「高校生レストラン」第4話

日本テレビの土曜ドラマ「高校生レストラン」の第4話を見ました。

レストランで食事をした後、食中毒を訴え救急車で病院に運ばれたという高科悠平(織本順吉さん)の行動は、孤独の寂しさから来る自作自演の仮病だと分かり、最初、調理クラブの副部長の坂本陽介(神木隆之介さん)は、そのようなお客さんの一人一人の事情については考えないようにしていたようなのですが、米本真衣(川島海荷さん)から、自分の祖母(鷲尾真知子さん)のお店のお客さんだったとしても気にならないのかと言われて、考え方を変えていました。

高科さんのような身寄りのないお年寄りたちにも自分たちの料理を食べてもらいたいと考えた部員たちは、村木新吾(松岡昌宏さん)に提案して、土曜日をお年寄り限定のレストランとして営業することに決まり、村木先生の指示で、村の老人たちに好きな食べ物や何を食べたいかなどを聞き、市場調査をしていました。

役場の観光課の戸倉正也(金田明夫さん)は、レストランにたくさんの人を呼ぶために、若い人たち向けのメニューを開発してもらいたいと考えていたのですが、村の約4割はお年寄りだということを気にし始めていた岸野宏(伊藤英明さん)は、村木さんや高校生たちの意見を支持して戸倉さんを説得し、戸倉さんも一応許可していました。

お年寄りたちの挙げたものは、天ぷらや酢の物や煮物など、今まで親しんできた料理が多く、米本さんは、それらを変える新しい味の料理を作りたいと、「松坂牛のお茶漬け」を提案していました。料亭などでは時々あるメニューらしいのですが、和食の料理人をしていた村木先生も作ったことがないということで、それに挑戦してみることになりました。またその時、川瀬真奈美(三吉彩花さん)が、お年寄りたちから見ると自分たちは孫のようだから「まごの店」にしてはどうかと村木先生に提案し、みんなも孫みたいと言われたと言っていて、その土曜日の営業を「まごの店」という名称にすることになりました。

岸野さんはチラシを作って「まごの店」を宣伝し、お年寄りたちに呼びかけたりしていました。高校生たちが工夫して考えていた「松坂牛のお茶漬け」は、あられのかかったご飯の上に小さく刻まれた松坂牛の佃煮のようなものを乗せ、その上にワサビなどの香辛料を乗せたお茶漬けで、とてもおいしそうでした。当日の土曜日は雨になり、みんなはお客さんが来てくれるかを心配していたのですが、次第に少しずつお客さんが入ってくるようになり、頑なな様子だった高科さんも岸野さんたちと一緒にお店に来て、お客さん同士でいろいろ話をしたり、高校生たちと話をしたり、楽しそうにしていました。

満席にならなかったことに対して、岸野さんは自分の宣伝が足りなかったと謝っていたのですが、部員たちとお客さんが話す様子を見ていた村木先生は、笑顔の数では負けていないと言って嬉しそうにしていました。

最後の、お茶漬けが良くなかったのかと反省していた部員たちに、村木先生が今日のお客さんたちはみんな「ごちそうさま」と言っていたということを話し、「ごちそうさま」は「ありがとう」だ、「いらっしゃいませ」も「ありがとう」だ、と言っていたのが良かったです。村木先生は、感謝の行きかうレストランにしたいという理想を部員たちに伝えていて、みんなもその理想に感動していたようで、また大きな声で挨拶の練習をしていました。

食中毒騒動から、町の現状やお年寄りたちの事情を知り、町興しとしての高校生レストランの目的が明確になったような感じがしました。でも、やはり何か惜しい感じのするドラマだなと、私には思えてしまいます。展開がさらっとしていることもそうなのですが、もう少し、登場人物たちの感情を掘り下げて描いてほしかったように思います。

「JIN -仁- 完結編」第7話

TBSの日曜劇場「JIN -仁- 完結編」の第7話を見ました。

ドラマの舞台は、1866年の冬になっていました。

南方仁(大沢たかおさん)は、長崎から船で江戸に戻る途中、友永未来(中谷美紀さん)が亡くなった患者さんの前で、その遺族に坂本龍馬が死んだ日と同じ日だと話している夢を見てはっとしていたのですが、その日付をどうしても思い出すことができないようでした。

坂本龍馬(内野聖陽さん)は、雪の降り積もる山を歩いていました。

仁が戻ってくると、仁友堂の玄関には、ペニシリンの製造許可状がたくさん並べられていて、さらに橘咲(綾瀬はるかさん)がまたたくさんの許可書を風呂敷に包んで持って来ていました。咲さんが玄関先で仁の足を洗っていると、上役(中原丈雄さん)から坂本龍馬の動向を探るよう命じられた咲さんの兄の橘恭太郎(小出恵介さん)がやって来て、長崎で坂本龍馬に会えたのかを仁に尋ねていました。仁は、龍馬さんに会えたけれども喧嘩別れをしてしまったと話していたのですが、恭太郎さんは、少し遮るように、世の中は不穏だから龍馬とはしばらく会わないほうがいいと伝えていて、兄の様子が気になった咲さんは、龍馬さんのことを旗本でもある兄には話さないほうがいいと思うと仁に話していました。

第14代将軍の徳川家茂が亡くなって、徳川慶喜が第15代将軍になり、歴史にあまり詳しくない仁も、さすがに慶喜公が徳川幕府最後の将軍だということは知っていたようで、坂本龍馬の暗殺の日が近づいていることに焦り、大政奉還から明治になる間だということは分かっているようだったのですが、具体的にいつだったのか思い出すことができず、悩んでいました。仁友堂の机で紙に書いて考えていたのですが、「暗殺」と書くとまた酷い頭痛に襲われていて、歴史の修正力に抗い、龍馬さんを助けて歴史を変えようとするならば、自分はこの頭痛に殺されるのかもしれないと考えていました。

