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ニュージーランドのモスク銃乱射テロ事件、「災害弱者」のことなど

昨日の報道によると、ニュージーランドのクライストチャーチの2か所のモスク(イスラム教の礼拝堂)で銃乱射事件が発生したそうです。49人の方が亡くなり、48人の方が負傷したそうです(後に亡くなったのは50人と報じられました)。ニュージーランドの政府や警察の記者会見には手話通訳の方もいました。

日本では、この銃乱射事件の犯人たちのことを過激思想の持主と報じていますが、犯人の一人が国籍を持っていたというオーストラリアのスコット・モリソン首相は、犯人たちのことを暴力的な極右テロリストと呼んでいるそうです。殺人の様子をインターネットで中継していたという犯人たちは、「犯行声明文」も出しているということなのですが、実際に、ヘイトクライムの事件なのだと思います。

事件の起きたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、この差別主義者による銃乱射事件をテロ事件と認定していました。アーダーン首相は、暗黒の日となった、犯人はニュージーランドはおろか世界に存在してはならない思想の持ち主だと発言し、オーストラリアのモリソン首相は、私たちは極右による暴力的な犯行を絶対的に非難すると発言していました。

神奈川県相模原市の障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件もヘイトクライムのテロ事件だと思うのですが、その「やまゆり園」の殺傷事件の直後、安倍晋三首相や菅義偉官房長官も、このくらいのことを言うべきだったと思います。「やまゆり園」事件の直後も今も、安倍首相や菅官房長官は、差別主義者やその人物による殺人を非難する声明を出していません。

ニュージーランドは世界で2番目?に安全な国と言われているそうなのですが、そのようなニュージーランドで起きたモスク襲撃テロ事件のようなヘイトクライムの事件は、世界中のどこでも、日本でも、起こり得る事件なのだろうと思います。防犯カメラなどを今以上に多く設置したとしても、監視社会を今以上に強めたとしても、差別と排除の思想が人間の中からなくならない限り、完全には防ぐことができない事件のような気がします。というか、監視社会を強めたならますます差別主義が横行するような気もしますし、どちらにしても、閉塞感を拭うことはできません。


昨夜のNHKの「ニュースウォッチ9」では、東京都福生市の公立福生病院の人工透析治療中止死亡事件のことを少し伝えていたのですが、安倍政権がアメリカ政府から高額で自衛隊基地内に導入することを独自に決めたというミサイル防衛システム「イージス・アショア」の配備計画の候補とされている県の秋田県と山口県のうちの、山口県の阿武町の花田町長が、Iターンの町づくりが順調に進む中、街と住民たちを守るために「イージス・アショア」の配備に反対している、ということを伝えていました。

アメリカと「100%共にある」と公言している日本政府は、日本国民よりもアメリカのほうを向いているのかもしれないのですが、日本が秋田県と山口県に置こうとしている「イージス・アショア」は自衛隊が導入したとしてもアメリカ軍のもので、大陸からミサイルが飛んできた際に、日本の土地ではなく、アメリカの土地(ハワイやグアム)を守るためのものなのだそうです。アメリカの土地が守られるのなら(「風が吹けば桶屋が儲かる」のように?)“同盟国”の日本の土地も守られると思うかもしれませんが、秋田県や山口県の住民(国民)の命が脅かされるのだとしたら、本末転倒になるではないかと思います。

政府が米軍新基地(滑走路)を建設するために強行している沖縄県名護市の辺野古の海の埋め立て工事の問題では、先日、珊瑚礁の海の地盤の軟弱性を補強する工事に3年8か月かかるという防衛省の見積もりが報じられていましたが、そのことと、宜野湾市の市街地にある普天間飛行場の返還が2023年以降になるということは本来別々の話なのに、テレビの報道番組では、まるで辺野古の工事が沖縄県民や玉城デニー沖縄県知事の反対によって遅れているために普天間飛行場の返還が遅れるかのような伝え方をしているように思います。政府の見解通りに伝えているだけなのかもしれませんが、それが報道の在り方として良いこととは、あまり思えません。

山口県の阿武町も、沖縄県の辺野古のように、住民の方たちが反対をしていても、配備が強行されることになってしまうのでしょうか。秋田県や山口県が、第二、第三の“沖縄辺野古”になってしまうのではないかと、不安に思いました。そして、これもまた、沖縄県や秋田県や山口県だけの問題ではなく、日本全体の問題として、他の都道府県の人々も考えなくてはいけないことなのだろうと思います。

