石牟礼道子さんが亡くなったこと

小説『苦海浄土 わが水俣病』を著した作家で詩人の石牟礼道子さんが昨日の2月10日の未明に亡くなったということを、昨夜の報道で知りました。

第69回読売文学賞に選ばれた『評伝 石牟礼道子 渚(なぎさ)に立つひと』の書評の中に、著者の毎日新聞の記者の米本浩二さんが毎週末熊本の石牟礼さんに会いに行っているということが書かれていたのを読んだばかりだったこともあり、15年前からパーキンソン病を患っていたとはいえ、石牟礼さんが突然亡くなられたように思えて、驚きました。石牟礼さんは、昭和2年(1927年)生まれの90歳だったそうです。

私が見た昨日のNHKの報道番組では、石牟礼さんの訃報についてのインタビューに応じていた胎児性水俣病患者の加賀田清子さんが、石牟礼さんが最後まで執筆をつづけていたことを、体調を崩されていてとてもきつかっただろうと思うと話し、いつも気にかけてくれていたので、知らせを聞いてとても悲しいですと答えていました。

熊本県の今の天草市に生まれ、水俣市に移り住んだという石牟礼さんのことを、私はその作品や言葉などで少しだけ知っているというくらいなのですが、石牟礼さんは、近代文明の病としての水俣病と長い間向き合い、闘い続けて来た立派な方で、弱者に寄り添う姿勢と考え方を徹底して貫いた方なのではないかと思います。

私は小学校の「公害」の授業で水俣病のことを最初に知ったように思うのですが、その時にも、石牟礼道子さんの『苦海浄土』が扱われていました。水俣病という公害の残酷さが全国に伝わった背景には、水俣病患者に寄り添う石牟礼さんの言葉の影響が大きくあったのだろうと思います。

水俣病は、化学肥料メーカーのチッソの水俣工場が水俣湾に排出した中に含まれていたメチル水銀化合物が魚介類に蓄積され、汚染されているとは知らずにその魚介類を摂取した不知火海沿岸の熊本県と鹿児島県の住民の症状から発見された、メチル水銀中毒症という中枢神経系の疾患です。環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上初の病気なのだそうです。

昭和31年(1956年)に水俣湾周辺で発見されたメチル水銀中毒症が水俣病と呼ばれ、昭和40年(1965年)に新潟県阿賀野川の流域で発見された昭和電工鹿瀬工場によるメチル水銀中毒症は新潟水俣病と呼ばれています。水俣病と、新潟水俣病と、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所が排出したカドミウムによるイタイイタイ病と、三重県の四日市コンビナートの排気の大気汚染による四日市喘息は、四大公害病とされています。

先日のNHKの「時論公論」では、昭和43年(1968年)に発生した、食用の米ぬか油を摂取した約1万4千人の人たちに激しい皮膚障害などの健康被害を出した食品公害・カネミ油症の原因となった人工化学物質・PCB(ポリ塩化ビフェニル)の廃棄物の処分の期限が迫っていて、北九州では今年の3月末までだということが伝えられていました。PCBは脂肪に溶けやすく、PCB廃棄物が流出すると、食物連鎖などによって生物の体内に濃縮しやすい上に、普通の自然環境の中では分解され難いそうです。

水俣病の原因企業(加害企業)は今も存在していますが、廃棄物などで自然環境を汚染した大企業が利益を上げるために、健康被害が出ていることを知りながらその被害の大きさを矮小化し、国も地元自治体もその大企業のほうに協力して、被害者の救済を後回しにするということは、2011年の東京電力福島第一原子力発電所の炉心溶融を伴う爆発事故後の放射性物質汚染のことも含めて、今も続いていることなのだと思います。

チッソが水俣湾に流出させていた有機水銀のメチル水銀は、コンクリートで埋め立てられた状態で、今も海のそばに埋まっているそうです。そのため、2016年4月の熊本地震の後には、メチル水銀の流出と再びの水俣病が懸念されてもいました。

石牟礼さんの言葉の中で伝えられていたのは、水俣病患者となった方の思いでした。高山文彦さんの著書『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』という本がありますが、2013年の10月に熊本を訪問なさった天皇皇后両陛下が胎児性水俣病患者の方々とお会いしたきっかけを作ったのは、石牟礼さんの美智子さまへのお手紙だったそうです。

NHKでは時々水俣病の特集が放送されていますが、2012年の「クローズアップ現代」(「クローズアップ現代+」になる前です)の「水俣病“真の救済”はあるのか ~石牟礼道子が語る~」では、石牟礼さんが話していた、ご友人の水俣病患者の杉本栄子さんという方の、「私たちは許すことにした。全部許す。日本という国も、チッソも、差別した人も許す。」という言葉が、何か、とても衝撃的でした。杉本栄子さんは、許さないと苦しくてたまらないと言い、まだ生きたいと言いながら亡くなったそうです。石牟礼さんは、「私たちは代わりに病んだ人から許されて生きている。罪なこと。」と話していました。

この番組の中で取材に答えていた石牟礼さんは、パーキンソン病のために、小さく揺れながら、ゆっくりと、確実にご自身の言葉を伝えていました。番組を見ていただけの私にも、その内容がよく伝わってきたように思います。

石牟礼さんが考え続けていたように、今生きている私も、日本の一人として、忘れずに、近代文明の病のことを考え続けていかなければいけないのだと思います。忘れてしまったら、被害を止めることはできないですし、同じようなことがまたいつか繰り返されてしまうような気がします。昨年には「水俣条約」という水銀を使わないようにして中毒被害をなくしていくための国際条約が締結・発効されたことが報じられていましたが、国内の水俣病については、国に認定されてから約62年経った今でも、水俣病と国から認定されることや補償を受けることのハードルは、高いままなのだそうです。

戦争や公害の話を聞くと、先の戦争の問題も戦後の大企業による自然環境の汚染の問題もまだ終わっていないということを改めて思います。石牟礼さんは最後の時まで、美しいという水俣の海のことを思っていたのかもしれないなと、何となく思いました。
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