「731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」

先日の日曜日にNHKの「NHKスペシャル」で放送されていた「731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」を見ました。

大日本帝国陸軍の関東軍の「731部隊」のことは、これまでにも何度か、NHKだけではなく民放でも特集されていました。この部隊について書かれた本としては、『悪魔の飽食』という森村誠一さんの昔の小説が有名ですが、私は未読のままです。人体実験を行う731部隊の存在を小学生か中学生の頃に知った時には本当に驚いたのですが、以前はこのような戦時中の関東軍の「加害」の歴史もちゃんと伝えていたのだと思います。

1932年に陸軍軍医学校防疫部に軍医の石井四郎が所属する防疫研究室が作られたというところから始まっているそうなのですが、1936年の満州国に関東軍防疫部が作られ、1940年に関東軍防疫部は関東軍防疫給水部となり、その本部が「関東軍防衛給水部本部」、通称「第731部隊」ということでした。部長は軍医の石井四郎でした。旧ソ連軍と戦うための細菌兵器を開発していたそうなのですが、細菌兵器は当時国際条約で禁止されていたため、「防衛目的」の研究として密かに進められていたそうです。

中国のハルビンの平房という町には、本部跡が残っているそうなのですが、建物は1945年の8月9日のソ連軍の侵攻を知った日本軍が帰国する前に証拠隠滅のために爆破したのだそうです。

731部隊に所属していた方の証言があるにも関わらず、これまではロシア側の文書記録しかなかったために?731部隊の人体実験の事実を嘘だとか捏造だとか主張する方も時々いたそうなのですが、大学などの数百件の資料を調べたという今回の番組の調査の中で、ロシアのモスクワで1949年のハバロフスク軍事裁判の22時間の音声データ記録が見つかり、生きた人間を実験材料としていたという事実を証言する、当時の731部隊の軍医や憲兵や衛生兵たち12人の声を聴くことができたということでした。

テープの中の衛生兵の古都さんは、ワクチンの効果を調べるために中国人や満州人50人に砂糖水の中にチフス菌を入れて飲ませて感染させるという実験を行い、12名か13名亡くなったと記憶していると証言していました。軍医の西さんは、4、5人の「囚人」の部屋にペスト蚤を入れてペストに感染させるという実験を行ったと証言していました。

番組で紹介していた写真に写っていた3人の「囚人」は、柱に括りつけられていました。戦時中の、昭和初期の当時、日本人は、日本の統治に反対する中国人や満州人やソ連人たちのことを「匪賊(ひぞく)」と呼び、スパイや思想犯として捕えていたそうです。『関東軍憲兵隊司令部警務部長通達』という資料には、「スパイとして利用価値無き者」を、裁判を経ずに、731部隊へ実験材料として送っていることが記されているそうです。送られた人たちの中には、女性も子供もいたのだそうです。

731部隊の第一部(細菌研究)の部長の川島清さんは、「乳飲み子を持っていた女性」もいたことを証言し、感染させた後治療をするが、他の実験に供され、死ぬまで実験を繰り返したと証言し、あなたが勤務中に生きて監獄を出たもの一人もいないということかと訊かれて、その通りであります、と答えていました。

元少年隊員だったという当時14歳の三角さんという方は、事実を知ってほしいと初めて取材に応じたということでした。三角さんは、731部隊の所有する飛行機の整備を担当していたそうなのですが、「丸太(マルタ)」と呼ばれている頭を丸坊主にされた囚人たちが施設に運び込まれ、杭に一人ずつ繋がれているのを見たそうです。三角さんは、「各界の権威」から一年間、細菌の教育を受けたそうです。

元少年隊員の須永さんという方は、医学者たちの資料を保管していて、731部隊の戦後の「戦友会」の名簿を見せてくれたのですが、そこには、東京大学や京都大学、慶応大学、北海道大学、金沢医学大学、東北大学、麻布獣医大学、北里大学など、たくさんの有名な大学の名前がありました。731部隊には、全国の大学から、医学者や理学者や薬学者などの権威が集められていたそうなのですが、資料によると、約10校の大学から40人の研究者が731部隊に集められていたのだそうです。研究者たちは、技師として軍属になり、将校として部隊の中枢にいたのだそうです。

