藤田嗣治さんの戦争画の展覧会

先日、東京国立近代美術館で9月から開催されている「MOMATコレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」を見に行きました。

昭和初期や戦後にフランスのパリで活躍していた画家の藤田嗣治の展覧会です。NHKのETV特集でも「FOUJITAと日本」という番組が放送されていましたが、今回の展覧会でも、藤田嗣治の戦争画14点を含めた全所蔵作品が展示されるということで、私も見に行きたく思っていました。

藤田嗣治さんの作品の展覧会場には、美術館の4階と3階が広く使われていたのですが、たくさんのお客さんが来ていて、混雑をしているというよりは、何か活気があるという印象でした。

今回の唯一の特別出品の作品というのは、京都国立近代美術館の「タピスリーの裸婦」でした。「五人の裸婦」と同じ年(大正12年)の作品で、有名な「乳白色」の肌の女性が明るい背景と猫と共に描かれていました。

最初の「パリの風景」(大正7年)は、全体的に茶系の少し暗めの作品で、手押し車を押している老婆らしき人物が路上にいる以外には寂しい町の風景が広がっていて、何となくなのですが、以前に展覧会で見た松本俊介さんの作品を思い出しました。

そして、今回の展覧会の展示のメインである戦争画14点は、圧巻でした。

出品リストによると、「南昌飛行場の焼打」、「武漢進撃」、「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」、「十二月八日の真珠湾」、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」、「ソロモン海域に於ける米兵の末路」、「アッツ島玉砕」、「○○部隊の死闘(ニューギニア戦線)」、「血戦ガダルカナル」、「神兵の救出到る」、「大柿部隊の奮戦」、「ブキテマの夜」、「サイパン島同胞臣節を全うす」、「薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す」の14点です。

昭和13年から昭和20年に描かれた作品で、私には理由は分からないのですが、額縁に入っている作品と、キャンバスがむき出しの状態で展示されている作品とがありました。

美術館の受付の方が渡してくださった出品リストも秀逸だと思えたのですが、それはその小さな白い紙の中に、藤田嗣治さんの略年譜や、「藤田の言葉」という、会場にも展示されていた美術関連の雑誌の中の一節を抜き出した文章が掲載されていたからです。

そのリストの文章は一部ですが、その少しからでも藤田嗣治さんの考え方が出ているように思えてとても面白いですし、展示されている雑誌の文章を読んだだけでも、戦時中積極的に「戦争画」を描いたという藤田嗣治さんが、いわゆる「戦犯」ではないということは、よく分かるような気がしました。

私も以前は、藤田嗣治さんが積極的に「戦争画」を描いていたということを知って、とても残念に思えていました。それとは反対に、画家たちの多くが当時の政府の「国策」に従って戦争画(国民の戦意高揚のための絵)を描いていたような時代に、そのような戦争の絵を描かなかった松本俊介さんのような画家のことを、本当に立派な画家だと思っていました。

全体主義に陥ったり流されたりすることのなかった松本俊介さんのような方を立派だと思うのは今も変わっていないのですが、今回の展覧会を見て、藤田嗣治さんも画家としてとても立派な方だったのだと、至極当然のことだったのかもしれないのですが、私もそのように思うことができるようになりました。

藤田嗣治さんは、戦意高揚の国策のために戦争画を描いたのではなく、一人の画家として、培ってきた自身の画力を発揮するために、戦時にしか描くことのできない画題を描いたのではないかと思います。

「血戦ガダルカナル」(昭和19年、58歳の時の作品)という兵士たちが積み重なるように死闘を繰り広げている光景の奥に嵐の海が描かれている暗い色調の絵を見て、藤田嗣治さんの戦争画は、戦争画というよりは悲しい歴史画なのだと思えてきました。

時代が進めば、どこの国の「戦争画」も、歴史的な意味を持つものになると思います。

藤田嗣治さんは、戦争画を描く際に必要なものについて、展示されていた美術雑誌の文章の中で、幕末の勤皇憂国の志士の気迫と、全く新しい工夫、主観を含めた客観的描写などを挙げていました。

作品リストの後ろに記載されている藤田嗣治さんの言葉の一部を読んでも、日本に帰ってきて戦争画を描いていたという藤田さんが、戦時下でもずっと自身の画家としての理想を追求する方だったということが、私にも分かるような気がしてきました。

会場の解説によると、藤田嗣治さんは戦後、戦時下で戦争画を描いていた画家仲間たちから、「戦犯」の責任を代表して背負ってほしいと頼まれていたのだそうです。私はこのような事実があることも知らなかったので驚きました。

