第27代総理大臣の浜口雄幸の特集

一昨日のNHKのBSプレミアムの「英雄たちの選択」は、「昭和の選択」でした。終戦の日の近い夏の頃に時々放送されているような気がします。「英雄たちの選択」と同じく、番組の司会は歴史学者の磯田道史さんと渡邊佐和子アナウンサーです。

今回の「昭和の選択」は、「“ライオン宰相”が夢見た平和~軍縮に挑んだ男 浜口雄幸~」でした。

解説は、歴史学者の川田稔さん、元国連事務次長で軍縮専門家の阿部信泰さん、軍事史学者の小谷賢さん、歴史学者の一ノ瀬俊也さんでした。

第27代総理大臣の浜口雄幸(濱口雄幸)のことを、私は日本史の授業で少しだけ習った以外には、ほとんど知りませんでした。子供の頃から無口であまり笑わない人だったという浜口雄幸さんと一緒に写真に収まっている銅像のライオンは、総理官邸前のライオンなのだそうです。私は浜口さんが「ライオン宰相」と呼ばれているということも知りませんでした。

浜口雄幸(おさち)さんは明治3年に今の高知県の土佐に3人兄弟の末っ子として生まれ、今でも生家は残っているようですが、父親は役人で、離れには畳の敷かれた静かな勉強部屋があって、学校の成績はいつも一番という優秀な人だったそうです。一度大蔵省の官僚になったそうなのですが、上司と衝突して左遷されるなどしたこともあるそうで、政治議論の盛んだった土佐出身の浜口雄幸さんは、官僚を辞めて政治家を志すようになり、昭和4年(1929年)に59歳で総理大臣となったそうです。浜口雄幸さんの所属していた、当時の与党は立憲民政党で、大惨敗と当時の選挙後の新聞に書かれていた野党は立憲政友会でした。立憲政友会を支持していた人々が資本家や地主だったのに対して、立憲民政党を支持していたのは普通の会社員などの中間層の一般市民たちだったそうです。

浜口さんは、世界の平和のために「平和愛好」の理想的概念を具体化する政治を行おうとしていたそうで、面倒な問題を「後回し」にしない政治家でもあったそうです。

浜口さんが政治家になった頃は、第一次世界大戦が終わった「戦後」でした。しかも、日本はロシア軍を撃破した「戦勝国」でした。世の中には、これからは平和な世の中になるという空気が流れていたそうです。ただ、「世界恐慌」の時期とも重なっていました。そして、日露戦争時に拡張されていた軍備は、軍事費のために市民の生活が圧迫されることを防ぐために、縮小されることが検討されていたそうです。軍縮をすれば米英から国を守ることができなくなると主張していた軍部は、世の中が平和な方へ進みそうになる中、自分たちの存在意義を守るために軍縮に反発していたというところもあったようでした。

昭和5年には、ロンドン海軍軍縮会議が開かれ、第一次世界大戦の「戦勝国」である、イギリス、アメリカ、日本、フランス、イタリアの五か国が参加したそうです。浜口さんは若槻禮次郎元総理を首席全権として派遣して、アメリカの求める「対米6割」を「対米7割」にしたいという交渉を行ったそうです。

若槻元総理の交渉によって、アメリカが少し譲歩して対米7割に近い数字となり、潜水艦もゼロになりそうになっていたのが半分の数になったのですが、それでも浜口雄幸さんは、ロンドン海軍軍縮条約に反発する海軍の軍令部長の加藤寛治の対外強硬の姿勢に悩み、1週間経っても結論を出すことができなかったそうです。

国際協調の路線を進みたいと思いながらも、「艦隊派」の軍部や右翼の強い反対のある中、国内が混乱するかもしれないことを考えて迷っていた浜口さんの決断を後押ししたのは、浜口さんの方針を支持する多くの市民たちと、昭和天皇でした。

昭和天皇は使いを送って浜口さんを呼び出し、早く決断をするよう伝えたのだそうです。(当時のこの出来事について、「統帥権干犯問題」を提起した立憲政友会の人たちや右翼の人たちは全く知らなかったのでしょうか。)

海軍の艦艇派の加藤寛治たち幹部は、今度は元帥の東郷平八郎に相談したそうなのですが、東郷平八郎は昭和天皇に説得され、艦艇派への協力をやめたということでした。

そうして、10月、ロンドン海軍軍縮条約は批准され、帰国した全権団を、東京駅ではたくさんの市民たちが出迎えたのだそうです。

しかし、その約1か月後の11月14日、浜口さんは、陸軍の演習の視察や昭和天皇の行幸への付き添いなどを兼ねて東京駅のホームを歩いていたところ、右翼の佐郷屋留雄という青年に至近距離の背後から銃撃されて、腹部や骨盤を損傷し、その時にも意識ははっきりとしていたそうなのですが、翌年の夏に亡くなったそうです。61歳ということでした。葬儀にはたくさんの市民が参列したのだそうです。

