映画「ルパン三世 カリオストロの城」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」で放送されていたアニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」を見ました。

1979年に公開された東宝の映画「ルパン三世 カリオストロの城」は、モンキー・パンチさんの漫画を原作としたアニメ「ルパン三世」の劇場版で、宮崎駿監督の初の長編作品です。音楽は大野雄二さんでした。

日本テレビの「金曜ロードショー」では何度も放送されている有名な映画なのですが、私は今まで一度も見たことがありませんでした。見なかったのは、何となく、見るのが怖かったからです。テレビシリーズの面白かった「ルパン三世」のイメージが変わってしまうのではないかと思えていたからです。放送される度に、今度こそ見ようと思い、見ないままになっていたのですが、今回は見ることができました。放送時間に見ることにしたのです。

そうして見始めたところ、単純なのですが、とても面白かったです。どうして今まで見なかったのだろうと思うくらい、冒頭から惹き込まれ、最後まで楽しく見ることができました。

というか、ほとんど宮崎駿監督のスタジオジブリの映画「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」でした。カーチェイス、銃撃戦、美少女を支配しようとする権力者、飛行機、草原、山と湖のお城、時計塔、歯車、崖の下や暗い穴の中に落ちていく感じ、水の底に沈んだ古代の遺跡、家に伝わる古い言い伝え、滅び(破壊)の呪文など、絵も、動きも、台詞の感じも、展開も、「ルパン三世」でありながら、完全に宮崎駿監督作品でした。

宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」などを、もう何度見ているか分からないくらい見ている私の結果論的な見方でもあるのかもしれませんが、初の長編作品の「カリオストロの城」の中にはすでにその後の宮崎駿監督の人気映画作品の要素がたくさん詰まっているのだということが、昨夜に「カリオストロの城」を初めて見た私にもよく分かりました。

有名な作品ですし、今頃見た私が言うことではないかもしれませんが、ルパン三世(声・山田康雄さん)や次元大介(声・小林清志さん)、石川五ェ門(声・井上真樹夫さん)、峰不二子(声・増山江威子さん)、そして銭形警部(声・納谷悟朗さん)の個性が活かされた活躍も楽しく(宮崎駿監督作品らしく染められてもいたように思いますが)、さすがだなと思いました。

ルパンを「おじさま」と呼ぶカリオストロ公国の姫のクラリス(声・島本須美さん)は、ナウシカとシータを合わせたような人に私には見えてしまったのですが、石川五ェ門が最後に呟いていたように、確かに「可憐」な少女でした。欲深いカリオストロ伯爵(声・石田太郎さん)は、カリオストロ家の分家の出身のようで、それもまた「ラピュタ」のムスカのようでした。「ナウシカ」や「ラピュタ」を先に見ているために、昨夜に見た「カリオストロの城」を、「ナウシカ」や「ラピュタ」みたいだなと思ったのですが、もしも「ナウシカ」や「ラピュタ」を見るよりも前に「カリオストロの城」を見ていたなら、「ナウシカ」や「ラピュタ」を見た時に、「カリオストロの城」みたいだなと思ったのかもしれません。いずれにしても、どちらも好きです。今回「カリオストロの城」を見て、「カリオストロの城」も好きになりました。

銭形警部の埼玉県警のパトカーの埼玉ナンバーとか、カップうどんとか、斬鉄剣でルパンの燃えたスーツを斬るとか、峰不二子がテレビカメラマンになるとか、そのようなところも楽しかったのですが、クラリスと運命的な再会をしたルパンが悪いカリオストロ伯爵からクラリスを守るという冒険譚の中に、第一次世界大戦の頃にお城の地下室の巨大な印刷機で日本を含む世界各国の紙幣の偽札を造って世界経済を操作していたという独立国家のカリオストロ公国の謎(旧日本軍も調べに来ていたようでした)がシリアスにリアルな雰囲気で展開している感じも見事であるように思いました。

クラリスの愛犬のカールを預かっていた庭師の老人(声・宮内幸平さん)が「何と気持ちのいい連中だ」と言っていたように、ルパンたちの去り際も、最後の銭形警部とクラリスの有名な会話の場面も清々しい晴れやかな物語でした。

映画「君の名は。」

一昨日の夜9時、テレビ朝日で地上波初放送されていた映画「君の名は。」を見ました。

2016年の8月に公開されていた、新海誠さんの原作・脚本・監督のアニメーション映画です。私は、同じ年の映画「シン・ゴジラ」は映画館で見たのですが、こちらの作品は未見でした。新海誠監督の他の映画も未見です。絵が何となく苦手ということもあり、以前、秦基博さんのRainを聴きたくて放送されているのを録画して見ようと思った「言の葉の庭」も、最初のほうで挫折してしまいました。しかし、主人公の男子高校生の声を神木隆之介さんが演じているという理由で、あと、日本でも海外でも大ヒットしたアニメという理由で、私もこの映画「君の名は。」の放送を見るのを楽しみにしていました。

楽しみにして見始めたのですが、私には、残念ながら、この作品の面白さがよく分かりませんでした。絵は、人物はアニメらしい絵で描かれていて、風景や自然は現実を写した写真を絵のように加工したような絵で描かれていたように思います。

私が先日のテレビの放送で見た映画「君の名は。」は、すごく簡単に言うと、2016年の東京都で暮らす男子高校生の立花瀧(声・神木隆之介さん)と2013年の岐阜県で暮らす女子高校生の宮水三葉(声・上白石萌音さん)が時空を超えた魂の入れ替わり体験で出会うという恋愛物語でした。

ある朝から、身体と魂(心)が入れ替わるようになった瀧さんと三葉さんは、お互いに、それは夢の中の出来事だと最初は思っていたのですが、次第に現実のことだと考えるようになっていきました。

三葉の用意した、少し好きだったアルバイト先の先輩の奥寺ミキ(声・長澤まさみさん)とデートをする中で、夢の中で会う三葉のことを好きだと気付いた瀧さんは、急に入れ替わらなくなった三葉さんの行方を探そうと、記憶の中の風景や写真集の中の風景を基に描いた絵を持って電車で岐阜の飛騨地方へ出かけ、探していた糸守町が3年前の黄昏時に上空を通過した彗星から分裂した隕石の湖への落下の大災害によって壊滅した町だと知り、亡くなった被災者の名簿に三葉さんの名前も見つけました。

それを機に、瀧さんのスマートフォンに残されていた三葉さんからのメールは、文字化けしてしまったのですが(メールの文面が死者からのものだと察した瞬間に突然文字化けするというのは、以前に何かのホラードラマでも見たことがありますが、都市伝説みたいなものなのでしょうか)、3年前の彗星による災害のことを知った(思い出した?)瀧さんは、3年前の電車での出来事を思い出しました。

糸守町という飛騨地方の小さな田舎町の神社の家に生まれ、妹の四葉(谷花音さん)と共に巫女として町の儀式に参加したり祖母の一葉(声・市原悦子さん)の組み紐作りを手伝ったりしていた三葉さんは、もともと東京の暮らしに憧れていたこともあり、ある日(ティアマト彗星が日本の上空を通過する日・町の夏祭りの日の前日か当日)、夢で見た記憶を辿りながら東京へ出掛け、電車に乗った高校生の瀧さんを追いかけ、声をかけました。

3年前の瀧さんは、三葉さんとの入れ替わりの体験をしていないので、三葉さんのことを知りません。見知らぬ女子高校生の三葉さんに声をかけられた瀧さんは、三葉さんを「変な女」だと思っていました。しかし、瀧さんは、四ツ谷駅で降りようとしたその「変な女」を呼び止めて、名前を尋ねました。ホームに降りた三葉さんは、「みつは」と名乗ると同時に髪に結んでいた赤い組み紐を瀧さんに投げ渡して去りました。

三つ葉さんと入れ替わるようになっていた3年後の瀧さんは、ずっと手首に赤い紐を巻いていたのですが(最初から着けていたように思うのですが、私の記憶違いである可能性もあります)、それは3年前に「みつは」と名乗った謎の「変な女」から渡された紐でした。瀧さんは、知らない女性からもらったその赤い紐を毎日身に着けていながら、その時の出来事をすっかり忘れていたようでした。

しかも、三葉さんの記憶によると、三葉さんが東京の電車内で瀧さんに会ったその日は日本に彗星が最接近する日(前日か当日)で、瀧さんはその夜か翌日の夜に、屋上で大きな彗星が通過する歴史的な「天体ショー」を目の当たりにして感動していました。

映画には描かれていませんでしたが(あるいは描かれているけれどもテレビではカットされていたのかもしれませんが)、普通に考えるならば、そのティアマト彗星の「天体ショー」の数分後には、岐阜県に隕石が落ちたという大災害の情報が臨時速報や報道番組で伝えられるはずです。翌朝からは、糸守町が壊滅し、町の人たちが亡くなったという実情が、連日報道されるだろうと思います。ただ、私がテレビで見た映画「君の名は。」には、そのような場面はありませんでした。

瀧さんは、奥寺さんと出かけた新国立美術館での「郷愁」という写真展で、“夢”で見た三葉さんの暮らしていた岐阜の飛騨地方の風景を見ていたのですが、それでも、3年前の彗星による大災害(そのような世界の天文学的にも自然史的にもオカルト的にもインパクトの強い大災害を多くの人たちが簡単に忘れてしまうとは思えません)のことを、少しも考えていませんでした。写真展の会場にも、恐らく解説のパネルなどはあったのではないかと思います。

映画の物語では、瀧さんが岐阜で直接その被災地(隕石の落ちた湖やその周辺に残されて朽ちている町の痕跡の見える瓦礫の山)を目撃するまで、彗星による災害や、もともとあったカルデラのような湖も山奥の聖地も、実は隕石でできたものだったということは、映画を見ている観客には隠されていたので、あるいはその急な展開ために意図的に、瀧さんは3年前の大災害をすっかり忘れている高校生として描かれていたのかもしれません。

瀧さんが“夢”で3年前の三葉さんと入れ替わる中で、岐阜の大災害に全く気付かないというのは、映画を見ていた私には、少し不自然であるように思えてしまいました。

さらにまた、これもまた普通に考えるとということになるのですが、彗星の大災害が2013年に起きたものであるなら、三葉さんと入れ替わるようになった2016年の夏の瀧さんは高校生だったので、高校3年生だったとしても2年生だったとしても1年生だったとしても、3年前の電車内で三葉さんに声をかけられ、赤い紐を渡された瀧さんは、中学生だったということになります。

中学生の瀧さんがそこから3年間、謎の「変な女」から渡された赤い紐を身に着けているという心理状況も、私にはよく分からないものであるように思うのですが、その時の瀧さんが中学生だったかもしれないことについても、映画では特に言われていませんでした。

東京の電車内で瀧さんと三葉さんが“偶然”会っていたのが「現実」であるなら、その時間軸には少しずれがあるというか、矛盾してしまっているようにも思えます。2016年と2013年に気付かなかった瀧さんも、三葉さんも、スマートフォンを使っていたのに、学校に通っていたのに、テレビを見ていたのに、カレンダーは一度も見なかったのでしょうか。

映画「君の名は。」を、時空を超えて出会った男女の運命的な恋愛の物語、という風に見る場合はこれでも良いのかもしれませんが、例えばSFファンタジーとして見る場合は、東日本大震災の被害を人々が忘れているような部分も含め、私には、いまいちであるように思えました。

