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「祖父が見た戦場 ~ルソン島の戦い 20万人の最期~」

昨夜、NHKの「NHKスペシャル」の「祖父が見た戦場 ~ルソン島の戦い 20万人の最期~」という特集を見ました。

73年前の第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)の末期、小野文惠アナウンサーの祖父の小野景一郎さんは、32歳の時に召集され、兵士を輸送する「病院船衛生第15班」の衛生兵としてフィリピンのルソン島へ派兵され、1945年(昭和20年)に34歳で戦死したそうです。番組は、そのことを最近知ったという小野アナウンサーが、母親の公子さんと一緒にルソン島のマニラへ渡り、公子さんが2歳の時に戦死した祖父の景一郎さんの足跡を、当時の戦争を知る現地の人々の証言や生還した元日本兵の方たち、下士官だった方が密かに持ち続けていた日記(日誌)、アメリカ公文書館に残されていたルソン島の戦い(ルソン決戦)の日本人の死者数に関する資料などを基に辿っていく中で、“20万人の最期”の真実に迫っていくというものでした。語りは、西島秀俊さんでした。

小野アナウンサーの祖父の景一郎さんがルソン島から家族に送っていたという文学的な雰囲気の手紙に、昔の人は本当に文章が上手いなと感心したのですが(戦地から手紙が届くということもいつもすごいなと思います)、日本政府からの2つの?通知によると「ツマウイニ」という場所で6月か8月に戦死したことになっていた祖父の景一郎さんは、(マニラ、サンフェルナンド、バギオ、バヨンボンの兵站病院などを経て?)その40km手前のカワヤンという場所で亡くなったのではないかということでした。同じ部隊にいた方の証言によると、もうダメかもしれないというほど怪我をして弱っていたそうです。

アメリカ公文書館には、当時のルソン島に上陸したアメリカ軍が記した、日本人(「JAPS」と書かれていました)がいつどこで何人死んだかという「戦果」を知るための資料が保管されていました。アメリカ軍が公的な文書をちゃんと後世に残し、それを内外に公表するというところは、(文書を焼却処分した日本軍と比べると改めて)本当にすごいと思います。

景一郎さんの上司?の下士官の日記は、今は当時を知る重要な資料(史料)になっているのでしょうか。バヨンボンという場所の兵站病院では、多くの負傷したり病気になったりしていた日本兵がいたそうなのですが、日本軍からの命令を受けて、集団自決したのだそうです。ずさんな計画で戦争を続け、ルソン島など南方の島での戦いで本土決戦の時間を稼ごうとしていた大本営は、現地での「自活自戦」(食料などを現地で自力で確保しながら戦うこと)や「永久抗戦」を日本の兵士たちに求めていたそうです。元兵士の方は、(日本軍にとって)兵隊は消耗品だったと話していました。

アメリカの公文書を基に戦死した(アメリカ軍に遺体が確認された)日本兵の数を赤い点で地図上に表示した図が出ていたのですが、分かりやすくもあり、衝撃的でもありました。ルソン島での戦いはゲリラ戦でもあったようなのですが、ルソン島の多くの民間人も、この日本軍と米軍の戦争に巻き込まれて死亡したのだと思います。

小野アナウンサーと母親の公子さんは、戦死した景一郎さんが土になったと思われるカワヤンという川のある草原のような場所で手を合わせ、「ふるさと」を歌っていました。広島に暮らす小野アナウンサーの母親の公子さんは、2歳の時に死別した父親のことをずっと思い続けているそうです。

日本軍が敗走していく戦争末期、戦死した日本兵の多くは病死や餓死で死亡したと言われています。インパール作戦というインド北東部のイギリス軍の拠点インパールの攻略を目指して3万人の兵士を死亡させた日本軍の酷い作戦に関しては、白骨街道と呼ばれる場所での遺骨や遺品の収集が今も行われているそうですし、現地で記念館も建設されるそうなのですが、ルソン島の戦いでも、遺骨や遺品の収集は行われているのでしょうか。

祖父を探す中、10万人のフィリピンの方々が死亡したというマニラ市街戦で疑心暗鬼になっていたという日本軍がフィリピンの人たちを閉じ込めてガソリンを撒いて焼き殺したり銃剣で突き殺したりしたという場所を訪れていた小野アナウンサーは、残酷なことをした人が結局は私たちの誰かのおじいさんだったわけですものね、と呟いていたのですが、その言葉も印象的でした。私たちの祖父や曾祖父が戦時下で加害者になっていたかもしれないことを考えるといつも複雑な、怖いような、寂しいような気持ちになるのですが、でも、本当にそうなのだと思います。

小野アナウンサーは、マニラで日本兵による性暴力の被害に遭ったというイザベルさんという方を訪ねていました。戦後のアメリカ軍の調査によると、あるホテルでは40人の女性が日本兵に連れて行かれて被害に遭っていたそうです。イザベルさんの友人も被害に遭ったそうです。イザベルさんは、「私は日本人を許しました。でも、絶対に忘れません。二度と繰り返してはいけないからです。」と話していました。以前にNHKのBS1で放送されているのを見た、「憎しみとゆるし~マニラ市街戦 その後~」というドキュメンタリー番組のことを思い出します。

この番組はNHK名古屋放送局制作の番組だったようなのですが、愛知県には、フィリピン方面で戦死した方々を祀る比島観音という観音像があり、慰霊祭が行われているということでした。参列者の方は年々減っているそうです。その慰霊碑の場所を訪ねていた小野アナウンサーは、戦争のことを知り続けたいと話していました。

NHKの「ファミリーヒストリー」を見ているようでもあったのですが、祖父の足跡を辿ることに決め、ある程度辿ることができた小野アナウンサーは、幸せだなという風にも思いました。戦争のことをほとんど知らない私も、この番組を見て、ルソン島の戦いのことを少しでも知ることができて良かったです。
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Author:カンナ
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