「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」

昨夜、NHKのEテレの「ETV特集」の「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」を見ました。

関東大震災は、今から93年前の1923年(大正12年)の9月1日の午前11時58分に、東京や神奈川、千葉、埼玉、山梨や静岡など関東地方のその一円の地方で発生したマグニチュード7.9ほどの大地震で、約10万人の住民が亡くなったそうです。当時の東京の被災の写真を見ると、太平洋戦争時の東京大空襲の焼け野原の写真かと思うくらい、建物は倒壊したり、焼失したりしています。

9月1日は今は「防災の日」となっていて、テレビやラジオなどのメディアでは災害発生時のシミュレーションや防災のための準備の話がなされることが多いですし、それも大切なことなのですが、今回の「ETV特集」では、関東大震災の発生当日から起きた朝鮮の人々に対する殺傷事件のことが特集されていて、日本人の被災のことではなく、大地震という突然の災害の直後に発生した、混乱した日本の人々による加害の事件を忘れないようにすることも、とても大切なことだと思いました。

忘れないようにするといっても、私はその時代には生きていないので、教科書や本や、このようなドキュメンタリー番組の特集で知るくらいのことしかできません。第二次世界大戦の頃のことでも、日本の加害の件は昔にはよく映画やドラマなどでも描かれていたと思うのですが、最近ではほとんど描かれないような気がします。

番組によると、内閣府の中央防災会議が2009年(平成21年)に分析してまとめた報告書に初めて関東大震災の時の朝鮮人の殺傷事件のことが記されたそうです。論文を書いたのは東京大学の日本史学の教授の鈴木淳さんだそうです。

番組で紹介されていた昔の資料には「朝鮮人」のことは、なぜか「鮮人」と書かれていました。当時は「鮮人」と呼ばれていたのでしょうか。当時には約5千人の在日朝鮮人の方がいたそうなのですが、司法省の刑事局の裁判の資料によると、関東大震災の発生した当日の午後から約一週間の内に231件の殺傷事件が起きていたそうです。でも、それは、被害者や犯人の存在が確認されているものであり、「氷山の一角」であるようでした。

災害でパニックになっている東京の人の間に、朝鮮人が暴動を起こしたとか放火をしたなどという流言(嘘の噂)が飛び交い、東京にいた人々が千葉や埼玉などに移動したことで東京以外の地域にも流言が広まり、被害が拡大していったようでした。「隠された爪痕」というドキュメンタリー映画の一部が紹介されていました。

関東大震災の起きる一週間ほど前に内閣総理大臣の加藤友三郎が急死し、震災当日に元海軍大将の山本権兵衛が首相になり、そのような中で事件は起きていました。内務省の警保局長の後藤文夫が朝鮮人を取り締まれという通達を出し、その通達が震災の被害を免れた船橋送信所の指揮官である大森良三大尉、各県や市や郡などの各地域へ下ったのだそうです。新聞などのメディアも、それを記事に書いたということでした。数人で集まっただけでも逮捕されたそうです。

軍部や警察や消防団、自警団という竹槍や銃や刀や斧や鋸などで武装した一般の人々などに殺傷された被害者には朝鮮人が多かったということなのですが、中国人も多く殺傷され、日本人も含まれていました。日本史の教科書にも書かれていたように思うのですが、関東大震災の前から政府と対立していた社会主義者や、方言を話す地方出身者や、視聴覚障害者の人々が殺傷されたそうです。

無政府主義者の大杉栄と妻の伊藤野枝、大杉の甥の橘宗一が憲兵隊の特高課に連行されて殺害され、遺体が井戸に遺棄され、憲兵大尉の甘粕正彦と曹長の森慶次郎たちの犯行だと判明した甘粕事件(大杉事件)や、社会主義者で労働運動指導者の川合義虎や平沢計七たち10人が亀戸警察署に捕らえられて習志野騎兵第13連隊によって殺されたという亀戸事件も、関東大震災後の混乱の中で起きた事件でした。

