映画「STAND BY ME ドラえもん」

テレビ朝日の「日曜洋画劇場」で地上波初放送されていたアニメ映画「STAND BY ME ドラえもん」を見ました。

ドラえもんの声が大山のぶ代さんから、水田わさびさんに代わった新しい「ドラえもん」の3DCG作品の映画です。

「STAND BY ME ドラえもん」は、藤子・F・不二雄生誕80周年記念作品として2014年の8月に公開された映画ということなのですが、私は未見でした。CMの予告編の映像などでこの映画の一場面を何度も見ていたためかもしれないのですが、もっと以前の映画であるように勝手に思えていたので、約1年前の作品ということに、何だか不思議な感じもしました。

原作は藤子・F・不二雄さんの漫画『ドラえもん』で、脚本は山崎貴さん、監督は八木竜一さんと山崎貴さん、音楽は佐藤直紀さんという作品です。主題歌は、秦基博さんの「ひまわりの約束」でした。

主な登場人物は、ドラえもん(声・水田わさびさん)、のび太(大原めぐみさん、青年時代は妻夫木聡さん)、しずか(かかずゆみさん)、ジャイアン(木村昴さん)、スネ夫(関智一さん)、セワシ(松本さちさん)、出木杉(萩野志保子さん)、ジャイ子(山崎バニラさん)、のび太君のママ(三石琴乃さん)、のび太くんのパパ(松本保典さん)、しずかちゃんのパパ(田原アルノさん)、ジャイアンのママ(竹内都子さん)、のび太くんたちの先生(高木渉さん)でした。

この映画の放送の始まる直前には「ドラえもん」の「有名な7つのエピソード」を再構築したものだという説明がなされていたのですが、実際に見始めると、確かに知っている物語の連続でした。

特に知らないように思えたのは、22世紀の未来から自身の子守ロボットのネコ型ロボット・ドラえもんを連れてきたのび太くんの孫の孫のセワシくんが、未来の世界へ帰りたがるドラえもんの赤い鼻を回して、のび太くんを幸せにするまで未来へ帰ることができないという「成し遂げプログラム」を設定したことでした。(原作にもそのような場面がどこかにあるのでしょうか。あるいは、この映画オリジナルの設定なのでしょうか。)

この設定によって、この映画の中のドラえもんは、のび太くんを幸せにするための存在、のび太くんを人間的に成長させてしずかちゃんと結婚させるための存在になったということが明確にされていたように思います。

途切れている場面があるようにも思えたので、昨夜の放送は「ノーカット放送」というわけではなかったのだと思うのですが、有名なエピソードを再構築して詰め込んだ約2時間の物語は、ドラえもんに出会ってから数日か数ヶ月間の?のび太くんの「成長物語」としてシンプルに特化していたように思えました。

15年後の未来ののび太くんが「しずかちゃん」を「しずかさん」と呼ぶようになっていた理由が私にはよく分からなかったのですが、何かのきっかけがあって途中から呼び方を変えたのでしょうか。

CGのアニメーションだったこともあって、映画を見ながら、何だかディズニー関連の会社の制作したアニメーション映画を見ているような気持ちにもなりました。私はCGのアニメーションの動きをあまり好きではないのですが、今回の「ドラえもん」のCGアニメーションも、30分くらい見ていると少しずつ慣れてきました。アニメとは別の作品として、普段の新作の「ドラえもん」のアニメの絵の動きよりも馴染みやすいかもしれないとも思えました。

ただ、何というか、CMを見ていた時に思っていたように、「懐かしい未来」の物語だったように思います。現代から見るなら、というか、今の私の周囲を見渡すなら、近所に自由に遊ぶことのできる空き地があったり、遅刻をすると先生に廊下に立たされる小学校が普通にあったり、野良犬が町内を歩いていたりしていた頃からわずか15年後や19年後の未来の日本の街があのような近未来的には決して様変わりしていないことを知っているからです。

「ALWAYS 三丁目の夕日」の監督による作品ということもあって、「STAND BY ME ドラえもん」は、「ALWAYS ドラえもん」という感じでもありました。今テレビで放送されている「美少女戦士セーラームーンCrystal」のアニメのように、昔の「ドラえもん」を知っている人向けの作品だったのではないかと思います。既視感が強い作りに思えたのも、もしかしたらあえてそのように作った部分があるのかもしれないなと思いました。

「ドラ泣き」というキャッチフレーズも私には少し謎に思えるのですが、今回の映画を見ながら、「ドラえもん」はこのような感じだったのだろうかと、自分の記憶の中の「ドラえもん」を再確認したくなりました。昔に見ていた「ドラえもん」の作品と現代の「ドラえもん」の作品とを比べるのはあまり意味のないことなのかもしれないのですが、藤子・F・不二雄さんのいた頃のとても好きで見ていた昔の「ドラえもん」のアニメには、あえて「泣ける作品」として作っているという部分はなかったのではないかなと思います。

「ドラえもんは僕の子供の頃の友達だから」と未来の大人ののび太くんが言っていたことにも少し驚いたのですが、2011年の“未来”が舞台だった「ドラミちゃん ミニドラSOS!!!」の映画の時にもドラえもんはのび太くんのそばにはいなかったですし、私が知らないだけなのだと思うのですが、ドラえもんはいつ頃のび太くんと別れたのだろうと気になりました。それとも、子守ロボットだから成長した大人の人とはもう暮らさないということなのでしょうか。もしそうだとするのなら、少し寂しく思います。

この映画を好きな方もたくさんいると思いますし、この映画が悪いというのでは決してないのですが、私は「昔は良かった」的な「懐かしさ」が表立って描かれている、いわゆる「泣ける作品」があまり得意ではありません。例えば、近年CMなどでも人気らしい、生まれたばかりの子供が成長し「青春期」を経て「恋」をして大人になって社会人になって、結婚をして子供を生んで親になって、子供を育ててその子供が結婚して孫が生まれて祖父母になって、というような作品類も、私にはあまり良いとは思えないのです。

