映画「PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」で放送されていた映画「PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~」(原題「PAN」)を見ました。吹き替え版です。

2015年に公開されたイギリスとアメリカの合作映画だそうです。地上波初放送ということでしたが、本編ノーカット放送とは書かれていませんでした。

主人公のピーター(リーヴァイ・ミラーさん)は、生まれて間もなく母のメアリー(アマンダ・サイフリッドさん)に手紙と笛のペンダントと一緒にイギリスのロンドンのケンジントン公園に置き去りにされた少年でした。孤児院で12歳になったピーターは、第二次世界大戦中のある夜、院長のシスターが呼んだ空飛ぶ海賊船に他の孤児たちと共にさらわれ、海賊の黒ひげ(ヒュー・ジャックマンさん)が支配するネバーランドの炭鉱で妖精の粉の結晶の鉱石「ピクサム」を掘り出すという強制労働に従事させられることになったのですが、仕事を始めてすぐに発見した妖精の粉の結晶を別の作業員に奪われ、盗まれたと騒いだ結果泥棒の当事者とされ、黒ひげに罰せられることになりました。

しかし、高いところから観客の上に突き落とされたピーターは、落ちる前にしばらく宙に浮きました。ピーターをメアリ―と妖精の子供だと考えた黒ひげは、フック(ギャレット・ヘドランドさん)やサム・スミーゲル(アディール・アクタルさん)と共に空飛ぶ船を奪って逃げたピーターを追跡し、「妖精の巣」を守るために海賊たちと戦い続けている先住民族のタイガー・リリー(ルーニー・マーラさん)たちが暮らす森へ侵攻するのでした。

脚本はジェイソン・フュークスさん、音楽はジョン・パウエルさん、監督はジョー・ライトさんという作品でした。

「金曜ロードショー」の解説には、「『ハリー・ポッター』シリーズのスタジオが贈る、ピーター・パンの誕生秘話を描く物語」とあったのですが、それはワーナー・ブラザーズ・スタジオのことのようです。

主に、第二次世界大戦中のイギリスの孤児院から連れて来られたピーターと、そことは違う時間と場所?からずっと前に連れて来られたらしいフックと、ネバーランドの先住民族のタイガー・リリーが、若返りにも必要な妖精の粉を全て手に入れようとする海賊の黒ひげと対決をする物語でした(途中でフックを裏切ってしまったスミーは、結局死亡したのでしょうか。最後の空飛ぶ海賊船「ジョリー・ロジャー号」の上にはいなかったような気がします)。

不幸な境遇で?暮らしている普通の少年が、実は別の世界の“特別な子供”で、別の世界に行って“悪”の大人たちと戦い、ヒーローになっていくという成長物語は、確かに「ハリー・ポッター」的だったように思います。映画「ハリー・ポッター」シリーズの物語をあまり楽しめないでいる私には、昔に初めて第1作の映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を見終わった時の印象と似ているというか、この映画「PAN」を見る前に思っていたよりも、物語が浅いというか薄いというか、本当にこれで良いのだろうかと思えるような「ピーター・パンの誕生の物語」でした。

空飛ぶ海賊船で様々な時代や世界から人々を集めては妖精の粉の鉱石を掘らせるという海賊の黒ひげの背景も、支配しているネバーランドがどのような世界なのかという描写もほとんどなく、海賊たちと先住民族との戦いの歴史?もタイガー・リリーが(木の年輪を使ったクレイアニメのようなCGで)ピーターやフックにざっくりと話しただけでした。

ピーターの笛を奪って「妖精の巣」に入った黒ひげたちと戦うピーターが飛んでいる場面にも、私には、“浮遊感”を感じることはできませんでした。ピーターが飛んでいるというよりも、ピーター少年の顔の前方から風が強く吹いてきているという風にしか見えませんでした。浮遊感を伝えるというのはなかなか難しいことなのだなと思いました。また、このピーターと妖精たち(小さな妖精の集団の一人だったティンカー・ベルの描写も僅かでした)と黒ひげの戦いの場面を見ながら、私は何となく、昔の神木隆之介さん主演の映画「妖怪大戦争」を少し思い出しました。

