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「江戸あばんぎゃるど」

NHKのBSプレミアムで今年の1月の頃に放送されていた「江戸あばんぎゃるど」というドキュメンタリー番組を見ました。

第一回「アメリカが愛した日本美術」、第二回「ガラスを脱いだ日本美術」、という全二回(前後編)のドキュメンタリーです。それぞれ約90分の番組でした。録画をしておいたものを先日ようやく見ることができたのですが、とても良い美術番組でした。落ち着いた雰囲気も良かったです。

第一回の「アメリカが愛した日本美術」では、シアトル美術館を設立した地質学者のリチャード・E・フラーさん、フリーア美術館を設立した実業家のチャールズ・ラング・フリーアさん、アジアンアート美術館を設立した元陸上選手のエイブリー(アベリー)・ブランデージさん、シアトル美術館やデトロイト美術館やクリーブランド美術館に勤めていたシャーマン・リーさん、そのパトロンのフレデリック夫人、400点の美術品をメトロポリタン美術館に売却したハリー・パッカードさん、ミネソタ州の材木王の娘として裕福な家庭で育ち、集めた美術品をメトロポリタン美術館やミネアポリス美術館に寄贈したメアリー・グリッグス・バーグさんなどの、アメリカ人の日本美術コレクターのコレクションを、ハーバード大学のユキオ・リピット教授や明治学院大学の山下裕二教授の解説と共に紹介していました。

山下教授は、江戸時代の画家は人間を自然の一部として「神の目」で見た自然を描こうとしている、明治時代以降日本人は卑屈になり、西洋画を手本としてきたが、外国人は江戸の絵画を自分の目で見て、作品そのもののクオリティーで判断して集めて来たと話していました。

外国人コレクターの日本美術蒐集に協力していたという山中商会の白江信三さんや、東洋美術の天性の目利きとして白洲正子さんに褒められたという田島充さんの話もあり、日本美術が海外(番組ではアメリカ)で愛されるようになっていった歴史も、またもう少し分かったような気がします。

コレクションの屏風や掛け軸や絵巻物は、俵屋宗達や酒井抱一、柴田是真、狩野探幽、森狙仙、本阿弥光悦、丸山応挙、雪村周継、歌川広重、伊藤若冲、尾形乾山、森春渓、石田幽汀、土佐光起、海北友雪、長沢芦雪(蘆雪)、曾我蕭白など、私でも名前を知っている画家の作品から、作者不明とされている作品まで、幅広く紹介されていたのですが、私がまだ見たことのないような見事な作品が多くて(そもそも私が見たことのある美術品はほんの僅かなのだと思いますが)、とても見応えがありました。

どの作品も見事だったのですが、特に、鮮やかな緑色で描かれた雑木林の金屏風や、ヒッチコックの映画のようなカラスの群れの金屏風、「大麦図屏風」がすばらしかった印象があります。江戸時代の絵とは思えないような、というか、きっと現代美術として紹介しても気付かれないのだろうと思えるほど、斬新で、映像で見ただけなのですが、とても立派な作品に見えました。

第二回の「ガラスを脱いだ日本美術」では、日本の光の移ろいの中で屏風などの作品がどのように見えるのかという一日の時間に伴う変化を、番組の監督のリンダ・ホーグランドさん(日本語が日本人と同じくらいにとても上手でした)が見届けていました。

ハーバード大学アートミュージアムのユキオ・リピッド教授も、床に置いた酒井抱一の「宇津の細道図屏風」(『伊勢物語』)を、日本美術を学ぶ学生たちと自然の光の中で見ていました。

番組では、熱海のMOA美術館の庭で、作者不明の「鶏頭図屏風」や、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見る実験もしていたのですが、普通には外に美術品を置くことはないと思うので、珍しい実験のように思いました。自然の光で見るように描かれているというか、自然との一体感が重視されているということがよく分かりました。多摩美術大学の椹木野衣さんは、近代化以前と近代化以後とでは世界の見え方が全然違うのかもしれないと話していました。そうなのかもしれません。

日本の屏風に描かれている動植物の絵を、外国人の方が見ると、地面が描かれていないので宙に浮いているように見えるというのが、何だか面白く思いました。江戸時代以前の日本画は、光と影や時間の表現がないために、その絵を見る人の場所や時間に合わせることができるということでした。実際に、屏風や掛け軸は、その空間を演出するためのものなのだろうと思います。

