「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」

先日の日曜日にNHKで放送された「NHKスペシャル」の「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」を見ました。録画をしておいたものです。

1947年(昭和22年)に施行された『日本国憲法』の平和主義の理念の源流を、1945年の8月15日の敗戦から約3週間後の9月4日に戦後初めて開かれた国会での昭和天皇の「平和国家を確立し人類の文化に寄与することを希う」という勅語がどのような経緯を経て完成したのかということを知る新資料の当時の東久邇宮稔彦総理大臣たちの検討による第1案から第4案までの草案(帝国議会開院式勅語案)から考えていくという特集でした。司会進行は、武田真一アナウンサーでした。

番組では、その草案の資料や、「平和国家建設」と立派な文字で書かれた小学校6年生の明仁親王(今上天皇陛下)の書初めも紹介されていました。「平和国家建設」の書初めの中央辺りに朱液で三重丸が書かれていたのも何だかかわいらしかったです。

新日本建設のための教育方針の柱として、「平和国家の建設」への当時の天皇(昭和天皇)の思いは、すぐに全国の国民に伝わったそうです。国会での「平和国家を確立し」の勅語は、天皇は平和を求めている、天皇は日本が平和国家になることを望んでいるということの、世界中の各国へのメッセージでもあったということでした。

ニューヨーク・タイムズ紙のフランク・クルックホーンさんという記者の方は、9月25日に表拝謁の間で昭和天皇に会ったことがあるそうで、その記者の甥?の方によると、昭和天皇は平和が訪れたことを喜び、マッカーサー元帥に協力するとも話していたそうで、敵国・日本の天皇は恒久平和についてよく理解していると感じた、ということでした。

恒久平和は銃剣を突き付けて解決できるものではないと、非武装による和解を求める昭和天皇の英文の回答をまとめたのは、外務大臣を務めたことのある総理大臣の幣原喜重郎さんでした。幣原喜重郎さんの孫の方は、幣原喜重郎さんについて、論理的で、戦争体験を通じて平和主義になったと思うと話していました。

9月27日頃、アメリカのGHQのマッカーサー元帥は、平和の基礎の上に新日本を建設するとして、当時の日本政府に『大日本帝国憲法』(明治憲法)の改正を促したそうです。3年前に出版された『昭和天皇実録』には、昭和天皇が積極的に帝国憲法改正について考えていたということが書かれているそうで、9月21日、昭和天皇は、皇室に近しい、元総理大臣の近衛文麿さんに改正のための調査を依頼したそうです。近衛文麿さんの臙脂色の手帳には、近衛さんの「民主主義の意味」というメモが残されていて、国民多数の意向による君民一致こそ新しい憲法に相応しいと、大権を制限することで改正を進めようとしていたことが書かれているのだそうです。

一方で、10月9日、幣原内閣は、憲法問題調査委員会を作り、国務大臣で法学者の松本烝治さんを委員長にしました。12月6日、近衛文麿さんには、A級戦犯として極東国際軍事裁判で裁かれる決定が下ったことがGHQから伝えられ、逮捕状が出された近衛文麿さんは、巣鴨の拘置所への出頭期限の16日、自宅で服毒自殺をしてしまい、昭和天皇の帝国憲法の改正のための調査は挫折してしまったということのようでした。

昭和21年の元日、幣原内閣は、昭和天皇の「人間宣言」と呼ばれる勅書を発布しました。天皇ご自身が自らを「現人神(あらひとがみ)」あるいは「現御神(あきつみかみ)」ではないと否定したとされるお言葉です。(私はその一部しか知らないのですが、ご自身を人間だと宣言したとものいうよりは、天皇と国民の間の絆は終始相互の信頼と敬愛の情によって結ばれているもので、神話や伝説や架空の観念によるものではないということを伝えているお言葉のようでした。それに、当時の日本の人々も、天皇陛下が実際には人間であるということは、当然のことながら、ごく普通に知っていたそうです。戦争時代を生きていた、私の祖父母も知っていました。また、そもそも、昭和天皇が自らご自身を神格化したり神だと宣言したりしたことはなかったそうです。)

