ドラマ「母、立ち上がる」と、銃剣道の必修化のこと、福島の避難指示区域の解除のこと

NHKの総合テレビで放送された、2夜連続のシリーズ「認知症:ともに新しい時代へ」のドキュメンタリードラマ「母、立ちあがる」を見ました。録画をしておいたものです。

私はこの特集のことを知らなかったので、何のドラマだろうと気になって何気なく録画をしておいた番組だったのですが、看護師として働いていた10年ほど前にアルツハイマー型認知症の初期と診断された55歳の藤田和子さんが認知症に対する社会の意識を変えようと、夫と3人の娘たちと一緒に認知症についての間違った情報やそれに伴う偏見などと闘う姿を伝える、ドキュメンタリーと再現ドラマで構成された番組でした。

藤田和子さんを演じていたのは、富田靖子さんでした。

45歳の頃に認知症と診断されたという藤田さんは、若年性認知症ということのようなのですが、10年の間にほとんど進行していないようにも見え、認知症のことをよく知らない私には、それが不思議に思えました。薬で認知症の進行が抑えられているのかもしれないとも思えたのですが、あるいは、やはり個人差があるということなのかもしれないなとも思いました。

料理を作っている時に炊飯器のボタンを押していないことに気付くとか、お鍋にガスを点けたと思っていたけれど点いていなかったとか、私にも時々あることなので、番組に出演していた藤田さんの“物忘れ”は認知症によるものでもないような気がしたのですが、番組で紹介されていないような、もっとはっきりとした症状もあるということなのかもしれません。

藤田さんは、ご自身の症状にアルツハイマー型認知症という病名が付いたことで、すっきりとしたようでした。夫の方も穏やかそうに見えましたし、3人の娘さんたちもしっかりとしていて優しそうに見えました。藤田さんは、看護師の仕事は辞めたそうなのですが、家事はそれまでと同じように続けていて、認知症の症状のある母親を手伝う娘さんたちは、認知症だから手伝うわけではなく母親だから手伝うのであってそれはごく普通のことだという風に話していました。それは確かにそうなのかもしれないとも思うのですが、その普通のことというのは、実はすごいことなのだと思います。

若年性認知症を患う藤田さんは、認知症のことを社会に正しく理解してもらうために、認知症を患う人が地域社会から外されないようにするために、家族に支えられながら、もう100回も講演を行っているそうです。世の中から病への偏見をなくすために立ち上がった藤田さんご本人は本当にすごいと思うのですが、ご家族が良いご家族だなと思いました。

もともと仲の良い家族だったのかもしれませんが、一家の母親が40歳代で認知症になって、さらに仲良くなったのかなと思いました。そのようなことが番組の中で言われていたというわけではないのですが、もしも藤田さんが独身の人だったなら、あるいは夫や子供たちとあまり交流がない人だったなら、認知症と闘う環境や認知症の進行度合いは大分違っていたのではないかなとも思います。

「認知症」という名前が示す病気の症状は、人によって異なるのかもしれないというか、もしかしたら、意外とざっくりとしたものなのかもしれません。

認知症になった方のイメージとして、例えば、裸足で街を徘徊するとか、お財布のお金が盗まれたと騒ぐとか、近所の人に悪口を言い触らすとか、暴れるとか、そのようなことがメディアなどでも言われていることがあるため、認知症になるとそうなってしまうのかなと漠然と思ってしまうことがあるのですが、そのような人もいるかもしれないけれどそうではない人もたくさんいて、病気の進行の早い人もいれば遅い人もいるのだろうと思います。

また、病気に対する間違った情報が広まっていたり、偏見があったりするのは、認知症だけではないようにも思えました。番組によると、藤田さんが認知症だと分かってから離れて行く友人も多かったということでしたが、離れて行くというよりは、どう話しかけていいのか分からないというか、そのようなことなのではないかなと思います。例えば病気が癌でも、白血病でも、その病気になった自分自身が戸惑うのと同じくらい、それと知った相手も戸惑うということはあるのではないかなと思いました。藤田さんには澤野さんという友人の方がいて、地域社会全体で認知症の人を支えようという活動も始めているということでした。

私は認知症のことをよく知らないのですが、今回のドキュメンタリードラマの藤田さんの姿を見て、認知症に対する印象が少し明るいほうへ変わったような気がします。病気になった人がまだ病気になっていない人と同じように穏やかに暮らしていくことができる世の中になっていくといいなと思いました。良いドキュメンタリードラマでした。