昔繰り返し見ていた頃のアニメの「ドラえもん」や原作の漫画の「ドラえもん」は好きなのですが、「未来」を「懐かしさ」で描いてはいけないような気がしてしまうのです。のび太くんの未来が変わったらセワシくんの存在も変わってしまうのではないかという単純な疑問はともかくとしても、未来は、少なくとも「ドラえもん」の中の未来は、まだ来ていない、まだ誰も知らない、夢のような自由な未来であってほしいように思うのです。

特に良かったというか、この映画を見始めてはっとしたのは、のび太くんたちの暮らしている町の風景がリアルだったところです。のび太くんの家なども、本当はあのような家だったのかなと思えましたし、実際に日本のどこかの町にありそうな感じがしました。私にとっては面白かったというのとは少し違うのですが、でも、優しい雰囲気のアニメーション映画でしたし、これはこれで良かったのだと思います。

「知られざる陸軍終戦工作」、松谷大佐の“弱気の勇気”

NHKのBSプレミアムで放送され、録画をしておいた「戦後70年 プレミアムヒストリー」の「知られざる陸軍終戦工作~あなたは“弱気の勇気”がもてますか?~」を見ました。

参謀本部の第一部(作戦部)の戦争指導課の課長を務めていた陸軍の松谷誠(せい)大佐が、泥沼化する大東亜戦争(太平洋戦争)を早期に収束させるため、外務省や宮中や海軍や皇族の中の同じ意見の人たちの間に人脈を作って話し合い、それぞれの上司である大臣たちに早期終戦へ向けた計画を提案し続けていた、ということを伝えるドキュメンタリー番組でした。

案内役は、渡邊佐和子アナウンサーでした。

番組の冒頭では、「玉音放送」の流れた10日後、すでに「明日への希望」が記事に書かれ始めた各地の新聞の中の一つに、長野の47歳の男性が敗戦的言辞(日本が負けるなど)と発言した罪によって懲役8ヶ月の判決が出たという小さな記事があったことが紹介され、日本が戦争に負けると言っただけで逮捕されてしまうのが70年前の日本の社会だったということが伝えられていました。

そして、今新しく映画が公開されている半藤一利さんの著書『日本のいちばん長い日』の中の台詞と共に、降伏を認めず徹底抗戦を求める陸軍将校たちが8月15日に皇居内へ乱入したテロ事件のことが紹介され、“強硬派”として知られる陸軍の一部では、約2年も前から終戦工作が進められていたのだと、松谷誠大佐の話が始められていました。

昭和16年の頃の陸軍省では、ドイツやイタリアと提携してまずイギリスを屈服させ、アメリカの戦意喪失を目指そうという考えのもとで戦争を進めようとしていたようでした。

作戦部戦争指導課課長の松谷誠大佐は、「わがほうに有利な場合だけを考えわがほうに不利な場合についての思慮に欠けていた」陸軍に、泥沼化していく日中戦争の兵力の縮小を訴えて「卑怯者」呼ばわりをされ、中国戦線へ左遷されていたのですが、英国に駐在経験があり、多くがドイツ通ばかりの陸軍の中にあって米英のことをよく知っているという理由から、昭和18年(1943年)の3月に参謀本部の参謀総長の杉山元に日本へ呼び戻され、戦争計画の再検討を命じられたそうです。

松谷誠さんたち戦争指導課は、昭和18年の9月、昭和19年の夏か秋にソビエト連邦の仲介の講和によって自主的に終戦を判断するという計画を立てて進言するのですが、日本が負けるという想定に対して、陸軍から反発されたそうです。

陸軍は、松谷さんたちの裏でもう一つの計画を作っていました。その作戦課課長の真田穣一郎の案は、同盟を結んでいるドイツとイタリアが勝ち続けることが前提となっている、5年間(昭和18年から昭和23年)の長期戦を経て米英に勝つことを提案するものでした。原本は消失し、今はメモのような書類が残っているだけだそうですが、9つの作戦のうちの8つがドイツの勝利に頼るもので、1つだけが独伊の壊滅した場合を考えたものなのだそうです。その書類の戦略を示した表の図には大きさの異なる二つの円が並んで描かれていて、左側の小さな円の中心には「独(ドイツ)」、右側の大きな円の中心には「日(日本)」と書かれていました。

陸軍が採用したのは、場合によっては中国大陸からの撤退も考えるべきとした松谷さんの現実的な案ではなく、まずソビエトと中国を主敵として戦い、昭和22年以降にアメリカと本格的に戦うという、"威勢が良くて楽観的な”作戦課の真田課長たちの案でした。そして、早期終戦の案が無視された戦争指導課は、人数が5人から3人に減らされ、参謀本部直属の「班」に格下げされたのだそうです。

松谷さんの部下の橋本少佐によると(テープに音声が残されていました)、松谷大佐は、最大に譲歩して妥協和平にもっていかなければ国が滅びると考えていたそうです。

今の時代から過去を振り返ると、その考えが正しかったのだということがよく分かるように思います。最悪の事態を想定することのできる人だったのだろうと思います。

戦争指導班の松谷さんは、それでも早期戦争収拾への交渉を諦めませんでした。ソ連が勝っているという情報を得ていた外務省は、この戦は枢軸国の負け戦となると、すでに分析をしていたようでした。

外交官の加瀬俊一さんから最新の戦況を聞いていた松谷大佐は、宮中の松平康昌、陸軍中将の酒井こう次、重臣の近衛文麿、昭和天皇の弟の高松宮さまと海軍、というような人脈を作り、早期終戦工作を進めていたそうです。

その間にも、日本の戦況は悪化していました。松谷さんは、昭和19年の3月、「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察」を提出して、陸軍の楽観的な考え方を否定したそうです。番組で紹介されていた一文には、「国力がチリ貧(ジリ貧)に陥るのは時期の問題」、「ドイツもチリ貧(ジリ貧)に陥る」との予測が書かれていました。

