映画「レッドタートル ある島の物語」と、高畑勲監督が亡くなったこと

今年のお正月の頃に日本テレビの深夜の「映画天国」という枠で地上波初放送、ノーカット放送されていた、2016年のスタジオジブリのアニメーション映画「レッドタートル ある島の物語」を見ました。録画をしておいたものを一昨日にようやく見ることができました。

この作品は、第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門特別賞受賞作品、第44回アニー賞インデペンデント最優秀長編作品賞受賞作品だそうです。

原作・脚本・監督はオランダ出身のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさん、脚本はパスカル・フェランさん、アーティスティックプロデューサーは高畑勲さん、音楽はローラン・ペレズ・デル・マールさんという作品でした。

スタジオジブリの映画なのにどうして「金曜ロードショー」の枠での放送ではないのだろうと少し不思議にも思っていたのですが、映画を見て、確かに「金曜ロードショー」向きの映画ではないようにも思いました。

自然の風景がとても丁寧に描写されている、とても静かなアニメーション映画でした。映画の中には音楽らしい音楽も使われているのですが、ほとんどが雨の音や波の音や風で木が揺れる音や鳥の声などの自然の音で、登場人物も、驚いたり叫んだりする際に発声する以外には言葉を発しませんでした。

物語は、ある嵐の日の荒れた海に飲み込まれた一人の男が、無人島に漂着して砂浜で目を覚ます、というところから始まりました。数日後、男は、時々スコールの降る無人島を脱出しようと島の竹林の竹を使って筏を作るのですが、海に漕ぎだしてしばらくすると、何かに筏を壊されてしまいました。再び作った筏も壊され、死んでいたオットセイの皮で作った服を着て、椰子の実を積んで3作目の筏を漕ぎ出した男は、ふと海面に浮かび上がってきた赤いウミガメと目を合わせた矢先、その赤ウミガメに?また筏を壊されてしまいました。憤りながら、島の浜へ戻った男は、夕方、赤ウミガメが浜に上がってきたのを見つけると、竹を掴んで赤ウミガメの前に立ち、怒りにまかせてその頭部を叩いて甲羅を返し、裏返ったままの甲羅を踏みつけて立ち去りました。その翌日の夜、男は死んでいる赤ウミガメを見て、その赤ウミガメ殺したことを後悔しました。男は、ヒレをさすったり、海水を頭にかけたりして、赤ウミガメを生き返らせようとしたのですが、その甲羅は音を立ててひび割れました。しかし、赤ウミガメの死にショックを受けていた男がよく見ると、そのカメのヒレは人間の腕に変わっていました。そして、白い甲羅の中にいたのは、長い赤い髪の人間の女でした。男は驚いて、甲羅の中で眠る人間の女のために池の水を汲みに行き、強い日差しから守るために女の上に笹の葉の屋根を作りました。女は甲羅を海に帰し、同じように筏を海に帰した男に、自分から近付いていきました。

そうして、しばらくして、男と女の間に男のの子が生まれたようでした。2歳くらいになった男の子は浜辺で瓶を拾い、大切にしていました。男の子は、人間と赤ウミガメの子供なので、海の岩場の深い水の中に落ちても、すぐに出口を見つけることができました。カメたちともすぐに仲良くなりました。

息子が10歳代の中頃くらいに成長したある日、海辺で鳥たちが騒いでいました。いつの間にか水が引いた岩場に魚が打ち上げられているのを見た女は、大津波が島に近付いていることに気付き、男の手を引いて慌てて走り出しました。少年も津波を見て島の奥へ走ったのですが、津波はあっという間に島に到達し、竹林を破壊して進みました。少年も、両親も、大津波に飲み込まれてしまいました。

積み上がった竹の間で目を覚ました少年は、津波に荒らされた島の中、両親を捜し回りました。泥の中に脚を怪我した母親を見つけると、カメたちと海を泳いで、竹に掴まって浮いている父親を見つけました。親子3人は再会することができました。それから、散乱している竹を集め、燃やすなどして島を片付けました。

