「わたしを離さないで」第6話

TBSの金曜ドラマ「わたしを離さないで」の第6話を見ました。

第6話は、全体としては主に保科恭子(綾瀬はるかさん)と土井友彦(三浦春馬さん)と酒井美和(水川あさみさん)とによる「三角関係」の話ではあったのですが、中心は、恭子さんの「陽光学苑」時代の友人の遠藤真実(中井ノエミさん)の物語になっていました。

真実さんは、マンションの部屋を抜け出して、コテージの恭子さんに会いに行きました。部屋でタバコを吸うのを恭子さんに注意されて止めた真実さんは、帰り際、恭子さんに「日本国憲法 第13条」の「幸福追求権」が書かれたメモを見せて、公共の福祉に反しない限り、誰にだって幸福を追求する権利があるのだと、美和さんと付き合っている友彦さんを好きな恭子さんの背中を押していました。

幸せになってね、何か生まれてきて良かったと思えることを見つけてね、と恭子さんに告げて帰っていった真実さんのことを、恭子さんは少し不安そうに見送っていました。いつもの真実さんと違う、と感じていた恭子さんは、自分の部屋に真実さんがタバコやライターを置き忘れていたのを見つけて、その考えを強めていました。

仲間の一人が殺人事件を起こしたことで、警察官たちに捕まりそうになった真実さんは、仲間に逃げろと言われてマンションを脱出し、夜の街を走って行きました。翌朝、駅前の広場で選挙の立候補者が街頭演説をしているのを見かけた真実さんは、左手首を切って候補者に近付いてマイクを貸してほしいと頼み、血塗れの手でマイクを受け取ると、私は立候補者ではありません、私は提供者です、私の話を聞いてください、と通りを歩く人々に呼びかけていました。

ある施設で普通の子供たちと同じように育ったが、ある日自分たちは「提供者」であり「天使」なのだと教えられた、想像してみたが、私には自分の命を他人にあげてその代わりに死ぬことなんてできないと思った、「天使」でない私はごく普通の人間であると思い至った、しかし私たちは家畜同然だ、私たちのような存在を作り続けるのなら何も考えないように作ってほしい、自分の命は自分のものなのだと考えないように、と真実さんは演説に足を止める人々に訴えていました。

駆けつけた警察官に演説を止められ、連行されそうになった真実さんは、ポケットにしまっていたナイフを再び取り出し、刃を自分の首に当てて引き、その場で自殺を遂げたようでした。地面に落ちた「憲法13条」の白いメモが真実さんの血で赤く染まっていきました。

その頃、友彦さんと付き合うことを美和さんに妨害された上、友彦さんに見放された恭子さんは、もういいと二人を残して出て行こうとして、コテージにやって来た警察官たちに、真実さんの事件のことで事情を聞かれていました。真実さんが自殺をしたことを知った恭子さんは、自分の心を封印し、“天使”になる決意をして、コテージを出て行きました。恭子さんが出て行ったことを知った美和さんは慌てていたのですが、友彦さんは無視していました。

現代の、真実さんの亡くなった現場にタバコを手向けに来ていた恭子さんは、同じ日に偶然その場所で会った珠世(馬場園梓さん)から、友彦さんの介護人になるつもりはないか、それが真実さんの「宿題」の答えにならないかと切り出されていました。

脚本は森下佳子さん、演出は平川雄一朗さんでした。

恭子さんはどうして小学生の頃から一貫して正しかった真実さんを友達に選ばなかったのだろう、どうして恭子さんを陥れようとする美和さん(真実さんによると、美和さんは恭子さんよりも優位に立っているという気持ちによって自分を支えている人だということでした)のほうを選んだのだろうということは、これまでと同じように、ドラマを見ていた私には少し疑問に思えたのですが、今回の第6話は、恭子さんと、(やはり“サッカーバカ”にしか見えない)友彦さんと、美和さんの「三角関係」の部分だけではなく、「提供者」として生み出されたことを疑問に感じて仲間たちと活動していた真実さんを中心とした物語になっていたところが、良かったのだと思います。

中井ノエミさんの演じていた真実さんが、とても良かったので、このドラマが、真実さん、あるいは真実さんのような「提供者」の人たちを主人公にした物語だったなら、問題提起のある社会派の作品として、もっと面白くなったのではないかなと思いました。

私はまだ「臓器移植」(あるいは「脳死臓器移植」)をあまり良いものと思うことができないでいるので、ドラマの真実さんが演説で訴えていたような、自分の命は自分のもの、という考えのほうが正しいような気がしていますし、誰かが自分の命や自分に近しい人物の命を救うために、生きている他者の臓器を取り出して部品として使うことを良しとする人たちの気持ちを、いまいち理解することができないのだと思います。

そして、今回の真実さんの演説の中でも少し触れられていましたが、このようなことを考える度に、どうして神様は(神様が人間を作ったとする世界観を信じるとするならなのですが)人間を、他の生き物の命を奪わなければ生きることができない存在として作ったのだろうと、不思議に思います。

いつも食べているもののほとんどが何かの生き物(動植物)の死体(殺されたもの)であるということを、食べる時に考えないこともありますし、初めからほとんどそのようなことを考えないという方も多いのかもしれませんが、一度気になると気になってしまい、どうすることができるというものでもないのですが、何か辛い気持ちになります。仙人のように霞を食べて生きていくことができればいいのになと思うこともありますが、そもそもどうして人間(猫や犬たちもそうですが)は何かを食べなければ生きていくことができないようにできているのだろうと残念に思うこともあります。

「臓器移植(臓器提供)」の問題と、人間が生物を食べて生き長らえることの問題とは、厳密には異なるのかもしれないのですが、イメージとしては似たようなものなのではないかと思いますし、生きたいとか生きていてほしいとかの、誰かの願いを叶えるものとしては、同じものなのではないかと思います。

憲法の第3章の第13条の、「個人の尊重」や「幸福追求権」の話題が出ていたのも、良かったように思います。憲法第9条も大切だと思うのですが、第13条もとても大切な条文だということを、改めて思いました。今の日本の憲法は、“アメリカに押し付けられたもの”などではなく、当時の草案作りを担当した日本の人たちが、未来の世界のことを思って、良く考えて作ったものなのだと思います。

今回の第6話は、「第二章の完結編」ということでした。次回からは、恭子さんが「介護人」になった現代の物語が主に描かれていくのかもしれません。このドラマの物語がすごく面白いというのとは少し違うのですが、次回も見てみようと思います。
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