「幻の祝祭~1940東京オリンピック物語~」

NHKのBS1で、「BS1スペシャル」として放送されていたドラマ「幻の祝祭~1940東京オリンピック物語~」を見ました。

夜の7時からの放送時間には見ることができなかったので、後で録画をしておいたのを見たのですが、とても良かったです。

ドラマとドキュメンタリーの要素で構成された作品でした。2020年に開催されることが決まった東京オリンピックに向けて作られたものなのだと思うのですが、その頃の時代と今の時代には共通するような時代の空気感もあるような気がしました。

ドラマは、膝の怪我のために引退せざるを得なかった元陸上長距離選手の少しやる気のない新聞記者の佐藤走(阿部力さん)が、面倒見の良い先輩(二階堂智さん)の指示で2020年の東京オリンピック関連の記事の題材を考えていたある日、会社から帰宅する途中の深夜、照明の付いた駒沢陸上競技場のトラックを一人で走っている白い運動服姿の山下さんという礼儀正しい青年(森廉さん)と出会い、その東京オリンピック出場を目指して練習を続ける山下さんが山下勝さんという戦前には「陸上長距離競技界の至宝」と言われていた人だと知り、取材を始める、というものでした。

「幻の東京オリンピック」というのは、1940年(昭和15年)の9月21日頃から当時の東京市の駒沢で開催される予定になっていた東京オリンピックのことでした。昭和5年頃から招致活動を始め、昭和10年頃に東京での開催が決まったそうで、当時の東京は開催に向けて盛り上がっていたそうです。

しかし、昭和12年に支那事変が起こり、それまで馬術の競技などに選手を送る予定でいた陸軍がオリンピック開催を反対し始め、日本は昭和13年にオリンピック史上初めて、開催を返上してしまったのだそうです。開催地は東京からフィンランドのヘルシンキに変更されたそうなのですが、第二次世界大戦の悪化により、結局オリンピックそのものが中止となってしまいました。

ドラマによると、2020年の東京オリンピックに向けて作られる新しい国立競技場の収容人数は約8万人だそうなのですが、1940年の第12回の東京オリンピックで使われる予定だった駒沢陸上競技場の収容人数h、約11万人だったそうです。もし開催されていたら、すごい規模の大会になっていたのかもしれないなと思いました。

ドラマの山下勝さんが憧れていた村社講平さんは、宮崎県出身の元市民ランナーで、中央大学へ入学後のベルリンオリンピックで日本新記録で4位に入賞したという長距離の選手でした。ベルリンオリンピックの記録映画にも、その時の姿が収められていました。番組では、村社さんの娘さんの恵子さんに、村社さんについての話を聞いていました。村社さんは、「走即人生」とよく言っていたそうで、走ることが大好きな方だったということでした。恵子さんたち家族にベルリンオリンピックの自慢話や1940年の東京オリンピックが返上になることについての話などをすることはなかったのだそうです。でも、恵子さんが見せてくれた村社さんの当時の日記帳には、東京オリンピックがなくなるかもしれないことや、世の中が軍国主義に傾いていくことへの気持ちが正直に綴られていたようでした。

1940年の東京オリンピックを開催するために諸外国に説得を続けていたという嘉納治五郎さんは、昭和13年に帰国する船上で亡くなってしまったのだそうです。

ドラマの新聞記者の佐藤さんは、深夜1時過ぎの駒沢競技場で長距離1万メートルの練習を行う山下さんが、スマートフォンでの映像にも映らず、2時3分になると走りながら消えていき、競技場のライトも落ちるということを不思議に思いながらも、同じ長距離の選手である山下さんの遺された思いに共鳴し、東京オリンピック出場を目指す山下さんの練習に付き合うことになっていました。

それまで佐藤さんは、スマートフォンで撮影するというインタビューを行っていたのですが、大事なところをメモに書くようにと言っていた先輩の言葉を思い出したのか、山下さんがデジタルの記録には残らないということを思い出したのか、メモを取り出して、山下さんにインタビューをしていました。

もしもオリンピックがなくなったら山下さんのゴールはどこなのかという質問には、山下さんは分からないと答えていたのですが、短距離の選手の闘争心の強さとは違い、長距離を走っていると対戦者同士が仲間に思えてくると話していた山下さんは、関東大震災で被災し走りたくても走ることができなかった仲間の代表として走り続けたい、みんなが安心して走ることのできる世の中を作りたい、というようなことを、佐藤さんに話していました。

山下さんは、1939年の第20回の箱根駅伝の3区で区間新記録の活躍をし、専修大学を初優勝に導いた方だそうです。村社さんに憧れ、村社さんに勝ちたいと願っていた山下さんは、全日本選手権6連覇していた村社さんと直接対決で勝って優勝したのだそうです。

しかし、佐藤さんが調べていた昔の新聞記事によると、「至宝」と呼ばれていた山下さんは、歩兵の一等兵として徴兵され河北の戦線に送られ、昭和17年の24歳の時、そこで「壮烈な戦死」をしたということでした。

佐藤さんと練習を続けていた深夜を、山下さんはお昼の頃と思っていたようだったのですが、山下さんがオリンピック本番だと思って本気で走るからタイムを計ってほしいと、佐藤さんに手渡した腕時計は、表面のガラスが割れていて、針は2時3分で止まったままになっていました。それは、山下さんが戦死した時刻だったようでした。最前線の山下さんは、銃撃され、膝を押さえながら倒れていました。

タイムを計ってほしいと頼まれた夜は時間が来てしまったので、佐藤さんは次の夜、競技場に自然に現れた山下さんとその続きを始めていました。

山下さんがスタートを切って走り始めると、その後から、幻の東京オリンピックを目指していたかもしれない選手たちが続き、現れた満員の観客たちが歓声を送っていました。

「むらこそ!」という応援の声を聞いた佐藤さんは、山下選手のすぐ後ろを村社選手が走っているのを見つけていました。佐藤さんは山下選手に声援を送り続け、ついにゴールを切った山下さんは、村社さんに東京オリンピックで勝ったのでした。

