的な行為だと思います。つまり、面倒くさがりではない方、集団行動が得意な方や同じような趣味を持つ誰かと集まっているのが好きな方などでなければ、自ら進んでは宗教団体の信者にはならないのではないかと思うのですが、どうでしょうか)。報道番組である解説者の方が、「坂本弁護士一家殺害事件」や「松本サリン事件」や「地下鉄サリン事件」などのオウム真理教の恐るべき事件を知らない若者たちが入信しているという風に話していたのですが、もしかしたら過去の事件を知りながら入信している方もいるのかもしれないなと思いました(信者となった親に連れられて何だか分からない間に入信させられている子供というのもいるかもしれません。それは、全ての宗教組織の場合にも言えることかもしれませんが)。

途中(夜11時頃)から見たフジテレビの「Mr.サンデー」という報道番組では、麻原氏を知る弁護士や精神科医、法定画家、手錠をかけた警察官の方々に話を聞いていました。全員の方の説を聞くことができたわけではないのですが、興味深い特集だったように思います。6日のいくつかの報道番組の中でも言われていたことですが、政府には、平成時代に起きた大事件の死刑囚を平成時代の間に処刑したいという意向があるそうです。政府が平成時代の事件のことは平成時代の間に片付けようとしているらしいということを知った時、何となく、政府が今上天皇陛下の譲位(退位)と死刑執行とをつなげているようにも思えました。もしも法務省がこのまま平成時代の間にもしも死刑囚全員を処刑したとしても、事件はまだ終わらないのではないかと思います。

家や学校に居場所がなく、社会から疎外されているように思える人の全てが謎の宗教的な活動や犯罪的な集団に引きつけられるということではないと思いますが、いつの時代でも(来年に平成時代の次の元号の時代になっても)、社会に違和感を感じる人、世の中と自分が合わないように思える人は、いると思います。時々特集される有名なあさま山荘事件や日本航空機の墜落事故を私が知らないように、宗教と殺人によって国家の転覆を狙ったという謎の事件に誰もが興味を持ち続けるということは難しいことかもしれないと思いますが、似たような事件が未来に起きないようにするためには、事件を風化させてはいけないのだと思います。

宗教団体(組織)の教祖(上司)の命令に弟子(部下)たちが服従して犯罪(殺人や武器の製造)を実行したのか、教祖の意向を汲んで(“忖度”をして)弟子たちが犯罪を実行したのか、弟子たちが積極的に犯罪計画を立てて実行したのか、仕方なく消極的に犯罪を実行したのか、集団心理のようなものが働いて教祖と弟子たちが一体となって犯罪を実行したのか、もしかしたら、死刑を先延ばしにしても、このような集団が出来上がっていったのはどうしてなのか、犯罪を実行した教祖の心理や弟子たちの心理は解明されないままであるかもしれません。でも、事件の首謀者が死亡したなら間違いなく未解決事件の謎を追及することは不可能になります。

オウム真理教の事件を当時は「テロ事件」とは呼んでいなかったように思うのですが、例えば欧米では殺人者やテロリストを警察官がすぐに射殺しています(全部の事件ではないと思いますが)。犯行心理の解明など初めから考慮していないのかなという風にも思えるのですが、法の下で犯人をすぐに射殺するのと、法の下で犯人を死刑で殺すのとの殺人の違いは何でしょうか。オウム真理教という謎の新興宗教団体の扱い方やその宗教団体による一連の殺人事件とその刑事裁判と刑罰の在り方もまた、“日本らしい”と言えるのでしょうか。

日本に死刑制度がある以上いつか必ず死刑は執行されることになると思うのですが、死刑という日本の刑罰制度自体(ヨーロッパの各国からは抗議文が出されているそうです)の問題や、なぜ7月6日だったのか、なぜ国会会期中の死刑執行となったのか、なぜ死刑囚7人を連続で殺したのか、なぜその7人が選ばれたのか、なぜ再審請求中の死刑囚を処刑したのか、なぜ死刑執行を少しずつメディアに知らせたのか、法務省が秘密にしている死刑の情報公開の在り方などについても、これからは日本に暮らす一人一人がもっと気にして、考えていかなくてはいけないことなのかもしれないなと思いました。

大雨と、難民申請者、水道の民営化、今朝のオウム真理教事件の7人の死刑執行のことなど

昨日は、九州北部豪雨から一年の日でした。災害の報道によると、日本列島の大部分で台風や大雨による水の被害が出ているようです。「記録的大雨」と言われていますが、毎回その言葉が使われているような気もして、一年前もこのような雨の日だったということは、これからは例年のことになっていくのかもしれません。

一昨日の報道では、世界遺産になっている沖縄の今帰仁城跡の主郭東側城壁の石垣が2日に台風で崩落したことを知りました。別世界のようなとても美しい場所ですし、震災で崩れた熊本城の城壁のように、積み上げられていた石を元の状態に戻すのは簡単なことではないだろうと思うのですが、無事に復興するといいなと思います。

