映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」

先月の日本テレビの深夜に放送されていた映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」を見ました。

2012年に公開されたブノワ・ジャコー監督・脚本によるフランスとスペインの合作の歴史映画で、原作はシャンタル・トマさんの小説『王妃に別れをつげて』だそうです。

「金曜ロードSHOW!」ではフランスとドイツの映画「美女と野獣」が地上波初放送されていましたが、この映画はその宣伝のために、同じレア・セドゥさん主演の映画として放送されていた作品なのだと思います。吹き替えではなく、日本語字幕で放送されていたのですが、ノーカット放送ではなかったのかもしれません(少なくともエンドロールはカットされていました)。

フランス革命前夜のヴェルサイユ宮殿を舞台に、王族や貴族や使用人たちの戸惑いや決意を描いた映画でした。1789年7月の14日の早朝から17日の夜までの3日間の物語でした。

映画の初めのほうを見ていた時には、登場人物の衣装や建物などがリアルに見えるということが良く思えたくらいで、物語自体が面白いのかどうかはよく分からないようにも思えていたのですが、15日に民衆がバスティーユ監獄を陥落したという噂が宮殿内に広まっていった辺りから、展開に緊張感が漂い始め、少し薄暗い映像にも慣れてきて、だんだんと面白いようにも思えてきました。

主人公のシドニー・ラボルド(レア・セドゥさん)は、王妃マリー・アントワネット(ダイアン・クルーガーさん)の朗読係で、刺繍が得意な少女でした。ラボルドさんは、王妃を敬愛し、何よりも王妃のことを優先していました。しかし、温厚なフランス王・ルイ16世(グザヴィエ・ボーヴォワさん)の王妃であるマリー・アントワネットは、愛人のポリニャック夫人(ヴィルジニー・ルドワイヤンさん)のことだけを想い続けていました。

フランス革命の始まった頃のヴェルサイユ宮殿での出来事を描いた時代劇だったのですが、ラボルドさんとマリー・アントワネットとポリニャック夫人の静かな愛憎劇という印象の物語でもありました。

ラボルドさんの気持ちは王妃には届かず、王妃の気持ちはヴェルサイユを離れることにしたポリニャック夫人には必要のないものとなっていきました。

王妃のお世話係のカンパン夫人と親しいベルタン夫人に頼まれ、病気の刺繍係のマリー=ルイーズに代わって王妃のためのダリアの刺繍を完成させたラボルドさんは、最後まで王妃に本当のことを話しませんでしたし、王妃もマリー=ルイーズが作ったということを疑いませんでした。

刺繍を王妃に手渡した後、王妃をそのそばで守りたいラボルドさんは、ポリニャック夫人の意向を汲んでポリニャック夫妻にヴェルサイユを離れさせることにした王妃から、ポリニャック夫人の服を着てポリニャック夫人と旅に出るよう命じられました。カンパン夫人からは、頼まれても断るよう言われていたのですが、ラボルドさんには王妃の頼みを断ることはできませんでした。

王妃はラボルドさんの自分への気持ちを利用して、ラボルドさんをポリニャック夫人の身代わりにしようとしていました。ラボルドさんは、ショックを受けながらも王妃の命令通りに服を脱ぎ、王妃の蔑むような一瞥に耐えながら、ポリニャック夫人の緑色のドレスに着替えました。

ラボルドさんは、使用人の服を着たポリニャック夫妻と馬車に乗り、ヴェルサイユ郊外の森の道を進んで行きました。ポリニャック夫人の扮装をしたラボルドさんがわざわざ民衆に見えるように窓の外を見ることが気に入らないポリニャック夫人に頭から布を掛けられたラボルドさんは、目を覚ますと馬車が民衆や役人に取り囲まれていることに気付いたのですが、ポリニャック夫人の指示で、王妃に命じられたとおりに使用人を連れた貴族のポリニャック夫人を堂々と演じると、無事に馬車の通行を許可され、スイスへ向かう森の夜道をさらに奥へと進んで行きました。

身寄りのない孤児だった、王妃の朗読係で刺繍の上手なラボルドさんは、そうして「何者でもなくなった」のでした。

シドニー・ラボルドさんが「何者でもなくなった」のは、普通に考えると、王妃の朗読係という地位を失ったからということなのかもしれませんが、あるいは王妃の愛情を受けることが明確にできなくなった(ある種の失恋をした)からなのかなとも思いました。ラボルドさんがいつから王妃に使えていたのかは分かりませんが、長い間王妃に使えていて、しかもその王妃を心から敬愛していたということなら、王妃を突然失ったラボルドさんの喪失感というものは、とても大きいのではないかなと思います。

何度も繰り返し見たくなるような面白い歴史映画かどうかというと、それは少し違うのかもしれませんが、フランス革命に巻き込まれていく登場人物たちの感情が丁寧に描かれていたように思いますし、静かで落ち着いた作風で、良かったです。