ところで、これは認知症の話とは全く関係のないことなのですが、今朝の報道によると、松野博一文部科学大臣が小学校と中学校の新しい学習指導要領と幼稚園の新教育要領を官報で告示したそうです。幼稚園で国歌を「親しむ」ように教えるかもしれないことや、小学校でLGBTなど性的少数者について教えないかもしれないということも、少し不思議に思えたのですが、それ以上に、中学校の保健体育で必修となる武道の例に、柔道や剣道などの8種の他に「銃剣道」を追加したということに驚きました。

文部科学省に寄せられた「パブリックコメント」の中に、「銃剣道も加えるべきだ」との意見が「数百件」あったそうです。パブリックコメントを募集する直前に公表したという「改定案」にも「銃剣道」は含まれていなかったそうですし、「数百件」というのが多いのか少ないのかよく分かりませんが、報道によると、銃剣道を授業に取り入れている学校は神奈川県に一校あるそうで(神奈川県平塚市の中学校だそうです)、競技人口は3万人に上る、ということなのですが、私は、そもそも「銃剣道」という武道があることを全く知りませんでした。

銃剣というのは銃の先に剣がついている武器で、太平洋戦争や第二次世界大戦前の日本軍やフランス軍の兵士たちが使っているというイメージがありましたが(ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の絵にも銃剣が描かれています)、今でも自衛隊の方たちは銃剣を使った訓練をしているのだそうです。

銃剣は幕末の日本にフランスから伝えられたものだそうで、明治中期に日本独自の銃剣術として発展し、太平洋戦争が始まる昭和15年の頃、「銃剣術」から「銃剣道」に名前が変えられたのだそうです。そして、戦時中、女子は伝統の薙刀(薙刀は平安時代からあったそうです)を習い、男子は銃剣道を習ったということでした。銃剣道は、敗戦後、GHQによって一度廃止されたそうなのですが、8年後、GHQの占領政策が一応終わった日本で、旧陸軍の元軍人の方たちが銃剣道を復活させ、その後日本体育協会や日本武道協議会に加盟して全日本銃剣道連盟という組織を作り、スポーツの一つとしての武道として再興したのだそうです。

現代の銃剣道というのは、「木銃」という木製の長筒のような道具を使って対戦相手を突く競技となっているそうです。剣道の竹刀のようなものが、銃剣道では木の銃ということなのかもしれませんが、私はこの新学習指導要領の報道を聞いて、憂鬱な気持ちになりました。

もしかしたら私が銃剣道の練習風景や試合自体を見たことがないからそう思うのかもしれませんが、旧日本軍が使った銃剣のイメージは、払拭されていないように思います。明治期から導入された銃剣は、平安時代から続く薙刀とも、それ以前から続く刀(日本刀)とも違うように思えます。

柔道でさえ学校で教えるのは危ないと言われているのに、銃剣道が必修化されたらまた事故や事件が起きそうだなとも思えてしまうのですが、現在銃剣道を習っている3万人?の方たち(主に自衛隊関係者だそうですが)は、スポーツの武道として安全に習っているのだろうと思いますし、旧日本軍(大日本帝国陸軍)のようで怖いなと思うのは、一面だけを考えているからということになるのかもしれません。

でも、驚きました。銃剣道という武道を中学校で教えるようになる場合は、自衛隊出身者の方が学校に教えに来るようになるということなのかもしれません。剣道の竹刀がもしも木刀だったとしても危ないように思いますが、その銃剣道という木製の銃剣で相手の喉や胴を突くというスポーツが必修化されるかもしれないというのがどうして今なのだろうということも、少し思いました。文部科学省の天下り斡旋問題やそれが次々と公表されていることとも、何か関係があるのでしょうか。私はどちらかというとスポーツがあまり得意ではないなほうなので、柔道などの武道やダンスが必修化されるらしいと聞いた時にも思ったことなのですが、銃剣道というものが必修化されるらしいと知って、私の時でなくて良かったということも、また少し思いました。


あと、自民党と公明党による政府は学校法人・森友学園の籠池理事長を議院証言法違反(偽証罪)の疑いで告発しようとしているそうで、今日には大阪府と大阪市が補助金の不正受給の疑いで森友学園への立ち入り調査を行ったそうです。(不正受給というものを成立させた役所の側は、悪いということにもならず罪にも問われないのでしょうか。)

