「『障害者×感動』の方程式」という特集

日本テレビの「24時間テレビ39 愛は地球を救う」との放送時間が重なる夜の7時からNHKのEテレで生放送されていた「バリバラ(バリアフリー・バラエティー)」という番組の「検証!『障害者×感動』の方程式」を見ました。

2014年に亡くなったステラ・ヤングさんというオーストラリアのコメディアンで障害者の人権活動家という方が「TED」で演説した「感動ポルノ」という考え方が紹介されていたのですが、それは、清く正しい善き人物として描かれた「障害者」がある目的に向かって健気に頑張る姿が、「健常者」に感動や勇気を与えるための道具として消費されている、というような考え方を表した言葉で、私はその言葉を今まで聞いたことがなかったということもあり、何というか、とても革新的であるように思えました。

メディアでの「障害者」の取り上げ方が問題にされていたのだと思うのですが、イギリスのBBCで1992年に、障害を持った方たち自身が日本の「24時間テレビ」のような?チャリティー番組の在り方に対して反対運動を起こしたことから、障害者をかわいそうな人とか不幸な人のように描かないというようなガイドラインが作られた、ということにも驚きました。障害者を勇敢なヒーローや憐れむべき犠牲者として描くことは障害者への侮辱につながるから良くない、というガイドラインだそうです。日本にもそのようなガイドラインや基準などは一応作られているのでしょうか。

障害者の方を紹介する番組の作り方としてこの番組で解説されていた、まずその障害のある方の「大変な日常」を描き、「過去の栄光」(健康な時の生活)とそこからの事故や発病による「悲劇」を伝え、「家族や仲間の支え」の中でその人が「ポジティブ」に生きていく様子を伝えるというのも、確かによくある作り方であるように思えて、何だか面白く思いました。

私は、昔は日本テレビの「24時間テレビ」をほとんど見ていなかったのですが、近年は、(テレビの前にいることができる場合は)少し見るようになりました。

“感動の押し売り”という印象も確かにありますが、感動の押し売りをするような番組は他にもありますし、日本テレビの「24時間テレビ」に違和感があるとすれば、私としては、それは「障害者」と「健常者」(障害者とされている方以外の方)を分けているように見えるというところや、一年に一度しか放送しないというようなところなのではないかなと思います(あるいは、深夜のバラエティーのコーナーには障害者の方が登場しないというところもそうでしょうか)。

神奈川県の相模原市の障害者施設での殺傷事件の報道の時にも気になったことなのですが、障害者の世の中の一員なのだというようなことをあえて言われなくてはいけない状況というのがおかしいような気がします。

私の小学校の時の同じクラスに少し知的障害の子がいて、昔のことなので「知的障害」は「知恵遅れ」と言われていたのですが、私も含め同級生たちはその子のことを普通に名前で呼び、みんなと対等に暮らしていました。その子はよく笑ったりよく怒ったりしていて、急に泣いたりすることもありましたし、授業中や休み時間に時々よく分からないことをしてみんなが困惑するということはあったのですが、何か机を汚したらすぐに雑巾で拭くとか、床に散らかしたらそれもすぐに片付けるとかしていたので、あまり気になりませんでした。当時の担任の先生もその子に注意する時には他の児童に言うのと同じように言っていたように思いますし、その子の性格が悪くなかったということもあるとは思いますが、私たちはおそらくみんな、そういうものだと思っていました。

その子は中学校へ行く前に引っ越してしまったので、その後のことは分からないのですが、今思うと、やはり同じクラスにその子のような人がいたということは、決して悪いことではなかったのだと思います。何かの病気や怪我があるというだけでその人が普通の人だというのなら、やはり、特に分けられずに、同じ教室や地域で、ごく普通にぱらぱらと混ざって、自由に暮らすようになった方がいいような気がします。