暴動を起こした民衆が権力を欲しがっていると知ったルイ16世の、権力とは王家の呪いのようなものだと思っていた、というような言葉も、良かったように思います。世襲制によって国を統治する権力を受け継いでいる貴族の人々の中には、威張る人や暴力的な人もいたかもしれませんが、謙虚な方や、生まれながらにして権力を持つ自分の逃れることのできない宿命のようなものを呪っていた方もいたのかもしれないなと思いました。

フランス革命の時の話でありながら、フランス革命を起こした民衆の襲撃の様子や、貴族の処刑の様子、その後の王や王妃の処刑の様子などが描かれていなかったところも良かったのだと思いますが、そのような点でもやはり、この映画は、「愛」を描いた映画だったのかもしれないなと思います。

映画「美女と野獣」(2014年)

日本テレビの「金曜ロードSHOW!」の枠で地上波初放送されていた映画「美女と野獣」を見ました。

現在映画館ではアメリカのディズニーのアニメーション映画「美女と野獣」(1991年公開)を実写化した作品が公開されているということですが、今回の映画「美女と野獣」はフランスとドイツの合作で、2014年に公開されたものだそうです。

『美女と野獣』は、何度も映画化や舞台化がなされている有名な作品ですが、もともとは1740年にフランスのヴィルヌーヴ夫人という人によって書かれた「異類婚」の民話のような物語なのだそうです。そのためか、昨夜の「金曜ロードSHOW!」では、「発祥の地が贈るもうひとつの『美女と野獣』」と言われていました。脚本と監督は、クリストフ・ガンズさんです。

物語は、ある家の母親が子供たちを寝かしつけるために絵本を読み聞かせる場面から始まっていました。ベル(レア・セドゥさん、声・渋谷はるかさん)には3人の兄と2人の姉がいて、豪商の父親(アンドレ・デュソリエさん、声・塾一久さん)と7人で暮らしていたのですが、ある日、父親の帆船が荒れた海の底に沈み、父親が破産してしまいました。

田舎暮らしを始めた一家の中ではベルだけがその生活を生き生きと楽しんでいました。放蕩三昧の兄たちや婿探しに忙しい姉たちや仕事に忙しい父親とゆっくり暮らすことができると思っていたからでした。しばらくすると、沈んだ帆船が発見され港に引き上げられたという知らせが入り、家族は街に戻ることができると喜んだのですが、ベルは家族で暮らすことができなくなると寂しく思っていました。長男と港へ出かけることにした父親が末娘のベルにお土産は何がほしいかと訊くと、ベルはバラの花がほしいと答えました。

長男と港に到着した父親は、積み荷の中の宝を取り戻せると思っていたのですが、借金のために全てを差し押さえられてしまいました。それを知った長男は父親を置いてどこかへ行ってしまいました。父親は長男を捜しに酒場へ向かったのですが、そこで、長男にお金を貸しているというペルデュカス(エドゥアルド・ノリエガさん、声・斉藤次郎さん)の一味に取り囲まれ、追われることになりました。ペルデュカスたちから逃げた父親は、馬に乗って家に帰ろうとして、吹雪の森の中で遭難してしまいました。一緒に崖から落ちた馬は足を挫いてしまいました。一人で森の中を歩いた父親は、灯りに気付いてその方へ進み、バラの花の咲く蔓に囲まれた古城にたどり着きました。寒さをしのぐため廃墟のような古城の中に入った父親は、用意されていたような豪華な食事に手を付け、大きな箱の中の宝飾品の一部を持ち帰ることにしました。誰かの手当てを受けて傷を治していた馬と一緒にお城の庭へ出た父親は、美しい赤いバラの花の木を見て、末娘のベルがバラの花がほしいと言っていたことを思い出し、一輪を手折りました。その時、命より大切なバラの花を盗んだなという声がして、バラの大木の上から野獣(ヴァンサン・カッセルさん、声・山路和弘さん)が飛び掛かってきました。

バラの花を誰にあげようとしたのかと訊かれた父親は、何よりも愛しい私の娘にあげようとしたと答えました。野獣は、バラの花の大小は命だ、家族と別れるために1日だけ与える、馬の耳に「何よりも愛しい」と言えば馬がこの森へ案内する、もしも戻って来なければ家族を一人ずつ殺すと言い、父親を家に帰しました。家に帰った父親は、森で起きたことを子供たちに話しました。父親の話を聞き、父親が持ち帰ったバラの花を見たベルは、父親がバラを盗んだのは自分が頼んだせいだと責任を感じ、家族を失うことを恐れました。そして、急いで支度をすると、兄たちが止めるのを遮って家の外へ飛び出し、父親の代わりに馬に乗って一人で森へ向かいました。お城へ連れて行って、と馬に頼んだベルが、「何よりも愛しい」と呟くと、イバラが開いて道ができました。翌朝、古城に到着したベルは、顔や手などがバラの棘で傷だらけになっていたのですが、お城の中の泉に手を浸すと傷がすっかり治りました。用意されていたドレスを着て食堂に降りたベルは、その席に現れた古城の主から、城の中は自由に見ていいが、日が暮れてからは絶対に外へ出てはいけない、夜7時には必ず食卓に着けと命じられました。ベルは、グラスに映った主が野獣の姿であるのを見て驚愕しました。