タイ北部のチェンライという県の郊外のタムルアン洞窟でサッカーの練習をして帰る途中の少年たちが行方不明になったという事件の報道を最初に聞いた時、私は神隠し事件なのかと思い、中に入った痕跡はあるのに出て行った痕跡が見当たらないという、イソップ童話の年老いたライオンとキツネの物語を思い出しました。実際には、少年たちは時々その洞窟の中で遊ぶことがあったようで、6月23日のサッカーの練習後、洞窟の奥に入った後、大雨によって水量が増したために来た道を帰ることができなくなって閉じ込められたままになっていたということでした。2日に発見された13人の救助活動は今も続いているそうです。全員が早く無事に洞窟から出ることができるといいなと思います。洞窟に入ったタイやイギリスなどの救助隊員の方たちに会った、少し痩せている12人の少年たちが落ち着いて笑顔を見せていた姿にほっとしたのですが、少年たちと共にいた25歳のコーチが元僧侶の方と聞いて、なるほどなと納得しました。何というか、さすがタイだなと思いました。


ところで、一昨日のNHKのEテレの「ハートネットTV」の「外国人とニッポン 第2回『故郷を追われて 難民はいま』」(何となく気になって録画をしておいたものを後で見ました)は、1981年に難民条約に加盟したという日本の難民認定率が0.2%という状況の中、出身国で迫害を逃れて日本にやって来て難民申請をしている人々が、不法就労者や不法滞在者とされて強制送還の対象となり、入国管理局の収容所に長期間収容されているという事実の一端を、トルコで迫害を受けて来日し、今は埼玉県で暮らしているというクルド民族のヌリエさんとその子供たちの取材を通して伝えていました。

私が数か月前に、茨城県牛久市にあるという東日本入国管理センターの収容所などに長期収容されている外国人が相次いで自殺や自殺未遂をしているという事件(今年の4月にはインド人の方が自殺をしたそうです)のことを知ってから、この事件がテレビ番組で扱われているのを初めて見たような気がします(もしかしたら私が見逃してしまっているだけなのかもしれませんが)。

番組によると、牛久の東日本入国管理センターの収容所には320人の方が収容されていて(全国には約1400人いるそうです)、窓に金属の柵が設置されている6畳一間の部屋に3人ずつ入っているそうです。ヌリエさんの四男の方は、県外へ出る際の国の許可?を得る手続きを忘れて東京へ行ったことから、2016年5月に不法滞在者として牛久の東日本入国管理センターの収容所に収容されることになったそうなのですが、2年間一度も、外へ出たり家族と会ったりすることができていないそうです。仮放免の申請は毎回「不許可」とされ、なぜ出られないのか、収容がいつまで続くのかということを、入国管理局は本人にも家族にも明らかにしていないのだそうです。

ヌリエさんは、日本は安全で拷問も兵役義務もない国だと聞いていた、だから子供たちを連れて来た、でも迫害はここでも続いていると思うと話していました。1日1回は家族と電話で話すことができるようで、母親と話していた四男の方は、2020年以降も収容は続くかもしれない、あと2年は出られないかもしれないと不安そうでした。精神的に追い詰められているらしく、死を考えることもあると話していました。ヌリエさんの夫は3年前に亡くなったそうなのですが、トルコで拷問を受けた後遺症で精神疾患を抱えるようになり、さらに日本の牛久の収容所に4か月収容されて精神疾患を悪化させ、仮放免中に?公園の木で首を吊ったそうです。ヌリエさんは、いっそトルコで死んだほうがよかった、ここに来なければよかったと、苦しんでいて、どうか助けてくださいと訴えていました。

収容所のカウンセラーの方は、長期の収容で精神疾患の発症率は高まると話していたのですが(収容されている方のことを収容者さんと呼んでいました)、それはそうだろうと思いました。法務省の入国管理局の君塚さんという方は、お帰り下さいと説得していると話していたのですが、命の危険があって帰りたくても帰ることができない人たちに、一体どこに帰れと言うのでしょうか(それは、死ねと言っているのと同じことになりはしないでしょうか)。

番組に出演していたサヘル・ローズさんは、ボランティアで収容所のカウンセラーの電話通訳をしたことがあるそうです。助けを求めてくる人が多く、せめて家族に生きていることだけでも伝えてほしいと頼まれることもあり、楽になりたい、死にたいと言う人々もたくさんいるそうです。難民問題を研究している明治学院大学の阿部浩己教授は、日本では収容期間の上限が決められていない、収容者の不安な状況は長期化する、法務省は就労目的で難民申請をする外国人が増えていると言うが、難民申請と就労は二律背反ではない、働きたいと思って日本に来ることがそんなに悪いことなのだろうか、外国人は日本で働くことができる、問題は家族とのより良い生活を求めて来た人を受け入れるための入国管理政策にある、難民申請をしている外国人たちを偽装だとか乱用しているとかいくら避難しても改善されない、包括的に取り組むべきだ、というようなことを話していました。サヘル・ローズさんは、難民になろうとしてなっているのではない、一人の同じ人間として見ることが大切だと話していて、司会のアナウンサーの方は、助けを求めている人が救われる社会になってほしいと話していました。本当にそうだなと思います。

この番組で伝えていたようなようなことを、どうして他の普通の報道番組や情報番組の中で伝えないのでしょうか。この番組では、東京の渋谷の駅前で入国管理局の長期収容の実態をおかしいと訴えるイベント?があったことを少し紹介していました。私は最近にラジオの番組で聴くまでこの入国管理局の収容所の人権侵害的な実態や自殺が相次いでいることなどを全く知らなかったのですが(今も詳しくは知らないままです)、実は意外と多くの人が知っていること、知っていて黙っていることだったのでしょうか。

