「てっぱん」第14週

NHKの朝の連続テレビ小説「てっぱん」の、第14週の第80回までを見ました。今年の放送は、第14週の2話の放送で終わりのようで、第15週は来年の1月4日からだそうです。

先週の12月24日の放送では、オープニングのお好み焼きがクリスマスバージョンになっていて、中村玉緒さんが「メリークリスマス!」と言っていて、何だか楽しかったです。

滝沢薫(長田成哉さん)のチームは駅伝の予選会に出場し、滝沢さんは区間賞をとったのですが、チームが予選敗退したことで会社の駅伝部は廃部となり、コーチの根本孝志(松田悟志さん)も辞めることになってしまったようでした。滝沢さんはもともと根本さんの走りに憧れて駅伝部に入ったようです。滝沢さんは都道府県対抗の駅伝には出場しないと言っていたのですが、クリーニング店の倉庫でのクリスマスパーティーでサンタさんの服装をして来た根本さんが、滝沢さんが出場してくれるように、マラソンシューズに応援の寄せ書きを書いてほしいとお客さんたちに頼んだりしていて、外で隠れて聞いていた滝沢さんが根本さんの元に来ると、根本さんは滝沢さんの走りが好きだと言って滝沢さんを説得していました。

「浜勝」の神田栄治(赤井英和さん)が商店街の福引で当てた温泉のペアチケットは、お好み焼き屋「おのみっちゃん」を年末年始も開ける予定にしていた村上あかり(瀧本美織さん)の周囲を転々とし、結局また神田さんに戻ったのですが、神田さんが勇気を出して松下小夜子(川中美幸さん)に渡したら、小夜子さんは別の誰かを誘いに行ってしまって、その後どうなったのかは分かりませんでした。

笹井拓朗(神戸浩さん)からあかりの祖母の田中初音(富司純子さん)に回ってきた時、初音さんはあかりを誘いたいような感じだったのですが、どうしても声をかけることができず、長谷川伝(竜雷太さん)に渡し、伝さんは、初音さんはあかりと温泉に行きたいのではないかと言ってあかりに渡しました。

尾道の住職の隆円(尾美としのりさん)が千春(木南晴夏さん)のお墓のことで訪ねて来たことから、あかりは、温泉のチケットを神田さんに返し、初音さんと一緒に尾道へ行くことにしました。

隆円さんが、クリスマスパーティーでのあかりのトランペットの音を電話で村上家に伝えていて、受話器の向こうから聞こえてくる音楽をあかりの両親が嬉しそうに聴いていた場面が良かったです。

田中荘の人たちがそれぞれ帰省した後、フェリーに乗って尾道の村上家に来た初音さんは、母親の村上真知子(安田成美さん)や父親の錠(遠藤憲一さん)、あかりの兄の欽也(遠藤要さん)、父親を手伝っていた鉄平(森田直幸さん)と再び会いました。母親とあかりが楽しそうに食事の支度をしている様子を見ていた初音さんは、窓拭きを手伝いたいと申し出ていました。

村上家と鉄板を囲んでお好み焼きを食べている時、欽也さんがクリスマスの飾りのトランペットをあかりに渡し、千春さんが工場の前でトランペットをよく吹いていたという話になりました。欽也さんは千春さんの音楽が好きだったそうです。幸せな千春さんの様子を聞いて、初音さんはとても嬉しそうでした。

次の日、千春さんのお墓のある坂の上の隆円さんのお寺へ向かった村上家ですが、初音さんと真知子さんとあかりの3人がお墓の前まで来てお参りをしていました。千春さんのお墓の前に座ってお好み焼きをお供えした初音さんが、「ほんまに死んだんやなあ」と言っていたのが少し辛かったです。

お墓参りの後、初音さんは、隆円さんにお礼を言って、それから千春さんの遺骨をこのまましばらく隆円さんに預かってもらうことにしていました。真知子さんは千春さんにいてもらえて良かったと話していました。