ゴールを喜んだ山下さんは、しかし、突然降ってきた雨に打たれながら、東京オリンピックが戦争のために開催されなかったことを思い出し、自分が戦死したことも思い出したようでした。そうして山下さんは、ありがとうございました、おかげでゴールが切れました、と佐藤さんに一礼して、再び雨の中を走りながら静かに消えていきました。

山下さんの魂を見送っていた佐藤さんは、「未来」のことを思いながら、「幻の祝祭」の署名入りの記事を書き上げたようでした。

2020年に開催される2回目の東京オリンピックが本当は3回目だったかもしれないこと、馬術の競技に出場するはずだった西竹一さんも硫黄島で戦死したこと、オリンピックに出場したくても出場することので気なかった山下さんのような人たちが当時たくさんいたこと、2020年の東京オリンピックが笑顔の溢れる大会になってほしいことなどが、佐藤さんの記事に書かれていました。

最後は、お昼の2時3分頃の、青空の下の明るい駒沢競技場のトラックを佐藤さんが走る場面で終わっていました。佐藤さんの「走」という名前は、「かける」と読むようでした。

脚本と演出は、毛利匡さんでした。

ドラマの途中の15分にBSニュースが挟まれていたので、後半が録画されていなかったらどうしようと少し心配してしまったのですが、大丈夫でした。無事に最後まで見ることができました。

2020年の東京オリンピックに向けた作品だと思うのですが、山下勝さんが専修大学を初優勝に導いた方だということなので、お正月の箱根駅伝にもつながるのかもしれないなと思いました。

たくさんの若い人たちの犠牲の上に今の社会は成り立っているのだということは、戦争の話の時にはよく言われることですし、私にもよく分かるのですが、今回のドラマではそのような「戦争」のことを中心的には描くのではなく、走り続けることへの思いを遺して亡くなった山下さんと現代の元長距離選手の記者の佐藤さんとの適度な距離感のある短時間の交流を軸として丁寧に描かれていたように思います。そのようなところが良かったのだと思います。

ドキュメンタリードラマだったのですが、単純にドラマとしても良い作品だったように思います。主な登場人物は3人だったのですが、阿部力さんの記者の佐藤さんも、森廉さんの幽霊の山下勝さんも、二階堂智さんの先輩記者さんも良かったですし、映画のような映像も音声も、静かな雰囲気も、とても良かったです。

幻となってしまった東京オリンピックへ山下さんたちが出場することができていたなら、佐藤さんが言っていたように、きっと伝説の選手になっていたのだろうなと思います。

その無念の感じが、少し微笑みながら消えていった幽霊の山下さんによく表れていたような気がして、悲しい気持ちになりました。悲しいのですが、でも、何か晴れやかさの残るドラマでした。

ドラマの中の山下さんが心配していたような世の中の「戦争」の雰囲気は、(先日の安倍総理大臣の靖国神社の参拝のことも含めて)今でもあるように思えるので、このドラマを見て、2020年に予定されている東京オリンピックも、開催されるのなら無事に開催され、たくさんの人たちが楽しい気持ちで参加することのできる大会になるといいなと思いました。

今年に私が見ることのできるドラマはこれで最後なのだと思います。年末の最後の最後にすてきなドラマを見ることができて、良かったです。

「劇場版 SPEC~結(クローズ)~」

先日、TBSのドラマだった「SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~」の完結編となる映画「劇場版 SPEC~結(クローズ)~」を見に行きました。

前篇の「漸(ゼン)ノ篇」は11月に見に行き、後篇の「爻(コウ)ノ篇」を先日見に行ったのです。もしもこの作品を見るのなら今年の内に見たいなと思っていました。

現在公開されている映画のことなので、あまり細かい内容を書いてはいけないと思うのですが、少しだけ書きたいと思います。

野々村光太郎(竜雷太さん)や正汽雅(有村架純さん)のいた「漸ノ篇」は、それでもまだドラマの続きのような展開にも思えたのですが、「爻ノ篇」は完結する「SPEC」の物語として、当然のことなのかもしれないのですが、今までとは異なる、新しい話だったように思います。CGによる表現もこれまで以上に多用されていたようでした。

脚本は西荻弓絵さん、監督は堤幸彦さん、プロデュースは植田博樹さんです。映画の主題歌は、THE RiCECOOKERSの「audioletter acoustic ver.」(漸ノ篇)と、「audioletter」(爻ノ篇)でした。最後の当麻さんの場面に流れていた挿入歌は、佐野元春さんの「彼女」という曲だそうです。

「ガイア」(「ガイア理論」のガイアのようです)が意志を持って平行して存在する世界(パラレルワールド)を行き来しているのではないか、ということが「漸ノ篇」で言われていたのですが、そのパラレルワールドとなっている平行世界同士をつなぐ「ソロモンの鍵」となる存在が、当麻紗綾(戸田恵梨香さん)でした。

「パラレルワールド」がある物語に登場することは悪いことではないと思うのですが、ただ、「世界」は無数に存在し、正解は一つではない、ということ自体には納得することができるとしても、「パラレルワールド」には「夢」と同じように全てのことを正解にしてしまう要素があるとも思うので、「パラレルワールド」の存在を面白いと思うのと同じくらい、一つの物語がその要素で帰結してしまうのを、私としては、少し残念のようにも、寂しいようにも思えてしまうのです。今回の「SPEC」の場合もそうでした。

