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映画「メアリと魔女の花」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」でテレビ初放送されたスタジオポノックの米林宏昌監督のアニメーション映画「メアリと魔女の花」を見ました。

映画「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」の米林監督と、映画「思い出のマーニー」と高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」のプロデューサーの西村義明さんは、2014年末にスタジオジブリを退社し、翌年の春にスタジオポノックを設立したそうです。そして、スタジオジブリの作品に関わっていたスタッフと共に、スタジオポノックの長編アニメーション映画の第1作となる「メアリと魔女の花」を2017年の夏に公開したということでした。

映画の原作は、私は未読なのですが、イギリスのメアリー・スチュアートさんの小説『小さな魔法のほうき』です。1975年に発表された作品だそうです。

物語は、ある夜、花の種を持った赤毛の魔女が火災の中を魔法の箒で逃走する場面から始まりました。追われた魔女は、箒と共に魔力を失って森に転落し、その時、花の種も森の中に落ちました。

それから何年後か、赤毛の小学生のメアリ・スミス(声・杉咲花さん)が、大叔母のシャーロット(声・大竹しのぶさん)と家政婦のバンクス(声・渡辺えりさん)のいる赤い館に引っ越してきました。専属の庭師のゼベディ(声・遠藤憲一さん)の手伝いをしようとして花を折ってしまったり、集めた落ち葉を撒き散らしてしまったりと、いつも失敗してばかりの自分に落ち込んでいたメアリは、黒色と灰色の2匹の猫を追いかけて森へ入り、そこで青く光輝く不思議な花を見つけました(ブルーベリーの実ような、あるいはムスカリのような花でした)。メアリが持ち帰ったその花は、ゼベティさんも本物を見るのは初めてだという、「夜間飛行」という名前の珍しい花でした。

2匹の猫は、近所に住む年上の少年・ピーター(声・神木隆之介さん)の家のティブとギブという猫でした。翌日、ティブを探して霧の深い森に入っていったメアリは、夜間飛行の青い一輪を銜えていたティブを追いかけた先で、木の根に守られるように置かれていた小さな箒を見つけて取り出しました。ティブが投げ落とした青い花を掴んだメアリは、その汁を手と持っていた箒に付けてしまったのですが、すると箒が突然動き出し、メアリとティブを乗せて森の上の空へ舞い上がりました。箒は、必死に掴まるメアリとティブを、雷光の見える積乱雲の中に現れた魔法大学へ連れて行きました。

魔法大学の校庭に落ちたメアリと黒猫のティブは、学生たちの箒番をしているフラナガン(声・佐藤二朗さん)に新入生の魔法使いとその使い魔と勘違いされてその案内で構内へ入り、赤毛の魔女を待っていた学長のマダム・マンブルチューク(声・天海祐希さん)と「変身魔法」を研究している魔法科学者のドクター・デイ(声・小日向文世さん)に出会いました。手のひらに花の模様を浮かび上がらせているメアリは、天才的な魔法の才能があると絶賛されました。普段褒められ慣れていないメアリは、それを単純に喜びました。

学長室に通されたメアリは、そこで夜間飛行の花の絵の描かれた本棚で魔法の神髄の呪文の書かれた本を見つけるのですが、メアリから「花」という言葉を聞いた学長の態度は一変しました。怖くなったメアリは、後ろ手に持っていた魔法の本を自分の鞄に隠し、代わりにシャーロットおばさんにお使いを頼まれた時のピーターの家の住所が書かれたメモを学長に渡しました。そして、箒番のフラナガンが持って来た箒に、なぜか帰りたくなさそうに大学のほうを見ているティブを乗せて、逃げるように元の世界の赤い館へ戻りました。

夜遅くに帰宅したメアリは、メアリを心配して待っていたシャーロットおばさんとバンクスさんに、楽しい一日だったことは話したのですが、魔法を使った夢のような出来事については話しませんでした。その夜、メアリの部屋の窓からティブが飛び込んできました。さらに、折り紙で作られたような不気味な蝶が入って来て、学長の影に変身しました。変身魔法の実験に使う夜間飛行の花を手に入れたい学長は、ピーターを人質に取り、メアリに夜間飛行を持ってくるよう要求しました。

深夜、箒で赤い館を抜け出したメアリは、魔法大学で待っていた学長と博士にピーターを返してほしいと頼んだのですが、夜間飛行を奪われた直後、メアリとティブは博士の使いたちに捕まって、大きな牢のようになっている博士の研修室に閉じ込められてしまいました。研究室には、たくさんの小さな牢があり、その中には変身魔法の生体実験に使われて「失敗」し怪物の姿に変えられた動物たちが閉じ込められていました。灰色の猫だったギブもいました。魔女を捕まえようと飛び出してきたピーターと再会したメアリは、4人で赤い館へ帰ろうと約束しました。そして、自分も今夜だけは魔女なのだと思い出したメアリは、鞄から魔法の本を取り出し、「全ての魔法を解く魔法の呪文」に手を触れました。すると、牢が開き、怪物たちは元の動物の姿に戻り、博士の研究室を飛び出して行きました。