そして、1月24日、幣原総理大臣はGHQのマッカーサー元帥を訪ね、マッカーサーと3時間に及ぶ会談を行いました。「羽室メモ」という資料が残されていて、そこには、幣原さんが、どうしても天皇制を維持したいとマッカーサーに協力を頼んだこと、マッカーサーが、一発の銃声もなく日本に進駐できたのは天皇の力によるところが大きいと話したこと、幣原さんが、戦争を放棄するとはっきりと声明することが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなるのではないかと提案したこと、幣原さんとマッカーサーさんが共鳴していたということが記されているのだそうです。幣原さんは、神がかったことを排し、天皇陛下は平和を求めているということを伝えて、「天皇制の維持」と「戦争放棄」をマッカーサーに提案したようでした。日本の国民が子々孫々その意志に反して戦争の渦中に引き込まれることの無きように、という思いからだったそうです。

しかし、その後の憲法問題調査委員会の、「潔く裸になって平和国家としてやっていく」という意見に反対した松本烝治委員長の草案には、軍が残置されていて、「平和」が全く出てこなかったそうです。2月1日の毎日新聞のスクープで「君主主義」になる松本草案の内容が発覚すると、マッカーサーは極めて保守的だと批判し、GHQが草案を考えることを決断し、「マッカーサーノート」の基準を示して、民政局に一週間で突く寮に命じたそうです。マッカーサーは、天皇制に厳しい11か国による極東委員会がしびれを切らして介入してくるようになるかもしれいことを危惧していたようでした。

幣原さんとマッカーサーが話し合ったことは、憲法問題調査委員会やその委員長の松本さんには伝わっていなかったのでしょうか。それとも、伝わっていたのに、松本さんが昭和天皇や幣原さんやマッカーサーの考えを無視して別の草案を作って提示したということなのでしょうか。あるいは、もしも保守色の強い松本草案が作られることがなかったなら、現行の日本国憲法はなかったということにもなるのでしょうか。

「戦争の放棄」を進めるマッカーサーは、日本の自衛のための戦争も否定したそうなのですが、マッカーサーに日本の憲法改正草案の作成を命じられたGHQ民政局のチャールズ・ケーディスさんは、どのような国であれ自衛の権利は持っていて当然だと考え、紛争解決の手段としての武力による威嚇は放棄するという、自衛のための戦いは認めても侵略のための戦争は明確に否定するという今の憲法にもつながる条文を加えたということでした。

2月21日、GHQによる帝国憲法改正草案は完成したそうです。人権に関する規定が盛り込まれ、天皇は「象徴」となりました。外務大臣の吉田茂さんの家?を訪れたマッカーサーは、政府が草案の基本を受け入れるなら天皇制は安泰であること、政府が拒否するなら「国民投票」にするということを伝えたそうです。政府はその草案の内容を受け入れることにしました。(仮に当時国民投票になっていたとしても、天皇陛下と同じように平和国家を求める国民によって、きっと現行の日本国憲法のように改正されたのだろうと思います。)総選挙が行われ、1946年5月、吉田茂が内閣総理大臣になると、憲法改正の審議が始まりました。

番組の後半では、『日本国憲法』の第9条の第1項の冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」というGHQ案にはなかった言葉が、どのようにして入ったのかということを、再現ドラマを交えて伝えていました。

昭和21年7月25日、国会では、帝国憲法改正小委員会が開かれました。委員長の日本自由党の芦田均さんを含めた14人の委員の話し合いの速記録が憲政記念館に残されているそうです。緑色の線の原稿用紙に書かれていました。

再現ドラマでは、芦田均委員長を斉藤洋介さんが演じていて、日本社会党の鈴木義男議員を鶴見辰吾さんが演じていて、日本進歩党の犬養健議員を阿南健治さんが演じていました。第9条の条文について、「平和を愛好する」という言葉を条文に入れてはどうかとか、もっと積極的に「戦争はいかぬ」という言葉を入れてはどうかとか、話し合っていました。

憲法第25条の「生存権」の規定のために尽力し、後に片山哲内閣や芦田均内閣で司法大臣を務めたという鈴木義男さんは、ヨーロッパやアメリカへの留学経験があり、一千万人近くの人々が死亡した第一次世界大戦後にその反省から国際連盟が作られたのを見て、国際協調を重んじ、戦争を違法化するという新しい考えを学んだのだそうです。しかし、東北帝国大学の教授となった鈴木義男さんを待っていたのは、軍国主義化していく日本社会だったということでした。