雨の京都の二尊院では、畳の上に置かれた丸山応挙の鳥図屏風(鶏とひよこの描かれた金屏風)を見ていました。畳に反射した外の光が、室内の屏風を照らしていました。ホーグラントさんには鶏やひよこが浮いているように見えたそうなのですが、よく見ると余白の金色の部分にも細い線で地面がちゃんと描かれていました。金箔のつなぎ目の光のバランスも、調和しているということでした。夜にはろうそくの光でその鳥図屏風を見ていたのですが、金屏風に反射する光の違いは分かったものの、鶏とひよこが庭で遊んでいる図なので、夜の風景には合わないようにも思えました。

縄文土器なども集めているアメリカ人医師のジョン・エバーさんや、美術商のレイトン・ロンギさんのコレクション、ロサンゼルス群立美術館の日本館、ミネアポリス美術館、ニューヨークの作曲家で数学者のアレクシー・ショールさんの日本美術コレクションも、見たことのない、すてきな作品ばかりでした。

このような作品もあるのかと、驚きながら新鮮な気持ちで見ていたということもあって、全体では約3時間の少し長めのドキュメンタリー番組だったのですが、最後まで興味深く、面白く思いながら見ることができました。

日本人は“絶対正しい”や“絶対間違っている(悪い)”から逃げている、ニュアンスを共有していると山下さんは話していました。

曾我蕭白の作品などを大切にしていたショールさんの、遠い昔に亡くなった天才たちの欠片と暮らしている、という表現も、美しく思いました。

一番のアバンギャルド(前衛芸術)は自然だと、山下さんとホーグランドさんは話していました。

西洋画にも日本画にもそれぞれ良いところがあると思いますし、西洋画と日本画とを比較して西洋画よりも日本画のほうが良いとするのは、その逆と同じくらい、あまり意味のないことのように思います。でも、番組で紹介されていた日本画は、それだけでやはり見事な作品でした。いつの時代のどこの国の誰の作品ということが分からなくても、良いものは良いのだと思います。

以前にBS1で放送されていた「美術家たちの太平洋戦争~日本の文化財はこうして守られた~」でも、シャーマン・リーさんの名前は聞いたことがあったように思います。

明治時代に忘れ去られようとしていた江戸時代の美術品は、アメリカ人のアーネスト・フェノロサと岡倉天心(覚三)のおかげで守られたと思うのですが、もしも日本美術が海外へ渡っていなかったなら、戦争で失われた作品は、もっと多かったのではないかと思います。

昔に見たBSプレミアムの「知られざる在外秘宝」というドキュメンタリー番組でも伝えられていたことと思うのですが、日本美術が海外で愛されるようになったのも、“逆輸入”の現象によって日本国内で日本美術ブームが起きているのも、日本美術がそれを愛するコレクターの方たちによって、海外へ持ち込まれたからなのだろうと思います(伊藤若冲のコレクションでは、エツコ&ジョー・プライス・コレクションが有名です)。今回の番組で紹介されていた作品の中には、日本にあったら国宝や重要文化財に指定されるかもしれないものがたくさんあったようなのですが、外国の美術館などで大切に保管され、鑑賞されているのなら、それで良いように思います。「遠い昔に亡くなった天才たち」の作品を、今の私が見ることができるのも、その一環にあると思います。日本国内の美術館などにある様々な海外の美術品も、同じように大切に思われ、守られていくといいなと思います。

映画「カメラを止めるな!」

日本テレビの「金曜ロードショー」で地上波初放送されていた、2018年公開の映画「カメラを止めるな!」を見ました。本編ノーカット放送ということでした。

私はこの映画のことを、昨年の話題作のゾンビ映画という程度にしか知りませんでした。「生放送」だった番組の冒頭と最後には、監督・脚本・編集の上田慎一郎さんや、俳優の濱津隆之さん、真魚さん、しゅはまはるみさん、秋山ゆずきさんたち(最後にはどんぐりさんもいました)が出演して、映画の見所などを完結に話していました。

そこでも言われていたように、最初の約30分か40分ほどのワンカットのゾンビ映画を頑張って見続けると、そこからは安心して見ることのできるホームドラマのような、新しい話が始まります。