それでも、当麻さんと瀬文焚流(加瀬亮さん)の場面は、とても良かったと思います。物語の最後のほうになって登場してきた白い服のセカイ(向井理さん)の策略から人類を守ろうとする当麻さんと、当麻さんを守ろうとする瀬文さんの関係性は(一視聴者の私としてはそれは「恋愛」ではなく絆とか、一体感とか、そのようなものだと思うのですが)、すごいなと思いました。

最後の場面も、その直前の当麻さんと瀬文さんの描写が辛いものだったこともあって、最後の最後は、透明な感じのする美しい場面でしたし、何というか、少しほっとしました。最後に掴んだのが左手だったのも良かったです。これまでもずっと強靱な身体と精神の「不死身」の瀬文さんでしたが、今回の映画の中でも本当に強かったです。

「パラレルワールド」のもう一つの世界と交代し、無限地獄のような亜空間を時間も場所も超越して永久的に漂うことになってしまったらしい当麻さんの姿を、瀬文さんだけが心の目で見つけることができたのかなと思いました。

そのような当麻さんと瀬文さんの描写は、この映画の中では、良かったと思います。

この作品のギャグというか、コメディの要素に関しては、私には何となく無理矢理の感じもしてしまって、今回の映画に必要だったのかなと、少し気になりました。

連続ドラマとしてテレビで放送されていた時の「SPEC」は、シリアスとコメディのバランスが良かったように思うのですが、映画化へ向けてなのか、刑事ドラマだった連続ドラマの時よりも少しずつ話が大きくなり、次第にシリアスの部分ほうが多くなっていったように思います。

哲学的な説明の多いのも、それはそれで良いと思うのですが、そのためにドラマの時には合っているように思えていたコメディの部分を少し邪魔に思えてしまうような時が、今回の映画を見ていた私には、時々ありました。

「チームSPEC」の登場も、「SPEC」の映画としては必要なのだろうとは思うのですが、セカイ(あるいは神)との対決の場面だと思うと、現在蔓延している人類とは異なる「先人類」たちの霊体である八咫烏の群れの描写などのそれまでの緊張感が弱まってしまうようで、私には少しもったいないようにも思えました。

スペックホルダーたちを「シンプルプラン」で少しずつ殺そうとする権力者たちによる国際会議には、セカイの兄で世界最古のスペックホルダーの末裔の「卑弥呼」という人物が登場していて、その卑弥呼が、死んだスペックホルダーを召喚する能力を持つ当麻さんに、左腕だけではなく右腕も使うようにと伝えていました。そのような場面までは良かったと思うのですが、私としては、演じている北大路欣也さんが顔を見せる必要性も、特になかったように思えました。事情があるのだろうとも思うのですが、声のみのほうが、能の装束の「卑弥呼」としては深みのようなものが出たのではないかなと思いました。

人間は欲深くて汚い、権力志向ですぐに差別をするし、核戦争を起こしてますます地球を汚している、というような、セカイや白い服の大人の青池潤(大島優子さん)の意見は、私にもよく分かるのですが、だから人類は滅ぶべき悪い存在だ、というような意見は、少し「道徳的」のような気がします。それに、核戦争を起こさないまでも、自分だけが生き延びるというところに現れるような「欲」は、人間以外の生物にもあるように思えます。

「歴史は繰り返す」ということでもあると思うのですが、結果的に過去の出来事を「パラレルワールド」として別世界のことのようにして忘れてしまっては、検証することも、そこから反省することもできないように思いますし、映画の中のセカイが消したかった今の人間たちは、「ガイアの意志」によって今のような存在になったのだとするのなら、そのまま少しずつ、滅亡するのなら滅亡していくのだろうなと思います。

今回の「結」でもまたキリスト教関連のモチーフが使われていたことも、それほど魅力的な物語を持つ宗教なのだろうということは何となく分かるのですが、やはり少し気になりました。そのこと自体もそうなのですが、今回の「結」に「先人類」という要素を持ち出すのなら、ユダヤ教やキリスト教よりももっと古い宗教や信仰を取り入れたほうが良かったのではないでしょうか。

それに今回の映画では、テレビドラマでは作れないものということでもあるのかもしれないのですが、血も多く流れていましたし、グロテスクな感じの描写も多かったように思います。

そのようなことを考えても、私にはやはりテレビの連続ドラマだった時の「SPEC」が、一番面白かったのだと思います。

私は連続ドラマの「SPEC」を好きで見ていたので、今回の映画まで見てきたのですが、ドラマの甲の回、乙の回、丙の回、丁の回、戊の回、己の回、庚の回、辛の回、壬の回、癸(起)の回、そしてスペシャルドラマの「翔(承)」までの、未詳とスペックホルダーたちの戦い、ニノマエ(神木隆之介さん)との戦いが、「SPEC」だったような気もするのです。スペックホルダーたちの個性も丁寧に描かれ、物語に活かされていたような気がします。

私は、映画の「天(転)」は映画館ではなくテレビの放送で見たのですが、当麻さんと瀬文さんが出会う前の物語を描いていた漫画原作のスペシャルドラマの「零」は、「天」の要素を取り入れた「結」に向けての補足のドラマで、面白かったとしてもそれはスピンオフのような作品というか、それまでの通常の「SPEC」とは異なる作品だったように思いますし、やはり映画の「天」と「結(漸ノ篇、爻ノ篇)」は、それ以上に、ドラマの「SPEC」とは異なるもう一つの「SPEC」として見たほうがいいのかもしれないなとも思いました(あるいは、これも「パラレルワールド」なのでしょうか)。

一視聴者の私には、制作されたものを見ること以外にはどうしようもないのですが、例えば今回の映画で当麻さんを「鍵」にしなければ、当麻さんはこれまで通り、スペックを持つ刑事として、瀬文さんと一緒に不思議な犯罪に絡むスペックホルダーたちを追うことができ、当麻さんの仲間になったスペックホルダーたちもこれまでのように対等な存在として、当麻さんたちと一緒に活躍することができたのではないかなと思います。

