「ターナー展」

先日、上野の東京都美術館で開催されている「ターナー展」を見に行きました。

秋晴れで少し暖かかったので、上野の公園内にはたくさんの人がいました。改装された東京都美術館にもたくさんのお客さんがいて、チケット売場にも「混雑しています」と書かれた貼り紙があったのですが、そのまま会場の中へ入ることにしました。確かに少し混雑していたとは思うのですが、チケットを買うのにも行列ができていたわけではなかったですし、思っていたよりもスムーズに、私も展示されているターナーの作品を一つ一つ見ていくことができました。

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775ー1851)は、イギリスの国民的な画家なのだそうで、ロンドンのテート美術館には、ターナーの特別の展示室があるそうです。

私は、ターナーの作品のことを、「印象派」のようだなということ以外はあまりよく知らないでいたのですが、以前NHKのBSプレミアムで放送されていた「極上美の饗宴」という番組での特集で、ターナーの絵にはターナー自身の見た世界の自然な姿が凝縮されて描かれているのだということを知って、少し好きになりました。

ターナーの作品が「印象派」の画家たちの作品に似ているのではなく、「印象派」の画家たちが、ヨーロッパで初めて「風景画」を描いたというターナーの革命的な作品の影響を受けて、後に「印象派」と呼ばれるようになる作品を描いたのだそうです。

初夏の頃に見た「夏目漱石の美術世界展」にもターナーの作品が展示されていたのですが、今回の展覧会でも「チャイルド・ハロルドの巡礼」が展示されていました。この絵の背の高い丸い葉の木が、「坊っちゃん」に登場する松の生えている「ターナー島」のモデルかもしれないのだそうです。

展示は、「初期」、「崇高の追求」、「戦時下の牧歌的風景」、「イタリア」、「英国における新たな平和」、「色彩と雰囲気を巡る実験」、「ヨーロッパ大陸への旅行」、「ヴェネツィア」、「後期の海景画」、「晩年の作品」の10のテーマに分かれていました。

有名な鉄道の絵も展示されていると私は勝手に思い込んでいたので、その作品が展示されていなかったことは少し残念に思えたのですが、会場の解説に「久しぶりの大回顧展」とあったように、ターナーの活動を全体的に知るものとして、見応えのある展覧会になっていたように思います。

美術番組などで紹介されるターナーの作品には油彩画が多いと思うのですが、今回の展覧会には水彩画も多く展示されていて、それが私には少し意外な感じがしました。

しかも、普通の白い紙ではなく、なぜか「青い紙」に描かれていたものが多かったように思います。その色の紙しかなかったからというよりは、何か意図があってあえて青い紙に描いたのだろうと思うのですが、その意図がどのようなものかは、会場の解説にはなく、私にはよく分からないままです。でも、下地の青い色による透明な暗さのようなものから、何かその風景の空気が伝わってくるような気がしました。水彩で描かれた「ペットワースの庭園のシカ」も、小さな絵だったのですが、空の色もきれいで、走っている鹿たちの感じが何だかかわいかったです。

ターナーの愛用していたというパレットや金属の箱に入った絵の具も展示されていて、その中の青色や黄色の粉は、ターナーが好んで使っていたウルトラマリンブルーやクロムイエローだということでした。会場の解説には、「ぎらつくような黄色」と書かれていたような気がするのですが、ターナーのその眩しい光の黄色には、クロムイエローが使われているのだそうです。「月光、ミルバンクより眺めた習作」の月の光も、絵の中から輝いているように見えました。

「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」もすうっとするような絵で、私は何となく、川合玉堂の虹の絵を思い出しました。日本の絵には自然を描いたものが多いので、ターナーの描いた自然の絵がヨーロッパ初の風景画だと聞くと、少し不思議な感じもします。

今回の展覧会で見たターナーの作品の中で特に印象的だったのは、「レグルス」という作品でした。とにかく陽の光の眩しい作品だったのですが、その絵の右下に貼られていた解説を読んで驚きました。

「レグルス」というのは、紀元前264年から紀元前241年にカルタゴと共和制ローマの間で繰り広げられていた第1次ポエニ戦争の時のローマの将軍の名前だったのですが、そのローマの将軍のレグルスは、チュニスの戦いと呼ばれる戦に敗れてカルタゴ軍の捕虜となり、和平交渉(あるいは停戦交渉)をするよう持ちかけられたものの、提示された条件の悪さのために交渉を行うことができないまま、暗い洞窟の牢に閉じ込められ、拷問されて瞼を切り取られてしまったのだそうです。

そうして暗い洞窟の牢を出されたレグルスは、眩しい太陽の光によって失明してしまったそうなのですが、このターナーの「レグルス」に描かれた光景は、その失明する直前のレグルスが見た最後の風景だということでした。

絵の解説を知らなくても美しい絵だと思うのですが、解説を読んで背景を知ってから見ると白い光に包まれて霞んでいく世界が改めて悲しく、上手く伝えることができないのですが、絵を見ていて泣きそうな気持ちになりました。この作品は風景画というよりは歴史画だと思うのですが、この作品の中にもターナーが追い求めていたという「崇高の美」は現れていたのではないかなと思います。

「グリゾン州の雪崩」は、勢い良く落ちてきた雪崩が民家を押しつぶす様子が描かれた絵でした。実際の現場を見て描いた絵だそうで、そうだとすると「報道写真」のようでもあるのかもしれません。