その頃の松谷さんは、米英と一大決戦をするのなら国力の残っている昭和19年内にするべきだという「一撃講話構想」を提案していたそうです。しかし、中国を主戦場と考える陸軍上層部は、中国大陸を50万の日本兵が縦断しながら連合国の拠点を破壊していこうという「大陸打通作戦」を始めたのでした。松谷さんの案は、また無視されました。

昭和19年の6月、フランスのノルマンディーに米英軍が上陸し、ソビエトにも挟まれていたドイツは松谷さんの推理通り「ジリ貧」になり、日本を守るために死守しなければならなかった太平洋のマリアナ諸島のサイパン島も陥落寸前になりました。

松谷さんが「東西共に勝戦の山は見えた。遺憾ながらわがほうの負けである」、「帝国(日本)は速やかに戦争終結を企図す」と考えていたことが、戦争指導班の「機密戦争日誌」に残されているそうです。状況が切迫していることをよく理解していた松谷大佐は、ソビエトを仲介役に「国体護持」のみを条件とした講和へ向けて今すぐに動くようにという提言を、総理大臣と陸軍大臣と参謀総長を兼任していた東条英機に直接行うことにしました。

外交官の加瀬さんは、投獄されるかもしれないと心配して直訴を思い止まらせようとするのですが、昭和19年の6月29日、松谷さんは東条英機と面会し、講和へ梶を切るよう提言したそうです。しかし、戦況の悪化のストレス?で顔色が青ざめていたという東条大臣は、講和案には頑なで、「いやな顔をして、何も意見を述べなかった」ということでした。

その4日後の7月2日、松谷さんは人事異動で戦争指導班を解任させられ、中国大陸の陸軍参謀を命じられたそうです。

この時のことを、松谷さんは後年、「私は周囲強気の渦中にあって弱気を吐くことのいかに大勇気を要するものであるかを真に体験した」と回想していたそうです。

ところが、松谷さんが「左遷」された2週間後の7月18日、東条内閣はサイパン島を陥落させた責任をとって総辞職し、4ヶ月後の11月、松谷さんは日本へ呼び戻されることになりました。松谷さんを呼び戻したのは、最初に松谷さんを重用していた杉山元でした。杉山元は、東条内閣総辞職後、陸軍大臣になっていました。松谷さんは、杉山大臣の秘書官になりました。

昭和19年の11月、杉山元大臣から、戦局に対し大臣はどうすべきかをじっくり考えて時々進言するようにしてもらいたいと頼まれた松谷さんは、これは戦争収拾の指示だと直感したそうです。そして、終戦工作を再開しました。

昭和19年の10月にはレイテ島の日本軍は壊滅し、特効作戦も行われるようになっていきました。アメリカのB29戦闘機による日本の本土爆撃も始まりました。松谷さんは、かつての、早期終戦の考えを持つ人脈を活かし、主に外務省の加瀬さん、海軍少将の高木惣吉さん、内大臣秘書官の松平康昌さんと話し合ったそうです。そして、高木少将は米内光政海軍大臣へ、松谷大佐は杉山元陸軍大臣へ、加瀬さんは重光葵外務大臣へ、松平さんは木戸幸一内大臣へ、それぞれ早期終戦を働きかけたそうです。

昭和20年3月、松谷さんたちは、杉山元と重光葵を面会させることができたそうなのですが、早く講和すべきと訴える重光大臣に対し、杉山陸軍大臣は、日本本土に米軍を迎え撃ち、ある程度の打撃を与えた後講和に持ち込むべきだと「本土決戦一撃講和」を主張したということでした。

陸軍大臣が本土決戦(日本本土を戦場にしようとすること)を進めようとしていたことにも驚くのですが、杉山元大臣は、徹底抗戦を望む中堅将校たちが武力で政権を乗っ取ろうとした8年前の二・二六事件の再来を思い、内乱になれば国の破滅だと危惧していたようでした。

杉山大臣について松谷さんは、「内心は早期和平を念じつつ陸軍、特に省部中堅層の盲信的抗戦熱に押されて陸軍と首脳としての立場上、何とか一度米軍に打撃を加え、そこに有利な終戦の機会をとらえる「一撃決戦論」を表面に打ち出していた杉山陸軍大臣の苦渋を、私は十分に察していた」と回想していたそうです。

その杉山陸軍大臣と重光外務大臣話し合いは物別れに終わった後、3月10日には東京大空襲、4月からの沖縄戦と、泥沼化している大東亜戦争は続いていきました。

昭和20年の4月、元侍従長の鈴木貫太郎の内閣が発足し、陸軍大臣には阿南惟幾が就任しました。松谷さんによると、阿南陸軍大臣は、「簡明直せつ、自制心強く、部下に寛容であり、武将としての資質は十分にそなえておられ、若い将校たちの人気の的であった」ということでした。そして、松谷さんは、阿南大臣の指示で鈴木貫太郎首相の秘書官になったそうです。

昭和20年5月7日、帝国陸軍の頼みの綱だったドイツが日本よりも早く降伏したため、ヨーロッパにいた連合国軍の兵力は日本へ向けられていきました。日本にとっては「想定外の危機」なのですが、大日本帝国政府は、5月9日、「帝国の戦争の目的はもとよりその自存と自衛とに存す」と、ヨーロッパの戦局の急変は日本の戦争目的に全く変化を与えないという趣旨の説明の強気の声明を国民へ向けて出したのだそうです。

阿南陸軍大臣は、当初は早期戦争収拾に協力的だったようでした。「高木メモ」によると、松谷さんたちは、阿南大臣を動かして参謀本部の参謀長の梅津美治郎を包囲し、国体護持の他は無条件という、ソビエトの仲介による一刻も早い講和を提言していたそうです。国内的にも、軍がいくらやってももうだめだと分からせるべきだと、阿南さんに伝えていたそうです。阿南さんの答えは、「異存はない」でした。