11人の技師を満州の731部隊に送った京都大学の文書館には、当時の文部省と大学の往復書簡が残されていました。その中から、731部隊から大学に贈られた特別費用の書類が見つかったそうです。お金は個人に渡されていて、1600円(現在の500万円)を受け取っていたのは、田部井和(かなう)助教授でした。田部井助教授は731部隊の第一課(チフス)の課長を務めていて、研究班の責任者だったそうです。

田部井さんの部下の古都さんは、チフス菌を注射したスイカの中に菌が繁殖しているのを確認してから満州人と支那人にそれを食べさせましたと証言していました。スイカを食べた人全員がチフスに感染したそうです。田部井助教授は、人体実験をしていました。

京都大学から教授たちが送られた背景には、京都大学の医学部長の戸田正三という人が軍と結びついて研究費を集めていたという背景があったようでした。1943年の研究報告書には、防寒服研究費や衛生研究費などで、現在の2億5千万円を軍から受け取っていたことが記されているのだそうです。

軍部と大学が結びついたのは、1931年の満州事変がきっかけだそうです。国民は満州事変での日本軍の活躍を支持し、大学は満州の病院へ派遣するようになると、各大学で「防疫活動」のポストを争うようになったのだそうです。京都大学の戸田正三医学部長は、医学者も国の満州進出に貢献すべき、と考えていて、731部隊が作られると、そのために巨額の国家予算が使われるようになったということでした。

731部隊の川島部長は、裁判記録のテープの中で、昭和15年には1000万円(現在の300億円)の予算が使われていたと証言していました。予算を動かしていたのは、731部隊の部隊長で軍医の、京都大学出身の石井四郎でした。戸田正三と石井四郎はよく人事の話をしていて、戸田正三は731部隊が何をしていたのかも知っていて、部隊の研究を推進していたのだそうです。戸田医学部長は、京都大学の教授以外にも、個人的な知り合いも731部隊へ送っていたのだそうです。

番組では、東京大学にも調査を申し込んだそうなのですが、東京大学は番組の取材に対して、「組織として積極的に関わっていたとは認識していない」と回答したそうです。積極的に関わっていないのならむしろ堂々と調査に協力しても良さそうなものですが、東京大学は当時の出来事をまだ歴史学問的に調査するゆとりがないということなのでしょうか。戦争に関わって過去の事実をごまかそうとしているように思えますし、とても残念なことであるように思えました。

番組によると、東京大学では、当時の東京大学の総長の長與又郎が、軍医の石井四郎と交流をしていたそうです。長與元総長の遺族の方が保管していた日記には、昭和15年に平房の731部隊を石井四郎大佐の案内で視察し、見学したことが記されているそうです。東京大学からは戦時中に少なくとも6人集められていることが分かっているそうで、東京大学で開かれた微生物学会の集合写真では、全国から集まったという教授たちが石井大佐を囲むように並んでいました。

『喜寿回顧』を記した京都大学医学部の講師だった吉村寿人さんは、基礎医学の研究をしたくて医学部に入ったそうなのですが、ある日、満州の陸軍に技術援助をせよという教授(正路倫之助?)の命令を受け、国内で研究を続けたかった吉村さんは、命令を受けてすぐに断ったそうなのですが、今の日本の現状からこれを断るのは以ての外である、もし軍に入らねば破門するから出て行け、と教授に言われて、満州の731部隊へ行ったそうです。そこで吉村さんは凍傷の研究を命じられ、症例と対策のため、人体実験を行ったそうです。

軍医の西さんは、極寒期の零下20度のところに人を出して大きな扇風機をかけて風を送って人工的に凍傷を作った、凍傷になった指を小さな棒で叩くと板のように硬くなっていたと証言していました。1940年の12月の実験では、長椅子に座っていた凍傷になった5人の中国人のうち、3人の指は黒くなって落ち、2人の指は骨だけが残っていたそうです。