ターナーはフランスやイタリアやプラハなど各地を旅行し、旅先でスケッチをしていたそうなのですが、もしターナーの時代にカメラがあったなら、ターナーはやはりカメラを使って撮影をしたのでしょうか。

先の日曜日に放送されていたNHKのEテレの「日曜美術館」での説明によると、油絵の具を立体的に使ったのも、ターナーが初めてのことなのだそうです。すごいなと思いました。

チケットの表に使われていた絵は、「スピッドヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」という絵でした。空の厚めの雲や手前の小舟の浮かんでいる波の荒れている様子もすごいのですが、背後の海を進む大きな船はすっとしていて、その感じが少し不思議にも思えたのですが、その対比とはまた別に、ターナーの描く帆船の線はきれいだなと思いました。

八角形の額に収められていた「平和-水葬」は、洋上でコレラのために亡くなった友人の画家デイヴィッド・ウィルキーの水葬の場面を描いたものだそうです。

船があまりに黒いので、私は夜、あるいは日の暮れる頃の出来事だと思い込んでいたのですが、そうではなくて、日中の出来事だそうです。中央の燃えている友人の棺を強調するために、船を黒く描いたのだそうです。解説によると、友人の死を悲しんでいたターナーは黒くすることができるのならもっと黒い色にこの船を塗りたかったのだそうです。手前の水面付近を飛ぶ黒い鳥は、ターナー自身かもしれないということでした。

「ディナン・ブヴィーニュ・クレヴクール:日没」という小さな青い紙に描かれた水彩画も良かったです。「荒れた海とイルカ」の絵を見て、イルカがどこにいるのか探したのですが、はっきりと描かれていたわけではなかったので、もしかしたらこれがイルカなのかな、という感じでした。でも、何となく珍しいような気もして、面白く思いました。

「戦争、流刑者とカサ貝」は、これも八角形の額に入った絵で、ナポレオンを描いたものだったのですが、何というか、色の使い方もはっきりとしていましたし、構図がシュールレアリスム風というか、近代美術の雰囲気があって、1842年の絵とは思えないような感じがしました。

展覧会場の最後に展示されていたのは、「湖に沈む夕陽」という作品でした。絵そのものは、光も空気も明るい色使いで描かれた絵なので、印象派の日の出の絵につながる作品という感じにも思えたのですが、描かれている内容は明るいような寂しいような、何か少し複雑な雰囲気があったように思います。

ターナーの死後に発表された絵だそうで、会場の解説には、ターナーにとってこの絵は完成だったのだろうか未完成だったのだろうかというようなことが書かれていました。私には分からないことなのですが、光と水と空気の雰囲気を追求していたということなので、それならどれほど完成しているように見えても未完の作品であるということもあるかもしれないなと思いました。

印象派など後の時代の画家たちが江戸の美術品を見ていたというのは最近よく聞くのですが、ターナーがそのような日本美術を見たことがあるかということは、展覧会の解説では特に言及されていなかったように思います。

そのため、ターナーは日本の絵を見たことがなかったのかもしれないとも思うのですが、仮にそうだとして、もし見ることができていたなら、日本の人がターナーの絵を好きになるように、ターナーも風景の描かれた日本の美術作品を好きになっていたのではないかなと思いました。

今回のターナーの展覧会のチラシの表紙にも使われている「ヴァティカンから望む、ローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」の絵を会場で見ていた時には、私は全く気付かなかったのですが、「日曜美術館」での説明によると、絵の構図は左の四角い建物と中央の青空の下にヴァチカンの広場を望む風景と右の回廊の3つに分かれているそうです。視点を誘導するものらしいのですが、回廊の奥の台の上には本当はラファエロの像があって、そのラファエロが動き出して、自分の絵の準備をしている、という絵なのだそうです。

絵の中のラファエロの顔が何だか楽しそうだったのですが、そのような解説を聞いて、いわゆる「ユーモア」のある絵というか、面白い絵だったのだなと思いました。

何となく野心家のような印象もあるターナーが自分のことを語りたがらない「秘密主義」の人だったというのも、私は会場の解説で知りました。奥さんの存在を画家仲間たちにも教えなかったとか、二人の娘の結婚式にも出席しなかったとか、面白くも思えるのですが、どうしてなのだろうと、少し気になります。

今の世の中には風景画はありふれたものになっているので、そのことだけを思うと、ターナーの風景画も見過ごしてしまいそうになるのですが、自分の見た風景の空気感や光や水の動きをそのまま伝えたいという思いを絵で表現することで貫くというのは、本当にすごいことなのだなと思いました。

今の現代の画家の方たちも、風景画を描いているのでしょうか。それとも、写真や映像の溢れる現代ではもうターナーの絵のような風景画はほとんど描かれていないのでしょうか。

もしも今ターナーが生きていたなら映画監督になっていたのかもしれないと思ったのですが、もし画家であるとしたなら、今度は絵の世界でどのような革命的なことをしたのだろうと思います。画家ではない私が考えても仕方のないことなのかもしれないのですが、今回のターナーの展覧会を見ていて、現代では新しい絵画とはどのようなものなのだろうということも、何となく気になりました。新しく描かれたものが新しいものということではないように思えます。

10月の上旬頃から始まっていた今回のターナーの展覧会を、私も見に行くことができて良かったです。
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