1991年の頃のインタビューの映像によると、演出家の千田是也さんは、千駄ヶ谷で夜景の人々に囲まれて朝鮮人(コリアン)かと疑われたことから、その名前を名乗るようになったのだそうです。自警団などに囲まれた人は、歴代天皇陛下の名前を言えなどと尋問されたそうで、そのような質問に上手く答えられない場合は殺されたということでした。千田さんは、もしかしたら自分は被害者ではなく加害者になっていたかもしれないということも考えていたそうです。

被害者の遺体は、自警団の判断や、政府の指示によって、隠されたのだそうです。番組で伝えられていた証言では、埋められていた被害者の遺体を掘り出して火葬にして、肥料を撒くように遺骨を畑に撒いたということでした。

震災の騒ぎが収まった数か月後、殺傷事件に関わった犯人たちが逮捕されたそうなのですが(逮捕された犯人の内の一人の23歳の男性は、噂を信じ、自分もやってみたいと思ったと供述したそうです)、間違った噂を信じただけだからとか、「愛国心」などを理由に、執行猶予付きとなって釈放されたそうです。噂を信じていた人たちの中には、朝鮮人を殺せば政府から恩賞がもらえるという風に信じていた人もいたそうです。

山本権兵衛首相はこの震災後の殺傷事件の責任を追及されて、調査中だと答えていたそうなのですが、その調査結果が発表されることはなかったそうです。

関東大震災に乗じて朝鮮人が暴動を起こしている、というような噂が広まった背景には、1910年(明治43年)の韓国併合以降、朝鮮総督府を設けた日本政府(その前には韓国統監府が設置されていて、初代総裁の伊藤博文は独立運動家の安重根に暗殺されました)による植民地政策に反発する朝鮮(韓国)の人々の感情や、1919年の3月1日にソウルから韓国全土に広まっていったという日本の統治下からの独立運動の流れがあったそうです。そうだとすると、当時の日本の人たちの間にも、日本政府と軍部が韓国を統治していることに対する後ろめたさや不安のような気持ちがあったということなのかもしれません。そうでなければ、仮に震災後の混乱に乗じて放火などの犯罪を行った人物がいたとしても、内閣府から朝鮮人を取り締まれという通達が出るほどに、多くの無関係な人々が無闇に捕まったり殺傷されたりするというようなことにはならなかったのではないかと思います。

埼玉の染谷という町に暮らしている72歳の高橋隆亮さんは、昨年に自宅で県や軍の戒厳司令部からの手紙を見つけたそうなのですが、父親から、当時24歳の朝鮮人の姜大興(カンデフン)さんが地元の自警団に人たちに殺された時の話を聞いたことがあるそうです。姜さんは、自警団の人たちに追われて畑の中を逃げていて、蔓に足を取られて躓いて坂道を転がり落ちたところを捕まって、殺害されたのだそうです。

地元の墓地には、殺された姜さんのお墓が建てられていました。高橋さんは、姜さんを弔うための古いお墓に「殺害」ではなく「死亡」と刻まれていることを気にしていて、追悼のために姜さんのお墓の前に集めた孫たちにも、93年前の悲劇を伝えようとしていました。

私も関東大震災やその時に起きた朝鮮人や中国人や日本人の殺傷事件のことを少ししか知らないのですが、忘れてはいけないことなのだと思います。

東日本大震災の時の報道でもSNSなどで「デマ」が流れているということが伝えられていましたし、このような出来事は日本にだけ起こるものとは限らないかもしれませんが、先月末には「共謀罪」を「テロ等組織犯罪準備罪」という名称にした新法案を与党が国会に提出して検討されることになるかもしれないということが報道されていましたし、経済的格差や、差別意識や民族主義的意識の残る日本の社会の中で、これから絶対に起こらないと言い切ることはできない、これからも起こり得る可能性のある問題なのだと思います。関東大震災の時の問題も、太平洋戦争の時の問題と同じくらい、現代的な問題であるように思えました。このような話を聞くのは少し怖くもあるのですが、良い特集だったように思います。
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