「おげんさんといっしょ」の後の「オネエ問題」のこと

昨夜のNHKでは、「おげんさんといっしょ」という、「おかあさんといっしょ」のようなタイトルの音楽トーク番組が生放送されていて、星野源さんの扮する「おげんさん」(サザエさんみたいでした)が「SUN」や「老夫婦」や、細野晴臣さんとの「絹街道」や「恋」の弾き語りが楽しかったです。おげんさんの家のねずみ(声は宮野真守さんでした)もかわいかったですし、長女の藤井隆さんの長い髪を振り乱すダンスがとても面白かったです。

その「おげんさんといっしょ」を見た後の深夜12時から、Eテレでは、「バリバラ」(バリアフリー・バラエティー)という30分番組が再放送されていました。「検証!“オネエ”問題」というテーマで、「オネエ」という括りは雑すぎるのではないか、バラエティー番組で人気があるのは「LGBT」(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の中でなぜ「オネエ」の人ばかりなのかというようなことが話し合われていました。

細かいことはよく分かりませんが、確かにバラエティ番組では「オネエ」の方が多く出演しているように思います。「オネエ」は、女性の心を持ったオネエ言葉(誇張された女性的な言葉)を話す男性のことを指し、ゲイの方や女装家の方などざっくりとまとめたような呼び方として使われていますが、「おネエ★MANS!」という昔のバラエティ番組から広まった言葉なのだそうです。そうだとすると、「オネエ」というか、結局「男性」が多いということなのかなと思います。異性装をする場合にも、男性の女装は面白く見えることがあっても、女性の男装が面白く見えることは少ないような気がします(宝塚歌劇団の方の男装にしても、「かっこいい」ではあっても、「面白い」ではないような気がします。友近さんの西尾一男や森三中の大島さんのおじさんのコントは面白いですが)。

異性愛が普通で、同性愛は珍しいもののように扱われることがまだ多いようですが、私には、異性愛も同性愛も両性愛も、ある性別の人間に対する恋愛感情や性的指向があるというような点で、大体同じようなものに思えます。いつか美輪明宏さんが、同性愛は人間を愛するということなのだからすばらしいことだと話しているのを聞いたことがあります。そうなのかもしれない、とも思います。ただ、それとは別に、このような「性的マイノリティー」と呼ばれる方たちの話の時に、「無性愛(Aセクシュアル)」とか、「非性愛(ノンセクシュアル)」とか、「性嫌悪」などのことが、ほとんど扱われていないように思えることも、少し気になります。

「少子化」を心配するような社会では、新しい子供(人間)が社会の中に自然に生まれないことにつながるような性質のことは取り扱わないということなのかなとも思うのですが、あるいは、異性愛者よりも少ないと考えられている同性愛者よりも、無性愛者のような方や非性愛者のような方のほうがさらに少ないということなのでしょうか。

数年前にテレビ東京で放送されていた「IS(アイエス)~男でも女でもない性~」というドラマ(脚本は寺田敏夫さんで、福田沙紀さんと剛力彩芽さんがISの方を演じていました)も良いドラマでしたが、その後、地上波のテレビ番組で、IS(男性でも女性でもない)の方の特集がなされたのかは分かりません。

番組の画面の下の「ツイッター」には、「LGBT」の方は実は周囲にたくさんいるというような意見もありましたが、私の周囲に本当にいるのかどうか、いたのかどうか、私にはよく分かりません。「カミングアウト」をする人もいませんし、そうしてほしいともあまり思いません。私にも「偏見」があるのかもしれないとは思いますが、私は、テレビで見たりラジオで聴いたりするくらいなら大丈夫なのですが、誰が誰を好きかというような会話や性的な会話のなされる空間にいるのが、疲れてしまうというか、少し苦手なのです。

日本にはまだ男尊女卑的な思想が残っていて、政治家の中には女性を「子供を生む機械」だと思っている人もいて、平気で(あるいは面白いと思い込んで?)頻繁にセクハラ的な発言をする人がいて、何というか、残念であるということと同じくらい、単純に、面倒くさいなと思います。