「SPEC」という作品を作った方の思想が反映されているのだとしても、セカイという「神」のような存在、「スペックを持つ人間」ではない存在が登場することになってしまったことは、刑事ドラマだったはずの「SPEC」としては、少し残念なことのように思えたのです。

大量の餃子を食べる「未詳」の刑事の当麻さんと瀬文さんが「存在しない」ようにいなくなってしまったのは、寂しいことだなと思います。今回の「結」の映画がドラマからの「SPEC」の「完結篇」なのだとしても、主役の二人が「いない」ということにはしないでほしかったです。当麻さんと瀬文さんには刑事でいてほしかったです。ニノマエにも、ニノマエでいてほしかったような気がします。

私は昔の「ケイゾク」というドラマを見ていません。そのため、「SPEC」の中に「ケイゾク」の要素が入っていたとしても、「朝倉」というそのドラマの犯人?の名前以外は、私にはその点をほとんど分からなかったのだと思います。ただそれは仕方のないことですし、見ないほうが良かったということとは違うのですが、映画を見終わって、もう一つ別の「SPEC~結~」を見たかったようにも思いました。

このような結末を残念に思えるのと、これはこれで良かったのだと思えるのと、今は同じくらいなのですが、いつかこの映画がテレビで放送されるのを見たなら、印象はもう少し違うものになるかもしれません。私としては、最後まで単純に面白かったのは(最後まで登場していたわけではないのですが)、ミイラ状に凍らされていた北村一輝さんの演じていた刑事の吉川州さんでした。「翔」からの登場人物なのですが、楽しいキャラクターだったなと思います。

国民年金の保険料を強制的に徴収するということ

報道によると、厚生労働省は2014年度から、国民年金の保険料を13か月以上支払っていない人全員に、保険料を滞納しているとして、督促状を送り、延滞金を科したり、財産の差し押さえをしたりして、強制的に徴収をすることに決めたのだそうです。

2014年度は年収400万円以上の方を対象にするとしているそうなのですが、段階的に拡大し、最終的には所得制限を外し、年収の金額の多い少ないに関わらず、未納者の全員に督促状を送付するのだそうで、2014年度の予算案には「督促」に必要な費用、郵送費や人件費などに、53億5000万円を計上したのだそうです。

国民年金というのは、20歳になった日本人の全員が60歳までほとんど自動的に加入し、「相互扶助」の考え方、あるいは加入者(被保険者)の将来の生活を安定させるためとして、毎月約1万数千円の保険料の支払いを、「国民の義務」として支払うよう促されるもので、公務員や会社員になった方は「厚生年金」に加入することになり、それ以外の方は「国民年金」に加入することになるそうなのですが、「厚生年金」の加入者の保険料は、例えば会社員の場合は、会社と会社から支払われるお給料の中から「天引き」をされる仕組みだそうです。

現在年金をもらっている方、これまできちんと保険料を支払い続け、もう少しで年金を受け取ることができそうだという方たちからすると、保険料の納付率が下がっているという事態は、心配なこと、あるいは不公平のように思えることなのかもしれないとは思うのですが、私には、どちらかというと、若い人たちから毎月(高額の)保険料を徴収し、それを運用した中から、これまで保険料を決まった年数分納めてきた高齢者の方たちに毎月数万円ずつ支払われるという「年金」の制度自体が、少し間違っているような気がしてしまうのです。

厚生年金にしても国民年金にしても、加入者の将来の生活のことを考えての国の制度だとするのなら、加入自体を任意にして、保険料を積み立てる仕組みにするべきではないかと思います。現在高齢者の方の生活を補うためのものだとするのなら、福祉や医療などの社会保障を改善し向上させるという名目で引き上げられることが決まった消費税のような税金の中から支払われるべきではないかと思います。

国民の一人一人が「義務」として個人的に支払う国民年金の場合、国民年金の運営を任されている民間の企業(団体?)が毎月振り込みのための用紙を加入者に送るそうなのですが(銀行や郵便局などからの引き落としの設定にしていない場合だそうです)、「ユニセフ」と同じくらい、その用紙や送付にかかる費用を無駄遣いにしているように思えてしまいます。

その費用を年金の加入者に受給するお金として大切に残しておけば、保険料そのままの金額と合わせて、「滞納」している方たちから強制徴収などしなくても、十分に足りるように思います。

年金というのは、毎月、毎年、決まった年数を続けて支払っていなくては、受給資格がないとされ、例えばある数年間だけ毎月数万円の保険料を支払っていたとしても、それは「掛け捨て」ということになってしまい、辛うじて金額の何割かが支払われるか、支払われないことになってしまうそうです。

保険料を未納にしている方が将来年金を受け取ることができないということは、最初から説明されていることだとすれば、(国民の生活の安全性を考える上では、それも少しおかしいことのような気がするのですが)それは仕方のないことなのかもしれません。でも、そのことを知っていて、それでも生活費にゆとりがなくて保険料を支払っていない、支払うことができないという方たちから「督促状」で強制的に保険料を徴収する、「延滞金」を支払わせる、財産を差し押さえるというのは、政府がその方たちのことをまるで犯罪者のような扱いにしているようにも思えます。それとも、年金機構はいわゆる「闇金融」のようなもので、「滞納」している方から保険料を強制徴収することを借金の返済のように考えているのかなという風にも思えます。政府は日本の国民の生活上の「幸福」というものを全く考えていないようにも思えてしまいます。

数年前には、厚生年金と国民年金を一元化しようという話が出ていたように思うのですが、旧社会保険庁の年金が消えたという問題が出たこともあって、その話自体が最近ではほとんどなされていないのかもしれないなと、少し残念に思います。ただ、「一元化」をしなくても、年金のシステム自体が破綻したものとなっているようにも思えます。