大阪へ帰る初音さんを送る前、あかりと初音さんは、最初に二人が出会った堤防へ来ていました。初音さんは、千春さんがトランペットを売った古道具屋さんからの連絡によって尾道に来たと話していたのですが、あかりは、そのトランペットがなければ自分が大阪でお好み焼き屋を開くこともなかった、おばあちゃんの孫になることもなかったと話していました。初音さんは、尾道の海を見ながら、千春がなぜ尾道に来たのか分かったと言い、あかりが尋ねると、それはあかりの家族に会うため、あかりをあの家族に育ててもらうためだったのだと幸せそうに話していました。

あかりが村上家に戻ると、隆円さんが写した写真が出来上がっていて、それをみんなで見ていました。写真は、千春さんの写真と同じように、「村上鉄工所」の前で、初音さんが村上家と一緒に笑顔で写っているものでした。

第14週は、放送と同じ2日間の話だったのですが、とても良かったです。回想場面も効果的でした。尾道に来てからの初音さんは、常に穏やかで、何だかとても素直な感じになっていました。あかりに布団を敷いてもらっていた場面でも、さりげなく「ありがとう」と言っていました。

あかりの父親の件や、千春さんが尾道に来た具体的な理由などはまだ分かりませんでしたが、初音さんが娘の死ときちんと向き合うことができて、また、トランペットのことも村上家と出会ったことも良いことだったと思うことができて、とても良い今年の「てっぱん」だったと思います。私は恋愛要素が少し苦手なので、それがあまり入らないといいなと思うのですが、どうなるのでしょうか。でも、来年の「てっぱん」も楽しみにしています。

第0次世界大戦としての日露戦争

NHKのプロジェクトJAPAN「第0次世界大戦~日露戦争・渦巻いた列強の思惑~」を見ました。ドラマ「坂の上の雲」に合わせた企画でもあったと思うのですが、とても良い番組だったと思います。

最近、日露戦争を、後の第二次世界大戦・太平洋戦争へとつながっていった第一次世界大戦のきっかけとなった最初の戦争ということで、第0次世界大戦と捉えるようになっているのだそうです。日露戦争は、日本とロシアの間の戦争ではあったのですが、その背後には、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカ、そして中国など大きな国の思惑が複雑に絡み合っていたようでした。

19世紀、列強は世界各地で植民地分割を行っていて、清王朝は満州へ迫る外国の脅威に揺らいでいました。1860年にウラジオストクを手に入れたロシアは、シベリア鉄道の建設を計画し、今の内モンゴル自治区の満州里のあたりにはたくさんのロシア人たちが押し寄せていたとのことでした。今の中国国内の旧東清鉄道はその一部だそうです。当時のロシアの大蔵大臣のウィッテが建設を進めていたらしいのですが、1887年の新聞が伝えていたことによると、シベリア鉄道は、軍事拠点を持ちたいロシアが多くの兵士を送り込み、太平洋に影響力を与えるためのものだったようです。このことは、ロシア兵が一気に朝鮮半島に南下する恐れがあるため、日本と清と朝鮮にとって、とても危険なことでした。

ロシアのシベリア鉄道計画は、1891年から始まったようなのですが、この計画を裏側で後押ししていたのは、ドイツでした。ドイツの皇帝ウィルヘルム2世(ヴィルヘルム2世)は、ロシアの皇帝ニコライ2世を親しげに「ニッキー」と呼び、頻繁に手紙を送っていたそうで、中には「黄禍論」という、何と、黄色人種が白色人種に禍をもたらすという考え方を、わざわざ自ら版画で表現して、それをニコライ2世に送っていたという資料も残っていたのですが、その版画は、東のほうから龍と仏像(ブッダ?)が迫ってくるという内容のもので、「君の役目は仏教徒からキリスト教世界を守ることだ」とニコライ皇帝に対して手紙に書いていたそうです。