国会では、学校法人・森友学園への大阪府豊中市の国有地格安売却疑惑について多く取り上げられ、防衛省が自衛隊員の記した「日報」を廃棄処分しようとしていたことや、テロ等準備罪(共謀罪)のことや、核兵器禁止条約交渉に日本政府が不参加を表明したことや、与党の自民党の議員たちが敵基地攻撃能力(日本が外国からミサイル攻撃などを受ける前に、自衛隊がその外国の基地を先制攻撃して破壊する力)の保有の検討を安倍首相に求めたことや、日本の水道事業が民営化されて外国の企業も参入できるようになるという水道法改正案のことなどはあまり話し合われていないようなのですが、森友学園国有地問題で国会が停滞しているとするならば、その原因は、野党の追及の仕方が少しずれているというようなことにあるよりは、与党(官邸)やその仲間の役人が国有地売却関連の関連の公文書等を廃棄したと言い張って(実際に公文書を捨ても捨てた人は罪に問われないのでしょうか)この問題を自ら解明しようとせず、その問題の原因の全てを、籠池理事長夫妻や大阪府の私学審議会の方たち(役人ではなく、“有識者”のような民間の方たちそうです)や安倍昭恵内閣総理大臣夫人付きの谷査恵子さんという方のせいにしてごまかそうとしているところにあるように思えます。

戦後に衆参両院で廃止された「教育勅語」を子供たちに暗唱させるような森友学園の教育方針を現首相や大臣たちが国会で称賛していたということの不気味さも、森友学園への国有地払い下げの問題がその教育内容と共に公になって批判されるようになるまでは隣国の人を悪者にする思想を子供たちに植えつけるような森友学園の小学校建設を内閣総理大臣夫人や右派?の政治家や著名人たちが応援していたということも、その森友学園の問題をなぜか当初はNHKや日本テレビ系やフジテレビ系のメディアがなかなか報道しなかったということも、忘れてはいけないことであるような気がします。

それから、今日と明日で、2011年の3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故の影響で避難指示区域となっていた福島県の川俣町と浪江町と飯舘村と富岡町の避難指示の指定が解除され、自主避難した方たちが受けていた住宅の無償提供が打ち切られるそうです。今年の3月末とは言われていましたが、でも、本当に打ち切りになってしまうのでしょうか。私は避難者ではないですが、不安ですし、怖いことだなと思います。あれほど多くの方が亡くなった東日本大震災の被災による影響は(津波で人々が浜に打ち上げられているという臨時ニュースがショックでした)、6年では一区切りにはならないように思えます。原発産業を推し進めようとしている政府は被災者の方に被災地となった故郷の土地へ早く戻ってほしいようなのですが、放射性物質による汚染もすぐにはなくならないように思えますし、被災した故郷に戻る決断をした方の支援も、故郷に戻りたくても戻ることができない方の支援も、国には続けてほしく思います。

ドラマ「そして誰もいなくなった」

テレビ朝日の二夜連続ドラマスペシャル「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」を見ました。

絶海の孤島のホテルのオーナーに招かれた過去に殺人に関わったことのある10人の男女が「数え歌」の通りに一人ずつ殺されていく、という物語です。

イギリスの推理作家・アガサ・クリスティの長編推理小説『そして誰もいなくなった』の物語を日本で初めて映像化したドラマということで、私も見るのを楽しみにしていたのですが、放送時間には見ることができなかったため、録画をしておいたものを少しずつ見ることにしました。

第一夜は事件編、第二夜は解決編で、主な登場人物は、ホテルの執事夫妻の翠川信夫(橋爪功さん)と翠川つね美(藤真利子さん)、オーナーの七尾審に招待されて孤島のホテルに来た元水泳選手の白峰涼(仲間由紀恵さん)、ミステリー作家で元ボクサーの五明卓(向井理さん)、元女優の星空綾子(大地真央さん)、医師の神波江利香(余貴美子さん)、元国会議員の門殿宣明(津川雅彦さん)、元刑事の久間部堅吉(國村隼さん)、元傭兵のケン石動(柳葉敏郎さん)、元判事の磐村兵庫(渡瀬恒彦さん)の合計10人、解決編に登場する捜査一課の警視庁捜査一課の警部の相国寺竜也(沢村一樹さん)と八丈島東署捜査課の警部補の多々良伴平(荒川良々さん)でした。

脚本は長坂秀佳さん、音楽は吉川清之さん、監督は和泉聖治さんでした。

ナレーションが石坂浩二さんだったので、TBSのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の感じも少ししてしまったのですが、主演が仲間由紀恵さんで、監督が「相棒」の和泉聖治さんということで、そのつながりだったのかなと思います。

ドラマの字幕によると、撮影は2016年の12月から2017年の2月にかけて行われたそうです。この作品が、先日亡くなった俳優の渡瀬恒彦さんの遺作となったということで、最後の長い独白の展開や演出は、病を押して撮影に臨んだ渡瀬さんのためのものだったのかもしれないなとも思いました。撮影は亡くなる約1か月前ということになるのだと思いますが、この1か月後には亡くなられているのだということを知っていても、磐村さんを演じていた渡瀬恒彦さんの迫力は、それとは分からないくらいでした。すごいなと思いました。