学校での軍事訓練について殺人術を教えていると批判し、人類文化の理想は平和にあると考えていた鈴木義男さんは、東北帝国大学を辞めざるを得なくなり、弁護士になって、治安維持法に違反したとして捕らえられた人々の弁護に取り組むようになったのだそうです。

1931年には満州事変が勃発し、日本は国際的孤立の道を深めていきました。1933年には日本が国際連盟を脱退し、第二次世界大戦が起こりました。日本人だけでも310万人と言われる人々が戦争の犠牲になり、戦後の1945年に国際連合が設立されると、どうして2度の世界大戦を防ぐことができなかったのかと、鈴木義男さんは国会議員になり、積極的平和機構への参加を提案したのだそうです。積極的平和のために、憲法第9条を位置付けていきました(自民党総裁の安倍首相の言う“積極的平和主義”とは違います)。リベラルに受け止め、日本の参加した条約(国際法規)はこの憲法と共に尊重されねばならないと考えていました。

NHKは当時の外務省の萩原徹さんという方の作った?資料を発見したそうなのですが、それによると、当時の外務省は、国際連盟を脱退した戦前の日本の外交をドン・キホーテ式外交と呼び、ドン・キホーテ式外交論が日本の伝統的な外交を破壊したと考えていました。戦前の日本が国連を軽視したことを反省し、新しい憲法で日本を国際秩序の中に入れようと考えていたそうです。そして、憲法を国の最高法規と定めた第98条の第2項に、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」が加えられたということでした。

芦田委員長は、第9条の修正にこれを活かすことにしました。ドラマでは、日本自由党の廿日出ひろし議員や日本社会党の森戸辰男議員が、日本国の恒久平和について、いろいろ意見を出し合ったり、鈴木義男議員が芦田委員長の提案した「声明す」を取って「保持しない」と断言した言い方に変えたりしていました。そして、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という第9条の条文が作られました。9条の冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は、帝国憲法改正小委員会の、政党を超えた14人の国会議員たちの発言で決まったのでした。日本が積極的に国際社会の平和を担おうとする中、先の大戦への反省を込めて、作られたものでした。

1946年の11月3日、『大日本帝国憲法』を全面的に改正した、平和主義と民主主義を重んじる『日本国憲法』が公布されました。公布の時には、「本日、日本国憲法を公布せしめた。この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたものである。即ち、日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである。朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたいと思う。」という昭和天皇の勅語(お言葉)がありました。その時の昭和天皇の白黒の映像が紹介されていました。

『日本国憲法』は、世界の憲法史上画期的なものだということですが、本当にそうなのだなということを改めて思いました。

第二次世界大戦(太平洋戦争)が起きたことにおいて、もしも日本にとって良かったと言うことができる部分があるとするのなら、それは『大日本帝国憲法』が退けられて『日本国憲法』が作られたことだという意見を以前に聞いたことがあるのですが、確かに日本国憲法は、先の大戦が起きなければ、そして日本が大敗しなければ、作られなかったかもしれないものでした。現行の日本国憲法がなかったなら、国民主権も、基本的人権も、個人やその自由の尊重も、平和主義も、女性の参政権(婦人参政権)も、まだなかったかもしれません。

報道によると、先日、安倍首相は、安倍首相を支持する「日本会議」系の集会で、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい、2020年までに第9条を改正して自衛隊の存在を明記したいというような趣旨のことを言ったそうですが、まだ国民の間で憲法に関する議論が進んでいない中、「行政府の長」が、改正することだけを目標に、2020年という時期を先に表明するとか、不気味というよりも、浅薄に思えました。

現行の日本国憲法は、改正されていない憲法としては世界最古の現行憲法だそうですが、大日本帝国憲法も、戦後に日本国憲法に改正されるまでは、一度も改正されなかったのだそうです。よく分かりませんが、もしかしたら、日本人には、最初にちゃんとよく考えて決めて、そうして一度決めたものは守り抜こうというような考え方があるのかもしれないなと思います。