この頃ドイツは大国になっていて、フランスを封じ込めるために、オーストリア・ハンガリーとイタリアと三国同盟を結んでいました。そしてフランスと同盟を結んでいた大国ロシアの目を、アジアの極東に向けさせたいと思っていたようです。ウィルヘルム2世は、ドイツを世界帝国として、ヨーロッパの外へ羽ばたかせようとしていたそうで、ロシアの目が極東へ向けば、フランスを屈服させるチャンスだと考えていたようでした。ただ、ロシアの大蔵大臣のウィッテは、自国の皇帝ニコライ2世がドイツのウィルヘルム2世に振り回されていることを「喜劇だ」と言っていたそうです。

工業力と海軍力が圧倒的に強かったイギリスは、当時中国の揚子江を中心に利益を上げていたため、ロシアのシベリア鉄道ができた場合、北京が危機にさらされ、市場が奪われるということを心配していたようでした。

旧東清鉄道のある昴昴渓(こうこうけい)というところには、ロシア人がたくさん来たということで、現在もロシア風の建物が残されていました。当時ロシア人たちは中国人を安いお給料で雇っていたらしく、その中国の人たちの反感が高まる中、ロシアは1898年にはさらに旅順へ鉄道を延ばしていき、南満州鉄道が作られました。1900年に外国人を排斥しようという義和団事件が起こり、旅順の鉄道などが破壊されると、ロシアは自国民を守るという名目で17万の兵を送り込み、満州全域を軍事占領したということでした。

事態を知った当時の外務大臣の小村寿太郎は、外交交渉をしたいと考え、満州をロシアに渡し、朝鮮を日本が占領するという「満韓交換論」をロシアに提案しようとしたらしいのですが、拒絶されて終わったそうです。

1901年の2月のイギリスのビクトリア女王の葬儀の映像が紹介されていたのですが、そこにウィルヘルム2世の姿が映っていました。この頃、ウィルヘルム2世はイギリスが同盟相手を探しているという知らせを受けて、イギリスと日本を結び付けようとしていました。ロシアが極東で叩き潰されるだろうと考えていたようでした。20世紀の初めには電信ケーブルが世界をつないでいて情報がすぐに伝わるようになっていたことが説明されていたのですが、すごいことだなと改めて思いました。

ドイツの公使から、イギリスとの同盟の話を聞いたロンドンの日本公使館の林ただすは、日独英の三国同盟を提案し、山県有朋はこの話に飛びついたようで、『東洋同盟論』にはそれを急いでいる様子が書かれていました。イギリスのランスダウン大使に聞いても日本との同盟に好意的だったらしいのですが、それには、当時イギリスが南アフリカ戦争(ボーア戦争)によって大打撃を受けていたという事情があったようです。イギリスは、中国に対するロシアの脅威を感じ、ロシアにもフランスにも手を出されないようにしたかったとのことで、日本は、イギリスの海軍の知識がほしかったとのことでした。

1902年1月30日に日英同盟協約が締結され、第3条にはロシアをどこかの国が支援した場合は、イギリスは日本と共に戦うということが記されました。ドイツのウィルヘルム2世は、早速「同盟締結おめでとう」という手紙をイギリス国王宛に書いていたのですが、そこでも自分のことを「ウィリー」と書いていました。日本は三国同盟を希望していたのですが、ドイツは“フリーハンド”でいるために、この交渉に加わることはなかったようです。

日英同盟の2ヶ月後、ロシアは政策を転換しました。東清鉄道は完成しかけていたのですが、ニコライ2世は1903年までに満州から兵を完全撤退すると表明したそうです。

ロシアの国立図書館に当時の風刺画が残されていたのですが、それは崖の上の明治天皇をイギリスが押していて、さらにイギリスの隣にはアメリカがいるという絵でした。日本人に戦争をけしかけてお金儲けをしている巨大なアメリカ人の絵もありました。アメリカが戦争でお金儲けをしているというのは、今でもそうなのだろうと思いました。アメリカも日本の対ロシア政策を進めていたようです。