ピーターとギブは、メアリとティブと逃げる途中、学長と博士に捕まってしまいました。ピーターに逃げるよう言われたメアリは、魔力の落ちてきた箒と共にある森へ墜落したのですが、飛び跳ねる箒について行くと、そこには小さな家がありました。その家は、かつて赤毛の魔女が暮らしていた家でした。鏡に名前を呼ばれたメアリが鏡に触れると、鏡の向こうにシャーロットおばさんが現れました。シャーロットおばさんは、夜間飛行の花の種を持って魔法大学から逃げたかつての赤毛の魔女(声・満島ひかりさん)でした。シャーロットおばさんは、家の廊下に花が落ちているのを見つけて、メアリが“赤毛の魔女”になったことに気付き、メアリを心配していました。学長と博士が夜間飛行の花とピーターを使って危険な魔法実験を行おうとしているということを知ったメアリは、ピーターを助け出すため、シャーロットおばさんが鏡の向こうから渡してくれた花の力を使って、再び魔法大学を目指しました。

途中、魔法の本を学長に奪われたメアリは、折れた箒を大学の庭の片隅に残し、牢から逃げた動物たちの助けを借りて構内に侵入すると、変身実験によって変身してしまったピーターの暴走を止めようと奔走しました。ピーターを核にした怪物に魔力を吸い取られた学長が落とした魔法の本を拾ったメアリは、怪物の中から出ようとしているピーターの手のひらに夜間飛行の花の模様が出ているのを見ると、魔法なんかいらない、とピーターの手を掴んで「全ての魔法を解く魔法の呪文」に触れさせました。すると、全ての魔法は解かれ、ピーターは魔術から解き放たれました。

明け方、メアリとピーターとティブとギブは、魔法大学の箒番のフラナガンが直してくれていた小さな箒に乗って空を飛び、魔法の国を発ちました。メアリは、髪についていた夜間飛行の花を捨て、赤い館へ帰っていきました。

脚本は米林宏昌さんと坂口理子さん、音楽は村松崇継さん、エンディングで流れていた主題歌はSEKAI NO OWARIの「RAIN」という曲でした。

「ノーカット放送」ではなかったのですが、昨夜に見た映画「メアリと魔女の花」は、このような物語だったように思います。

絵柄にも、登場人物の設定や動きや台詞にも、物語の展開にも、ジブリ映画の印象が強くて、この「メアリと魔女の花」を見ながら、私は宮崎駿監督の映画「天空の城ラピュタ」や「魔女の宅急便」や「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」などの作品を思い出していました。

でも、魔法大学でメアリが姿を消す魔法を使う辺りからは、もう少しこの映画の物語そのものを面白く思うことができるようになってきたように思います。

映画の登場人物の中で異質だったのは、箒番のフラナガンでしょうか。フラナガンは、変身魔法に関係なく元々動物風の姿をしていたのかもしれませんが、メアリが「全ての魔法を解く魔法」を使った後も、最後まで魔法を失くしませんでした。

そもそも「全ての魔法を解く魔法」は、本当に「全ての魔法」を解く魔法ではなかったのかもしれません。メアリの箒(かつての赤毛の魔女の箒)にも魔力は少し残っていましたし、夜間飛行の青い花も枯れてはいませんでした。

矛盾しているように思えた部分もありますし、学長と博士が夜間飛行の花と人間を使った研究で「変身魔法」を最大化させることによって目指していた「誰もが魔法を使えるようになる世界」というものが何なのかということも、はっきりとは描かれていませんでした。

ただ、科学も魔法だと学長がメアリに話していたことからすると、学長と博士が目指していたのは、科学技術が地球上の生命を支配する世界だったのかなとも思います。「魔法なんかいらない!」とメアリが「全ての魔法を解く魔法」の呪文を使った世界に残ったものは、植物の緑色の葉がきらめく美しい自然でした。

もしかして、ということなのですが、映画「メアリと魔法の花」は、地球の美しい自然を破壊する恐るべき装置としての科学技術の発展を全否定する物語だったのかなとも思いました。

メアリとピーターが「全ての魔法を解く魔法」の呪文を使っても一部の魔法が残ったというところは、映画「天空の城ラピュタ」のシータとパズーの「バルス」の呪文の後の場合と似ているのかもしれません。

魔法の花の名前の「夜間飛行」も、サン=テグジュペリの小説『夜間飛行』とは特に何の関係もなかったようなのですが、「ラピュタ」の「飛行石」を思わせる名前であるようにも思いました。