性別というものがあることの良さというようなものも、もしかしたらあるのかもしれませんが、一般に考えられている「普通」や「常識」は、社会的な存在の人たちによってあらゆる場所で繰り返し刷り込まれているものに過ぎないのかもしれませんし、『日本国憲法』で定められているはずの「男女平等」が70年経った今でも社会の中ではまだちゃんと実現されていないのですし(同じ仕事をしていてもなぜか男性と女性でお給料に差があるというような会社はまだ多いそうです)、そのような世の中で性差別の風潮が終わらないのなら、性犯罪者がいなくならないのなら、例えば(飛躍的かもしれませんが)、いつか人間が進化をして、両性具有(雌雄同体)の生物や単体で繁殖する単為生殖の生物に変わるなどすればいいのではないかなという風にも、何となく思えてしまいます。

「Love music」の「小沢健二ライナーノーツ」のこと

先日の日曜日の深夜、フジテレビでは「Love music 特別篇 小沢健二 ライナーノーツ」が放送されていました。

昨年には「Love music 特別編 宇多田ヒカル ライナーノーツ」が放送されていましたが、今回は約30分ではなく、約1時間の特集となっていました(「Love music」は、4月から深夜12時台の放送となったようです。私は深夜0時45分頃の放送時間には見ることができなかったので、録画をしておいたものを後で見ました)。この「ライナーノーツ」の中で、“オザケン”の音楽の魅力を、三谷幸喜さんや二階堂ふみさん、フジファブリックの山内総一郎さん、ceroの高城晶平さんと荒内佑さんと橋本翼さん、スチャダラパーのBoseさんが語っていて、その映像のコメントを、小沢健二さんは、「強い気持ち強い愛」の頃のことを思い出すという、パークハイアット東京という新宿のホテルの一室で聴いていました。

三谷幸喜さんが「堂本兄弟」で「流星ビバップ」を歌っていた映像が衝撃的だったのですが、その時の放送を私も見ていたような気がします。「流星ビバップ」の一曲しか知らないという三谷さんの、オザケンの歌詞の構成が「天城越え」に似ているという説も面白く思いました。小沢健二さんは、言葉は信じることができるもの、きちんと選んで判断すれば言葉は届く、と話していました。

音楽を聴いた人が、たった一曲でその作者の心情とつながったような気持ちになるということは、例えば小説や小論文の場合でも、小さな工芸作品の場合でも、あることなのかもしれないなと思いました。

二階堂ふみさんは、「今夜はブギーバック」が好きなのだそうです。いろんな人が少女に戻ることができる曲だと話していました。最近笑ったことは何かと質問された小沢健二さんが、3歳の子供との会話を挙げていたのも、何だか良かったです。「明日学校へ行って」が日にちを数える単位になるとか、『こどもの詩』みたいだなと思いました。

今の日本の「お笑い」の笑いのツボは共有できていないという小沢健二さんの、共有できないものがあるということは別の共有を持つ上での代償だと思っているというような話も、なるほどなと思いました。

山内総一郎さんは、「ぼくらが旅に出る理由」の「しばし別れる」の「しばし」の死生観が良いと話していました。小沢健二さんは、歌の上手い下手は分からない、心情を届けるのが歌の目的と話していたのですが、本当にそうだなと思いました。歌の上手い人の歌が必ずしもみんなに聴かれるわけではないということとも、何か関係があるのかもしれません。

小沢健二さんは、岡崎京子さんのコメントが入っていたら、と残念そうにしていて、岡崎京子さんの未完の『森』という漫画作品の絵の中に入ったようなスタジオで、東京スカパラダイスオーケストラのGAMOさんとのコラボレーションで、「ドアをノックするのは誰だ?」を披露していました。2次元のモノトーンの森の中で歌っているという感じが、何だかおしゃれでした。

私はceroというバンドを知らなかったのですが、そのceroの高城さんと荒内さんと橋本さんは、「愛し愛されて生きるのさ」や「ホテルと嵐」や「1つの魔法」を好きな曲に挙げていて、アルバム『Eclectic』が好きだと話していました。小沢健二さんは、今までのたくさんの音楽が新曲の「流動体について」につながっていて、今ポップスを作ったのは、ceroさんのような人たちがいるからだと話していました。今までにした悪いことは?という質問には、悪いことをしなきゃいけない時期があるのを許してくれたという人たちに、ありがとうございますと言っていました。