19世紀末のアメリカは、世界一の工業大国になっていて、自国の製品を海外へ売り出そうとしていて、人口が多く巨大市場となり得る清の国の門戸開放を訴えていました。でも、ロシアはアメリカを相手にしていなかったようで、依然として満州に居座り続けていたことを、当時のルーズベルト大統領は怒っていたそうです。

1903年、アメリカが清と交渉を始めると、外交の鍵を握る慶親王は、満州の地を取り戻すため、アメリカを巻き込もうと考え、締結の日を10月8日と決めました。中国には「夷をもって夷を制す」という考え方があるそうで、それは外国同士を争わせて中国が利益を得ようというものらしいのですが、その「漁夫の利」のような考え方は今も変わっていないのだろうと思えました。

10月8日にアメリカと清は条約を締結するだろうと考えた小村寿太郎は、北京の公使に連絡し、日本も同じ日に条約を結ぼうと提案したそうです。それは、アメリカに同調し、アメリカのサポートを得るためだったようで、これも今の日本とほとんど同じだなと思えました。

1903年の10月8日に日清通商条約を結ぶと、アメリカは日本を支援する方針を表明し、アメリカの国務長官は手紙に「小さな人々はロシアに対して戦争を仕掛けるだろう」と書いていたようで、その場合、兵は出さないが影響力を与えるとして、日本と共同歩調を取って清の門戸開放をしようとしていたのですが、ロシアは全面撤退しなかったため、実質的には日本とアメリカが満州に入ることはできなかったとのことでした。

モスクワの公文書館に残っていた文書によると、1904年、日露戦争はイギリスやアメリカの利益になるだけだとの意見によって、「日露同盟案」が出されたそうです。ロシアは満州に、日本は朝鮮に勢力圏を作るべきだという考え方は、かつて拒否した「満韓交換論」に歩み寄っている内容だったらしいのですが、しかし、日本政府がこの案をその後どのようにしたのかは不明なのだそうです。

そして、日本はいろいろな国の思惑の中で、日露戦争開戦への準備を始めていったそうです。

1904年2月4日に御前会議が開かれ、日本は全ての交渉を断絶し、8日に日露戦争が勃発すると、ロシアの苦戦を知ったドイツのウィルヘルム2世はニコライ2世に「さぞかし気落ちしているだろう」との手紙を送り、さらにたきつけたようです。アメリカのルーズベルトは開戦2日後の息子への手紙の中で、「我々は日本の勝利を喜んでいる。彼らは我々のゲームを行っているからだ」と書いていたそうです。このアメリカの感じも、今と似ているような気がしました。

ロシアは兵を次々と満州へ送り、一進一退の様相を呈している戦争の報告を受けたルーズベルトは、国務長官への手紙に「日本は文明諸国のための戦争をしている」、日本が勝利したら日本に対して「サービス」をしようと書いていたそうで、これも何だかアメリカらしい感じがしました。

1905年9月に締結されたポーツマス講和条約の第2条には日本が朝鮮の権利を得ることが記され、第3条にはロシアが満州から全面撤退することが記されているそうです。日本は、大韓帝国を保護国としたのですが、満州鉄道を日本が取ったことが、その後のアメリカとの対立のたねになったとのことでした。

日露戦争の結果は、イギリスにとってロシアとの問題が解決したという得なことでした。イギリスとフランスとロシアはドイツを包囲し、ウィルヘルム2世は窮地に追い込まれ、ドイツの国民と共に、ほとんどパニックのようになっていたそうです。そして、1914年、ドイツとイギリスが戦うことによって第一次世界大戦が始まり、1941年、日本とアメリカによる太平洋戦争も始まって、第二次世界大戦になっていきました。