映画やドラマ作りの表と裏というか、本編と撮影風景の入れ子の構造の緊張感が物語の最後まで続いていて、映画が低予算(300万円?)で作られたとか、そのようなことは私には分からないのですが、映画を見る前に思っていたよりも、アイデアが詰め込まれている印象の、面白い映画でした。

コメディーなのかもしれないということが、映画を見ていくうちに少しずつ分かっていく感じも良かったです。俳優さんたちが私の知らない俳優さんたちだったということもあって、先入観を持たずにこの作品を見ることができたところも良かったのかもしれません。

上手く伝えることができないのですが、「二番煎じ」の作品を作ることが難しい映画のようにも思えました。

私は、小さい頃に見た映画「霊幻道士」や「幽幻道士」は面白かった記憶がありますし、映画「バイオハザード」シリーズも何とか大丈夫だったものの、基本的にはゾンビの出てくる作品やスプラッター作品が苦手なので、この映画の前半の最初の約40分のゾンビ映画を見続けるのも、何とも言えない感じではあったのですが(ワンカットはすごいと思います)、その後の後半の物語を見ながら、映画やお化け屋敷(私はお化け屋敷も苦手です)などに接した際の“怖さ”は作られているものなのだなということを改めて思いました。仕掛けを見ると、それまであった“怖さ”はどこかへ行ってしまって、ああこのように作られていたのかと、新鮮な“面白さ”だけが残ります。

旧日本軍の人体実験によって作り出されたという蘇る死者の噂にまつわる「血の呪文」が何だったのかが私にはよく分からなかったのですが(もしかしたら聞き逃してしまったのかもしれません)、それ以外はきれいに伏線が回収されていたように思いました。

ゾンビ映画でもあり、関係者たちが一緒に一つのゾンビ映画を試行錯誤しながら作り上げていく“ドタバタコメディー”でもあり、映画作りを愛する親子の話でもありました。舞台裏を見せるという点では、何となく、「蒲田行進曲」(監督は深作欣二さん、脚本はつかこうへいさん)のような映画であるようにも思えたのですが、私はこの映画を(前半のゾンビ映画の後は)少しずつ楽しむことができるようになっていき、すっきりとした気持ちで見終えることができました。それだけでも、エンターテインメント作品としては良い映画作品だったのかもしれないなと思います。

映画「八甲田山」

日曜日の夜にBSフジで放送されていた、1977年公開の映画「八甲田山」を見ました。

日清戦争が終わった6年後、日露戦争が始まる1904年(明治37年)の2年前の、1902年(明治35年)の1月に、ロシアとの戦争を想定して冬の雪の八甲田山で行軍演習を行うことになった大日本帝国陸軍の青森歩兵第五連隊が遭難し、210人中199人が死亡したという、八甲田雪中行軍遭難事件の実話を基に描いた映画です。

映画の原作は、私は未読なのですが、新田次郎さんの小説『八甲田山死の彷徨』です。脚本は橋本忍さん、撮影は木村大作さん、音楽は芥川也寸志さん、監督は森谷司郎さんです。

“豪華キャスト”の有名な映画だと思うのですが、私は今までこの映画を見たことがありませんでした。それで、今度こそ見てみようという気持ちでこの映画を見始めました。「4Kデジタルリマスター版」だったのですが、私の家のテレビは4K対応のものではありません。それでも、音楽も良かったですし、きれいな映像であるような気がしました。

雪山となった八甲田山の、吹雪や凍った滝、雪崩に圧倒されます。白い雪に閉ざされた世界で身動きが取れずに凍り付いていく兵隊たちが、本当に寒そうで、痛そうでした。暖房をつけない状態でこの映画を見ていたこともあり、私の体感的には寒さが倍増しました。

映画の途中には、兵隊たちが思い出す故郷の青森の春や夏の風景、畑のりんごの花や八甲田山の赤いツツジの花の風景、お祭りの風景、子供たちの川遊びの風景などが盛り込まれていて、八甲田山には厳しい雪山の面ばかりではないことも表現されていました。

雪中行軍は、徳島大尉(高倉健さん)率いる27人の弘前歩兵第三十一連隊も行っていたのですが、その連隊の行軍と、その約10倍の人数となる、山田少佐(三國連太郎さん)率いる210人の中規模の青森歩兵第五連隊の行軍とでは、組織のまとまり方が全く異なりました。