長崎の清風亭で、坂本龍馬は、後藤象二郎(宮川一朗太さん)と二人で話をしていて、後藤象二郎は、土佐に力を貸すように言い、龍馬さんは何か策を考えることにしたようでした。

仁は勝海舟(小日向文世さん)に会いに行っていました。勝海舟は、またお役目を解かれてしまったようでした。勝海舟によると、幕府は、薩摩藩が主導の「四侯会議」を開くということでした。薩摩、長州、宇和島、そして土佐を加えた4つの藩の有力者による会議ということで、勝海舟は、そこに幕府寄りの土佐の名前が入ってきたのは、坂本龍馬が裏で関わっているからだろうと仁に話していました。話を聞いていた仁は、勝海舟に今は何年かと尋ねていて、勝海舟が「慶応三年」と答えると、仁は西洋の暦では何年かとまた尋ねていて、少し訝しがりながらも勝海舟は「1867年」と教えてくれました。

仁友堂に戻ると、坂本龍馬から南方仁宛に手紙が届いていたようで、咲さんが仁に渡していました。封筒には才谷梅太郎と書かれていて、長崎で撮影した二人が一緒に写っている写真が入っていたのですが、その裏には「長芋の中より 出たる虫たちの 江戸の芋にも すくいたるかな」と書かれていて、咲さんは、長芋は、長州と薩摩芋の薩摩という意味ではないかと仁に話していて、二人は、その人たちが江戸を「巣食う」という意味ではないかと推理し、仁は、龍馬さんに自分の思いは届いていなかったのかと悲しく思っていました。そして、その解釈をしているところを、恭太郎さんが密かに聞いて立ち去っていました。

もう一つ、野風(中谷美紀さん)からの手紙も仁友堂に届いていて、仁はとても嬉しそうにしていました。手紙は、フランス人のルロン(ジャン・ルイ・バージュさん)と正式に結婚できることが決まり、仁と咲さんの二人には婚礼に出席してほしいというものでした。

仁と咲さんは横浜の外国人居留地へ来ていました。洋館と洋装の外国人たちの中で、和服の二人が歩いているのが少し不思議な感じでした。野風さんの家で二人がテーブルに着くと、コーヒーが用意されたようでした。仁は懐かしい感じでおいしそうにコーヒーを飲んでいたのですが、咲さんはその黒い飲み物を少し怪しんでいました。

野風さんとルロンさんが部屋に現れて、二人はおめでとうございますと祝辞を述べていました。その後に野風さんが、「咲さまにはおくつろげぬところもあるやもしれんせんが」と言ったのを気になった咲さんは、なぜ南方先生は西洋のものに慣れていると思ったのかと野風さんに尋ねていたのですが、野風さんは適当にごまかし、一人になった時に「くわばら、くわばら」とつぶやいていました。咲さんは、野風さんは南方先生が未来から来た人だということを知っているのではないかと思い、実際に野風さんは知っていたのですが、それを秘密にしておくつもりのようでした。

夕食のシャンパンを、仁はまたおいしそうに飲んでいて、咲さんも挑戦していました。野風さんは、結婚後はフランスで暮らすと話していて、それから、仁と咲さんの結婚について聞いていて、仁が正直に伝えようとすると、咲さんが遮るようにシャンパンを飲み干し、その後出された赤ワインも立て続けに飲んでいました。歩けないくらい酔ってしまった咲さんは、仁に支えられてい歩いている廊下で倒れ込み、野風さんの幸せを疑っていることを仁に話していたのですが、仁が野風さんにもルロンさんにも失礼だと言うと、それでは私も幸せになって良いのでしょうか、私はお婆になってしまいますよと少し笑って言いながら、その場で眠ってしまったようでした。

仁は、咲さんを部屋に運んだ後、野風さんに診てもらいたい患者がいると言われて、奥の部屋に案内されたのですが、その患者とは、野風さん自身のことでした。野風さんは、左の脇の下にいくつかのしこりがあると話し、仁が触診をすると、腫れているリンパ節を確認することができたようで、それが全て乳癌の転移だとすると、腋窩リンパ節への転移は10箇所だと伝えていました。さらに、野風さんは風邪ではないけれど空咳が出ると話していました。癌が肺へも転移しているかもしれないようでした。

あの時もっとリンパの検査を徹底していれば良かったと仁が謝ると、野風さんはその言葉を遮るようにして、先生が謝られるようなことではない、あの時死んでしまうはずだった自分は助かり、幸せな人生を送ることができている、先生には感謝しかないと伝えていました。そして、野風さんは、子には癌の毒は回るのかと仁に尋ねていました。野風さんのお腹の中には子供がいるということでした。仁が、胎児に癌が転移することはありませんが、と言うと、野風さんは嬉しそうにして、それから自分の余命を尋ねていました。転移性乳癌の生存率は2年で五割と言われていると仁が伝えると、野風さんは2年も、と嬉しそうにして、それならこの子を抱ける、笑い顔を見ることも、手をつないで歩くこともできるかもしれない、喜んでいました。

仁は、妊娠と出産が母体には負担であることを伝え、医師としては出産は勧められないと話すと、野風さんは、自分の癌が治らないことから母体のほうを取るという仁の勧めを受け入れようとせず、この子は私の夢なのでありんすと、出産をしたいことを仁に伝えていました。自分は長く生きることはできないけれど、子供やその子供の中に自分の血が流れ、自分はその子の血となり肉となり、その子の目で未来を見ることができると野風さんは仁に話していました。野風さんの未来と言う言葉を聞いて、仁は、別の友永未来が生まれる可能性について、歴史を変えることにならないかどうかを考えていました。

朝、咲さんは寝坊し、二日酔いの頭痛になっていました。昨夜の記憶もないということで、野風さんからは先生にいつ結婚してくれるかと言っていたと言われて動揺していたのですが、野風さんが出て行った後をぼんやりと見ていた仁の様子が気になりどうしたのかと尋ねると、仁は野風さんに癌の転移があることと、子供を夢だと言って出産しようとしていることを咲さんに話していました。

