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「南京事件II 歴史修正を検証せよ」

日本テレビの深夜の「NNNドキュメント'18」で放送されていた「南京事件II 歴史修正を検証せよ」を見ました。

日本の敗戦が市民たちに知らされた1945年8月15日、戦争責任を問われることを恐れた政府は連合国軍が日本に来る前に軍の公式記録を焼却処分することを決定し、陸軍の命令により防衛省参謀本部の裏では多くの書類が燃やされ、3日間煙が上がり続けていたそうです。しかし、それから50年後の1996年、防衛省の敷地内で大量の灰や書類の燃え残りが発見され、その旧日本軍の公式記録の一部は、今は台紙で補強されて、「市ヶ谷台資料」として大切に保管されているそうです。

今回初めて公開されたというその資料を、番組のスタッフの方が防衛省防衛研究所戦史研究センター資料室で見ていました。番組で紹介されていたいくつかの資料の中には、「参謀総長載仁親王」という文字や「大日本帝国☆参謀本部」という円形の青い判子が見えました。そして、その日中戦争時の秘密の書類の中に、「敵国首都南京ヲ攻略スベシ」などと書かれたものがあり、南京戦に関する資料のほとんどが焼却処分されていたことが今回分かったということでした。

南京戦に参加した福島県のある上等兵が書いた「支那事変日記帳」という陣中日記が残されているそうなのですが、そこには、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃をもって射殺する、年寄りもいれば子供もいる、一人残らず殺す、刀を借りて首でも切ってみた、というようなことが記されているそうです。

加害事実を認めた日本兵の陣中日記は30冊以上残されていて、元兵士の方が証言をしている肉声も録音記録として残されているそうです。福島県の小野賢二さんは、歩兵第65連隊(聯隊)の南京攻略戦について調べていて、一次資料である陣中日記や、取材した200人ほどの元兵士の方たちの証言記録(音声テープや映像など)を集めていました。

番組スタッフの方は4年間、国内外で調査や取材を続け、今から約81年前の1937年の12月16日と17日の2日間の揚子江の岸辺で起きた日本軍による捕虜殺害の詳細が分かってきたということでした。今回の番組の前作の、2015年10月に放送された「南京事件 兵士たちの遺言」も、番組スタッフの方がその陣中日記を検証したものでした。私もその特集を見ていました。その特集がとても良かったので、その続編かなと、今回の「南京事件II」も見てみることにしたのです。今回の番組の中でその番組の一部が改めて紹介されていました。上海派遣軍(日本軍)の当初の任務は現地の日本人の保護だったが、1937年の12月、日本軍は南京へ迫って行き、日本軍が城壁の要塞を包囲したり、揚子江沿いの坂を登ったりする中で、多くの中国人が揚子江の前に取り残されたということでした。陣中日記の12月16日のところには、捕虜5千人を揚子江に連れ出し、機関銃で射殺、と書かれているそうです。

前作の「南京事件」の放送後、メールが殺到し、視聴者からは、良かったとか、知らなかったという好意的な意見が寄せられたそうなのですが、その一方で、インターネット上では、否定的な意見も書かれ、プロパガンダだとか、中には南京事件そのものを「なかった」と否定する人も存在するということでした。番組で紹介されていた、「外務省目覚めよ!」などと書かれた「南京攻略80年記念大講演会」なるチラシに驚きました(その講演会で南京事件を否定していたらしい現職国会議員として、そのチラシには前防衛大臣の自民党の稲田朋美議員や元希望の党の松原仁議員や自民党の山田宏議員などの名前がありました)。ただ、政府は、南京事件について、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としているそうです。

戦後になるまで、日本人のほとんどは大陸で起きた南京事件について知らなかったということなのですが、多くの日本人が戦争の事実を知らなかったのは、明治時代に作られた「新聞紙法」という法律によって軍が検閲を行うようになり、軍にとって都合の悪い記事を載せてはいけないということになったからだそうです。