雪中行軍する列の中で、兵隊たちが一人また一人と死にながら、全滅に向かって突き進んでいく話なので、暗く重い雰囲気は常に漂っていたのですが、弘前歩兵第三十一連隊を道案内する山村の少女(秋吉久美子さん)の場面などには、少し希望の見えるような、柔らかな雰囲気があったように思います。

青森歩兵第五連隊の神田大尉(北大路欣也さん)は、出発前に地図を確認していた時、雪中行軍計画の間違いに少し気付いていたようだったのですが、上司の山田少佐には相談しなかったようでした。山田少佐は、吹雪の中を進む行軍の途中で危険性に気付いていたようだったのですが、中止にして引き返そうとはしませんでしたし、進む道が分からなくなると、神田大尉の忠告を聞かずに、行き当たりばったりの思い付きでその場を乗り切ろうとしていました。それに振り回される兵隊たちの中には精神に異常を来す者も現れ、雪と寒さと飢えと疲れの中、次々と倒れて死んでいきました。

捜索に出かけた軍人たちや、弘前歩兵第三十一連隊の徳島大尉たちが、雪の中に墓標のような銃や黒い塊を見つけて、雪の下に埋まっている仲間や兄弟の遺体を発見する場面も、見ていて辛い感じがしました。

弘前歩兵第三十一連隊の徳島大尉は、道案内してくれた村人たちに僅かなお金を渡してお礼を言うと、八甲田山で見たことは口外してはならないと命じました。そして、棺の中に横たわる神田大尉と再会しました。青森歩兵第五連隊の中で生きて雪山を下りることができたのは12人だということでした。しかし、生き残った山田少佐は、大行軍中に大勢の兵隊たちを死なせた責任を感じたためか、病院で拳銃自殺を遂げました。

遭難した神田大尉の「天は我々を見放した!」という言葉は、映画公開当時、流行語となっていたそうです。最後、1977年の、ロープウェーも通って観光地となっている八甲田山の夏山の緑の風景を、片腕を失っている高齢の村山伍長(緒形拳さん)が杖を突いた姿で見つめていました。弘前歩兵第三十一連隊の倉田大尉も含め、生き残った人たちは、八甲田雪中行軍遭難事件の2年後に勃発した日露戦争によって、戦死したということが、字幕で伝えられていました。唯一生き残ったのは、完全に遭難したことを知った直後、絶望的な連隊を離れて自分独自の道を進むことにした村山伍長でした。

映画の公開当時もそうだったのだろうと思いますが、2019年の今見ても、確かに“豪華キャスト”の映画でした。

青森歩兵第五連隊の遭難の知らせを受けた児島大佐(丹波哲郎さん)や門間少佐(藤岡琢也さん)は、弘前歩兵第三十一連隊の八甲田山行きを中止にしようとしていたのですが、すでに出発していた倉田大尉への連絡手段がないことに戸惑っていました。日清戦争の体験を踏まえた寒地訓練として八甲田山での雪中行軍演習を計画した弘前第八師団の第四旅団長の友田少将(島田正吾さん)と参謀長の中林大佐(大滝秀治さん)は、大勢が死亡したことよりも、独自に目的地に到達した村山伍長の存在もあって、青森歩兵第五連隊の数名が生き残り、全滅はしなかったということに少し安堵していたようでした。

間違った計画だったと途中でその失敗に気付いても、一度始まると死者が出ても引き返すことも中止にすることもできない日本の組織・集団行動の残酷さや無謀さというものも描かれていたのだと思います。何となくなのですが、この明治時代の八甲田山雪中行軍の悲劇は、後の時代の、1944年(昭和19年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の陸軍のインパール作戦の失敗と悲劇にもつながっているような気がしました。

兵隊たちが戦争の本番ではなく軍事訓練中(演習中)に死亡するという八甲田雪中行軍遭難事件では、実際には、軍の命令に従って雪山を道案内した村人たちも酷い目に遭ったのだそうです。映画では、緘口令を布かれたこと以外には、村人が酷い目に遭う描写はなかったような気がします。次々と凍死していく兵隊たちの悲劇も、当然のことながら、現実は、映画以上に過酷なものだったのだろうと思います。あまり報道されないことなのだとは思いますが、現在の自衛隊の方たちの中にも、演習中に亡くなっている方はいるのかもしれません。