咲さんは、分娩せずに出産できる方法を仁に尋ね、仁は帝王切開があると話していたのですが、江戸時代の麻酔技術では、胎児が死んでしまうということでした。咲さんが、仁友堂で出産することはできないかと言うと、仁は自分は産科の経験がないから良いお産婆さんに任せるほうが良いと言い、咲さんは、仁が歴史に介入することを恐れて野風さんの子供に関わらないようにしていることに気付いたようでした。

野風さんとルロンさんの結婚式が教会で行われ、たくさんのお客さんに祝福されながら、白いウェディングドレスの野風さんとルロンさんは絨毯の上を歩いていました。野風さんがいた遊郭の鈴屋の主の鈴屋彦三郎(六平直政さん)も結婚式に招待されていて、鈴屋さんは、最後の花魁道中の時よりもきれいだと言って感慨深そうにしていました。仁は、江戸時代にタイムスリップしてからの野風さんとの出会いや、野風さんの親切にいろいろ助けてもらったことを思い、野風さんの夢を叶えられないかもしれないことに無力感を感じていました。すると、咲さんは、野風さんの夢は叶うのではないか、この時代の人間が強い意思を持って、未来を変えたいと願って行ったことだとしたら、それは修正される歴史ではなく、ただの歴史なのではないか、と仁に話していました。仁が理解できない様子でいると、咲さんは、野風さんは南方先生が未来から来た人だということも、南方先生の思い人が自分の子孫であるかもしれないということも、きっとご存知なのだ、ルロンさんの子供であるということもあるかもしれないけれど、それだけではなく、後の世で南方先生が出会うべき人を野風さんは作ろうとして、命がけで産もうとしているのではないかと話し、このような夢を握りつぶすほど、天は無慈悲ではないと信じたい、写真が消えたことは新しい未来さんが生まれるという天の声かもしれない、と仁に話していました。

教会の門のところまで来た野風さんは、咲さんを呼び、ブーケを投げていました。ブーケを受け取った咲さんは、仁からブーケを受け取った人は次に幸せになると言われているとの説明を聞くと、咲さんは決意したようで、先生には関わりのない私たちの歴史にするために、野風さんの子供を取り上げたいと仁に願い出て、仁は、よろしくお願いしますと嬉しそうに咲さんに頼んでいました。

結婚式後、仁と咲さんは、野風さんとルロンさんに、仁友堂での出産について話していました。仁は、野風さんが乳癌の手術をしたことを知っていたルロンさんに、癌の転移については明かさないことにしていました。ルロンさんは、野風さんがいてくれることのほうが大切だから、無理な出産はしないでほしいと言っていたのですが、野風さんは、ルロンさんの子供を産むことでルロンさんへのお礼にしたいと話し、大丈夫だと言うと、ルロンさんも決心して、仁たちに頭を下げて野風さんのことを頼んでいました。

江戸の大吉屋では、喜市(伊澤柾樹さん)が「子安道名津」を仁と咲さんに出していました。穴の開いたドーナツではなくて、シュークリームのような形の小さい玉型のドーナツでした。中にお餅が入っているそうです。「子」と聞いて、咲さんが野風さんと子供、二人を救わなければと考えて、ふと、龍馬さんの写真の裏の歌を思い出し、「すくいたる」は、「巣食いたる」ではなく、「救いたる」ではないかとはっとしていました。龍馬さんの気持ちは、江戸を食べるということではなく、江戸を救う、助けるということだったのだと知って、仁は空を見上げて「わかんないですよ!」と嬉しそうにしていました。

仁友堂に戻ると、再び龍馬さんからの手紙が届いていました。龍馬さんは、写真のことを「ホトガラ」(フォトグラフ?)と書いていて、あの歌のような気持ちで再び走り回っている、戦をせずにこの国を立て直せないかと無い知恵を絞っていると書いているようでした。そして、雪になりたいと言っていた野風さんのことを舞う雪を見て思い出したということも書いていて、龍馬さんは、野風さんは本当の気持ちを隠して嘘ばかりついていたけれど、大切なものを守るために嘘の鎧で固めていなけらばならなかったのかもしれない、そして、自分もこれから大嘘つきになる、先生が教えてくれた明るい道を守るために、全てを欺いてこの道を未来につなげてみせると決意していました。手紙を読んで、龍馬さんに自分の気持ちが伝わっていたことを知った仁は、また嬉しそうにしていました。

仁は、手紙を箱に収めようとして、この前の龍馬さんとの写真が無くなっていることに気付き、そのことを佐分利祐輔(桐谷健太さん)に尋ねると、佐分利さんははっとして、先日、仁友堂に物盗りが入ったようだったのだけれど、道具も何も盗まれていなかったと答えていました。写真を盗んだのは、恭太郎さんだったようで、何か上役の人に伝えていました。

仁友堂が目を付けられているかもしれないことを心配した南方仁は、勝海舟に相談に行っていました。龍馬さんの手紙を見た勝海舟は、あれを仕掛けるつもりなのかもしれない、と仁に話していました。四侯会議の途中で山内容堂が土佐に帰ってしまったことに、後藤象二郎は焦っているようで、龍馬さんは、薩長が倒幕の勅許を得ると、薩長は官軍となり、幕府は賊軍となり、土佐も朝敵となると話し、一つの策を考えていたようだったのですが、勝海舟もその策に気付いていて、仁に、大政奉還だと話していました。大政奉還という言葉を聞いた仁は驚き、龍馬さんの暗殺の日が近いことを知って、その日がいつだったのか、夢の中の未来さんの話していた日付を思い出そうとしていました。