あと、私には、メアリとピーターと猫のティブとギブが赤い館のシャーロットおばさんのところに帰る場面まであってほしかったようにも思えました(もしかしたらノーカット版ではない完全版ではそこまで描かれているのかもしれません)。

スタジオジブリの映画作品に似ているように思い過ぎてしまったこともあり、この映画を見ていた私には“久石譲音楽”が足りないようにも思えてしまったのですが、スタジオポノックという新しい制作会社の第1作目の映画「メアリと魔女の花」は、これはこれで良かったのだろうと思います。もう少し物語や登場人物の内面に深みがあったなら、もっと良かったのかもしれません。でも、私も最後までそれなりに楽しく見ることができました。メアリはこれから新しい小学校にも楽しく通うことができるようになるかもしれないなと思いました。

ところで、「金曜ロードショー」のオープニングは、最近リニューアルされたということなのですが、私としては、以前のオープニングの、黒のシルクハットのおじさんが映写機を回しているモノトーンのフィルムのような映像がかわいらしくて好きでした。

映画「聲の形」

昨夜、NHKのEテレで夜9時から地上波初放送されていたアニメ映画「聲の形(こえのかたち)」を見ました。

原作は、大今良時さんによる漫画『聲の形』だそうです。私は未読です。監督は山田尚子さん、音楽は牛尾憲輔さん、脚本は吉田玲子さんという、京都アニメーション制作の映画作品でした。2016年の夏に公開されたそうです。

日本テレビでは「24時間テレビ 愛は地球を救う」が放送されていて、夜9時台からはそのドラマスペシャル「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語」が放送されるということだったのですが、私はこちらの映画を見てみることにしました。

映画を見る前、私は、耳の聞こえない女の子の話、あるいは小学生男子が耳の聞こえない転校生の女子を好きになるという“ボーイ・ミーツ・ガール”の話なのかなと、何となく思っていたのですが、それは違っていました。その点は確かにそうだったのですが、これは「いじめ」の話でした。登場人物たちが「いじめ」と向き合いながら成長していく話でした。

主な登場人物は、主人公の高校3先生の石田将也(声・入野自由さん)、先天性の聴覚障害がある西宮硝子(声・早見沙織さん)、小学校6年生時代のクラスメイトの植野直花(声・金子有希さん)、川井みき(声・潘めぐみさん)、佐原みよこ(声・石川由依さん)、島田一旗(声・西谷亮さん)、担任の竹内先生(声・小松史法さん)、高校のクラスメイトの永束友宏(声・小野賢章さん)、真柴智(声・豊永利行さん)、石田さんの美容師の姉(濱口綾乃さん)、その娘の幼稚園児のマリア(声・鎌田英怜さん)、硝子さんの母親の西宮八重子(声・平松晶子さん)、硝子さんの祖母の西宮いと(声・谷育子さん)、硝子さんの妹で姉を心配して生き物の死体の写真を撮り続けている不登校の西宮結絃(声・悠木碧さん)でした。

高校3年生の石田さんが、5年前の小学6年生の時に転校生してきた、筆談か手話でコミュニケーションを取ることが多い難聴の西宮さんに対して好奇心と遊び半分で行った酷いいじめのことを思い返しながら物語は展開していました。石田さんたちのいじめに遭った西宮さんが転校した直後、今度は石田さんがいじめの標的となり、いじめの加害者から一転して被害者となった石田さんは周囲から孤立し、同級生たちの顔をまともに見ることができない、自殺も考える孤独な高校3年生になっていました。

石田さんは、自分は罰を受けるべき人間なのだといじめの加害者であったことを反省して、周囲に壁を作って生きていました。しかし、最後に西宮さんにちゃんと謝ろうと、小学生時代の自分が池に投げ捨てた西宮さんの「筆談ノート」を持って西宮さんの通う手話教室を訪ね、小学生時代の西宮さんが当時自分に対してそうしてくれていたように、西宮さんに友達になりたいと手話で伝えたことから、また、勇気を出して助けた永塚さんがやや強引に自分の友達になろうとしてきたことから、石田さんは、暗く閉ざしていた自分自身を変えていくことになりました。

映画を見ている途中で頭痛がしてきたりもしたのですが(見ながら力が入っていたのかもしれません)、最初から最後まで、少しも目を話すことができない映画でした。主人公だけではない登場人物たちのそれぞれの孤独、それぞれが悩んで生きていることが丁寧に描かれているように思えました。

先天性の難聴の西宮さんは、小学生時代、明らかにいじめの被害者だったと思うのですが、いじめの加害者から一転して被害者となった石田さんは、そうならなかったなら、西宮さんを傷つけたことについて深く悩むことはなかったのではないかなとも思いました。でも、もしもそうだとしても、石田さんのように自殺を考えるほどに思い悩む元いじめ加害者の人は、世の中にどのくらいいるのでしょうか。