敗戦直後には政府の命令で戦時中の映画のフィルムも焼却処分されたそうなのですが、焼却命令に従った人たちばかりではなく、焼却命令が出ていた重要な資料を、残すべきだと考えて独自に保管していた方たちもいました。毎日新聞大阪本社のファイルには、焼却されずに残されていた、日本兵と中国人捕虜たちの姿の写る「不許可」と書かれた赤い判子の押されているセピア色の写真が貼られていて、そこには、麻縄で後ろ手に縛られている捕虜、日本兵に銃剣で胸部を突き刺されている捕虜、壁側に寄せられている捕虜たちなどの姿がありました。知っている人が写真を見たなら、これはあの人だと分かるかもしれません。辛いような、暗いような気持ちになる戦時中の写真でした。

番組スタッフの方たちは、小野さんが集めた南京戦に関わった兵士たちの陣中日記や元兵士の方の証言などから得た、桟橋や魚雷営の建物、軍艦学校や海軍兵学校などの当時の現地の情報を基に、70年以上前の古い地図と今の衛星写真の地図とを比べながら、中国人捕虜たちが日本兵に銃殺された揚子江(長江)の岸辺の現場を探していました。朝日新聞社の持っていた資料によると、捕虜収容所には14777人の人が入っていたそうです。食事は出されなかったそうです。

日本兵は、海軍倉庫まで捕虜とした現地の人々を連行し、幕府山という山の前の道を通ったそうです。16日には上元門という場所を左へ曲がって揚子江のほうへ出たそうです。元兵士の証言によると、食べていないのでちゃんと歩けずに転んでしまう捕虜もいて、逃げ出しそうな捕虜は射殺したということでした。海軍倉庫があった捕虜銃殺現場は、今は中国の造船所になっていて、スタッフの方が入ることはできなかったのだそうです。昔の地図と今の地図で探した結果見つかった場所は、上元門という名前の交差点から北東の辺りのようでした。

南京戦の時の下士官だった方によると、日本兵は「捕虜の殺害」を「お客さんを処理する」と言っていて、将校の出す「ピー」という音の合図が出された後、海軍倉庫の前に一か所に集めた中国人捕虜たちを機関銃で射殺したということでした。証言を基に、番組では、1937年の12月16日の捕虜殺害の様子をCGで再現していたのですが、淡々としたものでありながら、リアルでした。兵士たちは揚子江の岸辺にある海軍倉庫の揚子江側の壁の下のほうにお城の狭間のような穴をいくつか開け、それから電話線を引き、夕方になり外が暗くなってから、捕虜たちを揚子江と倉庫の間の広場まで歩かせ、倉庫の内側からその穴に静かに重機関銃の先を出して、揚子江のほうを向けて座らされている捕虜たちの背中に向けて、捕虜たちの後ろから機関銃を一気に撃ったそうです。600発を15分から20分撃って殺害したため、銃身は熱で熱くなり、弾薬箱は空っぽになっていたそうです。撃った後は、銃剣や刀で死体をついて歩けという命令が上官から出され、兵士たちはそれに従ったそうです。死体を揚子江に流して処分しようとしても、1万5千人近くの捕虜の死体は、多過ぎて流れなかったそうです。

12月17日にも日本軍は捕虜たちの銃殺を続けていました。銃身が熱くなると薬莢が薬室に入る前に爆発してしまうので、濡らした服を重機関銃の上に乗せて冷却しながら、集めた捕虜たちを撃ち続けたのだそうです。海軍倉庫の下流の河川敷でも捕虜の銃殺は行われていたということでした。

歩兵第65連隊の第二中隊の伍長のスケッチには、16日や17日に、捕虜たちを連れて幕府山の麓のどの道を通ったのかということも書かれているそうです。事件現場と思われる揚子江の広い岸辺は、今は埋め立てられていました。12月17日、揚子江の前の砂場(16日の現場とは別の場所)に集められた捕虜たちは、川と半円状に張り巡らされた有刺鉄線の柵に囲まれていました。有刺鉄線の外側に一定の間隔で設置された機関銃はシートや柳の葉?でカモフラージュされていました。夕方暗くなってから集められた捕虜たちを入れた半円形の二つの角の辺りには明かりが置かれていて、その明かりがつくことが射殺の合図だったそうです。元兵士の証言によると、柵の中に入れられた捕虜たちの阿鼻叫喚は機関銃からの銃声が聞こえなくなるくらいにすごかったそうです。伍長のスケッチノートには、銃弾から逃げようとする人々が作る3mほどの人柱ができては崩れ、できては崩れしていたということが書かれているそうです。第一大隊本部の一等兵も、その様子を見ていたそうです。射殺後は、16日の時と同じように、兵士たちが刀や銃剣で捕虜の死体を突き刺していました。死体となっていなかった捕虜に刀を奪われて斬りつけられた日本兵もいたそうです。

