「LEADERS(リーダーズ)II」

TBSのスペシャルドラマ「LEADERS(リーダーズ)II」を見ました。

2014年に放送された二夜連続スペシャルドラマ「LEADERS リーダーズ」は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎さんをモデルとした国産自動車メーカーの物語でしたが、今作は、続編というよりは、その物語を別の側面(販売者の側)から描いた物語でした。

私は2014年の放送は見ていたのですが、先日の「LEADERS 特別編 ディレクターズカット」という4時間の長時間ドラマを見ることはできなかったため、今作の「リーダーズ2」は、2014年の「リーダーズ」の物語を何となく思い出しながら見ることになりました。

昨夜の「リーダーズ2」は、大阪から名古屋へ帰る途中の鈴鹿峠で車が故障して立ち往生している愛知佐一郎(佐藤浩市さん)と出会ったアメリカのゼネラルモーターズ(GM)車の販売店「日の出モータース」の支配人の山崎亘(内野聖陽さん)と営業の日下部誠(東出昌大さん)が、佐一郎さんの国産自動車作りへの思いに感銘を受け、「アイチ自動車」の販売店の第一号店として社長の佐一郎さんを支え続けていくという話でした。(「リーダーズ」では、山崎さんを演じていたのは岡田浩暉さんでした。)

国の政策により軍事用の車を作らないと自動車製造の認可が下りないということになった昭和10年、佐一郎さんはトラックを作り、緑色のトラックを見た日の出モーターズの山崎さんは、そのアイチ自動車の国産のトラックを、まずは6台だけ売ることにしました。そして、その6台の修理サービスをアイチ自動車に徹底させました。アイチ自動車は、車を買った前川さん(でんでんさん)たちの故障車の修理をする中で、シャフトが折れやすいということに気付き、金属製の懐炉を作っていた大島磯吉(山崎努さん)の協力を得て、日本刀の鋼のように強い鉄を作るための試行錯誤を繰り返しました。

3000キロに耐えるシャフトの実験に成功したアイチ自動車は、G1トラックの大量生産と日の出モーターズでの販売を始め、半年後には1千台を販売し、昭和11年、無事に自動車製造の認可が下りたようでした。そして「挙母工場」が完成すると、AA型自動車の製造を始めました。佐一郎さんの呼び掛けで、「協愛会」というアイチ自動車への協力会社の会も、発足しました。

しかし、昭和16年の12月、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まってしまい、アイチ自動車やその協力会社の社員たちも徴兵されるようになりました。政府は、自動車配給会社というものを各県に一つずつ作り、アイチ自動車と若草自動車とみすず自動車の3社は机を並べて仕事をすることになりました。

若草自動車の販売会社の支配人の菊間武二郎(大泉洋さん)は、山崎さんの案内で挙母工場を見学してその規模に驚き、作業着姿の佐一郎さんの仕事ぶりに感銘を受けました。佐一郎さんは、新しいSA型の設計図面を若草自動車の菊間さんに見せ、若草自動車がアメリカの技術を買って自動車を作っているということついて、それだと大型や中型の自動車になってしまう、アイチ自動車は小型自動車を作りたいのだと説明しました。

自動車を戦争の犠牲にしてはいけない、アイチの車は戦争をするために作っているんじゃない、と言う佐一郎さんのことを、山崎さんは、車好きの息子を満州での戦争で亡くしたと言う菊間さんに、戦争は原油が原因で始まった、佐一郎さんが作ろうとしている低燃費の車には戦争をしてほしくないという願いが込められているのだと話しました。

昭和20年、終戦を迎えた日本でもGHQがまだ戦前の自動車配給会社の制度を維持していたようで、GHQの担当者に会いに行った山崎さんと菊間さんは、小さな島国の日本では自動車産業に知恵と技術が込められている、日本の将来には自動車産業が必要だ、それができなくて何が民主化かと、自動車配給会社の制度を解体してほしいとGHQの担当者を説得しました。

佐一郎さんは、お客様の声を直接聴くことのできる販売員の声を聴きたいと、販売会社の人々を公会堂に集め、この手で作った国産車を100万台売りたい、力を合わせて実現させましょう、そのためにはアイチも若草もない、私たちの力で日本の車を世界一にしましょう、と演説しました。

佐一郎さんに心を動かされた菊間さんは、若草自動車からアイチ自動車に移籍しました。そして、販売員たちの会の副理事長の山崎さんから、理事長を任されることになりました。