いじめの加担具合も様々で、積極的にいじめていた石田さんや(石田さんのことが少し好きだった?)植野さんのことだけではなく、消極的ないじめの加害者としての「傍観者」だった川井さんや、西宮さんをサポートする友達で居続けることが途中でできなくなってしまった佐原さん、石田さんの親友から一転して石田さんをいじめる側に回った島田さんのことなどが描かれていたところも良かったのだと思います。川井さんのような人が一番多いのかなという印象でもありました。

西宮さんが嫌い、ということを貫きながら西宮さんがいる現実を受け入れることにした植野さんは、最初は性格の悪い人のようにも思えていたのですが、ある意味では正直な人であり、もしかしたら、西宮さんを最初から「障害者」として差別していないというか、西宮さんが難聴かどうかということに関係なく対等に接していた人だったのかなとも思いました。

小学生時代の石田さんが西宮さんの補聴器を無理矢理取った時、西宮さんの右耳から血が流れていたのですが、その後、弟のしたことで西宮さんの母親に謝罪をしに行った石田さんの姉は、右耳から血を流して帰って来ました。石田さんの姉が自らピアスを無理矢理外したのか、西宮さんの母親が無理矢理外したのか、具体的には描かれていなかったのですが、後者かなと思います。西宮さんの母親は、母子家庭で祖母と二人の娘(難聴の硝子さんと不登校の結弦さん)と暮らしていたのですが、娘を守るためか、あるいは何かのストレスのためか、少し感情的になりやすい人でした。

登場人物たちの一人一人がそれぞれの問題と向き合って何とかしようともがいている感じも、大きな音の響く花火大会も、「死」がそばにあるという部分も、“青春物語”らしいように思いました。

最後は「文化祭」の場面でしたが、自ら心を開いてみた石田さんの周囲を歩いていた大勢の人たちの顔から「×」が剥がれていく様子に希望がありました。5年前の「いじめ」のことを思い悩んで孤立し、学校で「浮いている存在」になっていた石田さんは、トラウマを乗り越え、闇から抜け出して、明るい場所へ出ることができたようでした。

二転三転する物語でもあったので、どのような結末になるのだろうと少し怖く思いながら見ていた部分もあるのですが、みんなが良い方へ変わっていくという、大団円の結末でした。

高校を卒業してもどこかの人間関係の中で生きて行かなくてはいけないということを思うと、石田さんが早めに(高校生の間に)闇を抜け出すことができて本当に良かったと思います。

小学校を転校した西宮さんは、その後の中学校や今通っている高校では、いじめに遭わなかったのでしょうか。もしかしたら、私が聞き逃してしまっただけなのかもしれないのですが、西宮さんのその後のことは特に描かれていなかったように思います。

小学校時代の西宮さんに対するいじめ問題と石田さんに対するいじめ問題に関して、映画を見ていた私には、一番悪いのは担任の竹内先生であったように思うのですが、普段はいじめが行われているのを見て見ぬふりしていたくせに上司(校長先生や教育委員会の人)から指摘されると急に犯人捜しを初めて石田さん一人の責任にして石田さんへのいじめを始めさせた竹内先生がその後どう生きているのかは、全く描かれていませんでした。

君に生きるのを手伝ってほしい、という西宮さんへの石田さんの言葉も良かったです。西宮さんも、自分といると不幸になる、という思いから解放されるかもしれません。喜んだり悲しんだり怒ったり悩んだりしながら生きていく中で、変わらないところもあるけれど、少しずつ変わっていくところも多いのだろうなと思いました。

ただ、リアルというよりは、少しファンタジー的な要素のほうが強かったようにも思います。いじめ問題に決まったパターンはないのかもしれませんが、現実には、いじめ問題の解決は、この映画のようには上手く行かないかもしれません。いじめに関わる人間の感情はもっとグロテスクかもしれません。西宮さんが良い人過ぎるというようなところも、物語らしい特徴かなと思いました。それが悪いということではないのですが、少し気になりました。

あと、2016年の秋に公開されたアニメ映画「君の名は。」ほどには性的な要素はありませんでしたが、それを避けているという感じはしませんでした(以前に一度テレビ朝日で放送されていたものを見ただけなのですが、私には映画「君の名は。」は苦手に思えました)。映画の「対象年齢」というものが、今あるのかどうか分からないのですが、この映画も、そもそも“子供向け”のアニメとして作られているものではないのかもしれません。