このようなことを思うと、改めて人は一人で生きているのではないのだなと思います。

Boseさんのことは、小沢健二さんは、当時の音楽家たちは技術を隠していたけれどBoseさんはヒップホップのことを全部教えてくれたという風に話していました。「今夜はブギーバック」の音楽は、「包むようなハーモニー」の「ハー」の音ができたことで完成されたのだそうです。Boseさんは、タモリさんも好きな曲として、「さよならなんて云えないよ」を挙げていました。前向きな詞は前向きの裏に冷たくて乱暴で怖いことを抱えていないと出ないということをタモリさんは感じ取っているということでした。「ある光」については、小沢健二さんの友人のBoseさんは、曲になっていなかったら小沢健二さんの精神が危ないと思ったと話していました。

小沢健二さんは、日本の良くないところはどこかという質問には、人の足を引っ張って平等になろうとするところだと答えていました。自分とは違う人を認めて放っておくことができるようになると良いと思うと話していました。「流動体について」について、三谷さんは、ファンが求めるものと新しいものとのバランスを評価していて、Boseさんは、「ある光」の続きだと評価していました。「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」と、小沢健二さん自身が「間違い」だったとしたことを面白がっているようだったのですが、小沢健二さんは、この歌詞の言葉が出た時、やったなと思ったと楽しそうに話していました。

そうして、「流動体について」が披露されていました。良い歌です。最後、“オザケン”の曲で好きな曲は何かと訊かれた小沢健二さんは、少し考えて、「天使たちのシーン」と答えていました。「天使たちのシーン」も、とても良い歌です。今後については、「生活」をしながら何かをしようと思うと話していました。きちんと「生活」をするということを、家族や身近な人たちとの日常を、今の小沢健二さんはとても大切にしているのだなと思いました。かっこいいです。

「LOVE MUSIC」の司会は、「水曜歌謡祭」の頃や夜11時台の放送の頃と同じく歌手の森高千里さんとアンジャッシュの渡部健さんだったのですが、今回の「ライナーノーツ」は(宇多田ヒカルさんの時もそうでしたが)「LOVE MUSIC」の中の番組という感じに作られていて、「LINER NOTES」のロゴも音楽も構成も、おしゃれですてきな印象でした。小沢健二さんは最後に、「エモい」番組になってしまったという風なことを言って笑っていたのですが、そのようなかっこいいオザケンの特集を私も見ることができて、楽しかったです。

「もふもふモフモフ」の「もふもふ」と「ふわふわ」

昨夜、NHKで「もふもふモフモフ」という番組が放送されていました。

「もふもふモフモフ」というタイトルが気になって何気なく見たのですが、「プラネットアース」というBBC制作の番組が野生動物の生態を追う番組だったのに対して、その直後に放送されていたこの番組は、人間と一緒に暮らしている「ペット」の動物を紹介する番組でした。

語りは俳優の堤真一さんで、BSプレミアムの「世界ネコ歩き」の動物写真家の岩合光昭さんが柴犬の親子の写真を撮影したりもしていました。ナレーターの堤さんが「今回は」と言っていたので、昨夜のこの番組には、レギュラー化される予定があるか、あるいは不定期で放送する予定があるのかもしれません。昨年末にも似たような番組が放送されたようなのですが、私は見ていなかったのだろうと思います。

紹介されていた生き物たちは確かにかわいかったのですが、私が気になったのは、「ペット」のことではなく、「もふもふ」という言い方でした。

私は日常では「もふもふ」という言葉を使っていないのだと思います。「もふもふ」と似たような意味で使っているのは「ふわふわ」です。「ふわふわ」で表すなら、「もふもふモフモフ」というこの番組名は「ふわふわフワフワ」となります。昨夜の番組の中では、フクロウに触れていた方が「ふわふわ」と表現していて、私にはそのほうがよく分かるように思えました。

でも、近年では「もふもふ」という言葉(オノマトペ)が使われているのを見たり聞いたりします。もしかしたら、私が知らなかっただけで昔から使われていた言葉なのかもしれないですし、あるいはどこかの地方の言葉だったものなのかもしれないのですが、私はテレビ朝日の「金曜ナイトドラマ」だった「民王」の中の「モフモフン」というキャラクターで「もふもふ」という言葉を聞いて(もしかしたらその前にもどこかで聞いたことがあったのかもしれませんが)、毛布みたいということかなと、少し不思議な感じがしました。