「障害者」とか「健常者」という言葉を使うことにも少し違和感があるのですが、それは自分のことを考える時に、自分は本当に健常者(常に健康な人間)なのだろうかと思うからなのかもしれません。確かに「障害者」ということではないかもしれませんが、「健常者」としてくくられるのも何か違うような気がしてしまいます。「障害者」とか「健常者」という言葉自体に、あまり慣れていないということなのかもしれないと思うのですが、あるいは、そもそも「障害者」の「障害」は、バリアフリーになっていない、という社会の側にあるものなのかもしれないなとも思います。

人によって「障害」の内容や事情は様々なのだろうと思いますし、ある番組に出演する障害のある方は、全国の障害を持つ人々の中から番組スタッフが厳選したあるタイプの人々なのだろうと思うので、それは「障害者」の場合に限ったことではなく、例えば、東京大学の学生や同性愛の方や引きこもりの方などをひとくくりにして演出する場合もそうかもしれないのですが、何かをひとくくりにすることで余計に何か奇妙な、自分たちとは少し違うというような印象を視聴者が持つということになるのではないかなと、少し心配に思います。

「『障害者×感動』の方程式」に違和感を持つ方は、もしかするとなのですが、何を「感動」とかけても、「感動」が無理矢理作られているような気がして、いずれ多少の違和感を持つようになるのではないでしょうか。

アスリートの方や俳優さんたちの、「見た人に感動や勇気を与えたい」というようなコメントも、私としては、あまり良くないような気がしてしまうのですが、それでも、その人の姿を見た誰かが「感動をもらいました」とか「勇気をもらいました」などと本気で思って言うのなら、それはそれで良いのかもしれないなと思います。何かを頑張っている「健常者」の方をドラマやドキュメンタリーなどで伝える際にも、「感動ポルノ」の方式は使われているのかもしれません。

ある番組出演者の方が積極的に出演しているのなら、その出演者の方が何かを頑張っている姿をテレビの番組などの映像で伝えること自体は良いことなのだと思いますし、そのような番組を見た時に、感動してもいいし感動しなくてもいいし、何かを考えてもいいし特に考えなくてもいいというような自由さが、番組の側にも視聴者の側にもあるといいのかなと思います。

「バリバラ」の「検証!『障害者×感動』の方程式」は面白い特集だったので、30分の放送があっという間でした。Eテレのこの番組だけで放送されるのではなく、総合テレビの「NHKスペシャル」のような番組での特集があっても良いのではないかなと思いました。

差別やいじめは絶対に無くならないという人もいますが、世の中全体からは無くならないように見えても、ある学校の教室の中でそれが実現されるなら、次第に世の中全体で実現していくようになるのではないでしょうか。今日は8月の31日ということもあり、夏の終わり、という感じもします。報道によると、夏休み明けには、嫌な同級生がいる息が詰まるような学校へ行きたくないために、自殺をする児童や生徒が増えるのだそうです。好きな人とも嫌いな人(苦手な人)とも、好きでも嫌いでもない人とも、ある程度の距離感を保ったまま、それぞれが安全に穏やかに生きていくことができるような世の中になるといいなと思います。

「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」第8話

フジテレビのドラマ「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」の第8話を見ました。

先輩刑事の東海林泰久(横山裕さん)に「正当防衛」に使うためのナイフを見つかり、刑事を辞めるよう言われた警視庁刑事部捜査第一課・厚田班の新人刑事の藤堂比奈子(波瑠さん)は、厚生労働省の管轄の「精神・神経センター」に入所中の心療内科医の中島保(林遣都さん)に事情を話し、中島さんが刑事を辞めるのを止めようとするのを振り切って、さようならと伝えて別れていました。

比奈子さんが退職の旨を班長の厚田巌夫(渡部篤郎さん)に話そうとした時、連続殺人犯の佐藤都夜(佐々木希さん)が入院中の病院から刑務官を殺して脱走したという一報が入って来ました。厚田さんは部下の比奈子さんが狙われると推測し、比奈子さんは東海林さんの見張りの下しばらく自宅を出てホテルで暮らすことになりました。