海賊・黒ひげは、“悪”のまま、ピーターたちに滅ぼされたようでした。孤児院のシスターも、分かりやすい“悪”の大人のままでした。

ネバーランドの森の先住民族たちも、先住民族的ではあったのですが、先住民族というよりは、多民族のようでした。1964年(昭和39年)公開の東宝の映画「モスラ対ゴジラ」の島の先住民族の描写に少し違和感があったように、この映画「PAN」の先住民族の描写にも少し違和感がありました。でも、架空の先住民族ということなら、実際の先住民族やそのイメージとは重ねて考えないほうが良いのかもしれません。

黒ひげを演じていた俳優のヒュー・ジャックマンさんがヒュー・ジャックマンさんに見えないというところも、私には少し残念に思えたところでした。

私はNHKのBSプレミアムで放送されていたアメリカのABC系列のドラマ「ワンス・アポン・ア・タイム」のシリーズをとても好きで見ていたので(2016年に「シーズン4」の放送が終わった後、続きが止まっているのですが、BSプレミアムでは「シーズン5」以降の放送予定はないのでしょうか)、フックが良い人で主人公のピーターの「仲間」になって、「敵」は黒ひげであるという部分は一応分かったのですが、ディズニーの「ピーター・パン」を知っていたほうが見やすい映画なのかなとも思いました。

それでも、この映画の物語を「ピーター・パンの始まりの物語」と考えるのは、少し無理があるようにも思えました。

黒ひげかフックが主人公の物語だったらまた違ったのかなとも思うのですが、もしも私が小学生の時にこの映画「PAN」を見たなら、もっと普通に、ピーターたちの「冒険物語」として楽しむことができたのかもしれません。

あと、私としては、12歳のピーター少年の物語が、第二次世界大戦中のロンドンの孤児院の物語として始まったというところも、少し気になりました。「第二次世界大戦中」であるということが、この映画の物語にはほとんど無関係に思えたからです。冒頭の戦争の描写(ロンドンの街は上空に現れた国籍不明の戦闘機から投下された爆弾により、空襲の被害を受けて黒煙を上げていました)も中途半端でしたし、最後、ジョリー・ロジャー号でピーターが友人の孤児のニブス(ルイス・マクドゥーガルさん)たちを孤児院から連れ出した時のロンドンの街からは、なぜかすっかり「戦争」が消えていました。ネバーランドを出たピーターたちが戻ったのは、元のロンドンではなく、「パラレルワールド」のロンドンだったのでしょうか。“子供向け”のファンタジー作品として「戦争」を描かないのであるなら、「第二次世界大戦中」というリアルな設定にする必要はなかったのではないかと思います。

森を守っていた先住民族の族長が黒ひげに殺される場面に赤い血が流れず、銃の煙が綿菓子のようにカラフルだったのも、子供が見る作品ということへの配慮だったのでしょうか。そのようなところも、物語を浅くする要素になっていたような気がします。

真実の愛や友情と自分を信じて前向きに生きることの大切さ、というようなところは(ディズニーの作品にも共通しているのかもしれませんが)、よく伝わってきたように思います。決してすごく悪い作品というわけではないと思うのですが、昨夜に「金曜ロードショー」の枠で見ただけの私には、「ピーター・パン」の一作品としては、何というか、少し物足りない印象の映画作品でした。

映画「本能寺ホテル」

フジテレビの「土曜プレミアム」の枠で地上波初放送された映画「本能寺ホテル」を見ました。綾瀬はるかさん主演の映画「今夜、ロマンス劇場で」の公開を記念しての放送ということでした。

私はこの映画のタイトルを聞いたことがあったようには思ったものの、この映画が昨年の2017年に公開されたものであることを憶えていませんでした。それでも、もしかしたら面白いのかなというくらいの軽い気持ちで見てみることにしました。

映画「本能寺ホテル」の主演は綾瀬はるかさんで、万城目学さんの小説(私は未読です)を原作とした10年ほど前のフジテレビのドラマ「鹿男あをによし」や映画「プリンセス トヨトミ」と同じく、脚本は相沢友子さんで監督は鈴木雅之さんという作品でした。音楽は佐藤直紀さんでした。ただ、映画「本能寺ホテル」は、原作が万城目学さんの小説というわけではなく、オリジナル作品のようでした。