ささやかな人生の内にその人が残している僅かなお金を、「国民の義務」の「年金保険料」として、政府が「督促状」や「財産差し押さえ」で無理矢理奪うような形で搾取するというのは、本当に酷いことのように思います。私には、どうしてもそのようなことが正しいことのようには思えないのです。

裕福というのではなくても少し貧しくても静かに穏やかに楽しく暮らしたいというような人たちの生活の自由を認めず、そのようなことを決めてしまう今の安倍内閣は、歴史の授業で習った、あるいは時代劇で描かれる、農民を厳しい年貢の取り立てで苦しめる悪い領主のようです。

年金の保険料として納められた20歳以上(現代では学生の方も多い20歳から加入するというのも不思議に思えるのですが)の国民のお金は、支給される年金以外にも使われているそうですし、これからもその不思議な使い道のために厚生労働省は納付を強制するということなのかもしれないので、やはり国民個人のそれぞれの「幸福」という点までは考えられていないのかもしれません。

もしも国民一人一人の生活の安定のためというのなら、それぞれの仕事で得ることのできたお給料から貯金や預金などの貯蓄を増やすように奨めるべきで、僅かな貯蓄の中のほとんどを保険料に費やすようなことになったり、保険料の支払いのために働くというようなことになるというのは、国民の生活を守るはずの日本の政治のすることではないように思います。その人の貯蓄よりも先に、保険料を支払うことが優先されるかもしれないというのは、奇妙なことだと思います。

13か月以上未納の方に強制的に支払わせるということが、その年の13か月、あるいは1年間の内に少なくとも1か月分でも支払ってくださいということなのか、これまで支払っていない分の全額を延滞金と合わせて支払うようにということなのか、具体的な内容はまだよく分からないのですが、来年の2014年度からそのような制度が始まるということを報道で知って、何だかとても怖いことのように、私には思えたのです。

天皇陛下が80歳のお誕生日を迎えられた23日には、安倍政権は独断でPKOを通じて1万発の自衛隊の銃弾を南スーダンで活動している韓国の軍隊の要請を受けて提供したそうですし、昨日の26日の朝には、就任1年の安倍首相(総理大臣)は靖国神社の参拝を決行したそうです。突然参拝すると打ち明け、その時間までにマスコミ関係者は靖国神社に集まってきていたそうです。ニュースで知って、驚きました。

国会で話し合うということをせずに安倍総理が独断で決めてしまうようになると、それはやはり独裁政治になってしまうような気がします。前回の第1次安倍内閣の時にも、戦争に傾いていきそうな不安な感じがあったのですが、2度目の今の第2次安倍内閣も、そのようになりそうな不穏な雰囲気があるような気がします。

戦争を起こさないための平和の誓いであるとしながら、近隣の国と同じようにお互いに強硬な姿勢であることを主張し合うというのは、復讐が復讐を呼ぶようで、日本の国のためにも良くないことのように思えます。戦争で亡くなった多くの方の魂が奉られているのだとしても、靖国神社が神社であるなら、その参拝は政治に利用されてはいけないものだと思います。

そのような報道が続いている中で、さらにその国民年金の保険料を来年度から強制的に徴収するということを報道で知って、私にはとても怖く思えてしまったのです。

憲法でも、公共の福祉に反しない限りで個人の幸福を追求することが認められているように、もしも「年金」がその「福祉」に含まれるのだとしても、幸福を追求する権利はあるはずなので、裕福な暮らしをしているわけではない国民から無理矢理にその人のお金を徴収するようなことはしないでほしいなと思います。

私には、保険料を支払うこと、あるいは年金に加入することそのものも、任意にしたほうがいいように思えます。それでも、今の制度を政府が変えず、どうしても保険料を納めることを「国民の義務」というものとするのなら、例えば増税が決まってしまった消費税の中に組み込むとか、減額をして正式に「税金」とするとかにしたほうが、まだ良いのではないかと思います。「アベノミクス」で景気が良くなったと思えているのは、一部の人たちのような気がします。

特定秘密保護法もほとんど説明のないまますぐに決められてしまい、東日本大震災などの復興も、福島第一原子力発電所の事故の処理もまだできていないのに、国民年金の保険料の「督促状」などという脅迫のようなものによって苦しめられる一般市民を増やすというのは、本当に酷い政治のように思えますし、日本の社会の空気に何か不穏な感じ詰まってくるような気がして、少し憂鬱な気分になります。

一市民の私の意見が政治に反映されることはないだろうと思うのですが、「国民年金」という制度に良い点があるのだとしても、ささやかな幸福を求める各国民の生活が壊されてしまうような強制的な保険料の徴収(納付)というようなことは、行わないでほしいなと思います。また、国民が納付した年金の保険料を預かった厚生労働省や年金機構の方たちは、支払う意志のある方が自ら支払ったお金を、その方のために丁寧に扱っていてほしいなと思います。

先日、「今年の漢字」は「輪」であると発表されていましたが、私には、日本は少しも「輪」になっていないような感じがします。あるいは、輪は小さな輪で一部の場所にまとまり、その周囲には輪に入りきれなかったものたちが溢れてパラパラと散っていくような感じがします。

クリスマスの終わったばかりの、もうすぐお正月の年末なのにも関わらず、何か不気味な薄暗いような方向へ、社会や個人の人生が進んでいくような、少し暗い思いがしてしまいました。

世の中の仕組みをよく知らないような私の考え方が正しいとは限らないとも思うのですが、様々な人たちがそれぞれ何となくでも幸せに暮らすことができるような、何か良い方法があるといいなと思います。

「スケート靴の約束」

テレビ東京のXmas特別ドラマ「スケート靴の約束」を見ました。

テレビ愛知開局30周年記念ドラマということで、ドラマの舞台の中心に存在していたのは、名古屋にある、伊藤みどりさんや浅田真央選手、村上佳菜子選手など多くのトップスケーターを輩出したという「大須スケートリンク」でした。

