満州へ侵攻したソ連軍の巨大基地と鉄道跡の特集

先日のテレビ朝日の深夜に放送されていた「テレメンタリー2015 満州へ進撃せよ!~草原に眠るソ連軍巨大基地~」というドキュメンタリー番組を見ました。

番組表を見て、何だろうと気になって、録画をしておいたものです。約30分ほどの番組でした。

今から約70年前の1945年の8月9日、「満州国」に突然150万ものソ連軍の大群が押し寄せたそうです。満州での日本人の死者は、24万5000人と言われているそうなのですが、「終戦の日」の前日の8月14日の葛根廟という場所では、装甲車で押し寄せてきたソ連軍の兵士たちの攻撃によって、約1300人の日本人が亡くなり、それは主に女性や子供たちだったそうです。

番組は、ソ連の満州国への侵攻についての研究を続けている歴史研究家の岡崎久弥さんという方が、今年の3月にロシアのサイトで見つけたという当時のソ連の国防省が出版した「鉄道の歴史文書」(1851年から1941年までの歴史が書かれているようでした)を発見したことから、モンゴル上空からの衛星写真で見つけた、当時のソ連と満州と国境付近の草原の中に遺されているソ連軍が満州国に侵攻するために作った輸送用の鉄道と巨大な基地の痕跡を確かめに行く、というドキュメンタリーでした。

歴史研究家の岡崎さんは、お父さまが満州国に出兵していたことがきっかけで当時の歴史を研究しているのだそうです。

番組を見て、当然のことながら、また私の知らないことばかりだったので驚きました。満州国にソ連軍の主力150万の部隊が侵攻してきたということについて、その時の悲劇が日本では未だに検証されていないと岡崎さんが話していたように、確かにほとんど歴史の授業などでも、テレビの番組などでも、習っていないなと思いました。

岡崎さんは、4月頃、直接モンゴルへ調査に出かけたそうです。私はその地域のことを何も知らないのですが、番組の地図によると、その鉄道は、ロシアのシベリア鉄道の中のボルジャというところから北に下ってモンゴルの国境を越えて、チョイハルサンという場所へ延びていました。そこには、サンベース基地という基地があったのだそうで、それは、ソ連軍が満州に侵攻する6年前に完成していたのだそうです。

歴史研究家の岡崎さんは、何人かの人たちと調査の旅を始め、線路があったはずの跡地で手榴弾の残骸や錆びた犬釘を見つけていました。犬釘が使われていたということは、実際に鉄道があった証拠なのだそうです。

地図によると、サンベース基地跡の線路は、さらに北西に延びていました。線路の跡はマタット基地跡につながり、さらに西のタムスク基地跡までつながっていました。

タムスク基地跡の南には、ハルハ河がありました。ハルハ河のもう少し南には、当時の満州国の国境線がありました。

スターリンの指令でソ連軍が作った鉄道とその一帯の巨大基地は、日本軍を抑えるためのものだったようでした。

1941年に日本は「日ソ中立条約」が締結されたそうなのですが、その3年前の1938年に起きた「ノモンハン事件」で、日本はソ連軍に大敗したそうです。この辺りは何となく学校の歴史の授業でも習ったことだと思うのですが、それはハルハ河一帯を巡る国境争いで、その戦いに参加した元兵士の柳楽さんという今97歳の方は、全く意味のない戦争だった、と岡崎さんに話していました。

番組では、広大なモンゴルの草原の上空にカメラを搭載した小さな無人飛行機(ドローン)を飛ばしたり、岡崎さんがヘリコプターに乗ったりして、地上の鉄道跡を撮影していたのですが、当時の基地や鉄道の跡地は本当に、何だか古代遺跡にように見えて、不思議でした。岡崎さんは、ナスカの地上絵みたいだと言っていたのですが、茶色の地面に人工的な細い線が描かれている様子は、本当にそのような感じでした。

映像を見てすごいと驚いていた作家の半藤一利さんは、ソ連軍は日本軍を買いかぶっていたのかもしれないと話していたのですが、私は、ソ連軍は用意周到だったのかもしれないなと思いました。

スターリンはノモンハン事件での輸送の教訓を満州を潰すために使えると判断して、着実に発展させていったのではないかと、岡崎さんは考えていました。また、ノモンハン事件が、結局は、満州国全体の悲劇をもたらす報復戦争につながっていったと見ることもできると思うとも推理していました。

番組で紹介されていた厚生労働省の発表によると、シベリアなどの抑留者は57万5千人、抑留中に亡くなった方は5万5千人、モンゴルで亡くなった方は1597人なのだそうです。

当時の日本政府が作った満州国にはたくさんの日本人が移り住んでいて、終戦間際に多くの日本人が犠牲になったということが分かっているのに、日本では、ソ連軍の満州侵攻の成功の裏側というようなことは、ほとんど研究されていないそうです。

ソ連軍の作戦の内容は、ロシアにはその資料が今でも遺されているということなのですが、日本には見せてもらうことができないそうです。番組の最後のナレーションによると、それは、戦後70年経った今でも、日本とロシアの間には、まだ平和条約が結ばれていないためでもあるようでした。

私はそれを聞いて、確かにそうだなと、思い出しました。

番組に出演していた歴史研究家の岡崎さんのように、歴史の事実については自分で調べるということが本当は一番正しいことなのかもしれないのですが、私のような人にとっては、教科書や、身近な本や、テレビ番組などで見たり聞いたりすることが、歴史を知ることのできる大きな一つのきっかけでもあると思うので、今回の番組のような特集も、ありがたいことだなと思います。

ソ連軍の基地の跡が古代遺跡のように遺されていることも、私は全く知らなかったですし、それを研究している方がいることも全く知らなかったので、すごいなと思いました。このような研究家の方たちが研究を続けているおかげで、私も少しでも「歴史」を知ることができるのだなと、改めて思いました。

以前、NHKのBS1で放送されていた「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」というドキュメンタリー番組では、第二次世界大戦を終わらせたのは日本に原爆を落としたアメリカ軍ではなく、ソ連軍だと思うということが伝えられていました。

ソ連軍はアメリカ軍よりも酷い行いを満州国などにいた日本人に行ったということを、いつか私も聞いたことがあるので、ソ連軍に対する印象はあまり良くないのですが、今回の番組で紹介されていた五百羅漢寺というお寺の絵に描かれていた、女性や子供たちがソ連軍の装甲車に轢き殺されている葛根廟の事件の様子を見て、どうしてこのようなことができるのだろうと、気味が悪くなりました。

でも、あるいは、それが人間が引き起こす「戦争」なのかもしれないですし、そこは人間性の最低の部分が露呈する場所でもあるのかもしれません。当時の悲惨な出来事が知られないのは、やはりあまりにも酷過ぎて、誰も話したくならないからなのかもしれません。日本で作られる戦争のドラマや映画作品などでは、そこに登場する人々の「死に方」は比較的きれいであるように思うのですが、実際には、(以前に見たスペインの内戦の写真に残されているもののように)手足がバラバラになったり、内臓が飛び散ったり、耳や鼻が千切れたり、顔の半分が吹き飛ばされたり、恐ろしいのだと思います。

戦争や紛争に限らないことかもしれませんが、歴史は形を変えて遺されていくものでもあるのだなと思いました。それを独自の方法で発掘する研究者の方たちは、本当にすごいなと思いますし、これからも調査や研究を頑張って続けてほしく思いました。
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Author:カンナ
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