阿部教授によると、難民申請が通りにくいことの一つに、「日本の難民の立証の特殊性」があるそうです。自分の国で迫害された、拷問を受けたと訴える難民申請者に、日本政府は、その証拠を示すよう求め、拷問の証拠がないからと、申請を却下するのだそうです。2020年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されているため?2015年頃から入国管理局の規制が強化され、難民認定の審査も厳しくなっているそうです。

昨日の報道によると、内戦が続く南アジアのスリランカ政府に武装組織との関わりが疑われ、日本に来て難民申請を認めるよう訴えた裁判で勝訴したのに、国が難民申請を認めなかったという少数派のタミル人の男性が、難民として認めるよう改めて国(日本政府)を訴えた裁判で、東京地裁はタミル人男性の訴えを認め、男性を難民として認定するよう国に命じる判決を言い渡したということでした。国側はその方を難民と認めるでしょうか。


昨夜に聴くことができたTBSラジオの荻上チキさんの「セッション22」の後半では、与党が成立を目指す(以前に麻生太郎副総理大臣兼財務大臣がアメリカのワシントンでの会見で水道事業を民営化すると発表していました)水道法の改正案の、水道設備の所有権を持つ国や自治体がその運営権を民間の株式会社に売り渡して委託するという「コンセッション方式」(官邸の意向で?突然水道法改正案に入ってきたそうです)による日本の水道事業の民営化についての解説がなされていました。

以前にも、ラジオでは水道の民営化についての話が出ていたのですが、日本の水は日本で生きている全ての人の命にかかわるものなのに、どうしてテレビの番組ではこのことを詳しく報じないのだろうと不思議に思います。

上水道は厚生労働省、下水道は国土交通省の管轄だそうです。人口の少ない地域の小さな水道施設は、収益が上がらないため、民間会社は見向きもしないのではないかということも言われていたのですが、水道の民営化を行った海外(南アフリカやイギリスやフランスのパリなど)では、失敗したそうです。会社が利益を出すために水道料金を値上げし、水の消費を増やし、労働者を減らしたり非正規社員にしたりし、その内に税金が投入される、水質が悪化しても経営者の給料は下がらず、株式会社として株主配当もあり続ける、経営が悪化して他の会社に買収されていく、というようなことになる危険性については、今の政府内ではほとんど考えられていないそうです。公共施設の整備に民間の資金力や技術力や経営力を生かすという「PFI」というものを導入すると、国の財政負担を削減できるそうなのですが、モニタリングの機能が低下し、水質が悪化する可能性があるそうです。

水道法改正案の中には、良いものもあるのだろうと思いますが、官邸の?「コンセッション方式」の法案は、国民の安心や安全のための法律案ではなく、国民の命を守るための法律案でもないのかもしれないと思います。日本の大事な資源である水を外国の企業に管理される、政府が日本の水事業を外国の企業に売るというのは、奇妙なことです。浅はかなことだと思います。日本にいる人の一人一人の命に係わる水と水道のことは、利益追求の民間の株式会社に委託するのではなく、災害時にもちゃんと管理できるように、公共のものとして国や自治体が責任を持つようにしてほしいと思います。

「ギャンブル等依存症対策基本法案」は参議院の委員会でも可決したそうで、今日にも成立すると言われていますが、今日からカジノ整備法案が国会で審議入りしたそうです。水道事業の民営化にも、カジノにも、政府は外国資本の参入を考えているそうですが、今の日本政府は一体日本をどのような国にするつもりなのだろう、簡単には後戻りできない状況になるのではないかと、不安な気持ちになります。以前にとても好きで見ていたNHKのドラマ「ハゲタカ」の、腐ったこの国を買い叩く、という鷲津さんの言葉を思い出します。

水道事業の問題は国民的な議論にしなければいけないということを解説の方が話していたのですが、メディアはどうしてこの水道の民営化のことを報じないのだろうと思います。若い人たちにも政治に関心を持ってもらいたいと言いながら、政治や国会での議論の話題を避けているように見えます。

先月末には、イギリスのBBCで、安倍首相の友人の元TBS記者の山口氏による性暴力被害と警察での取調べの過酷さを記者会見を開いて公に訴えていたジャーナリストの伊藤詩織さん(先月の「セッション22」では西アフリカのシエラレオネ共和国に取材に行った話をしていました)を取材したドキュメンタリー番組「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」が制作され、放送されたそうです。私はインターネット上のニュースで知り、BBCのサイトを見たのですが、しかし、日本国内ではほとんど話題になっていないというか、テレビの報道番組では扱われていないことのように思います。

性犯罪被害者や社会的弱者や外国人の人権が軽んじられる日本の「隠された恥」は、他にもまだたくさんあるのかもしれないと思います。「日本すごい」、「日本人であることを誇りに思う」、「日本の文化は優れている」などと各個人が個人的に思うことは自由だと思うのですが、日本の世の中をもっと良くするためにも、大手テレビメディアや新聞(まだ多くの人が頼りにしていると思います)は、日本の負の側面や今の政府の政策のおかしいところも、広く国民に向けて報じてほしく思います。