田部井和は、実戦に使うための研究を進め、大砲の形をした瀬戸物にチフスを入れた細菌爆弾を開発したそうです。部下の古都さんの証言によると、爆発させた場所に「被実験者」を通過させたり、杭に括りつけた人の上で爆発させて菌を被せたりするという実験を行い、大部分は感染して亡くなったということでした。

番組の証言を聞いていて、日本の軍が生きた人で人体実験をしていたという事実に改めてぞっとしたのですが、「NHKスペシャル」では詳細に伝えることができないくらいのもっと酷いことも、日本軍が捕らえた人たちに対して行われていたのだろうと思います。

でも、そのような731部隊の人体実験を後押ししたのは、日本に反発する人々を「匪賊」と呼ぶようになった日本国内の世論でした。1937年の日中戦争(支那事変)の頃、政府もメディアも、中国での日本人の犠牲を強調して(新聞の見出しには、「邦人はこうして虐殺された」とか「暴虐極まる匪賊」とか「匪賊を徹底殲滅」などと書かれていました)、中国人への憎悪の感情を煽り、国内世論(全員ではないかもしれませんが、国民の多く)は、日本軍による現地の人の処罰を支持して「匪賊」への敵意の感情を高めていったのだそうです。(日本の進出に反発する人々を「匪賊」と呼んだという当時の日本人の多くは、そもそも日本人が他所の国の人々の中へ入っていったということを忘れていたのでしょうか。)

そうした「時代の空気」と研究者は無縁ではなかった、ということでした。

北海道大学医学部の図書館で見つかった1940年の資料『民族衛生研究会』には、染色体の研究者が講演会で、満州の人を「匪賊」と呼んで生きたまま研究をしたことを話していたことが書かれていました。その中には、「匪賊が人間を殺すなら、その報復ではないが、その匪賊を研究材料にしてはどうかと思い付いた」と書かれているそうなのですが、その研究者(誰かは分かりません)が、そのような考えを公にしていたということもそうなのですが、自分が「匪賊」と呼ぶ人を人間とは思っていないらしいということにも驚きました。その研究者は、「日本人」だけを「人間」だと考えていたのでしょうか。あるいは、そのような研究者は、自分や身内や仲間だけを「人間」だと思っていたのかもしれません。その研究者は、匪賊一人を犠牲にしたことは無意味ではない、これ以上立派な材料は従来断じてないと言っていたそうです。

少年隊員だった三角さんは、匪賊は死刑囚だから実験材料として利用して良いと教えられていたそうです。こういう時代から祖王しなければ俺たちがやられるといった考えだった、見てもかわいそうだと口に出してはいけない、口に出したら非国民だと言われる、そういった「雰囲気」や、一般的な風潮がそうだったのですと話していました。

1941年に始まった太平洋戦争が泥沼化し始めると、731部隊は細菌兵器を中国で実戦使用したそうです。国際条約で禁止されていましたが、日本はその条約に「批准」しないまま使用したのだそうです。川島さんは、昭和16年に1回、昭和17年に1回、中国中部の軍隊に細菌武器を使用したと証言していました。ペストやコレラやパラチフスなどの菌を、軍隊だけではなく、集落にも使ったそうです。水源や井戸に散布して汚染したそうです。証言者の古都さんは、中国人の2か所の捕虜収容所にいた3000人分の饅頭(まんとう)に菌を注射し、それを食べるように言ってから現地に解放させた、パラチフス菌を大量に感染させる目的だったと裁判で証言していました。

長崎に原爆の落された1945年の8月9日、ソ連軍が満州に侵攻してくると、731部隊はすぐに撤退の準備を始め、証拠隠滅のために全囚人を殺害し、実験施設を破壊したそうです。幹部の医学者たちは、卑怯にも、特別に用意された列車でいち早く帰国したそうです。少年隊員の三角さんたちは、口外するなと命令され、死体の処理を命じられて、ガソリンをかけて焼いたそうです。その骨を拾いながら、戦争とはこんなものか、戦争とは絶対にするものではないと泣いたと話していました。

