「ハートネットTV」の「緊急特集 障害者施設殺傷事件」のこと

今日は、長崎に原爆が投下されてから71年目の日です。

長崎は良く晴れていて、また今日はとても気温が高いので、報道の映像では、式典に参列している方々もとても暑そうでした。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の平和宣言では、長崎の田上市長が、広島を訪問したアメリカのオバマ大統領や世界の核保有国のリーダーたちに、長崎や広島に来て事実を知ってほしい、未来を壊さないようにするために「英知」を集結して、お互いへの不信感から生まれる核兵器をなくすことを真剣に考えてほしいという趣旨のことを訴えていました。

また、日本政府に非核三原則を法制化してほしいということや、若い世代に戦争時代の出来事と向き合ってほしいということも話していました。田上市長の宣言も、被爆者代表の井原さんの「平和への近い」の言葉も、広島の平和宣言に続き、具体的であるように思いました。一刻も早く核兵器をなくしてほしいという願いが込められていたのだと思います。毎回そうなのかもしれないのですが、今年の広島や長崎の宣言は、何となく、これまでよりも切実なものになっているように思えました。

ところで、イチロー選手が30人目となるメジャー通算3000本安打を達成した昨日には、天皇陛下のお気持ちがビデオメッセージとして国民に伝えられていて、夜にはNHKやTBSで陛下のお言葉に関する特別番組が生放送されていたのですが、同じ夜の8時から、Eテレの「ハートネットTV」では、2週間前に起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件についてのことが生放送で特集されていました。

先日には、同じくEテレの「バリバラ(バリアフリー・バラエティー)」という30分の番組で、その事件のことが取り上げられていて、出演していた障害を持つ方や施設を運営されている方などが、視聴者から寄せられたメールを読みつつ、事件について考えていました。

報道番組では、キャスターの方やアナウンサーの方や専門家の方が事件について話しても、障害を持って暮らしている当事者の方に話し合ってもらうというような企画はなかったので、番組を見ていて、すごいなと思いました。

東京大学の教授で全盲の福島智さんという方のコメントが朗読と字幕で紹介されていたのですが、そこには、大島衆議院議長と宛てに手紙を出した殺傷事件の被疑者と自分たちとが無関係だとは言い切れないということに多くの人たちが気づいているのではないか、「経済の活性化」のために「労働力の担い手」にならない人間には価値がないと考える社会を、障害の有無に関わらず多くの人たちが生き辛く、不安に感じているのではないか、というようなことが言われていました。

番組では「優生思想」が、ドイツのナチ党のヒトラーの君臨していた時代にだけではなく、日本でも終戦から2年の1948年から1996年まで「優生保護法」というものあったということが伝えられていました。その法律は優生思想に基づく部分は削除されて母体保護法となったそうなのですが、その優生思想自体は、出生前診断というものがあることも含めて、世の中からなくなってはいないのだろうと思います。

先日の「ハートネットTV」の「シリーズ戦後71年」では、シリアの難民の障害者の方の話や、太平洋戦争の時代を生き抜いた耳の聞こえない方の話しが紹介されていたのですが、そこでも、“社会の役に立たない者”として世の中から疎外されてきたということが伝えられていました。

戦時中、兵士になることができなかった方が、近所の同じ日本人から「非国民」とか「穀潰し」などと罵られたりしたというような事実は、いつ聞いても嫌なことのように思うのですが、福島さんの意見と同じように、社会の役に立たないとか、労働力として使えないとか、そのような理由で人に優劣をつけて差別をする考え方は、現代でも根強く残っているものなのだろうと思います。

政府は、今回の殺傷事件に関して「処置入院」のことばかり話していましたが、「処置入院」の部分に問題があったとか、管理を厳しくするということが、謎の「アベノミクス」や「一億層活躍」による「経済の活性化」ばかりを目指しているように見える今の政府には、都合が良いことなのかもしれないなとも思いました(経済政策のための莫大な予算も、JRのリニア中央新幹線の全線開業のための工事の期間を8年間前倒しにして急ぐより、被災地の片付けや復興のために使ってほしく思います)。

あるいは、事件の話題をすぐに終わらせるために、大麻を使っていたとか、精神を病んでいたとか、分かりやすく自分たちと違うようなところを見つけて、恐ろしいことをした犯人を自分たちとは全く別の人間だという風に切り離そうとしているのかもしれません。

私は、単純に、社会や誰かの“役に立つもの”しか存在してはいけないというような、全体主義的、社会主義的な考え方を怖く思います。

誰かを傷つける悪い人を見て、あのような人は世界からいなくなればいいのに、と思うことがありますが、これももしかしたら、いつか「差別」につながっていくような考え方の一つなのかもしれません。番組には、傷害のある方からの、健常者も障害者も同じ命だというような「きれいごと」は聞きたくないというような内容のメールも届いていました。

障害者施設の殺傷事件の犯人の手紙の文章を注釈無しで紹介する報道番組を見ていて怖くなったということも言われていて、確かにそうだなと思いました。報道によると、ドイツでは、ヒトラーの著書を再出版することになった際、その本を読んだ人がヒトラーと同じような考えを持つことがないように、学者や研究者の方たちが膨大な注釈を付けたのだそうです。

注釈がないのは良くないということもそうなのですが、私としては、犯人の手紙の一部分だけを抜き取って紹介するというのも、良くないことであるように思いました。大島議長と安倍首相に宛てた嘆願書のような手紙であるということも、施設の名前も書いた具体的な手紙の中で犯人が狙っていたのが、全ての障害者を無差別的にというのではなく、意思疎通の不可能な重い重複障害者に限定してというところも、この問題を扱う上では(扱うのは難しいのかもしれませんが)何か重要なことであるような気がします。

昨年の「ハートネットTV」だったかもしれないのですが、ナチ党が障害者や傷病者を社会から抹殺するために殺害したという特集の中で、障害者の方が、障害者はカナリアだと話していました。それは、一番弱いものにしわ寄せがいく、という意味であり、一番弱いものが社会の歪みを真っ先に察知するというような意味であったように思うのですが、そうだとするのなら、今回の障害者施設の殺傷事件にも、それは当てはまることであるような気がしました。

それに、ある人間を、誰かが自分たちにとって役に立つ(有用)か役に立たない(無用)かなどの基準で勝手に選別し、役に立たない(無用)とされた人はいなくなったほうがいいとするような考え方は、天皇皇后両陛下が象徴として平和な世の中を持続させるためにこれまでなさってきたご公務や、天皇皇后両陛下が弱い立場に置かれた人たちに寄り添ってきた長い年月を、全く考えていないものであるようにも思います。

幸せに生きるとはどういうことかということは、私にも分からないですし、簡単そうでありながらとても難しい問題なのかもしれませんが、多くの「普通」の人たちのように「普通」に暮らすことができなくても、誰からも否定されることのない、優しくてゆとりのある世の中になっていくといいなと思います。

ともかく、障害を持つ当事者の方が今回の殺傷事件のことを考えるという、このような番組が作られることは、良いことであるように思いました。例えば数か月前だったなら、乙武洋匡さんがテレビ番組でこの事件についてコメントをしたのではないかなとも思いました。
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