「皇紀」というのは、これもまた明治時代(明治5年の太陰暦を廃して太陽暦を採用した頃)に考え出されたものだそうですが、正式名称は「神武天皇即位紀元」というのだそうで、『古事記』や『日本書紀』で日本の初代の天皇とされている神武天皇(神話上の存在の可能性もあり、実在は定かではない)の即位の年を西暦では紀元前660年として、西暦に660年を足して換算する暦です。

今年の2017年(平成29年)は、皇紀では2677年です。初代の神武天皇から数えると、今上天皇陛下は、第125代の天皇です。中国のほうから伝わった「漢字」も、本家の中国で使われている漢字よりも日本で使われている漢字のほうが大昔の漢字に近いそうですし、世界最古の会社も創業1000年を超える会社の多くも日本にあるそうですし、昔からあるものを長く守り続けるという意識が、日本の人の中にはあるのではないかと思います。

だから、ということばかりでもないですが、70年間一度も改正されていない平和主義・民主主義の日本国憲法を、法律のような他国の憲法の場合と比較して、70年間改正されていないために時代に合わなくなっているから変えるべきだとするのは、間違っているように思います。現行の憲法が、個人の自由を無視する軍国主義を否定し、国家権力が拡大していくことを縛るために作られた憲法だとするのなら、なおさら、現行の憲法に戦前の『大日本帝国憲法』の要素を少しずつ復活させようとする改正案に賛同するようなことは、危険なことであるように思います。

憲法の第99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあります。擁護とは、危害や侵害、破壊を加えようとするものから庇い守ることを意味する言葉です。自由民主党などの与党の議員さんの中には、もしかしたらまだ良い人もいるのかもしれませんが、自民党の結党の目的が改憲だったとしても、アメリカ政府に追従する今の自民党の総裁の安倍首相やその仲間の議員たちによる改憲への言動は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」という憲法の第99条を守っていないものであるように思います。

安倍首相の改憲への姿勢に賛同する方たちは、自分たちも一国民なのに、自分たちの自由や権利、日本の平和な世の中が失われていくかもしれないことになる改憲に、どうして賛同するのかでしょうか。朝鮮半島で争いが起きる度に、憲法を改正しようという動きが現れてくるというのなら、日本の憲法改正は“有事”の発生を希望する人々に利用されていることにもなります。

先日報道されていた日本会議系の集会での映像(昨年の8月8日の天皇陛下のビデオメッセージのように作られていたことにも驚きましたが)の中で、安倍首相が、現行の日本国憲法を改正した後の憲法を、「新しい憲法」と呼んでいたことも、少し気になりました。『あたらしい憲法のはなし』の出版された頃なら、大日本帝国憲法が全面的に改定された日本国憲法は、まさに「新しい憲法」だったのだろうと思います。

先日の憲法記念日の頃には、NHKでも民放でも日本国憲法に関する特集が放送されていました。私も全てを見ることができたわけではないのですが、『日本国憲法』の考え方を一般市民の間に広く教えるためにかるたや、紙芝居や、公民館の普及が役立ったとか、そのような特集を見ました(夕方の情報番組を録画しておいたものです)。

『あたらしい憲法のはなし』は、1947年に出版され、最初は中学1年生の教科書になっていたそうなのですが、吉田茂内閣の頃、1950年に朝鮮半島で戦争が起きると、なぜか副読本として格下げになったそうです。そして、1951年の9月8日に調印したサンフランシスコ平和条約が1952年の4月28日に発効され、連合国による占領が終わって日本の主権が(一応)回復すると、ついに発行されなくなってしまったのだそうです。

戦後すぐの子供たちが日本国憲法について詳しくなったにも関わらず、今の私たちが、あるいは1950年頃に中学生だった方たちが、日本の憲法の内容をよく知らないままでいるということの原因の一端は(自主的に学んでいなかったということもあるかもしれませんが)、政府が子供たちに日本国憲法の内容や理念について積極的に教えなくなったということにもあるのかもしれません。