いち早く帰国した医学者たちは、戦後、大陸での人体実験のデータと引き換えに戦争責任を免除され、不問となったそうです。このようなアメリカ政府の司法取引のような手法も、本当に卑劣だと思います。データを受け取り代わりに関東軍の731部隊の責任者を野放しにしたということは、アメリカもその酷い人体実験に協力をしたということとほとんど同じことになるのではないかと思います。

教え子たちを731部隊へ送った京都大学医学部長の戸田正三は、金沢大学の初代学長に就任し、731部隊のことを語らないまま、医学界の重鎮となったそうです。田部井和助教授は、京都大学の教授となり、後に細菌学の権威となったそうです。吉村寿は京都大学へ戻って教授となり(後に勲章も授与されたそうです)、自分は非人道的な実験は行っていないと生涯否定し続けたそうです。私は軍隊内において凍傷や凍死から兵隊をいかに守るか、部隊長の命令に従って研究をしたのであって、決して良心を失った悪魔になったわけではない、と吉村さんは回想しているそうです。自分は非人道的な実験は行っていないと、戦後の吉村さんは本気で思っていたのでしょうか。それとも、そのようにでも思い込もうとしなければ長く生きていくことができなかったということなのでしょうか。

731部隊の当事者たちが口を閉ざす中で、残酷な731部隊の話題はタブーになっていったということでした。しかし、戦後72年の今年その歴史が改めて問われていると、今年の3月の日本学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」のことが伝えられていました。

1949年に創設された日本学術会議では、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を出し、1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」旨の声明を出したそうです。それは、科学者たち自身による戦争協力への反省から生まれたものでした。そして、今年に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」は、防衛省が新しく作った防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」では「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入」が著しいということの問題と懸念を訴えるものでした。

政府が防衛省の予算の中から軍事利用できる研究を行う大学の研究室に「研究費」を配るということを始めているそうで、大学と軍事研究の在り方が改めて議論されていた日本学術会議では、心配する声が上がっていました。その一方で、軍事研究は兵器研究ではないと言っている方もいました。2016年のNHKの「クローズアップ現代+」の「“軍事”と大学 ~岐路に立つ日本の科学者たち~」では、原爆につながる理論を発見したアインシュタイン博士やイギリスの哲学者のラッセルや湯川秀樹博士や朝永振一郎博士が、戦後、科学の平和利用を訴えるようになったということが言われていて(ラッセル=アインシュタイン宣言)、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士も、防衛省の予算で大学が軍事関連の研究を行うことに反対していましたが、あまり過去の戦争のことと結びつけて考えずに、研究費を出してもらえるなら何でもいいという風に思っている教授や学生の方たちも増えているようでした。

日本学術会議のスライドには「哲学のない科学・技術は凶器である」と書かれていました。そこでは、アメリカのマンハッタン計画や原爆の話と共に、日本による中国での毒ガス実験や731部隊の話も出ていたそうです。ある科学者の方は、「科学者の責任ということです。科学者は戦争に動員されたのではなく、科学者が戦争を残酷化してきたという歴史があると思います。」と話していました。

ロシアで見つかったハバロフスク裁判の12人は、幹部たちがいち早く逃げた後にソ連軍の捕虜となった人たちだそうです。音声記録に残されていた声の、軍医の柄沢十三夫さんという方は、人体実験に使われた細菌の培養の責任者だったそうなのですが、戦争が終わってようやくその罪の重さに気付いたようでした。番組では最後に、柄沢さんの声が流れていました。「自分は現在平凡な人間といたしまして、自分の実際の心の中に思っていることを少し申してみたいと思います。私には現在、日本に、82歳になる母と、妻並びに2名の子供がございます。なお私は自分の犯した罪の非常に大なることを自覚しております。そうして終始懺悔をし後悔をしております。私は将来生まれ変わって、もし余生がありましたならば、自分の行いました悪事に対しまして、生まれ変わった人間として、人類のために尽くしたいと思っております。」というような言葉でした。柄沢さんはソ連で刑に服した後、帰国直前に自殺したのだそうです。