「ふわふわ」と「もふもふ」の違いは、はっきりとは分かりませんが、“軽さ”にあるのかなと思います。例えば、お祭りの屋台で売られている「わたあめ(綿菓子)」や青空に浮かぶ「綿雲」(触ったことはないですが)は、「ふわふわ」だと思います。動物の毛のことを言うのだとしても、「ふわふわ」は、密度が低くて内側に空気が多く含まれている感じがしますし、「もふもふ」は、密度が濃くて弾力のある感じがします。私自身が普段その言葉を使わないからか、私は「もふもふ」と聞くと一瞬「もふもふ?」と考えてしまうのですが、(毛布みたいで)暖かそうでもありますし、いつか機会があったら私も日常の中で使ってみようかなとも思いました。

松林桂月の「春宵花影」という作品

先日のテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」で紹介されていた、松林桂月の「春宵花影」という作品がとてもすてきでした。

持ち主の馬屋原さんの祖先は戦国時代の毛利輝元に仕えていたのだそうです。松林桂月さんという日本画家のことを私は知らなかったのですが、1876年に山口県の萩に生まれた方で、日本美術協会に入って南画を学び、南画に革新をもたらし、日展の創設にも尽力して、1963年に87歳で亡くなったのだそうです。2014年の頃には、没後50年の回顧展が開かれていたそうです。

日本美術院の菱田春草や横山大観などと同時期に活躍していた方のようなのですが、番組の解説によると、日本美術協会の画家は師匠の作風を踏襲して学んだことによる影響から免れることができなかったため、日本美術院の画家と比べると、今でも有名な方というのは少ないのだそうです。

馬屋原家の古い蔵にあったという「春宵花影」の掛け軸を鑑定したのは安河内眞美さんで、鑑定額は400万円という「本物」だったのですが、出品作の「春宵花影」も、 1939年(昭和14年)のニューヨーク万国博覧会に出品されて高い評価を受けたというもう一つの「春宵花影」も、とてもきれいでした。

「春宵花影」は、東京国立近代美術館に所蔵されているそうです。東京国立近代美術館には行ったことがあるので、私が行った時には展示されていなかったのかもしれません。月と夜桜を墨の濃淡で描いた絵で、少し大きな絵なのだそうですが、「没骨」という輪郭線を描かない技法による桜の花の、光の下でとてもふんわりと咲いている感じが、テレビの画面で見ても、よく伝わってくるような作品でした。

桜の花は、私の見ていた映像では、浮かび上がるように青白く光って見えたのですが、番組の解説によると、そこには胡粉が塗られているということでした。胡粉は白色という印象が私にはあるので、胡粉に青色を混ぜたものを塗っているのか、あるいは本当は淡い青色ではないのか、どちらなのだろうと少し気になりました。

番組に出品された掛け軸の「春宵花影」も、墨の濃淡の美しい月と桜の絵でした。東京国立近代美術館の「春宵花影」のほうが写実的で華やかなのだと思いますが、馬屋原さんの掛け軸の「春宵花影」はそれよりもシンプルで、鋭くて、幻想的な雰囲気の作品でした。どちらもすてきな作品でした。

「雨後」という写実的な葡萄の絵も、没骨の手法で描かれた墨画の作品で、とてもきれいでした。

菱田春草の作品は、当時には朦朧体と批判的に呼ばれていたそうなのですが、松林桂月の作品にも、番組で紹介されていたものを見た限りでは、朦朧体のような作品が多くあるようでした。初期の頃の作品は「南画」だったのかもしれませんが、「春宵花影」のような作品は、そもそも「南画」とは呼ばないのかもしれません。

「鑑定団」の番組については、昨年に出品された「国宝級の曜変天目茶碗」の真贋の疑惑がまだ晴らされてはいないことは気になります。鑑定士の方たちみんなで鑑定するコーナーも今はないですし、石坂浩二さんがいなくなった頃からさらに番組の質や方針が変わったのでしょうか。疑惑の残るままでは、他の鑑定も、過去の鑑定も、怪しく思えてしまいますし、その天目茶碗を鑑定した中島誠之助さんを含め出演している鑑定士の方と番組の名誉のためにも、今の番組の中で再鑑定をして疑いを晴らしたほうが良いように思えます。その結果、本物ではなかったとなっても、それはそれで良いのではないでしょうか。そして、一種の長寿の美術番組として、(私は毎週の放送を欠かさずに見ることができているというわけではないのですが)これからも続いていってほしく思います。