小学生時代の西宮さんがお世話をしていた学校の水色のシクラメンの花は、まだこの世には存在しない花のような気がしました。

この映画の放送を日本テレビの「24時間テレビ」の裏にしたのは、あえてそうしたことなのでしょうか。それとも、偶然でしょうか。NHKのEテレでは、2学期の始まる前に自殺をする児童や生徒が増えるということを考える「8月31日の夜に。」というテーマの番組を、昨年から放送しているので、耳が聞こえないということを扱い、いじめのことを扱うこの映画を、昨日の夜に放送したのかなとも思いました。エンドロールのところで流れてきた主題歌のaikoさんの「恋をしたのは」を聴いて、“ボーイ・ミーツ・ガール”の話だったことを思い出しました。京都アニメーションという会社の作品を私が最初から最後まで見たのは今回が初めてかもしれません。見ていて少し辛い気持ちになる映画だったので(私はこの映画の後の「ETV特集」の「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~」を続けて見ようと思っていたのですが、録画をしておくことにしました)、何度も見たい映画かというと、今はそうでもないのですが、いつか次に見た時にはもう少し違う気持ちで見ることができるのかもしれないなと思います。

映画「ファインディング・ドリー」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」で地上波初放送されていたディズニーとピクサーのコンピュータアニメーション映画「ファインディング・ドリー」を見ました。日本語吹き替え版です。

2003年に公開された映画「ファインディング・ニモ」の続編として、2016年に公開された映画だそうです。以前に見た映画「ファインディング・ニモ」がとても面白くて、マーリンと一緒にニモを助けに行ったドリーのキャラクターも好きだったので(室井滋さんの声も印象的です)、この映画が放送されると知り、私も見るのを楽しみにしていました。

物語は、前作から1年後、憶えたことをすぐに忘れてしまうナンヨウハギのドリーが、小さい頃に海で迷子になってから会えなくなっている父親と母親を探すため、ドリーを心配するマーリンとニモと一緒にウミガメのクラッシュの協力でグレートバリアリーフから遠いカリフォルニアのモロベイの海へ出かけ、過去を少しずつ思い出しながら、“人間の世界”である「海洋生物研究所」で出会ったミズダコのハンクやジンベエザメのデスティニーやシロイルカのベイリーたちと大冒険を繰り広げるというものでした。

脚本はアンドリュー・スタントンさん、音楽はトーマス・ニューマンさん、監督はアンドリュー・スタントンさんとアンガス・マクレーンさん、製作はリンジー・コリンズさん、製作総指揮はジョン・ラセターさんという作品でした。

映画「ファインディング・ニモ」の続編らしさもちゃんとあったように思いますし、ファンタジー作品らしい現実離れした要素も含めて、映画「ファインディング・ドリー」も楽しく見ることができました。面白かったです。

忘れっぽいドリーは、「今」だけを見て考えているというか、「今」を大切に生きていて、「今」をより良いものに変えるためのアイデアを出す力に長けているのですが、それは両親と仲良く暮らしていた記憶、両親に愛されていた記憶がドリーの中に確実にあったからでもあるのかもしれないなと思いました。

子供の頃の小さいドリーもとてもかわいかったのですが、自分の名前とすぐに忘れてしまうということだけは常に憶えているドリーが、自分の記憶の能力のことで誰かに迷惑をかけているかもしれないということを気にしながらも、困った時にはとにかくすぐに誰かに「助けて!」と助けを求めることができるというのは、本当にすごいことだと思います。私は困ったことがあっても誰かにすぐに助けを求めることがなかなかできないほうなので、単純に、ドリーはすごいなと思いました。

友人や仲間や家族を信じること、勇気を持つこと、愛すること、諦めないことなどが、人生を良い方向へ切り開いていく上では大切だということが、ディズニーやピクサーの映画作品らしく、正面から描かれていたように思いました。

道は一つじゃない、という考え方も良いですし、あなたのことは絶対に忘れないとドリーの両親が小さいドリーに伝えていた場面も、ドリーの両親が行方不明になった娘のドリーのために作って待っていた自宅につながるたくさんの貝殻の道(道標)も、感動的でした。ドリーと両親が再会し、信頼できる仲間や家族が増えていく展開に、ほっとしました。マーリンとニモと「家族」になったドリーの記憶は、以前よりも長く持つようになったのでしょうか。

生物の動きや、海の中や水族館の水槽の中の風景の描写もきれいでした(カリフォルニアの海がゴミだらけだったのが私には少し意外でしたが、そのようなところも良かったように思います)。13年の間にコンピュータアニメーションの技術は進歩しているのだなということも改めて思いました。

映画「ファインディング・ニモ」もそうだったかもしれないのですが、続編の映画「ファインディング・ドリー」も、ハンディキャップを一つの個性としてそのまま前向きに受け止めているというか、ハンディキャップとの向き合い方を描く映画でもあったのだと思います。誰にでも良いところや欠けているところがあるのだと思うので、それを活かしたり補ったりするために、お互いに協力することが大切なのかもしれないなと思いました。