小学校、中学校、高校、大学と進学した後は就職し、その後は結婚するものと思い込んでいたため、勤めていた会社が突然倒産して失業した直後、交際相手の京都出身の吉岡恭一(平山浩行さん)から結婚しようとプロポーズされると、流されるままに婚約をし、自分には特別な能力もない、何もできないし、やりたいことも夢中になれることも何もないと、人生に迷っていた倉本繭子(綾瀬はるかさん)が、恭一さんの父親で老舗料亭の店主だった吉岡征次郎(近藤正臣さん)や、天正10年(1582年)6月1日という「本能寺の変」の前日の織田信長(堤真一さん)や森蘭丸(濱田岳さん)と出会い、自分のやりたいことを見つける人生に向けて歩み出していく、というような物語でした。

「本能寺ホテル」という京都の路地裏に出現した謎のホテルのエレベーターと、織田信長が好きだったという金平糖、織田信長の所有物だったかもしれない時計の歯車、受付の呼び鈴が、繭子さんに平成時代と戦国時代を行き来させる「時間旅行」の装置になっていたのですが、フジテレビでは以前に「信長協奏曲」というドラマや映画も作られているので(フジテレビには「織田信長」を好きな方が多いのでしょうか。それとも、「織田信長」は作品の題材として使いやすい歴史上の人物ということなのでしょうか)、歴史をよく知らない現代の若者が戦国時代にタイムスリップして織田信長に会うという構図には、やはり既視感がありました。

支配人(風間杜夫さん)がタイムスリップについて何も知らない普通の人だったというのも、もう少し何かあっても良かったように思えたのですが、繭子さんがタイムスリップした戦国時代の織田信長と明智光秀(高嶋政宏さん)の人物像も、“通説通り”で、2017年の作品にしては、ステレオタイプ的過ぎるように思えました。

結婚するのをやめたく思っていた繭子さんの気持ちを察した恭一さんから婚約が白紙に戻されるというところは穏やかで良かったように思うのですが、日本史をあまり知らない雰囲気だった繭子さんが、織田信長に出会って日本史の教師を目指す(これから日本史の勉強するということでしょうか)という展開は、それまでの繭子さんの描写からすると、少し唐突のように思えてしまいました。

戦国時代の人物が、過去の戦国時代の人物としてではなく、映画を作っている(映画を見ている)現代人(未来人)の視点を持っているという雰囲気にも、少し雑のような印象を受けたのですが、例えば、繭子さんが落とした京都のチラシを拾い、繭子さんが未来から来た人間だと気付いていた織田信長が、繭子さんに未来の京都や日本や世界について何も質問しないというのは、私には、少し不自然に思えました。何というか、現代人が戦国人に現代を語る部分を省いただけのように思えてしまいました。

映画の中の織田信長が見た、幸せそうな男女の写るチラシの写真の京都は、京都のごく一部、日本のごく一部、世界のごく一部です。信長が、それだけを見て約400年後の未来を想像し、想像しただけで繭子さんに訊かないままにするというのは、何となく、創作物として、もったいない展開のようにも思いました。

未来では「本能寺の変」と呼ばれている明智光秀の謀反と本能寺の炎上と信長と蘭丸の自害の結末を、繭子さんから伝えられ、逃げるよう言われた信長が、京都のチラシの未来を変えないようにするために?繭子さんが知っている歴史通りに、謀反を妨げずにそのまま自害することを選ぶというような展開は、昔のフジテレビの「ボクたちのドラマシリーズ」のドラマ「幕末高校生」の佐久間象山もそうだったような気がします。

その物語の佐久間象山は立派な人に描かれていた印象があるのですが、でも、SF物語を見ている私としては、せっかくなら、過去の歴史上の人物(あるいはドラマや映画の制作者の方)には、歴史や未来を変える(歴史や未来が変わる)ことを恐れず、今(過去の世界)を変えてほしいようにも思うのです。

映画「本能寺ホテル」は、そのタイトルから、私には「世にも奇妙な物語」の一作品のようにも思えていたのですが、私が(少し眠い気持ちになりながら)昨夜に見たこの映画は、映画というよりは、スペシャルドラマのような作品だったように思います。「地上波初放送」とは書かれていたのですが、「ノーカット放送」とは特に書かれていなかったので、「ノーカット放送」ではなかったのかもしれません。

昨年のNHKの「土曜時代ドラマ」だった「アシガール」では、今回の映画「本能寺ホテル」の場合とは異なり、主人公の平成時代の唯さんと戦国時代の若君は、自分たちも家臣たちも村人たちも死なないように、家が滅亡しないように、戦争がすぐに終わるように、「歴史」を変えていきました。そのようなところも、良かったのだと思います。

