「総理秘書官が見た沖縄返還」とその後の「SONGS」の沖縄特集

昨日、私は、NHKの土曜ドラマの「64(ロクヨン)」の第4回を見る前の夜9時台には、「NHKスペシャル」の「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」を見ていたのですが、それは、アメリカとの交渉の末、1972年の5月15日に「沖縄返還」を成し遂げた当時の佐藤栄作元総理大臣の秘書官を務めていた楠田實さんの遺品の中から大量の資料が見つかり、その資料や手記を基に、「沖縄返還」が決まるまでの過程や、「沖縄返還」後の現在の沖縄の基地問題や、日本とアメリカの同盟関係を考える、という特集でした。

「非核三原則」を提唱していた佐藤栄作元総理が、「有事の際」にはアメリカ軍は核を日本に持ち込むことができるという「密約」をしていたということは近年明らかにされていましたが、今回の番組の資料によると、佐藤栄作元総理は、「沖縄返還」をアメリカに実行してもらう代わりに、嘉手納基地や普天間基地だけでなく、本土の基地も含めて、「有事の際」には日本に置かれているアメリカ軍の基地をアメリカ軍が無期限に使うことができるというという約束をした、ということでした。

楠田さんの資料によると、佐藤栄作元総理は、その結果、日本の国民が戦争に巻き込まれても仕方がない、と考えていたのだそうです。

私は、元秘書官の楠田實さんのことも知りませんでした。1924年に生まれ、2003年に亡くなった方だそうです。番組を見ていて、何となくなのですが、楠田さんは、沖縄のことを沖縄の人たちの目線で考えていた人だったのかもしれないなと思いました。

楠田さんは、「沖縄の未来像を描け」という文章を書き残しているそうです。何かの雑誌の記事の文章のようだったのですが、沖縄の人たちが「返還」までの27年間日本人の魂を守り続けたこと、近代化はしたが魂の飢餓は満たされないこと、沖縄のことを政府は47都道府県の一つとしか見ていないし、若者たちの目には快適なリゾート地の一つとしか映っていないこと、沖縄に対する感謝が国民の中にどの程度存在するのか分からないということ、沖縄独立論の可否はともかく、日米で知恵を出し合って沖縄の未来を考える時が来た、というようなことが、そこには書かれているのだそうです。

いつか(聞き逃してしまったのですが、1995年の沖縄の米軍による事件の後でしょうか)楠田さんが集めたという、田中さんや下河辺さんという「有識者」の方による会議の音声が少しだけ紹介されていたのですが、3人の方たちは、沖縄にアメリカ軍の基地があることを、国益になるとか、経済の活性化につながるとか、今米軍に無理に帰ってもらう必要はないとか、そのようなことを話していて、そのような意見を楠田さんが政府に提言をしたという記録はないそうです。

意見は意見として、そのようなことを言う「有識者」の方は今でもいるだろうなとは思うのですが、ただ、その発言中に笑い声がしていたのが、私には何だかとても不快なものに思えました。楠田さんが提言をしなかったのは、その「有識者」会議が「不毛」なものだったからではないかなと思いました。

それから、これは昨夜の「NHKスペシャル」の楠田秘書官の話とは関係のないことなのですが、その後の時間に放送されていた「SONGS」でも、「さんご」という3人組の沖縄出身の女性グループの特集をしていました。私は、「NHK沖縄放送局 戦後70年テーマソング」の「いのちのリレー」という曲も、それを歌う「さんご」のことも知らなかったのですが、そのメンバーは、Kiroroのお二人と、HYの仲宗根泉さんでした。

昨夜のその番組には、「でいご娘」という4人姉妹の民謡の歌手のグループの方も出演していたのですが、その姉妹の方のお父様が作ったという「艦砲ぬ喰ぇー残さー(くぇーぬくさー)」という反戦歌の歌詞に驚きました。

読谷村に歌詞の石碑もあるそうなのですが、島も家族も艦砲射撃の標的になった、艦砲に食べられてしまった、私もあなたも艦砲の食べ残しだ、というような意味の歌詞だったように思うのですが、沖縄の音楽の柔らかさとは対照的な感じのする歌詞の過酷さが印象的でしたし、この歌が歌い継がれているのだとするなら、それも何だかすごいことのように思いました。少し怖いような悲しいような感じもしたのですが、良い歌だったような気がします。
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