映画の後半は、3年前に巫女の三葉が宮水家の聖地(これも昔に隕石で出来た場所のようでした)の御神体の岩の中に納めていた「口噛み酒」(巫女の少女がお酒を口に含み、噛んでから吐き出して発酵させたお酒だそうです)を見つけ出した瀧さんが、それを「三葉の半分」と信じて飲み込み、3年前の三葉の魂と(今度ははっきりとタイムスリップ的に)入れ替わり、高校の友人たちの協力を得て、町中の人々に(無事であることを3年後の瀧さんが知った)高台の高校の校庭への避難を呼びかけ、隕石で壊滅する町から人々を助ける話と、そうして人々が助かった「パラレルワールド」の世界での?8年後、建設会社を回っていた就職活動中の瀧さんが、死ぬ未来を免れて生きていた三葉さんと、お互いの名前を“夢”のように忘れたまま、東京の街で再会する、という話でした。瀧さんと三葉さんがそれまで相手のことを「君」と呼んでいたのかどうかを忘れてしまいましたが、最後の瀧さんと三葉さんは、階段ですれ違ってみた後、お互いに、「君の名は」と尋ねていました。

二人が出会った世界がすっかり「パラレルワールド」に入れ替わっていたのか、瀧さんの魂が?タイムスリップした後に作られた「パラレルワールド」がもともとの世界に途中からつながったのか、そのようなこともよく分からないのですが、ともかく、8年後の世界が、2016年から8年後の2024年だとするなら、三葉さんは瀧さんよりも3歳年上の女性ということになるのかなと思います。

「口噛み酒」というお酒自体は、古来にあったもので、神事にも使われていたものということなのですが、このアニメ映画での使われ方が、私にはあまり良いものとは思えませんでした。

日本国内でも海外の国々でも大ヒットしたアニメ映画ということですし、この映画を好きな方は多いのだろうと思うので、私があまりいろいろ言うのは良くないかもしれないとも思うのですが、何というか、「口噛み酒」の件もそうなのですが、奥寺先輩がスカートを切られたり、女子高校生の三葉さんの身体になった男子高校生の瀧さんが毎朝三葉さんの胸を触るというような性的な場面が多いことも含めて、私には、面白く思えないという以上に、全体的にそこはかとなく気持ち悪い感じのする映画でした。

三葉さんの祖母が「結ぶ」ということを瀧さんの三葉さん?に話していたので、組み紐も、三葉さんの「口噛み酒」を瀧さんが飲み込むという展開も、生命や時間のつながりを表していたのだろうと思うのですが、もしもこの映画の、岐阜(日本列島の中心部)に隕石が落ちて町がほぼ全滅するという展開が、2011年3月11日の東日本大震災の大津波の時のことを重ねて描かれていたものだとするのなら、最初の世界では破壊される町と共に死亡していたはずの人々が実は生きていたということにするのは、(もしもあの時こうしていたなら今も元気に生きていたかもしれないと思いたくなる気持ちは分かるように思いますが、それを恋愛ファンタジーの中で描くのは)、むしろ残酷な展開であるようにも思いました。

しかも、映画の物語では、そうして町を人々ごと死滅させた彗星の「天体ショー」は、(3年後の世界ではほとんど忘れられているようなのですが)最後まで、オーロラのような色の、ただの感動的な美しい自然現象として描かれています。実際に、後にそれによって生物が死滅させられるとしても、その直前に見た彗星の流れそのものは美しく見えるのかもしれませんが、この映画の放送を見ていた私には、少し違和感がありました。

後に一部が「パラレルワールド」的にもなる、瀧さんのいる現実の世界の時間軸の設定に多少ずれがあるような印象も含めて、「君の名は」で終わる感じも、私には何か腑に落ちないような、すっきりとしない終わり方であったように思います。

ただ、「地上波初放送」ではありましたが、「本編ノーカット放送」とは言われていなかったので、物語のどこかがところどころカットされていたのかもしれません。いつかこの作品のノーカット版を見たなら、私にも、物語の筋が通っているように、話に矛盾がないように、思うことができるのかもしれません。あるいは、もしも私が小学生や中学生の時に見ていたなら、もっと単純に、面白く見ることができたのかもしれません。

公開当時の2016年頃のテレビなどでは頻繁に映画「君の名は。」のCMや特集が流れていたこともあり、先日の夜9時からこの映画を見始めた私にはかなり既視感があったのですが、当時の総集編のようなCMがよく出来過ぎていたのか、映画の印象は、私には、CMを見た時に思った印象とほぼ同じというか、CMの映像以上でも以下でもありませんでした。当時期待して映画館へ行った方にとっては、期待を裏切らない作品になっていたのかもしれないなとも思いました。

監督は新海誠さんなのですが、演出は居村健治さんでした。音楽はRADWIMPSで、主題歌は「前前前世」という曲でした。この曲も、当時様々な場所で流れていたように思いますが、映画には、(RADWIMPSの歌が好きな方にはそれでいいのかもしれませんが)音楽が多用され過ぎていたような気もします。あと、映画の途中にも、その歌と共に?物語の前半の総集編のような場面が挟まれていたのですが、これは地上波放送用ではない映画でもそうだったのでしょうか。

映画の放送の始まる直前に新海監督が、前半は特に見るのに集中力が必要だと話していたのですが、私には、集中力というよりは忍耐力なのではないかとも思えました。でも、見ないほうが良かったということはありません。有名な話題作ですし、「ノーカット」ではなかったのだとしても、一応、見て良かったと思います。

比べてはいけないのかもしれませんが、アニメ映画「君の名は。」を見終わって、何十年も繰り返しテレビなどで放送されていても人気を保ち続けているスタジオジブリの宮崎駿監督の映画作品はすごいなということを、また改めて思いました。


ところで、私には、新海監督の映画作品の中で最後までちゃんと見ることができた作品が、先日に放送されたこの映画「君の名は。」以外にはまだないのですが、新海監督の作品と何となく雰囲気が似ているように私には思える、細田守監督のアニメ映画は、日本テレビでの放送で、「時をかける少女」や「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」、「バケモノの子」を見たことがあります。