あと、これは私の勝手な希望なのですが、もしも今度、現代の若者が戦国時代などの過去の時代にタイムスリップするドラマや映画が作られるとするなら、その時には、歴史を知らない若者ではなく、ある程度歴史に詳しい若者か歴史学者のような若者にタイムスリップをしてもらいたいです。私が知らないだけでもしかしたらすでに制作されているのかもしれませんが、近年の日本の作品では見かけないような気がします。

「朝鮮通信使」が世界記憶遺産になるまでの話し合いを伝える特集

NHKBS1の「BS1スペシャル」の「平和の使節を“世界の記憶”に ~朝鮮通信使 登録への道~」を見ました。

先月の1月21日に放送され(「731部隊」の特集も放送されていた日です)、録画をしておいたものです。2017年10月、江戸時代の朝鮮通信使に関する記録と、群馬県高崎市内にある日本語の語順で漢字を並べる形式で文章の書かれた最古の石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」(山上碑、多胡碑、 金井沢碑)が、「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」の「世界記憶遺産」に登録されました。共に、東アジアでの文化交流の記録です。

番組は、日韓が民間レベルで2年間、12回にわたる議論を重ねた末に、その「朝鮮通信使」の資料を、「17世紀から19世紀の日韓間(韓日間)の平和構築と文化交流の歴史」として、ユネスコの世界記憶遺産登録に共同提案するまでの舞台裏を、議論の音声を録音したテープや議事録、議論を積み重ねた関係者の方たちの証言を基にして伝えるものでした。語りは、中條誠子さんでした。

朝鮮通信使は、室町時代から行われていたそうなのですが、世界記憶遺産に登録された朝鮮通信使は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱・イムジンウェランと言うそうです)の後途絶えていた李氏朝鮮との国交が再開された江戸時代の朝鮮通信使のことでした。

「朝鮮通信使」のことを私は少ししか知らなかったので、どのような番組だろうという気持ちで見始めたのですが、現代の日韓間の歴史問題にもつながっていて、最後まで興味深く見ることができました。とても面白かったです。

この番組を見て分かったことは、というか、少し意外に思ったことは、韓国の釜山大学の国文学教授のハン・テムン(韓泰文)さんや民俗学者のカン・ナムジュ(姜南周)さんが話していたように、韓国の学術専門家の間では朝鮮通信使が日本への朝貢外交ではないということは知られていることなのに、戦前の韓国併合時代(日本が韓国を約36年間植民地にしていた時代)に日本がかつての朝鮮通信使を朝貢使節のように見せかけた影響が韓国の人々の歴史観の中に今も残っていて、江戸時代の日韓間の朝鮮通信使に対して少し卑屈な考え方を持つようになってしまっているらしいということでした。

日本で韓国についての報道を見ていると、韓国の政治家たちは国民の顔色を窺い過ぎているようにも見えてしまうのですが、国民感情に左右されるというのは、政治だけではなく、学術的な研究の中にもあるようでした。江戸時代の朝鮮通信使が朝貢外交ではないということが韓国の人たちの中にも知られるようになったのは、1970年代頃、日本で暮らしていた韓国人の研究者や作家たちが朝鮮通信使に関する本を出してからなのだそうです。京都造形芸術大学客員教授で日朝関係史家・人権問題研究者の仲尾宏さんは、朝貢外交ではないことを示すために、日本側の国書(徳川秀忠からの国書?)と韓国側の通信使謄録を資料として申請することを提案していました。

豊臣政権下で朝鮮を攻めた後の江戸時代、貿易を再開するために李氏朝鮮王朝に偽の国書を送った対馬藩主の宗義智に対する韓国側の拒否感の強さにも、少し驚きました。対馬藩主の宗義智についても、その功罪を冷静に分析するというよりは、とにかく、何が何でも、世界記憶遺産申請の資料には加えたくないということでした。専門家の意見というよりは、国民感情を気にしてのことのようでした。韓国の多くの人々にとって、宗義智は、日朝の国交を再開させた人物というよりも、壬辰倭乱という7年に渡る酷い戦争の張本人だという認識があるそうです。歴史番組などで専門家の方が新しい資料を基に国民に解説し直して理解を求める、ということではないようでした。約400年前の歴史上の戦争だけならまだしも、約73年前の日本が韓国を36年間植民地化するという先の戦争(第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争)のあったことが、韓国の人々の感情の上で、当時の歴史の冷静な功罪の分析や理解を妨げているということのようでした。