映画「ファインディング・ニモ」の時よりも少し強引な展開の部分(タコのハンクが何でも出来過ぎるなど)はあったのかもしれないのですが、何でもできる、何にでもなれる、を伝えるファンタジー作品として、最後まで楽しく見ることができました。良い話でした。

この映画の後に見た昨日の報道では、東京湾でクジラが目撃されたということが伝えられていました。目撃されているクジラは一頭らしいのですが、遊びに来たのでしょうか。映画でジンベエザメのデスティニーやシロイルカのベイリーが海に出ていたのを見たばかりだったこともあり、その東京湾のクジラのニュースを何となく面白く思いました。

映画「ズートピア」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」枠で地上波初放送されていた、2016年公開のディズニーの3Dコンピュータアニメーション映画「ズートピア」を見ました。

世の中を良くしたいという希望を持ってウサギの中で初めて(小型動物の中で初めて)警察学校を卒業し、大都市・ズートピアのライオンのライオンハート市長とヒツジのベルウェザー副市長に祝福されて、にんじん畑の田舎町から草食動物と肉食動物が共存するズートピアに出て来た新米警察官のジュディ・ホップスが、署長の水牛のボゴの命令で14名の肉食動物失踪事件の捜査には参加させてもらえず、仕方なく駐車違反を取り締まる任務を遂行していた時、夢が叶うとは限らないと世の中を冷めた目で見ている地元のキツネの詐欺師のニック・ワイルドと出会い、脱税の証拠となる録音データでニックを脅して捜査に協力させて行方不明になったカワウソのオッタートン夫人の夫のエミットを捜す中、裏社会を仕切るネズミのミスター・ビッグに教えられて訪ねた元タクシー運転手のジャガーのマンチェスが突然野生化するという事態に遭遇し、マンチェスが話していた「夜の遠吠え」について調べを進めるうちに、ズートピアが隠していたある秘密を知り、相棒となったニックと二人でズートピアの平和な社会を守るために奔走する、というような話でした。

脚本はジャレド・ブッシュさんとフィル・ジョンストンさん、監督はバイロン・ハワードさんとリッチ・ムーアさん、共同監督はジャレド・ブッシュさん、音楽はマイケル・ジアッチーノさん、製作はクラーク・スペンサーさん、製作総指揮はジョン・ラセターさんという作品です。

私はこの映画のことを、公開当時に話題になっていたということ以外にはよく知らず、面白そうかなというくらいの気持ちで見始めた映画だったのですが、とても面白かったです。

動物を擬人化したアニメーション映画ということで、映画の公開当時に流れていた「ズートピア」の映像を見た時、私は、昔の東映アニメの「メイプルタウン物語」や、映画「ドラえもん のび太のアニマル惑星(プラネット)」のことを何となく思い出していたのですが、映画「ズートピア」の登場人物(登場動物)たちは、そのような作品の擬人化された動物たちとは異なり、どちらかというと手塚治虫の「ジャングル大帝」の動物たちに近いというか、その動物らしい特性を残して人間化されているという印象でした。

「メイプルタウン物語」や「のび太のアニマル惑星」や「鳥獣人物戯画」などの擬人化された動物たちは、現実の動物の身体の大きさとは関係なく、ほぼ同じ大きさで描かれていますが、「ズートピア」の動物たちは、動物の種類ごとにそれぞれの大きさで描かれていました。

「ズートピア(Zootopia)」は、「zoo(動物園)」と「utopia(理想郷)」を合わせた造語のようです。大都市のズートピアでは、かつては食べられる・食べるの関係にあった草食・肉食の動物たち(哺乳類ばかりだったように思います)がお互いを尊重し合って仲良く共存しているのですが、同じ街中に混ざって住んでいるというよりは、それぞれの動物の大きさや環境に合った地区ごとに分かれて住んでいるようでした。建物や列車のドアの大きさ、駅の出入り口も大きさによって分かれていました。でも、それは、その動物が暮らしやすいようにという配慮の下に設計されているという、バリアフリーの感じでした。差別ではなく区別、ということなのだと思います。

そのように進化した大都市ですが、動物たちの間には、まだ「種類」を気にした差別があり、ジュディがウサギ初(小型動物初)の警察官になったのも、小型草食動物のウサギは警察官にはなれないという、大型動物や肉食動物からの偏見があったためでした。また、ジュディの両親であるウサギ自身も、ウサギが警察官になるのは無理なのではないか、大都会に出るよりも田舎でにんじんを売る仕事をしていたほうが安全なのではないかと心配し、キツネ対策用の防犯グッズを娘のジュディに持たせていました。