それから、今朝の、オウム真理教の代表だった教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑執行の臨時ニュースに驚きました。松本死刑囚の死刑執行だけでも驚くことなのに、元教団幹部の早川紀代秀死刑囚や井上嘉浩死刑囚、新実智光死刑囚、土谷正実死刑囚、中川智正死刑囚、遠藤誠一死刑囚という、合計7人の死刑執行が連続して報じられました。1989年の坂本弁護士一家殺害事件、1994年の松本サリン事件、1995年の地下鉄サリン事件と、関わった事件は異なるのですが、法務省(上川陽子法務大臣)は、オウム真理教の起こした事件として、国会会期中の今日、7月6日の午前10時半までに一度に7人の死刑を執行したのです。

これは異例のことだと解説の方が言っていたのですが、本当に異例のことなのだろうと思います。今年の春頃にオウム真理教の13人の死刑囚の内の7人が全国各地の拘置所に移送されているというニュースがあった時、死刑執行の日が近いのではないかと言われていましたが、それがまさか今日であるとは思いませんでした。どうして今日、そして同じ日に、松本死刑囚と幹部6人の死刑を執行したのだろうと不思議に思います。

オウム真理教の起こした事件については、東京地方裁判所が平成16年(2004年)の1審で松本被告の死刑判決を出した後に裁判を打ち切ったため、2審は行われていないそうです。

オウム真理教の関わる一連の事件で死刑が執行されたのは初めてのことだそうなのです。ある解説の方は、天皇陛下の譲位(退位)が来年に行わて平成時代が終わるため、政府は平成時代に起きた事件を平成時代の内に終わらせようとしているのではないかと話していたのですが、もしもそれが本当なら、天皇陛下の譲位が死刑執行に利用されているということにもなるのではないかと思います。この死刑の異例の連続執行が平成の間に平成の事件を“片付ける”ということだとするなら、他の死刑囚の死刑も平成の間に、この数か月の間に、執行されるということでしょうか。

法務省による今朝の連続死刑執行が、国による連続殺人のようにも思えてしまいました。以前に見たテレビ東京のドラマ「モリのアサガオ」(主演は伊藤淳史さんと井浦新さんです。とても良いドラマでした)を思い出す時、死刑制度は本当にあったほうが良いものなのだろうかと迷うのですが、今の私には、死刑制度を今すぐ無くしてほしいとまでは思うことはできません。性犯罪者や子供や猫への虐待などのニュースを聴いた時には、その加害者たちに対して死刑になればいいのにと思ってしまいます。日本に死刑制度がある以上、死刑囚の死刑がいつまでも執行されないというのも謎に思えるのですが(殺人犯が死刑囚となる場合とならない場合の違いもよく分かりませんが)、ただ、オウム真理教の事件は、その犯行の謎がほとんど解明されていない、特殊な未解決事件でもあります。以前のNHKの「未解決事件 File.02 オウム真理教」(良い番組だったと思います)でも、その謎や疑問が描かれていました。サリンという化学兵器の製造やマインドコントロールというものが行われていたオウム真理教という新興宗教団体による事件は、海外でも注目されているのだそうです。

法務省は、オウム真理教の幹部たちによる一連の殺人事件を、未解決事件のままにしてしまったのではないかと思います。真相が解明されないまま、オウム真理教事件のことが風化していくかもしれないこと、世間から忘れ去られていくかもしれないことを、少し怖く思います(それとも、私が知らないだけで、事件の全体像や犯行の心理は明らかになっているのでしょうか)。地下鉄サリン事件が起きた当時の報道では「テロ事件」とは呼ばれていなかったように思いますが、今起きたなら「テロ事件」と呼ばれるかもしれません。でも、本当のことが不明の未解決のままとなっては、この事件を未来の“テロ対策”に活かすことは難しいだろうと思います。精神を病んでいたという松本死刑囚のその後の様子も、結局、公にはされませんでした。今年の春頃、TBSの「報道特集」では、「アーチャリー」だった松本麗華さんを取材していましたが、意思疎通の難しい父親の体調の悪化を心配し、父親との面会を求めて断られていた姉妹は、死刑の執行前に父親と会うことができたのでしょうか。

この突然のようにも思える死刑執行のことは、情報も少ないですし、私にはまだよく分かりませんが、今朝、松本死刑囚の死刑執行の臨時ニュースを聴いた時、許されないことをした死刑囚だけれど父親でもあると複雑な気持ちを抱えていた娘さんたちは、最後に父親と会えたのだろうかと、少し気になりました。

山口県の「見返りのまち」と、沖縄県の「基地で働き 基地と闘う」

昨日の報道によると、一昨日の午後6時20分頃埼玉県の所沢市の米軍通信基地に米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが国からの事前通告なく離着陸し、埼玉県の基地対策協議会(上田清司埼玉県知事)は、米軍のオスプレイが市街地の上空を飛ぶことを県に事前説明しなかった国(小野寺防衛大臣と吉田防衛省北関東防衛局長)に対して厳重に抗議し、オスプレイの配備と運用に関して事前に関係自治体や住民に詳細かつ丁寧な説明を行うことなどを改めて要望したのだそうです。埼玉県内にオスプレイが離着陸したのは、今回が初めてということでした。

政府の担当者は、情報が入り次第報告したいと埼玉県の担当者に答えていたのですが、本当に政府に情報が入っていなかったのなら政府が米軍に抗議するべきなのではないかと思いますが、そうしないということは、政府が米軍に対して何も言えないか、政府が離着陸を知っていたにもかかわらず埼玉県に黙っていたか、ということなのかなとそのニュースを聴いて思いました。