先日に報道されていたことによると、2018年には「未来のミライ」という細田守監督の新作が公開されるそうなのですが、その映画の、4歳の男の子の前に女子高校生となった未来の妹のミライが現れる、というざっくりとした「あらすじ」を知って、私は、アニメ「クレヨンしんちゃん」のしんこちゃん(未来のひまわりなのではないかとも言われていた謎の少女です)のことや、昔にとても好きで見ていたSFアニメ「ママは小学4年生」のみらいちゃん(ある雷の夜に15年後の未来から時空を超えて現れた、主人公の小学4年生の水木なつみちゃんの0歳の娘です)のことを思い出しました。

でも、「未来のミライ」というアニメ映画がそのような過去作品に対するパロディ作品やオマージュ作品という場合もありますし、あるいは、「あらすじ」を知った時に私が思った予想(しんこちゃんやみらいちゃんのような話なのだろうかという疑問)とは大分異なる画期的な物語なのかもしれないとも思います。そもそも、洋服のデザインや音楽なども、リバイバル(過去に流行したものが再び流行するというような意味です)を繰り返しているようですし、全く新しい物語を作るということは、今ではもう、少し難しくなっているということなのかもしれません。

「正解するカド KADO: The Right Answer」第11話と第12話(最終回)

東京MXテレビやBSフジで放送されている「正解するカド KADO: The Right Answer」という東映制作のアニメ作品の、第11話と第12話(最終話)を見ました。

世界各地で一般の人々がナノミスハインに直接触れることのできるイベントが開かれ、人々は次々と異方感覚を身に着けていったようでした。もう一人の異方存在の徭沙羅花(つかいさらか、声・M・A・Oさん)によって外の世界とは別次元の空間に匿われていた真道幸路朗(声・三浦祥朗さん)は、異方感覚を身に着けた人類は異方に適応するための変換率が上がるとの説明を受けていました。

沙羅花さんは、異方存在を封じ込めることができるという星形の隔絶体を真道さんに見せ、人間が使うためにはフレゴニクスの除去が必要だと言いました。

総理官邸で開かれていたナノミスハインの説明会では、犬束構造内閣総理大臣(声・中博史さん)もナノミスハインに触れて使い方の練習をしていました。理論物理学者の品輪彼方(声・釘宮理恵さん)も、ヤハクィザシュニナ(声・寺島拓篤さん)から教えられて、ナノミスハインを使ってワムを動かすことができるようになっていたのですが、ヤハクィザシュニナと複製された真道さんと別室に移動するために廊下を歩いていた時、別空間に拉致されました。本物の真道さんと沙羅花さんが連れてきたのでした。真道さんは、品輪博士に協力を求めました。その後同じように拉致した花森瞬(声・斉藤壮馬さん)にも協力を求めました。

真道さんは、ヤハクィザシュニナと対等に交渉するため、知り合いの刑部鍍金へ行き、工場長や従業員に事情を説明して、かつて真道さんと開発したというスーパーメタルという金属を使った、人の手によるフレゴニクスの発生・無効化装置の制作を依頼しました。真道さんは、ヤハクィザシュニナに処理しきれない情報を与えるため、ヤハクィザシュニナの予期しないことを起こそうと考えていました。

犬束総理大臣は、羽深清鷹内閣官房長官(声・斎藤志郎さん)とカドが現れてからの人類に起きた激動の3か月間を振り返りながら、願わくばこの進歩が次の世代の幸福につながるようにと呟いていました。

鍍金工場では、品輪博士の計算により、装置が完成しました。腕の動きで出力を制御するという、一対のワムを二対使ったスーツ型のもので、フレゴニクスを緩衝し合わせて打ち消すというような仕組みの着るタイプの装置でした。真道さんはそれを着て動きを確かめていました。品輪博士に何に使うのかと訊かれた真道さんは、ヤハクィザシュニナを止める、ヤハクィザシュニナは人を異方に連れていこうとしているのだと答えました。それを聞いた品輪博士は何か心を動かされた様子でした。

沙羅花さんから事情を教えられた花森さんは、真道さんが自分一人で異方存在に挑むことを決めて、しかも死ぬかもしれないということに落ち込んでいたのですが、後は頼むと真道さんに念を押されていました。その頃、カドの中ではヤハクィザシュニナが真道さんのコピーを倒して消去していました。狭山湖上のカドは赤茶色に変色して膨張し、関東地方を飲み込み始めました。ヤハクィザシュニナは、沙羅花さんと現れた真道さんに、会いたかったと伝えました。

カドは壊れながら膨張し続け、日本全体を飲み込もうとしていました。犬束総理は災害緊急事態を発令し、自衛隊も準備を始めました。ヘリコプターに乗っていたジャーナリストの言野匠(声・桐本拓哉さん)は、報道すべきものは良いか悪いかではなく事実だ、それが俺たちの正解だと、カドの取材を続けていました。

ヤハクィザシュニナは、人類の特異性とは、全くの同一性のものに別の価値を与える力、1しかないものに1以上の情報を与える力を持っていることだと、真道さんに話し、その人類の未曾有の力はどうやら君と私の内側から生じているらしい、この特異な力を解明するために異方に来てくれないかと懇願しました。

しかし、真道さんは、異方には行けないと、その願いを拒否し、異方に興味はあるがこの世界を愛している、ここには大切なものがあると答えました。ヤハクィザシュニナは、君は君だ、何者にも替えられない、掛け替えのない個人だ、強制的に変換しても意味がない、それをすれば君の心が冒される、真道幸路朗という生き方が冒される、私はそれを望まない、と真道さんに言いながら泣いていました。ヤハクィザシュニナは、とても人間的な存在に変わっていました。

ヤハクィザシュニナは、真道さんを異方に連れていくことを諦める代わりに、手を光の剣に変えて、真道さんを殺すことにしました。真道さんの胸部を突き刺したヤハクィザシュニナは、壊れたフレゴニクス発生・無効化装置を目にし、品輪博士に渡した超空間につながる新しいワムの力がフレゴニクスを中和したと告げ、予測したとおりになったと真道さんに言いました。そして、済まないと謝りながら、真道さんの息の根を止めました。

