「シリーズ ヒトラーの残像」と、「青い目の人形」たちのこと

NHKのBS1の「BS世界のドキュメンタリー」の「シリーズ ヒトラーの残像」の4作品を見ました。

ヒトラーの死から70年が経過した昨年末に著作権保護が切れたことから起きた『わが闘争(我が闘争)』の出版を巡る問題を扱った「ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~」はドイツが2016年の今年に制作したもので、独裁者のヒトラーを暗殺する計画を立てた複数の人物がいたことを一部再現ドラマを交えて伝える「ヒトラー暗殺計画」はフランスが2015年に制作したもので、連合国軍に追い詰められていく晩年のヒトラーの身近にいた関係者が証言をする記録映像をまとめた「ヒトラー 最後の日々」はイギリスが2015年に制作したもの、海岸に待ち構えていたドイツ軍の攻撃によって最初に上陸した連合国軍のアメリカ兵の約9割が命を落としたというオマハビーチでの激戦の様子を伝える「ノルマンディー上陸作戦のすべて」はイギリスとアメリカが2014年に制作したものでした。

特集番組が作られた国も年も異なるのですが、4つの番組とも見応えのある良いドキュメンタリー番組でした。71年以上前の第2次世界大戦の頃の話で、ナチ党の総裁のアドルフ・ヒトラーを巡る“残像”の話だったので、特集の内容は重い感じではあったのですが、欧米のドキュメンタリー番組らしい?構成の分かりやすさとテンポの良さから、眠くなることなく毎回を最後まで見ることができました。

ただ、4番組を見終わると、最初に放送された「ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~」が最後のほうが良かったようにも思えました。シリーズの4回の番組は、制作された年も特集された内容の時期も「過去」に遡っていて、歴史を知るという点では分かりやすかったのかもしれないとも思うのですが、「過去」から「現在」のほうが、「ヒトラーの残像」が「現在」の問題としてより印象的に残ったのではないかなと思いました。

「ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~」では、今年の1月8日に歴史学者による解説付きのものが出版され、初版4000部が完売したという『わが闘争』の出版を巡る問題が伝えられていたのですが、ヒトラーの死亡(暗殺計画が失敗に終わった結果、ヒトラーは“自殺”を選ぶことができたのでした)から70年が経過し、著作権保護が切れることから、ドイツでは、国内で出版禁止にしてきた『わが闘争』をどうするのかという問題が持ち上がっていたようでした。

死亡時にヒトラーの住所登録があったことから70年以上著作権を管理してきたというバイエルン州では、正式に出版はされていなくてもインターネットなどではすでに出回っているこの著作物について、「極右勢力」に利用される前に、歴史学者による膨大な注釈付きのものを出版することを考えていたそうです。

バイエルン州は、ホロコーストの被害者たちの反対などによって、一切出版しないという方針に変えたということなのですが、それでも、今年の1月に出版されたということは、それはバイエルン州が直接的には関わっていない形での出版なのでしょうか。

歴史の研究のため、あるいは「歴史は繰り返す」とも言われる今や未来の社会のことを考えるためには、ヒトラーたちの考えを肯定しない学者たちによる解説付きの書籍として出版されることも間違ってはいないような気もしました。でも、ホロコーストの被害者の方にとって加害者のナチ党の総統のヒトラーの獄中記の『わが闘争』が出版されることは、本当にとても嫌なことなのだろうと思います。

当時のナチ党が結婚をする男女にこの本を配っていたとか、それだけでも怪しい宗教のようで私には気持ち悪く思えたのですが、この番組では、『わが闘争』の再出版の是非だけではなく、今のドイツや世界の各国で「極右」の人々が少しずつ台頭してきていることへの危機感も伝えられていました。

