ドナルド・キーンさんと日本人

昨日のNHKの「クローズアップ現代」は、「我が愛する日本へ ~ドナルド・キーン89歳の決断~」という特集でした。

今年の3月11日の東日本大震災直後に、ドナルド・キーンさんが日本国籍を取得して日本に永住することを表明したという報道を聞いて、私もとても驚きましたし、嬉しく思っていたのですが、番組のインタビューでもそのドナルド・キーンさんの日本への愛情が伝わってきて、とても良かったです。冒頭では、多くの日本人から寄せられたという感謝の手紙や鯉のぼりの描かれたキーンさんの身長ほどの大きな旗などが紹介されていました。

コロンビア大学でのインタビューの初めは、日本への旅ということから、キーンさんの英訳もある松尾芭蕉の『奥の細道』の話で始まっていたのですが、今回の日本への旅は特別な旅で、最後の旅になるかもしれないと話していました。長年一年の3分の2は日本で暮らし、永住権もあるそうなのですが、今あえて国籍を取得したのは、日本への感謝の気持ちからで、キーンさんは何か象徴的なことをしたいと思ったそうです。日本の風景と言えば、キーンさんの自宅のある北区の街の風景を思い出すそうで、旅ではあるけれども、帰国のようでもあると話していました。

コロンビア大学名誉教授で日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、第二次世界大戦が始まっていた18歳の頃に紫式部の『源氏物語』に出会い、日本の美の世界に触れて、危険な軍国主義の国だと思っていた日本の別の面を知ったのだそうです。戦時中はアッツ島や沖縄に派遣され、捕虜となった日本兵の尋問をする係をしていたそうで、押収した兵士たちの日記を読み、そこに故郷を懐かしむような言葉が並んでいるのを見て感動したのだそうで、日本人のいろいろな面に触れ、もっと日本を知りたいと、日本文学の研究を始めたそうです。

国谷さんは、戦時中の“鬼畜米英”から戦後の“アメリカ崇拝”とも言えるような状況についてインタビューで尋ねていました。日本人の意識が極端から極端へ向かったことは、大きな謎だったそうです。

そのような日本人の謎を解く鍵として、キーンさんが調べたのは、戦中戦後の作家の日記だったそうです。番組によると、永井荷風や伊藤整や山田風太郎などの日記を読んだそうなのですが、中でもプロレタリア文学の高見順の日記に感銘を受けたそうです。

それは、東京大空襲の日の、焼け野原となった東京から脱出しようと大勢の人であふれていた上野駅構内で、人々は我慢強く列車に乗る順番を待ち続けていたという様子が描写されていた日記だったそうです。「私はこうした人々と共に生き共に死にたいと思った」、「心から日本を愛し、信じている庶民の、私も一人だった」と、その日記には書かれているそうです。

今回の東日本大震災の時にも、日本人の被災者は順番を待って並んでいて、それを見てキーンさんは高見順と同じ気持ちを持ったそうです。日本人は穏やかで我慢強く、恐ろしい黒い津波に黙っていたとキーンさんは話していました。

インタビューで日本人とはどのような人かと訊かれて、キーンさんは自分も日本人の一人だからよく分からないという感じで、答えに少し困っていました。キーンさんは、日本について研究しているうちに日本人になったと話していました。以前、日本人の女性から地下鉄の乗り方を訊かれたことがあるそうで、それが嬉しかったそうです。外国人ではなく、ようやく人間になれたと笑っていました。

「日本の一番の魅力は何ですか?」と国谷さんに訊かれ、いっぱい頭に浮かんできて一番は難しいですが、と迷いながら、奈良の室生寺へ行って雨が降ってきた時におばあさんが傘を貸してくれて、返せないかもしれませんと言うと、構いません、どうぞ使ってくださいと言ってくれたという話をして、日本人の優しさが好きだと答えていました。

キーンさんは、持っている日本関係のたくさんの書籍を、自宅のある北区の図書館へ寄贈する予定なのだそうです。キーンさんは、毎日机に向かって過ごしているそうで、今は正岡子規の評伝を書いているそうです。結核を患い人生の最後を迎えるくだりを、心をこめて書いている様子でした。

日本国籍を取得したら使ってみたい漢字があると、キーンさんの名前を漢字で書いていたのですが、それは「鬼 怒鳴門」でした。鬼(キーン)怒鳴門(ドナルド)です。確かに、鬼怒と鳴門と分けると、川と海を連想することができます。

日本人として、日本人とは何かを見つめ続けていくつもりだとキーンさんは話していました。引退生活はしたくないそうで、面白いと思うものを調べたり、書いたり、話したりしたいと答えていて、何の役に立つか分からないけど知りたい、知りたいものがたくさんある、と笑っていました。「文士の道」を目指しているというキーンさんは、“完全な文士”になり、静かに暮らすことが夢なのだそうです。

最後に国谷さんが、日本人は日本国籍を持っているだけで日本のことを知っていると思い込んでいる、という内容の司馬遼太郎の言葉を紹介し、文士になってからのキーンさんの仕事が楽しみですと話していました。

私がドナルド・キーンさんの名前を知ったのは小学校か中学校の頃だと思うのですが、なぜか最初は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と混ざっていました。小泉八雲は明治37年に亡くなっていますし、今思うとおかしいのですが、その頃そう思ったことは意外と間違っていなかったのかもしれないような気もします。

私はあまり詳しくはないのですが、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫、安部公房など多くの文学者と交流があったそうで、新聞に連載されていた『私と20世紀のクロニクル』にはその時のことが書かれていて、私はすごいなと思いながら読んでいました。

奥の細道の話が出ていましたが、1996年のクローズアップ現代の「発見“奥の細道”自筆原本~芭蕉創作の秘密に迫る~」にも出演をしていたようです。私はおそらくこの回を見逃しています。

今回の大震災の時にも“日本人の美徳”が世界で紹介されていたようなのですが、私にもそのような美徳があるのかどうか少し心配になりました。キーンさんも今まで良い人たちばかりに会うことができたのかもしれません。でも、我慢強く、穏やかで、謙虚で、優しいという日本人の印象を聞くと、概ねそうなのかもしれないと、あまり違和感なく受け止めることもできます。