日本を覆うように広がっていたカドの中で、ヤハクィザシュニナが真道さんの遺体を安置していると、そこに自動車が現れました。車から降りてきたのはセーラー服の少女と少し年を取った花森さんで、少女はナノミスハインで時間を16年経過させた真道さんと沙羅花さんの娘の「ユキカ」だということでした。

地球人と異方存在の娘のユキカさんは、フレゴニクスは異方とこの宇宙をつないだ時に生じる「そご」だから万能ではなく、異方と宇宙の理解が完成しているならフレゴニクスは必要ないのだとヤハクィザシュニナに言い、ヤハクィザシュニナを倒しました。

ユキカさんは、私は人類と異方存在の特異点であり、あなたより高度な存在だとヤハクィザシュニナに言い、進歩とは途中だと思うことだと伝えました。君と同じだな、真道、と真道さんの遺体に手を伸ばしたヤハクィザシュニナは、ユキカさんに消されました。カドにも穴が開き、ゆっくりと消えていきました。犬束総理は、国民の安全確保の徹底を指示していました。

真道さんの遺体のそばに立ったユキカさんは、そうだね、お父さん、彼奴はそんなに悪い奴じゃなかったよ、と「情報を越えたもの」(魂のようなものでしょうか)に向かって呟きました。

1か月後、犬束総理大臣は記者会見を開いていました。ひと月が経ちましたが異方からの再交渉はありません、カドは消失し、ワムは電力を失い、サンサで得た異方感覚は失われ、ナノミスハインも消滅しました、しかし全てが失われたわけではありません、それは異方が存在しているという事実です、今度は人類が自らの足でヤハクィザシュニナに会いに行こうではありませんか、と演説をしていました。

16年後の?花森さんはそのまま現代に残ったようなのですが、ユキカさんがどうなったのかは描かれていませんでした。ただ、最後、沙羅花さんのいた部屋には、三羽の折り鶴とユキカさんのものと似たセーラー服がありました。

脚本は野崎まどさんです(崎の文字は可の上が立のものです)。演出は田辺泰裕さん、渡辺正樹さんでした。ナレーションは、俳優の上川隆也さんでした。

「正解するカド」は、全12話の作品でした。謎が広がっていくような前半がとても良かったということもあり、連続のアニメ作品自体を久しぶりに見ていた私には、寂しいというか、少し残念にも思える後半の、第11話と最終話でした。

異方存在のヤハクィザシュニナが人間的になり、人間らしい感情を剥き出しにするような人物になってしまったというところが私には特に残念に思えた点ではあったのですが、真道さんと沙羅花さんの恋愛もののようになっていた展開も、私には残念に思えました。

沙羅花さんは、当初は社会派SF作品のように思えていたこの物語の中では、少し浮いているというか、いかにもアニメ作品の中に登場する女性らしい女性であるようにも思えていたのですが、回を重ねる毎に私には、もしも沙羅花さんがいなければ、という風に思えてしまうような人物になっていました。

最終回の冒頭の辺りでの沙羅花さんによる解説の台詞も、真道さんがヤハクィザシュニナに殺されるのを見た沙羅花さんの「いやー!」という叫びも、さらにはその後のユキカさんの登場も、私としては、無いほうが良かったように思えました。

情報を作り出す存在として人類を作り、人類を異方に連れていこうとして地球の中の日本に降り立ち、日本政府の交渉人の真道さんと出会ったヤハクィザシュニナが、友人となった真道さんに固執するあまりに当初の目的を見失い、真道さんの命を奪おうと企てて真道さんの未来の娘に消滅させられてしまう、という展開や結末は、結局、日本政府や国連の描写もあった当初の社会派の要素からは離れてしまったものでした。

ヤハクィザシュニナにとっては、自分がまだ進化の途中の存在なのだと気付いたことが「正解」だったのでしょうか。「正解」したために消滅した(あるいは昇華した)のでしょうか。

最初の頃のヤハクィザシュニナのキャラクターが良かったということもあり、それが次第に欲深い人間のように変わっていくという変化(進化?)には、もったいなく思えてしまうところが大きかったのですが、真道さんを独占したくなっていったヤハクィザシュニナに失敗したところがあるとするなら、それは真道さんが(異方存在だった)沙羅花さんに感化されるということを予測しなかったところだったのかなと思います。

ナノミスハインによって作られた16年後の未来のパラレルワールドの?真道さんは、そこの世界に生き続けているのでしょうか。育ての親の花森さんとユキカさんだけがこの世界に戻って来たのでしょうか。花森さんが「育てた」と主張していたということは、ユキカさんはナノミスハインの時間を操る力で成長したわけではないのだろうと思います。それとも、ヤハクィザシュニナに討たれた真道さんは、時間軸に沿った現在の真道さんではなく、沙羅花さんと未来へ行って(未来の自分になって)子供を生んで戻って来た(あるいはそのまま残った)、未来の真道さんで、スマートフォンの動画の中で0歳児を抱えていた真道さんと同じ真道さんだったのでしょうか。ユキカさんは、異方の力をほとんど失ったという沙羅花さんの娘でありながら、どうして異方と宇宙の特異点になることができたのでしょうか。異方の力というものは、「遺伝」をするものなのでしょうか。描かれていないために、分からないままになっていることも多いです。

最終回で良かったのは、犬束総理大臣(見た目は2000年に亡くなった小渕恵三元総理大臣に似ていたように思います)が最後までしっかりとした冷静で知性的な人物として描かれていたところと、品輪博士の「ちょっといってきます」という置き書きでした。品輪博士は、異方の世界に出掛けたのかもしれません。