番組では、日露戦争は、その後の時代を方向付ける転換点だったと解説されていました。ヨーロッパ中心だった世界に日本とアメリカが加わったことで、20世紀の世界を劇的に変化させたのだそうです。

川の上の鉄橋を走る現在の旧東清鉄道の映像があったのですが、その川にはかつて日本が造った鉄橋の跡が残され、反対側にはかつてロシアが造った鉄橋の跡が残されていました。

私は歴史に詳しくないのですが、日露戦争が「戦争の世紀」と言われる20世紀の幕開けを作った戦いであり、「第0次世界大戦」と呼ばれるようになったことの意味も理解することができました。歴史は複雑で、一面的に考えてはいけないのだと改めて思いました。

第0次世界大戦から始まって、今のところ第二次世界大戦で終わっている、というか停戦している状態のように思えるのですが、いずれ第三次世界大戦が始まってしまうような気がして、少し不安な気持ちになりました。当時の各国の対応の仕方は今とあまり変わっていないのではないかと思えました。情報伝達関係は、今のほうが複雑な仕組みになっていると思いますが、それでも、各国の利益を得たいという様々な思惑によって、世界が動いているということは、昔と変わっていないように思えました。
以前、第二次世界大戦の直前の社会の流れを聞いた時にも、その当時と今は似ているなと思えたのですが、第0次世界大戦の前の雰囲気も、今と似ているような気がして、このまま第三次世界大戦になるようなことになってほしくないなと思います。

「鑑識・米沢守の事件簿」

テレビ朝日の日曜洋画劇場で放送されていた映画「鑑識・米沢守の事件簿」を見ました。

私は未読なのですが、原作は、ドラマ「相棒」の脚本を担当したことのあるハセベバクシンオーさんの小説『幻の女房』です。この小説は奥さんに逃げられたという六角精児さんの実話をもとに作られた話だと以前聞いたことがあります。監督は長谷部安春さん、脚本は飯田武さん(櫻井武晴さん)です。

鑑識の米沢守(六角精児さん)が、行方不明の元妻と同じ名前で顔もそっくりの女性の真鍋知子(紺野まひるさん)の死亡事件をきっかけに、その元夫で千束署の刑事の相原誠(萩原聖人さん)と協力し合いながら、真犯人を捜していくという話だったのですが、米沢さんと相原さんの二人の“相棒”がとても良い感じで、いつかドラマのほうにも登場してほしいなと思いました。

「相棒」の主要な人物が少しずつ登場していて、捜査一課の3人の中では、特に伊丹さん(川原和久さん)が米沢さんと関わる場面が多かったです。

今回の映画は、米沢さんを主人公とした、「相棒」の劇場版の第1作「絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」のスピンオフ作品ということなのですが、映画の途中の特命係の右京さん(水谷豊さん)と亀山さん(寺脇康文さん)が米沢さんとすれ違う場面や、最後の右京さんと亀山さんがようやく米沢さんと話をする場面などを見ると、これは「相棒」の“スピンオフ”なのだと思うのですが、この作品の中では、右京さんと亀山さんの米沢さんへの関わり方がとても薄いため、「相棒」作品としてとりあえず特命係を登場させているというような感じがしました。

私は落語をよく知らないのですが、右京さんが米沢さんのために鑑識課の人に預けておいた志ん生の落語CDの「四段目」という話の「語るに落ちる」が事件解決のヒントになったところなど、米沢さんらしい感じはしたのですが、特命係には頼らないと言っていた米沢さんの信念が少し曲げられてしまったようで、何というか、もったいなかったように思えました。

でも、話は面白かったです。米沢さんと相原さんには“バツイチ”と“知子さん”という共通点があり、知子さんの死に関していろいろ動機や背景を探ったりしながら、ようやく真相にたどり着いた時には、二人ともその元妻の知子さんへの気持ちが整理されたようで、何となくさわやかな感じでもありました。