部屋に戻ったベルは、自分によく似た人形がプレゼントされていることに気付き、喜んで飾っていました。ベルは、夜、夢を見るようになりました。夢の中では、王子の帰りをお城で待っていたプリンセス(イボンヌ・カッターフェルトさん、声・甲斐田裕子さん)が、仲間たちや犬たちと共に鹿の狩猟を楽しんで戻って来た王子に、金の女鹿は殺さないでと頼んでいました。王子たちは、金の矢で金色の毛の女鹿を狩ろうとしていました。朝、ベルは、庭で見かけた鹿を追ってバラの森の奥に入り、金の矢の刺さった白い石像がプリンセスの姿にそっくりであることに気付きました。

ある夜、ベルは、塔の上の部屋で野獣が自分で狩った獣を食べる姿を目撃しました。ベルは、家族に会わせてほしいと野獣に頼み、その代償としてダンスを踊ると約束しました。ダンスを踊ったベルは、家族に会わせてほしいともう一度頼みました。しかし、野獣は、自分は約束を守ったことなど一度もないとベルの願いを無視しようとしました。野獣を突き放したベルは、王子の服なんか着てぞっとする、あなたは人の服を着た獣だと怒り、お城の外へ飛び出しました。草原のような庭を走り抜けて、オーロラの輝く下の凍った湖の上を渡ろうとしました。その時、追って来た野獣に追いつかれてしまいました。氷の上でベルを捕まえた野獣は、ぞっとすると言ったベルをさらに脅そうとしたのですが、野獣の重みで氷が割れ、ベルは冷たい水の中に落ちてしまいました。野獣は、とっさに爪をベルのドレスにかけ、ベルを引き揚げて助けました。

お城の部屋のベッドの上で目を覚ましたベルの手元には、赤いバラの花が置かれていました。野獣は、ベルを一度家族の元へ帰すと約束しました。喜んで支度を始めたベルは、夜の7時には帰ると約束しました。野獣は、泉の水を入れた小瓶のペンダントをベルに渡し、何かあったら使うよう言いました。帰って来なければ、と言う野獣に、家族皆殺しなのでしょうとベルが言うと、野獣は、俺が死ぬと答え、夜明けに発つよう言って部屋を出て行きました。

赤いドレスを着て田舎の家に戻ったベルは、真っ先に父親の元へ向かいました。病床の父親は、瀕死の状態でした。父親の隣で眠ったベルは、夢を見ました。夢の中では、王子たちが森に現れた金の女鹿を狙っていました。仲間や犬たちと金の女鹿をお城の庭に追い込んだ王子は、女鹿を目がけて金の矢を放ち、矢の刺さった女鹿はその場に倒れました。狩りの成功に喜んだ王子が女鹿に駆け寄ると、女鹿は人間の女性に姿を変えました。金の矢が刺さって倒れていたのは、プリンセスでした。瀕死のプリンセスは、自分は森の精であり、人間の愛というものを知りたくて人間の姿になることを許してもらい、王子と出会って愛を知ったと打ち明けました。驚く王子の頭上には、暗雲が立ち込めました。プリンセスは、自然界の神である父親に、王子を許してほしいと頼んだのですが、娘を殺された父親は激怒し、王子に呪いをかけました。王子を野獣の姿に変え、呪いを説くことができるのは人間の女性だけだか、誰もお前を愛さないだろうと神は言いました。

目を覚ましたベルは、野獣に手渡された泉の水のことを思い出し、瀕死の父親に飲ませました。すると、父親はすぐに元気になりました。ベルに呼ばれた二人の姉たちも父親が元気になったことを喜びました。しかし、そこに長男と次男の姿はありませんでした。ベルのコートの赤い宝石のブローチを見て驚いた上の二人の兄たちは、古城に宝石を取りに行くことにしたのですが、ベルを裏切ってはいけないと止める三男を殴って気絶させて家の外に出た時、占い師のアストリッド(ミリアム・シャルランさん、声・早川舞さん)を連れたペルデュカスたちに見つかってしまい、ペルデュカスたちを古城へ案内しなければいけなくなりました。

ベルの馬に乗り、森の古城へ案内させた兄たちは、ペルデュカスたちと一緒にお城の食べ物を盗み、宝飾品を盗んで帰ろうとしました。その様子を見張っていた野獣は、巨大な土人形たちを操り、庭を歩いて帰ろうとしていた盗賊たちを次々と叩き殺していきました。