先日のテレビ朝日の「テレメンタリー2018」の「見返りのまち ~極大化する米軍岩国基地~」では、山口県岩国市の米軍基地が軍用機の数で極東最大級の軍事施設になるということが伝えられていました。政府は2006年に神奈川県の横須賀基地や厚木基地から岩国基地への空母艦載機の移駐に合意したのだそうです。その頃、岩国の市民の80%以上は政府の計画に反対していたそうなのですが、政府が約35億円の補助金を凍結すると、市民の考えは艦載機移駐を容認するほうへ変わったそうです。

反対派の市長は2008年の岩国市長選挙に敗れたそうです。そして、容認派の新市長の下、凍結が解除された「基地マネー」に依存する市政運営が今も続いているということでした。その町に子供たちと暮らす主婦の方は、子供たちは飛行機の音をうるさいと感じていないのではないかと言い、町はこの10年で見違えるように変わった、給食費や医療費が無料になって嬉しいと喜んでいました。市議会の議長の方は、依存ではなく共存だと笑っていました。

空母艦載機の岩国基地への移駐は、2017年に実行されたそうです。夜間の飛行訓練が増加すると、容認していた住民の間からの苦情も増え、町の人々は基地拡大のリスクを次第に感じ始めているということを番組は伝えていました。

私は岩国基地のことをよく知らなかったのですが、番組を見ていて、政府のやり方は変わっていないというか、沖縄県の宜野湾市の普天間基地の代替施設としての名護市の辺野古の米軍基地建設の場合と同じなのだなと思いました。米軍基地のある自治体に「基地マネー」と呼ばれる見返りとしての補助金を政府が大量に出し、政府の方針に反対したら凍結して脅すという手法により、反対派だった市民たちの多くも、「町の活性化のため」に、仕方がない、やむを得ない、と容認派に転じてしまうようです。でも、一度拡大した基地を縮小したり無くしたりすることは、なかなか難しいことです。

6月末に放送されていたNHKのEテレのETV特集「基地で働き 基地と闘う~沖縄 上原康助の苦悩~」は、第二次世界大戦の敗戦後アメリカの統治下に置かれていた沖縄県で、米軍基地で働かざるを得ない住民たちが米軍から差別される労働環境を改善するために立ち上がり、1963年に全沖縄軍労働組合(全軍労)を作ってその約2万人の労働者のリーダーになったという、昨年の8月6日に84歳で亡くなった、戦後初の沖縄県出身の衆議院議員として細川内閣で国務大臣職となる北海道開発庁長官と国土庁長官と沖縄開発庁長官を務めた上原康助さんの、58冊の未公開ノートに綴られていた沖縄の苦悩と葛藤と、「核抜き本土並み」の実現と、絶対に戦争をしてはいけないという平和への願いを伝える特集でした。

国会議員となった上原さんは、基地問題を解決するために闘っていたそうなのですが、日米安全保障条約の壁、対米交渉の壁など、様々な壁にぶつかっていたそうです。最近の沖縄県の若い人たちの間には、在日米軍基地が戦争につながるという考えが少しずつ薄まってきているということも言われていました。大田昌秀知事の頃に始まった沖縄県民総決起大会のような集まりや基地のメーデーに参加する人々も、減っているのだそうです。沖縄戦やベトナム戦争を知る世代の人たちが米軍基地に反対すると、若い人たちから批判されることもあるそうです。沖縄戦で家族を亡くしたという、平和の礎に来ていた方は、米軍に対する思いはいろいろあっても亡くなるのは個人だから絶対に戦争をしてはいけないと話していました。

番組では、沖縄県の人々が「仕方がない」と言いながら生活のための経済的安定を求めて「駐留軍等労働者労務管理機構沖縄支部」なる場所へ足を運び、米軍関連施設での仕事を探している姿が紹介されていたのですが、その様子を見ていて、本土の私は少し複雑な気持ちになりました。

山口県の岩国基地周辺の住民たちが基地の見返りとしての補助金で町の設備が充実していくことに喜んでいるらしいということもそうなのですが、米軍基地や原子力発電所やその関連施設などが町にあることは良いことではないのではないかと思う者としては、周辺に暮らす人々が基地や原発などの存在に反対していると思いたいような部分があるのだろうと思います。そのため、米軍基地や原発はなくならない(米軍基地や原発を政府がなくさない)のなら容認して補助金を出してもらったほうがいいという風に諦めずに反対の意思を表明し続けてほしいと思ってしまうのですが、それはもしかしたら町の事情をよく知らない“よそ者”の勝手な考えなのかもしれないとも思います。

基地や原発の問題をそれらが置かれている地域住民の問題ではなく国民の問題として考えるためには、どうすればいいのでしょうか。基地や原発に反対し続けている人たちを応援したいと思うことはもしかしたら良くないことなのかなと、迷います。沖縄の人々の大多数が基地に反対しているというはずだ、というのは幻なのでしょうか。

現実的に、合理的に、という判断の仕方には、打算的になってしまうところもあると思います。仕方がない、やむを得ない、背に腹は代えられない、で基地(軍事施設や軍備の拡大)を容認してしまったら、日米地位協定下で日本の法律の通用しない治外法権の米軍関連の施設を日本国内から少しずつ減らしていこうという方向へは政府はますます動かないように思いますし、戦後のままの(それよりは厳しくないかもしれませんが)占領下のような状態は変わらないように思えます。(といっても、遠くの一市民の私に何かができるということでもないのですが。)