この物語は、世界をより良いものにしていくために、自分の中にもある差別や偏見や思い込みや決めつけや古い常識を自覚し、乗り越えていく話だったのだと思います。

現実は厳しいので、みんなが仲良く暮らし、誰でも何にでもなれるという理想通りにはいかないかもしれないけれど、お互いをよく知って理解しようと努めれば、その理想に近付いていくことができる、まずは自分を見つめ、諦めずに自分を変えることから始めようというような内容の、最後のジュディの警察学校での演説の言葉に集約されていたように思います。

「生物学的に」とか「DNAの中に組み込まれている」などの何となくもっともらしく聞こえる説を持ち出して草食動物たちの間に肉食動物への猜疑心や恐怖心を植え付け、平和な社会を恐怖政治で分断しようと目論んでいた“巨悪”に、警察官として立ち向かっていったウサギのジュディとその相棒のキツネのニックがかっこよかったです。

「金曜ロードショー」の映画「ズートピア」の解説には、「友情と冒険」の物語だと書かれていて、確かに「友情と冒険」の話でもあるのですが、それ以上に、「ズートピア」の世界は、現実の人間の今の社会と未来の社会をよく表していたように思います。人間で描いたなら重くなってしまうかもしれない話を、ユーモアのある動物たちの絵とポップな音楽のエンターテインメント性で軽くしていたのだと思います。

ジュディやニックもそうだったように、多様性を認めて生きると言いながら、自分の中にも自覚的・無自覚的な差別や偏見の考えがあって、それが思わぬ時に出て、その不用意な言動で相手を傷つけてしまうということは、やはりあると思います。

ウサギはにんじんが好きとか、キツネはずる賢いとか、ヒツジは眠る時に自分の数を数えるのかとか、動物に対する人間の妙な思い込みも登場動物たちの姿に重ねて描かれていたように思いますが、これもあえてそのように描いたということなのかなと思います。(映画の中の肉食動物または元肉食動物たちは、アイスキャンディやケーキやドーナツなどのお菓子や野菜や果物を食べていたように見えたのですが、「肉」は食べていないということなのでしょうか。草食動物たちは、草食動物らしく?野菜や果物を食べていたのですが、肉食動物だった動物たちだけが「肉」を食べなくても済むように進化したということなのでしょうか。少し気になりました。)

キャラクターの絵もその動きもかわいらしかったですし、正義感の強い新米警察官と意外と優しい詐欺師が協力し合って謎の事件の真相を追う社会派ミステリーとしても、単純に楽しく見ることができたのですが、昨夜のこのアニメーション映画を見ながら、現代の民主主義国家アメリカのディズニー作品らしいよく練られた物語の映画だなと思うと同時に、作品を見る人に自己反省を促す自省の映画だなとも思いました。

ともかく、映画「ズートピア」には、動物を擬人化した映画というだけではない新鮮さがありました。私が見たのは日本テレビの「金曜ロードショー」の日本語吹き替え版ですが、見ることができて良かったです。もう一度見たなら、あるいは吹き替えではないもので見たなら、また違う発見があるのかもしれません。

二度目の映画「かぐや姫の物語」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」では、高畑勲監督の遺作となったスタジオジブリのアニメ映画「かぐや姫の物語」がノーカット放送されていました。冒頭では、高畑勲監督のお別れの会の様子が少し流れていました。

2015年に一度放送されたので、私がこの映画を見るのは今回で二度目です。

日本最古の物語として有名な『竹取物語』を原作とした映画です。原案と監督は高畑勲さん、脚本は高畑勲さんと坂口理子さん、音楽は久石譲さんです。

前回に見た時には、私は「姫の犯した罪と罰」という当時のポスターのキャッチコピーに囚われていたような気がします。「姫の犯した罪と罰」とは何だろうと思いながら見ていたからです。

今回は、映画の物語の内容を知っている状態で見ることができました。絵巻物のような流れ、水彩画や水墨画のような淡い色合い、手描きの輪郭線の動きが絵に生き生きとした命を吹き込んでいる感じを、そのまま楽しむことができたように思います。赤ちゃん時代の姫の動きなどは、本当にかわいいです。比較してはいけないのかもしれませんが、スタジオジブリの映画「ゲド戦記」の中の固まっているような絵とは対照的です。

竹林で竹取の翁(声・地井武男さん)に拾われ、媼(声・宮本信子さん)に育てられて、数日のうちに野山で元気に成長したかぐや姫(声・朝倉あきさん)は、誰のものにもならずに自分らしく自由に好きなように生きたいと願っていたのだと思います。でも、成長するに従って、そのように生きることが困難になり、生きることが嫌になってしまったのだと思います。