3番目の兄から事情を聞いたベルは、時計を見て帰りの時間が迫っていることに驚き、その兄と森の古城へ急ぎました。森のイバラは古城への道を閉ざしていたのですが、ベルが彼の元へ帰してと森の神に祈ると、道が開きました。再び傷だらけになりながら森の奥へ進んだベルは、巨人に襲われている兄たちを助けに向かいました。赤いドレスを来たベルの姿を見た野獣は、巨人の動きを止めました。ペルデュカスは、ナイフを取り出し、ベルを人質に取りました。刃を当てられたベルの首から血が流れました。ベルは隙を見てペルデュカスから逃げたのですが、ペルデュカスを殺そうとした野獣を、あなたは人間だったのではないかと止めました。狡猾なペルデュカスは、アストリッドが石像から取ってきた金の矢を野獣に突き刺しました。すると、土の巨人は崩れ始め、盗賊たちはその瓦礫に襲われました。ペルデュカスは、転んだアストリッドを助けずに逃げようとして、呪われました。地面から這い上がってきた植物に身体を乗っ取られ、苦しみながら死んでいきました。

ベルと3人の兄たちは、襲い掛かってくるバラの蔓と戦いながら、金の矢に倒れた野獣を古城の中へ運びました。そして、ベルの指示で、瀕死の野獣を部屋の泉の中に入れました。野獣が生き返らない理由を考えたベルが金の矢を引き抜くと、野獣ははっと生き返りました。泉に浮かび上がった野獣が、怖くなくなったらいつか愛してほしいとベルに言うと、ベルは、もう愛していると言いました。ベルの涙が泉に落ちると、呪いは解けて、野獣は王子の姿に戻りました。

絵本の物語は終わりました。子供たちを寝かしつけようと絵本を読み聞かせていた母親は、ベルでした。兄や姉たちは街へ出て暮らした、王子は花屋になったと答える母親に、子供たちは、家と同じだと言いました。家にはベルの父親がいました。ベルが出た夕方の庭にはバラの花が咲いていて、その小道の向こうでは、帰ってきた夫が手を振っていました。

昨夜に見た映画「美女と野獣」は、このような物語でした。

「地上波初放送」ではあったようなのですが、「本編ノーカット放送」とは言われていませんでした。少なくとも、最後のエンドロールの部分はカットされていました。

私は、ディズニーのアニメーション映画の「美女と野獣」は見たことがあるのですが、原作の『美女と野獣』は未読です。なので、原作と比べることはできないのですが、今回の2014年のフランス版の映画「美女と野獣」も、とても面白かったです。

ディズニーのアニメーション映画の物語とは、全くと言うわけではないかもしれないのですが、かなり違っていました。ベル(ベルという名前は、そもそも本名ではなく、「美女」という意味のあだ名なのだそうです)は、アメリカの映画では、村で変わり者と思われている科学者の読書好きの一人娘でしたが、今回のフランスとドイツの映画では、商人の6人の子供の末娘でした。

母親を亡くしているというところは同じなのですが、母親を亡くしていて、父親の影響である運命に導かれていくというところや、性格の悪い兄や姉がいるというところは(この映画の兄や姉はそれほど性格が悪いというほどではなかったかもしれませんが)、「シンデレラ」の話にも何となく通じるところがあるような気がしました(あるいは、「おとぎ話」には意外とよくある設定なのかもしれません)。

ディズニーの映画では冒険物語でもあったように思うのですが、この映画は、冒険物語というよりは、サスペンスのような印象でした。映像も美しくて、ファンタジー作品であるということ以上に、何というか、幻想的な雰囲気がありました。衣装もすてきでした。現代風でもあるのですが、パリのルーヴル美術館の展覧会で見ることができるような絵画に描かれている当時の洋服に似ているようにも思えました。お城の中にいた子犬の妖怪?のような存在は少し謎でしたが、背が高過ぎない野獣の姿は、リアルでした。音楽も、全体的に静かで良かったような気がします。

王子を愛していた森の精が、呪われた王子を救うため、森に現れて捕らえられたベルに夢を見せて、王子の過去を教えて導くというようなところも良かったです。森の精の化身だったプリンセスの愛情が深いです。

現代でも何度も作られる「美女と野獣」は、多くの人に愛される、よくできた作品なのだなと改めて思いました。完全版を見たわけではないのですが、私もこの映画を見ることができて良かったです。

映画「シンデレラ」(2015年)

日本テレビの「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送され、録画をしておいた、2015年公開のディズニーによる実写映画「シンデレラ」(吹き替え版)を見ました。

映画の原作はフランスの詩人のシャルル・ペローの童話『シンデレラ(サンドリヨン)』ですが、その童話の実写ではなく、1950年のディズニーのアニメ―ション映画「シンデレラ」の実写版だということでした。

ある国の森の奥の裕福なお屋敷で、母親が病死した後、商人の父親と暮らしていたエラ(リリー・ジェームズさん)は、ある日から父親が再婚を決めた未亡人のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェットさん)とその娘のアナスタシア(ホリデイ・グレインジャーさん)とドリゼラ(ソフィー・マクシェラさん)と暮らすことになったのですが、それから間もなく父親が旅先で病死すると、家計の節約のために使用人に暇を出した継母と姉妹にはっきりと屋根裏部屋に暮らす使用人の灰かぶりの「シンデレラ」として扱われるようになりました。