ところが、6月6日、政府閣僚と陸海軍の中枢が集まる「最高戦争指導会議」で陸軍が中心的になって作った国の方針は、「飽く迄戦争を完遂し、以て国体を護持し、皇土を保衛し、征戦の目的を達成を期す」という、徹底抗戦に決まったそうです。しかも、阿南大臣は、完遂できない時には腹を斬ってお詫びすべし」とまで言ったそうです。

私にはなぜかはよく分からないのですが、明治大学の講師の方によると、大臣たちは、そこで話す情報が前線の兵士たちに漏れると思っていたらしく、そうして「戦争集結」の情報が前線の兵士たちに伝わると軍が崩壊すると考えていたようで、公の場で「戦争集結」を言うことができなくなっていたということでした。

会議では阿南陸軍大臣の意見が採用され、そのような「徹底抗戦」の方針が決まったそうなのですが、「高木メモ」によると、その3日後の6月9日、中国大陸を視察して戻ってきた梅津参謀長が、中国大陸の関東軍と支那派遣軍は全て合わせてもようやく一大決戦に耐えるか耐えないかの兵と装備を残すのみです、と昭和天皇に報告すると、昭和天皇は、それでは日本本土の部隊は大陸の部隊よりも遙かに戦力が劣るから戦にならぬではないか、と驚いたそうです。

「昭和天皇独白録」によると、昭和天皇は、その時の梅津参謀長について、「梅津がこんな弱音を吐くことは初めてであった」と話していたそうです。

昭和天皇と梅津参謀長の会話は、松谷さんたちの人脈に伝わり、その一人の宮中の木戸幸一内大臣が御前会議を開きました。

6月22日の御前会議(天皇陛下の臨席する最高戦争指導会議)で昭和天皇は、「戦争継続はもっともであるが、時局の収拾につき考慮することも必要であろう」と大臣たちに伝えたそうです。東郷茂徳外務大臣と米内海軍大臣は、ソビエトへの仲介依頼を速やかに進めることを考えていると発言し、梅津参謀長もソビエトへの仲介依頼は速やかなるを要すると答えたそうです。阿南陸軍大臣は、特に申し上げることはないと答え、反対はしなかったようでした。

ここで初めて、米英連合国軍との講和を進めるために中立条約を結んでいるソビエトに仲介を求めるという方針が「国策」となったということでした。明治大学の方によると、この6月22日の天皇陛下の発言が、実質的な「聖断」だったということでした。

しかし、時既に遅しでした。ソビエト政府は、日本政府の仲介依頼には無反応だったそうです(日本史の授業で習ったことによると、「ヤルタ会談」での密約もありました)。それに、日本政府も、「ポツダム宣言」を黙殺していました。

そうして、8月6日には広島にアメリカの原子爆弾が投下され、9日には長崎にも原爆が投下され、満州ではソ連軍が中立条約を破って対日参戦し、結局、国体護持以外はほぼ無条件という8月15日の「敗戦」を日本は受け入れることになったのでした。

松谷さんたちの最初の提案から、2年という月日が経っていました。最悪の事態に陥る前に戦を終えるべきという松谷さんたちの活動は、結局壊滅的な犠牲を出すまで政府には受け入れられなかったということが、ナレーションで伝えられていました。

敗戦を迎え、陸軍の指導者だった阿南さんは自決、杉山さんも自決、東条英機は刑死、梅津参謀長は獄中で病死したということでした。

後日、松谷大佐は、元陸軍大臣の杉山元の葬儀に参列したそうなのですが、「参列する軍人の人々には私はいかにも愚劣な人間、裏切り者に見られ、誰も私に話しかける者はいなかった」のだそうです。

終戦を迎えた松谷さんがどのような思いであったのかなどは、残り時間の少なくなった番組ではあまり伝えられていなかったのですが、昭和27年に「警察予備隊」に入隊し、その後の「自衛隊」で要職を歴任したということでした。57歳で退官し、穏やかな余生を過ごしたと番組では伝えられていたのですが、戦時中のことはご家族にもほとんど話さなかったのだそうです。

松谷誠大佐は、平成10年(1998年)に95歳で亡くなったそうです。後年松谷さんは戦争を終わらせる難しさについて、「一時の思いつきでは無理に軍の大きな流れをかえることはできない。一つの事象を実現するには、相手の立場を考え、相当の時間がかかる。その間、寛容、忍耐、滅私、孤独、慎重、決断という要素が肝心であると思った」と回想したそうです。

進行役のアナウンサーの方が番組の後半で提起していたように、松谷さんが直面した出来事は、今の私たちの社会のあらゆるところでも起こり得る問題であり、もしも自分の問題として考えた時、松谷さんのような「弱気の勇気」を持って、その組織の大多数を占める威勢のいいことを言って盛り上がる強気な人々に対して、自分は冷静な反対意見をちゃんと伝えることができるだろうかということを考えてみよう、ということがこの番組のもう一つのテーマだったのだろうと思います。

私は、松谷誠大佐のことを全く知らなかったので、このような人が陸軍の中にいたのかと驚きました。戦時中、松谷さんの提案は帝国陸軍に無視され続けていたのですが、途中で何度か左遷をされても秘書官などの要職に呼び戻されていたのですし、中堅の軍人たちに裏切り者と思われたということがあったのだとしても、当時の中枢の中では重要な人物だと思われていたのではないかと思います。

松谷大佐がソビエトに仲介を依頼しようと考えたのは、例えば「共産主義」のような考え方に賛同したからとかではなく、日本と中立条約を結んでいた大国だったからだろうと思います。

戦後、戦中にご自身が大変な思いをしたはずの「陸軍」の変化系である「警察予備隊」や「自衛隊」に、松谷さんがどうして再び入隊をしたのかということが、番組を見ていた私には気になったのですが、なぜなのかということは、番組では伝えられていませんでした。自衛隊の要職を歴任したという松谷さんが、戦中の考え方を引きずるような「戦後」の日本政府の政治について、どのように思っていたのだろうということも、少し気になりました。