その頃、長野県と群馬県と埼玉県では、カエルやハムスターやスズメやハトやカラスや猫が惨殺され、その死体の中に人間の身体の一部がいくつか入っているという事件が発生していました。長野で最初に見つかった場所は、比奈子さんの出身地付近でした。東京でも、人間の手が入った犬の惨殺死体が見つかったということでした。帝都大学医学部の法医学教授で監察医の石上妙子(原田美枝子さん)の話では、大人の男性5人分のものであるようでした。比奈子さんが事件の発生場所を地図で確認すると、長野県から少しずつほぼ一直線に東京へ近づいていることが分かりました。

厚田さんは、小動物殺害事件の資料を比奈子さんに渡し、中島先生にプロファイリングを頼んでほしいと話したのですが、比奈子さんはそれを断り、退職願を厚田さんに差し出しました。中島先生のところへは、東海林さんが行くことになりました。「精神・神経センター」の中島さんを訪ねた東海林さんは、資料を読んだ中島さんから、シリアルキラーの成長過程を見ているようだと言われました。そして、自分には藤堂さんを助けることができない、一緒に地獄へ落ちてしまうと話す中島さんから、藤堂さんを助けてあげてほしいと頼まれました。

東海林さんは、比奈子さんの部屋の隣の部屋に泊まっていたのですが、その頃、部屋で休んでいた比奈子さんは、高校生の頃の夢を見ていました。自宅近くのある倉庫に入った比奈子さんは、探していた、小動物を殺す犯人の姿を見て満足したようでした。その犯人は、自分を怖がらない比奈子さんを面白がり、小動物の血のついたナイフを比奈子さんの足元に投げて、自分らしく人を殺したらいいと勧めていました。比奈子さんは、高校生の比奈子さんがそのナイフを拾おうとするのを阻止するために、自分で拾おうとしたのですが、その瞬間、邪魔すんな、という声が聞こえ、その声ではっと目を覚ましました。

その頃、小動物の事件を分析していた中島さんは、動物の死体が見つかった地名とその数に着目しました。紙に書いて解くと、それは「とうどうひなこ」となりました。小動物事件の犯人は、初めから比奈子さんを狙っていたのでした。

隣の部屋で「藤川」の着信の電話に出た東海林さんは、比奈子さんを狙うためにホテルに来た都夜さんの声に驚き、比奈子さんを助けようと慌ててドアを開けた直後、何者かに後頭部を殴られて気を失ってしまいました。警視庁刑事部捜査第一課片岡班の班長の刑事の片岡啓造(高橋努さん)や川村浩二(松川尚瑠輝さん)は、比奈子さんたちの止まっているホテルに入っていく都夜さんを見つけ、急いで追うことにしました。

階段で上がった片岡さんは、誰も見なかったと言う青色のワンピースの女性とすれ違い、同じ廊下で比奈子さんと出会ったのですが、その直後、片岡さんは背後から近付いてきた女性に首を切られて血の溢れるのを手で押さえながら倒れてしまいました。その女性は、都夜さんではなく、高校生の比奈子さんにナイフを渡した、青い目の犯人でした。

脚本は古家和尚さん、演出は白木啓一郎さんでした。

第8話では、比奈子さんの悩みと都夜さんの脱走と小動物殺害事件とが同時進行しながら、比奈子さんの過去の問題につながっていました。

比奈子さんの夢の中の「邪魔すんな」の声の場面や、東海林さんが殴られた場面、片桐さんが首を切られた場面など、どれも突然のことだったので、ドラマを見ていてはっとしました。ホラー的なサスペンスの要素が強い回でした。

全体的には、このドラマらしい作りになっていて良かったように思います。ただ、ドラマの最初のほうで、刑務官が都夜さんに殺されている病室の現場を見た比奈子さんが、殺された男性刑務官は都夜さんに「誘惑された」と解説しているのを聞いていて、それは違うのではないかなと、少し気になりました。

連続殺人犯への見張りが雑過ぎるのではないかというような展開はともかくとしても、男性刑務官はそもそも犯人を管理する側の人なのですし、立場的には弱い、管理される側の犯人の女性が刑務官による性的な被害に遭いそうになっていたと考える方が自然であって、犯行途中の男性刑務官の遺体を見た際の比奈子さんたち刑事が、刑務官のほうが女性に誘惑された、あるいは女性のほうが刑務官を誘惑したと考えるのは、私には、少し不自然というか、間違っているような気がしました。