ドラマの主な登場人物は、名古屋で祖父の代から続くひつまぶし屋さんを営んでいる元甲子園球児の水元耕一(別所哲也さん)、その妻で元フィギュアスケート選手の水元さとみ(安田成美さん)、母親の勧めでフィギュアスケートを習い、有力な選手に育っていた高校生の長女の葉子(小芝風花さん)、絵本作家になりたいと日々絵本を作っている小学生の次女の紗綾(本田望結さん)、葉子さんを教えている竹井コーチ(かたせ梨乃さん)、竹井コーチやフィギュアスケーターたちを見守る山野連盟役員(角替和枝さん)でした。

学校帰りの夕方、スケートの練習に向かうために急いで自転車を走らせていた葉子さんは、交通事故で視力を失ってしまうのでした。

葉子さんは、高校の教頭先生(金田明夫さん)から養護設備のある学校へ転校するよう伝えられても、今までと同じ高校に通いたいと、穏やかに明るく振る舞って乗り越えようとしていたのですが、母親のさとみさんは、フィギュアスケート選手になりたいという自分の夢を娘に押しつけたのがいけなかったのではないかと、葉子さんの事故を後悔する毎日を送っていました。

葉子さんは、知り尽くしているという大須スケートリンクで最後の演技を家族や練習生たちの前で披露し、姉のスケートに感動した紗綾さんは、姉の小学校4年生の頃の作文に、将来の夢はオリンピックで金メダルをとることだと書かれているのを読んで、それから姉の昔のスケート靴を見つけて、私にスケートを教えて、と姉に頼んでいました。

靴の履き方を教えてもらい、葉子さんの手につかまりながら、スケートリンクの上を歩き出した紗綾さんは、スケートって面白い、と進んで練習を始め、竹井コーチも注目するほど、スケートを上達させていきました。

しかし、葉子さんのことで不安になっていたさとみさんは、紗綾さんがスケートを習うのを辞めさせようとしていました。さとみさんは、夫の耕一さんに、紗綾が自分たちの元から離れて手の届かない遠くへ行ってしまうようで怖くて仕方がないのだと話していました。

紗綾さんが楽しそうにスケート靴を履いてリンク上を滑るのを嬉しそうにしていた葉子さんは、自ら食事制限までする紗綾さんが、自分の意志でスケートを始め、最初は姉の代わりに姉の夢を叶えるのだと言っていたけれど今では自分の夢としてそれを叶えようとしているのだということを、母親に伝えて説得していました。

荒川静香さんのトリノオリンピックの頃の映像を繰り返し見ていた紗綾さんは、バッジテストの日、紗綾さんと同じ年齢ながら大人の選手のような演技のできるフィギュアスケート選手の坂井昌美(本田真凛さん)の存在を知って衝撃を受けるのですが、もっと強い選手が世界にたくさんいると葉子さんに教えられ、練習を続けていました。

テストに合格した紗綾さんは、野辺山合宿に参加をすることになりました。さとみさんと葉子さんも付き添い、紗綾さんの様子を見ていたのですが、そこで母親を散歩に誘った葉子さんは、目が見えなくなったことで分かるようになったこともたくさんあると楽しそうに話し、葉子さんにスケートを習わせていたことに負い目を感じるようになっていた母親に、スケートの練習に反発していた頃も私は楽しかったのだということを伝えていました。さとみさんは、葉子さんと良い時間を過ごすことができていると名古屋の耕一さんに電話で話していました。

野辺山合宿で紗綾さんは、伊藤みどりさんや浅田舞さんに直接指導を受けていました。竹井コーチは、今度のテストでは確実な2回転を飛ぼうと勧めていたのですが、早く坂井さんのようになりたい紗綾さんは、竹井コーチに首を振って3回転の練習を続けていました。

そうして瞬く間に上達した紗綾さんは、ノービスの選手権大会でジャンプを決めて優勝し、山野連盟役員や竹井コーチが考えていた海外遠征の話が現実になってきました。

さとみさんも耕一さんも、紗綾さんが優勝したことには喜んでいたのですが、いつか挫折をする苦しみを味わうことになってしまうかもしれないという不安も残されていました。

一握りの数名の選手しか活躍することができないフィギュアスケートとは自分との戦いの続く孤独なスポーツなのだということを山野さんから聞いていた父親の耕一さんは、紗綾さんと公園を歩きながら、さとみさんにも話していないという甲子園球児だった高校時代の話を紗綾さんに話していました。

耕一さんは、中日ドラゴンズの2軍の監督就任が決まった同級生の柏木武(高杉亘さん)が甲子園ではそれほど活躍しなかったのにドラフト1位で指名され、自分はホームランを打ったのにドラフト6位だった、ドラフト6位もドラフトで選ばれるという点ではすごいことだが、自分が同級生の「お味噌」として選ばれたことを知って悔しく思い、そのことがどうしても気になってプロ野球選手になる夢を諦め、実家のひつまぶし屋を継いだのだということを紗綾さんに話しながら、才能は自分で見つけるものではなく、人に見つけてもらうものなのだ、お父さんはお客さんにひつまぶしの才能を見つけてもらった、紗綾は竹井コーチなど周囲の人たちにスケートの才能を見つけてもらったのだと伝えて、これから孤独な戦いを続けることになる紗綾さんを励ましていました。

葉子さんとプラネタリウムに来ていたさとみさんは、葉子さんから、星が好きでよくここに通っているということを聞いて驚いていました。私は星に詳しいのと明るく話し始めた葉子さんは、私の夢はここのナビゲーターになること、所長さんももっと勉強をしたら夢を叶えてあげよう、卒業したらここへ来ていいと言ってくれたのだということを母親に話し、私の人生はスケートだけじゃなかったんだよ、と母親に伝えていました。