ほとんどすでに日本人だったキーンさんがあえて日本国籍を取得したということを、改めて嬉しく思いました。キーンさんが象徴と話していたように、日本への愛情の象徴だと思いました。

「グッドライフ」最終回

フジテレビのドラマ「グッドライフ ~ありがとう、パパ。さよなら~」の最終回(第11話)を見ました。

「パパはバカです。いばりんぼうで、おこりんぼうです。うそつきです。だからパパのことなんてすぐに忘れてしまうのです」と、父親の澤本大地(反町隆史さん)に羽雲のことなんか嫌いだと冷たく突き放されてから2週間ほどが経った羽雲(通称わっくん、加部亜門さん)は、母親の下で生活をしていました。母親の華織(井川遥さん)によると、大地さんに嫌いだと言われたその日は泣き続けていたそうなのですが、翌朝からは何事もなかったように明るく振舞うようになったそうで、わっくんの気持ちが分かる華織さんはそのことを心配していました。

大地さんは、病院から紹介された海の近くのケアセンターに入って静かに過ごしていました。部屋も広く、ホスピスのようでした。時々、CLSの紺野七海(榮倉奈々さん)がお見舞いに来て、学校に貼り出されているわっくん新聞の最新号のコピーを持って来ていたのですが、大地さんはそれを嬉しそうに読んだ後、受け取らずに七海さんに返していました。新聞には、わっくんが友達とドッジボールをしている記事もあったのですが、学校での2年生のわっくんは元気で明るくなっていて、父親のクリスマスプレゼントのスニーカーを自分で履き、ボールが顔に直撃しても大丈夫でした。1年生の頃にもあったあおいちゃんの「いい子いい子してあげようか?」を、「赤ちゃんじゃない」と断っていました。大地さんは、七海さんの帰り際に、「良い人生を送ってください」と声をかけていて、病院に戻った七海さんは円山医師(伊原剛志さん)にそのことを話し、「良い人生って何でしょうか」と尋ねていました。

わっくんは部屋で毎朝新聞記事をチェックしていて、そこに大地さんの名前がないことを気にしていました。部屋には大地さんとの思い出のものが飾られていて、ある日、何かを決意したわっくんは箱にしまっていた“パパ石”を持って父親と石蹴りをした土手に行ったのですが、そこで遊んでいる親子の姿を見て、大地さんのマンションの部屋へ向かいました。鍵を持っていたので自分で開けて入ったのですが、そこはがらんとした何もない空き室になっていて、愕然としたわっくんは床に座り込み、「パパの嘘つき、パパのバカ」と叫んで大泣きしてしまい、追って来た華織さんもわっくんの泣き声を聞いて部屋に入ったのですが、何もない部屋に驚き、大地さんがわっくんに何も言わずに姿を消したことを知りました。そして、その部屋のドアノブにかけられていた郵便物の中に、沼津の写真館で撮ったわっくんとの写真と、大地さんの写真があり、華織さんはその遺影のような写真を見てはっとしていました。

病院の中庭のベンチに座っていた華織さんに七海さんが声をかけると、華織さんは遺影のような写真を見せ、大地さんは今どこにいるのかと尋ねていて、七海さんは、知られたくないという大地さんの意向を汲んで最初は知らないと答えていたのですが、少し迷った後、立ち去ったばかりの華織さんを呼び止め、いつか息子が本当のことを知る日が来たら渡してほしいと言われて大地さんから預かっていた「羽雲へ」と書かれた手紙を華織さんに手渡し、いつかではいけない、わっくんのパパが大好きだという想いを迷子にしてほしくないと言い、居場所を教えたようでした。

大地さんの病気を知りケアセンターを訪れた華織さんに、自分は家族というものをよく知らず一度作ればずっと続くものだと思っていたと話していて、華織さんの笑顔を見たくて結婚したのに、結婚してからは華織さんを笑顔にすることを忘れていたと言って謝り、父親としての時間をくれてありがとうとお礼を言っていて、華織さんは泣いていました。

華織さんは、家を訪ねて来た美術大学教授の雪村慎平(鹿賀丈史さん)にわっくんに本当のことを話しても大丈夫かどうかを尋ねていました。父親の病気や死を受け止めることができるかと華織さんは心配していたようなのですが、教授は華織さんがいるから大丈夫だと話していました。教授は、大地さんから二人のことを見守ってほしいと頼まれたことを話し、それは残念ながら自分の役目ではない、わっくんの母親は華織さんで父親は大地さんだと話していました。

わっくんは病院で「川に棲む魚」の図鑑を読んでいて、カシコギの父親は育てた子供が成長するといつの間にかいなくなるけれど、父親がいなくなった後子供はどうするのだろうと円山医師に話していました。

円山医師は外で海を見ていた大地さんのもとを訪れ、わっくんの検査結果を伝えると、体は元気だけれど心のほうはどうだろうかと言い、父親としての自分の役目は終わったと話す車椅子の大地さんに、わっくんに与えることだけが愛情ではなく、わっくんの気持ちを受け取ることも愛情なのではないかと話していました。

わっくんは、父親が何も言わずにいなくなったことにショックを受け、マカロニペンギンのぬいぐるみや父親との写真やスニーカーなど思い出の品を段ボール箱に詰めていました。華織さんはわっくんに大地さんからの手紙を渡し、パパは病気の姿をわっくんに見せたくないから本当はわっくんのことが大好きなのに嫌いだと言って別れることしかできなかったのだと説明していました。わっくんは部屋でしばらく手紙を見ていて、それから封を切って読んでいました。読み終わると、段ボール箱の中からスニーカーを取り出し、それを履いて華織さんとケアセンターへ向かうバスに乗っていました。

わっくんが今より少し大きくなっていることを想定して書いた手紙には、病気のことを知られたくない大地さんがやむを得ずあのように傷つけるような突き放し方をしたこと、羽雲という名前は生まれたばかりの羽雲に接してすぐに思い浮かび、窮屈な生活をしていた自分と違いのびやかに生きてほしいと思って名付けたこと、羽雲と過ごす時間がいつも楽しく奇跡的なものだったことを羽雲に教わったこと、父親がいなくても強く生きていってほしいということが書かれていました。