ハン・テムンさんは、最近日本で世界遺産に登録された長崎の端島(軍艦島)などの23か所の産業遺産の中の7か所は先の大戦で朝鮮人たちが強制徴用されていたところなのに日本側の申請資料には強制徴用のことが抜け落ちていたと、韓国では批判が起きていたということを例に挙げて、このような世論のある状況の中で対馬藩主の宗義智の肖像画を申請することはできないのだと話していました。

江戸時代の日本に来た朝鮮通信使の豪華な大行列(3000人ほどいたそうです)を道中で見ていた人々が通信使の人たちにサインを求めたりしている絵巻物なども、面白かったです。徳川秀忠が朝鮮国王に送ったという狩野派の絵師による紅白の牡丹の花の金屏風も、保存状態が良く、華やかできれいでした。

徳川秀忠から徳川家斉の頃まで行われていたという朝鮮通信使による外交は、アメリカの軍人マシュー・ペリーが浦賀に来航した江戸時代の終わり頃には、東アジアの情勢が外圧によって悪くなりつつあり、朝鮮の飢饉や江戸城の火災などもあった財政難の影響から、計画を立てることができなくなって大掛かりなものは終わってしまったそうなのですが、対馬や釜山では日本と朝鮮の交流が続いていたのだそうです。

カン・ナムジュさんは、世界のどの国でも国境を接している国同士が260年間も戦争をしなかった歴史はないと、江戸時代の朝鮮通信使が東アジアで平和を構築し、文化交流を促進させたた役割を高く評価していました。日本と韓国は何かをする時全て東京とソウルで決めるが、今回のように釜山と対馬という小さいところからの発信が大きなことを成し遂げ、国家的なことを解決することもできるということが分かったと、地域が小さいからといって力が小さいのではなく、大きなことができることを証明した、韓国と日本でも民間同士の関係が和らげば良いことをたくさんできるという良い例になると思うと話していました。下関市立歴史博物館長の町田一仁さんは、人の心の中に平和の砦を築いていかなければいけない、問題は話し合いを重ねて解決していかなければいけないということを話していました。本当にそうだなと思います。

2007年の頃が、朝鮮通信使400年の年だったそうです。番組の最後、昨年の11月の京都で行われたという朝鮮通信使の大行列の再現の様子の映像が流れていました。私はその行列を報道で見たような気がします。今回の番組を見て、相手の文化を尊重する民間の交流、人々の穏やかな異文化交流は、国内外の平和を持続させるためにも大切なことだということを改めて思いました。良い特集でした。


昨年の「歴史秘話ヒストリア」の「沖ノ島 ~日本 はじまりの物語~」では、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」としてユネスコの世界遺産に登録された、4世紀から500年にわたって祭祀の場となっていたため時代ごとの日本の祭祀の変遷も分かるという「海の正倉院」とも呼ばれている、福岡県の宗像大社の沖ノ島・沖津宮(祭られている神様は田心姫神)と中津宮(湍津姫神)と辺津宮(市杵島姫神)の歴史、宗像氏とその他の九州の豪族たちとの歴史を紹介していたのですが(古墳を1500年守っているという磐井氏の「石人さん」にも驚きました)、前方後円墳文化や鉄や金や焼き物などが行き来する、当時の大和政権と朝鮮半島の百済や伽耶(加羅)との盛んな交流の歴史も紹介していました。

百済の首都だった扶余(プヨ)にお墓があるという武寧王は、『日本書紀』にも登場し、渡来した百済人の母のもとに倭国で生まれて後に百済王となった人物なのだそうで、今の天皇家の方々の祖先ともつながっているそうです。当時の日本の人々は今よりももっと、中国大陸や朝鮮半島の人々と混ざっていたのかもしれません。

朝鮮半島の南の百済や伽耶や新羅などのそれほど大きくない国々の、大陸の大国に攻められそうになった時には倭国に助けを求め、倭国(日本)に攻められそうになった時には大陸の国に助けを求めるというような、挟まれている感じからも、外交は大変だったのだろうなと思いました(今もその大変さは韓国で続いているのかもしれませんが)。

