「戦後72年の郵便配達」のことなど

今日は、アメリカ軍の原子爆弾が長崎に投下されてから72年目の日です。日本は唯一の戦争被爆国なので、その点では、広島は世界最初の被爆地であり、今のところは、長崎が世界最後の被爆地です。日本が話し合いに参加していない核兵器禁止条約は国連で採択されましたが、長崎が最後の被爆地という今の状況を世界の各国の政治家が維持していくようにしてほしいと思います。

先日のNHKのBS1で放送されていた「BS1スペシャル」の「戦後72年の郵便配達」を見ました。

太平洋戦争中に戦地と故郷とをつないでいた軍事郵便と呼ばれる手紙の中には、文書や日記などと共に、日本軍の動向を探るための資料や戦利品としてアメリカ軍に押収されたものもあったそうです。番組を見て、日本軍の検閲の判子や押収されたことを示すアメリカ軍の判子の押されている手紙(葉書)がオークションで売買されているということを知り、少し驚きました。

兵庫県の龍谷寺というお寺の住職さんは軍事郵便の収集家で、納屋に積まれた箱の中にはたくさんの古い郵便物が納められていました。供養のために一か所に集めていると話していた住職さんは、手紙に記されている名前の人を探し出して本人や遺族に届けるというようなことはしているのかと訊かれて、そうしたいけれど個人情報の問題もあって自分の能力では難しいという風に答えていました。そのようなことから、番組のスタッフの方たちが住職さんの代わりに、72年前の手紙を届けることにしたようでした。

でも、手紙に名前や住所が記されているといっても、配達は簡単なことではなかったようでした。東京の下町のような人の入れ替わりが多かったり区画整理や再開発の進んだりした町で70年以上前の特定の誰かを探すということは、ほとんど不可能であるようでした。

手紙をスタッフの方たちが直接届けることができたのは、静岡県や長野県で暮らしている遺族の方でした。都会よりも、昔からその場所に住んでいるという方の多い田舎の地域のほうが、72年前の手紙の送り主や宛先に書かれている人の手掛かりを見つけることができるのかもしれません。

硫黄島やペリリュー島などの激戦地となった南の島々から日本の故郷へ送られるはずだった昔の人の手紙の文章が美しいので、そのこともあってより悲しい気持ちになったのかもしれないと思います。日本軍側の検閲もあるので、兵士が戦場の様子などを内地の人に書き送るようなことはそもそもできないのかもしれませんが、相手のことを心配したり元気付けたり、日本の季節を思ったりするような優しい内容の、日本にいる大切な人へ届けられるはずだったその手紙には、戦地で辛い思いや苦しい思いをしていたはずの送り主の命が詰まっているような気がしました。

静岡では、兄を戦争で亡くした妹の方に手紙が届けられました。兄の戦死の知らせはあったものの、遺骨などはなく、紙一枚だけだったそうです。長男の戦死の知らせを受けた母親は、悲しみのあまりに心を病んでしまったのだそうです。遺族の妹の方は、手紙を兄のお墓の前に置いて、手を合わせていました。

長野では、手紙の宛先のときさんが通っていたろう学校や遺族会から、ときさんの長男の進さんにたどり着き、ときさん本人に直接手紙を届けることができました。戦後、結婚して神奈川県の横浜で暮らしていたというときさんは、今は川崎の福祉施設で暮らしているということでした。母は最近はいつも戦死した兄の話ばかりしていると、長男の方は話していたのですが、ディレクターの駒井さんから軍事郵便の葉書を渡されたときさんは、本当に嬉しそうでした。ときさんは、お兄さまにとても感謝していました。兄のおかげでろう学校(当時は聾唖学校という名前だったそうです)へ入ることができ、結婚することができて、自慢の長男にも恵まれたのだと話していました。駒井さんはときさんに、今のときさんのことを知ったらお兄さまも喜ぶと思うと伝えていたのですが、番組を見ていた私も、本当にそうだろうなと思いました。

奥住隊という部隊に所属していたときさんのお兄さまは、昭和19年の9月、ペリリュー島の最前線でアメリカ軍の上陸を食い止めるために戦っていて、退却して3日後に総攻撃に遭い、玉砕したということでした。葉書に日本側の検閲の判子がなかったのは、玉砕してしまったのが手紙を出す前だったからでした。