今回も、とても良かったです。野風さんと咲さんがとてもしっかりしていました。龍馬さんが落ち葉に薩摩とか長州とか書いていろいろ並べながら考えていたらしい場面も、かわいい感じがして良かったです。

原作の漫画にはいないということなのですが、ドラマの友永未来さんという登場人物の設定が、前作からずっと引き継がれ、特に今回とても良く活かされていたことを思うと、私としては、やはり、第3話で仁が咲さんにプロポーズをする場面は必要なかったのではないかと、どうしても思えてしまいます。

南方仁は「神」という言葉をよく使い、私はそれが少し気になっていたのですが、今回、咲さんは「天」と言っていたので、少しほっとしました。きちんと使い分けているのだなと思いました。

次回予告では野風さんが危ない感じだったのですが、「JIN -仁-」は予告の構成も毎回よくできているなと思います。龍馬さんの死が近づいているかもしれないということなのですが、私としては、「歴史の修正力」というものに屈することなく、ドラマということでもありますし、何とか助かってくれるといいなと思います。

「ハガネの女 season2」第6話

テレビ朝日の「ハガネの女 season2」の第6話を見ました。

今回は、嘘をつくというのはどのようなことなのかを考える話だったように思います。友達に仲間外れにされることを恐れて本当は勉強が好きで偏差値70以上あることを隠していた中山さくら(原舞歌さん)の嘘と、みんなに注目されたいために他人も自分も傷つける曽根美月(石井萌々果さん)の嘘は別の種類のものなのですが、特に美月ちゃんの虚言癖に対して、愛河小学校の先生たち全体で対応する感じがとても良かったです。

小森副校長(宍戸美和公さん)によると、愛河小学校では大学生たちが勉強を教えに来るという特別授業を始めるそうで、そこに成績の良い児童を参加させてほしいと先生たちに話していました。東京都の学力テストの結果を見た4年4組の担任の芳賀稲子(通称ハガネ、吉瀬美智子さん)は、いつも浅野夏希(鍋本凪々美さん)たちと一緒にいるさくらちゃんが学年1位の成績で偏差値70を超える学力があったことに驚き、さくらちゃんに、どうして普段のテストで手を抜いているのかを尋ねると、桜ちゃんは、成績が良いと夏希ちゃんたちに嫌われるかもしれないと話し、成績が良いことは黙っていてほしいとハガネに頼んでいました。

でも、ある日、4年4組の中に偏差値70の人がいると噂になり、隣のクラスの子がテストの結果を見たらしく、すぐにさくらちゃんが名指しされてしまい、さくらちゃんは違うと言い続けていました。ハガネに呼び出されたさくらちゃんは、5歳年上の姉が私立の中学校へ行ってから公立小学校の頃の友達と疎遠になってしまったことを話し、勉強ができても良いことはないと言っていたのですが、ハガネは、私立を受験するかどうかはさくらちゃんが決めることだけれど、勉強が好きだという自分の気持ちに正直になることが大切だと話していて、さくらちゃんは少し納得していたようだったのですが、放課後、教室で待っていた夏希ちゃんから、私たちが成績のことを気にすると思っていたのか、バカにするなと怒鳴られて、坂本京子(田辺桃子さん)や長田美穂(うらんさん)たちも夏希ちゃんを追いかけて行ってしまい、さくらちゃんは机に伏せて泣いてしまいました。

さくらちゃんが泣き出したのを見た真壁友喜(浦上晟周さん)は、夏希ちゃんを追いかけずに、職員室へ向かい、副担任の水嶋恭平(斎藤工さん)に声をかけて連れ出し、それを見たハガネも一緒に教室へ向かったのですが、ハガネの姿を見たさくらちゃんは、やはり夏希ちゃんたちは怒ってしまったという感じで苛立っていて、黙って教室を出て行ってしまい、ハガネは水嶋先生とどうするべきか話し合っていたのですが、水嶋先生は、さくらちゃんがこのまま孤立してしまうかもしれないことを心配していたようでした。

次の日、いつもは夏希ちゃんたちと一緒に登校していたさくらちゃんは、一人で登校している途中でハガネに呼び止められて逃げようとしたのですが、ハガネに止められて、自分のことを信じてもらいたいのならまず自分が相手を信じることが大切だと言われていました。ハガネと一緒に夏希ちゃんたちのところに来たさくらちゃんは、嘘をついたことを謝り、本当は勉強をするのが楽しいことと、みんなとずっと仲良くしていたいことを伝えていました。さくらちゃんのことを心配していた京子ちゃんや美穂ちゃんは、すぐにさくらちゃんを慰めていて、正義感が強く少し頑固なところのある夏希ちゃんは、自分たちに嘘をついていたさくらちゃんのことを最初は怒っていたのですが、友喜君に夏希ちゃんも本当はさくらちゃんのことが好きと言われて、さくらちゃんの前に言って、仲直りをしてもいいけれど、その代わり愛河小の人たちに絶対に負けるな、卒業するまでずっと一番でいるようにと言われてほっとしていました。さくらちゃんが自分に正直に生きることができるようになって、良かったです。

教室に何か騒ぎを引き起こすのが好きな感じだった曽根美月ちゃんは、主に自慢話の、すぐに嘘だと分かるような嘘を平気でつき、どんどん積み重ねてもそれほど苦にならないようで、スクールカウンセラーの上川俊一(片岡愛之助さん)は、曽根美月は担任に注目されたいのではないかとか、虚言癖があるかもしれないと話していました。

美月ちゃんの両親は自宅の事務所で税理士の仕事をしていて、家庭訪問に来たハガネと水嶋先生に、自分たちは税理士をしているから、嘘は悪いことだということは厳しく教えているつもりだし、美月はクラスの人気者で友達に嫌われているはずがないと話していました。