数年後、青年に成長した息子は、両親に島を離れる決意を打ち明けました。両親はカメたちと島を離れる息子を見送ると、再び二人で生き始めました。二人とも、髪は白髪になっていきました。ある満月の夜の星空の下で、年老いた男は眠るように息を引き取りました。隣で眠っていた女は、夫の異変に気付いて飛び起きると、夫の腕をさすりながら、赤ウミガメの姿に戻り、海に帰っていきました。

このような物語の、絵本のようなアニメーション映画でした。

ところどころ実写の映像なのではないかと思えるような絵になっていたようにも思います(現代のアニメーションなので、そもそもセル画の作品というわけではないのかもしれません)。月の満ち欠けで時の経過が描かれていました。空や海の青色、夜の星空や雨雲やオットセイの灰色、竹林の緑色、夕日やウミガメの赤色などの様々な色が、とても鮮やかでした。

最後は、黒い背景に小さな文字のみのエンドロールでした。

男性と女性が出会って子供を生んで、二人で子供を育てて、成長して離れていく子供を見送って、年老いて死に別れる、という展開だけを見ると、近年のCMの映像としてもよくある、ありふれた生活者の話のようにも思えるのですが、冒頭から、何というか、神話的な物語、昔話風の物語であるように思えました。

シンプルな絵とストーリー展開は、最初からそのように作られたというよりも、削り落とされて洗練されたものというような雰囲気でした。

映画の題名は、原題の英語では「ザ・レッド・タートル」、フランス語では「ラ・トルテュ・ルージュ」と書かれていたのですが、筏を壊した赤ウミガメ(アカウミガメなのかどうかは分かりません)は、最初から、主人公の男と仲良くなりたくて近付いたということなのでしょうか。それとも、無人島に閉じ込められた孤独な男の魂が引き寄せたものというような意味だったのでしょうか。海に浮かぶ筏を下から打ち壊した“犯人”が赤ウミガメなのか、何か別のものなのかは不明です。

男のそばを離れない砂浜の小さなカニたちの動きがかわいくて、ジブリ作品らしいといえばジブリ作品らしかったように思います。ただ、これまでに私がよく見てきたジブリ作品とは異なり、物語の中に、生物の生と死が繰り返し描かれていました。津波が島を襲う場面もありましたが、この作品の中では、生も死も、何かドラマティックなものや特別なものとしてではなく、あっけないものとして描かれていたような気がします。男が島に来て最初に見たオットセイも、林の竹も、カニも、魚も、巨大なムカデも、赤いウミガメも、みんなあっけなく死にました。男の足の上を歩いていたムカデもそうだったのかもしれませんが、黒い蟻たちや、死体に集る蠅の羽音が、生物の死を常に感じさせるような印象でした。

この物語は、異類婚の話(異類婚姻譚)でもあるのだろうと思います。日本昔話風のタイトルにするなら、「赤亀女房」かなと思います。男と女(死んだ赤ウミガメ)の間に生まれ、成長して島を離れた青年が、その後どうなったのかは、描かれていないので分かりません。父親が知っている大陸(島と海の向こう側の世界)にたどり着くことができたのかもしれませんし、その前にどこかで命を落としたかもしれません。主人公の男は、結局、この島で生き、老いて亡くなりました。男は漂着した時から老いて死ぬまでずっと島で生きていたのかもしれませんし、島で数日生きた後、オットセイのように、いつかの夜にすでに亡くなっていたのかもしれません。

赤ウミガメが死んでいたかどうかということも、はっきりとはしていないのですが、裏返されたまま青空の下の強い日差しの浜辺で動かなくなっていた赤いウミガメの甲羅が割れたのは、赤ウミガメは死んだという意味だったのではないかなと思います。赤ウミガメを殺してしまったことを後悔していた男は、生き返ってほしいと強く願う中で、赤ウミガメの魂を引き寄せ、結びついたということなのかもしれません。