今度は紗綾さんが葉子さんの手を取ってリンクに上がり、両親の前でペアのように二人で演技を披露していました。金メダルをとるってスケート靴と約束したの、と母親にスケートを続けたいことを訴えていた紗綾さんが、自分の夢は家族の夢なのだと言っていたと耕一さんに話していたさとみさんは、紗綾さんの夢を応援することに決めたようでした。

紗綾さんは、空港で両親に見送られて数名のノービスの子たちと一緒に海外遠征に出発し、その飛行機の音を高校の授業中の教室の窓の向こうに葉子さんが聴いていました。

脚本は鎌田敏夫さん、監督は麻生学さんでした。音楽は吉川清之さんでした。

私はこのドラマの放送されることを当日の朝に知り、フィギュアスケートのドラマだということもあって、面白いといいなというくらいの気持ちで何となく見ることにしたドラマだったのですが、とても良いドラマでした。

フィギュアスケートの楽しさも、スポーツ選手になることの難しさも、若い頃選手だった両親の葛藤も、その子供たちの気持ちも、丁寧に描かれていたように思います。

本田望結さんのスケートは、私も数ヶ月前にTBSの「炎の体育会TV」で見て驚いたのですが、葉子さんを演じていた小芝風花さんもフィギュアスケートを習っている女優さんなのでしょうか。すごいなと思いました。

スケートの場面だけではなく、本田望結さんの心の強い紗綾さんも、小芝風花さんの優しい葉子さんも、ドラマを透明なものにしていたような気がします。特に母親を気遣う葉子さんは、何か天使のような、といっては少し大袈裟になってしまうかもしれないのですが、それでも何となく、そのような雰囲気があったように思います。

映像も落ち着いていてきれいでしたし、ドラマのところどころで流れていた音楽も静かで美しくて、とても良かったです。

先日、全日本フィギュアスケート選手権大会が終わり、来年のソチオリンピックの代表選手が決まっていましたが、それを見た後ということもあって、また改めてフィギュアスケートの日本代表に選ばれる選手たちのすごさが伝わってきたようにも思いました。

他のスポーツでも、あるいは他のジャンルでも同じことなのかもしれないのですが、何か好きなことを見つけてそれを続け、才能を発揮することができる人というのは、本当にすごいなと思います。

何気なく見ることにした作品だったのですが、私も見ることができて良かったです。現実的というのとは少し異なるかもしれないのですが、さわやかな印象のドラマでした。

「ミス・パイロット」最終回

フジテレビのドラマ「ミス・パイロット」の最終回(第11話)を見ました。

2013年の10月25日、ANAのパイロット訓練生の手塚晴(堀北真希さん)岸井泰治(間宮祥太朗さん)と小鳥翔(小柳友さん)、山田一男(藤井流星さん)、諸星麻也(庄野崎謙さん)は、3本のラインの入った副操縦士の制服をもらい、OJT(on The Job Trainingの略だそうです)という実際の職場での実務経験の課程を行うことを、教官の国木田孝之助(斎藤工さん)から伝えられ、それぞれの決められた空港へ向かうことになりました。荷物を廊下に出していた5人は、寮母の三枝かのこ(藤澤恵麻さん)に挨拶をして、寮を出ていました。

伊丹空港へ向かう飛行機に乗ることになった晴さんは、休みになった機長の代わりに、晴さんと飛びたいという篠崎機長(岩城滉一さん)とフライトの実務を行うことになったのですが、それが篠崎機長のラストフライトになるということを知って、篠崎機長は黙っていてほしいと言っていたのですが、フライトオペレーションセンターのディスパッチャー(運行管理)の仕事をしている小田千里(相武紗季さん)にそのことを話しに行っていました。

千里さんは、機長の指示に従わないのはどうかと思うと晴さんに言って、父親が密かにラストフライトを行うことに納得している風だったのですが、千里さんからそのことを聞いた国木田さんは、晴さんと一緒に飛んだ篠崎機長がラストフライトから羽田に戻ってくると、寮で一人でかのこさんの料理を食べようとしていた篠崎機長のもとに千里さんを連れて行き、小田には説明してやってください、と篠崎機長を怒っていました。篠崎機長が娘の千里さんに心配をかけたくなかったと謝り、千里さんも納得すると、それから篠崎機長を尊敬している国木田さんも、長い間お疲れさまでしたと言って、そのまま寮で篠崎機長を労う会を行うことにしていました。

12月18日、正式に副操縦士となった5人は、国木田教官から訓練生としてのチームの解散を伝えられていました。パイロットになると、時間が合わないことが多く、みんなで会うことは少し難しくなるのだそうです。国木田さんは、チームはなくなってもチームの一員だと、晴さんたちに伝えていました。

12月の24日から25日にかけて、北海道の新千歳空港に国木田教官と飛ぶことになった晴さんは、はっきりさせておいた方がいいと思って、と国木田教官を廊下に呼び出し、告白されるのではないかという雰囲気に戸惑っていた国木田さんに、私、キャプテンのことそんなに好きじゃありません、と伝えてすっきりとしていました。

実家の居酒屋へ帰っていた晴さんは、父親の茂雄(石倉三郎さん)を部屋に呼び、副操縦士となったことを伝えて、ファーストフライトに招待するチケットを渡していました。娘が結婚の報告でもするのではないかと緊張していたらしい茂雄さんがそのことを晴さんに言うと、晴さんは、今は飛びたくて仕方がないのだと楽しそうに答えていました。

一方、国木田さんのことを気にしていた千里さんは、今は失敗して恥をかいておけばいいのだと国木田さんに言われたことに勇気をもらった様子で、国木田さんに会いに行っていました。千里さんが何か言いそうにしていたのを、面倒くさいから嫌だと先に断った国木田さんは、手塚のバカが変なことを言いやがって、と少し前の出来事を思い出して少し苛立っていたのですが、千里さんはそのような国木田さんの態度を無視して、突然、好きです、と伝えていました。驚いて固まる国木田さんに、千里さんはすっきりしたとほっとしたように言って、国木田さんを残して晴れやかな感じで帰っていました。