わっくんはバスを降りるとすぐに走り出し、坂を下りて、ケアセンターの前の浜辺に来ていた車椅子の大地さんに駆け寄っていました。大地さんは職員の人と来ていたのですが、職員の人がいないときにわっくんたちが来たようでした。わっくんは、「パパ!」と遠くから大地さんに声をかけ、背中を向けている大地さんに、給食でグリーンピースを食べられたことや、パパからもらったスニーカーで体育のかけっこでビリではなく3番になったことを話していました。そして、わっくんが病気の時に二人なら怖くも寂しくもないと言っていつも一緒にいてくれたことを伝え、だから病気をやっつけることができた、だから強くなったのだと話していました。「パパ、わっくん、強いんだよ!パパの子どもだから」、「今度は、わっくんがパパとずっとずっと一緒にいてあげる。今度は、わっくんがパパのこと守ってあげる」、「だから、こっち向いてよ。パパ、わっくんだよ。パパ、僕だよ!」と伝えていました。自分のことを名前ではなく、僕と呼ぶことができるようになったようでした。

大地さんは少し迷っていたのですが、わっくんの言葉を聞いて、ゆっくりとわっくんのほうに振り返っていて、久しぶりに父親の顔を見たわっくんは、泣きそうになって「パパ!」と言って抱きついていて、「さよならなんてしない」とつぶやいていて、大地さんも「そうだな」と答えていました。良かったです。

それからは、親子3人で幸せに過ごしていたようで、病院の円山医師や七海さんたちのもとには笑顔で遊んでいる3人の様子が描かれた絵葉書がわっくんから届いていました。

雪村教授は、「新鮮な気持ちで世界を見ること、臆せず人と係わりあうこと、それが君たちにとって何よりの財産になります」と学生たちに話していました。

最後、わっくんが“わっくん貝殻とパパ貝殻”を拾って大地さんに渡したり、ケンケンパをしたりして浜辺で遊んでいる場面で、わっくんは「パパ、僕のパパはいつまでもパパだけです。だからパパ、パパがまた生まれたら、僕もきっとまたパパの子供に生まれるよ。パパは本当は泣き虫だから、僕が生まれたらまた泣いちゃうね。ちょっとだけ寂しいけど、その時まで、ありがとう、パパ。さようなら」と言っていました。浜辺の少し離れた場所から華織さんとわっくんの遊んでいる姿を見つめていた大地さんは、車椅子の上で静かに目を閉じていました。

大地さんはあのまま亡くなってしまったのでしょうか。「さよなら」とわっくんが言っていたので、亡くなってしまったのかもしれないのですが、私としては、生きているといいなと思いながら見ていました。

最初の頃のわっくんとは違い、最後のわっくんは本当に強い子になっている感じがしました。そして、第1話から最終話まで、わっくんはすごいなと思いながら見ていました。

それに、父親と息子の話は珍しいなと思いました。ドラマの後半は、わっくんと大地さんのことだけではなく、大地さんとその父親の話もあって、わっくんのおかげで大地さんは自殺してしまった父親と向き合い、その想いを知ることができて、トラウマを克服していたのも良かったです。

今期の春ドラマで、“シリーズもの”と呼ばれるドラマ以外の新作ドラマの中で、私が見ていて、良かったと思えた作品は、この「グッドライフ」でした。反町隆史さんの大地さんと加部亜門さんのわっくんの親子の雰囲気が合っていたように思います。伊原剛志さんの円山医師の理解力があっておだやかな感じも良かったです。原作の小説『カシコギ』は未読なのですが、大島里美さんと大久保ともみさんの脚本は丁寧で、意外と落ち着いた雰囲気のドラマで、とても良かったです。

「JIN -仁- 完結編」最終回

TBSの日曜劇場「JIN -仁- 完結編」の最終回2時間スペシャル(第11話)を見ました。「最終章の後編」ということで、先週の放送からとても楽しみにしていました。

南方仁(大沢たかおさん)は頭痛になる頻度が増えていました。勝海舟(小日向文世さん)から前を向けと言われてフランス留学を薦められた橘恭太郎(小出恵介さん)は、坂本龍馬を結果的に死なせてしまったことをとても悔やんでいるようでした。そして、一緒に坂本龍馬を暗殺しようとした幕府側の榊原(津田寛治さん)に誘われて、旗本として徳川の家臣として死ぬ覚悟を決め、上野寛永寺に集まっている彰義隊に参加することにしていました。彰義隊は徳川幕府が終わった後も官軍となった新政府軍を認めようとせず、徹底抗戦の構えをしていました。

松本良順(奥田達士さん)は、仁に戦争になるかもしれないことを話し、その時は西洋医学所に指示をしてほしいと頼んでいて、困った仁が間違えそうな気がすると言うと、ではその間違った道をお指図下さいと言って笑っていました。仁はとても信頼されていました。

仁友堂の人たちは、仁の頭の腫瘍を取り除く手術が自分たちにもできないかと仁に尋ねていたのですが、そのためには「バイポーラ」という道具が必要だということでした。仁は頭痛と吐き気の他に、手や足の運動障害もあるようでした。頭の中の腫瘍によって死ぬかもしれないことを覚悟した仁は、自分にできることは知識を教えることだと考え、自分の遺体を腑分けしてほしいと仁友堂の医師たちに話していました。医師たちは絶句していたのですが、橘咲(綾瀬はるかさん)は南方仁の気持ちを察して少し明るい表情で「はい」と返事をしていました。そして、仁は脳の構造についての講義を開いていたのですが、佐分利祐輔(桐谷健太さん)が普通の頭痛と腫瘍による頭痛との見分け方について質問していると、また仁には頭痛が起こっていて、咲さんたちは心配していました。

彰義隊の集合している寛永寺に行った恭太郎さんは、戦争の始まる直前に、具足を取りに戻るといって自宅へ帰り、母親の橘栄(麻生祐未さん)と食事をし、咲が敷居を跨ぐのを許してはどうかと頼んでいました。