番組では、アメリカ軍の海兵隊の諜報部隊にいたというシークスさんという方に、アメリカ軍が集めようとしたり取るに足らないものと考えたりしていた日本兵の軍事郵便の内容を伝えていました。アメリカ軍は戦争が始まってから日本の情報を知ることができる人が足りないということに気付き、日本のことを知る研究者や学生を諜報部員として集めたそうです(日本文学者のドナルド・キーンさんも、コロンビア大学で日本文学を研究していて、太平洋戦争時には日本人の捕虜の通訳をしたり日本兵の日記を読んだりしていたそうです)。シークスさんは、ハーバード大学の2年生だった頃、中国文学を学んでいたというような理由で呼ばれたそうなのですが、短時間に日本語(外国語)を覚えるのは大変なことで、ノイローゼになる学生もいたのだそうです。

シークスさんは、ときさんの兄の手紙の文面を通訳を介して聞いて、胸が詰まると話していました。内地は秋の運動の季節でしょうと始まっていた手紙は、兄も負けないぞ、戦に勝たずば生きて帰らぬ覚悟で、と結ばれていました。

届かなかった軍事郵便がたくさんある中で、2通だとしても、番組でご遺族の方に72年前の手紙を届けることができたというのは、本当にすごいことだと思います。手紙を受け取った遺族の方が、本当に嬉しそうだったのが印象的でした。何十年経っても、亡くなった大切な人のことを忘れることはないのだと思いました。単純ですけれど、戦争は本当にあってはいけないものだと思います。


先日の8月6日のお昼頃に放送されていたテレビ朝日の「ザ・スクープスペシャル」の「ビキニ事件63年目の真実」は、アメリカ軍の「キャッスル作戦」という核実験の一つの1954年の3月1日の水素爆弾「ブラボー」の爆破実験によって放射能に汚染され、人体実験のサンプルデータとして扱われた、マーシャル諸島のビキニ環礁(ビキニ島)やロンゲラップ島(ロンゲラップ環礁)の住民たち、日本の遠洋漁船・第五福竜丸の大石又七さんたち乗組員の苦悩を伝える特集でした。

最近は日本政府が公文書を蔑ろにしているという報道をよく聞くので、アメリカでは当時の公文書が無事に残されて慎重に保管されて公開されているということに関しては本当に立派だなと思うのですが、そのアメリカの公文書館に残されている「プロジェクト4.1」という「被曝した人間に関する研究」の文書には、水爆実験に関して、「人間ボランティア」による人体実験が必要だということが書かれているそうです。島民のことを「ネズミよりも人間に近い」と表現していることにもぞっとしました。水爆実験の際、ビキニ島の人々は強制移住させられていたそうなのですが、ロンゲラップ島の86人の人々はそのまま残されていたそうです。静岡の焼津の第五福竜丸の乗組員の方と同じように、虹のような色とりどりの太陽のような強い光を見たり、白い灰を浴びたりしたそうです。島の子供たちは、今は「死の灰」と呼ばれている放射性物質の白い灰を、絵本でしか見たことのない雪だと思って遊んでいたということでした。

被曝した島の人々は、アメリカ人の医師によって治療もされず、検査や観察だけされたのだそうです。「水爆実験によって被曝した人間の完全なデータ」を得るために、被曝した島の人々に抗生物質の投与を行わなかったそうです。第五福竜丸の乗組員を診ていた新谷和夫医師は、アメリカ政府にはデータを渡さないようにしていたと話していたのですが、アメリカは完全なデータを失ったと憤り、最初に亡くなった久保山愛吉さんの病理解剖にはアメリカ人医師が立ち会って、その骨や細胞の組織などをアメリカへ持ち帰ったのだそうです。

ビキニ島の人々は、アメリカ政府による嘘の「安全宣言」で一旦は帰島したものの、ほとんど除染されていない島で病状の悪化する人や死亡する人が続出し、再び全員で島を離れ、今はアメリカ政府が住宅を用意したキリ島という小さな島に移住しているそうなのですが、キリ島は温暖化か何かの影響で水没の危険にさらされていて、島民選挙の結果、アメリカ本土への移住を決めたということでした。環境の変化によって移住を余儀なくされた人々のことを「環境難民」と呼ぶそうです。アメリカの核実験によって内部被曝者となった島の人々は、同時に環境難民でもあるということでした。

2011年に原発事故のあった福島を3年前に訪れたというロンゲラップ島の国会議員の方は、放射性物質の汚染によって故郷を離れなければいけなくなった福島の人々にも思いを馳せていました。広島に投下された原爆の千倍の威力があったという水爆実験の被害と東京電力の原子力発電所の爆発の被害とは異なるとしても、土地が放射能に汚染されたというところは同じです。ビキニ島には2010年にも「安全宣言」が出されたということなのですが、島の土地全体が除染されたわけではないと知っている島民の方たちは、帰還したい思いはあっても、毒があるからと、帰還しなかったそうです。