男性だけではなく女性も入ることのできる大島の中津宮には、沖ノ島(沖津宮)を遠くから拝むための遙拝所(遥拝所)があるそうです。番組ではその島と海の風景も紹介されていたのですが、何となく、世界遺産になっている沖縄県南城市の、琉球王国の最高位の聖地・斎場御嶽(せーふぁうたき)の“神の島”の久高島を望む遥拝所の風景に似ているように思いました。沖ノ島の祭祀の初期の様子も(絵で紹介されていました)、何となく、斎場御嶽の祭祀の雰囲気に似ているように思えました。東アジアの海の文化には、共通点が多いのかもしれません。

グエン・ファン・チャンの絵の修復、村山槐多ガランスと関根正二のバーミリオンの特集

昨夜の8時から、私はNHKのBS1の「BS1スペシャル」の「幻の名画を救え!~岩井希久子 世界初の修復に挑む~」という特集(再放送)を見ていました。絵画修復家の岩井希久子さんが、ベトナムの国民的画家のグエン・ファン・チャンの娘の方に頼まれて、制服の白いアオザイを来た13歳の頃の娘さんとその友達をモデルにした「かくれんぼ」という、78年ほど前の1939年に制作された絹本作品の修復に挑戦するという特集です。

絹に絵を描いた後水をかけて糸に絵具を染み込ませるという、染物のようなグエン・ファン・チャンの絵画技法と、湿度の高いベトナムでの絹絵の保存状態の悪さ(損傷の激しさ)が補修を難しくさせていて、最先端のデジタル科学技術を使っても、修復の完成には約10か月かかったということなのですが、最後には娘の方が喜んでくれていたようだったので、番組を見ていた私もほっとしました。

グエン・ファン・チャンの絵は、ベトナムの人々の日常生活をフランス流の水彩画の技法を取り入れて描いたという繊細でふんわりとした雰囲気の絵だったのですが、戦時中にも絵を描いていたグエン・ファン・チャンは、仲間の画家たちが“戦意高揚”のための戦争画を描く中、武器を描こうとすると絹が裂けるからと、一度もそのような戦場の絵を描かなかったのだそうです。すごいなと思いました。

国民的画家だというグエン・ファン・チャンの絵についても、岩井さんの慎重な修復の様子についても、番組を通して知ることができて良かったのですが、グエン・ファン・チャンの絵は美術館に展示されていた絵の額の中にも虫が歩いているほど損傷が激しかったので、その作家の絵がベトナムにとってとても大切な絵であるのならなおさら、ベトナム政府は、湿度調節を適切に行うことができるようなもっとしっかりとした美術館を建てたほうが良いのではないかなということも、番組を見ていて少し思いました。


先週のテレビ東京の「美の巨人たち」の、同じ1919年に22歳と20歳で夭折した画家の村山槐多と関根正二の「自画像」の特集も良かったです。神田神保町の文房堂で出会っていたかもしれない二人の情熱に満ちた人生を、二色の赤色の絵の具、村山槐多の血のガランスと関根正二の夢のバーミリオンで伝えていました。

「美の巨人たち」は、昔は「エプソン」の一社提供でしたが、ある時から番組スポンサーが「キリンビール」に代わり、それからは芸能人が多く登場するなど、番組が少し派手になっていったような気がします。今年の春からは、キリンビールと損保ジャパン日本興亜の二社提供の番組になりました。番組のナレーションも、小林薫さん一人のナレーションの頃が、不思議な雰囲気もあって私は好きだったのですが、2年ほど前からはなぜか女優さん(蒼井優さん、今年の秋からは神田沙也加さん)が加わるようになりました。番組自体は好きですし、一視聴者の私が言うことではないかもしれないとも思うのですが、どうしてなのだろうと少し疑問に思います。視聴者をより増やすためとか、そのような理由でしょうか。


あと、今朝の報道によると(私はインターネットのニュースで知りました)、2014年以降毎年8月にスイスのジュネーブ軍縮会議で核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本の高校生平和大使の演説が今年はできなかったのは、核保有国とみられる一部の加盟国の軍縮大使が今年の2月以降、「軍縮会議の手続き規則は、高校生が政府代表団の一員になることを認めていない」、「自分は高校生に議場から出て行くよう求めることもできる」などと日本の軍縮大使を脅して、高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけ、当初は「若い世代の活動を通じて、核兵器使用の惨禍について正確な認識が深まり、『核兵器のない世界』に向けた国際社会の機運が高まっていくことを期待している」と強く反論していた日本政府側が譲歩して見送る決定にしたからだったということが、西日本新聞が情報公開を請求して入手した外務省の公電から分かったのだそうです。

