「紅白が生まれた日」

NHKの総合テレビで夜の9時から放送されていた「放送90年記念ドラマ」の「紅白が生まれた日」を見ました。

終戦から4か月後の昭和20年の大晦日に、「紅白歌合戦」の前身となる「紅白音楽試合」というラジオの歌番組が誕生するまでを描いた物語でした。

戦地から復員し、ラジオ局の放送員の仕事にも復帰した新藤達也(松山ケンイチさん)は、GHQの民主主義政策の一環となる歌番組作りを依頼され、女性歌手と男性歌手が紅組と白組に分かれて対抗形式で競い合う歌番組を「紅白歌合戦」というタイトルで企画するのですが、アメリカ軍の通訳をしている日系アメリカ人のジョージ馬淵(星野源さん)に「合戦」は「戦争」を想起させるのでいけないと否定されてしまい、勝ち気な放送員の竹下光江(本田翼さん)が提案した「紅白音楽試合」というタイトルで、大晦日の夜のラジオの歌番組を取り仕切ることになるのでした。

新藤さんたちスタッフは、「キュー」の出し方や腕を回して放送時間を伝える方法などもアメリカ軍の人たちに教わっていたのですが、そのような中で、新藤さんと竹下さんは「紅白音楽試合」の紅組の司会を「男装の麗人」と呼ばれて人気を博していたという水の江瀧子(大空祐飛さん)に、白組の司会を当時のお笑いスターの古川ロッパ(六角精児さん)に依頼し、歌手の人たちにも出演交渉をしていました。

番組が始まってしばらくすると、出演予定だったディック・ミネさんとベティ稲田さんという二人の歌手が急に出演できなくなり、水の江さんとロッパさんに歌ってもらうことになったのですが、GHQが「検閲」をして許可を出した台本通りにしないといけないということで、新藤さんは、GHQの一員として一人残っていたジョージ馬淵さんにサインをしてほしいと頼み、「日系アメリカ人」の自分と「日本人」の自分との間で揺れていたジョージ馬淵さんは、並木路子(miwaさん)の「リンゴの唄」に心を動かされて、馬淵さん自身の判断で、台本を変える許可を出してくれました。

「音楽試合」の歌のパートは終わり、残すは「結果発表」をするだけになったのですが、ディレクターの新藤さんは、勝った組の名前が記されていたと思われるメモを受け取ると、それを破ってポケットに仕舞い、総合司会の田辺アナウンサー(小松和重さん)に無言で委ねていました。そして、新藤さんの意志を感じ取ったアナウンサーは、結果はラジオをお聴きのみなさまが決めてくださいというようなことを明るく言って、番組を締めていました。

「紅白歌合戦」の前身の、その最初の「紅白音楽試合」では、勝敗を決めなかったようでした。

放送が終わると、ラジオ局の前には、ラジオを聴いて駆けつけたらしい大勢の人たちが集まっていて、新しい時代を新しい気持ちで迎えることができるような歌番組を制作した新藤さんや歌手の人たちに拍手を送っていました。

作(脚本)は尾崎将也さん、演出は堀切園健太郎さんでした。

「紅白」が生まれた大晦日の夜には、雪が降っていたそうです。

私は「紅白音楽試合」や「紅白歌合戦」の史実を知らないので、今回の「紅白が生まれた日」のドラマのどの辺りが史実通りでどの辺りが創作の物語なのかはよく分からなかったのですが、松山ケンイチさんが演じていたディレクターの新藤さんは、本当は近藤積さんという方だそうです。

終戦直後の物語ということで、戦争やGHQによる占領の部分も描かれていたのですが、明るい物語になっていたので、最後まで気軽な気持ちで見ることができたような気がします。

ドラマの中では、私としては、星野源さんの演じていた日系アメリカ人のジョージ馬淵さんの新藤さんとの掛け合いの場面や、なぜか一人だけ焼き魚の煙に覆われていた場面など、何だか面白く思えました。

大晦日の夜には、私の家のテレビでも、「紅白歌合戦」を点けています。何かをしながらでも歌番組なら聴くことができるからという理由もあるのですが、それが毎年の恒例になっているからという理由もあります。

このドラマの新藤さんが言っていたことによると、次の年を無事に迎えることができるだろうかという不安を払拭するための歌番組として「紅白歌合戦(紅白音楽試合)」は生まれたそうなのですが、その精神は、今の「紅白歌合戦」にも、もしかしたら受け継がれているのかもしれないなと思いました。

終戦を迎えた直後の人々の未来への不安と、現代の人々の不安とでは、その性質が異なるかもしれないのですが、様々な不安を一時でも消し去る力が、音楽にはあるのだと思います。

1925年(大正14年)にラジオの放送が始まってから90年というのも、本当にすごいことだなと、改めて思いました(今日の3月22日は「放送記念日」でもあります)。私が忘れてしまっているだけなのかもしれないのですが、もしかしたら、10年前には、「放送80年」の特集が組まれていたのかもしれません。

最近「ラジオ離れ」ということがよく言われているように思うのですが、ラジオを聴いていると、他にもたくさんの人たちが同時刻にラジオを聴いているように思えるので、本当に「ラジオ離れ」が進んでいるのだろうかと、少し不思議に思えます。

あと10年経つと「放送100年」になるということなのだと思いますし、ラジオの機械と乾電池さえあれば?無線の電波を通してどこでも気軽に聴くことのできるラジオの放送はこれからも続いていくといいなと思いました。
プロフィール

Author:カンナ
ブログ初心者です。
感想などを書いています。
マイペースで更新します。
すきなもの
 月・星空・雨・虹・雪
 飛行機雲・入道雲・風鈴の音
 透き通った水・きれいな色
 富士山・東京タワー・ラジオ・音楽
 本・絵画・ドラマ・(時々)アニメ
 掃除機をかけること
にがてなもの
 人ごみ・西日・甘すぎるお菓子
 

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム