「戦艦大和のカレイライス」

NHKのBSプレミアムで昨夜の10時に放送されていたNHK広島放送局制作のドラマ「戦艦大和のカレイライス」を見ました。広島発地域ドラマです。

ドラマは、「平和」の都市の広島市で生まれ育ち、東京へ出て行っていたモデルやアイドル活動の仕事に挫折して広島市に戻り、隣の呉市の地元情報紙の『KURE:YON(クレヨン)』の編集部に勤め始め、かつての「軍港の町」を活用した地域振興のためのイベント「海軍フェスタ in 呉」に出店する、舞鶴や佐世保や横須賀に負けない呉を代表する料理の選出を編集長の高戸一久(川野太郎さん)から任されることになった呉羽沙織(秋元才加さん)が、ある日、地元の屋台でアルバイトの料理人として働いている長二(三浦貴大さん)という男性と出会い、長二さんの作るカレーが戦艦大和で作られたカレーとそっくりだという噂を聞いたことから、親友の宇根未来(安藤聖さん)の祖父で戦時中は兵士として戦艦大和に搭乗していたという実業家の沖田誠吾(神山繁さん)にその味を確かめてもらおうとする中で、長二さんの事実を知り、沈む戦艦大和のそばで生き残った長二さんと、軍部の命令で大和を退いて戦後の時代を生き延びてきた沖田さんの後悔の思いを聞いて、理想の自分のために時には嘘をついて生きてきた「本当の自分」の思いと向き合い、長二さんや沖田さんや親友の未来さんと共に、今を生きている自分の人生を肯定していく、というような話でした。

脚本は會川昇さん、演出は大橋守さんでした。音楽はゲイリー芦屋さんでした。

ドラマの冒頭は、1945年の4月7日、戦艦大和の船内が爆発して、婚約者の写真を手に大和と共に沈む決意をしていた長二さんが海に投げ出される場面から始まっていたのですが、一度海の底に沈みかけていた長二さんは、女性の呼ぶ声と手に引き上げられていて、水面に顔を出した時、そこは現代の呉の港に変わっていました。

「海軍カレー」を作る長二さんが、過去の世界からタイムスリップして未来の現代の世界に来た元戦艦大和の軍属の割烹手だったというSFの設定も面白かったように思います。

ドラマによると、戦艦大和では、3332人の乗組員の内の3056人の方が亡くなったそうなのですが、その戦艦大和が沖縄の特攻作戦に向かう途上でアメリカ軍の攻撃によって沈没した日から未来へタイムスリップをして来た若者の長二さんと、戦後の社会を生き抜いてきた、戦時中に大和で食べさせてもらったカレーの味に思い出のある老人の沖田さんとの、太平洋戦争に対する思いの差が対比的に描かれていたのも、良かったです。

呉羽さんは、長二さんのことを知ろうと、長二さんがよくお参りに出かけていた旧海軍の墓地や、「大和ミュージアム」を訪れていたのですが、沖田さんが戦艦大和で会った人に似ていると言うのを聞いて、「大和ミュージアム」の戦没者名簿を見ていると、その中に「司長二郎」の名前を見つけて、長二さんが割烹手として大和に搭乗していたフレンチのシェフだと分かったのでした。呉羽さんが写真の婚約者の女性の家を訪ねたところ、その女性は同じ昭和20年の空襲で亡くなっていたということでした。

自分の人生は無駄だったのではないかと思い始めていた長二さんは、かつて暮らしていた島へ渡り、昭和20年の世界へ戻ろうとしていたのですが、長二さんの行方を探していた呉羽さんは、亡くなった婚約者の女性の影に案内されて、活動写真を上映している場所へたどり着いていて、スクリーンの中の、爆発する戦艦大和内にいる長二さんや海に投げ出された直後の長二さんの姿に、こちらの世界へ戻ってくるよう必死に呼びかけ、長二さんを海の底から救い出していました。

そのSF的な場面は、秋元才加さんの演じる呉羽さんのためか、私には少し劇画調になっているような感じもしました。でも、そうしてスクリーンから出てきた長二さんは、前に自分を助け出してくれたのも呉羽さんだったのではないかと思ったようで、現代の呉の町で生きていく決心をしたようでした。

割烹手の長二さんのことを思い出し、大和ミュージアムの前で開催されているイベントに出店していた長二さんに会いに来て敬礼で挨拶をした沖田さんは、本当は上級にしか出さないと言う長二さんのカレーライスを食べて、あの時と同じ味だと驚いていたのですが、同時に、今食べると「おいしくない」ということにも言及していました。それを聞いて長二さんは、それでいいのだと、カレーライスの味をおいしいものに進化させた戦後の日本を作った沖田さんの人生を肯定し、戦艦大和の模型を見ながら、人生に無駄なことはないのだとつぶやいていました。

人生に無駄なことはない、と誰かが言う時、最初に長二さんが沖田さんに怒っていたように、たくさんの人が当時の戦争で死んでいったことは無駄だったのか、それとも無駄ではなかったのか、ということは、その言葉を聞く時私もいつも気になるのですが、難しい問題なのかもしれないなと思います。例えば、戦争が起きたことでこのようなものが発明されて便利な道具になって一般にも普及したのだとか、戦争がなかったらあの人と出会っていなかったとか、戦争に参加したからこそこのようなことが分かったとか、戦争にも一部良い面(人類の進歩に活用できるような面)があることを認めると、戦争行為そのものを全否定することができなくなってしまうような気がするのです。でも、現実的には、戦争から何かを学ぶことや、戦争関連のものからその後何か良いものが作られたりすることはあるような気もします。

今生きている以上は、自分の人生は無駄だったのだと思うことはなかなか辛いことかもしれないので、無駄なものがあったとしても、実際になかったとしても、人生に無駄なものは何一つないのだと言い切ったほうが、ポジティブに、前を向いて生きやすいのかもしれないなと思います。(今の私の人生についても、無駄ではなかったのだと思うことができる時がいつか来るといいなと思います。)

私の家のテレビでは、呉羽さんや長二さんなどの登場人物の会話の声がところどころ、なぜか突然大きくなったり小さくなったりしていたので、私には少し聞き取り辛く思えてしまったところもあったのですが、最後まで楽しく見ることができました。

コメディー風に作られたドラマだったようにも思うのですが、最後は静かに余韻の残る終わり方だったように思います。日本の「海軍」の物語がドラマで作られることは意外と少ないようにも思えますし、その軍属(軍人ではない民間人)の割烹手を描くドラマというのも珍しく思えたので、(それが大部分を占めていたというわけではないのですが)そのようなところも良かったです。
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