1868年(慶応4年)5月15日、上野戦争が始まると、ドーンという砲撃の音が江戸の町に響き渡っていました。恭太郎さんが上野に向かったと聞いた仁と咲さんと佐分利さんは橘家へ行き、門の前に立っている栄さんに会いました。栄さんは恭太郎さんの置手紙を咲さんに見せ、それを見た咲さんは、兄上は生きねばなりませぬと言い、咲さんまでいなくなるかもしれないことを恐れて引き止めようとする母親を説得して、走って上野に向かい、佐分利さんも付いて行っていました。置手紙で恭太郎さんは、自分より生きる値打ちのある人を殺してしまったと、坂本龍馬を死なせたことを後悔していて、徳川のために戦い、徳川の家臣として死ぬ覚悟だと書いていました。

雨の中、上野に着いた咲さんは、恭太郎さんを見つけて走って行ったのですが、流れ弾が左腕に当たって倒れ、駆け寄る恭太郎さんにどうか家に戻ってほしいと伝えていました。それでも自分は生きる値打ちがないと話す恭太郎さんに、佐分利さんは、死ぬのなら、助けてもらった命を捨てていいですかって南方先生に断ってからだと叫んでいました。

仁友堂の医師たちと西洋医学所の医師たちは救護所を作り、怪我をした彰義隊の人たちの手当てをしていました。官軍の西郷隆盛(藤本隆宏さん)に彰義隊は江戸の市中警護をしているのだと話していた勝海舟は、医学所が彰義隊の手当てをしたら徳川幕府が彰義隊の暴発を認めたことになると仁に話していたのですが、そこへ多紀元えん(えんの文字は王偏に炎、相島一之さん)率いる医学館の医師たちがやって来て、「医者は医の道を歩くのみ、治まらぬものを治めるのが政の道であろう、南方殿、我らは鉄砲傷も縫えぬ。しかし、役に立てぬことがない訳でもなかろう?」と治療の手伝いを申し出た元えん先生に仁は感謝し、元えん先生は元医学館の福田玄孝(佐藤二朗さん)に指図を頼んでいました。様子を見ていた勝海舟は、馬鹿医師たちだと笑って諦めていて、彰義隊も新政府軍も助ける救護所の存続を認めたようでした。

恭太郎さんは咲さんを負ぶって救護所に来ました。咲さんの怪我を知った仁は驚いていたのですが、咲さんは他の人の治療に当たってほしいと話し、脳の腫瘍のために手を自由に動かすことができなくなっていた仁は、一度は持ったメスを置き、佐分利さんに咲さんの弾丸の摘出を頼んでいました。

廊下に出た仁が震える手首を抑えながら助けられないことを苦しんでいると、また頭痛が起こり、「口八丁手八丁ぜよ。先生」という坂本龍馬(内野聖陽さん)の声が聞こえてきました。龍馬さんは、「手が動かんかったら、口を動かせばええ」と仁に教えていました。

処置が終わり、救護所で横になっている咲さんは、蘭方の医師と本道の医師が共に治療に当たっている様子を見て、仁友堂の目指してきた本願が叶ったと喜んでいました。

雨が上がり、空には虹が出ていました。仁は、救護所を手伝っていた恭太郎さんに、恭太郎さんが守ってきたのは徳川ではなく、橘の家だったのではないかと話していました。そこへ怪我の手当てを受けた抗戦派の榊原さんが来て、徳川の死に様を見せ付けてやろうと恭太郎さんを再び戦場へ誘っていたのですが、恭太郎さんは徳川のために死ぬことは私の本懐ではないと言って断り、榊原さんに刀の柄で突き飛ばされ、腰抜けがと罵られ、榊原さんが立ち去った後、大丈夫ですかと訊く仁に、腰抜けでございますと答えていました。

朝から始まっていた上野戦争は、その日の夕方には終結したようでした。彰義隊はほぼ全滅し、その後、官軍による残党狩りが行われたそうです。

仁も咲さんも再び仁友堂での医療活動を始めていました。でも、咲さんの左腕の傷は、包帯の中でどろどろとした緑色の液体に覆われていたのですが、咲さんは直りかけている証拠だと思っていたようでした。

患者さんを治療中、仁はまた頭痛に襲われ、「先生、ここじゃ。先生、頭ん中じゃ」と龍馬さんの声が聞こえてきました。頭痛の痛みに耐えながら声を聞こうとすると、「わしが話すと痛むがかい? ほいたら…」と龍馬さんの声は消えていきました。佐分利さんは、龍馬さんの声を探す南方仁を見て、幻聴ですかと訊いていました。佐分利さんは、仁を助けることができない自分に苛立ち、私はやぶだ、一番助けたい人に何もできないと嘆き、「死なんとって下さいよ、先生」と仁に頼んでいて、仁は、自分がやぶだと気付いたのは6年前で、それに比べたら佐分利先生は早くに気付いたから、すごい医者になると思うと話していました。

直後に咲さんが倒れ、咲さんの腕の傷痕に緑色の膿が広がっているを見た仁は、緑膿菌に感染していると話し、緑膿菌にはペニシリンは効かないということでした。ホスミシンという薬があれば治せるそうです。でも、免疫力を高めれば回復が見込めるということで、仁は玄孝さんに任せることにしていました。病気で寝込んでいながらも自分のことは自分でしようとする咲さんは、仁からちゃんと休まないと菌に負けると言われて、「菌ごときに負けては母に叱られますね」と言って、眠ることにしていました。

その後も咲さんの病状は回復せず、敗血症ショックで死ぬかもしれないという状態になっていたようです。山田純庵(田口浩正さん)は栄さんにお見舞いに来てもらおうと橘家を訪れていたのですが、栄さんは、「私が参れば、咲は己が死ぬやもしれぬと悟りましょう。それが咲の気力を奪うやもしれぬではありませぬか」と話し、本当は咲さんに会いに行きたい気持ちを抑えて、南方先生への伝言として、咲をよろしくお願いしますと純庵先生に頭を下げていました。