そうして、この国の未来を自動車の力で明るくしたいと考えるアイチ自動車の車は売れ始めるのですが、しばらくして世の中はインフレの状態になりました。アイチ自動車も風前の灯となったということでした。労働者たちのデモも起きたそうなのですが、協愛会の大島さんは、今こそアイチを支えなくてどうするのかと生活に困っている労働者たちを一喝し、もう少し待とうと説得しました。

戦前にはゼネラルモーターズの代理店だった「酒田ガレージ」の社長の酒田健太郎(郷ひろみさん)は、戦後には駐留米軍に近付き、アメリカの車を販売することで急成長していました。そのような中、若草自動車のように財閥の系列でもないアイチ自動車は、銀行からの融資を断られていました。菊間さんは、若草自動車の浅田常務(尾上菊之助さん)から、アイチは倒産する、若草に戻って来てほしいと言われ、迷っていたのですが、自分と部下の生活を第一に考えてほしい、命より大切なものはないとと佐一郎さんが言っていたということを山崎さんから聞き、部下たちと共にアイチに残る決意をしました。

日の出モーターズの山崎さんは、銀行がお金を出さないなら自分たちが10万円ずつ出そう、それで車を作ってもらって販売しようと提案し、戻ってきた菊間さんも、アイチは50年先を照らすヘッドライトの光なのだと、その案に賛同しました。そして、アイチ自動車の社長の佐一郎さんのもとに、500万円(現在の価値にすると20億円だそうです)が集まりました。総務部の島原美鈴(前田敦子さん)は、みんな社長の作るアイチの車が好きなんです、と社長に伝えていました。

アイチ自動車は、銀行からの要請を受けても、社員は家族だからと人員の削減をしなかったそうなのですが、そうもいかなくなっていきました。佐一郎さんは、山崎さんとキャッチボールをしながら、山崎さんが出場していた大正5年の甲子園の決勝戦のことを切り出し、最後まで仲間を信じる山崎さんの影響を受けたということを話しました。山崎さんは、ミスを地味に取り返す積み重ねが勝利に導くと答えていました。

まだまだ1回の裏の攻撃が始まったばかりです、これからも戦い続けましょうと笑う山崎さんに、佐一郎さんは、今までありがとうございましたとお礼を言いました。佐一郎さんは、自分が社長を退職することと引き換えに退職者を募り、銀行との約束通りに社長を退職して会社を守った、ということでした。

昭和27年の3月、佐一郎さんは病のために亡くなりました。しかし、その頃、隣国で起きた朝鮮戦争の影響で自動車の需要が増加し、国産車は外国車の販売台数を追い抜いたそうです。そして、佐一郎さんが亡くなってから10年後の昭和37年、G1トラックから27年後、山崎さんは、アイチ自動車の車の販売台数が100万台を超えたことを、佐一郎さんのお墓の前で報告していました。

脚本は八津弘幸さん、音楽は千住明さん、演出は福澤克雄さんでした。

「リーダーズ2」も、良かったです。ただ、「日曜劇場」で放送されていたドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」や「下町ロケット」のような印象でもあり、前作の「リーダーズ」の場面も盛り込まれていたためか、「リーダーズ2」の登場人物の物語が少し散漫としてしまっていたような印象でもありました。

加賀美幸子さんによるナレーションの部分も意外と多く、展開が箇条書きのように進んでいるという感じもしてしまいました。

ゼネラルモーターズやフォードなどの海外の自動車会社の名前が実在の名前のまま登場するのに、「トヨタ自動車」を「アイチ自動車」と言い換えるなど、日本の自動車会社の名前や人物の名前を仮名にしているのはどうしてなのかなということも、また少し気になりました。

特に良かったと思えたのは、佐一郎さんの国産自動車販売への夢と国の命令による戦争協力への複雑な思いを、販売会社の山崎さんや菊間さんがよく理解しているというような部分が描かれていたところです。

戦時下の日本の統制経済の下で作られた「自動車配給会社」という制度のことを、私はよく知らなかったのですが、軍の指示で車を作り、軍に優先的に車を販売する会社、というようなことなのかなと思いました。

戦争のために車を作っているのではないと怒っていた佐一郎さんの創設したアイチ自動車の車が、佐一郎さんの死後、隣国の朝鮮戦争の影響による“特需”で販売台数を急激に伸ばしたというのは(それだけではないかもしれませんが)、少し皮肉な結果であるようにも思えました。
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