もしもこのために「戦犯」の汚名を着せられて、あるいは一身に背負って、日本を離れたのだとするなら、とても残酷なことだなと思いました。

戦時中に書かれた軍や兵士を賛美する要素の強い戦意高揚のための小説には、現在では読むに耐えないものが多いそうです。私の好きな作家の中にはそのような作品を書いていない方が多いため、私はそのような戦争賛美系の作品をまだ直接読んだことはないのですが、そのような国策寄りの小説の中に今読んで面白く思える作品はほとんどないと、評論家の方が書いていたのを読んだことがあります。

でも、小説とは異なるかもしれませんが、今回の展覧会で見ることができた藤田嗣治さんの「戦争画」は、見るに耐えないような作品では決してありませんでした。

「ブキテマの夜戦」も、夜の暗い林の中に兵士の荷物や死体が散乱している戦争の惨状が描かれていました。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期だからということがあるとしても、悲惨な戦地の現場を描いた絵は、歴史的にも意味のある絵であるように思えました。絵の内容もそうなのですが、そのような絵が描かれたという日本の絵画の歴史的にも、ということです。

展覧会場には、藤田嗣治さんの蔵書も展示されていました。藤田さんが表紙絵や挿し絵を描いたものです。それは主に戦前や戦後の絵だと思うのですが、そこの絵は、一連の「戦争画」の重厚さや壮大さとは異なる、「エコール・ド・パリ」の展覧会で見るような藤田嗣治さんの作品らしいというか、繊細な線の伸びやかな絵でした。

会場の一角には、藤田嗣治さんが監督として撮影した「現代日本 子供篇」というフィルム映画の映像も流れていました。昭和10年の愛媛の松山の子供たちの生活を映した8分38秒の白黒映画です。和装の子供たちが桃太郎の紙芝居を見たり、散髪をしたり、松山城でチャンバラをして遊んだりしている様子が映されたもので、今の私から見ると素朴で子供たちが楽しそうでとても良いショートフィルムに思えるのですが、当時の政府か映画会社かの関係者たちからは、子供たちの様子が貧しそうで国辱的だとか言われて、結局「お蔵入り」にされてしまったのだそうです。もったいないなと思いました。

戦前のパリで活躍し、戦時下の日本に帰国して戦争画を描き、終戦直後「戦犯」の汚名を着せられてパリへ戻った藤田さんの思いや考えをはっきりと知ることができたというわけではないのですが、そのごく一端を知ることは少しできたような気がします。今回の藤田嗣治さんの所蔵作品展を私も見ることができて良かったです。良い展覧会でした。現在のパリのテロ事件の惨状やフランス軍によるシリア空爆などの“戦争”のような事態を藤田嗣治さんが知ったら悲しむだろうなということも、少し思いました。

藤田嗣治さんの展覧会を見た後、私はその下の階で開催されていた「てぶくろ|ろくぶて」という、小学生の遊びのような名前のタイトルの企画展も見ることにしたのですが、それは、フランスの哲学者のモーリス・メルロ=ポンティの言葉を「案内人」として、「私」と「モノ」が出会う場所について考えるという展覧会でした。

私はこの企画展のことを知らずに東京国立近代美術館へ行ったので、突然の?メルロ=ポンティの登場を少し嬉しく思いました。会場の解説によると、メルロ=ポンティの思想は、1960年代や1970年代のアーティストの方たちに大きな影響を与えたのだそうです。

知覚する「私」と知覚される「モノ」との間にある「可逆性(リヴァーシブルであること)」を考える展覧会でした。会場には、「手」と「手袋」や、「顔」と「鏡」などに関する作品が紹介されていたのですが、もしも、「私」が知覚する存在であり、「世界」が知覚によって存在しているのなら、そこにも「可逆性」が考えられるものなのだろうと思います。「私」がいるから「世界」があるのか、「世界」があるから「私」がいるのか、「私」がいるから「光」があるのか、「光」があるから「私」がいるのか、ある存在を「知覚」を中心に考えると両方とも正しく思えますし、何だか不思議な気持ちになります。

合わせ鏡によって作られる「鏡の中の鏡」とか、世界の果てまでが永遠に一つの輪のように続いていくように見えるマウリッツ・コルネリス・エッシャーの版画の絵とか(この展覧会に展示されていたわけではないのですが)、リヴァーシブルであり続ける「可逆性」は、当然のことなのかもしれないのですが、普段の現実の中で常に起きている現象なのかもしれないなと思いました。
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