この作品には、最後までもっと人類の進化というか、異方の道具や感覚が地球の各国の人々の間で使われていくことの顛末を描いてほしかったようにも思えたのですが、途中までは大きな社会派の話になりそうでありながら、最後は人類の個人的な恋愛(あるいは友愛)の感情の話で終わってしまったというような、惜しい印象が残りました。

異邦存在はこの世界を超越する存在だったはずなのに、この世界が異方存在に影響を与えたところで終わってしまいました。あるいはこの作品の物語は最初から、この世界は美しい、というようなことをこの世界の人たちに伝えるための物語だったのかもしれません。

フルCGの映像には、私にはやはり少しぬるぬるとしたような動きが気になるところもありましたが、全体的にはそれほど気にならずに見ることができたような気がします。カドのフレゴニクス?や風景描写もきれいでした。人類に未知の能力を与えようとした異方存在のヤハクィザシュニナが、最初は人間の形ですらなかったように(光でした)、もっと本当の「神」のようだったら良かったのになと思います。例えば映画「シン・ゴジラ」のような話にもなりそうだったのですが、そうはなりませんでした。この作品には、やはり真道さんと沙羅花さんの恋愛要素(そして娘の登場)は無いほうが良かったように思います。ヤハクィザシュニナが人間的になるまでは、真道さんが沙羅花さんに捕まるまでは、もっと面白くなりそうだった不思議なSFの物語でした。

「正解するカド KADO: The Right Answer」第9話と第10話

東京MXテレビやBSフジで放送されている「正解するカド KADO: The Right Answer」という東映制作のアニメ作品の、第9話と第10話を見ました。

カドの中の異方存在のヤハクィザシュニナ(声・寺島拓篤さん)から話があると言われた真道幸路朗(声・三浦祥朗さん)は、ヤハクィザシュニナの出した小型のカドを通ってこの世界と異方の境へ出ると、ヤハクィザシュニナから異方の説明を受けました。ヤハクィザシュニナによると、異方とは3次元の37乗の世界ということでした。情報処理能力が高い分、情報不足に陥ってしまった異方は、処理するための情報を得るため、繭の糸のように情報を紡ぎ出す存在を生み出すことを思い付き、知的存在としての人間を作ったということでした。

物質の質量や時間を操ることができるらしい「ナノミスハイン」を使って異方の説明を受けた真道さんは、ヤハクィザシュニナとは神なのかと驚くのですが、ヤハクィザシュニナはそれを否定しました。そして、ヤハクィザシュニナは、一緒に異方へ行かないかと真道さんを誘ったのですが、戸惑って返事に詰まって固まる真道さんの様子を見ると、早まったなと呟き、自分から異方の話を聞く前の真道さんをこの世界に残すために、話を聞いたこれまでの真道さんを消そうとしました。

カドの外では、「サンサ」を見て目覚めたようにカドを分析しようとしていた科学者の品輪彼方(声・釘宮理恵さん)に、徭沙羅花(つかいさらか、声・M・A・Oさん)が、ヤハクィザシュニナの力なしでカドの中に入る方法を考えてもらおうとしていたのですが、真道さんがヤハクィザシュニナによって消されようとしたその時、「操のようなもの」と沙羅花さん自身が言っていた右手の薬指の指輪が割れ、次の瞬間には沙羅花さんはカドの一部を壊して侵入し、ヤハクィザシュニナの前に立ち塞がって真道さんを守りました。ヤハクィザシュニナだけではなく、沙羅花さんも「異方存在」だったようです。

前回の第8話の最後のヤハクィザシュニナにも少しそのような雰囲気の表情があったのですが、今回の第9話から急にヤハクィザシュニナが人間的になり、しかも悪役のようになっていて、さらに徭沙羅花が地球人の真道さんを救う異方存在のヒーロー(女性なのでヒロインかもしれませんが)的存在に変身するとか、ヤハクィザシュニナが真道さんを異方に誘っていたことも含め、いろいろ唐突な感じがしてしまいました。

今回の話によると、人間は異方が高速に処理するための情報をほぼ無限に(無尽蔵に?)得るための装置やプログラムとして作り出されたものということでしたが、そうであるのなら、3次元の37乗という世界がどのような世界なのかとか、異方存在のヤハクィザシュニナが神なのかどうかということはともかくとしても、異方は決して万能の存在ではないということになるように思います。

私としては、この作品のヤハクィザシュニナには、人間的なものを超越したキャラクターであってほしかったように思います。そもそも、登場した頃の異方存在は光のようであって、人の形でさえありませんでした。

異方存在が人とコミュニケーションを取るために人の形を取るという部分は良いとしても、欲望ような、人間的な心理を持っているかのようなところまで人に似ているというのは、私には少し残念に思えます。

それとも、むしろヤハクィザシュニナのほうが、この世界にいる間に、人間のことを学ぶうちに、人間の感覚を身につけてしまったということなのでしょうか。日本政府の犬束構造総理大臣(声・中博史さん)との交渉を望んだり、言野匠(声・桐本拓哉さん)たちメディア関係者を利用したりしていたのも、人に「正解」を出してもらうためだったように思うのですが、ヤハクィザシュニナが「ナノミスハイン」で真道さんを操ることができるように人類を操ることができるのなら、ヤハクィザシュニナにとっては政治的な交渉など最初から不要だったのではないかとさえ思えてしまいます。

このままでは、ヤハクィザシュニナは、徭沙羅花さんの考えていたように、「この世界」へのただの「侵略者」ということになってしまいますし、この作品の最初の頃にあった社会派の要素がどこかへ行ってしまいそうでもあります。