先月のTBSの「JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス」の「ムシロ旗と星条旗 ~あなたのまちに基地があったら~」で伝えられていた、朝鮮戦争の起きた1952年頃に石川県の内灘町で起きたアメリカ軍の試射場建設に反対する「内灘闘争」の時の旗に記されていた「金は一年、土地は万年」の言葉は、今の時代にも響きます。飛行機(軍用機)の飛ぶ音を子供たちがうるさいと思わないというのが本当だとすれば、それは長年のそのような地元の町の状態に慣らされてしまっている、麻痺させられてしまっているということなのではないかなと思います。

「基地があるが故の苦悩」を人々の間に作っているのは政府だと思うのですが、基地のある町に住み、“基地の見返り”としての補助金を受け入れ、あるいはむしろそれによる町の発展に喜んでいる人々の話を聞くと、その地域の住民たちがそれでいいのならそれでいいのかなと、つい思ってしまいます。「つい」というのは、やはりどちらが正しいのか分からないからです。

軍事関連の問題や原発関連の問題は日本全体の問題のはずなのに、普段は各地域の問題として矮小化されているように思います。名護市長選挙も、新潟県知事選挙でも、与党の推薦する容認派の候補者が当選し、野党の推薦する反対派の候補者が落選していました。政府が自衛隊施設に配備することを決めたというアメリカ製の陸上型ミサイル迎撃システムのイージス・ アショアのことも、候補地になっているという秋田県秋田市や山口県萩市だけの問題ではないはずです。

テレビ朝日の「見返りのまち」では、視覚障害者の夫婦が町中を歩く時に戦闘機の騒音で車の音が聞こえず、ぶつかって怪我をしてしまった、ということが伝えられていました。事故に遭った目の見えない男性は、米軍の飛行機を飛ばすのをやめてほしいということを岩国市役所に要請していました。繰り返し直談判しても何も変わっていないそうなのですが、頼りにしている音が騒音にかき消されて困っている自分のような人がいるということを行政側に知っておいてほしいという思いも込められているようでした。番組を見ていて、確かに、視覚障害の方にとって、大事な音が騒音で聞こえなくなるということは、とても大変なことだろうと思いました。岩国市以外でも、全国の基地周辺の町にはこのように困っている人たちがいるのかもしれないと思いました。

私はNHKのBSプレミアムで放送されていたアメリカのABC系列のファンタジードラマ「ワンス・アポン・ア・タイム」のシリーズをとても好きで見ていたのですが(なぜか続きが放送されないままになっています)、その中で、魔法には代償(対価)がつきものだということがよく言われていました。私の知っている昔のアニメの魔法には、秘密を他人に知られてはいけないということ以外にはほとんど代償などなかったように思うのですが、現代の(あるいは欧米の)魔法には「代償」があるようでした。「只より高いものはない」という諺の意味も、「ただ(無料、無償)」は「安い」はずなのにどういうことだろうと、以前にはその意味がよく分からなかったのですが、最近になって何となく分かるようになってきました。基地や原発を置く地域に対する補助金は「ただ」ではないですが、「代償」という意味もある「見返り」は、それを要求する場合にも要求される場合にも、意外と怖いものだと思います。

50年前に小笠原諸島がアメリカから日本に返還された日

今日は、戦後アメリカに占領されていた東京都の小笠原諸島が日本に返還されてから(復帰してから)50年の日だそうです。終戦から23年経った1968年の6月26日、父島の米海軍司令部の前で返還式典が行われたそうです。

亜熱帯の小笠原諸島は、東京から南に約1000kmの海にある、火山活動でできた島です。緯度は沖縄とほぼ同じで、一般の人が生活しているのは、父島と母島のみなのだそうです。言い伝えによると、1593年(文禄2年)に信州松本の城主だった小笠原長時の曽孫の小笠原貞頼という人物が発見した島ということなのですが、現在では、1670年に母島に漂着した人が江戸幕府に報告したものが、最初の小笠原諸島発見の報告例とされているそうです。

その後も度々イギリスの船などが母島や父島に来ていたようなのですが、1830年、太平洋の捕鯨の補給基地にするため、イギリスやアメリカやハワイのオアフ島から来た人々が無人島だった父島に入植したそうです。ジョン万次郎やアメリカのペリー提督も小笠原諸島に立ち寄ったことがあるそうです。江戸幕府は1862年に小笠原諸島の日本の領有権を各国に宣言し、日本人を入植させたそうです。明治政府は1876年に小笠原諸島の日本の領有権を各国に宣言し、国際的にも日本の領有と認められると、一時撤退していた日本人が開拓団として島に渡り、1888年には東京府の管轄となり、農業や漁業を行って栄え、最盛期という大正時代後期には人口約7000人が暮らしていたそうです。

以前(2016年の沖縄で大阪府警の方による土人発言があった頃だと思います)、1903年(明治36年)の大阪の天王寺で開かれた「第5回内国勧業博覧会」の「学術人類館」で、アイヌや沖縄(琉球)や台湾や朝鮮や支那(清国)などの人々が「展示」されるという「人類館事件」の話を聞いたことがあるのですが、1928年(昭和3年)の上野で開催された「東京大正博覧会」の「南洋館」でも「人種の展示」というものが行われていて、「小笠原館」もあったのだそうです。