佐藤ひかり(須佐遥さん)によると、確かに、3年生の夏頃までは、クラスの人気者だったようなのですが、ある日全部嘘の話だったことがみんなに知られて孤立するようになり、性格も荒れてきたということでした。団地の上からひかりちゃんを呼びに来てハガネに気付いた元4年3組の佐藤あかり(佐藤日向さん)は、美月ちゃんについて、みんなに注目されたいのではないかと話していました。またいつでも相談に来てとハガネに言っていたのも良かったです。

ある日、不良の高校生たちが鉄パイプで通りすがりのサラリーマンを殴る事件が発生し、職員室で注意を呼びかけているのを聞いた美月ちゃんは、密かにその高校生たちの姿を見に行っていて、その後腕に怪我をして病院に運ばれていたようなのですが、事情を聞いた刑事は、美月ちゃんの話は要領を得ない、自作自演なのではないかと言い、両親は怒っていました。話をしに行ったハガネは、美月ちゃんの腕の怪我の位置が、美月ちゃんが言うように殴られそうになったのを防いだ時にできる場所ではないことを指摘していました。美月ちゃんは鉄パイプが高いところから落ちるように細工をした後、その下に自分の腕を置いて、吊るしていた紐を切って、腕に殴られたような後を作っていたのでした。ごめんなさいと謝って反省している様子の美月ちゃんに、ハガネは、他人や自分を傷つける嘘はついてはいけないと話し、美月ちゃんも頷いていたのですが、それを見ていた水嶋先生は美月ちゃんのことを信じていない様子でした。

上川先生は、虚言癖のある美月ちゃんが自傷行為まですることに気付かなかったことを職員室で謝っていて、矢崎先生たちは、上川先生のアドバイスがあったから早い段階で対処できたと声をかけていました。

他の先生たちは居酒屋での親睦会に向かい、親睦会には行かないと言う水嶋先生と仕事が残っていたハガネが職員室にいる時、美月ちゃんからハガネの携帯電話に電話がかかってきて、不良高校生たちに追われてボウリング場に逃げてきたから助けてほしいということでした。ハガネは水嶋先生に警察に連絡するように言い、水嶋先生は、すぐに助けに行こうとするハガネを呼び止めて、また嘘かもしれないし、もしそうだったら曽根美月のためにならないと話したのですが、ハガネは、たとえ99%嘘だとしても後悔するよりましだと言って、一人で駅前の廃ボウリング場へ走って行きました。水嶋先生は、先に居酒屋に行っていた学年主任の先崎徹(設楽統さん)に連絡し、他の先生たちにも伝わったようでした。

廃ボーリング場には確かに不良の高校生たちが来て遊んでいたのですが、美月ちゃんの姿はありませんでした。ハガネは、高校生たちに美月ちゃんはどこにいるのか尋ね、それを邪魔に思った高校生たちは、ハガネと少し戦いになり、それからボーリングのボウルでハガネを転ばせると、ハガネの頭を鉄パイプで殴り、ハガネは頭から血を流して倒れこんでしまいました。そこへ上川先生が駆けつけた、警察も来て、高校生たちは補導されたようで、ハガネも病院へ運ばれたようでした。

美月ちゃんは、ハガネが自分の言葉を信じて助けに来てくれるかを試していたようでした。影からハガネが高校生たちと戦っている様子を見て喜んでいました。その後、警察に保護されたようです。先生たちはみんな職員室に戻ってきていて、水嶋先生が美月ちゃんを怒りに行こうとすると、矢崎先生が自分が話しに行くと言って、一人で警察署へ行き、芳賀先生が勝手に勘違いをしただけでうちの娘に罪はないという美月ちゃんの両親に頭を下げて、美月ちゃんと話をさせて下さいと頼んでいました。

矢崎先生は、美月ちゃんにジュースを買ったようで、芳賀先生が無事だということを伝え、二度と嘘をついてはだめだとは言わないし、君を責めるつもりも叱るつもりもないと話していました。美月ちゃんは少し下を向いて話を聞いていたのですが、担任の芳賀先生は君ととことん付き合っていくし、先生たちがそういうつもりでいることを忘れないでほしいと聞くと、少し顔を上げて、矢崎先生を見ていました。

病室のハガネの様子を見に来た上川先生は、美月ちゃんのことを心配するハガネに、美月ちゃんの事件はハガネを試す嘘だったことを話し、ハガネはショックを受けていました。病室に来た藤間真理子先生(清水ミチコさん)は、上川先生と交代し、落ち込んでいるハガネに、たとえ100%嘘だったとしても芳賀稲子はきっと曽根美月の元に駆けつけた、そうでしょう?と言って元気づけていました。

職員室の野村校長(高橋克実さん)は、一緒に待っている副校長と桑沢先生(吉家章人さん)と水嶋先生に、芳賀先生はいい仲間がいて幸せですねと話していました。

次の日、ハガネは頭に包帯を巻いて登校していて、教室に行く時、水嶋先生は黙ってハガネの授業の道具も一緒に持っていっていました。ハガネは怪我について、酔って電柱にぶつかったのだとクラスのみんなに話していたようでした。廊下でみんなと笑っていると、後ろにいた美月ちゃんが、ほんとドジだよねと言って不思議な笑顔になっていました。水嶋先生の表情は硬くなっていたのすが、校長先生に美月ちゃんのことを受け止めてみせると言っていたハガネは、笑顔で、何事もなかったように美月ちゃんと向き合い一緒に教室へ入っていました。最後、水嶋先生が後ろ手に教室のドアを閉めた後の、誰もいない廊下と閉じられた校門の外から学校を眺める映像が、何か閉じられた世界に問題が渦巻いているという雰囲気がして、少し不気味ではあるのですが、良かったです。

あと、西堀マナ(有村架純さん)は、婚約者の浅野達也(松本利夫さん)の部屋に夏希ちゃんの母親のものがまだそのまま残されていることにショックを受けていて、それから夏希ちゃんが水河小学校から統合された愛河小学校に通い担任がハガネであることを知って、どうして嘘をついてまで隠すのかとハガネに怒っていたのですが、藤間先生に、夏希ちゃんが母親が出て行ったことをまだ受け止められないでいることや、本当の母親のことをあきらめたとしてもその穴埋めをするのは大変だと言われて、少し考えているようでした。