第10話は、冒頭から少し特殊な雰囲気でした。過去に遡り、ずっと昔の何もなさそうな白い空間に少しずつ何かが増えていきました。闇ができて、光ができて、この宇宙ができました。「ト」、「ワ」、「ノ」、「サ」、「キ」、「ワ’」は、重力が流れて質量が偏っていく現象を稀有なものとして見つめている長い間、ゆっくりと?会話を続けていました。「異方特異点」に触れたいと言うもの(「ワ」)が現れ、空間の歪みが起こることを気にしつつも、低次元の「繭」の中に入ることになりました。宇宙の中に誕生した惑星の一つの地球の中に生命が誕生し、人類が生まれ、空から降りてきたピンク色の光が植物や哺乳類の中に入りました。そして、現代の24年前の世界になって、日本の東京の下町に、徭家の第2子として長女の沙羅花さんが生まれました。

沙羅双樹の花から名付けられた沙羅花さんは、全ての人は与えられた時間を懸命に生きるのだということを父親に教えられて育ち、心配する父親の反対を押し切ってアメリカのニューヨークへ留学し、国際外交官として帰国し、真道さんと出会いました。そのようなことが、第10話では描かれていました。

カドの中でヤハクィザシュニナに消されそうになった真道さんは、異方存在だった(異方存在に変身した)沙羅花さんに助けられ、異方の情報をほとんど失っているという沙羅花さんを庇ってヤハクィザシュニナに脇腹の辺りを撃たれて失血死したのですが、沙羅花さんの特別な治療を受けて傷を癒しました。

この世界をずっと見つめ続けてきました、というような沙羅花さんの言葉を聞いて、手塚治虫の漫画「火の鳥」のようだなと、何となく思ったのですが、ヤハクィザシュニナが神的存在であるなら、私は人が大好きなんです、と頭に光輪を乗せている沙羅花さんは、天使のようなイメージの存在でしょうか。宇宙人?が地球人として生まれ変わるというところは「W3」のようでもありました。

真道さんの隣でなぜか大きめの白いワイシャツをかけて服を身に着けずに眠っていた沙羅花さんの場面は、私には(このように言ってはいけないかもしれないのですが)少し鬱陶しく思えてしまう場面でしたが、このような展開を好きな方もいるのかもしれません。「正解するカド」は、真道さんと沙羅花さんの普通の恋愛物語の要素もあったのだなと、少し寂しい感じもしました。

一方で、「正解」とは何かと訊く真道さんに、情報の繭として生み出された人類が異方に取り出されることという風に答え、真道さんには自分の意志で異方に来てほしかったと話していたヤハクィザシュニナは、お前は間違っていると沙羅花さんと一緒になって言う真道さんを撃った後、床に広がる流れたばかりの真道さんの赤い血に触れていました。

カドの外では、品輪さんたちが修復されるカドの壁を眺めていたのですが、そこが改めて開くと、ヤハクィザシュニナと共にもう一人の真道さんが外に出てきて、沙羅花さんは異方存在だったといい、沙羅花さんを閉じ込めたという小さな星形を品輪さんたちに見せ、さらにナノミスハインを見せました。それから、政治家やマスコミ関係の人々の参加する日異共同イニシアティブ合同委員会でナノミスハインの説明を行いました。

第10話の最後は、ヤハクィザシュニナがビルの屋上から青空を見上げる場面でした。そのまま静かにエンドロールが流れてきて、いつもとは違うエンディングになっていました。

脚本は野崎まどさんです(崎の文字は可の上が立のものです)。演出は齋藤昭裕さん、田辺泰裕さんでした。

面白いには面白いのですが、方向性が以前よりも分からなくなってきました。謎が増えているのか、減っているのかもよく分かりません。もともとの真道さんのいる空間と、複製されたもう一人の真道さんのいる空間は、パラレルワールドにはなっていないようですが、真道さん自身はパラレルの存在になっているということなのかなとも思いました。

ヤハクィザシュニナは、カドで変換して異方へ連れて行く人間は一人でいいと真道さんに話していたので、異方と感性の近い日本人の中の誰でもいいというのなら、むしろ真道さんではなく、物理学者の品輪さんのような人に相談したほうが早いのではないかというような気もしたのですが、でも、どうしても、真道さんがいい、真道さんでなくてはいけない、ということなのでしょうか。

この作品の世界には今のところ未来はないのですが、時間を操ることもできるのなら、もっと未来の人に異方のことを打ち明けたのなら違ったのかなとも思います。異方存在のヤハクィザシュニナが今の世界に現れた理由というか、必然性のようなものがよく分かりません。異方の能力の多くを失っているという沙羅花さんへのヤハクィザシュニナの攻撃手法が、高次元的なものではなく、3次元的だったところも少し気になりました。

カドと共に羽田空港に現れたヤハクィザシュニナは、かつての異方存在仲間が人間として生まれた沙羅花さん(指輪はいつから着けていたのでしょうか。いつ自分が異方存在であることを知ったのでしょうか)のいる時と場所であることを知っていて、今の日本の東京に現れたのでしょうか。私としては、社会派SFのようだった物語が真道さんと沙羅花さんの恋愛ものにはならないでほしいように思いますし、例えば「魔法少女マギカ☆まどか」のキュゥべえのように、ヤハクィザシュニナが悪役になるということにはならないといいなと思います。

「正解するカド KADO: The Right Answer」第4話から第8話

東京MXテレビやBSフジで放送されている「正解するカド KADO: The Right Answer」という東映制作のアニメ作品の、第4話から第8話までを見ました。

外務省の総合外交政策局国連政策課の首席事務官であり交渉官(ネゴシエーター)であった真道幸路朗(声・三浦祥朗さん)は、一旦辞職をし、政府から自由な立場となって、異方存在のヤハクィザシュニナ(声・寺島拓篤さん)との交渉を続けています。

科学者(理論物理学者)の品輪彼方(声・釘宮理恵さん)は、電力を無尽蔵に供給することのできる「ワム」の構造を理解すると、それを折り紙で作り、内閣総理大臣の犬束構造(声・中博史さん)の記者会見の場で国内外の人々にその作り方を教えました。

しかし、品輪さんの考案した「ワム」の作り方は、他人にはなかなか作ることができなかったようでした。品輪さん以外で作ることができたのは折り紙が得意だった真道さんだけでした。

