100歳の三笠宮崇仁さまの薨去

今朝の臨時ニュースで、昭和天皇の弟であり今上天皇陛下の叔父である、昨年に100歳を迎えた三笠宮崇仁親王殿下が、入院なさっていた東京の聖路加病院で薨去なされたということを知り、また寂しく思いました。肺炎ということですが、100歳というご年齢による老衰なのだろうと思います。

100歳の三笠宮さまと、93歳の妃殿下の百合子さまは、5日前の、今月の22日に結婚生活75年をお迎えになったばかりだったそうです。

三笠宮崇仁さまは、大正天皇と貞明皇后の第四皇子で、戦前には陸軍大学校を卒業して軍人となり、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まってからは「若杉」という名前で支那派遣軍総司令部参謀として赴いた戦地の中国の南京で日本軍の残虐な行為を見聞きし、その戦争に疑問を抱くようになったそうです。昭和19年に帰国してからは戦争終結へ向けて奔走し、長兄である昭和天皇とも話し合ったそうです。終戦直前には、徹底抗戦を昭和天皇に訴えようとする阿南陸軍大臣を「陸軍は陛下の大御心に反する」と退けたのだそうです。

戦後には、考古学者や歴史学者となり、特に古代オリエント史を研究なさっていたそうです。比較的自由な立場の三笠宮さまは、太平洋戦争以前の閉鎖的な皇室制度を「格子なき牢獄」、「菊のカーテン」と表現し、今から約70年前の「日本国憲法」や「(新)皇室典範」の制定時にも自由にご発言をなさっていたそうで、報道の解説によると、その頃すでに天皇の生前退位(譲位)を認めたほうがいいという意見をお持ちになっていたそうです。

三笠宮さまは、「紀元節」(神武天皇が即位した日を祝う日だそうです)を復活させることについては歴史学者として反対し、「日本国憲法」の「憲法第9条」については、戦争放棄は大変いい、と評価なさっていたそうです。私は、そのような、戦争に反対し、戦後の新しい日本の中で平和を愛する自由な三笠宮さまが、いわゆる「保守」や「右翼」系列の方たちから「赤い宮さま」とか「左翼」という暴言を吐かれていたということも少し前まで全く知らなかったので、それを知った時には驚きましたし、(何だか少し怖そうな)「右翼」の方たちの良いところは皇族の方々を大切に思っているところだという風に思っていたので、皇族の方を尊敬しない「右翼」の人もいるのだなと、不思議にも思いました。

また、「津野田事件」というクーデター未遂事件のことも私は最近知って驚いたのですが、もしも三笠宮さまや津野田知重陸軍少佐たちが昭和19年に東条英機内閣を倒して陸軍の暴走を抑えていたなら、日本はどのような「戦後」を迎えることになったのでしょうか。三笠宮さまの通報で憲兵に捕まったものの軽い処分で済んだという津野田知重さんは、戦後には、日本科学技術振興財団の専務としてテレビ事業本部の東京12チャンネル、現在のテレビ東京の設立に尽力したのだそうです。

少しだけだとしても、歴史を知ることは大切なことなのだと改めて思います。不思議なほどいろいろなものが(私の知らないところで)つながっていることに気付きます。
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