昨夜のMステに小沢健二さんがいたこと

昨夜、テレビ朝日の「ミュージックステーション(Mステ)」を最初から最後まで見ました。オザケンこと小沢健二さんが出演すると知ったからです。ミュージックステーションに出演するのは20年ぶりなのだそうです。フジテレビの「笑っていいとも!」が終わりになる頃の「テレフォンショッキング」にも出演していましたが、タモリさんは小沢健二さんのライブにも行ったことがあるのだそうです。

本放送が始まる直前の「ミニステ」も、小沢健二さんがいるかもしれないと思って久しぶりに見たのですが(いませんでしたが)、8組のアーティストが曲を披露する順番が伝えられていました。以前のミニステは出演アーティストがずらりと廊下に並んでいるというような印象があったのですが、最近のミニステが毎回曲順を紹介しているコーナーになっているのだとしたなら、親切だなと思いました。

そのミニステの登場順では小沢健二さんは最後の8番目だったのですが、番組のオープニングの音楽が流れて、最初に階段を下りて来たのは小沢健二さんでした。オザケンだ、と分かるシンプルなシャツスタイルの、メガネをかけた背の高い小沢健二さんでした。

また、昨夜のミュージックステーションは、出演アーティスト自身にまつわる映像とタモリさんとの会話と歌の披露だけの構成で、とても見やすくなっていました。

レギュラー回への出演が21年ぶりというXJapanの後が小沢健二さんだったのですが、ただ、思っていたよりも、過去の特集やタモリさんとの会話の部分は短かったように思います。フジロックフェスティバルに出演します、という小沢健二さんの告白(告知?)がなかったなら、あの場での会話が途切れてしまっていたのではないかと思えるほど、何か不思議な空気感が流れていたような気がします。

小沢健二さんの歌は、「ぼくらが旅に出る理由」と、21日に発売された新曲の「流動体について」の2曲でした。ギターを弾きながら「ぼくらが旅に出る理由」を歌っている途中で、小沢健二さんが突然「歌おう!」と叫んだので、それまでもテレビを見ながら釣られて一緒に少し歌っていたのですが、あっ、と少し驚きましたし、楽しく思いました。

「流動体について」は、(情報弱者の私はCDをまだ買っていなかったので)昨夜に初めて聴きました。オザケンらしい、という言い方では本当に足りないと思うのですが、聴いた時に思ったのは、まさにそのような歌だなということでした。息継ぎが難しそうな不思議で印象的な曲の流れも、その中にいっぱいに詰め込まれた詩のような歌詞の俯瞰的な世界観も、好きでした。

前世に帰ってきたみたい、と言っていたように、時の流れも感じましたが、タイムスリップをしたような感覚というのも、確かにありました。

ミュージックステーションの放送があった昨日の深夜の日本テレビの「NEWS ZERO」にも、小沢健二さんが出演していました(小沢健二さんが出演するということで、久しぶりに「ZERO」を見ました)。生出演ではなく収録で、「ZEROカルチャー」でキャスターの村尾さんと対談をした時の様子が流れていました。対談をするのは、女優の小泉今日子さんと対談をしてから19年ぶりだったそうです。

日本を離れてアメリカで暮らし始めた話と、アメリカ社会の今と、欧米以外の様々な国を旅して知った欧米の価値基準に合わせて考えることの不自然さと、日本を離れて知った日本文化の“ガラパゴス化”のすばらしさと、そのようなことについて話していたように思います。

短い時間だったのですが、落ち着いた文化的な対談は、とても面白かったです。村尾さんによると収録時間は1時間ほどで常に笑いが絶えなかったということだったので、もっと長く放送してくれれば良かったのにとも思いました。

朝日新聞に掲載された、19年ぶりの新作シングルの発売日の広告とそのエッセイ「言葉は都市を変えてゆく」は、後で読むことができました。文章もすてきです。オザケンがおしゃれに登場していた『オリーブ』を思い出します。

明日の日曜日のお昼の2時からのNHK-FMの「きらクラ!」(ふかわりょうさんとチェリストの遠藤真理さん司会のクラシック音楽トーク番組です)に、小沢健二さんが出演するそうです。放送時間に聴くことはもしかしたらできないかもしれないのですが、録音を忘れないようにしつつ、また楽しみにしたいと思います。
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Author:カンナ
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