「花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」

NHKのBSプレミアムの時代劇「花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」を見ました。録画をしておいたものです。

このドラマも、元日の「超時空超越ドキュメンタリードラマ 江戸城無血開城」に続き、混乱の続く幕末の日本で懸命に闘う人々を描いたドラマでした。

黒木メイサさんの演じる主人公の中澤琴さんは、実在の人物だそうです。このドラマの前にBSプレミアムでは「もう一つの新選組 ~“新徴組”と幕末の江戸~」という「新徴組」の特集が放送されていて、この番組(ドラマの宣伝も兼ねていましたが)も面白かったのですが、その番組によると、中澤琴さんは群馬県の沼田の辺りの方であるようでした。利根穴原という村の法神流という剣術の師範の中澤孫右衛門の養女となり、剣術を学びながら成長し、男装をして義兄の中澤貞祗と共に江戸へ行き、「浪士組」に入ったのだそうです。

法神流は、天狗剣法とも呼ばれる山岳剣法の一種だそうで、王さんの一本足打法のように片足に重心を置き、脚力の強さを活かして戦う剣術なのだそうです。

ドラマでは、琴さんと兄の貞祗(さだまさ、筒井道隆さん)は、参勤交代が廃止され、荒れていく江戸の治安を守るために、山形の庄内藩の清河八郎(池内万作さん)が結成した「浪士組」に入隊しました。「浪士組」は最初は将軍・徳川家茂の護衛のために京へ行ったそうなのですが、護衛対象を巡って内部で対立が起き、京に残るグループは後に「新選組」を名乗り、空洞化してしまう江戸を守るために江戸に戻るグループは「新徴組」を名乗ることになったそうです。

清河さんは、「攘夷」とは列強から国を守ることであり、みんなが安んじて暮らすことができるようにすることだと考えていました。琴さんの兄の貞祗はその考えをよく理解し、清川さんについて行こうとしていたのですが、貞祗さんや琴さんたちが江戸に戻った半年後、文久3年の4月の京で清河さんは暗殺されてしまいました。

「新徴組」は庄内藩酒井家の預かりとなり、徳川方に取り込まれたことに納得のいかない大使たちの中には脱走する者もいたそうなのですが、中澤兄妹や、「新選組」の沖田総司の義兄の沖田林太郎(宅間孝行さん)は「新徴組」に残りました。貞祗さんは、「浪士組」では、近藤勇や土方歳三と同じ六番組にいたことがあったのだそうです。新徴組の隊士たちは、剣術では、有名な新選組の隊士たちよりも強かったと考えられているそうです。

琴さんは、13年前に、父親の友人でもあった上野国利根穴原村の剣術師範の中澤孫右衛門(西村雅彦さん)の養女となり、同じ村の吉村家との縁談を断って、兄と共に剣の道へ進んだようでした。

庄内藩新徴組取締役の松平権十郎(神尾佑さん)の指示で、横浜へ向かう役人の一人の護衛をすることになった貞祗は、襲いかかる不逞浪士たちと戦い追い払ったのですが、水上荘十郎(波岡一喜さん)によると、その浪士たちは薩摩の者たちだということでした。

京で坂本龍馬(加藤雅也さん)と出会った琴さんは、剣士として強くなる方法を尋ねたのですが、日本にはこれから大きな嵐が起こる、嵐に負けたくないなら弱くなれ、と言われて自分の剣の道を探し始めました。故郷から琴さん追いかけて江戸に出てきた吉村源五郎(吉沢悠さん)は、結婚については拒否されたものの、貞祗に入隊を認められたようでした。

源五郎は、琴さんと二人で不審な動きのある左右田宇八を偵察し、左右田が薩摩に雇われていた者だったことを突き止めました。その頃、兄の貞祗は、水上さんと戦っていました。貞祗は、水上さんが不逞浪士をすぐに薩摩だと見抜いたことを不審に思っていたようでした。貞祗に斬られた水上さんは、はっきりとは答えなかったのですが、水上さんも薩摩に雇われて庄内藩と新徴組の動きを探るスパイの一人だったのでした。

左右田は、芸者の儚(青山倫子さん)に殺されました。儚は、自分の剣術を認めなかったと徳川に恨みを持つ、下総の出身でありながら薩摩に味方する相馬要蔵(袴田吉彦さん)に従っていました。

江戸の町では、不逞な輩たちによる強盗事件や傷害事件が多発していました。「お廻りさん」として江戸の町の人々に信頼されていた約150人か160人の新徴組の隊士たちは、江戸も町を荒らす者たちが薩摩藩邸に逃げ込んでいるという事実を知りながら、どうにもできないことに憤りを感じていました。

貞祗さんは琴さんに、我らやこの江戸を陥れようとする者がいる、彼らには「尊皇攘夷」はただのお題目に過ぎない、幕府を倒し自分たちの国を作る、そのためだけに日本を手にれようとする奴らだ、彼らを許すことはできない、俺はこの江戸で新徴組として生きる、清河先生は攘夷の先駆けとして浪士組を起こした、この組を幕府の犬と蔑む者もいるだろうが、そもそも清河先生の志は安んじて暮らしたいと願う人々を守ることにあった、その志を汚す者がいたら容赦なく斬る、俺はこの町を守る、と決意を伝えていました。