浜口さんが撃たれる9年前の、大正10年(1921年)の11月4日の原敬首相の暗殺事件以降、首相の乗降時の駅のホームには一般の人の立ち入りが制限されていたそうなのですが、人々に迷惑をかけてはならないという浜口さんの意向から、この時の一般の人の立ち入りは制限されていなかったのだそうです。

東京駅には、原敬首相の暗殺事件の場合と同じように、濱口雄幸さんの襲撃事件のプレートもあるそうなのですが、私は読んだことがありませんでした。今度東京駅へ行った時には探してみようと思います。浜口さんを撃った愛国社という右翼団体に所属していた犯人の佐郷屋留雄は、原敬首相を暗殺した犯人の中岡艮一と同じく、一時は死刑判決を受けながら、なぜか恩赦によって減刑され、出所したのだそうです。

浜口雄幸総理大臣が凶弾に倒れるという時の場面を見ていて、私も悲しい気持ちになりました。浜口雄幸元総理大臣は、自身の平和愛好の政治信念を貫いた立派な方だったのだと思いました。

番組では、浜口雄幸さんが凶弾に倒れた時に来ていたというスーツが紹介されていました。ツイードのような、少し厚めのスーツでした。記念館に保管されているそうです。緊急手術のために、スーツは裁断されたそうです。

また、司会の磯田さんは、浜口雄幸の書の大きな掛け軸を紹介していました。ポケットマネーで購入したものだそうです。「長作閑人楽太平」と太い字で書かれていました。長く閑人となって太平を楽しむという意味の、南宋時代の陸游という詩人の言葉だそうです。「やせ馬に 山また山や 春霞」という俳句も紹介していました。浜口雄幸さんは大変な時代に内閣総理大臣を務めていたのだろうと思います。

昭和6年の8月26日に浜口さんが亡くなる前の4月に第2次若槻内閣が発足したそうなのですが、その頃には「満蒙(満州とモンゴル)は日本の生命線である」ということが言われるようになっていて、9月18日には、柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発し、10月には「十月事件」という陸軍の一部の幹部によるクーデター未遂事件も発生し、後に大政翼賛会の顧問となる安達謙蔵が「挙国一致」を主張したことから、第2次若槻内閣は退陣に追い込まれ、日本は軍国主義の道を進んでいくことになるということでした。

大政翼賛会は、立憲民政党や立憲政友会などの合流した団体で、1940年(昭和15年)10月から1945年(昭和20年)6月まで、戦時中の約5年間ほど存在していた日本の「公事結社」で、それは「政党」とは違うものなのだそうです。

浜口雄幸総理大臣を支持していた人たちが、右翼青年の凶弾に倒れた浜口さんが総理大臣を辞めた後には、「満州事変」などの軍拡の方を熱狂的に支持していったということが、私には何かいまいちよく分からないことのように思えました。

「満州事変」を支持したという人々は、浜口さんを支持していた市民とは別の市民なのではないかと、単純に考えるとそのように思うことができると思うのですが、どうなのでしょうか。番組では、不況の世の中に不満を感じていた市民たちは目先の生活を優先したのだろうというようなことが言われていました。満州事変を支持していたとされる当時の一般市民の方たちが、実際にどのように思っていたのかは分かりませんが、そのようなことは、「特定秘密保護法」や集団的自衛権の行使や武器輸出のできるようになる「安全保障関連法」が成立したり、「日本国憲法」が改定されるかもしれない問題などのある、「戦後71年」でありながら新たに不穏な空気の流れている今の時代にも通じる現象であるように思えました。

以前、NHKの特集(「その時歴史が動いた」や「日本人は何を考えてきたのか」や「知恵泉」など)を見て第56代総理大臣の石橋湛山のことを知った時、とても立派な人だったのだろうなと思えたのですが、今回の特集を見て、第27代総理大臣の浜口雄幸も立派な人、人格者だったのだろうと思いました。

総理大臣を務めていた期間の短い人は、歴史の教科書には少ししか記述されていないですし、どのような人であったかということも伝えられません。あるいは、何かの事情で、あえて影を薄くさせられているのかもしれません。

人格的に優れた人、賢くて誠実で優しい人が政治家になるのは難しいのかもしれないというような印象もあるのですが、そのような政治家の方が今の時代やこれからの時代にも現れるといいなと思います。

とても良い特集でした。私も昔の、自国が他国に脅かされないようにするために自国も他国を脅かさないようにするという平和外交と不況の中で市民の生活を少しでも良くするために国内の軍縮に務めた、浜口雄幸(濱口雄幸)元総理大臣のことを少しでも知ることができて良かったです。今の私たちが少しでもましな政治を選ぶためには浜口雄幸元総理大臣のような人がいたことを知る必要があるのだということを司会の磯田さんが話していましたが、本当にそうだなと思いました。
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