「スペシャルドラマ 戦艦武蔵」

昨夜、NHKのBSプレミアムで放送されていた「ザ・プレミアム」の「スペシャルドラマ 戦艦武蔵」を見ました。

2015年の3月にフィリピンのシブヤン海の約1000メートルの海底に沈んでいるのがアメリカのマイクロソフトの創業者の方によって発見された大日本帝国海軍建造の戦艦の武蔵をテーマにしたドラマでした。

武蔵は、三菱重工業長崎造船所が造った大和型戦艦で、1944年の10月にアメリカ軍の爆弾や魚雷の攻撃を受けてシブヤン海に沈没したそうです。

ドラマは、武蔵の乗組員だった祖父の真中俊之(吉沢悠さん)の孫の真中麻有(石原さとみさん)が、祖父がどのような最期を遂げたのかを知るため、80歳代の祖母のふみ(渡辺美佐子さん)と共に、祖父のことを知っている元乗組員の木山三男(津川雅彦さん)に会いに四国へ向かい、お遍路さんとして旅の途中に知り合った篠原徹(勝地涼さん)と宿坊を渡っていた木山さんから祖父との思い出話を聞き、戦争時代に思いを馳せながら、生きている今を改めて大切に思い始める、というような物語でした。

作(脚本)と演出は、岡崎栄さんでした。

このドラマの武蔵の場面というか、当時の戦闘の場面は、アニメのセル画のようなというか、少しべったりとした絵のような色彩の加工になっていて、その戦艦で何が起きているかの解説の字幕が時々出ていました。字幕はナレーションとして読み上げられる場合もあったのですが、字幕として画面に出ているだけの場合もありました。私としては、解説は読み上げられていたほうが親切だったように思いました。

戦艦・武蔵は、ドラマによると、なぜか「不沈艦」だと考えられていたそうです。麻有さんの祖父で海軍の少尉だった俊之さんは、激しく攻撃された武蔵から他の多くの乗組員たちと共に海に脱出し、日本の駆逐艦が助けに来るのを、部下の木山三男(泉澤祐希さん)と板に掴まって浮きながら待っていたのですが、夜のシブヤン海に沈んでいく武蔵を見て、武蔵が沈まない、武蔵は沈んでも海底には到着せず、海中を漂って祖国日本の港へ戻るのだというようなことを叫んでいました。

話が進まないというか、なかなか武蔵が登場しないドラマだったので、このドラマを見始めて30分ほど経っても、私は、このドラマもまた最近よくある孫が戦時中の祖父のことを知ろうとする話なのかなくらい思いながら見続けていたのですが、この祖父の場面を見ていて、私は、真中少尉は気が触れたのかなと、少し意外?な展開が始まったように思いました。

しかも、海に浮かぶ真中少尉は、同じ板に掴まっている木山さんが、突然溺れそうになって助けてくれと慌てる分隊士の野村一水に腕を掴まれたのを見て、何を思ったのか野村を早く蹴ろと叫び、混乱した木山さんは真中少尉の指示に従って友人の野村分隊士を水中で何度も蹴って突き放し、野村分隊士を沈めて殺してしまいました。

真中少尉と木山さんの掴まっていた板は、決して短いものではなく、比較的長いものでした。おそらく溺れかけた野村さんにも掴んでもらうことはできたのではないかと思うのですが、二人は野村さんを見殺しにしたのでした。

この場面を見ていた私は、この二人は一体何なのだろうと少し引いてしまいました。

駆逐艦が到着すると、真中少尉は木山さんや他の乗組員たちとと一緒に暗い海を泳いでいきました。真中少尉は、その後も、木山さんと行動を共にしていました。真中少尉は、木山さんをとても気に入っていたようでした。でも、どうしてそれほど木山さんが真中少尉のお気に入りの存在だったのかは、特に描かれていなかったので私にはよく分かりませんでした(ふみさんの記憶の中の真中少尉の歌う石川啄木の「初恋」が実は木山さんに向けられていたものであったということでもなさそうでした)。木山さんも真中少尉を最後まで支えていました。