眠りながら涙を流している咲さんを、仁がそばで見ていました。咲さんは、先生がいなくなり、未来に戻ることができて良かったと思ったという夢を見ていたようでした。仁は、咲さんの寝顔を見ていたら彰義隊のことを思い出したと話し、あの人たちはただ切羽詰まってただけではなくて、意外に明るい気持ちもあったのかもしれない、もし掛け替えのないものがなくなってしまうのなら一緒になくなるのが一番幸せだと思っていたのではないかと話していると、ガラスが金属の板の上を転がり落ちる音が聞こえ、白衣を着ている現代の自分の足元に「ホスミシン」と書かれた小瓶が非常階段を落ちてきて、それを拾い上げて白衣のポケットに入れた光景を思い出し、江戸時代に来た時にそれも一緒に持ってきて今もどこかに落ちているかもしれないとひらめき、仁は緑膿菌感染症を治せると言って急いで探しに向かい、持っていた咲さんの手を離していました。

6年前に落としたホスミシンの瓶が見つかれば咲さんは治るかもしれないと仁に言われ、仁友堂の医師たちは近所を探し回り、恭太郎さんも栄さんと一緒に自宅の庭などを探し回っていました。

薄暗い中、仁と恭太郎さんは、最初に恭太郎さんが斬りかかられていた場所に来て捜索を続けていて、あの時の自分に上野に行くなと言ってやりたいと話し、仁も私も戻りたいと言うと、また頭痛が起こり、「戻るぜよ、先生」と龍馬さんの声が聞こえてきました。咲さんを助けたくば、戻るぜよ。先生の頭ん中におる奴が言うとるがじゃ」、「先生はどこから来たがじゃ?」と言われて、仁は患者が錦糸町の公園で倒れていたことを思い出し、入り口と出口は違うのだと察し、恭太郎さんに、錦糸町の方向を訊いていました。

錦糸堀の場所なら分かるという恭太郎さんと一緒に、仁は龍馬さんの声に導かれながらその場所に向かっていたのですが、官軍の残党狩りに襲われ、仁は右目の上の辺りの頭部を斬られてしまい、恭太郎さんがその官軍を斬って応戦し、仁を先へ行かせていました。

流血している上に一人では歩けない仁は、這って先へ進んでいたのですが、先に地面はなく、真っ暗な空間が広がっていました。「戻るぜよ、先生。戻るぜよ、あん世界へ」と言う龍馬さんの声を聞き、仁はついにその中へ落ちていきました。無事だった恭太郎さんが来た時には、仁の血の跡が草の上に残されていただけで、そこには誰もいませんでした。

現代の夜の錦糸町の公園に、傷だらけの仁は和服姿でうつぶせになって倒れていました。救急車で病院へ運ばれ、手術室には白衣を着た南方仁がいて、過去から戻って来た南方仁の頭の手術をしていました。

仁は龍馬さんと浜辺にいたのですが、おもむろに龍馬さんは立ち上がって海の中へ歩き出し、体が半分くらい浸かったところで浜辺のほうに振り返ると、「先生はいつかわしらのことを忘れるぜよ。けんど、悲しまんでえい。わしらはずうっと先生と共におるぜよ。見えんでも、聞こえんでも、おるぜよ。いつの日も先生と共に」と言って右手を拳銃のようにして、仁を撃つ真似をしていました。仁は、龍馬さんに撃たれて何となく胸を押さえ、龍馬さんは笑顔で再び海に向き直り、深いほうへ歩いて行ってしまいました。

仁の頭の中の胎児様腫瘍は摘出されていました。頭に包帯が巻かれていた仁は、病院のベッドの上で目を覚ますと、薬を取りに向かいました。そして、あの時と同じがいいか、とオレンジ色の救急セットも取り出していました。その部屋に入ってきた白衣の仁がホルマリン漬けの胎児を見ていると、包帯の患者がいなくなったと研修医の野口さん(山本耕史さん)が知らせに来て、白衣の南方仁は急いで出て行き、包帯の南方仁は、ホルマリン漬けの胎児を見つめて、1868年5月20日に戻してくれと祈っていました。

そして、前作の第1話の場面です。包帯の仁がいろいろ持って非常階段を上っていると、ホスミシンの瓶が転がり落ち、白衣の仁が来て瓶を拾い上げ、ポケットに入れました。そしてその患者が胎児の標本の瓶を持っていることに気付くと、突然激しい頭痛に襲われ、頭痛のまま患者を追いかけて救急バッグの取っ手に手をかけ、瓶が患者の手から離れると、それを受け取ろうとした白衣の南方仁が踊り場から消えていました。

前作の6年前と同じように、白衣の南方仁が消えました。その南方仁がどこへ行ったのかは不明ですが、最初と同じだとすると、その南方仁はまた1862年の江戸時代のあの場所へ行ったということになるのでしょうか。包帯の仁は、誰もいない踊り場を見て、自分が咲さんを助けることができなくなったことを知って泣いていました。ポケットからホスミシンの瓶が出てきていました。

病室のベッドの上にいた患者の南方仁は、頭の手術の執刀医が南方仁ではなく杉田さん(戸次重幸さん)であり、腫瘍も良性のものであり、倒れていた時も和服ではなく洋服を着ていたことを知りました。友永未来(中谷美紀さん)がいたはずの病室には別の患者さんが入っていて、仁はこの世界は元いた世界とは違う世界なのか、歴史が変わったのかと考えていました。病院内には「東洋内科」という科があり、60歳くらいの人の診療費が0円になっていました。

仁は医師がタイムスリップをする小説を書きたいから一緒に考えてくれないかと野口さんに言い出し、野口さんがホワイトボードに書いて説明をしていて、仁は質問したり、何か納得したりしながら話を聞いていました。

野口さんは、パラレルワールド説で説明をしていました。それは、世界には一つの時間軸しかなく、過去と現在と未来が一本の線でつながっていると思いがちだけれど、本当は少しずつ違った似たような世界が同時にいくつか存在しているということを前提とした説明でした。野口さんによると、2009年の10月11日に過去へ行った医師は、同じ世界の江戸時代へ行ったのではなく、もう一つの世界の江戸時代へ行ったのだろうということでした。そして、その世界の1868年の5月20日に戻ってくると同時にその世界の医師がまた別の世界の江戸時代へ行くということが無限のループになっているとすれば、同じ人物が同時に存在することを説明できると仁に話していました。

