「青い目の人形の涙」

先日の日本テレビの深夜に放送され、録画をしておいた、「NNNドキュメント'16」の「青い目の人形の涙~子どもたちとあの戦争~」を見ました。

今年の2月17日、「富士山三保子(ふじやまみほこ)」という名前の日本人形がアメリカから静岡へ89年ぶりに里帰りをしたそうです。静岡では展覧会が開かれていたそうなのですが、その会場には、「青い目の人形」も一緒に展示されていたそうです。

アメリカ人宣教師のシドニー・ルイス・ギューリック博士は、1924年の「排日移民法」に心を痛め、寄付を募って1万2739体の人形を用意し、昭和2年のひな祭りの日に、“日米友好の親善大使”として、青い目の人形たちを日本各地の子供たちへ贈ったそうです。日本でも渋沢栄一を中心に、子供たちの募金を基に、クリスマスの日に合わせて58体の「答礼人形」を、日本各地からアメリカの子供たちへ贈ったそうです。

日本から旅立って行った答礼人形の中でも「富士山三保子」はとりわけ美しいということなのですが、その作者は、後に人間国宝となる平田郷陽だったのだそうです。三保子さんの首のところに、「東京 平田郷陽作」や「JAPAN GOYO HIRATA」という文字が、赤や黒で書かれていました。「吉徳」の資料室の方は、「目力が違う。これだけ生き生きとした表情を作り上げているのが見事。後に人形界最初の人間国宝となる平田郷陽が若き日に作った傑作だと改めて思いました」と話していました。

緑色の着物を着ている三保子さんは、カンザスシティの博物館に収蔵されているそうなのですが、アメリカでは日本からの答礼人形は、58体中47体が現存しているそうです。一方、アメリカから日本へ贈られた人形はその大半が戦時中に失われてしまいました。

青い目の人形たちが日本にやって来てから14年後、ギューリック博士の平和への願いも空しく、日本とアメリカは戦争(太平洋戦争)を始め、日本の子供たちは薙刀や竹槍の訓練を強いられるようになったそうです。アメリカへの憎しみの気持ちが、学校教育を通して子供たちに植えつけられていったそうです。

番組で証言をしていた方は、敵兵に見立てたわら人形が田んぼや農道に立てられていて、竹槍でそれを突くという遊びをやらされたと話していました。

番組で紹介されていた1943年の2月19日の毎日新聞には、「青い眼をした人形 憎い敵だ 許さんぞ 童心に聞くその処分」とか「仮面の親善使」というようなタイトルの、青い目の人形を敵視した記事が大きく掲載されていて、ある学校が子供たちに人形をどうするかと聞いたというアンケートの結果?が書かれていたのですが、それは、破壊(89名)、焼いてしまえ(133名)、送り返せ(44名)、目のつくところに置いて毎日いじめる(31名)、海へ捨てろ(31名)、白旗を肩にかけて飾っておく(5名)、米国のスパイと思って気を付けよ(1名)というもので、番組でも言われていたように、大人たちが子供たちに敵対心を植え付けていたことがよく分かる結果でもあるように思えました。

1943年の3月9日の読売新聞には「焼けよ 仮面の親善人形」と書かれていました。青い目の人形たちを、「陸軍の日」という日に壊したり焼いたりすることを決定したということを報じる記事でした。別の新聞にも、「仮面の親善 皆殺し」という見出しがありました。

掛川第一国民学校に通っていたという、今は西東京市に暮らす84歳の坪井照子さんという方は、朝礼では、朝礼台に上って「米英撃滅!」と叫ぶ校長と同じ言葉を復唱しなければいけなかったと話していました。また、ある日突然学校から家にある人形を川へ捨てなさいと命じられたことがあり、キューピー人形でも処分をするようにということで、川には捨てられた人形たちがたくさん浮いていたのだそうです。1927年の掛川第一小学校(後の掛川国民学校)で撮られた、アメリカへ行く前の三保子さんの写真には、三保子さんの箪笥や鏡の他に、青い目の人形たちも一緒に写っていました。その青い目の人形の写真を見た坪井さんは、ふっくらとしたかわいい顔が懐かしい、今もお人形があったらずいぶんいいのにね、と話していました。

坪井さんは、戦後美術学校で油絵を学んだそうです。スケッチブックに人形たちが燃やされる時の絵を描いてもらっていたのですが、藁と竹で作った小屋に人形が入れられていて、その小屋は全校生徒たちに囲まれていて、「お兄さんたち」という上級生の男子たちが火炎瓶を投げ入れて燃やしたのだそうです。

坪井さんは、何の憎しみもない人形がどうしてこんなことになるのかなと子供心に思ったそうです。坪井さんは、「教育でそういうことが行われるということは怖いなと思います。戦争の時代を生きたのだからそういうことを伝えなければいけないと思います」と話していました。

