「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗った医師の記録」

昨夜の11時からのNHKのEテレの「ETV特集」では「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗(あらが)った医師の記録」という特集が放送されていました。

「癩(らい)病」は「ハンセン病」のことです。病名は、1873年(明治6年)にアルマウェル・ハンセンというノルウェーの医師が「らい菌」を発見したことに由来しています。

日本では明治40年に「癩予防法」が制定されたそうなのですが、その時には法律名がなく、昭和6年の頃に改正された時に「癩予防法」と名付けられたそうです。

患者を「絶対隔離」する「癩予防法」は、昭和20年の敗戦後、「大日本帝国憲法」が終わり、GHQによる民主化の始まった日本に作られた「日本国憲法」のもとで「人権侵害」の法律だとして改正の機運が高まったそうなのですが、昭和28年に改正された「らい予防法」では隔離政策は廃止されず、さらに患者への懲罰の項目が加えられて施行され、その時の「改正らい予防法」が廃止されたのが平成8年の4月ということで、今年で20年が経つのだそうです。

昨夜のETV特集は、元京都帝国大学医学部のの助教授の小笠原登さんという医師の特集でした。京都帝国大学医学部の皮膚科特別研究室でハンセン病の患者の治療の研究を行い、国の「絶対隔離」の政策に反対し、ハンセン病は伝染性の極めて弱い治療可能な病であるということに早くから気付いて、隔離よりも治療をするべきだということを主張していた方なのだそうです。

その小笠原先生の日記や書簡が、最近生家である愛知県のあま市の圓周寺というお寺の蔵で見つかったそうで、特集では、日記や小笠原先生に直接診察を受けた回復者の方や一緒に医師の仕事をしていた方たちの証言を基に、小笠原先生がどのように患者さんたちを救おうとしていたのか、小笠原先生の説がなぜ世の中で主流にならなかったのかということが検証されて伝えられていました。

小笠原先生の説というのは、らい菌そのものには毒性がなく、免疫力の低い体質の人がその菌に感染すると末梢神経などに炎症を引き起こすという「体質論」でした。小笠原先生は、らい病(ハンセン病)は免疫病だと考えていました。

その考えは現在の学説と同じものなのだそうなのですが、昭和6年頃や昭和16年頃の学会では、受け入れられないものだったようでした。

明治時代から西欧列強諸国に並ぼうとしていた日本政府は、ハンセン病患者が国内にいることを「国の恥」だと考え、「祖国浄化」というスローガンの下、日本を「真の文明国」にするために「無癩県運動」というものを行っていたそうです。県によって、積極的に行う県とそれほどでもない県があったそうなのですが、自分たちの県かららい病者を無くそうと、発見次第患者を「療養所」へ入所させるというような運動だったそうです。

ハンセン病は治る病気だと考えていた小笠原先生は、カルテに末梢神経の炎症と書いて患者さんを「隔離」から守るということもしていたそうなのですが、実際に「大風子油」というインド原産の植物性の油を使った治療(世界的に使われていたそうです)を行い、患者さんの約8割が解放に向かうこと、そのうちの約6割が無菌になったことを証明した論文を書いているそうです。小笠原先生は、「らい菌」と「体質」を、お寺の「鐘」と「撞木」に喩えてもいたそうです。しかし、小笠原先生の論文『らいに関する三つの迷信』や「体質論(免疫病説)」は、「国策に反する」説として、当時の癩病学会から総攻撃されることになったのだそうです。

小笠原先生の意見を退けようとしていた中心人物は、山口出身で東京帝国大学医学部を出た?岡山の国立長島愛生園の初代園長で医師の光田健輔さんでした。光田さんは、ヨーロッパで開かれた学会にも参加してハンセン病撲滅を志し、ヨーロッパで当初主流だった「隔離政策」を日本でも進めたそうなのですが、数年後にヨーロッパでの会議の決議が隔離ではなく治療を優先するべきだというものに変わっても、「絶対隔離政策」を止めようとはしなかったそうです。

社会で酷い差別を受けているハンセン病の患者を療養所に隔離し、そこでの生活を平和なものにすれば患者は救われるだろうという考え方を持っていたようでした。当時の「祖国浄化」の国策に合わせたものであるのかは、私には分からないのですが、結果的にはそのような国策(ハンセン病の患者を一般社会から追放する)と一致するものでもあったようでした。

大阪の朝日新聞が小笠原先生の「体質論」を新説として記事に載せると、光田さんやその門下の療養所の所長たちが一斉に反対し、学会の場で詳しく説明しようとした53歳の小笠原先生の言葉は、「強力な伝染病」だと言い張る所長たちに遮られて、「細菌性は認めるが、ペストやコレラと違って感染力は弱い」というような説明の一部だけが取り上げられて「細菌性の伝染病だと認める」というような形になって、新聞にも小笠原先生に不利な記事が書かれてしまったということでした(番組で紹介されていた最後のものも朝日新聞だったのですが、批判された朝日新聞は当時の政府系の圧力?に負けてしまったということなのでしょうか)。

昭和20年の敗戦後、アメリカからプロミンという治療薬が日本にも入ってきて、ハンセン病は劇的に治るようになったそうです。しかし、それでも、光田さんは、らい菌はしぶといから一度は薬で消えたように見えてもいずれ再発するかもしれない、そうすれば「浄化」されてきた国が再び汚染されてしまうかもしれないと、プロミンの治療効果を疑い、療養所からの患者の解放を「暴挙」だと反対し、患者の「絶対隔離」の政策を止めようとはしなかったそうです。

そして、昭和28年、患者への罰則も加えられたという「改正らい予防法」が制定されたそうです。病院で無菌と診断された方も、幌のついたトラックで岡山の療養所へ送られたのだそうです。17歳の冬に送られたという女性の方は、海へ入ったけれど怖くて上がった、海から上がった後どこを歩いたか分からないけれど、桜が咲いていた、と話していました。当時療養所へ送られるということは、単純に考えても、本当に怖くて絶望的なことなのだと思います。

昭和23年、60歳になって京都帝国大学を退官した小笠原先生は、その後、愛知県の豊橋の病院の医者になったそうです。そこではハンセン病の患者さんの診察をすることはできなかったそうなのですが、昭和27年や28年の頃の日記によると、小笠原先生は独自にプロトミンやプロトゾルといった名前の治療薬を仕入れて、自室や実家の圓周寺で患者さんの診察や治療を行っていたそうです。

小笠原先生のハンセン病の患者さんに寄り添って治療を優先する考え方は、そもそも、小笠原先生の祖父の啓実さんの考え方を受け継いだもののようでした。啓実さんは、僧侶でもあるのですが江戸末期の漢方医でもあって、お寺でハンセン病の患者さんの治療を行っていたことがあり、小さい頃から小笠原先生はその様子に接していたということでした。

小笠原先生の自室での治療は患者さんには助かることなのですが、そのことを知った、当時の一般の病院でもある豊橋の病院には問題視されてしまい、院長が自分を辞めさせたいと思っているということを理解した小笠原先生は、昭和30年に、その病院を依願退職することにしたそうです。

小笠原先生は、昭和45年12月12日、圓周寺で肺炎で亡くなったそうです。82歳だったそうです。ハンセン病は花粉症のような免疫病であり、免疫異常によって感染するもので治療によって治る病気だという学説が一般的になったのは、小笠原先生の死後だそうです。

小笠原登先生を知っている方は、とても優しい人、真面目で孤高の人だと、小笠原先生のことを話していました。小笠原先生は医師ではありますが、実家はお寺であり、生涯独身を貫いた仏教者でもあったそうです。小笠原先生の生前の映像として、昭和40年頃の、78歳の時の白黒の映像が紹介されていました。机の前に座って何か書を書いているところだったのですが、それがNHKに残る唯一の小笠原先生の映像なのだそうで、そのことにも少し驚きました。

今回の特集を見た私には、ハンセン病のことをよく理解して、迷信を廃して、患者さんに寄り添った治療を続けていた小笠原先生は、医師としてだけではなく人間としても、とても立派な方であるように思えました。

患者さんと接している医師や看護師がハンセン病にならないことを不思議に思って研究をしていた小笠原先生の周囲の医師の中には、研究のために自らの身体にらい菌を投与してみた医師もいたそうで、それもすごいことだなと思いました。

免疫が弱まっていないその医師の身体のらい菌は、半年後には完全に破壊されていたそうで、らい菌自体は無毒だということが分かったのだそうです。ただ、大昔からいるらい菌が自然界のどこにどのように存在するのかは、今でもよく分かっていないそうです。

昭和33年には、療養所の入所者数は、過去最高の1万1911人になっていたのだそうです。小笠原先生の意見に反対して対立していた光田さんは、昭和38年に88歳で亡くなったそうなのですが、亡くなる前には、“救癩の父”として功績が評価されて、文化勲章を受章したのだそうです。白黒の映像の中では、杖を突いた光田さんが当時の岸信介首相から表彰状を受け取っていました。

小笠原先生と一緒に仕事をしたことのある大谷藤郎さんという方は、後に厚生労働省の官僚になった方だそうなのですが、「らい予防法」の廃止は考えなかったと話していた映像の中で、患者の環境を良くすれば小笠原先生の意志を受け継いでいると思っていたがそれは間違っていた、精神的な人権侵害だったのに、その重さに対する理解に欠けていたと反省していました。