エンドクレジットのところに書かれていた松谷元さんというのは、松谷さんの息子さんなのでしょうか。松谷さんの上司だった杉山元さんと同じ名前だったのが私には少し意外に思えたのですが、もしもそこから採用した名前なのだとしたなら、松谷さんは杉山元陸軍大臣を尊敬していたのかもしれないななどということを、勝手に思ったりもしました。(あと、松谷大佐の写真の姿を最初に番組の冒頭で見た時、私には何となく、ナインティナインの岡村さんに似ているように思えました。)

陸軍で大佐を務めていた松谷さんが“良い人”だったのかどうかということは、人物像が描かれていたわけではないのでよく分からないのですが、イギリスに駐在経験のある人で、情報を正確に分析することのできる人で、そこから導き出した正しいと思うことを諦めずに上層部へ提案し続ける人だということは、よく分かったように思います。

少なくとも、早期に今の戦を収拾させるべきだとしていた松谷さんたちの「終戦工作」は、中国大陸での戦を重視し続けていた“強硬派”の陸軍上層部にはほぼ無視され続けていたようですし、松谷さんたちが「終戦工作」を行わずに静観していたとしても、実際の70年前の状況より、もっと大勢の兵士と民間人の死傷者が出て、日本の国がもっと壊滅的な状況になっただけなのだろうと思います。

70年前の昭和の大東亜戦争時代(日中戦争や太平洋戦争の時代)の“強硬派”の陸軍というのは、江戸幕府を倒幕させた人たちが作った明治政府の時から存在し、大正、昭和と続いていたもので、その頃からの精神?が平成の今の与党の自民党(あるいは主にその強硬派の政治家や支持者の方たち)にも受け継がれているのかもしれないということを、改めて思いました。

今の自民党の中に、本当は自分は党首たちとは違う意見だと思う政治家の方がいるのなら、それが威勢の良い「強気」なものとは反対の「弱気」なものだと言われたとしても、テレビの報道番組などのメディアがほとんど取り上げなかったとしても、勇気を持って頑張って主張をしてほしいように思います。

そして、この番組を企画した方が松谷誠大佐という人物に注目したというのも、何だかすごいことのように思いました。このような機会でもなければ、歴史に疎い私は知ることができなかったかもしれないと思います。良い特集でした。

「ど根性ガエル」第7話

日本テレビの土曜ドラマ「ど根性ガエル」の第7話を見ました。

ピョン吉(声・満島ひかりさん)の寿命が尽きかけていることを知り、ピョン吉のために何かしたいと考えて焦っていたある日、五郎(勝地涼さん)の駐在所で広げた新聞の記事で「蛙神社」という不老不死の御利益のある神社が富士山の麓にあることを知ってピョン吉をそこへ連れて行きたいと考えていたひろし(松山ケンイチさん)が、富士山麓の温泉宿の旅行券が一等賞の商品になっていた商店街の福引を当てて、ピョン吉と五郎と母ちゃん(薬師丸ひろ子さん)と京子ちゃん(前田敦子さん)の5人(4人と1匹)で、ピョン吉の寿命が延びるよう祈願するために富士吉田の温泉旅行へ出かける、という話でした。

宝寿司の梅さん(光石研さん)が任されていた福引の一等賞が富士山の麓への旅行券だと知ったひろしは、1000円分の券が必要な福引をもう一度引くために時給1000円の工事現場で一時間働くことにしたのですが、その間、五郎もひろしとピョン吉のために3万円分も福引を引き、ピョン吉と買い物に来ていた母ちゃんも引いたのですが、ハズレでした。工事現場の仕事を終えたひろしもまたハズレを引いてしまって、一等賞を当てたのは、何気なく福引を引いた京子ちゃんでした。

電車に乗って旅行に出かけた5人は、富士山のよく見える、カエルの石像がいたるところにある蛙神社をお参りして、ピョン吉のために黄色いカエルのお守りを買ったりしていたのですが、その様子は木の陰から何かにじっと見つめられていました。その後、温泉宿に到着すると、昔の思い出を話したりしながら、ひろしもピョン吉も五郎も京子ちゃんも母ちゃんも、楽しい時間を過ごしていました。

その頃、葛飾の区議会議員候補の選挙活動を始めていたゴリライモ(新井浩文さん)は、応援してもらうという許可をもらったピョン吉の絵柄のTシャツを着て、京子ちゃんのおばあちゃん(白石加代子さん)といっしょに選挙用に変えたゴリラパンの移動販売車で街を回っていたのですが(「ゴリラパンのうた」の曲の選挙版の「ゴリライモ選挙のうた」が流れていました)、真面目な性格のゴリライモは、ピョン吉を使っていいのだろうかと少し悩んでいたようでした。そのことをゴリライモから打ち明けられた京子ちゃんのおばあちゃんは、ずるいことをしているなと思っている今の気持ちを忘れないことが大切で、その分を頑張るのが大人なのだと、ゴリライモを明るく励ましていました。

夜、眠っていたひろしは、水浸しになっていた床に足をつけて目を覚ましていたのですが、それはハンガーに下がっていたピョン吉の涙でした。ピョン吉は、また剥がれかけていたのでした。

そして、ひろしは、呼ばれているような気がすると言うピョン吉を連れて、早朝の蛙神社へ向かいました。神社の奥にあったカエルの石像のさらに奥へ進むと、そこにはカエルの像に囲まれた池がありました。すると、そこへ小さなカエルたちがどこからか集まってきました。整列したカエルたちとカエルの言葉で会話を始めたピョン吉は、自分が“伝説のカエル”になっていることを知って誇らしく思っていました。

