「真田丸」第38回

NHKの大河ドラマ「真田丸」の第38回「昌幸」を見ました。

第38回は、慶長6年(1601年)の正月から慶長16年(1611年)6月の物語でした。真田昌幸(草刈正雄さん)や真田信繁(堺雅人さん)たちは、紀州の藩主の浅野家の援助のもと、九度山の村での生活を始めていました。上田城の真田信之(大泉洋さん)は、昌幸や信繁の幽閉を解こうと、本多正信(近藤正臣さん)の協力を得て徳川家康(内野聖陽さん)に何度も手紙を送るのですが、家康は昌幸を解放しようとはしませんでした。

慶長8年(1603年)、家康は征夷大将軍に任命されたのですが、慶長10年(1605年)にはその地位を嫡男の徳川秀忠(星野源さん)に譲り、みんなからは「大御所様」と呼ばれて実権を握り続けていました。

その間、九度山村の信繁には、妻の春(松岡茉優さん)との間に娘と息子が生まれていました。上田の信之は、妻の稲(吉田羊さん)から、真田家のためにも、昌幸と信繁の赦免の申し出を家康に続けるのを辞めるようにと言われていました。稲の父親の本多忠勝(藤岡弘、さん)は、庭で百助と仙太郎に竹とんぼを作っていたのですが、その時に指を切ってしまった自分に老いを感じていて、次の戦に参加することなく、慶長15年(1610年)の秋に亡くなったようでした。

そして、慶長16年(1611年)、伏見城の家康は、大坂城の豊臣秀頼(中川大志さん)を上洛させ、自分の権力を民に示すために二条城で会見しました。秀頼の御供として、加藤清正(新井浩文さん)が一緒に来ていたのですが、成長した秀頼と会い、秀頼に豊臣家の威光を感じた家康と本多正信は、秀頼の力を弱めるための策を考え、伊賀の忍びの二代目服部半蔵(浜谷健司さん)を使うことにしました。お城の廊下で半蔵とすれ違った加藤清正は、首の辺りに違和感を感じていて、帰国する船内で発病してから2か月後に亡くなったということでした。半蔵が毒の針を刺したようでした。

九度山村の昌幸は、10年間の幽閉生活に疲れ切っていました。気力を失くし、それでも孫に、卑怯な手法でも勝つための敵との戦い方を伝えようとしていたある日、庭で倒れてしまいました。病床で昌幸は、自身の兵法をまとめた書類を信繁に託し、軍勢を一つの塊と思うな、一人一人が生きている、一人一人に思いがある、そのことをゆめゆめ忘れるでないぞ、と信繁に遺言を残し、信濃に帰りたかったと呟いていました。すると、昌幸に馬の蹄の音が聴こえ始め、はっとした昌幸は、御屋形様!と仰いで、息を引き取っていました。

作(脚本)は三谷幸喜さん、演出は木村隆文さんでした。

武田信玄や勝頼の家臣だった、草刈正雄さんの演じる昌幸が、最期まで武田家の家臣であることを貫いていた終わり方もとても良かったです。「一人の戦国武将が、死んだ」という最後の有働由美子アナウンサーの語りも良かったです。

今回は、一気に10年の月日が流れていたので、主な登場人物の多くが見た目にも年を取っていました。ドラマでは、元北条の家臣でその後は徳川の家臣にもなっていた板部岡江雪斎(山西惇さん)が信繁に会いに来て、信繁が何かを起こす時には協力をすると申し出ていたのですが、史実によると、慶長14年(1609年)に亡くなったということでした。

信繁と親しくするきり(長澤まさみさん)と信繁の正室の嫉妬深い?春さんのやり取りも面白かったですし、きりさんを好きな佐助(藤井隆さん)がすぐに家を作ったり、きりさんに突然渡したきりさんと自分の絵が上手く描けていたりするのを、「透破(すっぱ)ですから」とまとめている感じも面白かったです。

「真田丸紀行」では、九度山村に蟄居となった真田昌幸と信繁の親子が頼っていたという、高野山の蓮華定院というお寺が紹介されていました。六文銭の提灯が下がっていました。そして、その奥に続く、高野山の金剛峰寺の奥之院には、武田信玄と勝頼の親子の供養塔が紹介されていました。いつ建立されたものであるのかは私には分からないのですが、昌幸と信繁の供養の思いもそこには入っているのかもしれません。有名な場所ですが、私はまだ訪れたことがないので、いつか機会があったなら、私も参拝をしに行ってみたく思いました。
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