「返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-」と、72年目の終戦の日

今日は、第二次世界大戦、太平洋戦争が終わってから、72年目の終戦の日です。

この夏の時期になると、戦争関連のドキュメンタリー番組がまとまって放送されるようになり、戦争時代を直接知らない私もそのいくつかを見ています。昨日には、NHKの総合テレビでは、「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」が放送されていました。天皇陛下の玉音放送の流れた8月15日の後もなぜかソ連(ロシア)兵との戦闘が続けられ、5千人とも6千人ともいわれる犠牲者を出したという北方領土の一島の樺太(サハリン)の7日間の悲劇を伝える特集でした。

8月15日には直前の停電で玉音放送が流れず、樺太の住民たちは直接終戦を知ることができなかったのだそうです。上層部は終戦を知りながら、住民たちにその事実を隠し、女性や子供を含む民間人を「義勇軍」として、「樺太死守」を命じたということでした。終戦後の樺太に上陸してきたソ連兵に日本兵が先制攻撃を行ったことが、7日間の地上戦の始まりなのだそうです。樺太に兵力が残されていないことを知っている第88師団の参謀長の鈴木康大佐は、樺太死守の命令を訝しみ、住民たちを南へ疎開させようとしていたそうなのですが、大本営から武装解除の命令を受けた陸軍の北方第5方面軍司令官の樋口季一郎中将は、北海道がソ連に奪われることを恐れて(裏でアメリカ政府とソ連政府が占領する地域についての交渉を行っていることを知らなかったそうです)、日本兵や民間人に樺太死守を命じたそうです。日本兵は命令を守り?ソ連兵と戦うために、殺戮や暴行や、集団自決に直面していた民間人を助けなかったのだそうです。

司令官の樋口季一郎さんという名前を聞いたことがあるように思えたのですが、ナチス・ドイツに迫害されていた多くのユダヤ人を助けたという「ヒグチ・ルート」の樋口季一郎さんでした。樋口中将はナチス・ドイツからユダヤ人を救うという立派なことをした一方で、ソ連兵から樺太の人々を救うことはできなかったのかと、何だか不思議なというか、複雑な感じがしました。

「本土」を守るためにその端の島の人たちが犠牲になったという点で、義勇軍の兵士たちが作られていたというところもそうなのですが、終戦後(敗戦後)の樺太の地上戦は、沖縄戦とも似ているところがあるように思えました。

資料から導き出したデータ上の数字を知ることも大切かも知れないとは思うのですが、実際にその戦争を生き抜いた方の証言を聞くほうが、戦争の怖さを知ることができるような気がします。

作家の保坂正康さんは、戦争で犠牲になるのはいつも下の人たちで、命令を出した上層部の人物やその命令の実行を指示した人物の責任の所在が日本の場合はあまりにも不明瞭なので、責任がどこにあるかということを今も考えなければいけないというようなことを話していました。本当にそうだと思います。最近の、自衛隊の日報問題や学校法人・森友学園問題や加計学園問題や東京オリンピック関連の問題や築地市場豊洲移転の問題などでもそうですが、資料が隠されたり、誰が本当の責任者なのか分からなかったりするというようなところは、戦争時代の72年前とあまり変わっていないのかもしれません。

そのような酷い出来事のあった樺太など4島の北方領土は今も「本土復帰」をしていませんが、沖縄は「本土復帰」をしました。

終戦記念ドラマかどうかは分からないのですが、戦争関連のドラマの一つとして、先日に録画をしておいた、NHKのBSプレミアムで放送されていたスペシャルドラマ「返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-」を見ました。

戦時中には海軍の通信兵として埼玉で沖縄を攻撃するアメリカ軍の無線の音声を聞いていることしかできなかったという千葉一夫(井浦新さん)が、戦後、一緒にアメリカ留学をした妻の千葉惠子(戸田菜穂さん)に沖縄を取り戻すと宣言し、外務省の北米第一課長として琉球政府の行政主席の屋良朝苗(石橋蓮司さん)と話し合い、上司の北米局長の西條公彦(佐野史郎さん)や部下の倉持さん(中島歩さん)と共に、住民の生活拠点をアメリカ軍に占領され、嘉手納基地の知花弾薬庫に毒ガスや核兵器まで配備されていた、B52の墜落爆発事故の起きた沖縄の、「核抜き・本土並み」以上の返還交渉に挑む話でした。

ドラマの原案は、私は未読なのですが、宮川徹志さんの著書『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』です。

作(脚本)は西岡琢也さん、音楽は大友良英さん、演出は柳川強さんでした。語りは、俳優の仲代達矢さんでした。

先の「アナザーストーリーズ」の「沖縄返還~祖国復帰 運命の1日~」は、1972年(昭和47年)5月15日の午前0時に27年ぶりに日本に復帰した沖縄の人々の複雑な思いや沖縄の人々の財産をいかに守るのかという琉球政府の交渉の舞台裏を伝える特集でした。

その番組を見たということもあって、先日にこのスペシャルドラマ「返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-」の放送を知ってから、見るのを楽しみにしていたのですが、とても良かったです。

戦時中には上陸してきたアメリカ軍と戦い、日本の敗戦後は、進駐したアメリカ軍によって生活環境を奪われ、半ば強制的に軍事基地を建設され、ベトナム戦争の拠点ともされてしまった沖縄は、1971年に調印された日本政府とアメリカ政府の「沖縄返還協定(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)」によって翌年日本に復帰したということなのですが、その裏には、佐藤栄作総理大臣の「密約」もあったということが今では知られています。