二夜連続のミステリードラマの物語としては、もう少しサスペンス的でも良かったような気がしました。私がアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を読んだのは中学生の頃のことなので、物語の内容がうろ覚えになっているということもあると思うのですが、ドラマでは、見立て殺人の描写もあまりはっきりとしていなかったように思いますし、展開のメリハリも少し弱かったように思いますし、比較的ゆっくりとしていたので、ドラマを見ながら少し眠いような気持ちにもなってしまいました。

ただ、それにしても、アガサ・クリスティーはすごいなと思います。ミステリー小説やドラマや映画が溢れている今から考えると、『そして誰もいなくなった』の物語はどこかで何度も見たことがあるミステリーのようにも思えてしまいそうになるのですが、この推理小説は1939年(昭和14年)の作品なので、アガサ・クリスティーのほうが先なのです。その頃からずっと人気があって、後世の多くの作品に影響を与えていて、江戸川乱歩に「クリスティーに脱帽」という評論がありますが、本当にそうだなということをまた改めて思いました。


ところで、これはアガサ・クリスティー原作のミステリードラマとは全く関係のないことなのですが、昨日には、政府が昨年の7月に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件の犯人となった元職員の男性が事件の少し前に「措置入院」を解除されていたということを踏まえて今国会に提出した「精神保健福祉法改正案」に、日本精神神経学会が反対を表明しているという報道がありました。日本精神神経学会が反対をしているのは、政府の法改正案が「犯罪の防止」を目的としたものになっているからだそうです。

政府の指示によって身体や精神に病を抱えている人を今よりもさらに「隔離」したり、その人の個人的な情報を地域社会に広めたり、人権や自由を制限するという方向に進めたりしていくということは、時代を逆行しているというか、病気の改善のための治療から離れていってしまうことになるかもしれませんし、その病気を抱えている人に対する偏見を助長するようなことになってしまうようにも思えます。

「津久井やまゆり園」の事件の後、私は、植松容疑者が大島衆議院議長宛てに出していたという手紙を報道で見て、その容疑者が安倍晋三首相の考えに共鳴しているらしい“優生思想”を持った人物だったということに驚きました。メディア(特に読売新聞系)が犯人に「措置入院」の過去があったことを繰り返し指摘していたことにも違和感があったのですが、そもそも、罪を犯す人に健常者も障害者もないような気がしますし、「津久井やまゆり園」の殺傷事件の容疑者が仮に精神疾患のある人だったとしても、他の精神疾患のある人たちとは無関係のはずです。昨日の報道を聞いて、警察の権力が拡大され一般市民に向けて乱用される恐れもある「テロ等準備罪(共謀罪)」を成立させようとしている内閣が提出した「精神保健福祉法」の改正案も、「治安維持」や自民党の改憲草案にある「公益及び公の秩序」のような、国民を監視・管理する目的のために、それを利用しているということなのかもしれないなと、何となく思いました。

「LEADERS(リーダーズ)II」

TBSのスペシャルドラマ「LEADERS(リーダーズ)II」を見ました。

2014年に放送された二夜連続スペシャルドラマ「LEADERS リーダーズ」は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎さんをモデルとした国産自動車メーカーの物語でしたが、今作は、続編というよりは、その物語を別の側面(販売者の側)から描いた物語でした。

私は2014年の放送は見ていたのですが、先日の「LEADERS 特別編 ディレクターズカット」という4時間の長時間ドラマを見ることはできなかったため、今作の「リーダーズ2」は、2014年の「リーダーズ」の物語を何となく思い出しながら見ることになりました。

昨夜の「リーダーズ2」は、大阪から名古屋へ帰る途中の鈴鹿峠で車が故障して立ち往生している愛知佐一郎(佐藤浩市さん)と出会ったアメリカのゼネラルモーターズ(GM)車の販売店「日の出モータース」の支配人の山崎亘(内野聖陽さん)と営業の日下部誠(東出昌大さん)が、佐一郎さんの国産自動車作りへの思いに感銘を受け、「アイチ自動車」の販売店の第一号店として社長の佐一郎さんを支え続けていくという話でした。(「リーダーズ」では、山崎さんを演じていたのは岡田浩暉さんでした。)

国の政策により軍事用の車を作らないと自動車製造の認可が下りないということになった昭和10年、佐一郎さんはトラックを作り、緑色のトラックを見た日の出モーターズの山崎さんは、そのアイチ自動車の国産のトラックを、まずは6台だけ売ることにしました。そして、その6台の修理サービスをアイチ自動車に徹底させました。アイチ自動車は、車を買った前川さん(でんでんさん)たちの故障車の修理をする中で、シャフトが折れやすいということに気付き、金属製の懐炉を作っていた大島磯吉(山崎努さん)の協力を得て、日本刀の鋼のように強い鉄を作るための試行錯誤を繰り返しました。