ハバロフスク裁判の22時間に及ぶ日本軍の証言記録音声は、いつか本になるのかもしれません。「731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~」を今放送したNHKは、勇気があると思いました。良い特集でした。

戦争の特集を見ていると、人間には残酷な側面があるということがよく分かります。約72年以上前の戦争中の時代が、当時の人たちにとっては日常の延長線上にあったということであるのなら、今の私たちの日常もそのように少しずつ変化していくのかもしれないですし、戦時中の人たちと今現在の人たちとの間にそれほどの性質の違いはないように思えます。今の私たちも気を付けていないと、残酷な側面に支配されてしまうことになるかもしれません。

番組のナレーションでは、「今私たちに問いかける医学者と731部隊の真実。それは戦争へと突き進む中でいつの間にか人として守るべき一線を越えていったこの国の姿でした」と言われていたのですが、戦時中の731部隊が行っていたことは本当に怖いことで、怖くて酷いことだとしても、日本人は忘れてはいけないというか、無かったことにしようとしてはいけないことなのだと思います。

2015年の頃にEテレの「ETV特集」では「“医師の罪”を背負いて~九大生体解剖事件~」が放送されていました。1945年の九州大学(九州帝国大学)の医学部内で捕虜となったアメリカ兵に対する生体解剖実験が行われていたということを、当時現場に立ち会って補助をしていたという医師の東野利夫さんが証言していました。

戦争時代の酷い出来事のことを関係者の方が恐れずに証言をしてくださるおかげで、また、そのことをジャーナリストの方が本や報道番組などで伝えてくださるおかげで、戦争を知らない世代の今の私も、戦時中に何が行われていたのかことを少しでも知ることができます。

戦時中の被害や加害の話には辛いものが多いので、聞いているとやはり重い気持ちになりますし、悲しいというだけではなくて、怒りの気持ちも出てきます。番組の最後に裁判での音声が紹介されていた柄沢さんという軍医のように、終戦直後からだとしても、自分の犯した罪の重さに気付いて自殺をするような人は、まだましなのかもしれません。京都帝国大学の吉村寿人氏は教授から破門すると言われて破門されることよりも人体実験に関わることを選んだようでしたが、教授などから731部隊への入隊を勧められて最後まで拒絶をした人や批判をした人というのは、当時の大学の中にいたのでしょうか。

関東軍に捉えられた「囚人」の中には女性や子供もいたということですが、731部隊で人体実験を行っていた人たちの中にも、「性犯罪者」はいたのではないかと思います。例えば、満州や樺太に侵攻してきたソ連兵の中に日本人女性に対する「性犯罪者」が多くいたことは戦争関連の番組の中ではよく伝えられていて、そのような話を聞く度に、その兵だった人たちには死んでほしいという風にも思ってしまうのですが、その点の日本兵の他国の女性に対する「加害」の事実は、日本の中ではあまり伝えられていないように思います。もしも私の身内や近所を歩いている元兵士のお年寄りの中に戦地で「性犯罪者」になっていた人がいたらと考えるとぞっとしますが、現地の女性(男性の場合もあったでしょうか)に対して「性犯罪者」などにならなかった日本の兵士や外国の兵士も多くいたのだろうと思いますし、当時の酷い行いを、戦争中のことだから仕方がない、として済ますのはやめてほしいと思います。

広島と長崎へ原子爆弾投下したアメリカ政府は、被爆した方たちの検査データを得ていたということですが、占領政策中やその後の日本政府の協力の下に行われていたということが、いつも不思議に思えます。日本は原爆の被害者なのに、どうしてアメリカの味方をし、被爆させられた日本人の味方にならなかったのでしょうか。731部隊の幹部たちがデータを渡したことで「戦争犯罪者」とされず、処罰を受けずに解放されたということは、本当に日本のためになったのでしょうか。A級戦犯を合祀した靖国神社のことが問題になる時、韓国政府や中国政府が日本政府の批判をするということもあって内政干渉の問題のように扱われることも多いですが、本当はもっと国内で問題にしなければいけないことなのだろうと思います。