今回の第8話は「前編」で、予告によると、次回の第9話が最終話なのだそうです。最初から全9話の予定のドラマだったのでしょうか。次回の「後編」が「解決編」となるのかどうかは分かりませんが、次週の最終回も楽しみにしていようと思います。


ところで、これはこのドラマと全く関係のないことなのですが、このドラマの放送時間の前に見たテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」の最後に鑑定されていた、96歳の老婦人の方の、杉山寧さんの桃の絵がとてもきれいでした。手折ったばかりのような枝も桃の実も葉も瑞々しくて、桃の色に近い背景の色にも温かい雰囲気がありました。光沢のない銀色のシンプルでモダンな感じの額も絵によく合っていて、良かったです。テレビの画面の映像で見ただけなのですが、すてきな絵だなと思いました。

映画「ラストサムライ」

先日の日曜日のお昼頃のフジテレビで放送されていた、2003年に公開されたアメリカ映画「ラストサムライ(The Last Samurai )」(エドワード・ズウィック監督)を見ました。

今年は2016年なので、13年前の映画ということになります。公開当時日本で話題になっていたこの映画を、私はいつか見てみようと思いながら見ないままになっていたのですが、フジテレビで日曜日(なぜかお昼の時間)に放送されると知り、録画をしておくことにしました。

アメリカのハリウッドが制作した日本の時代劇作品ということなので、面白いか面白くないのかよく分からないなという気持ちで見始めたのですが、思っていたよりも、とても良い映画でした。

アメリカの南北戦争で北軍の士官として戦い、非戦闘員の原住民のインディアンの人々を上官の命令に従って銃殺したという過去に苛まれて自暴自棄の日々を過ごしていた1876年(明治9年)のある日、明治政府の大臣で日本の近代化と帝国陸軍の強化を推し進める大臣の大村松江(原田眞人さん)の要請で陸軍の軍事訓練の指導者として来日することになったネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズさん)が、大村大臣が敵として政府軍を率いて征伐しようとしていた、明治維新には協力したけれど廃刀令には一切応じようとしない、明治天皇(中村七之助さん)の元教育係でもあった不平士族の首領の勝元盛次(渡辺謙さん)の捕虜となり、勝元の治める村で勝元や嫡男の信忠(小山田真さん)や氏尾(真田広之さん)や村の日本人たちと一年を過ごすうちに、四季の美しさを知り、礼儀や刀を重んじる武士道に共感し、西洋の銃やガトリング砲などの新型の武器を用いる政府軍と再び戦をすることとなった侍の勝元たちと共に、伝統的な刀や弓矢や槍を用いて政府軍に立ち向かっていく、というような物語でした。

語りは、日本で暮らしている学者で、富士山の見える横浜港に降り立ったオールグレン大尉に日本文化を教えたり従軍記者のようになったりしていたサイモン・グレアム(ティモシー・スポールさん)でした。

戦場でインディアンの人々を殺戮してしまったことが心の傷となったまま日本へ来たオールグレン大尉が、近代化とはかけ離れた、武士道精神を貫く勝元の治める山奥の農村での生活によって、その傷を癒していく物語でもありました。

公開当時も人気の作品だったので、私が言うことではないかもしれないのですが、外国の映画ではありながら、ちゃんと「武士道精神」が描かれていたように思います。

日本の映画やドラマでは、天皇陛下が話す場面はあまり描かれないので、中村七之助さんの演じる若き明治天皇が直接オールグレン大尉や勝元と話す場面があるというところも、意外というか、新鮮に思えました。

歴史上の人物の名前が具体的に登場していたというわけではないのですが、勝元は西郷隆盛なのかもしれないなという風に思いながら、映画を見ていました。オールグレン大尉のモデルは、江戸幕府陸軍の近代化を支援するために来日したフランス軍事顧問団の陸軍士官で、後に榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争を戦ったジュール・ブリュネだということでした。陸軍の近代化を計る大村大臣は、大村益次郎のことなのかなと最初は思ったのですが、明治9年や明治10年という時代的には、大久保利通なのかもしれないなとも思いました。