24日、よろしくお願いします、とお互いに挨拶をした晴さんと国木田機長は、運行管理の千里さんから新千歳空港の状況を聞いていました。それから客室乗務員の人たちに挨拶をしたり、飛行機の点検をしたり、操縦席に座って天井や目の前に付いているたくさんのボタンを押したりスイッチを入れたりして、飛ぶ準備をしていました。国木田機長と副操縦士の晴さんが操縦桿を動かすと、滑走路を走っていた飛行機は少しずつ空へ上がり、新千歳空港へ向かって飛んでいきました。

母親のよし美(根岸季衣さん)の写真を抱えた茂雄さんと、その隣に座っていた、両親と同じように晴さんが招待したらしい宮田社長(鶴見辰吾さん)は、飛行機が落ちるかもしれない話をしながら、初めて乗る飛行機に緊張していました。

何事もなく飛行機は飛んでいたのですが、しばらくすると、視界は悪くなってきていました。新千歳空港は大雪になっているという情報が入り、視程600mという中、見えてきた途中の?空港の滑走路に上手く着陸することができなかった国木田機長は、燃料が少なくなっているという千里さんの指摘も考慮して、お客さんの安心と安全を守るために羽田へ引き返す、という判断を下していました。

国木田機長がお客さんたちに向けたアナウンスをする間、副操縦士の晴さんは旅客機の操縦を国木田さんから任されていました。揺れる飛行機に不安そうにしていた宮田社長と茂雄さんは、機長のアナウンスを聞いてほっとした様子で、小さく拍手を送っていました。

グランドスタッフの鈴木倫子(菜々緒さん)や阿倍野すず(桜庭ななみさん)、そして岸井さん、小鳥さん、諸星さんたちは、臨時便に備えて手伝いをしていて、クリスマス・イブに倫子さんと食事をする予定だった山田さんはその時は来ていなかったようだったのですが、後から合流していました。

無事に羽田空港に戻った国木田さんと晴さんは、ロビーに飾られていたクリスマスツリーの前に座っていました。国木田さんによると、直前で臨時便がトリプル7に変更になったそうです。国木田さんは、操縦桿を渡したとき教官やって良かったと思ったと晴さんのことを褒めていて、晴さんも、私はパイロットに向いているなと思ったと笑っていました。そこへ千里さんもやって来て、ファーストフライトの飛行機の中の無線で運行管理の冷静な千里さんの声を聞いてほっとしていた晴さんは、あの場所に自分がいたことが幸せだった、200人のお客さんの人生を背負っていることや、そのお客さんの安心と安全のために働くたくさんの空港のスタッフたちの一員になることができたということを国木田さんと千里さんに話し、チームはなくなってもチームの一員だとキャプテンが言っていた意味が分かったと笑っていました。

岸井さんと小鳥さんと山田さんと、臨時便の副操縦士を勤める予定だったらしい諸星さんもやって来て、山田さんは、すずさんから預かったという手紙を岸井さんに渡していました。少し前まで、岸井さんはよそよそしくなったすずさんの態度に少し寂しい思いをしていたようだったのですが、すずさんを手伝った後の岸井さんへの手紙には「泰治」と昔の呼び方で書いてあったので、岸井さんは少し嬉しそうにしていました。

クリスマスツリーを見上げながら、7人は今までのことを思い出していたのですが、0時を過ぎて25日になったので帰ろうとしていた時、国木田さんが千里さんを飲みに誘ったのを聞いた晴さんが、先を歩いていた人たちにも声をかけたので、そのまま7人で飲みに行くことになり、ドラマは歩いていく晴さんたちの後ろ姿で終わっていました。

脚本は池上純哉さん、演出は澤田鎌作さんでした。

思っていたよりもあっさりとした最終回だったようにも思うのですが、空港の人たち全員で協力して飛行機を運航しているのだということがよく表されていて、良かったと思います。

群像劇というのとも少し違っていたかもしれないのですが、恋愛要素がほとんどなかったところも、私としては良かったです。

のんびりとしたところのある晴さんと、優秀でしっかり者の千里さんが「バディ」になる課程も、本当は良い人だけれど少し短気な国木田教官との少し距離間のある関係性も、良かったような気がします。

「クリスマス」の場面で終わるのが、何となくフジテレビのドラマらしい感じもしたのですが、昨日のように最終回を「クリスマス・イブ」のような日に放送すると、放送時間には見ることができないという人が多くなるのではないかなとも思いました。

パイロットを目指す訓練生たちの物語としては、訓練の描写が少しあっさりとしていたようにも思うのですが、それは長期間の訓練生としての時間を全てバランス良く描こうとしたために、かえって毎回の時間の展開が早くなってしまったためかもしれないなと思います。

最終回で副操縦士になり、初回に登場して晴さんを応援していた宮田社長と父親の茂雄さんが一緒に晴さんの操縦する飛行機に乗るという場面があったのも良かったのですが、せっかくそのような場面があるのならもう少しその二人と晴さんが会話をするような場面もあってほしかったように思いました。

でも、例えば、訓練生同士で対立するとか喧嘩をするとか、そのような場面は一度もなかったですし、嫌なところのないドラマだったので、そのことは本当に良かったです。

少し物足りないようにも思えてしまうところもあったのかもしれないのですが、訓練生の晴さんや、途中でパイトッロを諦めざるを得なくなってしまった千里さんたちを応援する気持ちで見ていくことができたので、私としては、今回の「ミス・パイロット」を良いドラマだったように思います。最後まで楽しく見ることができました。
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