公開された公電の資料の、相手国の名前や発言の詳細は「黒塗り」にされていたということなのですが、文章の前後の内容から「核保有国」だろうと分かるということでした。今年の7月に国連で核兵器禁止条約が採択される時にも、核保有国は非核保有国を脅していたようでしたが、反核を訴える高校生たちの演説まで妨害するとは、怖いことだなと思います。日本は世界で唯一の戦争被爆国であり、日本政府は、戦争被爆国であることとアメリカの「核の傘」に依存しているということとの間で複雑な立場にいるのかもしれませんが、核兵器が使われた時の恐ろしさを知っている国の政府として、現代の高校生や被爆者の方の核廃絶の訴えを世界に届けるということには、核保有国の反対や脅しを恐れずに、協力してほしいように思いました。

昨夜の映画「シン・ゴジラ」と、映画「ゴジラ対モスラ」

昨夜の9時から、テレビ朝日では庵野秀明さん総監督の東宝制作の映画「シン・ゴジラ」が放送されました。地上波初放送です。

映画「シン・ゴジラ」が地上波のテレビで放送されると知った時、それがテレビ朝日であることが私には少し意外でした。有名な人気映画は日本テレビの「金曜ロードショー」の枠で放送されるのだろうという風に勝手に思い込んでいた部分があったのかもしれません。テレビ朝日では、「『シン・ゴジラ』の襲来まで、あと何日」という風にカウントダウン式の予告CMを流していました。

私は、映画「シン・ゴジラ」を、2016年の公開当時に映画館へ見に行きました。小さな映画館で見たのですが、とても面白かったので、昨年に映画「シン・ゴジラ」を見に行った後、NHKのBSプレミアムで放送されて録画をしておいた映画「ゴジラ(60周年記念デジタルリマスター版)」(1954年公開)を見て、原爆や水爆による放射能汚染被害を訴える反核戦争の象徴としての「ゴジラ」(初代のゴジラ)のこともとても好きになりました。

そのようなわけで、私も昨夜のテレビ朝日の地上波初放送の映画「シン・ゴジラ」を見るのをとても楽しみにしていたのですが(TBSの日曜劇場のドラマ「陸王」の第4話は録画をしておくことにしました)、映画らしく画面の上下に黒の帯が出ていた映画「シン・ゴジラ」は、テレビで見ても面白かったものの、映画館で見た時の方が圧倒的に面白かったように思いました。

そもそも、昨夜の映画は“地上波初放送”ではありましたが、“ノーカット放送”ではありませんでした(エンディングの部分だけではなく、「CM明け」の本編の物語もところどころ途切れていて、少しざっくりとした感じになっていたので、おそらくノーカット放送ではなかったと思います。私は未見なのですが、夏頃に衛星放送のWOWOWで初放送された時にはノーカット放送だったのでしょうか)。話題作の地上波初の放送でノーカットというのは、難しいことなのかもしれませんが、もしもエンディングを含めた完全なノーカット放送だったなら、この映画を初めて見る方にも、もっと面白さ、怖さが伝わったのではないかなと思います。


ところで、映画「シン・ゴジラ」が公開された昨年の夏頃、NHKのBSプレミアムでは映画「モスラ対ゴジラ」(1964年公開)も放送されていて、小さい頃にテレビで放送されていた映画「モスラ」(1961年公開)を見たことがあって「モスラ」に良い印象があった私は、その映画「モスラ対ゴジラ」の録画をしておいたままになっていたものを、先日ようやく見ることができました。

映画「モスラ対ゴジラ」も東宝の映画で、監督は本多猪四郎さんと円谷英二さん、脚本は関沢新一さん、音楽は伊福部昭さんという作品です。

日本を通過した台風の被害を取材しに愛知県の干拓地来た毎朝新聞の記者の酒井市郎(宝田明さん)と中西純子(星由里子さん)は、虹色の物体を見つけるのですが、その一方、海に浮かんでいた巨大な縞模様の卵を引き揚げた興行会社の社長の(熊山田島義文さん)と地元の有力者の虎畑(佐原健二さん)は、卵を見世物にしたテーマパークの計画を立て始めました。