「核抜き・本土並み」と言われていますが、有事の際にはアメリカは日本に核兵器を持ちむことができるそうですし、本土で削減された米軍基地の負担は沖縄へ移ったそうです。

井浦新さんの演じる外交官の千葉一夫さんは、沖縄を取り戻すために外交官になり、そのための理想を追求する人でした。北米局長の西条さんは千葉さんを支え、琉球政府の屋良さんは沖縄の苦しみに寄り添う千葉さんを信じていたのですが、駐米大使の植田啓三(大杉漣さん)や西條さんの次の北米局長の石野文男(尾美としのりさん)は、アメリカに従う政策を支持する人たちで、千葉さんとは合いませんでした。

1970年の沖縄では、アメリカ軍の兵士が起こした交通事故をきっかけに、沖縄の人たちがアメリカ軍兵士の車を燃やすという事件が起こったそうで、千葉さんはそれを「ゴザ騒動」と呼んでいたのですが、石野さんは「ゴザ暴動」と呼んでいました。英語の得意な千葉さんが職員との会話の中に時々英語を盛り込んでいる感じが何だか面白くも思えたのですが、千葉さんは言葉にこだわる人でもあったのかなと思いました。確かに、「騒動」と「暴動」では印象が大分異なります。

沖縄の人々のシーミー(晴明祭)を見て心を動かされていた千葉さんは、両親を“戦争”で亡くしていたのですが、それは、日本のポツダム宣言受諾後の心中(自殺)でした。仏壇には、千葉さんの両親の遺髪を納めた箱がありました。外交官だったという千葉さんの父親が、何を苦にして妻と共に自殺を決行したのかはよく分からなかったのですが、そのように両親を失った千葉さんは、外交官として理想を貫く道を選んだようでした。

千葉さんの妻の惠子さんが話していたように、実現が難しそうに思えても、「理想」を捨ててはいけないのだと思います。理想と現実は反対語のように使われていますが、理想を追求することと現実的であることは、本当には矛盾しないのではないかとおもいます。井浦新さんの演じる外交官の千葉さんの、熱心な感じも良かったです。ドラマのエンドロールの場面に、実際の千葉夫妻の写真が出ていたのですが、ドラマの千葉夫妻と何となく似ているように思いました。

ベトナムへのアメリカ軍の自由出撃を拒絶していた千葉さんは、交渉の末、一応「核抜き・本土並み」の沖縄本土復帰を実現することができたのですが、米軍基地が残されている現状や、自由にお墓参りができない現状を変えることに取り組もうとした矢先に、葉巻趣味の局長の石野さんから、ロシアのモスクワへの異動命令が下されていました。北方領土返還の仕事かと思ったのですが、そうではなく、総務の事務の仕事だったようでした。琉球政府の行政主席の屋良さんは、これからは後継者に任せようと、千葉さんのこれまでの努力を労い、前進するという意味の、紅型の馬の絵を贈っていました。

晩年、千葉さんは、妻の惠子さんと沖縄を訪れたようでした。米軍基地の前で先祖供養のシーミーを行っている家族と出会い、「沖縄を取り戻す」という誓いを新たにしていました。実際の千葉さんの活動のことは私には分からないのですが、日本のために、沖縄のために、沖縄を取り戻すのだという思いは、今でも貫かれていくべきものなのだと思います。アメリカ政府と粘り強く交渉を続けた千葉さんとその妻の絆を描く物語であり、今の沖縄の人たちや沖縄以外の都道府県の人たち、様々な交渉を頑張っているであろう外交官の方たちを応援する物語でもあったのだと思います。良いドラマでした。昭和60年代かた70年代にかけての物語ということで、映像や演出などにちゃんと昭和の雰囲気があったところも良かったように思います。

あと、このドラマとは関係のないことなのですが、先月のNHKの「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」という番組では、二週に渡って沖縄の名前特集が放送されていて、これもとても面白かったです。武士の幼名とは異なる童名(わらびなー)とか、沖縄の方の名前には、土地や先祖や家族や地域社会を大切に思う気持ちが深く込められているのだなと思いました。青い海の風景も相変わらずきれいだったのですが、「薩摩芋(サツマイモ)」が本当は琉球の人たちが持ち帰った「琉球芋」だったということも、初めて知りました。


ところで、昨夜の日本テレビの「NEWS ZERO」の嵐の櫻井翔さんの「イチメン!」では、浅井利彦さんという医師の残した、8002人の兵士の病状の記された「病床日記」のことを伝えていました。カルテを読むと、兵士たちには、戦争神経症という、今のPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状があったことが分かるそうです。キャスターの村尾さんは、戦争は恐ろしいものだけれど、戦争を知ることこそ戦争を止める大きな力になると話していました。

TBSの「NEWS23」では、長野県の松代町の舞鶴山や皆神山や象山の地下に建設されていた巨大な政府施設のことを伝えていました。洞窟のような場所だったのですが、「本土決戦」を考えていた当時の日本軍や政府が戦争を続けるために、「日本の中枢を丸ごと移設する場所」を、たくさんの人を動員して、僅か9か月で作ったものだということでした。壁の一部には、日本語で何か言葉が書かれていたのですが(「バカヤロメ」などとも書かれているそうです)、ハングル文字でも何かが書かれているそうです。7000人くらいの方が動員されてその洞窟を掘っていたということなのですが、建設中の事故も何度か起きていたのだそうです。終戦の翌年?には、「日本一の無用の長物」と言われていたそうです。キャスターの星さんは、冷静な議論が通じないのも戦争の怖さだと話していました。

その謎の巨大施設(現在は一部が気象庁の地震観測所としても使われているそうです)が長野県の山の中に作られたのは、「信州=神州」という発想からだったのではないかという説もあるそうです。古くからの伝承なのか、験担ぎのようなものなのか分かりませんが、確かに、会社(宮坂醸造)の創業地が長野県だという「神州一味噌 み子ちゃん」は「信州」ではなく「神州」になっているなと思いました。
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