3000キロに耐えるシャフトの実験に成功したアイチ自動車は、G1トラックの大量生産と日の出モーターズでの販売を始め、半年後には1千台を販売し、昭和11年、無事に自動車製造の認可が下りたようでした。そして「挙母工場」が完成すると、AA型自動車の製造を始めました。佐一郎さんの呼び掛けで、「協愛会」というアイチ自動車への協力会社の会も、発足しました。

しかし、昭和16年の12月、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まってしまい、アイチ自動車やその協力会社の社員たちも徴兵されるようになりました。政府は、自動車配給会社というものを各県に一つずつ作り、アイチ自動車と若草自動車とみすず自動車の3社は机を並べて仕事をすることになりました。

若草自動車の販売会社の支配人の菊間武二郎(大泉洋さん)は、山崎さんの案内で挙母工場を見学してその規模に驚き、作業着姿の佐一郎さんの仕事ぶりに感銘を受けました。佐一郎さんは、新しいSA型の設計図面を若草自動車の菊間さんに見せ、若草自動車がアメリカの技術を買って自動車を作っているということついて、それだと大型や中型の自動車になってしまう、アイチ自動車は小型自動車を作りたいのだと説明しました。

自動車を戦争の犠牲にしてはいけない、アイチの車は戦争をするために作っているんじゃない、と言う佐一郎さんのことを、山崎さんは、車好きの息子を満州での戦争で亡くしたと言う菊間さんに、戦争は原油が原因で始まった、佐一郎さんが作ろうとしている低燃費の車には戦争をしてほしくないという願いが込められているのだと話しました。

昭和20年、終戦を迎えた日本でもGHQがまだ戦前の自動車配給会社の制度を維持していたようで、GHQの担当者に会いに行った山崎さんと菊間さんは、小さな島国の日本では自動車産業に知恵と技術が込められている、日本の将来には自動車産業が必要だ、それができなくて何が民主化かと、自動車配給会社の制度を解体してほしいとGHQの担当者を説得しました。

佐一郎さんは、お客様の声を直接聴くことのできる販売員の声を聴きたいと、販売会社の人々を公会堂に集め、この手で作った国産車を100万台売りたい、力を合わせて実現させましょう、そのためにはアイチも若草もない、私たちの力で日本の車を世界一にしましょう、と演説しました。

佐一郎さんに心を動かされた菊間さんは、若草自動車からアイチ自動車に移籍しました。そして、販売員たちの会の副理事長の山崎さんから、理事長を任されることになりました。

そうして、この国の未来を自動車の力で明るくしたいと考えるアイチ自動車の車は売れ始めるのですが、しばらくして世の中はインフレの状態になりました。アイチ自動車も風前の灯となったということでした。労働者たちのデモも起きたそうなのですが、協愛会の大島さんは、今こそアイチを支えなくてどうするのかと生活に困っている労働者たちを一喝し、もう少し待とうと説得しました。

戦前にはゼネラルモーターズの代理店だった「酒田ガレージ」の社長の酒田健太郎(郷ひろみさん)は、戦後には駐留米軍に近付き、アメリカの車を販売することで急成長していました。そのような中、若草自動車のように財閥の系列でもないアイチ自動車は、銀行からの融資を断られていました。菊間さんは、若草自動車の浅田常務(尾上菊之助さん)から、アイチは倒産する、若草に戻って来てほしいと言われ、迷っていたのですが、自分と部下の生活を第一に考えてほしい、命より大切なものはないとと佐一郎さんが言っていたということを山崎さんから聞き、部下たちと共にアイチに残る決意をしました。

日の出モーターズの山崎さんは、銀行がお金を出さないなら自分たちが10万円ずつ出そう、それで車を作ってもらって販売しようと提案し、戻ってきた菊間さんも、アイチは50年先を照らすヘッドライトの光なのだと、その案に賛同しました。そして、アイチ自動車の社長の佐一郎さんのもとに、500万円(現在の価値にすると20億円だそうです)が集まりました。総務部の島原美鈴(前田敦子さん)は、みんな社長の作るアイチの車が好きなんです、と社長に伝えていました。

アイチ自動車は、銀行からの要請を受けても、社員は家族だからと人員の削減をしなかったそうなのですが、そうもいかなくなっていきました。佐一郎さんは、山崎さんとキャッチボールをしながら、山崎さんが出場していた大正5年の甲子園の決勝戦のことを切り出し、最後まで仲間を信じる山崎さんの影響を受けたということを話しました。山崎さんは、ミスを地味に取り返す積み重ねが勝利に導くと答えていました。