映像の中で話をしていたある兵士の方は、あの場合にすればやっぱり気違いだった、天皇の軍隊として、何時間後に殺す人を連れていくのに気持ち悪いとか恐ろしい気持ちはなかった、今からでは考えられないと証言し、別の元兵士の方は、何万という捕虜を殺したのは間違いないと証言していました。

しかし、現在の日本で、あれは虐殺ではなかった、南京事件はなかった、という声が上がっているのだそうです。番組によると、その方たち(稲田元防衛大臣もその一人でしょうか)が「虐殺ではない」としている根拠の一つは、日本兵に殺された捕虜は中国の民間人ではなく中国兵が民間人のふりをしている「便衣兵」だから、ということだそうなのですが、一次資料の伍長のスケッチには、捕虜たちが降参して武器を捨てて手を挙げて歩いてくる様子が描かれていました。日本軍は、捕虜たちの武器を積み上げて燃やしていました。そして数日後には、捕虜として監禁した人たちを殺したということでした。

南京事件が起きたのは昭和時代ですが、明治時代でも、抵抗できない捕虜の殺害は国際法違反だったそうです。南京事件での捕虜殺害を「虐殺ではない」とか「南京事件はなかった」と否定する人が否定している根拠のもう一つは、「自衛発砲」だから、というものだそうです。否定する人たちは、中国人捕虜を解放しようとしたのに捕虜が暴動を起こしたのでやむを得ず「自衛のために」発砲したという説?を信じているのだそうです。しかし、軍の公式記録にはそのようなことは書かれていないということで、その説のルーツをスタッフの方が探したところ、現在インターネット上で広がっている否定説のほとんどは近年に発行された南京事件を否定する本からの情報だそうです。それらの本はさらに1970年代から1980年代に出された南京事件を否定する本からの情報を引用していて、スタッフの方がその情報の基になっている資料は何なのかと調べたところ、1964年に発行された『郷土部隊戦記』という、福島県の歩兵第65連隊の地元で出版されていた本でした。本の表紙には、福島県の遺族会、郷友会、傷痍軍人会、民友新聞社の共同企画ということが印刷されていました。

その本の中には南京虐殺と部隊とは関係ないということが書かれていて、本の中でそのように主張していたのは、両角業作という歩兵第65連隊の連隊長でした。第65連隊の建物があった場所は、今は学校になっているようでした。庭には、昭和初期に置かれたという石の記念碑がありました。「自衛発砲説」の謎を追って、スタッフの方は、雪深い福島県会津若松市の「陸上自衛隊郡山駐屯地防衛館」を訪れていました。軍服や特攻隊の服や機関銃の写真などが展示されているガラス戸の中に、南京戦の当時の組織図があり、その中に大佐の両角業作連隊長の名前がありました(長野出身の方のようでした)。

『郷土部隊戦記』という本は、1962年の1月頃の福島民友新聞に連載されていた「郷土部隊戦記」という記事をまとめたもので、当時のその記事の題字を書いたのは両角業作さん本人でした。「花の白虎部隊」とか「両角部隊に関係なし」などという記事には、捕虜を解放しようとして思わぬ事態が生じ、たちまち大混乱になって制止しても聞かないので、恐怖を感じた日本兵は発砲するしかなかった、というようなことが書かれていました。つまり、両角業作連隊長という南京戦に参加していた部隊の責任者が、自衛のための発砲だった、と主張していたのでした。大佐だった両角さんは、記事の出た翌年の1963年に亡くなったそうです。