さくらちゃんの事情を知って、二宮敦子(澤田真里愛さん)も何か少し落ち込んでいるようで、また、いじめっ子グループのリーダーだった渋谷亮介(渋谷龍生さん)も何か悩んでいる様子でした。

私としては、このドラマでは、学校にはいろいろな性格の人がいるということや、その一人一人には細かい感情があるということが丁寧に描かれている感じがして、良いなと思います。

「極上美の饗宴」正阿弥勝義の彫金

NHKのBSプレミアムの「極上美の饗宴」のシリーズ「いのち映す超絶工芸」の第3回「金属に刻んだ躍動の一瞬 彫金家・正阿弥勝義」を見ました。

第3回は、岡山の彫金家の正阿弥勝義の特集でした。昆虫写真家の海野和男さんが大阪の展覧会場を訪れて正阿弥勝義の作品を見て、その彫刻で作られた生き物の小ささと観察し続けないと表現できないというリアルな描写に驚いていました。また、人間国宝の彫金家の桂盛仁さんが、正阿弥勝義の「古瓦鳩香炉」の僅か8mmという小さな蜘蛛の再現に挑戦していました。

私は、正阿弥勝義のことを、数年前に「美の巨人たち」で見て少し知ることができたのですが、昨年の展覧会も見ることができなかったですし、私はまだ勝義の作品を直接見たことはありません。でも、映像で見るだけでも、とても細かくて本当に生きているような感じがして、すごいなと思いました。

彫金の作品は、小さければ小さいほど価値があるとされているのだそうです。海野さんは、展覧会場で「群鶏図香炉」の蓋の金の小さなカマキリを見て、これは作者がカマキリにちょっかいを出してカマキリが作者を威嚇した一瞬の姿だと話していて、海野さんの写真には、本当に同じようなポーズのカマキリが写っていました。カマキリの顔の向きを見ると分かるそうです。また、「柘榴に蝉飾器」の羽の模様も細かい蝉の彫刻を見た海野さんは、すぐにアブラゼミだと分かっていて、しかも鳴いているところだと言っていました。どうしてそれが分かるのかというと、蝉は鳴くときに羽を少し広げるため、内側の小さな羽根が見えるそうなのですが、それが正阿弥勝義の蝉にも作られているので、鳴いていると分かるのだそうです。海野さんの蝉の鳴いている映像を見て、確かに実際の蝉はこのようだったなと思い出したのですが、あまり蝉などの虫を直視したことのない私は、そう言われなければ作品を見ていても分からなかったかもしれないと思いました。

正阿弥勝義は、1832年に岡山の彫金師の家の三男として生まれ、家業の彫金の仕事を手伝い、18歳の頃に岡山藩で代々お抱えの彫金師をしている正阿弥家の養子となり、独立をしたのだそうです。刀の装飾などを手がけ、お正月とお祭りの日以外ほとんど休むことなく、熱心に彫金の仕事をする我慢強い人物で、藩主にも信頼されていたそうです。番組ではアニメーションで紹介されていました。40歳の時に藩主に献上したという腰刀「蝶紋金総金具堆黒合口拵」は、黒と金色がはっきりと鮮やかな作品でした。金の柄には蝶の家紋が入っていて、黒いところには蝶の舞っている様子が描かれていました。

戦国時代や江戸時代の兜の装飾には、ウサギやトンボなどの生き物が象徴的に使われていて、その金属に生き物を施すという武士の伝統の技を、彫金家の勝義は受け継いでいたということでした。

明治維新になり、明治9年に廃刀令が出されると、彫金職人たちは仕事を失い、家族のいる45歳の勝義も、とても苦しい生活の日々を送っていたのだそうです。でも、明治10年に第一回内国勧業博覧会が開かれ、政府が工芸品の輸出を奨励するようになると、勝義はそれまでの作風を変えて、立体的な表現をするようになったそうです。「雛巣釣花瓶」という作品では、藁でできた巣の上に2羽のひよこが出てきて、初めて小さなクモを見つけて驚いている場面が描かれ、その一瞬の緊張感が見る人を惹きつけるのだろうということで、なるほどなと思いました。ひよこやクモの描写もすごいのですが、藁の巣の質感の表現もすごいと思える作品でした。

前回、並河靖之の作品を紹介していた京都の清水三年坂美術館は、正阿弥勝義の作品も収蔵しているようで、たくさんの勝義の作品が展示されていました。館長の村田さんは、作品に緊張感を与えることによって、そこに作られた動物が生きているような感覚を与えると話していました。勝義の下絵帳にはとても細かく観察した鶏や虫や植物が描かれていました。勝義は、実際にいろいろな生き物を庭で育てて、生き生きとした一瞬を捉えようと、スケッチを繰り返し、一年かけて観察し、それを金属で表現しようとしたということでした。「雛巣釣花瓶」の下絵も残されていました。彫金の作品にはあまりカラフルな色が使われているというほどではないので、淡い色の水彩で描いた下絵の雰囲気が何だかかわいかったです。

彫金の象嵌の技法は、まず厚めの金属の板に絵柄の形の穴を彫り、その底の縁のところを斜めになるように少し奥に彫り、そこに上からその穴の形の別の金属を乗せて叩くと、金属がつぶれるようにして奥に嵌るというものだそうで、一般的には、下の金属のほうが硬く、後から嵌める金属のほうが軟らかいのだそうです。「群鶏図香炉」の親鶏の姿は、「高肉彫」とか「高肉象嵌」と呼ばれる立体表現の技法で作られているそうなのですが、彫刻のほうを先に作って後から嵌めたものなのか、厚い金属を嵌めてから彫刻を彫ったものなのかは、よく分かっていないそうです。