太平洋戦争が始まると、小笠原諸島が東京都の管轄となり父島が日本軍の要塞とされた翌年の1944年(昭和19年)には、約6886人の島民が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が玉砕して日米両国を合わせて28721人の命が奪われたそうです。1945年(昭和20年)には、父島で日本兵がアメリカ兵捕虜を殺害するという謎の事件(小笠原事件)も起きていたそうです。

終戦直後の9月から小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されなかったそうです。1967年(昭和42年)の11月19日に小笠原返還協定が結ばれると、1968年(昭和43年)の6月26日に協定が発効して、小笠原が日本に返還され、小笠原村が設置されたということでした。全ての島民の帰島が許されたそうです。そうして、1979年(昭和54年)に村政が確立されて小笠原の新しい村づくりが始まり、今に至るそうです。

1994年(平成6年)には天皇皇后両陛下が小笠原諸島を訪問したそうです。2011年(平成23年)には小笠原諸島がユネスコの世界自然遺産に登録されました。4年前の2014年頃には、小笠原諸島や伊豆諸島周辺の日本の領海と排他的経済水域でサンゴ(赤サンゴ)が中国の漁船に密漁される(中国漁船は日中首脳会談後に急速に減っていったそうです)という事件も起きていましたが、荒らされた海のその後の様子は今もほとんど報道されていないように思います。

私は小笠原諸島へ行ったことがないのですが、とても美しい島のようです。映像や写真で見ても、青い海がとてもきれいに見えます。小笠原の島へ行くには船しかないそうなのですが、東京の竹芝桟橋から船で行くと1日近く(約26時間)かかるそうです。小笠原諸島のコーヒーがおいしいと聞いたこともあるのですが、世界自然遺産に登録されてから観光客が3倍に増えたそうです。手術のできる病院が島にないことから、今は飛行場の整備も計画されているということなのですが、景観や環境を守ることとの折り合いが付いていないそうです。NHKのニュースでインタビューに答えていた、様々な病気のために船で都心の病院に通院しているという高齢者の方は、島に飛行場(滑走路?)は必要だと話していました。

島民の方の健康のためには確かに飛行機があったほうがいいのかもしれませんが、観光客のためにということなら飛行場建設はやめたほうがいいような気もします。ヘリコプターや飛行艇のような乗り物ならどうなのかなとも思うのですが、他の場所もそうであるように、各地から観光客などの人が来れば来るほど、どれほど気を付けてようとしていても、島の自然環境は少しずつ変わっていくのだろうと思います。

小笠原諸島の返還50年については、私は今朝のNHKのニュースで少しだけ報道されていたのを見たのですが、本当に少しだけでした(首相夫妻による便宜供与疑惑や各省庁の公文書変造・改竄・隠蔽問題と共に国会で話し合われている、政府の推進する「働き方改革」の、過労死する人が今以上に増えると考えられている「高度プロフェッショナル制度」についての与党議員の答弁の内容や旧優生保護法下での強制不妊手術という人権侵害問題のことなども、FIFAワールドカップ・ロシア大会の報道の多い中、あまり報じられていないように思います)。沖縄がアメリカから日本に返還された(1971年6月に締結された沖縄返還協定が発効された)のは1972年(昭和47年)5月15日ということなので、それは小笠原諸島の返還の5年後です。日本各地の、世界各地のどの土地にも知られざる歴史というものはあるのだろうと思いますが、私は小笠原諸島の歴史も知らないので、どこかでもう少し詳しい特集があるといいなとも思いました。

戦後73年の沖縄の慰霊の日

今日は、沖縄の「慰霊の日」です。沖縄の住民の4人に1人が死亡したという沖縄戦の組織的な戦闘が集結したとされる日から73年の日です。

激戦地となった南部の糸満市摩文仁の平和祈念公園では、戦没者を思い、恒久平和を祈る沖縄全戦没者追悼式が開かれ、NHKでは午後12時15分から中継放送されていました。沖縄のテレビではもっと長い時間放送されているのだろうと思うのですが、本州では30分ほどで終わりです。

私もその約30分の中継を見ることができたのですが、追悼式では、膵臓癌の切除手術を受け治療を続けているという翁長雄志知事が平和宣言をし、苛烈な戦いを極めた沖縄に今も米軍基地が集中している理不尽さを訴え、改めて宜野湾市の普天間基地などの在日米軍基地の負担の軽減と、名護市辺野古の新基地建設の見直しを政府に求めていました。中学3年生の相良倫子さんの平和の詩「生きる」の朗読も、とてもすばらしかったです。毎年すごいなと思うのですが、今回の相良さんの詩の力強さに圧倒されました。その直後の安倍首相の朗読の言葉が空疎に聞こえました。

普天間米軍基地の負担軽減策は、どうして「移設」でなくてはいけないのでしょうか。日本政府が米軍基地を減らそうという方向に動かないのはなぜなのでしょうか。(昨日の報道によると、アメリカと韓国は軍事演習の中止を発表したそうです。安倍首相はアメリカ政府から1基1000億円という地上配備型ミサイル迎撃システムの「イージス・アショア」を2基買う予定を白紙に戻さず、秋田県と山口県の自衛隊施設に配備する計画を立てているそうですが、その買い物は国民が国に納めている税金の使い道として正しくないというか、民意ではないような気がします。2000億円やその高額な維持費は、福祉や老朽化していく街の整備のためのお金として使ってほしいように思えます)。