2011年3月11日の東日本大震災の東京電力福島第一原発の爆発事故とメルトダウン事故で故郷を失い、避難生活を強いられた被災者の方たちの起こした訴訟の裁判では、裁判官たちは、東京電力に責任があることは認めても、国(政府)に責任があることは認めないそうです(千葉地裁は、津波は予見できたということは認めたそうです)。でも、東京電力は「半官半民」の企業ということなので、その企業が起こした大事故なら、津波などの自然災害への対策不十分の責任は、国にもあるのではないかと思います。

昨日の報道によると、愛媛県の四国電力伊方原子力発電所の再稼働した3号機の運転停止を求める山口県の島の住民の訴訟について、山口地裁は、住民側の申し立てを却下したそうです。伊方原発から西に130㎞の場所にある熊本県の阿蘇山で巨大噴火が起きる可能性は小さいから大丈夫だと、担当裁判官が判断したそうなのですが、裁判官に阿蘇山がいつ噴火をするか分かるものなのでしょうか。何かあってからでは遅いということを市民は心配しているのに、裁判所は、国や電力会社に忠告するでもなく、どうしてその市民のほうを抑圧しようとするのでしょうか。裁判官も、市民のほうではなく、国ほうを見ているのかもしれません。

旧優生保護法の下の強制不妊手術の被害者への補償や謝罪について、与野党の議員がまとめた救済法案の条文の前書きには、「心から深くおわびする」、「このような事態を二度と繰り返さない」という言葉も書かれているそうなのですが、その主語は「我々」となっているそうです。政策の責任は国にあるのですから、その責任者を「我々」として、日本国民全員に(国民全員の責任にするということは、その中には被害者も入ってしまうということになります)当時の行政の政策の責任を分散させるのは、欺瞞であるように思えます。どうして国は国民に謝らないのだろうと、いつも不思議に思うのですが、責任の所在は曖昧にせず、その法案の条文には、ちゃんと国の責任も明記するようにしたほうが良いと思います。

昨日には、東京福祉大学という大学の「研究生」と呼ばれる留学生が3年間で約1400人所在不明となって除籍され、同じ3年間で500人以上の「研究生」が退学となっていたことが分かったということが報じられていました(TBSの独自取材による報道だったようでした)。昨年度では、2700人の研究生のうち約700人が行方不明、約240人が退学となっているそうです。

政府は2008年頃から「留学生30万人計画」というものを実行していて、2020年までに達成させるとしているそうなのですが、この“消えた留学生”の問題は、安倍内閣が急いで成立させた改正入管難民法(出入国管理及び難民認定法)による「外国人技能実習生」と呼ばれる外国人労働者の受け入れ拡大の問題や、入国管理局の収容所への終わりの見えない長期収容という人権問題(精神を病んで自殺をする方もいるそうなのですが、13日の報道によると、長期収容されているクルド人難民の申請者が病気になり、救急車が来たそうなのですが、診断した入国管理局の看護師?の判断で救急車が追い返されて、病院へ搬送してもらえないという事態も起きていたそうです。家族や支援者が抗議活動を行っているそうです)とも、無関係ではないような気がします。

日本政府が社会的に弱い立場に置かれている日本人に対しても冷たいということを考えると、いわんや外国人をや、という風にも思えます。入国管理局の外国人収容者の問題は、どうしてなかなか改善されないのでしょうか。

今月の6日頃に放送されていたNHKのEテレの「ハートネットTV」の「シリーズ 平成がのこした“宿題”」の第8回「災害弱者」は、なぜ災害時の被災の格差は消えないのか、ということを、昭和時代から平成時代の災害と法律の歴史と共に伝える特集でした。障害のある人や病気の人や高齢の人の救済は、緊急事態でもある被災時には、行政の支援策の中から零れ落ちてしまう、という話でした。キャスターは中野淳さんで、NPO「ゆめ風基金」の理事の福永年久さんと熊本の弁護士の東俊裕さんが話をしていました。