そして、吉田茂内閣の後の鳩山一郎内閣の頃から、自民党は、『大日本帝国憲法』の全面的な改憲からなる『日本国憲法』の改憲を主張するようになったということでした。

鳩山一郎内閣の次は、石橋湛山内閣で、総理大臣の石橋湛山が病に罹ってしまったために、次に岸信介内閣が作られました。岸信介さんを首相に指名したのは石橋湛山さんだそうですが、昭和天皇からなぜ岸信介を外務大臣に指名したのかとの疑問を直接ぶつけられたことがあるという石橋湛山は、どうしてアメリカ政府とつながって公職復帰した岸さんを次の首相に指名するようなことをしたのかなと、少し不思議に思います。

昨夜のテレビ朝日の「報道ステーション」では、キャスターの富川悠太アナウンサーが芸術家の草間彌生さんに招待されて草間さんの都内のアトリエを訪ねていました。草間さんは、アメリカが没落しかけている今のような不穏な世の中だからこそ、自分の芸術で世界平和を訴えたい、死んでも闘い続けたいというようなことを話していて、短い特集だったのですが、良かったです。

それから、スタジオに来ていた哲学者の國分功一郎さんは、北朝鮮について政府もメディアも危険だと煽り過ぎであり、本当に北朝鮮のミサイルが危険ならばどうして原子力発電所の再稼働を進めるのか、原子力発電所への対策を取らないのかと指摘し、納得できないと批判していました。本当にそうだと思います。危険だ、危険だと言いながら、安倍首相が山梨県の鳴沢村の別荘へ遊びに行ったり、二階幹事長がハワイへ行ったりするというのは、奇妙です。前東京都知事の舛添要一さんが週末に神奈川県の湯河原の別荘へ行ったことなどを危機意識が低いとメディアは批判していましたが、安倍首相や二階幹事長のことになると、メディアは批判しなくなるのでしょうか。

昨夜のNHKの「時論公論」は、小泉進次郎議員などの自民党の若手議員たちが画策しているという「こども保険」についての話でした。まさか「こども保険」なるものの宣伝なのだろうかとも思えたのですが、そういうわけではなかったようでした。私には、「こども保険」は良くないものであるように思えています。「こども保険」は、年金の保険料に保険料を上乗せして徴収し(少しずつ保険料を値上げするようです)、高齢者や子供のいない人にも負担してもらうものにする計画なのだそうですが、社会人の全員が半ば強制的に負担することになるようなものになるのだとするのなら、それは経済的に余裕のない貧しい人からも今以上にお金を取るという政策ということになりますし、「保険料」を払うのが家計の負担にもなっている裕福ではない貧しい家庭の子供たちを社会で支えるためのものだとしながら、結局は貧しい人たちを苦しめるものになるのではないかと思います。(小泉進次郎さんのことは、以前にはしっかりした議員さんのようにも思えていたのですが、最近はあまりそうも思えなくなってきました。「こども保険」の件も、本当に小泉議員たちが考えたことなのでしょうか。そうだとするなら、少し残念です。)

「消えた年金問題」もどうなっているのか分からない、勝手に運用されたりもしている「年金」の保険料に謎の上乗せをするものにするよりは(事実上の増税でしょうか)、今徴収している税金を見直して、その中から子供の教育のためのお金を使うことができるように考えたほうが良いように思います。

憲法改正の話題の時にも出されている「教育の無償化」(完全無償化でしょうか)は、「こども保険」という名前のように、何となく聞こえが良いのかもしれませんが、「教育の無償化」の財源に経済的にゆとりのない貧しい人たちから強制的か半強制的に徴収したお金が含まれているのだとすれば、裕福な家庭の子供も無償化の対象になるということは、裕福な家庭を貧しい家庭が支える、ということでもあります。高齢者にも負担してもらうという発想も、高齢者にはお金があるという思い込みから来ているのかもしれませんが、支給される年金額も減らされていて、医療の保険料も高くなって、ギリギリの生活をなさっている高齢者の方もたくさんいるのではないかと思います。日本にはお金にゆとりのある高齢者がたくさんいるのだという風には、私には思えません。どうしても「年金」の保険料に上乗せして徴収する「こども保険」なるものを与党が作りたいというのであれば、徴収した年金保険料を支払った人に全ての人に返却して一から制度を構築し直し、「年金」の名称も変えるべきだと思います。

報道されていた“バブル期並み”に世の中の景気が良くなっている、という話も、私には、本当であるようには思えません。一部の企業において景気が良くなっているのだとしても、それだけなら世の中の景気が良くなっているという風には言えないのではないかと思います。

例えば、高等学校(公立だけでしょうか。それとも、私立も含むのでしょうか)を「無償化」にしたいのなら、高校を「義務教育」にするという方法もあるように思いますが、高校を義務教育にするという案は、あまり聞かれないように思います。貧しい家庭の子供がお金のためにちゃんと学校へ通うことができないのだとすれば、それはやはり現行の『日本国憲法』の第25条や第26条が、十分に活用されていないからだということもあるのではないかと思います。

昨夜には、ユネスコのイコモスという諮問機関が福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界文化遺産登録を勧告したというような報道もあり、それを聞いて、古代の祭祀や信仰が大切に守られているという沖ノ島が、世界遺産へ行きたい人たち向けの観光ビジネスの場所となって島の自然や文化が荒らされてしまうことになるのではないかと少し不安に思ったのですが、それとは別に、その「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」には、『ユネスコ憲章』というものがありました。1946年の11月に発効となったものだそうです。

私は一部しか知らないのですが、その『ユネスコ憲章』の初めのほうには、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」、「お互いの慣習や生活を知らないことは、人類の歴史を通じて、世界の諸国民の間の疑いと不信との共通の原因となった。諸国民の間の生活や慣習の相違は、このような疑いと不信とを通じて、あまりにもしばしば戦争を勃発させた」、「恐るべき大戦争は終わったが、この戦争は、人間の尊厳と平等と相互の尊重とに関する民主主義の原則を否定し、その代わりに無知と偏見とに乗じて、人間や人種が不平等であるという原理を宣言したために起こった」と書かれていて、本当にそうだなと思いましたし、この文章を書いた昔の人は立派だなと思いました。「世界遺産」なるものを認定する機関のようにもなっているユネスコは、もともとは、戦争のない平和な世界を作ろうという目的で作られた機関でした。

国家権力の暴走を防ぎ国民の自由を守るための「三権分立」も少し怪しくなってきていると言われている日本ですが、今のところはまだ“平和国家”と言えるのだろうと思います。これからもそうであり続けるためには、国民が『日本国憲法』のことを少しでもより良く知って、世界を巻き込む大戦争が集結した直後の社会の中で生きていた日本人がこの憲法を作った時の理念や高い理想を、忘れないようにしなければいけないのだということを、この「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」の番組を見て思いました。良い特集でした。

憲法にも改憲の規定は書かれていますし、現行の憲法を一字一句変えてはいけないとまでは思いませんが、少なくとも自民党の憲法改正草案の内容はぞっとするほど気持ちの悪いものでしたし、あのような思想を根本的に持っている議員たちが今の憲法を変えようとしているのだということを思うと、やはり不穏な感じがします。それに、もしも今の憲法第9条を本当に変えたいと思うのなら、その前に日米地位協定を見直すようにすることのほうが先だと思います。日本が本当に主権国家になっているというのなら、アメリカから日本の制空権を返してもらったほうがいいように思いますし、沖縄県の辺野古の美しい海を埋めて新しく米軍基地を造るようなことはやめて、沖縄から、あるいは日本国内から、米軍基地を一か所でも多く減らすようにしたほうがいいように思います。

報道によると、与党は、今の第9条に自衛隊を認めることをはっきりと明記した第3項を加憲するという提案をしているそうですが、自衛隊が第9条に書かれていることを守る真に自衛のための組織だとするのなら、日本を普通の国と考えていた当時のGHQ民政局の方も言っていた通りに、特に「違憲」の存在にはならないのではないかとも思います。現行憲法のどこかを変えたいと考えるよりも、日本国憲法に書かれていることが今の日本社会の中にちゃんと実現されているかということを、考えたほうがいいのだと思います。(それにしても、またむやみに長い文章になってしまいました。ここまで来て気付きました。それでも、何かのきっかけでこの稚拙な文章にたどり着き、読んでくださった方、ありがとうございます。)
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