ヤハクィザシュニナによって人類に贈られた「ワム」の件が国際問題としては中途半端な状態になりました。そのような中、「カド」は羽田空港の敷地内から移転することになりました。移動するには「カド」の一部がこの世界の大地に接していなければなりませんでした。「カド」に触れた生物は神経系に異常を来すかもしれないということから、真道さんは、転がして移動させることになった「カド」の面ではなく辺を使うというアイデアを出し、半日ほどかけて埼玉県の狭山湖上へ移動させました。

そして日の沈んだ頃、真道さんは、ヤハクィザシュニナから、「サンサ」という脳の形に似た楕円形の物体を見せられました。真道さんは、ヤハクィザシュニナに会った時に異方の感覚を身につけていたのですが、「サンサ」を見て、眠らなくても平気な体質に変わりました。

公共放送NNKのディレクターの言野匠(声・桐本拓哉さん)は、「カド」の取材の最先端から置き去りにされていると感じていたある日、アメリカの大手インターネット会社「SETTEN」のCEOのアダム・ワード(声・堀川仁さん)から、「カド」のヤハクィザシュニナを取材してほしいと頼まれました。「カド」を最初に報道・発信したことが評価され、ヘッドハンティングされた言野さんは、NNKを辞め、ついてきた仲間たちと共にアメリカの会社のヘリコプターで湖の上の「カド」に接近し、ヤハクィザシュニナから取材を許可されました。

ヤハクィザシュニナと真道さんの案内で「カド」の内部に入った言野さんたちは、ヤハクィザシュニナから、異方物質の入った箱を示され、その中に収められていた「サンサ」を見ました。「サンサ」を見た直後、吐きそうになっていた言野さんたちは、多数次元の中に自分の存在を感じ取る異方の感覚を身につけ、眠らなくてもいい体質になりました。ヤハクィザシュニナの説によると、眠らなくてもいいが、これまでのように眠りたかったなら眠ることもできるということでした。

ヤハクィザシュニナは、「サンサ」を撮った映像を人類に公開してほしいと言野さんに話しました。アメリカ人のCEOは、その映像を放送するべきだと主張し、会社内では反対意見もあったものの、言野さんもCEOと同じ考えでした。それが発信するメディアの役割だと考えていました。

犬束総理大臣もそれを認め、「サンサ」の映像は、NNKで生放送され世界同時配信される番組内で公開されることになりました。番組では、冒頭でも放送中も、視聴者への注意喚起を行いました。生放送にはヤハクィザシュニナが出演して「サンサ」の説明を行い、テレビやパソコンやスマートフォンで「サンサ」を見ることにした人々は、一時の吐き気に苦しんでいました。

ヤハクィザシュニナを異方に帰したいと真道さんに相談していた、彫金師の家で育った徭沙羅花(つかいさらか、声・M・A・Oさん)は、ヤハクィザシュニナという異方存在にこの奇跡的に美しい「自然」の世界を壊されたくないと考えていたようでした。

沙羅花さんの訴えに感化された真道さんは、ヤハクィザシュニナと話をしに「カド」へ向かい、ヤハクィザシュニナから話があると言われていました。

脚本は野崎まどさんです(崎の文字は可の上が立のものです)。演出は田辺泰裕さん、りょーちもさん、齋藤昭裕さん、渡辺正樹さんです。

第6話と第7話の間には、第6.5話という総集編がありました。このような物語だった第4話から第8話までも、毎回続きが気になって面白く見ています。ただ、私としては、沙羅花さんの件は、もう少し少なくてもいいような気がします。映画「シン・ゴジラ」の物語の中で石原さとみさんの演じていた人物が少し浮いているように見えたように、いかにもアニメの中の女性という感じのする沙羅花さんは「ヤハクィザシュニナ」という社会的な問題の描かれるこの物語の中では少し浮いているように見えます。「ワム」の件以降は登場していない科学者の品輪さんの方がまだ馴染んでいたように思います。

沙羅花さんは、ヤハクィザシュニナという異方存在が人類にもたらす急速な変化を危惧していて、実際の現実社会でもこの物語で起きているようなことが起きたなら、沙羅花さんのように否定的に捉える人もいるのだろうと思います。

でも、この「正解するカド」のアニメを見ている私としては、ヤハクィザシュニナのもたらすものによって変化していく世界や人類の様子を見てみたいように思うのです。そのため、真道さんと電話で話していた犬束総理大臣が「サンサ」の放送を認める決断をしたことを、自由な立場の真道さんに伝えていた場面を見ていて、少しほっとしました。

このアニメは、全何話の作品なのでしょうか。ヤハクィザシュニナに導かれている人類が何をすることが、ヤハクィザシュニナあるいは人類にとっての「正解」なのかということはまだ示されていませんが、これからも「進歩」(「ワム」の今後、「サンサ」の次の段階)がこの物語の中に描かれていくのを見てみたいように思います。

実際の現実の世界の人類は、「進歩」からはほど遠いような気がします。飛行機の窓から見た海の波が止っているように見えるように、私が気付いていないだけなのかもしれませんし、分かりませんが、もしかしたら、地球の人間の世界は飽和状態になっているのかもしれないなと思います。政治も、経済も、科学も、文化も、今の人間の能力によるものだけでは、頭打ちの状態になっているように思えます(ファッション業界にも疎い私には、洋服のデザインも過去にあったようなものが繰り返されているだけのように見えます。グローバル化によってなのか、みんなが似たような服を着るようになりました)。

都市伝説のような話になってしまうかもしれませんが、このアニメ作品の中で地球の人類の前にヤハクィザシュニナが現れたように、宇宙人の斬新な文明が今の地球に突然分かりやすく入って来たなら、本当の自由がなく窮屈のようにも思える今の人間の世界が、もう少し解放されることになるのかもしれません。もしもそのようなことがあったなら、面白そうに思います。
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