それからしばらくして、森に鹿狩りに来ていたキットと名乗る貴族の若者(リチャード・マッデンさん)と出会って恋に落ちたエラは、王子がお城の舞踏会に国中の娘を招待してお妃選びを行うということを知り、その若者に会うために母親の遺品の古いドレスを着て舞踏会へ行こうとするのですが、継母と姉妹に同行を拒否されてしまいました。

母親のドレスを破られて悲しんでいたエラは、庭にいた老婆に食べ物を恵んでほしいと頼まれました。すぐに牛乳を渡したところ、老婆はフェアリー・ゴッドマザー(ヘレナ・ボナム=カーターさん)の姿に戻り、母親の遺言通りに勇気のある優しい娘に育ったシンデレラのために、魔法でかぼちゃを馬車に変え、ネズミを馬に変え、トカゲを御者に変え、古いピンク色のドレスを豪華な青色のドレスに変え、そしてボロボロの靴をガラスの靴に変えました。

夜の12時の鐘が鳴り終わると魔法が終わってしょまうからその前に戻って来るようにとのフェアリー・ゴッドマザーの忠告を聞いてお城の舞踏会へ出かけたシンデレラは、森で出会った少女が現れるのを待っていたキット王子と再会し、お城の花園のブランコで落ちたガラスの靴を王子に履かせてもらうなど、楽しい一時を過ごしていたのですが、夜の12時の鐘が鳴り始めたため、慌ててお城を抜け出し、何とか魔法が解ける前に実家のお屋敷の森の前まで到着しました。シンデレラは、靴の片方をお城の階段に落としてしまったのですが、もう片方を持っていました。

少しして、継母と姉妹たちも馬車で戻ってきました。シンデレラは急いで思い出のガラスの靴を隠したのですが、継母には見抜かれていました。継母は、シンデレラのガラスの靴を割り、硝子の靴の持ち主を探し始めた王子の使いからシンデレラの存在を隠すために、シンデレラを屋根裏部屋に閉じ込めました。

当初は国のためにもどこかの国の姫と結婚するよう王子に勧めていた老齢の国王(デレク・ジャコビさん)は、亡くなる間際、王子に愛する人と幸せになるようにと伝えました。

国中の女性たちにガラスの靴を試し履きしてもらった王子の使いの一行は、最後に国の外れのトレメイン夫人の屋敷にやって来ました。姉妹たちにはガラスの靴を履くことができないと分かった一行が帰ろうとした時、屋敷の中からきれいな歌声が聞こえてきました。村娘をお妃にするわけにはいかないとしてトレメイン夫人と結託していた大公(ステラン・スカルスガルドさん)は、それを無視して帰ろうとするのですが、一行の中に紛れ込んでいた王子は、大佐(ノンソー・アノジーさん)に命じて娘を探させ、トレメイン夫人に屋根裏部屋のシンデレラのところまで案内させました。

シンデレラは、母親の振りをして心配する継母のトレメイン夫人に、あなたが私の母親だったことは一度もないと告げて大佐と屋根裏部屋を後にし、ありのままの自分を受け入れてくれるだろうかと不安に思いながら、階下で待っていたキット王子と再会しました。そして、お互いの“真実の愛”を感じた二人は、お城で結婚式を挙げ、シンデレラは王子のお妃となり、一緒に平和な国を築いていきました。

映画の物語は、このような物語でした。

最近のディズニーの実写作品らしく、“悪役”のトレメイン夫人の側の描写があるなど、これまでのシンデレラだけを主人公とした物語とは少し異なっていたのですが、お城の舞踏会の前に森の中で偶然出会うとか、シンデレラがガラスの靴を履いているということを王子が夜の12時の階段でガラスの靴を拾う前に知るとか、そのような物語の筋も異なっていました。

ノーカット放送とは書かれていなかったので、本編にもカットされた部分はあったのかもしれませんが、この映画を見始めて、私はアニメーションの映画「シンデレラ」をちゃんと見ていないのではないかということに気付きました。そのため、ディズニー映画の「シンデレラ」とその作品を基に作られたこの「ディズニーが総力を挙げて制作した」という実写映画の「シンデレラ」とを比較することはできないのですが、少なくとも絵本で読んだいくつかの「シンデレラ」とは別の「シンデレラ」だったように思います。

王子の声を演じていたのは俳優の城田優さんで、シンデレラ(エラ)の声を演じていたのは女優の高畑充希さんだったのですが、私には、高畑さんの声はこの映画のシンデレラの声には合っていなかったような気もしてしまいました。

昨年の初夏のバラの花の季節、東京の千代田区の日比谷図書館で、「シンデレラの世界展 ~アメリカに渡ったシンデレラ・ストーリー~」という展覧会が開催されていました。アンティーク絵本のコレクターの川田雅直さんという方の「シンデレラ」に関するコレクションの展覧会で、ヨーロッパの『シンデレラ』の物語がアメリカへ伝わり、「夢に向かって着実に努力を続ければ誰もが必ず成功できる」という“アメリカンドリーム”を体現する物語として人気を博し、ディズニー作品として有名になるまでの「シンデレラ」の歴史や、様々な絵本作品や関連グッズなどが紹介されていました。