姫がもしも養父である翁の考える通りのことを自分でも望んでいたなら、地球上で幸せに生きることができたのでしょうか。

最初にこの映画を見た時、私は、月に帰ることになった姫は、自分が性的な存在になること(そのように見られること)、人間の大人になること(そのように見られること)を拒絶したのだと思いました。映画に登場する男性たちは、世俗の象徴のようでした。その印象は、改めて映画を見てもそれほどには変わりませんでした。「私は誰のものにもならない」という姫の言葉の中の「誰」の中には、姫を生まれたばかりの頃から知っている、地元の子供たちみんなの兄のような存在だった捨丸(声・高良健吾さん)も含まれているのではないかと思います。

姫が都のお屋敷に閉じ込められている間、捨丸は様々な社会経験をして大人になり、妻子もいました。捨丸兄ちゃんに妻子がいるのを、姫は直接見てはいません。でも、姫は、それが現実だったのか夢だったのかは分かりませんが、大人になった捨丸の腕の間からも落ちていきました。

「高貴な人は人ではないのね」と姫は言っていましたが、小さい頃あれほど成長の早かった聡明で活発な姫は(周囲の人たちが求める理想的な「高貴な人」になるために眉毛を抜いてお歯黒にする)“大人の女性”になりかけてからは、成長が止まってしまったようにも見えます。

自分が求める幸せの通りに自由に生きることができたなら、姫はどのくらい(何歳頃まで)地球上で生きることができたのでしょうか。

もしも地球が生の象徴で、月が死の象徴であるとするなら、「月に助けを求めてしまった」という姫の後悔は、もうこの世界では生きていたくない、死にたいと願ってしまった、ということになるのではないかと思います。

部屋に侵入してきた御門(帝、声・中村七之助さん)に突然背後から抱きすくめられてぞっとした姫は、それから御門に拉致されそうになって、一気に魂が抜けたようになっていたのですが、昨夜のその場面を見ていて、私は、姫は拒絶のあまりに「自殺未遂」のようなことをしたのではないかと思いました。一度でも「月に助けを求めてしまった」ことが「もう遅い」ことになるということは、そのようなことなのではないかなと思います。

姫は、そのために(自殺を試みたために)その後生死の境を彷徨い、自らの臨むように自由に生きようとしなかったこと、当時の他の普通の女性たちのような生き方、あるいは生き続けること自体を否定したことを後悔し、この世が辛くても死にたいと思ったりしてはいけなかった、もっとこの世界で生きたかったと泣いていたのかもしれないなと思いました。自分らしく生きたい、この世界で生きたいと願っていた姫が、そのことにはっきりと気付いた時には、自身の命の時間は残り少なくなっていたのです。そのような姫を、十五夜の夜に仏様(阿弥陀如来)の姿をした月の王が、死が、迎えに来たのだろうと思います。

地球に憧れて地球に生まれた月の姫が地球での人生に挫折して月に帰る話、ということにもなると思うのですが、「生きるために生まれたのに」というかぐや姫の言葉も印象的でした。生きるために生まれたのに、生きるのが嫌になって、死にたくなることはあると思います。五人の公達の一人の石作皇子(声・上川隆也さん)の言葉の中の「真心」や「自然」という言葉に、姫は心を動かされていましたが、そのような美しい青い地球と、世俗的で穢れたように見える(美しくないように見える)世界が、同一のものだということを受け入れないと、石上中納言(声・古城環さん)の死の報せにショックを受けて自暴自棄になってしまうような、感受性の強い姫のような人は生きることが難しくなってしまうのかもしれません。感受性豊かな姫が自分の存在に罪悪感を感じて次第に閉じこもっていく様子が悲しく思えました。

ともかく、春夏秋冬の、四季の草木や花や生き物たちの描写が、とてもきれいでした。自然の中の草花の美しさに感動している時の晴れやかで生き生きとした姫と、ふと我に返って暗く沈む姫の、揺れ動く感情の波も、自然の一部のような感じがしました。

そして、エンディングに流れる主題歌の「いのちの記憶」(作詞・作曲・歌は二階堂和美さん)がとても良いです。姫は確かに翁と媼に愛されていました。姫は二人の娘でした。「生生流転」であることや「輪廻転生」ということを考えます。地球を振り返っていた姫は、いつかまた地球に戻ってくるのかもしれません。翁と媼は、かぐや姫がいなくなってからは、どのように生きていったのでしょうか。かぐや姫がいなくなった後の世界は、かぐや姫が来る前の世界、かぐや姫がいた頃の世界とは変わっているのでしょうか。

もしもいつか数年後にこの映画を見たなら、今とはまた少し印象が変わっているかもしれません。物語そのものが最初から最後まで面白いかどうかというのとは少し違うようにも思うのですが、前回に見終わった後、映画のことを考えるうちに少しずつこの映画が良い映画だったように思えてきて、好きになりました。高畑勲監督、ありがとうございました。
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Author:カンナ
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