翌年の元治元年の五月、新徴組は再編成され、兄は一番組頭になりました。京の新選組と江戸の新徴組は、共に江戸幕府の守り刀になりました。

禁門の変が起こり、長州征伐が行われ、坂本龍馬たちの働きにより薩長同盟が締結されました。そうして次第に刀と槍は、銃と大砲に変わっていきました。琴さんは、相手の目も見ずに倒すことになるのかと、銃を使う戦争に関わることを迷い始めていました。迷う琴さんを見ていた源五郎さんは、薩摩と長州が江戸市中へ攻め込んで来たら有利なのは剣ではないかと、もっと自分の剣に自信を持つよう話していました。

坂本龍馬がいた北辰一刀流の道場へ行き、千葉佐那(長谷部瞳さん)に会って手合わせをした琴さんは、有利であったのに参りましたと身を引いた佐那さんに、どうしてか尋ねたのですが、佐那さんの答えは、私は私の剣に忠実に戦った、あなたの勝ちだというものでした。

慶応三年の十月、相馬と戦う琴の援護に現れた貞祗は、相馬に、徳川慶喜が朝廷に政を返上された、大政は奉還されたと伝えました。そして十一月のある日、琴さんは、会いに来た佐那さんから、坂本龍馬が京で暗殺されたと教えられました。大政奉還がなされたのにどうしてと驚く琴さんに、佐那さんは、世の中にはどうしても血を流さないと気が済まぬという者たちがいるのだと話していました。

大政奉還後、武力行使を封じられた倒幕派は、江戸の町で、徳川方から武力攻撃を引き出すための挑発行為を繰り返すようになりました。徳川方と武力衝突を起こすきっかけを作ろうとしていたようでした。

新徴組は、江戸を守るにはどうすれば良いのかを話し合っていました。松平権十郎は、稲葉守の命が下ったと、新徴組の隊士たちに伝えました。翌朝、新徴組は薩摩藩邸に狼藉者を引き渡すよう言いに行くことになりました。

琴さんは、大政奉還のために死んだ者たちが浮かばれないと、兄たちと一緒に薩摩藩邸へ討ち入りへ行くのを拒否していたのですが、その夜、置屋が放火され、友人となった芸者の椿(田中美里さん)が盗まれた後輩の三味線を取り返そうとして手を斬られたのを見て、犯人を斬り返しました。怪我をして三味線を弾くことができなくなった椿さんは、しかし、新徴組の琴さんが約束通り自分たちを守ってくれたと感謝していました。

琴さんは、薩摩に傷つけられる江戸市民を守るため、剣の弱い源五郎と共に、兄たちの部隊に加わる決意をしました。慶応三年二月二十五日の早朝、いくつかの藩の合同で千人ほど集まった新徴組は、三田の薩摩屋敷へ向かい、武装解除と狼藉者の引き渡しを頼みました。薩摩藩は拒否し、武力衝突が始まりました。

源五郎は討ち死にし、源五郎に教えられた藩邸内の裏の場所に相馬を追いかけた琴さんは、一度は儚に捕まったのですが、儚は仲間であるはずの武士に斬られ、琴は苦戦しながらも、守ってやる者がいる限り私の剣は死なぬと、相馬を斬りました。相馬の剣を憶えている儚は、まだ生きている身体を動かして、立ち去ろうとする琴の左の踵を少し切ってから息を引き取りました。

気を失って倒れていた琴さんは、兄の貞祗に発見されました。薩摩藩邸への討ち入りは、幕府軍の大勝利に終わったということなのですが、この武力衝突の一件は戊辰戦争の引き金ともなったそうです。

慶応四年、薩長の軍は「錦の御旗」を掲げたことで“官軍”となり、新徴組を朝敵とする庄内戦争(秋田庄内戊辰戦争とも呼ばれているそうです)を始めました。

父親の孫右衛門は、江戸へ送り出したことを後悔する貞祗の妻に、法神流は山と森で生まれ里へと継がれて武術となった、武士が競いあうためのものではなく、ただ山を拓き、田を耕し、そうして生きる者たちの剣だ、その極意とは人を知り、世間を知り、命を知ることだ、と話し、貞祗も琴も必ず戻ってくると家族を安心させていました。

庄内戦争では、新徴組の中澤兄妹たちは、山形の鶴岡の湯田川へ入ったそうです。新選組の義弟を亡くした沖田さんも戦場へ向かい、右膝を負傷した貞祗も、琴さんに介抱されながら戦ったようでした。剣の時代の終わりを知った琴さんは、人は弱いのです、剣はいつかそれを捨て去る時のために、生きるために使うのです、兄上のことは死なせませんと話していました。