第五福竜丸の事件後、日本では反核運動が盛んになったため、日本に原子力の平和利用というものを普及させようとしていたアメリカ政府は、日本人の原子力への拒絶感をなくすため、乗組員の病気は珊瑚の飛散の化学反応の影響によるものだと嘘を吐いて、事故の事実を隠蔽し、日本人を騙そうとしていたそうです(昔の大阪万博も原子力発電所の普及に利用されていました)。日本政府も、謝罪をしないアメリカ政府からの僅かな「見舞金(慰謝料)」(賠償金ではない)を受け取り、「最終解決」に合意し、被曝の検査を行わなかったそうです。そして、アメリカとの最終合意を守っている?日本政府は、公式には今でも第五福竜丸事件の元船員の方の病気と被曝との因果関係を認めていないのだそうです。

アメリカ政府がマーシャル諸島の人々を、帰還しなければ支援を打ち切ると脅したという話を聞いて、日本政府と福島の場合にも似ているように思えました。「除染」がなされた村に帰還する人々の住宅支援の期間は延長されたということは報道されていましたが、自主避難者への住宅支援は打ち切られてしまいました。政府には、被災した方々が救われるような支援を早く行ってほしいと思います。

それにしても、核実験を地上で行うことは禁止されているものの、地下で行うことはまだ禁止されていないということなのですが、地下で行われている核実験による放射性物質の汚染は、どのようになっているのでしょうか。山の木にも水にも、そこで暮らす小さな生き物たちにも、川にも海にも影響があるように思うのですが、例えば北朝鮮による核実験の際に、日本政府が「核の脅威」ということを言っても、環境破壊や環境汚染のことを言わないのはなぜなのでしょうか。地下は一体どのようなことになっているのだろうか、本当は大変なことになっているのではないかと、環境被害が少しも報道されないことを少し不思議に思います。


BS日テレの「深層ニュース」では、オバマ前アメリカ大統領が広島を訪問した際に慰霊碑の前で抱きしめていた被爆者の森重昭さんが、広島で12人のアメリカ兵が被爆していたという事実を独自に調査してきたことの思いを伝えていました。調査を始めるきっかけは、「原爆の絵」にアメリカ人が描かれているのを見たことだったそうです。

森さんは、オバマ大統領が公の場で森さんの功績を認めたということに、本当に感激しているようでした。飛行機が撃墜されて日本の捕虜となったカートライト機長は、東京に移送されていたので被爆を免れたそうなのですが、捕虜となった部下たちが広島の収容所の上で爆発した原爆によって亡くなったことに、長く苦しんでいたようでした。カートライト機長は、息子を連れて原爆ドームの前に立った時、これが戦争だ、と叫んだそうです。森さんは、カートライト機長とは、市民と市民も国と国も同じで、話し合いが大切だという意見で一致したそうです。最初の攻撃もいけないけれど、「仕返し」の連鎖が悲劇を生み出すのだということを話していました。

アメリカ政府は戦死者を「英霊」とするために、被爆の事実を遺族にも隠していたそうで、森さんが被爆したアメリカ兵の遺族の方たちに連絡を取ると、家族の最期を知ることができて良かったと喜んでいたそうです。「戦後72年の郵便配達」の中で「軍事郵便」を受け取っていた方もそうでしたが、戦死の事実がよく分からないまま60年も70年も過ごしてきた家族にとって、遺品が戻ってきたり、その死の真相が判明したりするということは、本当に嬉しいことなのだろうと思いました。

戦争関連の番組は、最近はまた減ってきているのかもしれないと思いますが、70年ほど前には日本も戦争を行っていたということを忘れないようにするためにも、必要なものだと思います。安倍政権が日本を再び“戦争のできる国”に変えようとしているのではないかという不安もまだ払拭されていませんが、72年以上前の頃の世の中を生きていない私には、知らないことがまだたくさんあるので、今や未来のことを考えるためにも、過去の歴史を少しでも知ることができるといいなと思います。