ピョン吉がカエルたちと楽しそうに話していると、そこへ立派なひげのカエルの王様が現れて、池の底にあるというカエルの王国へピョン吉を招待していました。ピョン吉がカエルであることを改めて思ったひろしは、行って来いよとピョン吉を送り出し、ここで待っているからと、Tシャツを池に浮かべていました。そして、ピョン吉が池に潜ると、ひろしはカエルの世界へ戻ったピョン吉を残して温泉宿へ戻り、五郎と母ちゃんと京子ちゃんの反対を押し切って東京へ帰る決意をしていました。

カエルの王国を満喫したピョン吉は、飛び出した池の外にひろしがいないことを不審に思い、「たっしゃでな」と置かれていた枝の文字を読んで、ひろしに置き去りにされたことに気付いて激怒していました。そして、カエルたちに助けを求めたピョン吉は、カエルたちと道に出てマラソンの練習をしていた人たちに事情を話してTシャツを着てもらいました。それから、自転車レースの人、トラックの運転手さん、と“ど根性”で乗り継いで移動していたピョン吉は、最後、ヘリコプターから飛び降りて、葛飾の町に戻って来ました。

京子ちゃんとおばあちゃんが暮らす団地の前の公園ではゴリライモの選挙演説が行われていて、そこに京子ちゃんと五郎と母ちゃんと来ていたひろしの真上に落ちてきたピョン吉は、自分を置き去りにして帰ったひろしと殴り合いのケンカになっていました。ゴリライモの後援会の人たちのTシャツの柄に紛れ込んだりしてひろしを撹乱していたピョン吉は、それからマイクの前で正式に、ゴリライモを応援すると宣言していました。

最後、自宅の屋上のベンチにピョン吉と寝転がっていたひろしは、ピョン吉に、お前みたいなあり得ないやつが生きているから面白いんだろ、と話していました。死んでも生きろ!とひろしが言うと、ピョン吉は、死んでも生きる!と気合を入れていました。

脚本は岡田惠和さん、演出は丸谷俊平さんでした。

第7話も、とても面白かったです。ひろしとピョン吉の掛け合いが多くて、楽しかったです。

冒頭の、どうやって生きているか分からないからどうやって治していいか分からないとピョン吉の治療についてひろしが医者に言われたというのも、確かにそうだなと思えて、面白く思いました。

カエルの王様とか、カエルの王国とかが出てきていたのも、急にファンタジーの要素が入ってきた感じがして(これまでもファンタジーのはずなのですが)楽しかったですし、かわいらしかったです。

寿命の尽きかけているカエルのピョン吉をカエルの世界へ帰そうと思うひろしの気持ちも何となく分かるような気がしたのですが、ピョン吉自身は、カエルの世界へ戻ることではなく、ひろしたちと一緒に生きることを望んでいて、なかなか素直になることができなかったひろしも、これまで通りにピョン吉と一緒に生きたいという思いをはっきりとさせていたのだと思います。

「死んでも生きろ!」、「死んでも生きる!」とひろしとピョン吉が言い合う最後の場面の“ど根性”がすっきりと、さわやかに伝わる終わり方だったところも、良かったです。

何といっても、ピョン吉がまだ元気だったので、ほっとしました。予告によると次回には半分も剥がれかけていたようだったので、一体どうなるのだろうと少し心配に思えるのですが、ともかく、次回の物語も楽しみにしていようと思います。良いドラマだなと思います。

「婚活刑事」第9話

日本テレビの深夜のドラマ「婚活刑事」の第九話を見ました。

今回、両国署の刑事の花田米子(伊藤歩さん)は、なぜか新人キャバクラ嬢になっていました。ナンバー1キャバクラ嬢のヒナコ(武田梨奈さん)に付いて常連客の小山さん(丸山智己さん)の相手をしていました。

小山さんにお酒をこぼした失態でヒナコさんを怒らせていた米子さんは、しかし小山さんに気に入られていました。同じ鳥取出身者と知って仲良くなった小山さんは、自分に自信がないと控えめに話す米子さんに自信を持ってもらうため、洋服を買ったり、「同伴出勤」をして売り上げに貢献したりして、米子さんを美しく変身させていました。

米子さんは、「圏外」からヒナコさんに次ぐ2位になりました。2位になった喜びを小山さんに報告しようとした米子さんは、小山さんが1位のヒナコさんにプレゼントを渡しているのを見てショックを受けていました。

怒って離れようとする米子さんを引き留めた小山さんは、父親の基盤から出馬すると打ち明け、おめでとうと喜んだ米子さんは、小山さんのプロポーズを受け入れて政治家の妻になる決意を固め、刑事を辞めますと、藤岡躑躅(小池徹平さん)や滝田流星(栗山航さん)と話し合っていた宮谷博之(升毅さん)に「退職願」を提出していました。

米子さんがキャバクラ嬢になっていたのは、そのお店のキャバクラ嬢だった美咲を刺殺して河川敷に遺体を放置した事件の潜入捜査のためでした。きれいになっていく米子さんを見て「米子レーダー」の発動を感じていた宮谷さんは、被疑者だった小山さんを犯人だと確信していたのですが、米子さんは、小山さんの荷物を勝手に調べ、駐車場の入出記録から、犯行時刻にアリバイがあると知って、小山さんの無実を信じていました。

米子さんは、本当は警察官なのだと小山さんに打ち明け、小山さんが受け入れてくれたことにほっとしていました。

政治家の妻になるということはいつかファーストレディになるかもしれないと「串升」で盛り上がっていた米子さんは、キャバクラに出勤後、同僚の女性たちに小山さんと結婚すると告白したのですが、それを聞いて絶句した同僚たちから、小山さんはヒナコさんと付き合っていると思っていたと言われて愕然とし、慌ててヒナコさんのロッカーを開け、小山さんにもらっていたプレゼントの箱の中を見たのですが、そこに入っていたのは血糊の付いたままのナイフでした。