彫金家の桂盛仁さんが「古瓦鳩香炉」の8mmのクモを倍にして再現することに挑戦していて、桂さんはたがねで細かくクモの毛を彫っていました。私から見るとそれでもとても細かいように思えるのですが、桂さんは、勝義のクモについて、拡大してもおかしくないように作っているすごさは大変なもの、イメージ通りに手を動かす技術を持っているのがすごいと話していました。「群鶏図香炉」の5cmの蓋に50の菊の花が彫られていることも、一枚の銀の板から全て彫り出されていると考えられているそうなのですが、これは現代では再現不可能な技法なのだそうです。

正阿弥勝義を研究している吉備国際大学教授の臼井洋輔さんは、明治という激動の時代に伝統の技を捨てずに磨き続けていたことが勝義のすごさだと話していました。

1900年のパリ万博には、勝義の他に加納夏雄や海野勝みん(みんの文字は王偏に民)も参加していて、この東京で活躍した二人の彫金家は、皇室の後押しを受けて、勝義よりも先に世界で活躍していたそうで、その後、帝室技芸員になったそうなのですが、勝義は、家を守るために岡山に留まっていたということが理由なのか、なぜか帝室技芸員になることができなかったそうです。でも、地元の実業化がパトロンとなり、自由な作品を作り続けることができたそうです。その実業家の邸宅の床の間の柱のところに「糸瓜釣花瓶」という蛇に睨まれてヘチマの葉の上をカエルが逃げているという場面を描いた黒い彫刻が飾られていました。1mというのは、勝義の作品では珍しいものだそうです。黒い作品で、私にははっきりとは見えなかったのですが、蛇の鱗も細かくて、カエルの跳んでいる姿が自然な雰囲気の作品でした。勝義は、「森羅万象是吾師」という言葉を工房に掲げていたそうです。

大英博物館では、1994年に明治の工芸の展覧会を開催していたそうなのですが、その時の図録の表紙に勝義の銀色の「エレファント(飾象香炉)」の写真が使われていたそうです。銀の象の上には丸い水晶が乗っていましたが、でも、同じ型の黒い象には水晶はなく、デザインも少し違っていたようでした。ニューヨークのジャパン・ソサエティーギャラリーというところの館長さんは、勝義ほど自在に金属を操った人はいないと話していたのですが、それから、勝義は日本のアールヌーボーの出発点と言えるとも話していて、少し意外にも思いました。

勝義は、新たな表現に挑戦するために67歳の時に京へ移り住んだそうで、京に来てからは力強い表現から抑えた表現に変わったのだそうです。「双鶴図香炉」には、曇り空と雪と松が描かれ、雪の上には鶴の足跡があって、その手前には金色や青や緑のような光の筋が描かれていました。蓋の裏には2羽の鶴が空を飛んでいる姿が描かれていて、私は尾形光琳の硯箱などを思い出しました。

勝義は跡継ぎの息子に宛てた巻物の手紙にも図で記していたのですが、この香炉には「砂あらし」と呼ばれる技法が使われているそうです。それは、銀の板の上に金剛砂という赤茶色の硬い砂の粒を1mほどの高さから落として、銀のつやを消すという技法でした。彫金家の小林正雄さんが富士山の絵で再現していたのですが、銀を磨き、輝きを残したいところにはその上に白の塗料を塗り、1mほどの高さから金剛砂を落とすと、銀に細かく傷か付いて鈍い光を放つようになり、輝きを残した部分を際立たせていました。小林さんによると、銀を光らせないようにするのは日本独特の技法なのだそうです。勝義は、砂の粒の大きさや落とす高さを変えて表現の幅を広げたそうです。

「難波潟如意鉄皿」は、田んぼの泥に鳥の足跡が描かれているお皿なのですが、その裏には足跡が緩やかに食い込んでいる様子が描かれていて、お皿全体が泥のように軟らかく見えて、驚きましたし、「蜻蛉図香炉」も、蓋の裏に水面に映るトンボの灰色の影が彫金で描かれていて、清水三年坂美術館の村田館長さんが勝義の作品について、時間の経過があることで生き物の命を感じさせる、緊張感や意表をつく面白さがあると話していたように、いろいろ楽しい作品が多いのだなと思いました。

勝義が70代の頃、日露戦争が始まって金属の値段が高騰し、パトロンからの注文が激減してしまったそうです。しかも、息子の借金を肩代わりすることにもなり、孫も病死してしまい、勝義自身も病気が悪化して寝込むようになってしまったそうです。

岡山の邸宅に来た臼井さんは、勝義の全ての想いが込められているという「純銀地鉄象嵌葡萄虫花瓶」を見ていました。勝義が4年8ヶ月かけて完成させたという遺作だそうです。銀色の花瓶に、よく見ると少し紫がかっているような色の赤黒い鉄で葡萄が描かれている静かな雰囲気の作品でした。ぶどうの葉にしがみついているカマキリは、激動の時代をひたむきに生きた勝義の姿だろうと臼井さんは話していました。

軟らかい銀の板に硬い鉄を嵌めるというのは、とても難しいことのようでした。形の穴を彫った後、普通の彫金の技法とは違って底を斜めに彫らず、上のふちを少しだけ盛り上げておいて、そこに同じ大きさの鉄の形をぴったりに嵌めた後、ふちを内側に戻して外れないようにするのだそうで、とても根気の要る作業だそうです。小林さんは、勝義は彫金界の最高峰中の最高峰で、挑戦しきったのだろうと話していました。

勝義は、息子宛の手紙の中に彫金家の心得として、「勝つことばかり知りて 敗る事を忘らざれば 害 その見におよぶ」と書いていたそうです。成功ばかり求めて失敗を恐れていては真の作品は生まれないという意味だそうで、勝義は、失敗を繰り返してもあきらめずに作品を完成させていったそうです。