2011年(平成23年)3月11日の午前中に「障害者基本法改正案」が当時の菅直人総理大臣によって了承されたそうなのですが、同じ日の午後2時46分に、東日本大震災の巨大地震が起きました。2年後の2013年(平成25年)6月19日に、障害のある人への不平等をなくすための「障害者差別解消法」が成立し、2日後には、「災害対策支援法」が改正されたそうです。2014年(平成26年)8月には広島に豪雨と土砂災害が起き、2015年(平成27年)9月には関東・東北豪雨災害が起きました。そして、2016年(平成28年)4月1日に「障害者差別解消法」が施行されたすぐ後、4月14日に熊本地震が起きたということでした。「障害者差別解消法」ができたのに、車椅子の人や目の見えない人は、避難所から排除されたそうです。

行政の側にも市民にも、何かが欠けていると、東さんは思ったようでした。東さんは、やはり法律ができるということはとても大きな影響力が本来はあるのだが、実際に起きてみるともう全くがっかりというか、これほどまでに災害支援の施策の中に(障害者が)位置づけられていないのだということをいやというほど感じました、と話していました。熊本地震の被害を受けた益城町の仮設住宅は、10戸に1戸は玄関先にスロープが付いているということだったのですが、部屋の中は全くバリアフリーになっていなかったそうです。その仮設住宅を見た東さんは、できたものは全く障害者がいないかのごとき社会を想定したものでしかなかった、と憤り、障害者は一般の人よりも大変であるにも関わらず(障害者を助けるものは)何もない、建前としては「福祉」という言葉が駆け巡っているが、いざという時には本当に何もないんだというのが本当にショックだったと残念そうに話していました。

2018年(平成30年)の7月の西日本広域豪雨災害を受けた岡山県倉敷市の真備町では、亡くなった人の9割が家の1階に暮らす高齢者だったそうです。その災害で亡くなった、知的障害のある母親と娘は、近隣の人々との交流がほとんどなかったそうです。東さんは、災害が“年中行事”となっている今、行政も市民もみんなが意識を変える必要がある、そのためには子供たちへの「防災教育」が欠かせないのだということを話していました。確かに、幼稚園生や小学生の頃から、障害のある人やお年寄りや外国から来ている人を助けるということを具体的に学んでいたなら、そのことへ意識を向けることのできるような人になるのかもしれないなと思いました。

宮内庁が24年かけて編纂した『昭和天皇実録』の5000か所に誤りがあったという報道にも、どうして出版後にそのようなミスが発覚するのだろうと驚いたのですが(校正者はいなかったのでしょうか)、「平成」に改元したことに関する公文書の公開を、政府が今年1月に3月末(31日?)に公開すると決めたのにも関わらず、4月1日に公表する新元号の選定に影響を与えるというような奇妙な理由で公開を「1年以上」延期することに変更したという報道も、謎です。今の政府にとって都合が悪いことでも書かれているのでしょうか。気になるなら2か月延期というくらいでも十分なような気がするのですが、「1年“以上”」延期とはどういうことなのだろうと奇妙に思いました。

今日の朝のTBSの「上田晋也のサタデージャーナル」(2017年の春に始まった、くりぃむしちゅーの上田さんが司会を務める報道系のニュース解説番組です)では、「官房長官会見」での東京新聞の望月衣塑子記者の質問に対して、内閣広報官が「質問は完結にお願いします」という言葉を質問途中に挟んで妨害したり、菅官房長官が苛立って「あなたに答える必要はありません」と発言したりしたことなどを取り上げ、政府の会見や記者の質問は何のためにあるのかということを特集していたのですが、番組では、望月記者の質問のどの部分が菅官房長官の言う「事実に基づかない質問」ということなのかは、検証していませんでした。その時の他の記者の質問との比較もしていませんでした。望月記者の質問を字幕付きで放送していたのは良かったと思うのですが、菅官房長官と望月記者のどちらも悪いという風にまとめるのは、良くないように思えました。番組で紹介されていた「官房長官会見」での望月記者の質問は、政府(沖縄防衛局)が辺野古の海に投入している土砂の成分は何かというものだったのですが、菅官房長官が思っているように赤土汚染がないのであるなら、政府は堂々と、沖縄県知事や一般国民に辺野古の海に投入している土砂の成分を公表すればいいのではないかと思います。2011年3月の放射性物質の飛散の時もそうでしたが、政府は、どうしていつも国民に事実を隠そうとするのでしょうか。

「平成最後の」や「新元号最初の」はしばらく続くのかもしれませんが、「日本らしさ」や「日本人らしさ」のような何かも、日本の歴史に中において、今も気付かない間に少しずつ変わっていっているのかもしれないなと思います。
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