アメリカの司法長官代理の更迭のこと

就任から10日ほど経ったアメリカのトランプ新大統領が「大統領令」を使って近年のアメリカのテロ事件の犯人の出身国とは直接関係のないイスラム圏の7か国(シリア、イラク、イラン、イエメン、ソマリア、スーダン、リビア)からの入国制限を行っているということに対して、移民や難民を多く受け入れているアメリカやテロ事件の起きたカナダやヨーロッパの各国では市民によるデモが起きているということが報道されていますが、昨日には、トランプ大統領の入国制限の命令を合法とは思えないと反対したサリー・イエーツ司法長官代理を辞めさせたということを聞いて、驚きました。

オバマ前大統領が広報官を通じて「信仰や宗教を理由に個人を差別する考え方に根本的に同意しない」との声明を出したということも異例のことなのだそうですが、ワシントン州のファーガソン司法長官は、「大統領といえども憲法を無視することはできない」と、トランプ大統領の大統領令は憲法違反としてその執行の差し止めを求めてトランプ大統領を裁判所に提訴したそうです。

トランプ大統領の共和党が勝ったことにより国会の「ねじれ」が解消したということなので、トランプ大統領の治世が続くのなら、その間には大統領令を出さなくても、もしかしたらトランプさんの考える案は通ってしまうということなのかもしれませんが、トランプさんの一存で司法のトップがトランプさんの意向に沿う人に変えられるということは、独裁的で、怖いことであるように思います。

日本の情報番組や報道番組では(昨夜の「ユアタイム」でもそうだったのですが)、トランプ大統領の大統領令のことを伝える時、まだ面白おかしい雰囲気で伝えているというか、あるいは外国のことだからなのか、あまり真剣なトーンでは伝えていないような気がします。安倍首相は、国会でトランプ大統領の入国制限などの政策について質問され、アメリカ政府の考え方についてコメントする立場にはないと逃げていましたが、日米同盟を堅持したいとか、日本の経済問題を考える上でのトランプさんとの会談を数日後に控えているというような事情があるのだとしても、主権国家の総理大臣として、トランプ大統領に対するしっかりとした意見を表明してほしいように思いました。

トランプさんは、ヒーローものの映画の悪役のように言動がはっきりとしているので、酷そうな部分も見た目に分かりやすいように思えるのですが、トランプ大統領が表しているのはトランプ大統領の支持者たちの不安で、そこには初めからアメリカを二分するような闇のようなものがあったということなのだとしても、司法長官代理を大統領の命令で突然更迭し、大統領の気に入る人物を据え置くというような怖いことは、例えば日本でも、原子力発電所の再稼働を差し止める判決を出した裁判長を異動(左遷)にしたり、多くの憲法学者たちが「違憲」と考える安全保障関連法の集団的自衛権の行使容認を「合憲」とするために内閣法制局長官を安倍政権に従う人物に交代したり、というようなことが、現在でも、一般市民にはよく分からないうちに少しずつ行われているのだろうと思います。

先日の国会での、参議院議員の自由党共同代表(自由党が天皇陛下の譲位について摂政を置くこと勧めているらしいことは謎ですが、山本太郎さんもこの考えなのでしょうか。それとも、これは小沢一郎さんの考えなのでしょうか)の山本太郎さんの少し芝居がかった「褒め殺しぎみ」の代表質問の中で言われていた、「大企業ファースト」の安倍首相への、「安倍晋三閣下は、行政府の長であるばかりか、立法府の長でもあると御本人が御宣言されました。司法の長になられるのも時間の問題ではないでしょうか。そのためにも、現行憲法など守っていられませんし、守りもしません。当然です。不都合な真実、事実を声高に叫ぶ人間は邪魔です」は、事実なのかもしれないなと思いました(この答弁が議事録から削除されるということも言われていますが、もしもそうなったのなら、ますますこのことは事実だということになるように思います)。

私はまだ「デモ」というものに参加をしたことがないのですが、デモを起こして大統領への反対意見を訴えるアメリカの一般市民や芸能人、大統領を憲法違反で訴えるアメリカの司法長官は、やはりすごいなと思います。

昨夜の報道番組のアメリカの方へのインタビューでは、トランプ大統領の政策に反対をする人も、賛成をする人も、「アメリカらしさ」という言葉をよく使っているようでした。日本でも、「日本らしさ」や「伝統的な日本文化」という言葉が最近よく使われるようになっているような気がするのですが、だからといって、その「日本らしさ」や「伝統的な日本」とは一体何なのかということについては、はっきりとはしていないように思います。日本らしい、というものが何なのか、少なくとも私には、漠然としか分かりません。

「和風」も、様々です。例えばリオデジャネイロオリンピックの閉会式の時の、「東京オリンピック」を紹介する舞台は、確かに「和風」でしたが、外国の人が思う「日本らしさ」的な要素も多分に含まれていたように思います。日本を思う時、例えば今の人は桜の花を思い浮かべるかもしれませんが、昔の菅原道真は梅の花を思うかもしれませんし、シーボルトは紫陽花の花を思うかもしれません。その国らしさとは、一体何なのでしょうか。国の大小は、それほど関係ないことであるように思います。「自分らしさ」というものについてもそうかもしれませんが、自分が思う自分と他人が思う自分とは違うかもしれませんし、自分個人の個性は大事だとしても、多面的で誰にもいまいちよく分からない「自分らしさ」にこだわると、不自由になるというか、狭くなってしまうような気もします。

宗教や信教の自由というものが保証されていても、感情的に、伝統のある有名な宗教はそれほど怖くはないけれど、勧誘をしてくる“新興宗教”は少し怖く思えるとか、そのようなこともあるのだろうと思います。そもそも世界中のものは元から全て「多様」であるような気がするのですが、それを、「多様性」として認めたリ、否定したりするのも、人間らしさ、ということなのでしょうか。戦争の残酷さを忘れてしまうのも、軍需産業を推進しようとするのも、科学技術の発展のために生き物を犠牲にするのも、人間らしい行いなのでしょうか。4年続くかさえ分からないというトランプ新大統領の政治は危険な感じがするのですが、はっきりとしているだけに、何というか、世の中を動かしているように見える為政者も社長になるようなビジネスマンもある宗教の信者もただの人間なのだという当たり前のことがよりよく分かるような気もします。
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