南極の昭和基地の60周年と、「テロ等準備罪(共謀罪)」のこと

今日は、日本が昭和基地を設立して南極地域の観測を始めてから60年目の日なのだそうです。

昨日のTBSの「報道特集」(録画をしておいたものを後で見ました)では、政府の借金を補い続ける日銀の金融政策は高橋是清時代にも似ていて今岐路に立っているということが伝えられていたのですが、その後の特集では、60年目の南極の昭和基地のことが伝えられていました。

地球儀で見ると、南極はオーストラリア大陸の下にあります。私はよく知らなかったのですが、今年は10年に一度?の南極の氷が解けている年だそうで、氷が解けていることでペンギンの食糧事情が良くなり、ペンギンの子供たちも同時に元気に成長しているのだそうです。でも、氷が解けていることで、シャチやアザラシも捕食対象のペンギンに近付きやすくなるそうです。シャチやアザラシの食糧事情も良くなっているということのようです。

南極大陸の氷が全体的に増えているのか減っているのかはよく分かりませんが、氷がよく解ける現象が10年に一度あるということは、氷は海に解けたら終わりということではなく、氷が海になったり、海がまた氷になったりを繰り返しているということなのかもしれません。


ところで、昨夜、テレビ朝日では「池上彰のニュースそうだったのか!!」が放送されていて、私は(NHKの「ブラタモリ」を見た後の)途中から見たのですが、トルコになぜテロが増えているのかについて、トルコとクルド人、トルコと「イスラム国(ISIS、ISIL)」の対立のことが解説されていたのは良かったと思うのですが、「イスラム国」が日本を標的としたことについて、日本がアメリカ軍に協力していると思われていることや、安倍首相がトルコを支援すると表明したことなどを言わずに、日本も「イスラム国」のテロリストに狙われているのですよ、テロは怖いですね、という感じで番組を終わらせていたのは、安倍首相たちがこれから新設しようと考えている「テロ等準備罪」という名前に変えた「共謀罪」(共謀を罪として罰する法律)を無条件で受け入れてしまう人たちが出てしまうようにも思えて、あまり良くない終わり方だったように思いました。

池上彰さんの番組はたくさんの人が見ているのではないかと思いますし、テレビ朝日の経営方針がもしかしたら政府の政策を後押しするものに変わったのかもしれない(維新の会の橋下徹さんの冠番組もありますし)とも思えたのですが、どうしてなのだろうと少し奇妙な感じがしました。

国会の答弁で、「テロ等準備罪」は「共謀罪」ではないとしているらしい安倍首相は、テロ対策の名を借りた一般市民に対する権力の乱用につながりかねない、との野党の反対意見に対して、国際組織犯罪防止条約に批准することができなければ東京オリンピック・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない、一般の方々が対象となることはあり得ない、というようなことを答えていましたが、実際には現行法でも十分に批准できるそうですし、そもそも安倍首相たちの考える「一般の方々」とは、どのような一般の人のことを指すのでしょうか。

犯罪者は、罪を犯したために犯罪者となったのであって、それまでは一般の人です。テロリズムには政治的な目的があるということですが、その内容自体は、テロリストではない?犯罪者の犯す殺人や傷害などと同じなのではないでしょうか。「共謀」という複数人の話し合いの段階で犯罪者予備軍を見つけようとするのは、大変なことだろうと思いますし、テロ自体は、自爆テロというものがあるように、おそらくたった一人でもできるものなのだろうと思います。

昨夜の池上さんの番組では、フランスで無実の人たちが警察に怪しいと疑われただけで令状なしで家宅捜索を受けていることが伝えられていたのですが、その映像を見たココリコの遠藤さんは、テロ対策のためには分からなくもないと、仕方がないことであるという風に話していて、スタジオの席の前列の中央に座っていた女性の方は、私たちは「平和ボケ」しているから気を付けなければいけないというようなことを言っていました。

テロという殺傷事件が起きることは確かに怖いことですが、テロ対策のためには多少のことは仕方がないと、令状なしの家宅捜索や身柄の拘束を認めてもいいと考える方たちは、自分自身や自分の身内や友人や立場の弱い人たちが国家権力によって犯罪者やその予備軍などとされてしまう冤罪の被害に遭わされるかもしれないということは、あまり考えないのでしょうか。それとも、(自分を含む)一般人のささやかな日常や人生をそのように国や警察の権力によって破壊されることがあるとしても、「犯罪は未然に防がれました」となることのほうを(未然に防がれたのなら犯罪が起きたかどうかも不明ですが)優先したいということなのでしょうか。

「テロ等準備罪」と呼ばれる「共謀罪」は、昔の「治安維持法」を復活させるものではないかと言われていますが、プロレタリア文学の作家の小林多喜二が特高警察に捕まって拷問死させられたのも、治安維持法によるものでした。治安維持法というのは、政府の考えや方針に反対する活動をする団体や一般の人たちを捕まえるための法律で、大正14年に作られ、第二次世界大戦に敗戦した昭和20年の秋にGHQの人権指令によって廃止されたのだそうです。

「大日本帝国憲法」をGHQに廃止されて「日本国憲法」を押し付けられたという風に考えている人たちは、GHQによって廃止された「治安維持法」も現代に復活させたいということなのでしょうか。

テロと呼ばれる突然の殺傷事件が起きることは確かに怖いことですが、2020年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピックのことまで持ち出して、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」が成立している日本にさらに「テロ等準備罪」(「等」にはテロ以外の何が含められるのでしょうか)なる法律が可決されて、「治安維持法」的な「共謀罪」が東京オリンピック・パラリンピック以降の未来の日本にもあるようになったなら、それも怖いことであるように思います。

あと、今回の番組の女性の方も「平和ボケ」という言葉を使っていましたが、私はこの言葉をあまり良い言葉だとは思えずにいます。生まれた時から対外戦争を行っていない国(しかも島国)で育ったのなら、海を隔てた他国が長年の戦争状態にあったとしても、戦争状態にない平和な状態のほうを当たり前の社会の状態だと思うということは、ごく普通のことであるように思います。

今は戦後71年なので、対外戦争を行っていない今の日本は約71年間一応の平和状態が続いているということになると思いますが、その平和の中に生きていて「平和ボケ」だと言われるとなると、対外戦争をしていなかった江戸時代の人たちは、その3倍以上の約260年間の平和に「平和ボケ」をしていたということになります。でも、戦国時代が終わったことは悪いことではなかったはずです。ずっと戦を続け、戦死者を出し続けるのは大変なことです。平和になったおかげで江戸時代の文化は発展して、「日本の伝統文化」と呼ばれるようにもなりました。好戦的な人たちにとっては違うのかもしれませんが、平和であることは本来良いことなのですし、一応平和な世の中に暮らしながら、これからもそのままの平和を望むために国家の「富国強兵」や「軍備増強」に疑問や不安を感じている人たちを、「平和にボケている」と見なすのは、良くないことであるように思えるのです。
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