まだまだ1回の裏の攻撃が始まったばかりです、これからも戦い続けましょうと笑う山崎さんに、佐一郎さんは、今までありがとうございましたとお礼を言いました。佐一郎さんは、自分が社長を退職することと引き換えに退職者を募り、銀行との約束通りに社長を退職して会社を守った、ということでした。

昭和27年の3月、佐一郎さんは病のために亡くなりました。しかし、その頃、隣国で起きた朝鮮戦争の影響で自動車の需要が増加し、国産車は外国車の販売台数を追い抜いたそうです。そして、佐一郎さんが亡くなってから10年後の昭和37年、G1トラックから27年後、山崎さんは、アイチ自動車の車の販売台数が100万台を超えたことを、佐一郎さんのお墓の前で報告していました。

脚本は八津弘幸さん、音楽は千住明さん、演出は福澤克雄さんでした。

「リーダーズ2」も、良かったです。ただ、「日曜劇場」で放送されていたドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」や「下町ロケット」のような印象でもあり、前作の「リーダーズ」の場面も盛り込まれていたためか、「リーダーズ2」の登場人物の物語が少し散漫としてしまっていたような印象でもありました。

加賀美幸子さんによるナレーションの部分も意外と多く、展開が箇条書きのように進んでいるという感じもしてしまいました。

ゼネラルモーターズやフォードなどの海外の自動車会社の名前が実在の名前のまま登場するのに、「トヨタ自動車」を「アイチ自動車」と言い換えるなど、日本の自動車会社の名前や人物の名前を仮名にしているのはどうしてなのかなということも、また少し気になりました。

特に良かったと思えたのは、佐一郎さんの国産自動車販売への夢と国の命令による戦争協力への複雑な思いを、販売会社の山崎さんや菊間さんがよく理解しているというような部分が描かれていたところです。

戦時下の日本の統制経済の下で作られた「自動車配給会社」という制度のことを、私はよく知らなかったのですが、軍の指示で車を作り、軍に優先的に車を販売する会社、というようなことなのかなと思いました。

戦争のために車を作っているのではないと怒っていた佐一郎さんの創設したアイチ自動車の車が、佐一郎さんの死後、隣国の朝鮮戦争の影響による“特需”で販売台数を急激に伸ばしたというのは(それだけではないかもしれませんが)、少し皮肉な結果であるようにも思えました。

「おんな城主 直虎」第12回

NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第12回を見ました。

今川からの呼び出しに応じた井伊肥後守直親(三浦春馬さん)は、駿府へ向かう途中の道で今川方の刺客に取り囲まれ、家臣たちと共に斬り殺されてしまいました。知らせを受けて現場へ駆けつけた南渓和尚(小林薫さん)は、雪の降る中に倒れていた直親を井伊谷へ連れて帰りました。

祈り続ける中で倒れてしまった次郎法師(柴咲コウさん)は、目を覚まし、直親たちの死を知りました。床の上に寝かせられている直親に触れようとした次郎法師は、夫の死を悲しむしの(貫地谷しほりさん)から、このようなことになったのはあなたのせいだ、あの時に但馬守を成敗しておけば良かったのだと責められました。

今川家は、さらに嫡男の虎松の命を差し出すよう井伊家に命じました。新野左馬助(苅谷俊介さん)は、しのさんを説得し、虎松の助命嘆願のために駿府の今川氏真(尾上松也さん)に会いに行き、代わりに自分が切腹をすると申し出たのですが、新野左馬助の代わりに別の首を持って来いと、今川家の戦への井伊家の出兵を命じました。その頃、三河の松平元康(阿部サダヲさん)は、一向一揆を受けてその領土拡大の勢いが失速していたようでした。その間、今川家に留まっていた井伊家の目付の小野但馬守政次(高橋一生さん)は、今川氏真から少しずつ信任を得ていました。

虎松の命と引き換えに今川の命によって出兵をした、井伊直平(前田吟さん)と中野直由(筧利夫さん)と新野左馬助は、戦死しました。

井伊家を継ぐものが幼い虎松一人となった時、駿府から政次が3人の目付を連れて井伊谷に帰還しました。そして、虎松の後見人を任されたと、今川氏真からの書状を祐椿尼(千賀、財前直見さん)に差し出しました。