昨日には、名護市の数久田区の農家の畑の小屋の窓ガラスが隣接する米軍のキャンプ・シュワブからの流れ弾と思われる銃弾で割れていたため米軍に問い合わせている、という趣旨のことを報じる記事が新聞に小さく載っているのを読んだのですが、報道番組ではほとんど報じられていなかったような気がします(でも、もしかしたら私が見逃してしまっただけかもしれません)。

先日の20日の早朝に放送され、何気なく録画をしておいた「視点・論点」の「『慰霊の日』を前に 沖縄の今と平和教育」(とても良かったです)では、沖縄大学の客員教授の新城俊昭さんが、83人の住民の集団自決に追い込まれた読谷村のチビチリガマという壕の遺品や慰霊の折り鶴が地元の少年たちによって荒らされるという昨年の衝撃的な事件について話していました。

私は昨年の9月のこのチビチリガマの事件にとても驚いたのですが、それは、沖縄県北部の東村高江の米海軍のヘリパッド建設や辺野古の海の米軍基地建設に反対する人への反対活動が起きているという報道に接していたことや、2か月前の7月が神奈川県の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で差別的思想やナチス・ドイツの優生思想を持った元職員という人物による戦後最大の大量殺傷事件が起きてからまだ1年だったということもあったように思います。

沖縄では、子供たちに沖縄戦の出来事を後世に伝える平和教育を本州よりも徹底して行っているようなのですが、それでもそのチビチリガマの事件のような出来事は起きてしまいました。ただ、本州の学校の日本史の授業で第二次世界大戦や太平洋戦争のことを教えていても、8月15日の「終戦の日」の前後に戦争の特集を放送するなどしていても、当時の日本が当時のアメリカやイギリスと戦っていたということを知らない生徒はいるようです(以前何かの番組の街角インタビューで見て驚きました)。

戦争時代を知っている祖父母のいる環境で暮らしている子供とそうではない環境で暮らしている子供とでは、73年以上前の戦争に対する思いも違うのかもしれませんし、分かりませんが、ただ、「肝試し」でチビチリガマを荒らした少年たちがチビチリガマで何が起きていたのかという戦時中の歴史を知らなかったということと、安置されている遺品や慰霊の品を意図的に破壊したということは、別のことのようにも思えます。破壊行為を行った少年たちは、その後、ガマの歴史を学んで反省し、彫刻家の金城実さんと遺族の方たちと一緒に野仏を制作し、チビチリガマに安置したそうです。良かったです。

私も73年以上前の戦争時代を直接には知らないのですが、祖父母は戦時中を生きていた人でした。戦争の話は少ししか聴いたことがないのですが、それでも、何か違うのかもしれないと思います。過去の戦争時代を生きたことがない私は、意識的に戦争時代のことを知るようにしないと知ることができないので、本やドキュメンタリー番組や報道などで先の世界大戦のことが扱われているのを見ると(全部の番組を見ることはできないのですが)、こうして戦争について少しでも知ったり考えたりすることができることを有り難く思います。

報道などではよく「沖縄の(米軍)基地問題」という言葉を聞きますが、本来は「日本の(米軍)基地問題」として、今と未来の日本全体の問題としてみんなで話し合わないといけないことなのだろうと思います。

先日のNHKのEテレの「知恵泉」の「太宰治 その絶望を超えてゆけ」は、6月19日に没後70年の桜桃忌を迎えた小説家の太宰治の特集でしたが、その中で、太宰治の遠縁(叔母の娘の息子さんだそうです)の津島廉造さんが話していたことも印象的でした。太宰治は、廉造さんに、「廉造くん、教養人ってどういう人か分るか?」と訊き、「学問のある人をみんな教養人というんじゃないんだよ。人のつらさに敏感である、そういう人を教養人というんだよ。」と話したそうです。

解説をしていた東京大学の安藤教授は、「優」の字が好きだったという太宰治にとっては、人のつらさや悲しさに敏感なことが優しさの条件であり、人に優れている条件であるということを話していました。太宰治は、「文化」という言葉には「はにかみ」というルビを振るべきだとも書いているそうです。人前で何かを言うというのはとても恥ずかしいことで、どんなに正しいと思っても堂々と言って何も疑問に思わない人は信用できない、「てらい」とか「恥ずかしさ」を常に感じられる人を自分は信じると、太宰治は考えていたそうです。それが文化人の証だそうです。背景には戦争の問題があり、敗戦になると「自分は反対していた」と急に威張り出す人がいるが、みんな実は戦争に関わっていたのだから罪の意識をみんなで持とうと、太宰治は考えていたということでした。

本当の教養人とは人のつらさや悲しさに敏感な人である、というのは、正しいことのように思えました。あまり太宰治を知らないというゲストの小説家の西村賢太さんの「精神の露出狂」という言葉も面白く思えたのですが、その西村さんが、太宰治は本当の弱者の味方だと話していて、そうかもしれないなと思いました。今の為政者の中には教養人が少ないのだなという風にも思えたのですが、これからの世の中に、太宰治の言うような教養人が増えるといいなと思います。繊細な人は生き辛いかもしれませんが、それでも、優しいほうがいいです。
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