何といっても、明治政府軍が待ち構える森の奥の霧の中から侍の勝元たちが登場する最初の場面が感動的でした。江戸時代末期の侍というよりは、戦国時代の武将たちのような甲冑を着た騎馬隊の姿だったので、戦国武将たちの亡霊が明治政府を倒しに来たのかもしれないという風にも見えました。

侍(武士)の姿、西洋風に近代化する前の伝統的な日本の姿は、新渡戸稲造の『武士道』のように理想的というか、ある種のファンタジーのような感じで描かれていたのだと思います。明治初期の時代でありながら黒ずくめの忍者も登場していました。それでも、西南戦争などの史実に沿っているということではなかったかもしれないのだとしても、武士道精神や日本の精神は、しっかりと描かれていたように思えました。

虎の旗のことは私にはよく分からなかったのですが、侍の大将の勝元が、敵に囲まれて追い詰められながらその旗を槍のように振り回して戦うオールグレン大尉に一目置いたのは、最後まで諦めない意志の強さが見えたからだったのだろうと思います。

大村大臣の率いる政府軍の軍人たちが、戦場で勝元の生き様を目の当たりにし、大村大臣の意に反して、その死に涙を流して跪くという場面も、ファンタジー的であるのかもしれないのですが、良かったです。明治政府の陸軍の軍人たちの中にも、武士道精神を持っていた人、あるいは勝元の死に接してそれを取り戻した人たちがいたのでした。

勝元の治める地域に鉄道を引こうとしていたらしい大村大臣たち明治の政府は、アメリカから優先的に近代兵器を輸入するというような条約を取り決めようとしていたようだったのですが、最後、明治天皇がそれを制止していました。勝元が献上しようとしていた刀を謁見した明治天皇に差し出すオールグレン大尉に、明治天皇が、勝元の「死に様」ではなく「生き様」を教えてほしいと話していたのも良かったです。

オールグレン大尉が過去の戦争のトラウマから眠っている時にうなされているということについて、勝元がオールグレン大尉のことを恥を知っている者だと話していた場面も、良かったです。

戦場で人を殺したり傷つけたりすることを悔やんだり悩んだりするような人は恥を知る人間で、時代のせいにしたり上官の命令のせいにしたりしてそのことをその時にも後にも何とも思わないような人は恥知らずな人間だということは、確かにそうかもしれないと思いました。

勝元を演じる渡辺謙さんや明治天皇を演じる中村七之助さん、氏尾を演じる真田広之さんの他の有名な日本の俳優は、オールグレン大尉が倒した赤い甲冑の侍の妹のたかを演じる小雪さん、飛源を演じる池松壮亮さん、オールグレン大尉を見張る寡黙なサムライを演じる福本清三さんでした。

登場人物を演じる日本や外国の俳優さんたちが良かったということもあるのかもしれないとも思うのですが(渡辺謙さんの演じる勝元がお寺の廊下を歩いたり振り向いたりしながらオールグレン大尉と会話をするというような演出は、現代風というか、少し外国風に思いましたが)、やはり物語が良くできていたのだと思います。

日本の時代劇の中にも歴史的事実を忠実に描いているわけではない作品はたくさんあるのだと思いますし、そのようなことを考えなくても、単純に、近代化していく日本社会の中で取り残されていった最期の侍たちを描く美しい映画になっていたように思います。脚本を担当した方や監督の方は、伝統的な日本の文化をよく勉強して映画を作ったのだろうなと思いましたし、日本の文化を好きだということがよく伝わってくる映画であるように思いました。

私が見た先日のフジテレビのものは約2時間の放送だったので、話が突然飛んでいるように思えるところもありましたし、「ノーカット」ではなかったのだと思います。字幕ではなく、吹き替えでもありました。でも、私もこの「ラストサムライ」の映画を見ることができて良かったです。いつか完全版も見てみたいなと思いました。