一方で、青い目の人形を守り抜いた人たちもいました。

静岡県の御前崎市の図書館には、戦禍を潜り抜けた「マーベル・ワレン」という青い服を着た人形が保管されていました。その人形は、89年前に浜岡北小学校に贈られた人形だそうなのですが、山田みつさんという用務員の方が、とても焼き殺すことはできないと、命令に背いてヤギ小屋のわらの中に隠したのだそうです。そうして1945年の8月15日に戦争が終わると、人形を懐かしむ声も出てきて、山田さんは実は人形を隠していたと話して、人形を外に出したそうです。その小学校では、4月の16日を「マーベル・ワレンの日」として今の子供たちに平和の尊さを伝えているのだそうです。

明倫小学校には、「ミルドレッド」という青い目の人形がいるそうです。冨川さんという元教師の方がチェック柄の赤いコートを作って着せていました。その人形は、昭和27年まで見つからず、旧校舎を建て替える時に、校長室の棚から布に包まれた状態で見つかったのだそうです。その人形を匿ったのは、当時の校長先生の小林有悦さんという方だと言われているそうです。

小林有悦さんの四男の護さんもその小学校で教師をしていたそうなのですが、その護さんの話によると、お父さまは筆まめだったそうなのですが、青い目の人形についての記録は一切無いということでした。それについて、命令に反する行為だからだろうと推測していた護さんは、「父は剣道と柔道の有段者でもあった。武士道には情けがある面も含まれている。敵を許すのも武術ですから、厳しい父だったが人形を通して優しい気持ちが現れていたような感じがします」と話していました。

今、ミルドレッドさんは小学校の入り口に飾られているそうです。冨川さんが作っていた洋服は、写真にある昭和2年の時の服と同じものだったようでした。

ミルドレッドさんは2月の富士山三保子さんの里帰りの展覧会へ行くことになり、児童たちが「人形を送る歌」(昭和2年)を歌って、人形を送り出していました。その「いってらっしゃいの会」で現在の?校長先生が、「戦争によって友情もなくなってしまうという悲しい歴史もミルドレッドちゃんは背負っているわけです。ぜひこれからも平和のありがたさを噛みしめていってほしい」と児童たちに話していました。(体育館に集まっていた児童たちの全員がマスクを着けていたのが現代的に見えました。)

静岡県に贈られた答礼人形は全部で253体で、残っているのは僅かに6体だそうです。「富士山三保子」の展覧会を見に来ていた方々は、戦時中にもよく取ってあったと感心したり、お人形には心があると涙を流したりしていました。

戦争は大事なものまで破壊する、非常に無残で、昭和史の貴重な実例だと思うと話すのを聞いて、本当にそうだなと思いました。死ぬような苦しみを味わったからこそ今の平和な時代がありがたいという、当時の戦争を知っている方の言葉には、重みがあります。

「あの日人形の目に映った過ちを私たちは繰り返さない」というナレーションで番組は終わっていました。

自由や平和というものは、過去の時代の例によると、多くの場合、大勢の市民たちが血を流しながら為政者や権力者や支配者のような人たちと戦って勝って、ようやくから得ることができたものであるようです。「過ちは繰り返さない」ということを政治家や一般の市民たちが少しでも忘れて蔑ろにしてしまったなら、自由や平和は簡単に失われてしまうものなのだそうです。

でも、最初から一応平和である程度自由な世の中を生きていると、空気や水のように、うっかりすると平和や自由が貴重で珍しいものだということをすぐに忘れてしまうのかもしれません。

「青い目の人形」の話を聞いていると、いつもとても悲しい気持ちになります。友好の使者として日本にやって来た人形たちが当時の大人たちやその教育を受けた子供たちによって突き刺されたり焼き殺されたりしていたというのは本当に無残でバカバカしい出来事と思うのですが、その精神のようなものが、現代でも世の中のどこかに常に残っているというか、受け継がれているような気もして、少し怖いような感じもします。

無抵抗の人形が傷つけられるというのは、抵抗をすることができない人間やその他の生き物が傷つけられるというのとほとんど同じことであるように思いますし、同じことのようでありながら、何というか、上手く伝えることができないのですが、そのようなことができる人たちの残酷な精神のもっと象徴的に凝縮されている出来事であるような気もします。それを人形が完全に受け止めているように見えるところにも悲しさがあるのかもしれません。

アメリカからやって来た小さな青い目の人形たちの多くが戦争の時代に酷い目に遭わされて失われたことはとても悲しいことですが、一方で、国の(悪い)命令に背いて人形たちを守った方たちもいて、そのような優しい方たちの話を聞くと、少しほっとします。

一応平和な時代を生きている今の私のような人たちもいつか何かの出来事をきっかけに残酷な時代を生きることになるかもしれません。でも、もしもそのようになったとしても、あとはその人がどのように考えて行動するのかという、個人の性格や性質の問題でもあるのかなと思います。昔の戦争の話を聞いていても、(それは当然のことかもしれないのですが)今の世の中と同じように、その時の世の中には、悪い人もいれば、良い人もいます。

昭和2年に“日米友好の親善使”として日本にやって来た、現存する「青い目の人形」たちは、たくさんの人たちが殺されたり傷つけられたりした残酷な戦争の時代を知る存在であると同時に、そのような時代にも正しくて優しい人たちがいたことを証明する存在でもあるのかもしれないなと思いました。
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