「軍用機メーカー中島飛行機の戦争」

NHKのBSプレミアムの「昭和の選択」の「太平洋戦争 幻の航空機計画~軍用機メーカー中島飛行機の戦争~」を見ました。

私は「中島飛行機」という70年ほど前の軍用飛行機の製造会社のことを、どこかで名前を聞いたことはあるような気がするけれど、という程度にしか知りませんでした。そのため、よく分からないまま先日のこの番組を見始めたのですが、「中島飛行機」を設立した中島知久平(ちくへい)さんという方の特集でした。

中島知久平さんは、1884年(明治17年)に群馬県に生まれ、1949年(昭和24年)の10月に亡くなったそうです(番組の字幕では1985年となっていたのですが、例えば1885年の間違いだったのかもしれません)。群馬の実家は製糸業を営んでいたそうなのですが、若き知久平さんは「日本を守るため」に上京して海軍に入り、飛行機で戦う時代がくると確信して技術将校としてフランスやアメリカで飛行機の開発技術や操縦技術を学び、海軍の中で国産飛行機造りの理解を得ることができなかったため、海軍を辞めて数名の技術者たちと群馬に創った「中島飛行機」を経営して、大正8年に四型複葉機の試験飛行に成功すると、五型練習機などが次々と海軍や陸軍から発注されるようになったのだそうです。

軍用機メーカー・中島飛行機の総帥になった知久平さんは、後には政治家として、立憲政友会の総裁にもなったことのある人だそうですが、1941年の12月8日の「真珠湾攻撃」を知ると、日米の圧倒的な国力の差を知っている知久平さんには、このままでは日本は負けるだろうということがすぐに分かったのだそうです。

無謀な戦いを始めた軍部を批判しながらも、大型爆撃機の「B29」を開発するアメリカの情報を掴んだ知久平さんは、日本の本土をアメリカの「B29」に焦土とされないようにするための方法として、日本が「B29」よりも先に大型の軍用飛行機を開発するか、小型の戦闘機を大量生産して制空権を確保するかのどちらの策を選ぶかを決めなくてはいけなくなったということでした。

知久平さんが選んだ策は、大型爆撃機「Z飛行機」の開発でした。「必勝戦策」という知久平さんの書いた「極秘」の資料が紹介されていました。日本を飛び立って太平洋を渡ってアメリカ本土を爆撃し、ドイツ軍が支配するフランスに降りるという計画を立てたのだそうです。その「Z飛行機」は「富嶽」とも呼ばれる大型の飛行機で、設計図を作るまではできたそうなのですが、昭和18年以降、それまで拮抗しているように見えた戦況は悪化していき、時間のかかる大型爆撃機を作る計画は軍部の方針によって中止とされたのだそうです。材料のアルミニウムは全て「零式艦上戦闘機」などの戦闘機の材料に回されることになったということでした。

中島飛行機は戦後に分割されて様々な企業に変わったそうで、「富士重工業」の前身でもあるということでした。歴史学者の磯田道史さんが司会を務める番組のスタジオには、戦史研究家で日本大学の教授の小谷賢さん、脳科学者で東日本国際大学教授の中野信子さん、富士重工業で航空機の設計を行い国産旅客機YS-11の開発にも携わったという鳥飼鶴雄さんが来ていたのですが、中島知久平さんが大型爆撃機の製造を計画したのは戦後を見据えていたからではないかという趣旨の小谷さんの意見について、鳥飼さんは、そうではない、それほどのゆとりはなかったと思うと訂正していました。

鳥飼さんの上司の中には、「富嶽」に携わった技術者の方たちがいたそうです。戦争で自分たちの作った飛行機が敵も味方も友人たちも殺したという事実に心を痛めて、戦後飛行機は絶対にやらないと決めた方もいたそうです。「富嶽」に携わった方たちは、戦時中の飛行機のことを話さなかったし、「富嶽」を誇ることも絶対にしなかったそうです。

戦時中、技術者たちは一生懸命に仕事をしたけれど、戦争に負けて仕事がなくなり、航空機作りを再開することになった時には、その技術者たちは、どうやって航空機の技術を自動車などの平和産業に活かすことができるかを考えていたそうです。鳥飼さんは、中島知久平も戦争をやりたかったわけではなく、軍人として勝たなければいけないから戦闘機を作っていたのだということを話していました。

平和を守るためには「軍用機は“必要悪”」と考えてやっていかなければということが残っている、と鳥飼さんが話したのを聞いた時には、そこで話が終わったらどうしようと思ったのですが、その後、でも、先輩たちはそういう言葉でごまかしてはいけないと言っていた、と続けられたのを聞いて、ほっとしました。鳥飼さんは、戦争が飛行機を使って人を殺すということ、航空機は戦争に使われるということを、「富嶽」に携わった人たちほどよく後輩たちに言っていた、そのことを特に言っておきたいと思います、と話していました。

磯田さんは、技術者たちが本当は望まないことに技術が使われている、戦略爆撃も60年以上行われ、莫大な資源が使われている、その一方で飢えている人たちを助けるのにはその費用は使われていない、と話していました。本当にそうだなと思います。