自分はみんなに不幸しかもたらさないと落ち込み、井戸のそばでお酒を飲み続けていた次郎法師は、戻ってきた政次の姿を見て、生きていたのかと驚くのですが、続けて、どうして生きていることができたのか、どうして井伊を裏切ったのかと政次に畳み掛けるように問いました。今川に囚われていて戻って来ることができなかった、辛かったと淡々と次郎法師に言っていた政次は、裏切った理由を訊き続ける次郎法師が掴んでいる袖を振り払うと、恨むなら直親を恨め、下手を打ったのはあいつだ、井伊は滅ぶべくして滅んだのだ、と冷たく言って立ち去りました。

祐椿尼から相談を受けた南渓和尚は、次郎とは井伊の家督を継ぐ者の名だ、これまでも追い詰められると活路を見出してきたおとわは、女子にこそあれ次郎、次郎法師の名に相応しいと、「直虎」を虎松の後見として推薦することを提案しました。

龍潭寺では、次郎法師が昊天(小松和重さん)の槍を持ち出して荒れていたのですが、南渓和尚はそれを止めようとはしませんでした。次郎法師が槍を地面に突き刺して、私は何なのかと悔しがっていると、小僧さんの一人が、竜宮小僧ではないですかと言いました。

はっとした次郎法師は、直親は今川へ向かう前に帰ってきたら一緒になろうと言っていたが、あれはこのような意味だったのかもしれないと、直親の魂と一緒になって井伊家の当主として井伊谷を治めていく決意をしました。そして、新しい当主となる「直虎」を待つ政次たちの前に、母親の祐椿尼が昔におとわのために用意していた赤色の着物を着た次郎法師は、「我が井伊直虎である!」と颯爽と登場したのでした。

作(脚本)は森下佳子さん、演出は渡辺一貴さんでした。

直親の死と、政次の帰還と、次郎法師の“おんな城主 井伊直虎”としての誕生が描かれていた第12話も、とても面白かったです。

井伊直親が亡くなったのは、永禄5年の12月(1563年の1月)だそうです。「直虎紀行」によると、掛川城主の朝比奈氏の兵に襲撃されたそうで、掛川城の西には直親たちが殺された場所ではないかと言われているという「十九首(じゅうくしゅ)」という地名があるそうです。直親は冒頭の5分ほどで討たれてしまったのですが、直親の存在は最後まで活きていました。井伊直平や中野直由や新野左馬助の戦死は、ナレーションで伝えられていて、具体的な場面はありませんでした。

政次は、前回の中で直親が松平元康に付くかどうかを相談した時には、小野家もいつまでも今川に従うわけではないという風に直親に賛同していたように思いますが、直親が会った元康が今川の家臣が扮していた偽物だと気付くとすぐに方針を軌道修正して今川とのつながりを深くしていて、今回の中では、当主の直親を失った次郎法師からも「井伊家を裏切った」と思われている中で、このような事態になったのは全て直親自身の責任だという風に言い返していました。

高橋一生さんの演じる政次が、吹越満さんが演じていた井伊家の筆頭家老だった父親の小野和泉守政直と重なって見えたのですが、そのようなところも良かったと思います。結果的には政次が井伊谷や井伊家を守っていたのかもしれないとしても、井伊家の人たちからはあまりそう思われていないという部分も丁寧に描かれているので、見ていて少し辛い気持ちになりました。

でも、これまで以上に淡々とした少し冷たい雰囲気の政次も良かったですし、立ったまま「井伊直虎」を名乗った次郎法師がその直後に座っている政次のほうをちらっと見下していたところも面白く思えました。

次回から本格的に「おんな城主 直虎」としての次郎法師の物語が始まるようです。次回の物語も楽しみにしたいと思います。

「真昼の悪魔」最終回

フジテレビの「オトナの土ドラ」のドラマ「真昼の悪魔」の最終話(第8話)「贖罪」を見ました。

第8話は、前話から3年後、事件が発覚しつつも逮捕されず、ホテル経営者の大塚光(大倉孝二さん)と結婚して、娘と3人で富士山の麓の町に小さな診療所を開いて医師の仕事を続けていた大河内葉子(田中麗奈さん)が、退院した神父(伊武雅刀さん)から勧められた「償い」を実行しようとする話でした。

『灰色の隣人』という本を出版し、小説家として暮らしていた難波聖人(中村蒼さん)は、次回作に葉子さんを主人公とした物語を書くことにし、人の善を信じることができなくなったとして教会を辞めて地域のボランティア活動に従事していた元神父に会いに行きました。聖人さんが葉子さんに会いに行くことを知った元神父は、あの人は生まれながらの悪魔だ、もしも会いに行くのなら今は眠っているであろう悪魔が覚醒していないか慎重に見定めてほしいと忠告しました。