私も「シンデレラ」の物語を好きなので、この映画が放送されると知って見るのを楽しみにしていたのですが、この映画の「シンデレラ」は、思っていた「シンデレラ」とは少し違っていました。

NHKの「連続テレビ小説」かと思うほど、映画にナレーションが多用されていたのも気になりました(英語版も同じなのでしょうか)。主人公のシンデレラの感情をナレーションで説明してしまうという手法は、もしかしたら読み聞かせをする絵本のようなイメージで作ったのかもしれませんが、私には少し残念に思えました。

それでも、「勇気」と「優しさ」と「真実の愛」の大切さを説くディズニー映画らしい作品だということは、よく伝わってきました。

私は「ワンス・アポン・ア・タイム」というNHKのBSプレミアムで放送されていたドラマを好きで見ていたのですが、近年のディズニーが旧作品の実写化を進めているのはどうしてなのだろうということも、改めて気になりました。アメリカのディズニー作品にはヨーロッパの童話や小説を原作にしたものも多いように思えますし、現在は「美女と野獣」の実写映画が公開されていますが、もしかしたら実写映画化する作品が尽きているのかなとも思います。あるいは、旧作品と新作品との相乗効果を期待しているのでしょうか。原作を実写化するのならまだ分かるような気もしますが、人気のアニメ作品をあえて実写化するようなことはしなくてもいいのではないかなという気もします。

私は昔、歌手のホイットニー・ヒューストンさんが魔法使いを演じていた「シンデレラ」のミュージカル映画を見たことがあるのですが(この作品もディズニーによるものだったかもしれません)、シンデレラを演じていた女優さんがアフリカ系の方で、王子を演じていた方がアジア系の方だということに最初は少し驚いたのですが、そのようなところは見ているうちにすぐに慣れましたし、新鮮で面白くて、夢があって、とても良い映画だったという印象があります。

童話や絵本にもいろいろなタイプの「シンデレラ」があるということなので、映画の「シンデレラ」にもいろいろなものがあって良いのかもしれないとも思うのですが、シンデレラはシンデレラに見えたほうが良いですし、王子は王子に見えたほうが良いという個人的な印象で、私は今回に見た「シンデレラ」の映画よりも、昔に見た「シンデレラ」の映画のほうがずっと好きでした。

「劇場版 MOZU」

先日のTBSの深夜に放送され、録画をしておいた「劇場版 MOZU」を見ました。

TBSとWOWOWの共同制作の連続ドラマとして放送されていた「MOZU」の続編の映画です。ドラマは2014年に放送され、映画は2015年に公開されました。東宝の映画です。

この映画の放送(ノーカット放送とは書かれていなかったように思います)が深夜になったのは、放送枠の都合によるものなのでしょうか。

映画の物語は、テロリスト集団による高層ビルの爆破事件が発生したのと同じ頃、ぺナム共和国(架空の国です)の駐日大使館職員の女性の乗った車が襲われるというところから始まっていました。

妻の千尋(石田ゆり子さん)と娘の雫(小泉彩さん)を失った悲しみから逃れることができずにいた警視庁公安部特務第一課捜査官の倉木尚武(西島秀俊さん)は、外務省車両襲撃事件現場に居合わせ、負傷した大使館職員の女性を助けたのですが、一緒に乗っていたその娘のエレナ(マーシュ彩さん)を拉致されてしまいました。

一方、エレナを偶然発見した元警視庁刑事部捜査一課捜査官で今は探偵事務所を開業している大杉良太(香川照之さん)は、エレナを事務所に匿っていたのですが、誕生日を祝うために呼び出した娘の大杉めぐみ(杉咲花さん)をエレナを捜しに来たテロ集団のリーダーの権藤剛(松坂桃李さん)に拉致されてしまいました。

大杉さんは警視庁公安部公安第二課捜査官の明星美希(真木よう子さん)にエレナを預けていたため、めぐみさんと同様に、明星さんも拉致されてしまい、事件の背後に「ダルマ」が関わっていると気付いた倉木さんは犯罪組織を動かす高柳隆市(伊勢谷友介さん)に会って「ダルマ」の正体を突き止めるために、大杉さんは一人娘のめぐみさんを救うために、ペナム共和国へと向かうのでした。

原作は、私は未読なのですが、逢坂剛さんの小説「百舌」シリーズです。具体的なタイトルは書かれていませんでした。ドラマの時と同じく、脚本は仁志光佑さん、音楽は菅野祐悟さん、監督は羽住英一郎さんでした。

