二度目の映画「かぐや姫の物語」

昨夜、日本テレビの「金曜ロードショー」では、高畑勲監督の遺作となったスタジオジブリのアニメ映画「かぐや姫の物語」がノーカット放送されていました。冒頭では、高畑勲監督のお別れの会の様子が少し流れていました。

2015年に一度放送されたので、私がこの映画を見るのは今回で二度目です。

日本最古の物語として有名な『竹取物語』を原作とした映画です。原案と監督は高畑勲さん、脚本は高畑勲さんと坂口理子さん、音楽は久石譲さんです。

前回に見た時には、私は「姫の犯した罪と罰」という当時のポスターのキャッチコピーに囚われていたような気がします。「姫の犯した罪と罰」とは何だろうと思いながら見ていたからです。

今回は、映画の物語の内容を知っている状態で見ることができました。絵巻物のような流れ、水彩画や水墨画のような淡い色合い、手描きの輪郭線の動きが絵に生き生きとした命を吹き込んでいる感じを、そのまま楽しむことができたように思います。赤ちゃん時代の姫の動きなどは、本当にかわいいです。比較してはいけないのかもしれませんが、スタジオジブリの映画「ゲド戦記」の中の固まっているような絵とは対照的です。

竹林で竹取の翁(声・地井武男さん)に拾われ、媼(声・宮本信子さん)に育てられて、数日のうちに野山で元気に成長したかぐや姫(声・朝倉あきさん)は、誰のものにもならずに自分らしく自由に好きなように生きたいと願っていたのだと思います。でも、成長するに従って、そのように生きることが困難になり、生きることが嫌になってしまったのだと思います。

姫がもしも養父である翁の考える通りのことを自分でも望んでいたなら、地球上で幸せに生きることができたのでしょうか。

最初にこの映画を見た時、私は、月に帰ることになった姫は、自分が性的な存在になること(そのように見られること)、人間の大人になること(そのように見られること)を拒絶したのだと思いました。映画に登場する男性たちは、世俗の象徴のようでした。その印象は、改めて映画を見てもそれほどには変わりませんでした。「私は誰のものにもならない」という姫の言葉の中の「誰」の中には、姫を生まれたばかりの頃から知っている、地元の子供たちみんなの兄のような存在だった捨丸(声・高良健吾さん)も含まれているのではないかと思います。

姫が都のお屋敷に閉じ込められている間、捨丸は様々な社会経験をして大人になり、妻子もいました。捨丸兄ちゃんに妻子がいるのを、姫は直接見てはいません。でも、姫は、それが現実だったのか夢だったのかは分かりませんが、大人になった捨丸の腕の間からも落ちていきました。

「高貴な人は人ではないのね」と姫は言っていましたが、小さい頃あれほど成長の早かった聡明で活発な姫は(周囲の人たちが求める理想的な「高貴な人」になるために眉毛を抜いてお歯黒にする)“大人の女性”になりかけてからは、成長が止まってしまったようにも見えます。

自分が求める幸せの通りに自由に生きることができたなら、姫はどのくらい(何歳頃まで)地球上で生きることができたのでしょうか。

もしも地球が生の象徴で、月が死の象徴であるとするなら、「月に助けを求めてしまった」という姫の後悔は、もうこの世界では生きていたくない、死にたいと願ってしまった、ということになるのではないかと思います。

部屋に侵入してきた御門(帝、声・中村七之助さん)に突然背後から抱きすくめられてぞっとした姫は、それから御門に拉致されそうになって、一気に魂が抜けたようになっていたのですが、昨夜のその場面を見ていて、私は、姫は拒絶のあまりに「自殺未遂」のようなことをしたのではないかと思いました。一度でも「月に助けを求めてしまった」ことが「もう遅い」ことになるということは、そのようなことなのではないかなと思います。

姫は、そのために(自殺を試みたために)その後生死の境を彷徨い、自らの臨むように自由に生きようとしなかったこと、当時の他の普通の女性たちのような生き方、あるいは生き続けること自体を否定したことを後悔し、この世が辛くても死にたいと思ったりしてはいけなかった、もっとこの世界で生きたかったと泣いていたのかもしれないなと思いました。自分らしく生きたい、この世界で生きたいと願っていた姫が、そのことにはっきりと気付いた時には、自身の命の時間は残り少なくなっていたのです。そのような姫を、十五夜の夜に仏様(阿弥陀如来)の姿をした月の王が、死が、迎えに来たのだろうと思います。

地球に憧れて地球に生まれた月の姫が地球での人生に挫折して月に帰る話、ということにもなると思うのですが、「生きるために生まれたのに」というかぐや姫の言葉も印象的でした。生きるために生まれたのに、生きるのが嫌になって、死にたくなることはあると思います。五人の公達の一人の石作皇子(声・上川隆也さん)の言葉の中の「真心」や「自然」という言葉に、姫は心を動かされていましたが、そのような美しい青い地球と、世俗的で穢れたように見える(美しくないように見える)世界が、同一のものだということを受け入れないと、石上中納言(声・古城環さん)の死の報せにショックを受けて自暴自棄になってしまうような、感受性の強い姫のような人は生きることが難しくなってしまうのかもしれません。感受性豊かな姫が自分の存在に罪悪感を感じて次第に閉じこもっていく様子が悲しく思えました。

ともかく、春夏秋冬の、四季の草木や花や生き物たちの描写が、とてもきれいでした。自然の中の草花の美しさに感動している時の晴れやかで生き生きとした姫と、ふと我に返って暗く沈む姫の、揺れ動く感情の波も、自然の一部のような感じがしました。

そして、エンディングに流れる主題歌の「いのちの記憶」(作詞・作曲・歌は二階堂和美さん)がとても良いです。姫は確かに翁と媼に愛されていました。姫は二人の娘でした。「生生流転」であることや「輪廻転生」ということを考えます。地球を振り返っていた姫は、いつかまた地球に戻ってくるのかもしれません。翁と媼は、かぐや姫がいなくなってからは、どのように生きていったのでしょうか。かぐや姫がいなくなった後の世界は、かぐや姫が来る前の世界、かぐや姫がいた頃の世界とは変わっているのでしょうか。

もしもいつか数年後にこの映画を見たなら、今とはまた少し印象が変わっているかもしれません。物語そのものが最初から最後まで面白いかどうかというのとは少し違うようにも思うのですが、前回に見終わった後、映画のことを考えるうちに少しずつこの映画が良い映画だったように思えてきて、好きになりました。高畑勲監督、ありがとうございました。
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Author:カンナ
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