胎児様腫瘍に関しては、バニシングツインと呼ばれる、元は双子として生まれるはずだった受精卵の一方が胎内でもう一方の胎児の中に吸収されいつの間にか消えるもので、この医師の場合はそれが頭の中に残り癌化したのではないかと説明し、頭の中の胎児が坂本龍馬になったのは、例えば心臓移植を受けた患者に心臓の持ち主の人格が移る症例のように、その医師が龍馬の血や細胞などを浴びたことにより、人格が一体化したのではないかと説明していて、仁は納得していました。

でも、元の世界の歴史とは違う別の世界の過去にタイムスリップをしたのなら、初めから自分は何もしていなかったことになるのではないかと考えて、少し落ち込んでいました。

病院の屋上で、仁は龍馬さんに吉原の方角を教え、もうないですけどね、と独り言をつぶやいていました。龍馬さんとのことを思い出し、そして、橘咲がどうなったのか、あの日々はどうなったのかを調べようと、図書館で医学史の本を開いていました。ペニシリンは、イギリスのフレミングによって1928年に発見されたと書かれていたのですが、その下に、日本では土着的に生産されていたとの記述もありました。次に仁は日本医療史の本を開いていて、そこには、ペニシリンを土着的な方法で開発し、古来の本道と江戸期に入ってきた西洋医学を融合させ、日本独自の和洋折衷の医療を作り上げ、当時医学界の反逆者とみなされた彼らの医療結社は仁友堂と呼ばれていたと書かれていて、ページをめくると、佐分利さんや玄孝さん、純庵さんなど仁友堂の医師たちの立派な姿の写真が掲載されていました。仁はそのことをとても喜んでいたのですが、橘咲の名前はなく、南方仁についての記述もありませんでした。

咲さんのことが気になる仁は、かつて橘家の屋敷のあった場所へ向かいました。町の様子は変わっていたのですが、橘家の場所に「橘醫院」の看板があるのが見え、仁がそこの家を訪ねると、道の向こうから友永未来と野風(中谷美紀さん)にそっくりの人物が歩いてきました。その人は、家に何か御用ですかと言い、仁は、ご先祖に橘咲という人がいたと思うのですがと切り出し、仁はその人から橘咲について教えてもらうことになりました。

橘醫院の中の医療道具には布が掛けられていました。兄が医者を継ぎ、自分は医学史を研究しているというその女性によると、ここは明治維新後に橘咲が開いた医院だということでした。咲さんが生きていたと喜ぶ仁に、女性は何枚かの古い写真を見せてくれました。そこには仁友堂の人たちと写っている咲さんの写真がありました。咲さんは、主に産科や小児科の医者をしていて、当時は医者だと思われずに、お産婆さんだと思われていたのではないかということでした。年を取った咲さんの写真もあり、生死の境を彷徨ったこともあるらしいのだけど奇跡的に助かり長生きをしたのだと女性が説明していました。兄の恭太郎が、林の中で薬の入ったガラス瓶を拾い、一か八かでそれを使ったところ咲さんが治ったということでした。ホスミシンの瓶は仁がいなくなった場所に落ちていて、恭太郎さんがそれを拾い上げていました。

古い写真の中には、あの坂本龍馬が一人で写っている写真もありました。仁と一緒に撮った写真なのですが、右隣に立っていたはずの仁の姿はやはり残されていませんでした。女性は、隣に誰かがいたみたいだと話していました。

恭太郎さんは坂本龍馬とも縁があった人で、龍馬の「船中九策」の「皆が等しく適切な医療を受けられる保険なる制度を作ること」の実現に向けて走り回った人で、そのおかげで日本は世界で最も国民医療費負担が低いのだと女性は説明していました。

そして、橘家の写真が出てきました。栄さんと恭太郎さん、咲さんが写っていたのですが、咲さんの膝の上には女の子の姿がありました。女性は、この女の子は咲の子供ではなく養女で、生涯独身だったという咲さんは亡くなった友人の子を引き取ったのだと話していました。写真の裏に咲さんたちの名前があり、最後に「安寿」と書かれていました。橘家の養女は野風さんの娘の安寿でした。仁はとても喜んでいました。

外へ出て仁を見送ろうとしていた女性は、突然揚げだし豆腐はお好きですかと尋ねていて、仁がはいと答えるのを聞くと、ずっとあなたを待っていたような気がしますと言い、古い手紙を仁に差し出しました。この手紙は女性が医学史を研究する原点になったものだそうです。家に戻ろうとする女性に仁は名前を尋ね、女性は「橘未来」と答えていました。

公園のベンチで、南方仁は咲さんの手紙を読んでいました。手紙は「○○先生へ」で始まっていました。咲さんによると、怪我が治ったあと、南方仁の名前を思い出すことができなくなり、他の医者たちは仁友堂は自分たちが作った診療所だと話していて誰も南方仁のことを憶えておらず、咲さん自身も夢だったのかもしれないと思うようになったそうなのですが、ある日、実家で見たことのない丸い銅の板(平成の十円玉)を見つけ、それを見ているうちに、揚げ出し豆腐が好きで、涙もろくて、神の手を持ち、傷付きやすく、懸命に仁の心で治療に当たっていた先生のことを思い出してきたということでした。そして、咲さんの耳に残る「修正力」という言葉のことを考え、先生のことを忘れてしまわないうちに書き残しておこうとしたようでした。

手紙の最後には、「橘咲は、先生をお慕い申しておりました」と書かれていました。 それを読んだ仁は、「私もお慕い申しておりました」と咲さんに向けて答えて泣いていました。

咲さんの手紙にあったように、病院の屋上から夕日を見ていた仁は、いつか全て忘れてしまうのだろうかと思いながらも、この世界は無数の奇跡で編み上げられていることを忘れないだろうと考えていて、さらに自分の手で未来に光を与えたいと決意し、夕日に手を伸ばしていました。

頭の怪我が完治したのか、医者に戻った南方仁は、ある日、病院に運ばれてきた脳腫瘍のある患者の女性が橘未来だと知ると、その執刀を願い出ていました。手術室で仁が未来さんの頭を切ろうとしたところで、バンと「完」の文字が出て、ついに「JIN -仁-」のドラマは終わりました。

2009年に「JIN -仁-」の最終回を見た時、ドラマの謎が解決されるものとして見ていた私は怒りにも近いようなとても残念な気持ちになってしまっていたのですが、今回の完結編ではそのタイムスリップの謎の部分が一応解決され、前作からの伏線は回収されたのだと思います。