また、知子さんの会社の先輩の高橋早苗さんを演じていた片桐はいりさんの存在感はすごいなと思いました。最初から最後まで、面白いような怖いような感じが良かったです。

警察官僚の天下りや税金の無駄遣やセクハラが親告罪であるということなどもテーマになっていたことも、それなりに良かったと思います。

最後の「M-1グランプリ」

今年で最後となった、テレビ朝日の「M-1グランプリ 2010」を見ました。

雨上がり決死隊の宮迫さんとさま~ずの大竹さんが審査員に入っていました。ネタの放送中に、左下のほうに審査員たちの顔が映るのが少し気になりました。

優勝は、9年連続で決勝戦まで来ていた笑い飯でした。確かに昨年の「鳥人」はとても面白かったですし、今回のサンタクロースとケンタウロスが合わさったサンタウロスというネタも面白かったです。でも、「鳥人」のインパクトと面白さを超えていなかったようにも思いました。決勝戦で1回戦と似たようなネタにしたことも意外に思えたのですが、昨年の優勝者で“敗者復活”をしたパンクブーブーも1回戦とほとんど同じようなネタを決勝戦でも披露していて、それが少し残念に思えました。

私としては、スリムクラブが面白かったです。何か不思議なことを言う人とそれを説得する人の話?なのですが、かすれたようなこもっているような声や独特な雰囲気で、スリムクラブも1回戦と決勝戦のネタが似たような感じだったのですが、それでも何だかとても面白かったです。
「スリムクラブ」という名前を聞いた時は分からなかったのですが、最初のネタを見て、「あらびき団」で見たことを思い出しました。その時も面白かったのですが、今回見ても面白かったです。沖縄出身の方たちだそうです。

審査委員の方たちも悩んでいたのですが、今回は漫才なのかコントなのか分からないものが多かったようです。票は、笑い飯とスリムクラブに分かれていて、笑い飯の優勝が決まった後、松本さんは「スリム飯」と書きたかったと言っていたのも面白かったです。笑い飯の西田さんと哲夫さん、最後のM-1での優勝おめでとうございます!

浅田真央選手のフリーと世界選手権出場選手

フジテレビで放送された全日本フィギュアスケート選手権の女子フリーを見ました。

私は浅田真央選手のフリースケーティングの演技を特に楽しみにしていました。どうなるのだろうと、少し緊張しながら見ていたのですが、最初のトリプルアクセルにも挑戦していて、リストの「愛の夢」の音楽とよく合っていて、全体的に穏やかで滑らかなスケートで、とても良かったです。

演技が終わって、浅田選手自身もほっとしていたようだったので、私もほっとしました。最初のトリプルアクセルは回転不足と判定されてしまったようで、127.47点となり、ショートプログラムとの合計は193.69点でした。試合後の浅田選手はあまり晴れやかな表情ではないように思えたのですが、インタビューでは、ほっとした、今できることはできたと思うと落ち着いて話していました。

その後、安藤美姫選手がミスのない安定感のある豪快な演技で、202.34点を獲得して優勝しました。私としては、金メダルの浅田選手を見たいという気持ちもあったのですが、でも、復活しつつある演技を見ることができて良かったです。

試合終了後、3月に開催される世界選手権の出場選手も発表されて、男子シングルは、小塚崇彦選手と織田信成選手と高橋大輔選手、といういつもの3人が選ばれ、女子シングルは、安藤美姫選手と浅田真央選手と村上佳菜子選手が選ばれていました。あと、四大陸選手権には、小塚選手と高橋選手と羽生結弦選手、安藤選手と浅田選手と鈴木明子選手が、それぞれ出場するようです。

全日本選手権ということで、フジテレビでは特に女子シングルの若手の選手たちの紹介に力を入れていたようでした。全ての選手の試合を見ることができたわけではないのですが、私は、大庭雅選手の丁寧で滑らかな感じのスケートが良かったように思います。これから活躍する選手になっていくのだろうなと思いました。
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Author:カンナ
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