今から42年前の1977年(昭和52年)に作られたこの映画を、あるいは八甲田雪中行軍遭難事件を、今の時代に改めて映画化やドラマ化することは難しいのだろうなと思います。とにかく、映画「八甲田山」は、厳冬の雪の八甲田山の風景が印象的な映画でした。

「熊を崇め 熊を撃つ」

NHKのEテレの「ETV特集」の「熊を崇め 熊を撃つ」を見ました。

何となく気になって見始めたのですが、東北の鳥海山で今も熊狩りを続けている「鳥海マタギ」の方たちの暮らしと生き方を伝える特集でした。秋田県の鳥海町の上笹子という村で、先祖代々マタギを続けている60歳の清弘さんを主に取材していました。取材スタッフの方に、これまでに何頭撃ったのかと訊かれた清弘さんは、何頭殺したかは言いたくない、言うと自慢になってしまう、熊を殺したことを自慢にしたくはないと話していました。

清弘さんたちは、熊を探すため、雪山に入っていました。マタギの方は、「フシブチ」と呼ばれる足跡を追いかけて熊の姿を見つけ出すそうです。冬眠の場所を示す痕跡を消すように、足跡は山の中を回っているそうです。清弘さんは、熊はたくさんのことを教えてくれる偉大な生き物だと話していたのですが、熊狩りは、賢い熊と熊を撃つ人との命懸けの頭脳戦であるようでした。マタギの清弘さんは、山の木の幹に生えていたキノコのヒラタケを山の神からの授かりものとして採っていたのですが、人の命を生かす熊は、人々に山の神や山の神の使いとして崇められてきたそうです。獲った熊を、山の神の授かりもの、と感謝していました。

昭和初期の頃までは、熊を3頭獲れば1年間遊んで暮らせるというくらい、マタギの仕事はお金になったそうなのですが、マタギは、今は職業としては成立しないものになっているそうです。熊の毛皮は売れないし、熊狩りの法規制もされているからということでした。清弘さんや、鳥海マタギの後を継ぐかもしれない次男の貴吉さんは、熊を狩りに行かない時期には、農業をしたり、除雪作業の仕事をしたりしているそうです。仕事がなくて東京へ出稼ぎに行っていたという若い頃の清弘さんは、度々死にたい気持ちになっていたそうなのですが、力は金だと思い、月に100万円を稼いでそれを実家に仕送りしていたそうです。

今は、本当のマタギはいないけれど、今のマタギの人たちもマタギの心を持っているということでした。

マタギとハンターの違いは何か、という話も出ていたのですが、あるマタギの方は、マタギは山の猟師でハンターは町場の猟師だと答えていました。清弘さんの息子さんは、考えながら、(駆除などの目的で)山に行って獲物を獲る人がハンターで、山の神に感謝して食べる人がマタギだという風に話していました。

清弘さんたちは山をブナの原生林に戻す手入れを行っていたのですが、それは熊が里に下りて来ないようにするため、熊を山に戻すためだそうです。山は一歩入れば山の神さまのものだと、清弘さんは話していました。

鳥海マタギの方たちは、熊が冬眠に入る12月下旬までに熊を撃つのだそうです。12月上旬、雪山を歩いていた清弘さんは、「エジメ」という熊の寝床を見つけ、葉や足跡に、食べ物を探しながらゆっくり歩いている痕跡を見つけていました。マタギの方たちは、峰を利用し、全体を見渡すことのできる山の上から熊を撃つそうなのですが、しばらく追いかけていた時、仲間のマタギから、山の神を授かった、と無線で連絡を受けました。体重180㎏という大きな熊が撃ち獲られていました。マタギの方たちは、山の神に手を合わせて熊の魂の弔いをしていました。

弔いの儀式を行ったマタギの方たちは、「ナガサ」という小刀を使って、熊肉を全員に平等に分けていました。「マタギ勘定」なのだそうです。熊の命は、マタギの方たちの命になりました。熊を獲る理由を訊かれた清弘さんは、楽しみのためでも自己満足のためでもお金のためでもない、何百年続いた歴史であり、そうやって生き延びている生き方なのだと話していました。