その頃、家族と穏やかに暮らしながら地域医療に携わっていた葉子さんの元に、小林照美(朝加真由美さん)がやって来ました。人殺しと書いた貼り紙をしたり、看板を壊したりしていたのは小林さんだったようでした。病院内で一人で遊んでいた葉子さんの娘を人質に取った小林さんは、悪魔の子を殺すとアイスピックのようなもので脅し、娘と自分の命乞いをする葉子さんのお財布からお金を奪い、また来ると言って去って行きました。

葉子さんと一緒に働いていた外科部長の吉田誠(鈴木省吾さん)と外科医の渡来倫子(福田ゆみさん)は、喫茶店を経営していました。聖人さんはそこで執筆をしながら、ある日「666」という名前でファンレターを送ってきた刑務所の芳賀明善(篠原篤さん)と面会したのですが、そこで楽しそうに笑う芳賀さんから、葉子さんが悪魔としての第2章を始めようとしている、悪魔的贖罪を行おうとしていると言われました。

以前葉子さんがそそのかした京子さんが病院で友人を屋上から突き落として殺すという事件を起こして別の精神病院に入院しているということを、外科部長となった浅川純(瑛蓮さん)から教えられた聖人さんは、亡くなった子の月命日のお参りに来ていた竹居道明(坂上忍さん)と会い、葉子さんから子供はかわいいかと訊かれたという話を聞きました。

医師を続けている葉子さんに会いに行った聖人さんは、娘が本当にかわいいのだと言う葉子さんに、葉子さんは悪魔になるには甘いと言っていた葉子さんの父親の言葉を出して、葉子さんが悪魔ではなく人間であることを再び伝えました。人間だと言われた葉子さんは、表情を曇らせていました。

葉子さんは、娘の成長日記の日付が「666日」になる頃、夫である大塚さんに、娘と一緒に自分の前からいなくなってほしいと頼みました。妻の葉子さんと娘のエマを大切に思っている大塚さんはそれを断ったのですが、深夜の12時、眠っているところをさらに意識を失わせられると、娘を奪われました。大塚さんは、娘の手首と自分の手首を紐でつないで眠っていたのですが、葉子さんはその紐を切って、娘を森の奥へ連れて行きました。森の奥には、葉子さんが事前に掘っておいた穴がありました。

朝、診療所で人を待っていた葉子さんは、葉子さんに呼び出されたという小林さんがお金をもらいに入ってくると、患者の一人から借りた猟銃の銃口を小林さんに向け、私の娘を悪魔の子と呼ぶなと、小林さんを撃ちました。

その後、会社を休んでいた大塚さんは、お母さんが帰ってくるのを待とうと、泣きながら娘を抱きしめていました。娘は無事だったようでした。

元神父さまは、公園で見回りのボランティア活動をしている竹居さんと知り合い、近くで起きた通り魔殺人事件の犯人が殺すのは誰でも良かったと答えているという話をしていたのですが、竹居さんと別れた後、遠くに立っていた葉子さんが自分のほうに頭を下げて去って行く姿を見ていました。

聖人さんは、『白衣の悪魔』という本を出版したようでした。そして最後、葉子さんは、どこかの病院に入院していました。黒髪は白髪になり、補助の道具に頼って歩行をするほどになっていて、聖人さんの『白衣の悪魔』を愛読しているようでしたが、いつのことなのかはよく分かりませんでした。

脚本は香坂隆史さん、演出は千葉行利さんでした。原作は、遠藤周作さんの小説『真昼の悪魔』です。

最終回は、大塚さんに愛され、娘という大切な存在を得た葉子さんが、葉子さんのことを小説に書こうとする聖人さんと再会し、悪魔ではなく人間だと言われたことで、悪魔的贖罪への衝動を抑え込み、夫と娘の前から姿を消すという、葉子さんの「人間」としての結末を描いたものだったのかなと思います。

田中麗奈さんの演じる悪魔的な葉子さんがとても良かったので、私としては、愛を知った後に苦しみを背負いながら生きていくことが「償い」だと思い、亡くすために子供を生んで育てていたらしい葉子さんによる「悪魔的贖罪」の場面を見てみたかったようにも少し思えたのですが、キリスト教の教えが扱われていた物語でしたし、殺人者の葉子さんが自身の中の悪魔を抑え込み、葉子さんが弱者だと見下していた病院の一患者として人間的な贖罪の日々を送るという結末も、良かったのかもしれないなと思います。

脚本も良かったですし、時々ホラーのようになる演出も良かったです。怖い話だったのですが、汚い話にはなっておらず、本を書いていた聖人さんのナレーションにあったように、葉子さんの中にいたような“悪魔”は普通の人の中にもいるのだということが、よく伝わるドラマになっていたように思いました。
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