ところで、昨日の報道番組で、「第3次安倍第3次改造内閣」で沖縄・北方担当大臣に任命された自民党の二階派の江崎鉄磨衆議院議員が、午前の閣議後の記者会見で、沖縄の米軍基地から飛んだオスプレイが沖縄の名護市の海やオーストラリア沖に墜落したことについて、「日米地協定をもう少し見直さないと」と述べている映像を見て、驚きました。日米地位協定は直すところは直すという交渉にするべきだ、時間がかかってでも沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止めながらアメリカには言うべきことは言いながら見直すべきという考えを持っている、ということを話していたようなのですが、安倍政権の閣僚議員で日米地位協定の見直しに言及する政治家がいるとは思いませんでした。

江崎大臣は、昨日就任後初めて沖縄を訪問し、翁長知事と会談をしたそうです。しばらくは文章を「朗読」していたのですが、その後の、沖縄のファンです、のところは自分の言葉で話したのか、紙を見ていませんでした。日米地位協定を見直さないと、と述べたことについて、地位協定のあるべき姿を追求していくべきではないかとの気持ちを申し上げた、と記者たちに話したそうです。日米地位協定の見直し発言については、安倍政権の方針に沿ったものだとメモを読んでいたのですが、安倍政権は地位協定の見直しを掲げてはいないので、メディアでは「異例の発言」と言われています。

また、終戦記念日の前後に靖国神社を参拝するかどうか記者に尋ねられて、「十数年来、靖国は出かけておりません。理由はできうれば分祀かな」と、靖国神社に合祀されたA級戦犯を分祀することが望ましいという意見を述べていたことにも驚きました。これもまた、安倍政権の中でこのような発言をする議員がいるのかと、意外に思いました。でも、正直そうで、面白く思いました。

沖縄・北方担当大臣に決まった時、安倍首相からの大臣の要請を「重荷」だと断ったのを二階俊博幹事長に叱責されたので入閣したというようなことを話していましたが、総務大臣になった野田聖子議員や外務大臣になった河野太郎議員よりも、今の官邸から遠い意見を持っている議員なのかもしれないというか、安倍首相と意見が異なるから安倍内閣に入りたくなかったなのかなとか、安倍内閣に入りたくなかったから「異例の発言」を行っているのかなとも思いました。私はこれまで江崎議員のことを知らなかったのですが、ゆっくりとした口調で穏やかに話す方という印象です。良い人物だといいなと思います。

その一方で、報道によると、学校法人・森友学園の問題で安倍首相寄りの発言を貫いて国税庁長官に“栄転”した佐川宣寿前財務省理財局長は、「諸般の事情により」就任の記者会見を開かないそうです。これも「異例」のことだそうなのですが、佐川国税庁長官は森友問題について訊かれることから逃げているようです。

小池百合子都知事が創設した「都民ファーストの会」から派生した国政政党の「日本ファーストの会」が設立されたという報道もありますが、どうして「国民ファースト」ではないのかということよりも、アメリカのトランプ大統領のような「ファースト」を使う流れはやめたほうがいいように思いました。それに、「日本ファーストの会」の「日本」が、「日本のこころを大切にする党」?(安倍首相を応援している政党です)の「日本」のようで、少し不気味に思えました。

あと、報道によると、昨日の8日の夜、中国の四川省のアバ・チベット族チャン族自治州の九寨溝でマグニチュード7の地震が発生したそうです。地元メディアの発表では、13人の方が亡くなり、175人の方が負傷したのだそうです。今回の震源地は、2008年に起きた四川大地震の時の断層と重なる場所にあるのだそうです。世界遺産になっている九寨溝を、私はテレビの映像でしか見たことがないのですが、山梨県の西沢渓谷の七ツ釜五段の滝の規模の大きなものというか、山からの石灰岩の成分が積もったところに流れる水は透明で、とても青くて、昔にこの九寨溝のことを知った時には感動しました。紅葉もきれいなのだそうです。石灰の成分が溶けているので飲料水にはならないそうなのですが、生き物がいなくて、落ち葉や枯れ枝も腐敗していない青い水の風景を見ていて、チベットのほうにはこのような美しい場所があるのだなと思いました。九寨溝の近くにある黄龍という石灰棚の池も、青くてきれいでした。地震の状況がよく分からないのですが、災害が拡大しないといいなと思います。
プロフィール

Author:カンナ
ブログ初心者です。
感想などを書いています。
マイペースで更新します。
すきなもの
 月・星空・雨・虹・雪
 飛行機雲・入道雲・風鈴の音
 透き通った水・きれいな色
 富士山・東京タワー・ラジオ・音楽
 本・絵画・ドラマ・(時々)アニメ
 掃除機をかけること
にがてなもの
 人ごみ・西日・甘すぎるお菓子
 

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム