「火の粉」最終回

フジテレビの「オトナの土ドラ」のドラマ「火の粉」の最終回(第9話)を見ました。録画をしておいたものです。

第6話以降の感想を書くことができずにいたのですが、毎回の物語を見ていました。

最終回は、殺人犯の武内真伍(ユースケ・サンタマリアさん)のことを好きな佐々木琴音(木南晴夏さん)が墓地で池本亨(佐藤隆太さん)を刺殺した後、警察署で取調べを受けた梶間雪見(優香さん)が武内さんのことも琴音さんのことも警察には言わなかった、というところから始まっていました。武内さんは、武内さんを助けたかったと言う琴音さんに、やり過ぎだと話していました。

それから、家族が大声で話すのを聞いて泣き出したまどか(庄野凛さん)に近付こうとした武内さんを止めるため、俊郎(大倉孝二さん)が持っていたスタンガンで武内さんを倒し、奥の部屋で目を覚ました武内さんに対して、元裁判官の勲(伊武雅刀さん)が「裁判」の開廷を告げました。

武内さんは勲さんに無罪とされた過去の殺人、梶間家の祖母と弁護士と琴音さんの夫を殺したことを認めると、勲さんは、池本さんを殺したのも武内さんだと言い出しました。武内さんは勲さんがそう言うなら罪を認めると答えました。一部冤罪の勲さんの「裁判」で「死刑」を宣告された武内さんは、勲さんに殺されそうになったのですが、俊郎さんが勲さんを止めたため、武内さんの死刑(私刑)執行は中断されました。

そして、琴音さんと一緒に自首をすると梶間家の家族に約束した武内さんは、梶間家と「最後の晩餐」をすることになりました。梶間家は食事がしたいという武内さんの提案を受け入れ、尋恵(朝加真由美さん)が料理は私が作ると言いました。玄関に出た雪見さんは、郵便ポストに琴音さんからの、「武内家の宝物」だという毒物の入った小瓶が届けられているのを見つけました。

一旦自宅へ帰った武内さんは、琴音さんに盗られたうちのもう一つの毒の小瓶を見ながら、いつものようにバウムクーヘンを焼きました。作ったばかりのケーキを床に打ち棄て、新しいものを作って梶間家へ持っていきました。

それからの、梶間家の家族と殺人犯だった隣人の武内さんの不思議な最後の晩餐の場面は、少し長くも思えたのですが、梶間家のスープや武内さんの枇杷のジュースには毒が入っているのだろうか、と思わせる“ロシアンルーレット”のような展開には、緊張感もありました。

晩餐は何事もなく続き、まどかさんが先に休んだ後、梶間家の家族は武内さんに促されて、夫婦が出会った経緯を話し始めました。穏やかに話を聞いていた武内さんは、少しでもずれていたら今の梶間家はなかった、自分が梶間家の「家族」にはなることはできないのだという事実を理解していました。俊郎さんは、武内さんは殺人さえしなれば良い人なのに、と話しました。梶間家は、殺人犯である武内さんを、武内さんとしては受け入れていました。

梶間家を後にして自宅へ戻った武内さんは、自分が床に叩き落したバウムクーヘンを拾い上げ、口に入れました。武内さんは、毒を入れたバウムクーヘンを棄てて、毒の入っていないほうを梶間家の最後の晩餐に持参していたのでした。

翌朝、武内さんがソファの上で亡くなっているのを、梶間家の家族が発見していました。

最終回の脚本は香坂隆史さん、演出は森雅弘さんでした。原作は、私は未読なのですが、雫井脩介さんの小説『火の粉』です。

梶間家の家族が武内さんが自殺をすることを予想していたのだとするなら、梶間家の「最後の晩餐」は、『北風と太陽』の「太陽」の作戦だったのかなと思います。

私が以前に見た2時間ミステリーの「火の粉」の物語とは異なっていたのですが、ユースケ・サンタマリアさんの演じる武内さんが良かったですし、気に入った人に対して依存してしまうような武内さんの精神的な問題と、表面的には幸せそうだった梶間家の家族の間の問題が重ねられて描かれていたところも、良かったように思います。

第7話では梶間家の家族がマッサージチェアに座らされて武内さんに説教をされるという展開があって、その場面は私には何だか、怖いというよりは、一体何なのだろうと少し面白くも思えてしまいました。「昼ドラマ」の東海テレビ制作のドラマらしさなのかなとも思ったのですが、でも、その奇妙な感じが、武内さんと梶間家の関係の異常さを表していたようにも思えました。

武内さんがバウムクーヘンを自宅でよく焼いていたのは、武内さんの母親がよく作っていたお菓子だったからということなのですが、武内さんが自宅で焼くものが「お菓子」だったところも、武内さんの怖いような優しいような感じに合っていたのかなと思います。(私はバウムクーヘンを焼くための自宅用の専用の機械?があるのを知らなかったのですが、武内さんの母親もあのような機械でお菓子を焼いていたのでしょうか。)

このドラマの良かったところというか、少し不思議に思えたところは、家族の幸せに恵まれないうちに亡くなった母親の教えを守って「良い子」になろうとしていた武内さんだけが異常な人という風には描かれなかったところだと思います。

武内さんだけではなく、梶間家の人たちも、後半の物語の重要人物だった琴音さんも、少し変わっていました。変わっているように見えるように描かれていたというか、あるいは、このドラマを見ている「普通」のはずの視聴者たちに、ことわざの「人の振り見て我が振り直せ」を思い起こさせるように描かれていたというか、そのような感じにも思えました。

あと、武内さんの「趣味の悪い」プレゼントは、相手を試すためにあえてずらしていたのではなく、本当に武内さんが真剣に選んだ結果のものだったということなのでしょうか。最初の頃に失踪した勲さんの姉の相田満喜子(大島蓉子さん)は見つかったのでしょうか。池本さんの妻の杏子(酒井若菜さん)は夫が殺された後どうしていたのでしょうか。勲さんは過去の裁判の失敗を公に認めるでしょうか。この辺りのことは、ドラマでは描かれなかったので、よく分からないまま終わってしまったように思います。

武内さんが逮捕されずに自殺をしてしまうという展開も、私には少しもったいないようにも思えてしまったのですが、このドラマの哀しい雰囲気の武内さんには、その選択肢しかなかったのかもしれないなとも思います。擬似家族に幸福を求め続けては破綻して自ら壊していく武内さんの、もう疲れた、という言葉がそのようなところを表していたのかなと思いました。

武内さんが琴音さんからの愛情を受け入れないというところも、琴音さんを第二の武内さんとする展開のためだったのかもしれないのですが、武内さんの個性でもあるような感じがして、良かったように思います。

上手く伝えることができないのですが、世の中には、自分のことを好きだと言う人のことを好きになる(好きになることができる)人もいるのかもしれないのですが、愛されることを求めてはいても、自分からその人のことを好きになるのでなければ、自分のことを好きだという誰かのことを好きになるということはないという人もいるのだと思います。

例えば、ラジオの恋愛相談企画などで、片思いをしている相手に告白をするかどうかを迷っている相談者のリスナーに対して、誰かに好きだと言われて嬉しく思わない人はいない、と告白をすることを勧めるように答えるパーソナリティーの方が時々いますが、あなたに好きだと言われたら(たとえあなたのことを好きではなかったとしても)相手は少なからず嬉しく思うはずだというような発想は、私には、とても奇妙に思えるのです。

自分の厚意(あるいは好意)を相手に押し付けて受け入れてもらおうとする(時にはその上に感謝してもらおうとする)、“ストーカー”のような、このドラマの武内さんのような発想に近いものであるようにも思えます。

自分と他の人との間に良い距離感を保つということは、少し難しいことでもあるかもしれないのですが、「親しき仲にも礼儀あり」の精神は、世の中で大切にされていくといいなと思いますし、私も大切にしていきたいと思います。

ともかく、サスペンスの連続ドラマとして、今回の「火の粉」を最後まで面白く見ることができました。エンディングに流れることの多かった、主題歌の鈴木雅之さんの「Melancholia」という曲も、ドラマに合っていたように思えて、良かったです。
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