「そして、誰もいなくなった」第7話

日本テレビの日曜ドラマ「そして、誰もいなくなった」の第7話を見ました。

日下瑛治(伊野尾慧さん)と君家砂央里(桜井日奈子さん)と馬場(小市慢太郎さん)と4人で謎の共同生活を送っていた藤堂新一(藤原竜也さん)は、「停電爆弾」という、上空に飛ばしたドローンから送電施設の上に炭素繊維を撒いて停電を引き起こし、地下にある日本政府のサーバが自家発電に切り替わる0.2秒の間にサーバーにハッキングして、「ミス・イレイズ」によって個人番号にまとめられたデータを全て削除するという仕掛けを作っていたようでした。

総務省の官僚の小山内保(玉山鉄二さん)は、病院で目を覚ましていたのですが、馬場さんの消息は不明ということでした。公安警察の鬼塚孝雄(神保悟志さん)は、トランクに入っていたという、介護士の西野弥生(おのののかさん)の名札を小山内さんに見せていました。

小山内さんの病室を訪ねてきた新一さんの婚約者の倉元早苗(二階堂ふみさん)は、藤堂万紀子(黒木瞳さん)から行ってほしいと頼まれたという場所のメモを小山内さんに見せたのですが、そこには奥多摩の住所が書かれていました。小山内さんは、一緒に行きたいと訴える早苗さんと二人で車に乗って、奥多摩のある家に到着しました。呼び鈴を鳴らすと、西野さんらしき人の声が応対したのですが、同じ言葉を繰り返すその声に違和感を持った小山内さんがドアを壊して侵入すると、そこには誰もいなかったのですが、西野さんの声を録音したテープの仕掛けが見つかりました。

家の中を探し歩いた二人が庭へ出ると、そこには白い冷蔵庫がありました。小山内さんが蓋を開けると、中には斉藤博史(今野浩喜さん)の冷凍された遺体が横たわっていました。早苗さんは、小山内さんに止められたのに冷蔵庫を開けてそれを見てしまいました。小山内さんは、小山内さんを見張っていた鬼塚さんたちに捕まり、事情を聞かれることになりました。

一方、馬場さんの行方を心配していた砂央里さんは、馬場さんのいない中での計画の実行に反対していたのですが、瑛治さんと新一さんに説得されて、予定通りの計画の実行を認めることにしました。

黒色のドローンをそれぞれ持って、あるビルの屋上にドローンを置き、準備を始めました。砂央里さんは、密かに取引をしていた弁護士の西条信司(鶴見辰吾さん)が現れると、西条さんの成功報酬の半分を要求し、西条さんと言い合いになったのですが、西条さんが3割でいいと認めた直後、近付いてきた西条さんを、砂央里さんが刺したようでした。腹部を刺された西条さんは激怒し、砂央里さんの首を絞めようとし、もみ合いになっているうちに、一緒にビルの端から転落してしまいました。

万紀子さんから奥多摩へ行くよう言われたということを鬼塚さんたちに話していた小山内さんは、地面に倒れた西条さんからの電話に出ることになりました。砂央里さんも、西条さんの近くに倒れていたのですが、その間に、砂央里さんの準備したドローンは飛び立って行きました。新一さんが操作を始め、新一さんの分も、瑛治さんの分も、夜の街の上を飛んで行きました。

脚本は秦建日子さん、演出は田中峰弥さんでした。

謎が謎を呼ぶ、という展開はまだ続いていますが、「個人番号」を乗っ取られた新一さんの物語が動き出したという印象でもありました。

今回では、砂央里さんと弁護士の西条さんが新たに死亡したのですが、斉藤さんの遺体が発見され、馬場さんと西野さんの生死は不明のまま、ということになっています。

小山内さんは、「藤堂新一からのプレゼントだ」と言われて頭を殴られて海に沈められたということを気にしていました。第1話で「ゲームの始まりだ」と言った人物を、私は、小山内さんなのかと思っていたのですが、レコーダーのような機械を持ってビルの窓から新一さんを見ていたというだけだとするなら、もしかしたら小山内さんではないのかもしれません。