驚いた米子さんは、急いで藤岡さんに電話をかけて知らせたのですが、その直後、後頭部を鈍器で殴られました。殴ったのはヒナコさんでした。

ヒナコさんに捕まった米子さんは、米子さんが警察官だと知ったヒナコさんから、あなたは知り過ぎたと、ナイフで刺されそうになりました。しかし、それを止めたのは小山さんでした。そこに藤岡さんも駆けつけ、藤岡さんは、犯人は右利きの男性であると小山さんを指していました。被害者の殺害時刻に駐車場を出ていたのは、ヒネコさんの車でした。出馬を考えていた小山さんは、美咲さんにお金のことをばらすと言われてその場で美咲さんを殺害し、ヒナコさんを呼び出して美咲さんの遺体を車で運ばせていたのでした。

藤岡さんが米子さんの刑事としての理性を信じていた通りに、米子さんは刑事として小山さんを逮捕しようとするのですが、ヒナコさんから、あなたの愛は所詮その程度か、何があっても受け入れるのが愛だろうと強く返されて戸惑っていました。

迷っていた米子さんは、逮捕されると言われて呆然としていた小山さんに刺されそうになったのですが、その時藤岡さんが米子さんの前に飛び出し、藤岡さんは小山さんに刺された腕の痛みに耐えながら、好きな人の不正を正そうとするのも愛だと伝えていました。その直後、駆けつけた宮谷さんたちが小山さんを逮捕していました。藤岡さんは、米子さんを殺されたかもしれない交通事故死した婚約者のようにはしたくないと考えていたようでした。

藤岡さんが病院で治療を受けている間、米子さんは、藤岡さんと出会ったときから今までのことを考えていました。そして、藤岡さんのことを好きになっていたようなのですが、藤岡さんのことだけは好きになるなと、退職願を返しに来た上司の宮谷さんに忠告されて、好きになるわけがないと打ち消していました。でも、交通課の小西弥生(森カンナさん)にも、すぐに見抜かれていました。

脚本は徳尾浩司さん、演出は本田隆一さんでした。

第9話のサブタイトルは「愛は勝つ」でした。KANさんの曲でしょうか。

今回は、ドラマの構成がいつもと少し異なっていたのですが、「米子レーダー」という特殊能力を持つ米子さんの「婚活」の物語としても、刑事ドラマとしても、良かったような気がします。

愛とは何かというようなことが描かれていたのも良かったと思いますし、米子さんと藤岡さんの部分が進展したように思えたところも良かったのだと思います。

米子さんは、好きになった人が犯罪者か犯罪者予備群であるということに悩んで、自分が「恋」をすると相手を不幸にするのではないかと悩んでいるのですが、藤岡さんも、自分が誰かを好きになるとその人を不幸にしてしまうのではないかと考えているようなので、「恋愛」に対して積極的か消極的かという違いはあっても、二人は似ているのかもしれないなと思いました。

どのような展開になっていくのか分からないのですが、次回も楽しみにしていようと思います。

ところで、昨夜のテレビ朝日の「ミュージックステーション」の2時間スペシャルの夜の9時半頃、嵐の5人は新曲の「愛を叫べ」を披露していました。結婚情報誌のCMに使われている「ウェディングソング」で、新婦の友人たちの気持ちを歌ったものであると紹介されていたので、どのような歌なのだろうと思いながら聞き始めたのですが(それまでにはちゃんと聞いたことがなかったのです)、聞きながら、新婦とこの異性の友人たちとはどのような関係性にあるのだろうということが気になってしまいました。歌詞の中の新婦の友人の男性たちは、新婦のことを「俺たちのマドンナ」とか「高嶺の花」とか言いながら、「お前」とも呼んでいましたし、新郎のことには触れていなかったので、新郎とは友人ではないようでした。

結婚式の会場で新婦の隣の席に座る新郎は、新婦の異性の友人たちのこの歌をどのような気持ちで聴くのだろうと、何となくそのようなところも気になったのですが、ただ、私も嵐の歌を好きなのですし、歌詞の中のシチュエーションというか、登場人物の関係性を考えてもほとんど意味のないことなのだろうとも思います。でも、昨夜の「Mステ」で嵐の「ウェディングソング」(結婚式で歌う歌?)を聴きながら、少し考えてしまいました。

それでも、嵐が「新郎」ではなく「新婦の異性の友人」であるという歌の設定は、斬新だなと思いました。私は嵐の全ての曲を知っているというわけではないのですが、何か“新しい嵐”の歌である感じがしたのだと思います。

あと、昨夜の「Mステ」のことでは、森山直太朗さんの「夏の終わり」や新曲の「生きる(って言い切る)」も、聴くことができて良かったです。私は、森山直太朗さんの歌では「生きとし生ける物へ」も好きなのですが、森山直太朗さんの歌は歌のみで聴くよりも歌っている姿を見ながら聴くほうが面白いというか、より良い曲に聴こえるような気がします。詩人自身による詩の朗読であるようにも思えるからかもしれません。

「探偵の探偵」第8話

フジテレビのドラマ「探偵の探偵」の第8話を見ました。

昨夜は、バレーボールのワールドカップ2015の女子日本代表とドミニカ共和国の試合中継の延長のため(日本代表が5セット目で逆転勝ちをしていました)、夜11時半からの放送でした。遅い時間になってしまうので少し迷ったのですが、放送時間に見ることにしました。

「野放図」との戦いで重傷を負った警視庁の刑事の窪塚悠馬(三浦貴大さん)をその場に残し、森を駆け抜けた探偵の紗崎玲奈(北川景子さん)は、その先に窪塚さんの指示通りに待っていた助手の峰森琴葉(川口春奈さん)の車に乗り、窪塚さんに「傷害罪」の汚名を着せたくないと、急いで栃木県警の警察航空隊の飛行場へ向かい、窪塚さんの許可証を警備員に見せて敷地内に入って整備施設に侵入し、ヘリコプターで上空から撮影されていた事件の映像を電磁波で消去してしまいました。

