「引きこもり」が社会的に良くないとされていること

昨夜のNHKの「クローズアップ現代+」では「自立支援ビジネス」というものの被害のことが伝えられていたのですが、そこに登場していた謎の会社は5月の初め頃にTBSの「NEWS23」の特集で報道されていたのと同じ会社でした。昨夜の「NEWS23」でも再び特集されていて、被害者たちがその会社を裁判所に訴えたということのためか、フジテレビの「ユアタイム」でも同じ会社のことが報道されていたのですが、「ユアタイム」ではなぜかその会社の代表の赤座という元岐阜県警の警察官の名前や声や顔は隠されていました。

外国のことはよく分かりませんが、少なくとも日本では、生まれた人は小さい頃から「将来何になりたいのか」ということを度々訊かれ、社会に貢献する労働者、消費者、納税者(よく働いて適度に物を買い、税金や保険料などを規則通りに国に納めるというような人)になるように生きましょうということを事あるごとに刷り込まれていて、そして、多くのごく普通の一般の人たちは、例えば、ちゃんと学校に通い、ちゃんと卒業し、ちゃんと就職する(仕事を持つ)という風に、「社会人」として生きることができているのだろうと思います。社会(世の中)は社会人で構成されていて、生まれた人が社会人という社会適合者になることを求めているのだろうと思います。だからこそ、学校や会社に通うことができない人、普通の社会人になることができない人(あるいは、そうなることを好まずにあえてそのように生きない人もいるのかもしれません)というのは、社会の中では、単純に、良くない存在とされているのだろうと思います。

でも、人間には、向き不向きというものがあって、いわゆる「社会人」になるということは生活をする力がある人になるということでもあるのだと思いますが、普通の生活をするのに向かない人というのもいるのではないかと思います。「引きこもり」というのは自分の部屋に長く引きこもっている人のことで、私は以前には(TBSのドラマ「3年B組金八先生」の第5シリーズの「ガラスの少年」を見ていた頃には)、引きこもりの人というのは、太っていて、コンピューターゲームのようなものばかりしていて、閉じられた薄暗い部屋を汚く散らかしていて、母親が恐る恐る部屋の前に食事を運んできたり、暴れたり騒いだりして家族に暴力を振るったり、人目を避けるように夜中にしか外出しなかったりする人のことだというようなイメージがありました。ドラマやニュースの再現などで描かれる引きこもりの人はこのような感じだったので、そうなのかなと単純に思っていたのですが、今は、そのような人が中にはいたとしても、そうではない人のほうが実は多いのではないかなと思います。

自分の周囲の人たちやテレビなどに出ている人たちを見ていると、しっかりとした目標や夢を持ってそのために努力をして比較的明るく生きている人たちが多いように思えますし、またそのような生き方が称賛されてもいるので、どちらかというと社会適合者ではない側の私は、そのように生きないといけないのかな、ダメな人間ということになってしまうのかなと、少し不安な気持ちになります。私もその人たちに負けないように頑張ろうなどと、陽気な気持ちになることができるといいと思うのですが、なかなかそうはなりません。元気で前向きに生きることができている人たちはすごいなと思います。

映画「ティファニーで朝食を」の中で、「嫌な赤い気分」を紛らわすためにティファニーのショーウィンドウを見に行く主人公のホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーンさん)のことを、小説家のポール・バージャク(ジョージ・ペパードさん)は、自分一人さえ養えような子なのだと言っていました。「ブルーな気分」とは少し違う「嫌な赤い気分」というものが何なのか、はっきりとは描かれてはいなかったのですが、どうしようもない漠然とした不安感であるようにも思えました。

報道によると、引きこもりの人というのは、18歳から39歳の人の場合、全国に約54万人いるのだそうです。その数が多いのかそれほどでもないのか、私にはいまいちよく分からないのですが、今の世の中で「自立」のための支援が「ビジネス」になるのは、そのことで困っている人がいるからで、困っている人を楽にするところにビジネスとして付け込む隙があるからなのだろうと思います。自分の子供が「社会人」にならないことに困っている親がお金を払って子供を捨てた、という言い方では極端なものになってしまうかもしれませんが、昨夜の悪徳商法のような暴力団組織のような「自立支援ビジネス」のことを伝える報道番組を見ていて、何となくそのようにも思えてしまいました。

「スピリチュアル」に詳しいような方たちは、子供は親を選んで生まれてきたなどと言いますが、生まれた子供が親や国を選んで生まれてきたのかどうかは分からないことですし、それは親になった人たちに、だから自分を選んで生まれてきてくれた子供のことを大切に思いましょう、というような意味で言った言葉というくらいのことなのかもしれませんが、子供の側の「自己責任」のようになったら嫌だなと、昔にその言葉を聞いた時には思いました。普通に考えると、生まれた子供が、自分がどのような環境に生まれ、その後どのように生きなければいけないかということを、事前に知って考えて生まれてきたという風には思えません。上手く伝えることができないのですが、例えば、生まれた子供は、自分が後に「社会人」にならなければ存在を全否定されるような存在だとは知らずに生まれて来たのではないかと思うのです。

「引きこもり」にはその反対の、対義語のような言葉があって、それは「外こもり」というのだそうです。日本では「引きこもり」と違ってあまり問題視されていないように思えますが、「外こもり」は物理的には家の外に出ているために社会に適応しているように見えるからなのかもしれません。少子化問題を心配している政府は、少子化によって納税額が減り、今の国の在り方が少しずつ衰退化していくことを恐れているようなのですが、生き辛さというものがそれぞれの人たちの中で解消されない限り、人の数はこれからも減り続けていくのだろうと思います。誰かが誰かを生んだとして、身体に障害があるとか無いとかそのようなことではなく、もしも、その生まれた人がいつか社会に適合した社会人になることができなかったとしたなら、この世界に夢や希望や目標を持つことができなかったとしたなら、それはかわいそうなことのように思います。一度この世に生まれてしまったら、世の中に合わずに生き辛さを感じていたとしても、基本的には、そのまま生きていなくてはいけないからです。

世の中に自らの力で自分の居場所を見つけることができ、ある程度楽しく前向きに自分を変えて生き続けることができているような多くの人たちには、もしかしたら分かり難いことなのかもしれませんが、生きることに辛さや苦しさや悲しさや虚しさを感じているような人たちがそれでも生きやすいと思えるような世の中に、少しずつでも変わっていくといいなと思います。先進国と呼ばれているような国々で人々の数が減り、19世紀以降の産業革命的な近代化の流れが衰退していくのなら、ほとんど何もしていなくても世の中は川の水が流れていくように変わっていくのかもしれませんが、それは平和的な良い方向に流れているものだといいなと思います。
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