このドラマの「世界は孤独になる」は、日本政府が国民番号で管理している国民一人一人の個人情報データが消えるということのようなのですが、孤独ということを考えるなら、個人情報のデータが消えて客観的な情報が無くなったとしても、完全な孤独にはならないような気もするのですが、どうなのでしょうか。

瑛治さんは、「後は頼んだよ、兄さん」と、誰かのことを兄さんと言っていたのですが、新一さんの母親の万紀子さんを無視していたことと何か関係があるのでしょうか。予告によると、新一さんたちのドローンの仕掛けに何か不具合が起こるようでした。夜に飛ばすのならドローンの光の点滅は消しておいたほうがいいのではないかなというところは少し気になったのですが、次回も楽しみにしていようと思います。

「ディープオーシャン 深海大峡谷 光る生物たちの王国」

NHKの大河ドラマ「真田丸」の第34話の後に放送されていた「NHKスペシャル」の「ディープオーシャン 潜入!深海大峡谷 光る生物たちの王国」も、とても面白かったです。

「ディープオーシャン」(音楽は久石譲さんでした)は、シリーズで放送される番組だそうです。今回の番組はその「第1集」ということでした。

以前に深海の巨大なダイオウイカを撮影した取材班が再集結して撮影したのだそうです。カリフォルニアのモントレー湾の深海大峡谷の、200メートルから1000メートルという、トワイライトゾーン(薄光層)の場所に、ロビソン博士やウィダー博士という研究者の方たちがそれぞれ「超高感度深海撮影システム」(NHKが開発したのだそうです)を搭載した潜水艇に乗って潜入し、発光生物たちの姿をその場で撮影して観察したり、吸引機で捕獲して観察したりしていました。発光する生物たちは、光の届かない海底ではなく、ごく僅かでも光の届く水中に生きているということでした。その辺りに暮らす魚には、目の大きい魚が多いそうです。深海の生き物なので、恐竜時代の生物のように見えたり、鱗が金属のように見えたりしました。名前は忘れてしまったのですが、赤色の三角形のクラゲの全身からキラキラした青い光が星のように流れ出ていたのもきれいでした(でも、赤色自体はクラゲには認識できない色なのだそうです)。深海の珍しい生き物たちの姿を見ることができるというだけでも面白いと思うのですが、発光するというようになった経緯?の解説も、面白く思いました。

カイアシという青白く光る動物プランクトン(小さなエビのような形でした)は体内でルシフェリンの一種のセレンテラジンという発光物質を作ることができるそうなのですが、深海の他の発光生物たちはその物質を体内で作ることができないそうです。研究者の説によると、食物連鎖によって、光るカイアシを食べる生物、その生物を食べる魚やイカやクラゲなどに、順番に発光物質が蓄積されて、発光生物が存在するようになったのではないかということでした。カイアシは大潮の日に水深200メートルほどの場所まで上がって来て、カイアシを追って他の発光生物たちも上がって来るということで、博士たちは潜水艇に乗ってその暗い海中の場所で待っていたのですが、すると本当に光る魚やイカたちがたくさん上がって来たようでした。私の家のテレビの画面でははっきりと見ることはできなかったのですが、潜水艇の博士たちはよく観察することができたようでした。博士の撮影したカメラの画像は青白い光の点でいっぱいになっていました。

調査されていたのがカリフォルニアのモントレー湾の深海ということで、発光生物と聞いて思い出すウミホタルのことは今回の番組の中では特に言われていなかったのですが、モントレー湾にはウミホタルはいないのでしょうか。ウミホタルの光も、カイアシの光と同じ光なのでしょうか。

食物連鎖で成立している自然環境というのは、自然としては豊かな環境ということになるのかもしれません。でも、どうして神様は(神様が世界を作ったとするのならですが)、生物が他の生物を殺して食べなければ生きていくことができないようにしたのだろうと、食物連鎖の話を聞く度に、いつも不思議に思います。
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Author:カンナ
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