そして、葡萄の花瓶を完成させた1ヶ月後の明治41年に、正阿弥勝義は、京で77歳で亡くなったそうです。臼井さんは、勝義の作品を100年後の自分たちが見て感動するということは、勝義の思想も技術も生き続けているということだと話していました。生前、勝義は、「私の作品は10年後に落ち着き、100年先にも変わらない」と語っていたそうです。すごいなと思いました。勝義の死後、日本は工業国家になり、時間と労力を費やす勝義の彫金の技法は今に受け継がれることなく、途絶えてしまったのだそうです。

今回の「いのち映す超絶工芸」のシリーズも、とても良かったです。陶芸や七宝焼や彫金の技法などを、少しでも知ってから作品を見ると、そのすごさがよく分かるのだなと改めて思いました。あと、「極上美の饗宴」は、最初の「真珠の耳飾りの少女」の時からそうなのですが、松谷卓さんという方のテーマ音楽が番組の雰囲気に合っていて、とても良いです。今回も、すてきなシリーズでした。

「クジラと生きる」

昨日の深夜に再放送されていたNHKスペシャルの「クジラと生きる」を見て、少し憂鬱な気分になりました。

私は、“シーシェパード”や「ザ・コーブ」という映画の問題を報道番組などで見て、和歌山県太地町で鯨やイルカの漁が行われていることを知りました。当時、クジラだけではなくイルカも獲っていると聞いて私は驚いたのですが、番組によると、イルカは小型のクジラに含まれるのだそうです。私はクジラもイルカも食べたことがないですし、今のところ積極的に食べたいとも思わないのですが、長く食べ続けている人たちにとっては、必要なもののようでした。

映画が公開されてから、シーシェパード以外の反捕鯨団体が太地町を訪れて、クジラを獲る漁師さんたちの妨害をしているようだとはその頃のニュースなどでは聞いていたのですが、最近はあまり報道されておらず、活動家の外国人の女性の方が漁師さんたちに日本語で「死ね」と言って走り去っていた姿などに、とても驚きましたし、ショックでした。

漁師さんたちは、外国の活動家たちによって映像が公開されるようになってから、食料としての切り身になってからのクジラを食べてもらいたいという思いのために、「屠殺」の現場を公にはしたくないと考え、入り江にテントのように幕を張ってその中で殺していたようだったのですが、外国人たちからは「自分たちでも恥ずかしいと思っているから隠しているのだろう」と言われて、いろいろ暴言を吐かれることにも耐えていました。映画では、外国人たちの挑発に乗って感情的になった太地町の人たちの姿が映され、かえって暴力的に思われてしまっていたようで、それを反省しての対応のようでした。

反捕鯨団体の態度はとても悪くて、車の前に立って仕事現場に行くことができないようにしたり、下品な感じで現金を見せてこれでイルカ一頭を海に帰してほしいと言ったりしていました。しばらくして警察が来たのですが、妨害時間が短く証拠がないなどの理由で、活動家の人たちはお咎めなしになっていたようでした。

漁師の人もその家族の方たちは、400年続く文化を守りたいという気持ちと、町の人たちに迷惑をかけているのではないかという気持ちに挟まれてとても悩んでいました。学校でもいろいろ捕鯨と反捕鯨について話し合っているようで、それぞれの国の食文化の違いや、それへの違和感や理解することについてまとめていました。

反捕鯨団体は、主に「高等な知能を持つ動物を殺すのはかわいそう」と言って捕鯨に反対しているそうなのですが、他にも理由はあるのかもしれません。

私には、捕鯨も反捕鯨も、それ自体ではどちらが良いのか悪いのか、よく分かりません。暴力的な活動家の行動にはいつもがっかりするのですが、それ以外の、例えば冷静で真面目な主張を、私は聞いたことがないので、意見の内容がよく分からないということもあります。

番組によると、太地町と反捕鯨団体との間であまり話し合いがなされていないそうなのですが、誰か英語を話すことのできる政治家や捕鯨の専門家などを交えて、もっと細かく話し合いをしたらいいのではないかとも思えました。熱心な活動家の方たちの信条はいつも何か宗教的な感じがするので、太地町の漁師さんたちが暴言や妨害行動に耐えるだけでは、きっと収まらないのではないかと思いました。

“菜食主義者”ではない人間のほとんどは、植物の他に、動物や鳥や魚や爬虫類や虫や、何かいろいろな動物を殺して食べなければ生きていけないという宿命だということは、いつも思っていますし、時々辛い気分にもなってしまいます。日頃私は、スーパーマーケットで切り身になって売られているところしか見たことがなく、太地町の漁師の方が話していたように、殺す現場を見てしまったら、怖くて食べられなくなってしまうだろうと思います。テレビ番組などで、生きている魚やエビを捌く場面を見るのも苦手ですし、また特に料理に不慣れな芸能人の方がそうしているのはもっと残酷に思えます。でも、誰かが私の知らないところで屠殺をしているおかげで、何事もなかったように普通に暮らすことができているのだと思うと、ありがたいことだなとも思いますし、不思議な気持ちにもなります。

「命は大切なものです」と言う教えを、私は少し信じていますが、それでも、例えば蚊取り線香などを置くように、いつも矛盾しています。

太地町の人たちは「命をいただく」ため、クジラの全てを無駄にはしないそうで、町の人たちにも配ったりしていました。太地町には、鳥居をクジラの骨などで作った神社があるそうです。鯨供養をするのは、日本独自の風習だと聞いたことがあるのですが、もし捕鯨を、日本のその地域の伝統文化だと日本が決めるのなら、政府はもっと応援したほうがいいのではないかとも思いました。

番組を見ても、反捕鯨団体の態度が粗雑だったということを知った以外、どのような解決方法があるのかなどは、私にはよく分からないままだったのですが、忘れてはいけないことだなと思いました。
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