両角さんのメモの12月17日のところには「捕虜解放準備」と書かれていたのですが、16日の出来事は書かれていませんでした。確かに、16日に現場の兵士たちが数千人の捕虜たちを殺害しているのに、なぜ17日に捕虜解放の準備をするのか分かりません。17日の両角連隊長は、実際には、「南京入城式」に参加していたそうです。両角連隊長本人は、部隊の兵士たちによる捕虜殺害の現場にはおらず、その様子も見ていないということでした。

山田支隊の?田山大隊長の護衛の上等兵の方の陣中日記には、「12月16日 2500名殺す」、「12月17日 今日は南京入場なり 俺らは今日も捕虜の始末だ 一万五千」と書かれていました。田山大隊長を知る人によると、内地に帰ってからあれだけはしゃべらないでくれと、緘口令を敷かれたのだそうです。現場にいた第65連隊の少尉だった方は、「(捕虜を)解放しようなんて、船もないのに、偉い人はよくもぬけぬけというなと思いました。戦後記事になったでしょう、捕虜を釈放しろとか、とんでもない詭弁ですよ」と証言していました。別の下士官の方は、捕虜の解放を私は考えたこともないし、一回もやりませんでした。戦略上屠殺するほかなかったのかな」と証言していました。南京事件を否定する根拠となっているという「自衛発砲説」の、日本兵は捕虜たちを解放しようとしたけれど捕虜たちの暴動が起きたのでやむを得ず殺したという話は、部隊の責任者だった両角連隊長による嘘の話、戦争責任を問われることを恐れた軍の幹部による捏造話でした。

それを調べたスタッフの方は、さらに56年前に両角連隊長の「郷土部隊戦記」の記事を書いた元記者の方を探し、85歳の阿部輝郎さんに出会いました。阿部輝郎さんは、戦後の両角さんを取材し、「自衛発砲」を初めて世に伝えた元記者の方です。阿部さんは、両角元大佐をその自宅で取材し、1日5時間の話を2日間聞いたそうです。その翌年に両角さんは亡くなったので、阿部さんは両角さんを直接取材した唯一の記者だということでした。

阿部さんによると、両角さんは、軍から捕虜を殺せという命令が来ていた、暴動が起きて自衛のために発砲したという話を何度か繰り返していたそうです。両角さんのメモに書かれていることについてスタッフに訊かれた阿部さんは、両角さんは見ていない、両角さんのメモは昭和30年代になって書いたものであると証言し、最近南京虐殺はなかったという話があるが…というスタッフの方からの質問に、「あったと思いますよ」と答えた阿部さんは、「虐殺があったことは認めて、謙虚に反省しながら進んだほうがいいのではないかと思っています」と話していました。

番組スタッフの調査により、南京事件を否定する人がその根拠としているという「自衛発砲説」なるものは(私はそのような説があることを知らなかったのですが)、軍の責任者が戦後に言い出した弁明だったということがよく分かりました。軍の幹部が戦犯になることを恐れて言った弁明を、南京事件の事実を否定したい人たちが、捏造話と知ってか知らずか、一部本にしたりやネットの記事にしたりして広めていたということでした。

南京虐殺はなかったとする日本の政治家の「歴史修正」の声も、殺された捕虜は30万人いるという中国政府の主張も、それはどちらも正確ではないことなのだろうと思うのですが、番組でも言われていたように、81年前の事件の当事者は亡くなっていますし、今はもう当時の本当の話を聞くことは難しいです。

「だからこそ重要な意味を持つはずだった公式記録を焼却したこの国(日本)。今は残り少ない記録と証言から一歩ずつその輪郭に迫るしかないのです」と、番組は最後に伝えていました。

「南京事件II 歴史修正を検証せよ」は、「一次資料と兵士たちの証言から事実の重みを検証します」ということだったのですが、81年前の重い事実を、「なかった」ということにしてはいけないというか、捕虜殺害現場にいなかった人や後世の人が安易に「なかった」と過去の事実を無視して消そうとしてしまうことの怖さを思いました。