第二次世界大戦に勝った連合国側による東京裁判を否定する考えを持つ安倍首相やその仲間の方たちは、それなら一体誰を先の戦争の責任者だと考えているのでしょうか。日本の国民の間でも、そのことはほとんど話し合われていないのだと思います。BC級戦犯のことも含めて、戦犯についてよく分からないということもありますが、A級戦犯になるべき本当の戦犯は、「協力者」を優遇するアメリカとの「司法取引」のようなものによって、公職追放を解除されるなどして、戦後に見逃されてしまったということもあるのかもしれません。今もまだ在日米軍基地の多い戦後の日本の国内問題として、先の戦争の原因や責任者を調べようとしなければいけないのだと思います。

先日のBS日テレの「深層ニュース」では、「海軍反省会」の音声テープの中で証言されていた「特攻」を認めた異様な空気について、大和ミュージアムの館長の戸高一成さん(高の文字ははしご高です)と作家のなかにし礼さんが話していました。「海軍反省会」のことを、私は以前に見た「NHKスペシャル」の「日本海軍 400時間の証言」という特集で知りました。当時の大日本帝国海軍の幹部たちは、人間を消耗品と考えたり、自動操縦機の代わりと考えたりしていたそうです。「特攻」の発想は、そのような中から出て来た「一億総玉砕」の思想の集約したものでした。軍上層部は、そのような「特攻」を志願によるものにしたかったのだそうです。戸高さんは、「負けた」と言って戦争を終わらせることができなかったところに軍人の弱さがあったと話していました。「特攻」の作戦は、「神風特別攻撃隊」(この場合の「神風」は、本当は「かみかぜ」ではなく「しんぷう」と読むそうです)を創設した大西瀧治郎海軍中将が考えたものとされることがありますが、実際には神風特攻隊が創られる前に、海軍が人間魚雷の「桜花」や人間爆弾の「回天」や特攻艇の「震洋」を計画していたそうです。海軍の幹部は「特攻」をやってはいけないものと知りながら神風特攻隊が創られるとそれを戦意高揚に利用し、多くの日本兵をその雑な作戦の下で殺していたということでした。

当時の日本軍の死に方を考えて生き方を考えていないということについては、先日のテレビ朝日の「報道ステーション」で作家の西村京太郎さんも話していました。生きようとしないという点で戦争は日本人には合っていないという説を聞いて、なるほどなと思いました。「海軍反省会」の証言を本にまとめている大和ミュージアムの戸高さんは、テープは重要で貴重な資料であり、公文書として残すことが大切だけれど、その際に一語一句残すことが大切で、重要そうなところだけを選んで残すようなことをしてはいけないと話していました。その話を聞いていて、本当にそうだと思いましたし、また、獣医学部新設を巡る政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに学校法人・加計学園の幹部が同席していたにもかかわらず公表された議事録(議事要旨)にはそのことが外されて書かれていたという出来事とも重なるような気がしました。

戦争中に起きた酷い嫌な出来事を、戦争中のことだから、そのような時代だったからなどとして、仕方がない、という風にはしてほしくないように思います。そのように言ってしまうと、これからいつかの未来に、もしも万が一日本がまた「戦争時代」になった時にも、仕方がない、で片付けられてしまうように思えます。

「良心的兵役拒否」というものが外国にはあると聞いたことがありますが、日本では、今でも、太平洋戦争の頃に兵役を拒否して逃走した人のことを「非国民」とか「国賊」という風に扱っているようなところがあるように思います。でも、兵役を逃れた人を「非国民」とか「国賊」とか呼んで罵るほど戦争へ行くことが嫌で不服であるのなら、戦争を始めて徴兵の法律を制定して「一億総火の玉」などというキャッチコピーを作って召集令状を送ってくるような政府や軍や地域の役所などに文句を言うほうが正しいのではないかという気がします。どうすれば良いのか私には分からないのですが、少なくとも戦争は自然災害とは違う人災なので、先の大戦を人災としてきちんと考えるようになるといいのではないかなと思います。
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Author:カンナ
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