庄内戦争は、先の歴史番組によると、新徴組の隊士たちは庄内藩の境で懸命に戦い、薩長の軍を庄内には入れなかったのだそうです。西郷隆盛は、強かった敵を丁重に葬ったのだそうです。

戊辰戦争を生き延びた中澤兄妹は、穴原の自宅に戻ってきました。出迎えた家族に、貞祗さんは、父上ただいま戻りました、と挨拶しました。

琴さんの剣は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』)のような生きて死ぬための剣ではなく、生き抜くための剣でした。

ドラマの最後は(冒頭も少しそうだったのですが)、主演の黒木メイサさんが今の法神流伝承会の道場を訪ねたり、中澤琴さんのお墓参りをしたりしていました。その大きな墓石のお墓は、没後89年となる2016年の秋に建立されたものだそうです。琴さんは、独身を貫いたか一度結婚したけれど辞めた何かで、長く独身のままだったそうなのですが、とてもしっかりとした立派な人で、晩年には山の静かな家で暮らしながら、近所の人たちに踵の傷を見せて新徴組にいた頃のことを話したり、詩吟を披露したりすることもあったそうです。群馬の中澤家の当主の方は、琴さんの兄と同じ貞祗という名前だったのですが、その方のおばあさまが貞祗さんを尊敬していて、孫が生まれた時に同じ名前を付けたのだそうです。

琴さんは、義兄の貞祗さんの長男の栄太郎さんに剣を教え、昭和2年に88歳で亡くなったのだそうです。長生きです。

作(脚本)は宮村優子さん、演出は猪原達三さんでした。

ワイヤーアクションなどもあり、アクション時代劇だったのだと思うのですが、幕末を生きる「新徴組」の女剣士の琴さんが自分の剣とは何かを探す物語でした。

私は「新徴組」を名前を聞いたことがあると言うくらいにしか知らなかったので、中澤貞祗さんのこともその妹の中澤琴さんのことも、沖田総司の兄の林太郎さんのことも知りませんでした。ドラマを見て、少しでも知ることができて良かったです。

新徴組の隊士たちは、後に庄内の土地を開墾したそうなのですが、写真の中の元隊士たちは農具を持ちながら腰には刀を差していました。日本の国を良くするためにと、養蚕も行っていたそうです。

新徴組の旗は、「日の丸」の下の白地に黒のギザギザの付いているものだったのですが、番組では「日の丸」ではなく「朱の丸」と呼ばれていました。「日の丸」を最初に使ったのは武田信玄の武田家だと聞いたことはありますが(最古の日の丸の旗は武田家の旗なのだそうです)、武田家の考えを受け継いだという徳川家康の作った幕府を幕末の頃に守ろうとした新徴組の「日の丸(朱の丸)」と、後の明治時代以降にも国旗であり続けた「日章旗」の「日の丸」とは、何かつながりがあるのかなと思いました。西欧列強と肩を並べようとして江戸時代の文化の在り方を否定しようとしていた明治新政府の人たちは、江戸時代以前の日本の印象の残る「日の丸」を国旗として使うのはやめようと思ったこともあったのでしょうか。それとも、「日の丸」に関しては、特に異論はなかったのでしょうか。

尊王攘夷の思想で作られたという「浪士組」から分かれた一方の「新選組」は今でも有名なのに、もう一方の「新徴組」はあまり有名ではないのは、「新選組」を題材にした小説やドラマや映画など創作作品が多いからかなと思うのですが、「新選組」が作品の題材になるのに「新徴組」がそうならないのは、このドラマを見た私の印象としては、「新選組」は最終的に組長の近藤勇が新政府軍に処刑されたのに対し、「新徴組」は庄内戦争で新政府軍に勝ち続けていたから、ということもあるのかもしれないなと思いました。歴史は最終的な勝者の側によって作られる、ということがあるからです。番組で伝えられていたことによるとなのですが、新徴組の側の志士たちは、敵の薩摩藩士の西郷隆盛が敬意を示すほどに、やはりとても強かったのだと思います。

ともかく、「江戸城無血開城」のドラマも良かったですし、今回の「花嵐の剣士」のドラマも良かったです。

来年の2018年は「明治維新」から150年ということですが、反乱軍から“官軍”になった薩摩や長州の人たちの側からだけではなく、敗者として歴史の表舞台から消されていった幕府側の人たちなどから見た江戸時代の終焉とその後の新国家樹立(先日に発見されたという坂本龍馬の書状にも「新国家」と書かれていました)への流れのようなものも、今回の作品のように、私のように歴史に疎い人にも分かりやすく、伝えられていくといいなと思いました。

あと、昨年の楽しかった大河ドラマ「真田丸」の舞台の一つが群馬県の沼田だったということもあるかもしれないのですが、今回のドラマの“天狗剣法”と呼ばれていた法神流という剣術とその使い手の中澤兄妹の話が群馬県の沼田から始まっていたので、(当然のことながら私が知らないだけなのだとは思いますが)群馬県はいろいろ歴史的な遺産がたくさんある県なのかもしれないなということも何となく思いました。
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