時代の流れに流されないでいる、と話した清弘さんは、時間の問題かもしれないけれど、と言い、それでも離せば何もなくなる、家も村も山の神への祈りもなくなってしまうということを話していました。

12月中旬の雪の日、清弘さんは、山の斜面に熊を見つけ、できる限り熊に近付くように冷たい川を渡って、熊を撃ちました。黒い熊が白い斜面を滑り落ちていました。熊を確認した清弘さんと息子さんは、山の神を授かった、と熊に手を合わせていました。

熊とマタギというと、私は、宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』の話を思い出します。獲った熊を弔う儀式というと、アイヌの熊送り(イオマンテ)のことを思い出します。

私はマタギのことをほとんど知らないのですが、ハンターとは異なるマタギの方たちにとって熊を殺すことは、狩猟ゲームでも駆除でもなく、先祖の魂と共に命を育む山の神と生きることなのかもしれないと、何となく思いました。

マタギは職業としては成立しないものになっているということですが、その魂や志は、先祖代々マタギをしていた今のマタギの方たちの中にも受け継がれていました。

マタギの方の生き方と比べて良いものなのかどうか分からないのですが、例えば、日本のミイラ信仰とも言われる「即身仏」の信仰(東北地方に多いそうです)について、ある地域の人々が代々手を合わせている即身仏の精神の連続性を考える時にその即身仏が生き仏のようにその村の人々を守るために今も祈り続けているように見えることと、何か似ているような気もしました。信仰する人がいなくなれば、その信仰はなくなり、崇められている神様もいなくなります。神様がそこにいると感じ取る人がいなくなれば、神様はいなくなってしまうのです。

熊を撃つ鳥海マタギの方たちにとって、熊と人間とは対等な存在であるのかもしれないなと思いました。あるいは、山の神である熊のほうが人間よりも高い存在なのかもしれませんが、そのような意識が、マタギとハンターの違いなのかもしれないと思います。

上手く伝えることができないのですが、静かな雰囲気の、良い特集でした。語りは、柄本佑さんでした。

「詩人 尹東柱を読み継ぐ人びと」

NHKのEテレの「こころの時代~宗教・人生~」の「詩人 尹東柱を読み継ぐ人びと」を見ました。日曜日の早朝に放送され、録画をしておいたものです。

詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)さんは、韓国の人ならだれでも知っている、国民的な詩人なのだそうです。私は数年前に本で紹介されていた尹東柱さんとその詩を読んで、このような方がいたのだなと感動しました。

尹東柱さんは、1917年に朝鮮の咸鏡道という地(地図で見ると現在の北朝鮮の辺りでした)で生まれ、家族で移住した旧満州国で育ったそうです。家族でキリスト教徒だった尹東柱さんは、(「韓国併合」をした)日本統治下の朝鮮で神社への信仰(神道への改宗)を拒否し、創氏・改名も拒否していたそうなのですが、学生生活を送っていた時にもっと文学を勉強したいと日本への留学を決め、創氏を受け入れて平沼東柱と名乗り、1943年の春に東京池袋の立教大学の文学部英文科へ入学し、それから秋に京都の同志社大学の文学部英文科へ編入したそうです。番組によると、同志社大学へ編入したのは、兄弟のように育った従兄の宋夢奎(ソン・モンギュ)さんがいたからだそうです。

当時の“大日本帝国”時代の植民地支配下の朝鮮でも、留学先の日本でも、日本政府に禁止された朝鮮語で詩を書き続けていた尹東柱さんは、1944年、民族運動を扇動したとして、社会運動をしていた宋夢奎さん(日本名は宋村夢奎さん)と共に治安維持法違反で逮捕され、京都地方裁判所で実刑判決を言い渡されると、福岡刑務所に収監されたそうです。尹東柱さんは1945年2月16日に獄死し、従兄の宋夢奎さんは3月10日に獄死したそうです。27歳でした。死因は不明とされているので、拷問説や人体実験説もあるそうです。

当時は何も悪いことをしていない多くの日本出身の日本人も治安維持法違反で特高警察に突然逮捕され、拷問を受けて、中にはそれで亡くなった人たちもいるので、逮捕された外国の人たちも同じくらい、あるいはもっと大変な目に遭っていたのではないかと思います。