大谷さんは、厚労省を退官後、「らい予防法」の廃止に向けた活動の先頭に立ち、法廷の証言台にも立ったそうです。そうして、平成8年(1996年)、「らい予防法」は廃止されたということでした。

昨日には、夕方のTBSの「報道特集」でも、ハンセン病の特集が組まれていました。私は録画をしておいたものを後で見たのですが、前半は熊本地震(九州の地震)の被災地での災害弱者の方の支援の特集で、後半がハンセン病の療養所で行われていたという「隔離された法廷」の特集でした。

ハンセン病の患者が何かの「罪」で裁かれる際、裁判は公開されずに療養所内で密かに行われていたそうです。それについて日本国憲法に違反するのではないかということが今言われていて、明日の25日に、最高裁判所が見解を述べるのだそうです。私は、昔の隠された裁判のことも、ちゃんとした裁判ではなかったことも、そのことで最高裁が謝罪するかどうかが注目されているという事態も、知りませんでした。

先の小笠原先生のことも名前を聞いたことがあるくらいにしか知りませんでしたし、私は本当に知らないことが多いなと思います。

その特集では、熊本の国立療養所菊池恵楓園で行われた裁判と、その施設内にあったという菊池医療刑務所のことが伝えられていたのですが、刑務所には分厚い高い壁がそびえていて、それは入所者たちへの「見せしめ」のためのものだったということでした。

群馬県の国立療養所栗生楽泉園の施設内に「重監房」があったということも、知りませんでした。何か違反をした患者に重罰を与えるための監房だったそうで、今では跡地が残り、資料館となっているそうです。

案内をしていた資料館の担当の方が、日本のアウシュビッツだったと話していたのですが、「絶対隔離」や「無癩県運動」の話を昨日の「報道特集」や「ETV特集」で聞いていて、確かに71年以上前の、ドイツのナチ党のヒトラーたちのユダヤ人の迫害にも似ているように思いました。「祖国浄化」とか、そのようなスローガンも、怖いなと思いました。

草津は山の上で雪深いので重監房はとても寒く、入った人の多くは凍え死んだのだそうです。亡くなった方の身体が凍って布団から剥がれなかったと、当時を知る方が話していました。

小笠原先生と対立していた、“救癩の父”と呼ばれて政府から表彰された医師の光田健輔さんやその一派の方たちが、当初は社会の中での酷い差別からハンセン病の患者を守るために療養所を作ってそこに患者を隔離することを推し進めたのだとしても、どうして戦後も一貫してハンセン病に対する差別そのものをなくそうとはしなかったのか、強力な伝染病であるという説を世に広め続けていたのか、患者さんや元患者さんの気持ちに寄り添わなかったのかというようなところは、今回の番組の特集では伝えられていませんでしたし、私にはよく分かりませんでした。でも、その点を考えることも、もしかしたら大切なことなのかもしれないなと思いました。

平成8年(1996年)に「らい予防法」が廃止されると当時の厚労省の大臣の菅直人さんが回復者の方やその家族の方たちに予防法の見直しが遅れたことを謝罪をし、違憲の裁判では、平成13年(2001年)に国が控訴しないことを決めると、当時の内閣総理大臣の小泉純一郎さんや功労大臣の坂口力さんが謝罪をしたそうです。あとは司法(最高裁判所)が違憲と認めるかどうかだということでした。

それから、昨日の「報道特集」では、その熊本の菊池恵楓園も今回の大地震の被害を受けたということが伝えられていました。納骨堂が損壊したそうです。ライフラインは少しずつ直ってきているそうです。今は社会との交流もあるそうなので、ごく普通に支援を受けることができているのだろうと思います。このまま少しずつ余震のような地震が収まっていくといいなと思います。

Eテレの「ETV特集」の小笠原登先生の特集も良い特集でしたし、TBSの「報道特集」の裁判と重監房の特集も良い特集でした。私も今回の特集を見ることができて、少しでも知ることができて、良かったです。

今回の特集とは直接関係のないことなのですが、3年ほど前の「ETV特集」の「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」も、とても良い特集でした。

その少し前、Eテレでは、東日本大震災後の海のホットスポットを調べて「放射能汚染地図」を作る特集がシリーズで放送されていて、私も見ていたので、当時第五福竜丸の被曝の調査を始めた若い科学者の中に、日本の放射能測定の第一人者の岡野眞治博士もいたというのを知って、すごい方なのだなと思いました。何回か放送された後、その汚染地図のシリーズは急に終わってしまったのですが、現在の海のホットスポットはどうなっているかなと、時々その番組のことを思い出します。岡野博士は今でも独自に放射性物質の計測を続けているのかもしれません。いつかまた特集番組が放送されるといいなと思います。
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