それなので、完結編の最終話を見終わった後、私は本当はもっとすっきりした気持ちで「楽しかった!」と思いたかったのですが、何というか、今回の完結編の最終話も、私としては少しもやもやするというか、あまりすっきりしない終わり方だったように思えてしまいました。

最後の橘未来さんの手術の場面は、前作では仁が友永未来の手術を失敗させてしまったという設定だったため、私は橘未来さんの手術を仁は成功させることができるのだろうかと思いながら見ていたのですが、そのように思ったとたんに終了してしまいました。南方仁の考える「歴史の修正力」が発揮されるのかどうなのかは分かりませんでしたが、橘未来の手術は成功するといいなと思いました。

私は「JIN -仁-」の歴史の場面が好きだったということもあって、上野戦争やその後の明治維新の場面の描写ももっとあってほしかったようにも思いました。勝海舟や西郷隆盛の場面も最後は少ししかなく、私としては大村益次郎にも登場してほしかったのですが、最終回2時間スペシャルでもそのような歴史の要素を取り入れるには時間がなかったのだと思います。なので、見終わった後、あと2時間あれば良かったのかなと、勝手なことを思っていました。

タイムスリップと胎児型の腫瘍の謎も一応解決されて良かったです。どこへ行ったのだろうと思っていた包帯の患者の南方仁は、2009年10月11日の世界に残っていたということでした。

でも、包帯の仁を探して非常階段に来た2009年の白衣の仁は、ホルマリンの胎児を見て「戻るぜよ」という龍馬さんの声を聞いていたように思え、そして腫瘍による頭痛も起きていて、龍馬さんの声が、野口さんの説明のように、龍馬さんの血や細胞を仁が浴びたことで元々仁の頭の中にあった胎児型の腫瘍に龍馬さんの人格が移ったものだという説の通りで、仁の頭の中から聞こえていたのだとすると、龍馬さんの声が2009年の白衣の南方仁にも聞こえるということは説明できないように思えました。白衣の仁が包帯の仁と同一人物だったために聞こえたのでしょうか。でも、白衣の仁はまだ龍馬さんの細胞は浴びていません。もし摘出する際に腫瘍に触ったことを原因としてしまうと、過去へ行って龍馬さんの細胞を浴びる前にすでにその細胞が南方仁に取り込まれていたことになってしまうので、江戸時代で龍馬さんに出会って暗殺事件に遭遇して細胞を浴びたこととする説明では成立しなくなってしまうような気がします。謎です。

私としては、龍馬さんが海へ入って「見えんでも、聞こえんでも、おるぜよ」と仁に語りかけていた場面が良かったです。前回、龍馬さんが助からなかったことがとても残念だったのですが、それよりも本当の別れのような気がして寂しい気持ちになり、でも、龍馬さんはいるのだなと思い、やはり、内野聖陽さんの坂本龍馬はかっこいいなと思いました。

あまりすっきりしない、と私が思えたのは、タイムスリップをして来た人が元の世界に戻る時、その人と係わった記憶がなくなるという設定によるものだったということもあると思います。この設定はタイムスリップの話にはよくあると思うのですが、南方仁の名前が歴史に残っていないということ以上に、あんなに南方仁のことを大切に思っていた人たちの間から仁の記憶が完全になくなっているというのは、「夢落ち」のようで、私には少し残念に思えました。ドラえもんの映画「のび太と夢幻三剣士」を見た時にも私は少し残念な気持ちになり、それとは少し違うのですが、今回の「JIN -仁- 完結編」の最終話の後半を見て、この映画のことを思い出しました。

パラレルワールドという設定ならその歴史が多少違っていたとしてもその点は問題がありませんが、今までに南方仁が出会った幕末の人物たちもパラレルワールドの人物だったと思うと、それもまた私としては何となく寂しいような気がしてしまいます。私も過去の偉人たちに会ったことがないので何の問題もないはずですし、しかもドラマなので別に良いのですが、何となくそう思えます。

脚本は、ずっと森下佳子さんでした。エンディング曲は、前作はMISIAさんの「逢いたくていま」で、完結編は平井堅さんの「いとしき日々よ」で、どちらもドラマに合っていたと思います。ただ、前作が始まる前の予告編で流れていた中島みゆきさんの「二隻の船」は結局何だったのかなと、今でも少し気になっています。

私は原作の漫画は未読なのですが、「JIN -仁-」はとても良いドラマだったと思います。最後まで毎週楽しみにしながら見ることができて良かったです。

「“塀の中”の真実」

昨日、NHKの「爆問学問」のFILE149「“塀の中”の真実 その1」を見ました。爆笑問題のお二人が、2800人の受刑者を収容する日本最大の刑務所だという東京の府中刑務所を、特別矯正監の杉良太郎さんの案内で見て回っていました。

私はよく知らなかったのですが、杉良太郎さんはデビュー前から刑務所の慰問活動をしていて、50年以上刑務所に携わっている功績が認められ、2008年に法務大臣から「法務省特別矯正監」に任命されているのだそうです。特別矯正監は、刑務官の最高権威だそうで、全国各地の刑務所を訪問して刑務官や受刑者と話をしたり、刑務所の状態を国に報告したりするのだそうです。

杉さんは、受刑者に配られる給食を「検食」していました。朝食は和食でした。決して豪華ではないのですが、病院のメニューのように健康的な感じでした。杉良太郎さんは、ベトナムの孤児院の子供たちは一食一円、一日三円の食事をしていると話していて、上を見ればきりがないし下を見てもきりがない、日本人は恵まれた環境にいるからすぐに不満を持つようになると太田さんと田中さんに話していました。

受刑者の多くは薬物と窃盗で捕まった人たちだそうで、しかも再犯の人がほとんどなのだそうです。6割は刑期を終えた後5年以内に戻ってきていると聞いて驚きました。そして、60歳以上の受刑者が多いのだそうです。杉矯正監によると、昔の受刑者は我慢強かったらしいのですが、最近の受刑者はとてもキレやすいのだそうです。番組中にも度々ケンカも起きていて、その度に刑務官が走っていました。