私は連続ドラマの時の「MOZU Season1~百舌の叫ぶ夜~」と「MOZU Season2~幻の翼~」をとても好きで見ていました。ドラマの「MOZU」は、社会派ミステリーというか、サイコスリラーというか、そのような作品だったように思うのですが、映画版の「MOZU」は、わざわざ舞台を海外に移したというところも含め、血と暴力の派手なアクションの要素が強く、ドラマの時の「MOZU」のような謎と緊張感は減っていたように思います。

元公安部捜査官のアテナセキュリティーの東和夫(長谷川博己さん)の場面も、「チャオ」とか妙な高笑いとか、東さんらしさはありましたが、物語の必然性というよりは、この映画を作っている側の人たちは楽しいのだろうなという印象の要素でもあったように思えました。

松坂桃李さんの演じる権藤さんが「百舌」の新谷宏美を崇拝しているというところも少し取って付けたような設定に思えたのですが、権藤さんに殺されそうになった大杉さんとめぐみさんの前に突然現れた新谷和彦(池松壮亮さん)は、ヒーローでした。

宏美の双子の兄の新谷和彦は、倉木さんと同じくらい“不死身”なので、一体どのような存在なのだか分からない程ではあるのですが、「MOZU」には必要な存在です。必要な存在なのですが、ヒーローのように登場した場面は短く、「劇場版 MOZU」がドラマ版の続編であり、あるいはドラマ版の「スピンオフ」のような物語であるということを印象付ける場面でもあったように思いました。

「日本事件史の闇」という「ダルマ」の正体は、吉田駒夫で、演じていたのはビートたけしさんでした。津城俊輔警視正(小日向文世さん)が死亡するという展開も残念に思えたのですが、映画で描かれていた「ダルマ」の謎も、海外ロケを行うほどの大掛かりな物語である割りには、あまり深く掘り下げられてはいませんでした。

「ダルマ」は、顔の左側に火傷の痕があったのですが、その正体だった吉田駒夫の火傷の痕は顔の右側にありました(映画の話では、倉木さんの娘の雫さんは吉田駒夫に直接会ってその顔の絵を描いたということなので、雫さんの絵の「ダルマ」の傷痕は顔の右側にあったということでしょうか)。

吉田駒夫は、戦後すぐに武器商人としてアメリカに近付き、右翼組織や保守組織や暴力団とのつながりを保ちながら日本の政財界を裏で操り、総理大臣を任命することができるまでにのし上がったというような黒幕的人物でした。死んだとされていた吉田駒夫は、各地にいる自分の子供の内臓を移植するなどして生き延びていました。

吉田駒夫という名前を聞いた時、私には、どこかで聞いたことのある名前だなと少し違和感があったのですが、それは、NHKの「未解決事件」の「ロッキード事件」の特集の時に登場していた児玉誉士夫という人物の名前に似ていたからでした。映画の吉田駒夫は、児玉誉士夫の名前をもじった名前の人物だったのだろうと思います(児玉誉士夫という人は、現首相の安倍晋三さんの祖父の岸信介さんが首相になる時にも協力して、その権力を使っていたのだそうです)。

その黒幕の吉田駒夫を倒して、日本社会を救う、あるいは日本社会を新しい混沌に突き落とすという東さんの欲望は、東京オリンピック・パラリンピックが開催される予定の2020年を境に達成されることになるようでした。この映画の良かったところは、まだ2020年が来ていないというところにあったようにも思いました。

大怪我を負った大杉さんも倉木さんも、何の後遺症も残らずに無事に生き残り、映画の物語は、クリスマスの夜、倉木さんが誰かに会いに行くというところで終わっていました。大杉さんと明星さんと待ち合わせをしているレストランへ行くのではないようでしたが、はっきりとは描かれていませんでした。

スピンオフドラマ「大杉探偵事務所」の続きとして、ある種の“家族愛”のようなものもこの映画のテーマになっていたのかもしれないのですが、私としては、物語の設定も演出も、「劇場版 MOZU」より、連続ドラマの時の「MOZU」のほうがクオリティーが高かったように思いました。他の作品でもそうかもしれないのですが、連続ドラマの良さは、その映画版(劇場版)にはあまり引き継がれないのかもしれません。連続ドラマの続編のような映画化作品を見て、ドラマよりも良かった、ドラマと同じくらい良かったと思うことができるようなものは、ほとんど無いのではないかと思います。今回の「劇場版 MOZU」も、制作にお金をかけていたのだろうと思いますし、豪華キャストなのだとは思いますが、全体的に少し残念というか、もったいない作品であるように思いました。

映画「ティファニーで朝食を」

NHKのBSプレミアムで放送されていた、映画「ティファニーで朝食を」を見ました。

今から約56年前の1961年に公開されたアメリカの映画で、脚本はジョージ・アクセルロッドさん、音楽はヘンリー・マンシーニさん、監督はブレイク・エドワーズさんです。昨夜に放送されていた映画は、字幕の映画でした。

オードリー・ヘプバーン主演のとても有名な映画だと思うのですが、私はトルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』も未読で、映画も見たことがありませんでした。そのため、放送されると知って、今度こそちゃんと見てみようと、楽しみにしていました。