ところで、先日のEテレの「知恵泉」は「ゼロ戦開発の光と影~世界に通用する技術を生むには~」という特集でした。「NHKスペシャル」の「戦艦武蔵の最期~映像解析・知られざる“真実”~」では、戦艦武蔵が連合軍の航空機による爆撃を受けて沈没していくまでのことが伝えられていたのですが、ゼロ戦では軽量化するためにパイロットの命を守ることよりも機体をより薄く作ることのほうが重視され、戦艦武蔵では魚雷を受ける部分を厚くしすぎてつなぎ目からの水漏れを生じさせていたようでした。

戦艦武蔵の特集の最後、「武蔵乗組員2399人のうち、最終的な生存者は430人」、「沈没時に救助された乗組員の多くが陸上戦に投入され玉砕した」という字幕が、海底に沈んでいる武蔵の残骸の映像の前に浮かんでいて、それを読みながら悲しい気持ちになりました。

陸上戦に投入された戦艦武蔵の生存者の方は、きっと「口封じ」のために上層部に殺されたのだろうと思いました。特攻隊の方で生き残った方の中にも、その後激戦地へ送られたり、隔離施設に送られたりした方がいると、以前に聞いたことがあります。日本政府や当時の大本営の計画は破綻していましたし、その上層部の人たちは、国を守ろうとはしても、国民や兵士個人を守ろうとはしなかったのかもしれないと、どうしても思えてしまいます。

「特報首都圏」の「企業と”軍事”~民生技術の活用 どうあるべきか~」は、今の日本政府が奨励する軍需産業、民生品の軍用品への転用ビジネスの話でした。民生品を軍事品としても使うことができるように作ったものを、「デュアルユース(民軍両用)」と呼ぶそうです。民間のための技術を軍事品にも使うことができるというのは、技術ということだけで考えるなら、それはそうだろうと思います。ただ、開発されたあるすごい技術を平和利用するか、軍事利用するかは、経営者や政治家や軍人のような人たちの考え方にかかっているのだろうとも思います。

以前に見た番組では、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士が、理工学部の学生さんたちに、研究費ほしさなどのために自分たちの研究を軍需産業に使うようになっていくことの危険性を訴えていました。でも、その学生さんたちにはあまり響いていない様子でした。戦争時代を知っている科学者が軍事のための研究に反対をしても、過去の戦争時代を知らない今の人たちには、あまり伝わらなくなっているようでした。

今の時代に軍需産業を始めようという人たちには、技術は平和のために使われなければいけないという「富嶽」に携わった技術者たちの思いは、正しく伝わらないのかもしれません。「特報首都圏」で紹介されていた軍需産業のイベントには外国の軍人さんたちも来ていたのですが、「デュアルユース」と呼ばれる軍事用の商品の開発目的が例えば本当に日本の自衛隊による防衛のためだけであるというなら、日本の高度な技術が使われた軍事用の商品を外国の軍隊に売るというのは、本末転倒というか、意味不明なことであるようにも思えます。日本政府には軍需産業に手を出してほしくないなと、戦艦武蔵やゼロ戦や中島飛行機の「富嶽」の話を聞いて改めて思いました。

中島飛行機を創立した中島知久平さんは、戦後、GHQによって「A級戦犯」に指定され、昭和22年にはその指定を解除されたそうなのですが、その2年後に脳出血で亡くなったそうです。65歳だったそうです。太平洋戦争の少し前には立憲政友会の革新派の総裁にもなっていたという中島知久平さんがどのような人物だったのか、良い人だったのかどうかということは、番組を見てこの方のことを初めて知ったくらいの私にはよく分からなかったのですが、近代日本の戦争史や航空史の中では重要な人物なのかもしれないなと思いました。

番組では特に言われてはいなかったのですが、ゼロ戦を開発した三菱重工業の堀越二郎さんも、知久平さんと同じ群馬県出身の方だそうです。中島知久平さんと堀越二郎さんは、年は離れていますが、当時の航空技術者なのですし、知り合いだったのかなと少し気になりました。

あと、脳科学者の中野さんの話によると、外の集団よりも劣っていると感じた時に外の集団と比較して内の集団(自分の属している集団)を高く評価することを心理学用語で「内集団びいき(ひいき)」と言うそうです。「内集団バイアス」とも言うそうなのですが、戦時中の日本軍が他国軍よりも強いと誇っていたようなことも、「内集団ひいき」の作用であるようです。その話を聞いていて、近年の日本の、日本はすごい、日本は実は世界から尊敬されている、外国人は日本を好きで褒めている、というような内容の“日本礼賛”のテレビ番組や書籍なども、「内集団ひいき」の作用によるものなのかもしれないなと思いました。

それから、報道によると、昨年成立した安全保障関連法によって国連平和維持活動(PKO)のために南スーダンに派遣された自衛隊の部隊に付与された「駆けつけ警護」や「宿営地の共同防護」などの新任務は、今日の12日から「実施可能」になったそうです。南スーダンの「戦闘」を政府は「衝突」と主張していますが、今日から自衛隊の方たちが海外で誰かに向けて武器を使うことが認められるそうです。現地の人を助けることや自分の身を守ることは大事なことかもしれないけれど、現在や未来の自衛隊の方たちがもしかしたら誰かを殺傷することになってしまう、誰かに殺傷されることにもなってしまうということを思うと、不安というか、憂鬱な気持ちになります。無事に帰国できるといいなと思います。
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