尹東柱さんは亡くなる前に何か一言叫んだそうなのですが、刑務所の看守たちには朝鮮語が分からなかったため、その最後の言葉は今も分かっていないそうです。

尹東柱さんの詩集『空と風と星と詩』は、死後、友人たちによって刊行されたそうです。

番組では、福岡・尹東柱の詩を読む会の代表の馬男木美喜子さん、日本聖公会の奈良基督教会の牧師の井田泉さん、詩人尹東柱を記念する立教の会の代表の楊原泰子さん、京都大学名誉教授の水野直樹さんの話を聞きながら、厳しい戦争と侵略と抑圧の時代の中で尹東柱さんが残した詩を読み解いていました。揚原さんの調査によると、立教大学に通っていた頃の尹東柱さんは、高田馬場辺りに住んでいたということでした。

奈良基督教会(外観がお寺のようでした)の牧師の井田さんは、尹東柱さんと同じく生まれた時からのキリスト教徒で、小さい頃隣の家の朝鮮出身の子供と遊んでいた時に感じた「朝鮮」という言葉にまとわりつく差別的な何かに違和感を感じ、ラジオから流れてきた朝鮮語の詩の朗読の音に感動して朝鮮語を勉強し、韓国のキリスト教会とも交流を続けているという方だったのですが、その井田さんの話し方や口調がとても穏やかだったので、それも良かったのだと思います。良い特集でした。

戦時中の日本聖公会の戦争協力にも触れられていました。聖公会の「祈祷書」(聖書)の言葉の「神」の部分が、その上から紙を貼られて、「天皇」や「皇室」に書き換えられていました。私は以前、仏教の真宗大谷派が戦時中の戦争協力を宗派として反省しているというのを聞いたことがあるのですが、戦時中の宗教団体の多くが国の圧力を受けて積極的にも消極的にも戦争協力に転じたそうです。その中で、はっきりと戦争責任を認め、反省(懺悔)して非戦を誓っている宗教団体というのは、どのくらいあるのでしょうか。

私は日本の片隅でささやかに生きているだけの非力な一市民として、単純に、戦争や紛争などの国家規模の暴力やそれにつながる軍拡を、嫌なもの、怖いものと思ってしまいます。誰かを傷つけたり殺したりすることも、誰かに傷つけられたり殺されたりするのも嫌です。誰かを尊敬するとすれば、戦後だけではなく戦前から戦中を通して全体主義や戦争に懐疑的だったり反対したりしていた方を尊敬します。

尹東柱さんの詩を読む方たちの解説を聞きながら、詩人の尹東柱さんはその文学に美しい言葉を使う人だったのだなと思いました。私は韓国語も朝鮮語も分からないので、井田さんが訳したものや出版されている日本語訳のもので詩を聞いたのですが、尹東柱さんは心の澄んだ人だったのかもしれないなと思いました。

今年は尹東柱さんの生誕102年、没後74年の年です。同志社大学には尹東柱さんの詩の碑があるそうですし、立教大学でも研究が行われているそうです。近年には毎年追悼式典なども開かれているそうです。

現代の、元号でいうなら平成末期の今の日本は、約74年前に始まった「戦後民主主義」が衰退していく時代にあるのかもしれないなと、少し不安に思います。公文書の改竄や隠蔽や基幹統計不正など「民主主義の根幹を揺るがす」ようなことが行われていれる政治が続く中、アメリカ軍に軍事協力する自衛隊は名実ともに日本の軍隊となっていき、国民にはいつか国から「召集令状(赤紙)」が届くようになるのかもしれません。防衛省が個人に自衛隊員募集のダイレクトメールを送っているとか、自治体が住民の個人情報の提供に協力的ではないと言う安倍晋三首相の国会答弁を聞いて、自治体によってはそのようなことが起きているのかと初めて知りました。報道番組を見ていると(見ないわけにもいきません)暗い気持ちになるのですが、あまり憂鬱な気持ちになってばかりいてもいけないのだろうと思います。

戦争時代を生きて亡くなった詩人の尹東柱さんの詩は、これからも世界中で読み継がれていくのだろうと思いました。私には作り出すことができないのですが、詩や文学や芸術が、今の閉塞感のある世の中の希望の光となるようなものになっていくといいなと思います。
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Author:カンナ
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