ドイツの人の中にもホロコーストを「なかった」と言い出している人たちがいるそうなのですが、虐殺を行った側の国の人たちの中に虐殺行為を「なかった」と主張する人たちが現れるということは、その人たちは「愛国」と思ってそう主張しているのかもしれないとしても、本当の「愛国」にはならないのではないかなと思います。両角大佐を取材した記者の阿部さんがスタッフの方に話していたことが正しいのだと思います。

昔は「南京大虐殺」という言葉で習いましたが、今の学校の歴史教科書には「南京事件」という言葉で記されているのでしょうか。従軍慰安婦はいなかったとか、関東大震災の時の朝鮮人虐殺はなかったとか、731部隊による残虐行為はなかったなどの謎の「歴史修正の声」は一体何のための上げられているのでしょうか。少なくとも、日本のため、にはなっていないような気がします。一次資料もありますし、日本政府も当時の加害の事実を認めているのですし、日本を含めどの国の場合でも、戦争時の被害の事実を訴えることだけではなく、加害の事実も謙虚に認めて反省したり謝罪したりすることも、戦争をまた始めないようにするためには、大切なことなのだと思います。

「A級戦犯」などが突然合祀された結果昭和天皇が参拝できなくなってしまったという東京の九段の靖国神社に総理大臣職の国会議員が総理大臣として公式に参拝するかどうかというような毎年の話題の時にも、「東京裁判(極東国際軍事裁判)」の裁判で決まった「A級戦犯」について、戦勝国が裁いたものだからとして否定する方が時々いるように思うのですが、「東京裁判」を否定し、陸軍大臣で太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣だった東條英機さんを「A級戦犯ではない」とする方たちは、それなら一体誰を本当の「戦犯(戦争責任者)」だと考えているのかなと、少し不思議に思います。その方たちが考えている「戦犯」とは、東條英機さんとは別の内閣総理大臣でしょうか、それとも、まさか、昭和天皇でしょうか。「東京裁判」の結果に関わらず、日本国内で誰が本当の「戦犯」なのかをもう一度考え直したほうがいいということなのでしょうか。あるいは、「戦犯はいなかった」などとするつもりなのでしょうか。戦争を実際に始めて指揮し、国民を統率していた政治家や軍人が戦争の責任者だと考えるのは、戦勝国による裁判などなくても、普通のことのように思えます。

私は日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)などの先の大戦時代を生きていないので、時々本を読んだり、映画やドラマを見たり、今回のようなドキュメンタリー番組を何気なく見たりしなければ、戦争の時に何があったのかを知ることはできません。もっといろいろ知りたいなら自分で調べればいいのに、ということもあるかとは思いますが、それもなかなか難しいので、記者の方たちが調べて本やドキュメンタリー番組などにして伝えてくださることは、本当に有り難いことだと思っています。(といっても、放送されているドキュメンタリー番組の全部を見ることはできないのですが、時々、偶然、良い内容のものを見ることができた場合には、有り難いなと思います。)

「NNNドキュメント」は日本テレビの“良心”だと思うのですが、以前に「南京事件」が放送されたのを見た時には、勇気があるなと思いました。でも、戦争時代の日本側の加害についてを検証する番組を見て、勇気があるな、と思ってしまうような「空気」を感じることも、良くないのかもしれないなと思います。今の安倍政権下では、政権にとって都合の悪い事実を隠すために行政が公文書の改竄や偽造や捏造が行うという不思議な問題が起きていて、公文書の管理の在り方や情報公開の在り方が問われています。そのような中で「南京事件II 歴史修正を検証せよ」を放送したことには、(勇気があるなという風にもまた思ってしまうのですが)意義深いことであるように思いました。国民の未来のためにも行政文書がちゃんと保管されていくような仕組みを作ることが大事なのだと思うのですが、後世の人たちが嘘や噂に流されずに過去の出来事(歴史)を正しく考えるためには、一次資料の存在が本当に重要なのだなということをまた改めて思いました。取材や調査を行ったジャーナリストの清水潔さんを初め、スタッフの方々、ありがとうございました。深夜の番組なので、録画をしておいたのを見たのですが、歴史に疎い私も、最後まで興味深く見ることができました。事実に真摯に向き合う、とても良い特集でした。
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Author:カンナ
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