男と出会った女が死んだ赤ウミガメの魂の変身した姿であったなら、あるいはそれが、嵐の海で死んでいた、または死んでいたかもしれない、漂着した無人島を脱出できなかった男の幻覚なのだとしても(女がひび割れた甲羅を海に帰したのが弔いであったなら、男が作りかけの筏を海に帰したのも弔いであり、覚悟でもあったのだろうと思います)、このアニメーション映画の物語を貫いていたのは、生よりも死でした。男(とその息子)は時々「夢」を見ていましたが、眠るということも、一種の死なのかもしれないと思います。男の死を見届けた女が赤ウミガメの姿に戻って帰っていった海が、普通の海ではなく、例えばニライカナイのような、この世ではないあの世のような、異界であるようにも見えました。

映画「レッドタートル ある島の物語」は、宗教的な意味では決してなく、でも、どちらかというと少しスピリチュアル的(精神的、霊的)な意味の、魂の物語であるように思えました。

スタジオジブリの作品としては、例えば「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」や「耳をすませば」や「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」などの作品のように(「風の谷のナウシカ」はトップクラフトと徳間書店の作品で、厳密にはスタジオジブリの作品ではないようです)、何度も見たことがあるのに「金曜ロードショー」で放送されるとまた見てしまうという感じの映画とは、少し違うように思います。でも、もしかしたら数年後にこの作品をまた見たくなることもあるのかもしれません。私は、2013年の夏の宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」や秋の高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」も好きなのですが、なぜか、地上波(「金曜ロードショー」)では、どちらもまだ一度しか放送されていないような気がします。

番組の最後に、鈴木敏夫プロデューサーがスタジオジブリの次回作となる、宮崎駿監督の長編アニメ映画「君たちはどう生きるか」について少しだけ話していたのですが、宮崎駿監督は、オランダ出身のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の映画「レッドタートル ある島の物語」を見て、また長編作品を作りたい、スタジオジブリの最後の作品は自分の作品にしたいという風に思って、引退を撤回したということでした。タイトルは、吉野源三郎さんの小説『君たちはどう生きるか』から取ったそうなのですが、内容はそれとは異なる“冒険活劇ファンタジー”になるそうです。

最近、反戦ジャーナリストで戦後に岩波書店の雑誌『世界』を創刊した吉野源三郎さん(もともとは『真実一路』や『路傍の石』などを書いた小説家の山本有三さんが執筆する予定だったそうです)の小説『君たちはどう生きるか』を原作とした羽賀翔一さんという方による漫画版が大人気ということで、本屋さんの店頭にその関連本と共に平積みにされているのですが、私は未読です。吉野源三郎さんの小説のほうも、昔に古書店で見かけて読もうとして、軍国少年たちの登場するその何となく説教臭い雰囲気(しかも道徳的にはそれほど斬新なことが言われているわけでもないように思えました)から、途中で読むのをやめてしまったことがあるのですが、でも、この小説が書かれた戦前という時期(この本が出版される前年の昭和11年には皇道派の陸軍青年将校たちによる二・二六事件が起きていますし、昭和12年・1937年には日本軍の侵攻していた中国で盧溝橋事件が起きています)を踏まえた上で読み返したなら、今度はもう少し面白く読むことができるのかもしれません。


ところで、これは今日の報道で知ったことなのですが、この映画「レッドタートル ある島の物語」ではアーティスティックプロデューサーを務めていた高畑勲監督が、昨日亡くなったのだそうです。82歳だったそうです。肺がんで、昨年の夏頃から入退院を繰り返していたのだそうです。高畑勲監督には、スタジオジブリのアニメ映画以外に、昔のフジテレビの「世界名作劇場」の「アルプスの少女ハイジ」(「世界名作劇場」ではないかもしれません)や「母をたずねて三千里」や「赤毛のアン」や、数年前にNHKで再放送されていた「未来少年コナン」の印象もあるのですが、最近、藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』のアニメ化にも関わっていたと知り、そうだったのかのかと、驚きました。同じスタジオジブリの作品でも、もしも宮崎駿監督のものとはまた別のリアリティが追及されていたように思える作風の作品を作る高畑勲監督がいなかったなら、日本のアニメの世界はもっと全く違ったものになっていたのかもしれないと思います。高畑勲監督、ありがとうございました。
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