太田さんと田中さんは、受刑者が出ている間の単独室へ案内されていました。独居房は単独室と呼ばれているそうです。必ず一人というわけではなく、二人収監される場合もあるそうです。内側にドアノブがないから不安になると田中さんが話していました。6人入る雑居房は共同室と呼ばれていました。紙の数も400枚と決められているらしく、個人の持ち物を持ち込んでもいいそうなのですが、それの貸し借りをしてはいけないのだそうです。マンガ雑誌を置いている人やファッション雑誌を置いている人など、それぞれでした。杉さんによると、昔の刑務所は息ができないほど臭かったそうなのですが、今はきれいになっているそうです。

入浴場も見に行っていました。1回15分で週に2、3回入ることができるそうです。外国の方の受刑者もいるらしく、何ヶ国語かで注意書きが書かれていました。

1日8時間の受刑者の刑務作業の報酬は一か月3千円で、時給は19円だと聞いて少し驚きました。平均4万円ほどの報酬金をもらって刑務所を出るのだそうです。「しゃば」と杉良太郎さんは言っていたのですが、刑務所を出た後の現実の生活は、とても大変なのかもしれないと思いました。受刑者になっていなくても大変だと思えるからです。

私は今のところ、例えば「モリのアサガオ」のような刑務所を舞台にしたドラマなどを見ることはあっても、実態については時々報道番組で見るくらいにしか知りません。私としては、自由がなく誰かに監視される規律の厳しい共同生活はとても大変だと思えるのですが、刑務所に戻って来る人が多いということは、それでも外の社会よりは良いという人や、慣れて平気になる人もいるのかもしれないと思いました。

最後、薬物依存から抜け出すための講習会に参加する受刑者の姿があったのですが、外に出た後、辛くなったり仲間に誘われたりして、再び薬物の誘惑に負けてしまう人が多いそうです。“依存”は怖いなと思いました。

私は最後まで見ていてようやく今回が前編であることに気付きました。次回後編を放送するそうです。

「時代劇をいろどる殺陣」

先日、NHKの「DEEP PEOPLE(ディープピープル)」の「時代劇をいろどる殺陣」を見ました。私は殺陣に詳しくないのですが、殺陣師の方の話はとても面白かったです。

ゲストは、大河ドラマの殺陣を指導している林邦史朗さんと、東映時代劇の流れをくんだ華麗な“チャンバラ”の殺陣を目指している清家三彦さんと、俳優の松方弘樹さんでした。

殺陣では「竹光」という本物の刀のように作られた木製の刀が使われているそうなのですが、竹光といっても切先は尖っていて危なく、怪我をしないようにしなくてはいけないので基本的にぶつからないように演技をしなくてはいけないため、殺陣ができることと、剣道ができることは別なのだと聞いて、なるほどなと思いました。松方さんによると、相手がぶつかってきて小道具の竹光がぼろぼろになり、画面に刀を見せて決めることができなかったことがあるそうです。

林邦史朗さんは、殺陣師としては珍しいのだそうですが、いろいろな武道を学んだそうで、現実の武術で使うようなリアルな演出をするのだそうです。大河ドラマ「風林火山」で内野聖陽さんの山本勘助に指導している映像もあって、「風林火山」が好きな私には、それも少し嬉しかったです。

清家三彦さんは、敵の動きも利用した華やかな立ち回りを演出するそうで、水戸黄門の最後の場面の東幹久さんの助さんと的場浩司さんの格さんの立ち回りを指導している映像があり、そういわれて見るとこのような立ち回りをしているなと思えて面白かったです。

「残心」の解説も面白かったです。私も残心をよく知らず、「心を残す」と書くことから余韻のような感じかなと思っていたのですが、残心は、気を抜かないことや意識をし続けることからくる、次の動きに繋げる所作だったようです。

斬られ役にランクがあるという話も面白かったです。主役を直接斬りに向かう人は、Aランクの人だそうで、監督に「兄ちゃん寝とき」と言われて画面の隅で倒れている役の人はまだ下のほうのランクの人だそうです。昔は一人の主役の役者さんに何人もの専属の斬られ役の方がついていたということにも驚いたのですが、今はそのようなことがないので、斬られ役の動き方が分からない役者さんが多く、指導するのが大変なのだそうです。殺陣にはチームワークが大切なのだなと思いました。

そして、斬られ役で有名な福本清三さんも登場していました。殺陣師の林さんと清家さんと松方さんが、それぞれ殺陣を演出していたのも楽しかったです。東映京都撮影所で活躍する「東映剣会」の福本清三さんと木下通博さん、浜田隆広さんの演じる3人の武士を相手に立ち回りをする内容だったのですが、それぞれの演出によって違いがあって楽しかったです。斬られ役の方がすぐに説明された動きを理解していた様子だったのもすごいなと思いました。

清家さんは最初に傘を持っていて、3人の敵の刀の動きに合わせて傘で避けながら、盾のように開いた傘を斬ったばかりの敵に持たせて次の敵を切るというようなこともしていて、最後に紙吹雪が舞ってきそうな華麗さがありました。

林邦史朗さんは、無刀取という何も持っていない状態で素手で相手の刀を奪って戦うという殺陣を披露していました。遠くから映していたので少し地味にも思えたのですが、実践的で素早くて迫力がありました。最後にさっと血を払う動作をして刀を納めていました。

静と動を意識していると話していた松方弘樹さんは、緩急のある動きで立ち回りをしていて、役者を見せる場面を作っていました。

確かに時代劇ではこのような殺陣の場面をよく見るなと思えて面白かったです。殺陣は「命のやりとり」をする場面ではあるのですが、上手い刀裁きを見るととてもかっこいいなと思います。

でも、最近は、時代劇そのものも少ないですし、林さんが指導しているというNHKの大河ドラマでも、あまり殺陣の場面を見ないような気がします。大河ドラマの「天地人」では、なぜか殺陣の場面でスローモーションがかかっていたこともあり、私には不自然に思えてしまいました。それなので、林さんがこのような演出をどのように思っていたのか、少し気になりました。他のテレビ局はまだよく分からないのですが、TBSでは来月から「ハンチョウ」の後にまた水戸黄門の新作の第43部が始まるそうで、清家さんが指導しているということを考えながら見てみようかなと思いました。
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