真中少尉は、マンリー・ローフの『牡牛のフェルディナンド』(『はなのすきなうし』)というアメリカの絵本(私はよく知らないのですが、花の匂いに包まれて暮らすのが好きで、他の闘牛たちとは違って戦うことを全く好まない牛の話のようでした)のことを木山さんに語っていて、自決を決めた時には「でも、フェルディナンドは違いました」と英語で書かれたメモを木山さんに託し、生きて日本へ帰るよう命じていました。自決の少し前には、自分が殺すよう命じた野村さんの供養をしてほしいということも木山さんに頼んでいたので、少しは正気に戻っていたのかもしれません。

真中少尉が木山さんにその絵本を暗唱する場面にも、字幕が出ていました。戦闘の絵のような演出も、絵本の場面の演出も、テーマ曲がイギリスのワン・ダイレクションの歌だったところも、私には、少し奇妙に思えてしまいました。

この作品を好きに思った方や感動したという方もたくさんいるのかもしれませんし、私がいろいろ言うのは良くないかもしれないのですが、私には、この作品の物語や演出をあまり良く思うことができませんでした。

戦争時代の話を共有することで、渡辺美佐子さんの演じる祖母のふみさんと孫の麻有さん、勝地涼さんの演じる漫画家の徹さんと元武蔵の戦闘員の木山さんのジェネレーションギャップのようなものが埋まっていったというようなところは良かったのかもしれないと思うのですが、この戦艦・武蔵なら勝てると思っていた、みんなあの戦争に勝つために戦っていた、という台詞は、私には、少し浅いようにも思えてしまいました。

戦争に勝つために戦っていた、というのは、それはそうだろうと思います。誰も負けるために戦ったりはしないだろうと思うからです。でも、当時の兵士たちは祖国を守るために本気で勝つと思って戦っていたのだ、というようなことだけでは、これからの世の中で人々が戦争や紛争に突入しないようにするためには、戦争や紛争を支持しないようにするためにはどうすればいいのかという問いかけにはならないような気がします。

あるいは、このドラマは非戦や反戦を訴えるドラマというわけではなかったのかもしれません。戦艦・武蔵が上空を旋回する連合国軍の戦闘機に向けて銃撃するなどの戦闘の場面はありましたが、武蔵の残骸が海底で発見されたという実話の部分がなかったなら、武蔵そのものがそれほど活かされているドラマであるようには思えませんでした。

武蔵は海底に沈んでいない、水中を漂って祖国日本へ向かっているのだ、という真中少尉や木山さんたちの思いを、麻有さんたちが共有して納得していたような場面も、私には少し妄想的であるように思えてしまいました。戦艦・武蔵の魂、あるいは武蔵の乗組員だった方たちの魂が日本へ戻って来るという意味なのだろうと思いますし、それなら分からなくはないですが、武蔵は沈んでいない、と言うのは、真中少尉が野村さんを木山さんに殺させた直後に後悔する木山さんに向かって言っていた、あれは野村ではない、という謎の台詞と同じように、私にはあまり良い表現(考え方?)であるようには思えませんでした。

私には、このドラマの物語も演出も、いまいち面白く思うことができなかったのですが、銃撃戦の場面の音が急にとても大きくなるところも、私には少し苦手に思えてしまいました。会話の部分の音が小さく、銃撃戦の音が大きいので、テレビの音量を上げたり下げたりしながらドラマを見ていました。

それでも、戦争のことを伝えるドラマが作られるということは、良いことだと思います。主人公の祖父の真中少尉が戦艦武蔵は沈まないと思い込んでいたり(そのように自分に言い聞かせたり)、お気に入りの部下を守るために別の部下を見殺しにしたり、石川啄木の詩や「牡牛のフェルディナンド」の物語を暗唱したり、祖父の思い出を隣で聞いていた漫画家の青年が絵で表現したり、テーマ曲がワン・ダイレクションだったり、斬新に思える部分も多かったはずなのに、物語全体を新鮮に思うことができなかったのは、どことなく映画やドラマになっていた「永遠の0」風に思えてしまったためかもしれません。その映画やドラマも(原作の小説は未読です)、それまでに見たことのある物語を薄く寄せ集めたような作品だったように、私には思えてしまいました。

ドラマのタイトルは「戦艦武蔵」だったのですし、現代と過去の思い出の場面を行き来するような構成のドラマではなく、もっと当時の戦艦・武蔵の場面に特化したドラマであったほうが良かったのではないかなと思いました。
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