私はヒトラーの著作を未読のままなのですが、“愛国心”を利用してその他の国の文化を排除しようとする国粋主義や血統による民族主義は、今の日本にもあるように思います。例えば、世の中には「ヘイトスピーチ」に参加しない人や同調しない人のほうが多いのだろうと思うのですが、情報番組などに出演する解説者の中には、なぜか沖縄のアメリカ軍の基地に反対する人たちなどのデモまでを「ヘイトスピーチ」として一緒に扱おうとしている方もいて、そのような方たちの話を聞いていると、何を「ヘイトスピーチ」と呼ぶのかの解釈の幅を拡大することで、本来の差別の問題の存在を弱めたり隠したりすり替えたりしようとしているのかもしれないという風にも思えてきます。

最近、独裁者のヒトラーは民主的な方法によって国民に選ばれたのだということがよく言われていますが、その一方で、民主主義的な政治のことを「衆愚政治」と呼ぶ方もいて(その言葉自体は昔からあるものですが)、ヒトラーが国民の大多数に支持されていた(本当でしょうか)ということを考えると確かにそうかもしれないと思うこともあるのですが、政治を行う立場の方や官僚の方や評論家の方や一般市民の方たちが、「民衆」を愚かな存在だと決め付けてしまうということは、それこそ愚かで、酷いことのように思います。

「ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~」に出演していた歴史学者の方が、複雑な時代には、シンプルで単純な考えが人々に好まれるようになるというようなことを話していました。第二次世界大戦や太平洋戦争の終わりから71年経って、経済的な問題や移民や難民の問題を抱えている現代は、また当時と似たような状況になっているのでしょうか。

でも、71年前と異なるのは、今の世界が当時から見ると未来の世界であるということです。現代を生きている人は、71年以上前の出来事を「歴史」として知ることができます。その違いがあることだけでも、今の「民衆」は、恐ろしい「ファシズム」的な政治による支配を遠ざけることができるように思うのですが、どうでしょうか。それとも、第二次世界大戦後から100年と経っていなくても、また「歴史は繰り返す」になってしまうのでしょうか。

私は活動家ではないですし、画期的なアイデアを思いつくこともできないので、戦争の頃のことや、戦争時代に入ってきそうな今の世の中のことを思うとただ憂鬱な気持ちになるというか、疲れたような気持ちになってしまうのですが、でも、今回のドキュメンタリー番組を私も見ることができて良かったと思います。

先日のBS1の「国際報道2016」の中では、昭和の初め頃に日本とアメリカの交流のためにアメリカから日本の子供たちへ贈られた「青い目の人形」たちの「89年目の同窓会」が神戸の幼稚園で開かれたということが伝えられていたのですが、その同窓会には発案した宣教師のシドニー・ギューリックさんという方の孫の方が来て、名札の付いている椅子に座って並んでいる人形たちに一体ずつ(一人ずつ?)「こんにちは」と挨拶していました。その様子が何だか優しい感じがして良かったです。

ここには祖父の精神が生きている、祖父がいたら喜んだでしょうと話していた孫の三世シドニー・ギューリックさんは、祖父が言ったように本当に世界平和を望むのなら子供たちにお互いを尊重することを教えなければいけませんとも話していました。主催者の西村さんという元記者の方は、いろんな人たちが静かに守ろうとした普遍的な思い、平和とかいう言葉だけではない幸せなこと、平穏なこと、友情とか、友好とか、そのような普遍的なことを人形たちは静かにやってきた、それを支えた人たちが90年間ずっといたからこそ人形が残っているということですと話していて、その言葉も印象的でした。

神戸の8体(8人?)の人形たちは顔や手などに欠けたりしているところがあったのですが、とてもかわいらしくて、大切に守られてきたし、今も大切にされているということがよく伝わってくるように思えました。「青い目の人形」を私は直接見たことはないのですが、贈られた約12000体のうち、今は約330体が全国に残っていることが確認されているのだそうです。青い目の人形たちは雛祭りの頃に贈られたそうで、その年のクリスマスの頃に日本からアメリカへ贈った市松人形は、58体の内の40体以上がアメリカの博物館などに大切に残されているそうです。

広島の平和記念資料館(原爆資料館)では、先日来日して広島で演説をしたたオバマ大統領の折り鶴が8月末頃まで展示されているそうですが、その折り鶴も、青い目の人形たちも、普遍的なことを伝える存在として、これからも大切に残されていくといいなと思いました。
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