ティファニーは日本でも有名は宝石店で、ティファニーと聞くと、映画をちゃんと見たこともないのに「ティファニーで朝食を」というタイトルを思い出すくらいだったのですが、昔に初めて聞いた時には、私は宝石店のティファニーには食事をするところもあるのだろうかと思っていました。でも、そうではなくて、映画のタイトルの「ティファニー」は、裕福な身分のたとえであるようでした。

「ムーン・リバー」の曲の流れる映画の冒頭の、ニューヨークの5番街のティファニーのショーウィンドウの前で着飾ったオードリー・ヘプバーンさん演じる主人公のホリー・ゴライトリーがパンとコーヒーの朝食を食べる場面(これも有名な場面ですが)は、この映画の象徴のような場面で、その後の物語に直接関係があるわけではなかったように思います。

物語は、拾った名前のない茶トラの猫とニューヨークのアパートの一室で暮らしている元女優のホリー・ゴライトリーと、ホリーの部屋の上の部屋に住む売れない小説家のポール・バージャック(ジョージ・ペパードさん)との友情や恋愛を軸にコミカルに展開していたのですが、その中で、資本主義社会での豊かさや貧しさや、お金に換えることのできない愛や自由とは何かということが繊細に描かれていたように思いました。

貧しい環境の中で生きていたホリーが弟と暮らすために14歳で子供のいる牧場経営の男性の後妻に入ったというようなエピソードが意外に思えました。一応その結婚は無効になったということでしたが、戦後の?アメリカにもそのようなことはあったのでしょうか。ホリーは、成長して軍隊に入隊した弟といつか一緒に暮らすことを願って、そのためのお金を稼ぐために自由奔放に見える生活を送っていたのですが、その願いが叶うことはありませんでした。ホリーがポールに親しみを感じたのは、穏やかで優しい性格や背の高い体格が弟のフレッドに似ていたからだったのですが、元夫からの弟の死(基地内での事故死)を知らせる電報を読んだホリーが悲嘆に暮れる辺りから、物語は少しシリアスな展開になっていました。

麻薬密売人のボスだった刑務所に服役中の老人のサリー・トマトがポールに言っていたように、ホリーのそれまでの人生は華やかなように見えていても悲劇的なものだったようでした。

最後の、雨のニューヨークの街中を走るタクシーの中で、自分は猫のように自由なのだ、籠の中で縛られたくはないと主張してポールからの告白を断り続けるホリーに、あなたが自由に固執するのは愛を受け入れる人生が怖いからだ、自分は愛で包もうとしているだけで籠の中に入れようとしているわけではない、あなたは誰かに籠に入れられることを恐れているがすでに自分で作った籠の中に入っている、どこへ行ってもその籠はついてくるのだ、というような趣旨のことをポールが言っていた場面が、とても良かったです。

映画を見ていて、私も自由になりたいと思いながらいつの間にか自分自身で作った籠の中に閉じ込められてしまっているのかもしれないと思いました。

雨の中に追い出した猫を捜しに行ったホリーが、無事に猫を見つけ出すことができてほっとしました。その直後の結末は、ロマンティックコメディーらしいものでした。

アパートの3階の部屋に住んでいる芸術家の日本人?のユニオシ(ミッキー・ルーニーさん)の、何かあると警察を呼ぶと騒ぎ出すカメラとメガネと出っ歯と浴衣の描写は、日本の私から見ると差別的な演出にも思えたのですが、その差別的?に描かれたユニオシさんは、出番の多い意外と重要な役柄でした。

当時の10ドルというのは、日本円に換算するといくらくらいだったのでしょうか。1千円ということはないだろうから1万円くらいかな、と単純に考えてみたのですが、10ドル以内の予算を提示されて少し戸惑っていたティファニーの店員さんが、ポールの見せたお菓子のおまけの指輪に名前を彫るというサービスを引き受けていた場面も良かったです(それは映画の物語の中だけのことで、実際にはそのような特別なサービスは行っていないのかもしれません)。そのお菓子のおまけの指輪は、ホリーにとっては、ティファニーのダイヤモンドの指輪よりも価値のあるものになったのだろうと思います。

シャンパンの瓶から泡が飛び出したり、お鍋から噴火のように玉子料理?が噴き出したりする演出には、映画「ローマの休日」の教会の壁の真実の口に手首が取られる場面と同じくらい映画を見ていた私も驚きましたが(真実の口の場面のほうが怖かったですが)、ホリーの髪形や衣装(イヤリングのような房飾りのついた耳栓を初めて見ました)も、当時のアメリカの車のデザインも含めて、おしゃれな映画でした。物語の内容に今から見ると少しおかしく見える部分があるとしても、やはり名作映画なのだと思います。私も見ることができて良かったです。

それにしても、いつもホリーのそばにいた茶トラの猫が、とてもかわいかったです。その点では、映画「ティファニーで朝食を」は、猫映画でもありました。
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