「それでも、生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~」

昨夜、TBSでは「関口宏の東京フレンドパーク2017新春ドラマ大集合SP!!」という約6年ぶりに復活した「東京フレンドパーク」が放送されていて、私は途中から見たのですが、日曜劇場「A LIFE~愛しき人~」と火曜ドラマ「カルテット」と金曜ドラマ「下剋上受験」の俳優さんたちが出演していて、後半には「クイズ!ボディ&ブレイン」も復活していて、嬉しく思いました。楽しかったです。

ところで、昨夜の「NHKスペシャル」では、「シリーズ東日本大震災 それでも、生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~」という特集が放送されていました。

2011年3月11日に起きた東日本大震災から数年の時を経て、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故の被害を受けた福島県民の方の自殺者が増えているということが伝えられていました。2011年の直後から2年ほどは自殺率は減っていたそうなのですが、2014年から急激に増えているそうです。悩み相談などの電話も1日に400件ほどあるそうで(相談を受けている方の精神も大丈夫なのかなと少し心配になりますが)、原発事故の影響によって、お米農家や野菜農家や畜産農家などの仕事を諦め、生き甲斐を奪われた方たちが自ら命を絶ってしまうということと、それによる家族や友人苦しみが、自殺やその未遂の連鎖となっているようでした。

福島医科大学の前田教授という方の話によると、震災から4年以上経って自殺率が上昇していることの主な原因としては、「あいまいな喪失」と「コミュニティーの分断」が考えられるそうです。

原発事故の収束に終わりが見えない、家はそのまま残されているのに帰ることができない、帰還の時期がはっきりとしない、でも故郷を見捨てることはできない、田畑の除染作業が進まない、作物が安く買い叩かれて赤字続きになる、協力者が減っていく、一緒に暮らしていた家族がバラバラになる、一緒に避難した人たちの中でも帰る人や諦める人などいろいろに分かれていく、孤立を深めていく、というようなことが続き、つまり、大津波によって一瞬にして全てを奪われた地域の方たちの場合よりも、“希望”を持ち続けることが可能であるが故にけじめを付け辛いということでした。

2015年の4月に30代で自殺をしたというお米農家のご夫婦の取材の映像が何だか辛く思えたのですが、命を絶つ前の取材の映像の中の、「絆」的なことが書かれていた布か紙の寄せ書きが、とても寂しく見えました。

番組によると、NPOの職員の方たちが自宅や仮設住宅の部屋で一人で暮らしている方たちに声をかけたり、住職さんが地域の方にお寺の掃除を頼んだりしていました。津波や地震などの自然災害ではなく、原発事故という人災によって生活地域を失うことになってしまった方が、世の中から取り残されたような気持ちになって、自暴自棄になって、絶望して、「死にたい」という思いに駆られてしまうのを、少しでも遠ざけようとする活動がなされているということは、良いことであるように思いました。

でも、東日本大震災の当時にも、被災した方にはっきりとした被害が現れるのは5年後だろうというようなことが言われていたように思います。それは、特に放射能汚染による被曝の被害のことだったのかもしれないのですが、大きな震災後2、3年張り詰めていたものが、遅れている「復興」までの日々の中で途切れてしまうということもあるのかもしれないなと思いました。

原発事故の被災地域から離れた場所にいる私には、長年住んでいた町を台無しにされてしまった方たちの辛い気持ちは本当には分からないのだとは思うのですが、ただ、やはり、自分の畑の隣に汚染物質が詰められた黒い袋が積み上げられているのを見た方は、本当に絶望的な気持ちになってしまうのだろうと思います。

日本の各地の、原発の再稼働に賛成をしたり推進したりしている方たちは、爆発事故の起きた福島の町のことをどのように思っているのでしょうか。自分たちの町では大事故は起きないと思っているのでしょうか。

このような番組を見ていると、情報番組やバラエティ番組や政府の宣伝していることのようには、まだ「復興」は終わっていないのだということを改めて思います。2011年の頃には、阪神・淡路大震災の教訓もあるのだし、被災地の復興はもっと早くできるものだと思っていました。安倍政権の自民党は、復興が遅れたのを当時の民主党のせいにしていましたが、それを言うのなら、初めて与党になった当時の民主党に協力しなかった野党時代の自民党のせいでもあるだろうと思いますし、今も復興が進まないのは今の与党の自民党のせいなのだろうとも思います。

日本としても原発事故は初めてのことだから分からないことが多いのかもしれませんが、「風評被害」ということにしていろいろ封じ込めようとする政策の失敗は、今も続いているのだろうなと思いました。

それにしても、例えば、71年前の広島や長崎に原爆が投下された場合と、ビキニ環礁の水爆実験の場合と、チェルノブイリの原発事故の場合と、福島の原発事故の場合と、北朝鮮?などの核実験の場合との、放射能汚染の深刻度と広がりは、どのくらい異なるのでしょうか。実験や事故のあった時期や時代、放出される放射性物質の成分や汚染された土地や草木や川や海の性質など、環境の違いはあるのだろうと思いますが、素朴な疑問として、いつも少し気になります。


それから、これは福島のこととは別のことなのですが、「NHKスペシャル」の「福島からの報告」を見た後のTBSの「NEWS23」では、アメリカのゴールデングローブ賞の授賞式の演説の中で俳優のメリル・ストリープさんがトランプ次期大統領を痛烈に批判したということが伝えられていました。

番組で紹介されていた訳が短かったので、英語の苦手な私は後で「クーリエ・ジャポン」という雑誌のサイトに日本語訳が掲載されていることを知り、その記事を読みました。

私は、演説の中で言われている、トランプさんが障害を持つ記者の真似をしたという場面を見てはいないのですが、「我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。」、

「他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。」、

「私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。」、ということを演説するメリル・ストリープさんは、本当にすごいなと思いました(訳は「クーリエ・ジャポン」さんによるものです)。

演説は、芸術活動の一端を担っているハリウッドで活躍する役者さんたちを鼓舞するものであったのだと思いますが、公の場所で政治的なことを織り交ぜて話すということは、日本の俳優さんたちにはまだ難しいことなのかもしれません。

権力を持つ者が公の場で他者を侮辱すると、そのことが人々の生活に影響し、軽蔑が軽蔑を招き、暴力が暴力を呼ぶ、だからメディアの記者たちは常に権力者の他者を侮蔑する言動を追及していかなくてはいけないのだという、メリル・ストリープさんの演説で言われていたようなことは、昨年に外国人に対するヘイトスピーチや障害者施設での殺傷事件や沖縄での「土人」発言のあった、また、天皇陛下のことを「おかしい」とか言うような人が天皇の退位の問題を一代限りの特例法で済まそうとする官邸の有識者会議に呼ばれるような、最近の日本にもよく当てはまることだなと思いました。

何が起こるのか、未来のことは分からないけれど、2017年の世の中はもう少し良くなっていくといいなと思います。
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