そのようなある夜、酒井さんと中西さんと三浦俊助博士(小泉博さん)は、林の中で、妖精のような双子の小美人(ザ・ピーナッツ)から、卵を返してほしいと頼まれました。水爆実験によって壊滅的な被害を受けたインファント島から来たという二人は、巨大な卵は島に唯一残っていたモスラの卵で、卵を失って島の人々が悲しんでいるから返してほしいと頼んでいました。興行会社に取られてしまっているために酒井さんたちには簡単に取り戻すことができないと知って落ち込む二人は、卵から生まれたモスラは自ら島に戻って来るがその時に周辺のものを図らずもいろいろと壊してしまうかもしれないと忠告し、巨大なモスラの背中に乗ってインファント島へ帰って行きました。

その後、酒井さんと中西さんは、三浦博士の研究室に呼ばれ、放射能洗浄を受けました。中西さんが見つけた虹色のものから微量な放射能が検出されたということでした。三人が調査のために干拓地へ行くと、そこには工事計画のために調査を阻もうとする市長たちもいたのですが、干拓地の土の中からゴジラが現れ、歩き回りながら四日市のコンビナート地帯や名古屋市内を壊していきました。

ゴジラを止めるためにモスラの力を借りることを思い付いた酒井さんたちは、すぐにインファント島へ向かい、島の原住民たちにモスラの力を貸してほしいと頼みました。「悪魔の火」(核実験)によって酷い被害を受けていた人々は、核を使う国の人間たちに強い不信感を持っていたのですが、小美人は、人々を助けてほしいという酒井さんたちの訴えを聴いたモスラが力を貸すと言っていると酒井さんたちに言いました。その島の神のようなモスラは、寿命の終わりが近付いている身でありながら、卵と人々を守るために、インファント島から日本へ飛びました。

ゴジラに対し、風を起こしたり黄色の鱗粉を撒き散らしたりして懸命に戦ったモスラは、ゴジラの反撃によって羽を痛めながら浜辺で力尽き、ゴジラに壊されそうになった卵を羽の下に庇うようにして命を落としたのですが、小美人が歌を歌うと、その巨大な卵が孵化し、モスラの幼虫が生まれました。双子でした。

その頃、名古屋のテレビ塔や名古屋城を壊したゴジラは、自衛隊のミサイル攻撃や高電圧攻撃にも耐え、戦車を壊滅させるなどした後、海を渡って島へ向かったのですが、そこには小学校の先生と子供たちがまだ避難できずに取り残されていました。孵化した双子のモスラの幼虫は、ゴジラを追って島へ向かい、岩の隙間に隠れながら白い糸を吹き付け、ゴジラの動きを封じました。その間に、酒井さんたちは先生と子供たちを船で脱出させ、糸に巻かれたゴジラは崖から海に転落しました。

ゴジラを撃退したモスラの双子の幼虫は、インファント島へ帰るため、海を泳ぎ出していました。酒井さんや中西さんや三浦博士たちは、ありがとうと手を振ってモスラの幼虫を見送りながら、良い世の中を作っていこうと決意していました。

映画「モスラ対ゴジラ」は、このような物語でした。ゴジラの生死は不明です。モスラの幼虫を見送っているところで「終」が出たので、ここで終わりなのかと少し意外な感じがしました。モスラのいるインファント島の原住民(日本語が通じます)の造形が少しステレオタイプ的というか、そのような感じだったところは少し気になったのですが、ビジネスのことしか考えていない興行会社の社長たちのお金を巡る醜い争いも含めて、全体的には面白かったです。

モスラに登場する双子の妖精?が「小美人」と呼ばれていることを、私は最近まで知らなかったのですが、そのザ・ピーナッツのお二人とモスラの場面を見ていると、なぜか何となく少し泣きそうな気持にもなります。

ただ、初代のゴジラのようなゴジラを好きに思えている私には、この映画の中でゴジラがただの「悪者」として登場している感じになっていたのは、少し残念にも思えました。

ゴジラとモスラが戦うという設定は、怪獣同士が戦う「怪獣映画」を好きな方にはそれで良いのかもしれませんが、映画を見ていた私には、敵を間違えているのではないかという風にも思えました。人間を倒せというのもまた少し違うかもしれませんが、地球の環境を破壊しているのは人間なので、何というか、ゴジラと戦ってモスラが死ぬのもかわいそうですし、モスラと戦ってゴジラが死ぬのもかわいそうです。

あと、この映画が昭和39年公開という30年代の映画ということもあり、酒井さんたち登場人物の台詞の日本語がきれいであるというところも、私には良かったのだと思います。
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Author:カンナ
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