それから、重傷を負った窪塚さんの状況を知ろうと、玲奈さんは琴葉さんと窪塚さんが緊急搬送された病院へ向かったのですが、窪塚さんはすでに死亡していました。窪塚さんと組んでいた刑事の長谷川憲保(渋谷謙人さん)は、窪塚さんを巻き込んだ紗崎玲奈を許さないと、上司の坂東志郎(相島一之さん)や船瀬卓(阪田マサノブさん)に訴えていました。

「スマ・リサーチ社」の「対探偵課」の探偵として、悪徳探偵を一人で捕まえるという初仕事を無事に終えた琴葉さんは、社長の須磨康臣(井浦新さん)に頼まれて、探偵の桐嶋颯太(DEAN FUJIOKAさん)と二人で、精神科医に成り済まし、「野放図」の一員の宇佐美秋子(今村美乃さん)の自宅を訪問していました。事件の時、玲奈さんに「死神」のことを聞かれて「さわやなぎなな」だと教えた秋子さんは、「さわやなぎなな」のことを思い出して錯乱状態になっていたのですが、その後、精神科に掛かっていたようでした。

秋子さんの母親を騙し、“患者”の秋子さんの部屋に入った桐嶋さんと琴葉さんは、秋子さんに「さわやなぎなな」のことを訊いていました。秋子さんは、「さわやなぎなな」を思い出して再び錯乱状態になり、ハサミを振り回して琴葉さんの右腕に浅い傷を負わせたりしていました。結局詳しいことを聞き出すことができないまま、二人は秋子さんの家を出たのですが、道の陰には誰かが隠れていて、気付いた桐嶋さんは琴葉さんを先に帰し、自分の後をつけてきた男を反対に追いかけて、捕まえていました。

桐嶋さんが須磨社長に報告したことによると、その人物は須磨社長のよく知る暴力団の一員でした。その組織が「野放図」を見張っていたようでした。

琴葉さんは、「死神」を捜すのをやめたほうがいいのかと寮の部屋で弱気になっている玲奈さんを、窪塚さんの死を無駄にしないためにも、咲良(芳根京子さん)のためにも、一緒に「死神」を捜そうと説得していました。琴葉さんは、妹と仲直りをしたい姉の彩音(中村ゆりさん)に呼び出されて喫茶店で会っていたのですが、探偵の仕事を本格的に頑張ると告げて、笑顔ではあったのですが、再び姉を突き放すように一方的に別れていました。

玲奈さんは、窪塚さんの小学生の娘の授業参観に約束通り出かけていました。それから、玲奈さんが久し振りにスマ・リサーチ社に出社したことに、琴葉さんと桐嶋さんはほっとしていました。玲奈さんを呼び出した須磨社長は、「さわやなぎなな」について調べたが分からなかった、しかし「さわやなぎなな」を調べていた探偵がいたことは分かったと、それが元「阿比留綜合探偵社」の代表の阿比留佳則(ユースケ・サンタマリアさん)であることを玲奈さんに話していました。

拘置所の阿比留さんに面会に行った玲奈さんは、探偵ではない「さわやなぎなな」なら調べたことがあると話し始めた阿比留さんから、その「死神」と思われる人物について教えてもらうことができたようでした。

スマ・リサーチ社に戻った玲奈さんは、須磨社長と琴葉さんと桐嶋さんに報告していたのですが、それによると、阿比留さんの依頼者の兄の妻だった「さわやなぎなな」は、女性と交際経験がなく友達がいないひきこもりだけれど株取引などで儲けているお金持ちの男性を探し出して結婚し、8日後に男性を浴槽で溺死させて財産を奪う、というようなことをしていた人物でした。夫を殺害後、本籍を変えて「未婚」と偽り、似たような男性と結婚しては殺害して財産を奪うということを18歳までに?3件ほど繰り返していたようで、警察も「さわやなぎなな」をマークしていたものの、結局その足取りを掴めずに終わっているということでした。

玲奈さんから話を聞いた須磨社長は、その探偵を探偵しろと玲奈さんに命じ、場合によっては殺してもいいとまで許可を出して、会社として協力することを約束していました。

その頃、「死神」の「さわやなぎなな」は、DV夫の被害者の一人だった市村凛(門脇麦さん)の「調査報告書」を作成していました。

脚本は徳永友一さん、演出は石井祐介さんでした。

「最終章」の始まりの第8話は、「死神」を捜す玲奈さんの物語が一気に進展していたように思えて、玲奈さんがそのままの外見で警察航空隊の敷地内に侵入する冒頭の辺りは少し無理矢理の展開のようにも思えたのですが、面白かったです。

玲奈さんは、その後警察に自ら出向いて?取調べを受けていたようだったのですが、坂東刑事や船瀬刑事や長谷部刑事の質問には何も答えませんでした。玲奈さんが映像を消去することにしたのは、自分の映像を消すためではなく、本当に窪塚刑事を「傷害罪」の汚名から守るためだったのでしょうか。刑事さんたちは窪塚さんが必死に犯罪者集団と戦ったのだろうと気付いていましたし、窪塚さんは「殉職」をしたとされて2階級昇進したということでした。

助手の琴葉さんが「対探偵課」の探偵として、玲奈さんのように訓練を重ねたり、玲奈さんを励ましたりしていたところも、自立をしようと頑張る琴葉さんが成長している感じがして、良かったように思います。

ドラマの前半は、玲奈さんは窪塚さんの死に直面して塞ぎ込んでいたので、琴葉さんと桐嶋さんの活躍が描かれていました。後半では、「さわやなぎなな」という「死神」らしき人物に近づいていました。「さ」で始まり「な」で終わる主人公の玲奈さんと似たような名前の“悪徳探偵”の「死神」は、おそらく、これまでには登場していない新しい人物なのだろうと思うのですが(「意外な犯人」では玲奈さんの探偵としての能力が発揮されていないことになってしまうように思えるからです)、予告の映像によると、次回にはその「死神」の正体が分かるようでした。次回の物語も楽しみにしていようと思います。
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